2章 ヴェイユ王国へ
第10話 ヴェイユ島へ
数日の渡航を経て、アデルは再びヴェイユ島の土を踏んでいた。
今回の往復で手持ちの金も殆ど使い切ってしまった。数日食い繋ぐだけの食費はあるが、もう一度大陸に渡るだけの余裕はなかった。アーシャ王女と会えずとも、暫くはこの島で暮らさなければならないだろう。
(いや……そうだったとしても、この島で生きるのも悪くないか)
ヴェイユ島には冒険者ギルドがないので、ギルド間の繋がりでアデルの生存が知られる事もないだろう。この島で何でも屋でも開いて、便利屋として生きるのも悪くないかもしれない──アデルはそんな事をぼんやりと考えるのだった。
いずれにしても、今の彼の人生には何も目的がない。何もないからこそ、全てが自由に決められた。ここで老衰するまで生きるのも、明日誰かに殺されるのも、今の彼には全てが自由で、そしてその全てが他人事だった。
アデルはグドレアン港の店でヴェイユ島の地図を買って、改めて王宮までの道のりを確認する。
ヴェイユ島は、このグドレアン港を中心に西と東に分かれている。西側にはダニエタン伯爵の統治するルベルーズ領があり、その周囲には小さな村々が点々としている様だ。一方の東側には、ヴィクトル伯爵の統治するベルカイムの森があり、その先にルグミアン川がある。アーシャの住まうヴェイユ王宮は、その川の先、島の一番奥にあるようだ。
グドレアン港からヴェイユ王宮までは、間にベルカイムの森を抜けて、ルグミアンの大橋を渡らなければならない。馬で走れば一週間程で着けそうな距離だが、今のアデルに馬を買う金はなかった。
(やれやれ……島国だと思って甘く見ていたが、思ったより大きな国なんだな)
アデルがギルドの無い島国や政治に興味を持たなかった所為でもあるのだが、ヴェイユ王国の領土はこの島全てである。その領土の広さからは、大国ヴェイユと呼ばれる事もあるそうだ。
実際に、ヴェイユ王国の領土はアンゼルム大陸にある国々よりも圧倒的に広く、国力も高い。島国故に人の行き来も少ない事から文化面に於いては大陸よりもやや遅れているが、それでもここヴェイユ王国に戦争を仕掛ける国はいないそうだ。
だが、このヴェイユ王国それ自体の歴史はそれほど長くなく、アンゼルム大陸の中にある国の中では新興国の部類だ。ヴェイユ国王、即ちアーシャの父ロレンス=ヴェイユはその三代目国王なのだという。例の『王家の洞窟』の〝成人の儀〟も初代ヴェイユ国王が臆病な息子に度胸を付けさせる為に作ったお遊びの行事なのだそうだ。
また、現国王のロレンス王はアンゼルム大陸六英雄の一人に数えられている英雄で、アデルが生まれる前にあった大陸内の戦争では大きな戦果も収めている人物だ。彼は治世にも優れており、ロレンス王の代になってから国も平定しているのだという。
山賊等の無法者もちらほらいるようではあるが、殆ど領主が対応できるほどの規模で、島は平和そのもの。戦争などとは無縁の平和な国なのだという。
(なるほど、冒険者ギルドがないわけだ)
グドレアンの港町でヴェイユ王国の情報を集めてわかった事は、この国が如何に平和な国であるかという事だった。
冒険者ギルドの仕事は、主に領主の手が回らない様な魔物退治や便利屋、或いは行商人達や要人警護の傭兵業がメインとなる。しかし、この国では大陸では冒険者がやっているような仕事でさえも、領主や国が行っているのだ。
ここヴェイユ王国は治世が整っており、人口も多い。税収入も安定しており、国力も高く兵力も十分にあるので、領主自らがその困り事を全て解決できる。冒険者そのものが必要ない程、国の基盤がしっかりとしているのだ。
(アーシャはそんな国の王女様だったんだな)
アデルは先日出会った王女の事を思い出す。
人を疑う事を知らず、誰にでも人助けをしてしまう、お人好しな王女様。彼女の人柄は、この平和な国によって形成されたのかもしれない。
(さて、と……んじゃまぁ、最後の金を叩いて食糧と王宮までの足を手に入れるかな)
アデルは地図を見て大きな溜め息を吐きながらも、どこか清々しい気持ちで港町を歩くのであった。
*
アデルは行商人の馬車に乗せられ、だらだらと王都への街道を進んでいた。
初めて見る景色を楽しめたのは最初の数時間だけで、途中からほとんど森や草原ばかりですぐに飽きてしまった。以降、積み荷だらけの馬車の中で寝て過ごす事が多い。
グドレアンの港町でアデルが目をつけたのは、行商人だった。狙いはその中でも、特に金がなさそうな行商人。彼らに、王都までの護衛を自ら買って出たのだ。
