異聞 オルクセン村史②
―――オルクセン村も、新年を迎えた。
村落合併後、初の越年だというので気を揉む者も多かったが、シルヴァンの清楚な水と、豊穣の大地、潤沢な海とに支えられ、昨秋の収穫及び漁獲は例年にないほどだった。
村長グスタフ・ファルケンハインは、ありありと稲刈りの季節を思い出すことができた。
黄金色に輝く、頭を垂れた辺り一面の稲穂。
しっとりと濡れそぼった畦道の、土の匂い。
用水路に遊ぶ、フナ、ザリガニ、タニシ。
「おう、コンバインに乗るんだよ。あくしろよ!」
純朴なオーク族の言葉使いは、荒々しい。
だがたちまちのうちに村人総出で稲刈りと、
オルクセン村で主力となっている銘柄は、粘りと甘味に優れ、高い耐冷性と耐病性を持つ「コシピカリャー」である。
充実度に申し分もなければ、成粒割合七割以上の一等級、食味も特A級という米が、オルクセン村では収穫できた―――
「・・・ちょっと待ってくれや」
グスタフの妻ディネルースは、眉根を寄せる。
「どうした、ディネルース?」
「完全に〇本やん・・・ ここは東北か何処かのコメどころか?」
「本編とは違うと何度いえば」
「・・・すまん」
ともあれ、平穏無事な新年を迎えたわけである。いまの世の中、ゆったりとした正月を過ごせることが、どれほど値千金であることか。
オルクセン村は平和である。
周辺の喧噪も、諍いも、争いにも、関わり合いにならずに済んだ。
そのような恵まれた土地であり、村長グスタフの指導と、村民一同の努力の賜物である。
新年が明け、一一日を迎えると、グスタフは鏡割りをした。
オルクセン村の鏡餅は、巨体にして大食漢であるオーク族の文化習慣に依り、大きい。
俵が重なっているのかと思いたくなるほどの餅の上に、ドッジボールかと見まごうほどの柑橘類が乗っている。
南方渡り原産のもので、たいへん皮が分厚い。おまけに薄黄色の表皮の内側に、まるで綿のような層まである。他種族が剥こうとすれば包丁を要するほどだが、力のあるオーク族は造作もなく指で割く。並の蜜柑でも扱っているように。
「さ、ディネルース」
「うん、ありがとう」
グスタフがそのごつい指からは意外なほど器用に、薄皮まで綺麗に処理してくれたものを受け取る。一房で、ディネルースの掌にほぼ等しい。
豊潤かつ清涼な、よい香りがした。
甘さは控えめながら、あとに残るような酸味や苦味も無いところが良かった。
滴るばかりの果汁については、付け加えるまでもない。
ディネルースは、北の生まれである。
オルクセン村特有の巨大柑橘類については、嫁いできてから初めて知った。
以来、毎年この時期を楽しみにするまでには好んでいる。
「あとで、ディネルースの好きな、皮の砂糖漬けも仕込んでおくからな」
「いいな、とてもいい」
まったく、夫は惚れ惚れするほど器用である。
この、丘の上の丸太造りの自宅を建てたのも彼なら、田畑を弄り、果樹を育てている。美味極まる三食の殆どを拵えてくれ、愛車も整備すれば、ディネルースが狩猟に使う軽トラのタイヤ交換も何のその。
本業は農学者。
おまけに魔種族としても稀有な魔術―――空から「飴ちゃん」を降らすことが出来た。おかげで村の子供たちからは大人気だ。
そのうえ村長として、内外からの求めに応じて務めを果たしている。
「・・・少しだけ、忙しくなるからな」
「周囲の村々からお客様がいらっしゃるのだったな」
「うん―――」
オルクセン村は平穏であるうえに、またグスタフの仲介能力が優れているゆえに、何かを話し合うには持ってこいの場所だとされている。
以前には、遠く道洋で起こった複雑怪奇極まる事件―――マチダ村の帰属問題や、茸及び筍の消費に纏わる経済紛争まで解決したことがあった。
会議を開くことそのものがオルクセン村の名誉であったし、威光を高める行為で、これ即ち村長グスタフの面目躍如でもあった。
「今回も道洋からの皆様を中心に、代表の御歴々が来訪される」
「ふむ?」
「まず、
「・・・・・・」
「そして、
