第2話

 森に端がある。そしてその先のことを、森の「外」、と呼ぶらしい。「外」っていうのは名前ではないのかもしれないけれど、でもおばさんはいつもそう呼んでいた。それに、どう呼ぶかはどうだっていいことだ。僕が不思議に思ったのは、森がどこまでも続いているわけじゃない、ということで、いまだにうまく呑み込むことができないことだった。森に端があるなんて、それじゃあその先はいったいどんな景色が広がっているというのだろうか。僕の頭の中で想像できるのは、森に端がある、というところまでだった。高さがまちまちの木や雑草なんかが生い茂る空間がどこかで途切れている、そこまでは想像できた。でもその先にあるものというのが僕にはわからなかった。だから僕の頭の中では、森の「外」は真っ白な世界だった。何もない真っ白な世界。その真っ白な何もない空間を、森の「外」の人間たちが歩き回っている。そういう想像。

 僕らが森の「外」があることを知っているのは、一緒に暮らしているおばさんに聞いたからだ。僕の知識は、この森のことにしても、森の「外」のことにしても、たいていは全部おばさんから聞いた話なのだ。

「あなたたちは森の外で生まれたのよ」とおばさんに言われたのは、僕らが八歳か九歳のときだった。いまから四年前のことだ。おばさんは、ほんとはそんな話はしたくないみたいだったけれど、それでも僕らに話してくれた。おばさんがそれを話すことになったきっかけは、すごく些細な僕らの質問からだった。僕らは普段から森の外どころか家からもあまり離れすぎないように言われていたから、その代わりを求めるように四六時中おばさんに質問を浴びせかけていた。そのときのことを思い返すと、おばさんもよく僕らに付き合ってくれていたなと感謝しないではいられないくらいだ。


「森の外は木が少ないの」。おばさんが教えてくれたことのうちの一つ。「森の外はね、この森の中よりもたくさんの、私たちと同じ人間が住んでいるわ。そこは木が少なくて、そもそも植物とか、あと動物も少ないから、森の外にいる人間たちの生活は私たちの生活とはずいぶんと趣が違うわね。タヌキをとって食べることもあまりないし、キノコも、あまり食べないんじゃないかしら、私の知識はもうずいぶんと古いものだから、いまはどうなっているかわからないけど」

「タヌキもキノコも食べないなんて、森の外の人間はいったいなにを食べて生き抜くのかしら、不思議だわ。それとも森の外の人間は何も食べなくても生きていけるわけ?」と、そのとき八歳か九歳だった君はいった。

 森の外には森の外にしかない食べ物があるんだよ、きっと。ねえ、そうでしょ、おばさん、と僕は尋ねた。

「ええそうね、タヌキの代わりにニワトリがいるし、キノコの代わりにじゃがいもがあるわ、ニワトリはタマゴを産んで、森の外の人間はそのタマゴも食べるのよ」

「へえ」と君は言った。君は森の外の話に対して、あまり興奮していないようだった。それは僕も同じだった。ニワトリとかジャガイモとかいわれても、僕らにはその具体的な姿を想像することができなかった。それらはいったいどんな形で、どんな味のする食べ物なんだろう。姿かたちの分からないニワトリとかジャガイモとかいった名前だけの知識は、白い世界に描かれた白い丸のようなもので、目に見ることのできない存在だった。存在を知っていても見えないものは、空間に奇妙な重みみたいなものをもたせはするものの、それはただ僕らをより大きな混乱に陥れるだけだった。実体のない知識は僕らの疑問を膨らませるばかりだった。


「森の外へいきたい!」と、あるとき君はおばさんに言った。おばさんが一瞬目を丸くしたのを覚えている。なにせそれは唐突なことだったから、おばさんが驚いたのも当然のことだったと思う。

 おばさんから森の外の話を聞いてからというもの、僕らは森の外について、とても熱心に話し込んだ。僕と君はいつも二人で遊んでいて、二人で森の外がどんな世界かっていう想像を、二人で意見を出し合って膨らましていった。その想像はどんどんと膨らんでいくばかりで、森の外に対する期待みたいなものも、それと同時に膨らんでいった。それはもう、一度森の外に行って、その様子をこの目でどうしても確かめたいという欲求にまで高まっていた。

「駄目」とおばさんは言った。僕らのいっぱいに膨らんだ気持ちは、その一言で却下されてしまった。

 僕らが森の外に連れて行ってほしいというお願いをしたのは、おばさんが昼食を作っていて、僕らがテーブルでそれを待っているときだった。おばさんは僕らに背中を向けたままで、こちらを振り返らずに、スープの入った鍋をかき回していた。その背中がいつもよりも冷たくて、遠くにあるような感じがした。

 お願いが通らなかったことはすごく残念だった。おばさんにだめといわれたら、それはもうどうしようもないことだった。僕らだけで森の外を見つけ出すのは無謀なことだった。だから僕らは、おばさんが僕らを森の外に連れて行くことを許可してくれることにものすごい期待を掛けていた。だからその分、おばさんに却下されたときの落胆も大きかった。

 でも一方で、おばさんに駄目だと言われたとき、僕はそれは仕方ないことのような気がした。おばさんの声が、本当にダメなときの声だなって感じたから。おばさんの声は、まるで独り言をいうときみたいな声だった。申し訳なさそうでもなく、怒っているわけでもなく、全ての感情が消滅してしまったみたいな乾ききった、たとえばスプーンを床に落としたときのような、ひどく無感情な音に聞こえた。だから本当に、絶対にだめなのだなと僕は理解した。森の外は危険なのだ。僕らを連れて外に行くと、いくらおばさんが力持ちだからって、僕らを守ることができるかどうかわからないのだ、きっと。それが僕の想像だった。

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