無論、普段町では見ない顔で、大きな剣など背負っている者から護衛を買って出ると言われても、警戒される。そんな時に役立つのが、冒険者の証だった。
冒険者にはパーティーランクとは別に、個人で仕事を請け負う際の等級分けが行われている。アデルは銀等級の冒険者で、上から三番目の等級所持者だ。冒険者としての信用度も高く、銀等級の証を見せれば大体の者は協力的になる。
冒険者ギルドのないヴェイユ王国で冒険者証が通用するのか自疑問だったが、幸運にも大陸出身の行商人がいて、アデルの護衛を受け入れてもらえた。護衛が一人もいないと賊から狙われやすいので、金のない行商人は移動も肝を冷やすのだという。
ただ、護衛すら雇えない貧乏な行商人である。銀等級の冒険者を雇えるだけの金がないと言われたが、報酬は馬車に乗せて王都まで運んで貰うだけで良いと伝えると、承諾してもらえた。
そうしてアデルは、ただ馬車に揺られて過ごすだけだった。
ここヴェイユ王国は、大陸に比べてならず者が非常に少ないそうだ。実際にこの行商人もこれまで一人で商いをしてきたが、強盗や賊に襲われた経験はないのだと言う。
しかし、運が悪いと賊に狙われる事もあって、被害に遭う場合もある。護衛を雇うのは保険掛けの様なものだそうだ。
「
ある晩、焚火を囲んで夕飯を食っていると、
「命を削る仕事に、そろそろ疲れたんだ。平和そうなヴェイユでのんびり働ける仕事を探そうかと思ってね」
アデルは肩を竦めてそう答えるしかなかった。それに、嘘は言っていない。
この行商人は商いを営んでいた村が紛争に巻き込まれて燃えてしまい、そこから流れる様に新天地を求めてヴェイユ王国に流れ着いたのだという。
新興国という事もあって、流れ者にはそこそこ緩いのがこの国らしい。今この国で野盗崩れを行っている連中は、殆どが大陸からの流れ者なのだそうだ。
「それなら、もっと強盗や野盗が多くなるんじゃないのか?」
アデルが訊くと、行商人はちっちと舌を鳴らして人差し指を横に振る。
「
ヴェイユは大陸からの移民の受け入れには寛容だが、もし悪事を働こうものなら即座にお縄に掛けられて、粛清されるのだそうだ。
治安部隊は強い上に数も多いので、ならず者には住みにくい国なのである。結果、大陸のならず者達は人里から離れた山奥で山賊になるか、村や町で真面目に働くかの二つしか選択肢がないのである。
「悪人を更生させる国、か。良い国じゃないか」
「ああ、大地母神フーラ様の像に屁をぶっこいても生きていけるほどにはな。海を挟んでるってだけで、他国の侵攻も受けにくい。大金は稼げないが、命が惜しいならヴェイユ一択だ」
この治安の良さも、全てヴェイユ国王ロレンスの御蔭だと言う。彼は治安維持を徹底的に掲げて、真面目な働き人がとにかく損をしない国作りを徹底しているのだという。アーシャの父は大した為政者な様だ。
だが、そのロレンスには跡継ぎとなる男児がいない。彼には子供がアーシャ王女しかいないのだと言う。また、王族には珍しい恋愛結婚で結ばれた事もあり、愛妻家故に妾等も作っていなそうだ。
(なるほど……アーシャはそうした両親のもとに生まれたから、誰にでも優しくできるのかもしれないな)
アデルはその話を聞いて、何となくそんな感想を抱くのだった。
ただ、今の状況では、次世代の治安や国政はアーシャが誰と婚姻関係を結んで誰が跡取りとなるのか、それ次第になりそうだ。
無論、ロレンス王と王妃がこれから男児を授かり、王位を継承されたならその不安も減るだろう。しかし、その子供がロレンスと同じく有能である可能性は未知数だ。実際、ロレンスの父王は彼程有能ではなかったらしい。
「まあ、ロレンス王が俺よか早く死ぬ事はないだろう。少なくとも俺の代は安心だ。
「まあ、な……」
アデルはその話をぼんやりと聞き流しながら、焚火を眺めていた。
彼の思考は国の行く末ではなく、別のところにあった。
(そっか……今んとこアーシャは王族の末裔で、この国を引き継がなきゃいけないんだよな)
王族や貴族は、平民の様に自由恋愛など許されない。ロレンス王は自由恋愛で今の王妃・リーン=ヴェイユと結ばれたそうだが、リーン王妃も元は大陸にあるダリア公国の姫君だ。同じ王族だからこそ可能で、しかも両国にとっても必要だったからこそ認められた婚姻でもあると考えられる。
アーシャが何処かの貴族と結ばれる未来が訪れるかもしれないと思うと、アデルの胸はどことなく痛むのだった。
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