ディネルースは、かたちよい眉をひそめた。
「・・・ああ、もう・・・ ナットーだとかコメだとか・・・ 何がなんだか・・・」
このころ、星欧世界は深刻な危機を内包していた。
―――「小麦粉、卵、砂糖を水で溶いた材料からなる生地に餡を入れ、金属製焼き型で円柱形に焼成した菓子の名称問題」である。
オーバン焼き、イマーガ焼き、ターンオーバー焼き、ドラム焼きなどその名称を巡っては地域によって差があり、群雄割拠し、混迷を極めていた。
商標上の登録問題なども絡み、そこで各村落及び団体から代表が集まって、名称を統一しようという動きが出たのだ。
「これほどの規模の会合は、ヤーポン法撲滅会議以来だべな、はぁ」
オルクセン村の住民らとしても、関心は高い。
会合の準備は、急ピッチで進んだ。
会場は、オルクセン村産業振興会館多目的ホールである。
「全隊集合! 小さく前にならえ!」
警備を担当するのは、アロイジウス・シュヴェーリン率いるオーク族自警団。
知恵者で知られる娘婿エーリッヒ・グレーベンが、これを補佐した。
「精鋭の第七自警団を当番隊とし、応援隊として第一自警団。二隊で計六四〇名。装備は催涙弾、警棒、ジュラルミン製大盾。それに食事支援用にオルクセン式キッチンカー。また、婦人会が炊き出しカレーを、オルちゃん正麺株式会社が即席カップ麺を用意してくれます」
「うむ」
「本部と各隊にはコボルト族の
ちょうど彼らの眼前に、見事な乗馬種に跨った、華麗な被服の集団が到着した。
約四〇騎。
「旧エルフィンド村自警団の黄金樹騎馬隊も加わります」
先頭にいた、小柄な白エルフ族が手を挙げる。
「いよう、じじい!」
「誰がじじいだ、マルリアン! お主とは、いっぺん決着をつけんとな」
「ふふん。長生きしろよ、じじい!」
入念の警備の上空では、更に大鷲族が空を飛び、会場の守りを万全のものとした。
大鷲族を率いるのは、仲睦まじい異種族夫妻としても知られる大鷲族ヴェルナー・ラインダースとコボルト族メルヘンナー・バーンスタインである。
「もう一回りしますかな、メルヘンナー。今日は天候も格別だ」
「ええ、ラインダース―――」
―――ああ、この空を飛ぶ素晴らしさといったら!
美しい金髪のダックスフント種メルヘンナーは、長い睫毛を震わせ、恍惚としていた。
騎士道の具現のような主人を、踏みつける快感!
大地を這う愚民ども!
まるでこの世全てが私のもの!
「ふふ、ふふふふふふふふ!」
「・・・メ、メルヘンナー?」
会場では―――
会議参加者への食事の準備なども整えられていた。
村一番の割烹アルベルトから、料理長のベッカーが腕を振るい、松花堂弁当が用意されたのだ。
「茸の炊き込みご飯。新鮮な魚介の刺身。山の恵みを贅沢に使った天婦羅。ドングリの渋皮煮・・・アルベルトの用意する松花堂弁当は美味いからな」
「そしてこの、オルクセン村特産の極上茶葉を使った緑茶。いまどき土瓶の入れ物ってのがいいじゃねぇか」
「エルフィンド地区で新鮮な牛乳から作られたという、蘇の滋味溢れることと言ったら・・・!」
来賓たちにも、概ね好評の様子であった。
しかしながら―――
会議は踊れども、進まず。
紛糾し、混乱し、やっと纏まりかけたかと思えば踏み外す。
一時はキャメロット村代表アストン氏提案の「ベイクド・モチョモチョ」で全てが決するかと思われたのだが、
「・・・流会。どうして」
報せを耳にしたディネルースは、帰宅した夫を茫然と出迎えた。
何か、私のもてなしに手違いや粗相でも。
時雨煮に使わせた猪の血抜きは、完璧だったはずだが・・・
酒か。酒が駄目だったのか。量が足りなかったのか・・・?
「それがなぁ―――」
夫は頭を掻きつつ、呻いた。
「餡子ではなく、カスタードクリームが具の場合はどうなるんだと私が失言したばかりに・・・」
「・・・グスタフ、カスタードの方が好きだものなぁ」
(続)
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