第7話

 ふうん、と言って、僕は話すのをやめた。たぶん、どれだけ言葉を交わしても、君と話すことによってでは、木の声のことに対してはどうしても漠然とした理解しか抱けないだろうと思ってしまったから。でも、多分それはどれだけ言葉を尽くしても、決して乗り越えられない壁なのだと思う。君がどれだけ正確な言葉でそれを表現したとしても、木の声を聴いたことのない僕には、やっぱり木の声のことはわからないのだろう。と、そんな気がしてしまった。それで、僕は諦めてしまったのだ。



        *



 僕らはかなり長いこと歩いた。

 だけど僕らはまだ歩き続けていた。僕らは家からかなり遠いところで遊んでいたのだ。というのも、もうかなり長いあいだ毎日毎日探検ばかりしているから、新しい場所とか、もしくはまだ飽きていない遊び場所に行こうとするととても遠いところまで足を運ばなくちゃいけなくなっていたのだ。僕らの頭の中には家の周辺のかなりの範囲にわたっての地図が出来ている。そして探検に出るたびに、その地図は少しずつ広がっていく。さいわい地図が広がるのに合わせるように僕らの身体は成長を続けている。今だって僕らはもっともっと遠くまで行けるけど、これから成長すればさらに遠くまで行けるようになるだろう。大きくなっても探検を楽しいと思えるかどうかは微妙なところだと思う(だって、おばさんは探検には全然興味がないみたいだから。僕らも大きくなったらそうなるのかな、と想像している)けれど、もしも探検を続けていたら、もしかすると、森の端にたどり着くかもしれない。

「今日の昼ごはんは何かな?」と、十一歳の君が言った。

 なんだろうね、と僕は言った。たぶん、タヌキの干し肉と、野草のスープじゃないかな。

「いつも通りってわけね」

 そうだね、と僕は言った。僕らとおばさんの暮らしの中では、そのメニューがこの季節のいつも通りだった。タヌキがそこらじゅうを活発に動き回っているし、キノコが生えるにはまだ早い季節だった。


 家の近くまで来た。あの大木の場所へは何度も行ったことがあったから道中の風景は全部記憶している。それでも、やっぱり家の近くの景色って特別で、妙に安心感がある。身近なもので満ちている。まだあまり背の高くない若い木ならばだいたいいつぐらいから生え始めたのかを知っているし、切り株を見れば何のために切った木なのかが思い出せる。薪のために切った木もあるし、家具を作るために切った木もあった。帰り道は、そうやって身近なものが増えていく道なのだ。

 いよいよ家がすぐ目の前だった。僕らは大きな岩に着いた。この岩を超えればその先は家の庭があって、そこに家があった。もちろん、別にわざわざこの岩をよじ登らなくても迂回すればいくらでも家に行けるのだけれど、僕らはもうかなり長いこと、わざわざこの岩を登って家に帰っていた。単純にそれが楽しかったのだ。

 いつものように、君が先に登った。

 岩から頭を出したとき、君は動きを止めた。その岩をよじ登ればすぐそこに家がある。僕らはお腹が空いている。それなのにどうして止まる必要なんてあるんだろう。僕は君を見上げたけれど、当然足が見えるだけで、君の顔を見ることはできなかった。

 下から見上げる限りでは、君は岩に手をかけて、体を持ち上げ、ちょうど岩から頭を出した体勢で動きを止めているみたいだった。

 何かを見たんだな、と、僕は直感した。森に暮らしている生き物はたいていみんなそうなのだけれど、見慣れないものが視界に入ると、反射的に動きを止める。

 どうしたの、と僕は聞いた。

「誰かいる」と君は言った。もちろん、おばさん以外の誰かがいる、ということだった。

 おばさんじゃなくて? と僕は念のため尋ねる。

「おばさんもいる。おばさんの前に、誰か立ってる」、君はひそひそ声で話す。「なにか話をしているみたい」

 見知らぬ人間がおばさんと話をしている。――話をしている、という部分が、僕には引っかかる部分だった。たぶん君もそうだっただろうと思う。おばさんはどうして僕らの知らない人間と話なんてしているんだろう? それはものすごく重要な疑問だと思う。

 僕らは、僕らとおばさんの三人だけしか人間を知らなかった。森の外にも人間がいるとおばさんに話を聞くのだけれど、でも、自分たちの目で実際に見たことはなかった。だけど、僕はまだ見ていないけれど、君は唐突に僕ら以外の人間を目撃してしまったのだ。

 おばさんは僕ら以外に知り合いの人間がいるなんて話はしたことがなかった。もちろん、おばさんは大きくなるまで森の外で暮らしていたそうだから、森の外に当時の知り合いはいるのだろうけれど、そういう人たちとはもうずっとあっていないのだと僕らは思い込んでいた。ましてやこの家の場所を知っているほど親しい人がいるなんて、にわかには信じがたいことだった。でも君が言うには、家の中に、僕らの知らない誰かがいるらしい。もちろんそれがおばさんの知り合いであるという証拠はないのだけれど、でも君が言うにはおばさんはその人間と話をしているらしいから、たぶん知り合いなのだろう。

 僕も顔を出して覗きたかったけれど、見つかるのが怖くて、僕は顔を出せなかった。僕はじっと下にいて、君からの情報を待った。

「大きい人だ。たぶん、男だよ。髪が短い」、そういいながら、君は岩から顔をひっこめた。とりあえず、僕らは並んでその場に座りこんで、岩に背をもたせかけた。

「誰だろう」と君は言った。もちろん僕だって知らなかった。

 さあ、と僕は言った。

「でも絶対森の外から来た人間だよ。服装が私たちとちがった」

 どういう服装? と僕は尋ねた。

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