第14話 本当の王女

「ようやく邪魔者がいなくなりましたねっ」


 兵士達が部屋を出ると、アーシャは声のトーンを変えて、顔を綻ばせた。口調は以前キッツダム洞窟で出会った時の様に、フランクな敬語になっている。今目の前にいるのは、アデルも知っているアーシャ王女だ。


「あまりに俺の知っているアーシャ王女と違ったから、人違いか影武者かと思って冷や冷やしていたよ」

「ひどいです。私だって、一生懸命頑張って王女様してるんですよ? 指輪の件だって、門兵に伝えるのに凄く苦労したんですから」

 

 アーシャは頬を膨らませて怒った様な表情を作る。

 そこでアデルも破顔して、大きく息を吐いた。どうやら、これが彼女の本当の姿らしい。

 冗談の様にアデルは言っているが、半分くらいは本心だった。今の可愛らしい彼女と、屈強な兵長を威圧していた王女が同一人物だと誰が思おうか。


「じゃあ、えっと……まずはこれを返すよ」


 アデルはネックレスにしていた指輪から紐を抜いて、アーシャに指輪を渡した。


届けてくれて、ありがとうございます」


 アデルから指輪を受け取ると、アーシャはわざとらしく言った。

 どうやら、彼女の指輪は落とし物だと言う事になっているらしい。それを察してくれ、という彼女からのメッセージなのだろう。おそらく、門兵にもそういった理由で通せと言っているのだ。

 友達と言ったり、落とし物の拾い主と言ったり、細かく突っ込んでいくと支離滅裂な気がしなくもないが、先程の様に無理矢理押し通しているのだろう。大人しそうに見えて、アーシャは結構強引なのかもしれない。


「偶然拾ったもので」


 アデルもわざとらしくそう言うと、王女は舌を出して笑い、早速自らの細い指にその指輪を通した。

 思わず、その指に視線が奪われた。彼女の手や指はあまりにも細くて綺麗だったのだ。


「全く、指輪を落としてしまうなんて。かと思うくらい不運でした」

「仕方ないさ。大地母神フーラだって、

「あ、そうやって使うんですね!」


 何やら新しいものを発見できた、と言わんばかりにアーシャ王女はその浅葱色の瞳を輝かせていた。

 〝大地母神フーラの生まれ変わり〟とまで言われている彼女だが、その大地母神がケツから出すものは出していると言われても全く気にしていないところがアデルからすれば面白かった。


「だから、それはやめとけって。その綺麗なドレスが一気に茶色に見えてくる」

「すみません、いつも頭の中で考えているだけで済ませているのですが、こうして話せる人がいると嬉しくて」


 言って、二人は互いに笑い合う。

 どうやらアデルは一国の王女様にとんでもない趣味を持たせてしまったらしい。彼女の教育係にこの事が知られたら、打ち首確定だろう。

 それからアーシャは、いくつか彼女が頭の中で考えていただけの汚い言葉の言い回しを嬉しそうに語った。誰かに言いたくて堪らなかった様だ。そういった下品な言葉を〝ヴェイユの聖女〟ことアーシャ王女が言うものなのだから、アデルも自然と笑みが漏れる。


(アーシャ王女と話すのは楽しいな)


 あの洞窟でのやり取りも、それほど多かったわけではない。だが、彼女と話しているだけで気持ちが落ち着いてくるのもまた、間違いなかった。

 そして、少し冷静になってくると、自分が何故ここに来ているのかに思い至り、気持ちが暗くなってくる。ここにきて自分が何をしたかったのか、アデルにはそれすらわからなかったのである。


「それで……何があったんですか?」


 まるでタイミングを見計らったかの様に、アーシャ王女が訊いてきたので、驚いて顔を上げた。

 すると、そこには先程の様に柔らかく微笑んでいる王女ではなく、眉根を寄せて心配そうに彼を見ている少女の姿があった。


(今そんな顔で見られたら……泣きそうになるだろ)


 どうしてかはわからない。

 彼女に心配されているのが嬉しかったのか、それが唯一の救いである様に感じてしまって、胸の奥がぐっと熱くなった。


「ただ指輪を返しに来ただけ、というわけではないんですよね?」

「どう、して……」


 アデルがそう言葉を詰まらせると、アーシャは「わかりますよ」と言った。


「だって……ずっと泣きそうな顔をしていましたから」


 アーシャは困った様に笑うと、少しだけ首を傾げた。


(ああ、やっぱりこの人は凄いな)


 その表情を見て、アデルはアーシャが人払いをした理由を悟った。

 この王女は、彼を一目見た時から落ち込んでいる事に気付いていたのだ。だからこそ無理に人払いをして、彼の話を聞こうとしたのである。


「アーシャ王女の言う通り……何もかんも、無くなってしまって」

「何もかも、ですか……?」

「それで、どうすればいいかわかんなくなって……ッ」


 ランカールの町で見たを思い出すと、一気に涙が溢れてきた。自分が失ったものの大きさを改めて思い出して、どうしようもない無力感に襲われるのだ。


「……落ち着いて下さい、アデル」


 アーシャは立ち上がってアデルのソファーに歩み寄り、彼の横に腰掛けた。


「ちゃんと聞いてますから。ね?」


 アデルを安心させる為なのか、アーシャは柔和な笑みを浮かべ、彼の手を優しく包み込んだ。

 その笑顔を見ているだけで、まるで本当に大地母神フーラが目の前にいるかの様になってくるから不思議だった。彼女にこうして諭されると、ただ素直に頷いてしまう。どんな荒くれものでも彼女の前では従順な飼い犬となってしまうだろう。

 アデルは腕で涙を拭いてから、キッツダム洞窟で別れてからあった出来事を話した。

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