第4話

 死なない病気なんて、そんな夢みたいな病気があるのだろうか。僕は不思議だった。人は病気にかかって死んでいくものだとおもっていたから、死なない病気なんて、そんなの変だな、と思った。

 でも、おばさんの話によると、話はそう単純ではなかった。

 僕らの罹っているという死なない病気というのは、遺伝子というものに関係した病気なのだとおばさんは言った。人間の体は細胞という小さな粒の集まりによってできているらしくて(それもにわかには信じられない話だけれど)、そして一つ一つの細胞には遺伝子というのが組み込まれていて、それはたくさんの情報が書き込まれたもので、細胞の設計図の役割を果たすらしかった。そして僕らが成長するには細胞が増殖して数を増やす必要があるらしいのだけれど、そのために、細胞はときどき二つに分裂するらしかった。細胞が分裂すると、一つの細胞が元と同じ大きさの二つの細胞に増えるのだそうだ。そして遺伝子も同じように、半分になったりすることなくどちらの細胞にももとの大きさのまま残り続けるらしかった。そのからくりというのは、まず細胞が一つしかない段階で一セットある遺伝子を二セットに増やしておいて、それから細胞が二つに分裂するときに、遺伝子を一つずつ引き継ぐというシステムらしいのだ。それは成長するためだけではなくて、古い細胞を新しい細胞に入れ替えて肉体を健康な生かしつづけるためにも行われるらしかった。だから、細胞分裂は僕みたいな子供だけじゃなくて、おばさんみたいにもう背の伸びない大人になっても、というか死ぬまでずっと続くものだそうだ。

 普通の人間の場合だと、この細胞分裂の回数に限界がある。限界が来ると、細胞が古くなって、死ぬ。すごく単純に言うとそういうことらしかった。

 だけど僕らみたいに、その死なない病気にかかった人間は細胞分裂が終わらないらしいのだ。いつまで経っても細胞分裂は続き、細胞が生成され続け、結果、僕らは老化しないらしいのだ。

 ただ、その病気には悪い(とても悪い)問題点もあって、それは遺伝情報の複製にまつわることだった。細胞分裂の際、僕らの遺伝情報は、常に完全な形で複製される。普通の人は、たまにエラーを起こして、ちょっと情報が書き換わることがあるらしいのだ。だけど僕らの遺伝子にはそれがない。そういう特殊な遺伝子に、変わってしまっているのだそうだ。そのこと自体は、いろいろと問題はあるにせよ、そこまで恐ろしいことではなかった。だけど他にも特殊になってしまった性質というのがあるらしくて、その病気にかかった結果として、僕らの体に引き起こされた最も悪いことは、減数分裂をしない、ということらしかった。それはつまり、子供を作れないということらしい。僕らの細胞は、どんなときも、遺伝情報が常にまるごと一セットずつ、不変の構成でしか分裂しない。細胞が減数分裂をしないから、精子や卵子を作ることができないらしいのだ。そういうことで、この病気は森の外で大変な問題となったらしい。この病気は感染症で、もしも人類全体にこの病気が広まると、人類は新しい子供を作ることができなくなってしまうのだ。

「だから、病気にかかった人はみんな隔離されることになったの。それは、今でも続いてるわ、きっと。一度隔離されてしまったら、もう永遠に外へは出られない。いえ、下手をしたら殺されているかもしれないわ。だって、隔離されてしまえば人目に触れなくなるんだから、人類を滅亡させるリスクを生かしておく必要はないと考えるのはそれほど突飛な考えではないわ。それにそんな危険な存在、殺されたって誰も悲しまない、きっと異議を唱えることすらしないわ。みんな、仕方ない、と言う。そんな世界が、私は恐ろしかった」

「ふうん」と君は言った。予想外にシリアスな話になってしまって、さすがの君もちょっと面食らったみたいだった。


 おばさんからその話を聞いた後、僕は部屋で一人になったときに、手が目にくっつくぐらいに近づけて確認してみたけれど、すくなくとも手の皮膚は、細胞という粒からできているようには見えなかった。どうみてもそれは皺のある一枚の皮であるようにしか見えなかった。だから、もしかしたら皮膚の下にある肉だけが細胞という粒からできているのかもしれないなと思った。だけど皮膚を切ってまで確かめるのは、痛くて恐いからできなかった。


 おばさんにその話を聞かされてから、流石に君ももう森の外に行きたいとは言わなくなった。相変わらず溌溂とした性格ではあったけれど、でも森の外のことに関しては随分おとなしくなったという印象だった。森の外のことが話題になりそうになると、君の口数は明らかに少なくなった。僕らの病気のことだけじゃなくて、森の外のこと全般について、君は話す意欲を失ってしまったようだった。

 僕にしても、もう森の外に対して純粋な好奇心を抱くことはなくなってしまった。もちろん森の外への興味はなくならなかったけれど、だけどそれはもっといろいろな感情をはらんだ複雑な気持ちになってしまった。君もずいぶんと消極的になってしまっていたから、僕と君との間で毎日のように交わされていた森の外の世界に関する想像話もすっかり少なくなって、今ではときたま、話と話の間に、間をつなぐために二言三言言葉を交わすための話題みたいな、そんな程度になってしまった。

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