第6話

「……そう……寂しいわね……」


 僕の決心がかわらないとわかったのか、彼女は心細そうに呟いてそっと面を伏せた。

 気まずい沈黙が流れる。

 これ以上の話し合いは無意味だ。僕が踵を返し、ソファー脇の鞄に手を伸ばすと、


「でもひとつだけ……」


 うしろから彼女のためらいがちな声がした。


「この料理は食べていって……。あなたのために用意したのよ、お願い……」


 なにか返そうと振り返ると、潤んだ双眸が目に飛び込んできた。その顔はひどく悲しげで、昂ぶっていた感情がほんの少し静まった。

 そもそも二人の関係にヒビを入れたのは僕だ。それなのに自分の行動を棚上げして、一方的に彼女を責めるのは間違っている。


「……いただくよ」


 いくらか冷静になった僕は決まりの悪さを飲み下して席に戻った。

 再び彼女と向かい合う。とはいえ関係が戻ったわけではなく重い空気もかわらない。僕は美しく盛られた料理をひたすら胃に流し込んだ。美味しいはずの料理も最悪な気分のせいで味がしない。

 会話はほとんどなく、カチャカチャと銀と食器のすれる音がときおり響くばかり。

 僕の皿が空になると、彼女は「デザートがあるの」と切り分けられたチョコレートケーキののった皿を冷蔵庫から取り出した。その脇にアイスを添えながら、


 ふっ、ふーん。ふふ、ふーん。ふふふーん。

 ふっ、ふーん。ふふ、ふーん。ふふふーん。


 あの歌を唄った。きっとまた無意識なのだろう。


 ──ああ、やはり……彼女は僕を愛していない。


 僕は確信した。

 僕との別れが惜しいなら歌う気などおこらないはずだ。簡単に気持ちを切り替えられるのは、元からたいして気がなかった証拠だろう。


 彼女は僕を愛してない。

 恋してもない。


 ではなぜ、特別好きでもない相手との関係を繋いでおこうとしたのか。

 僕と破局しても彼女ならきっとすぐに代わりの男を見つけられる。僕より条件のいい男を捕まえることだって難しくないだろう。普通に考えて僕にこだわる必要はない。

 それなのに僕が別れを口にしたとき、彼女はそれを惜しむような態度を取ったし──実際にはそうではないようだが──、これまでも献身的に尽くしてくれた。

 なぜだろう。

 自分より経済的に恵まれない者に対する施しのつもりだろうか。

 それとも──






 彼女と別れて数日がたつというのに、眠ろうとすると彼女の顔が浮かんでくる。

 いつもの優しい、完璧なまでに作られた笑顔が。

 嘘でぬり固められた笑顔が。

 その笑顔はなんのため?


 何も求めていない相手に優しさを振りまく彼女はまるで、正体不明の魔物みたいだ。

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支配者 れい @reisaki8

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