随想録41 一三日間危機⑥

 ロヴァルナ連邦海軍赤旗勲章受章ボスティック艦隊に属する四名の潜水艦艦長が、艦隊司令部への呼び出しを受けたのは、一〇月一九日のことだ。

 リーヴ市の、歴史ある煉瓦造りの司令部の最奥で彼らが告げられたのは、

「何としても西側海軍の接近を阻止せよ。首都や司令部からの命令がなくとも、全兵器の使用を許可する」

 というものだ。

 彼らは封密命令書と、を受領し、それぞれの艦へと慌しく戻っていった。

 B一四、三六、五九、一三〇の四隻である。

 誰も正確な国際情勢など知らなかったが、すでにキャメロット連邦首相に依る「海上封鎖演説」のあとだ。とっくに張り詰めた空気が濃厚に漂っていた。

 艦長たちは、みな若かった。

 ロヴァルナ連邦海軍は、西側諸国―――わけてもキャメロットとの海軍力隔絶を自覚していて、対抗のため潜水艦戦力を増強しようとしている。彼らはその「次代のロヴァルナ海軍」を担う、選りすぐりのエリートたちというわけだ。

 リューリク・ケトク。

 アレクセイ・ドゥビコフ。

 ヴァレンティン・ザヴィツキー。

 そして、ニコライ・シュムコーフ。

 同志的結合で日頃から友誼を重ねた、一種の連帯もあった。

「もし誰かが攻撃に踏み切ったら、他の者も必ず続こう」

 彼らは慌しくウォトカの盃を捧げ、誓い合った。

 ―――二一日。

 出港準備を終えた四隻のボリショイ型潜水艦は、リーヴ湾の係留地を三〇分間隔で離れた。

 ボリショイ型―――正式計画名では六四一型と呼ばれるこの通常動力型潜水艦は、全長九〇メートル、全幅七・四メートル。なだらかな曲線で成形された、巨大なへらのような船体をした、所謂「水中高速型」だ。

 四名の艦長たちは、「世界一の性能をした通常動力潜水艦」だと教えられていた。

 実際には、既にオルクセン海軍が最新の設計思想に基づく滴涙型潜水艦の実験を済ませ、実用化直前の段階に入っていたから、事実ではない。

 だがロヴァルナ連邦海軍の担当設計局としては、精一杯の技術を投入した艦型であったのは確かである。

 前級の問題であった振動問題を極力解消し、ソナー及び水中聴音器の性能を高め、潜航可能深度や居住性の向上が図られていた。

 乗組員の心理的圧迫感を解消すべく、アイボリーホワイトの壁面と、卵色の塗装で統一された機器類に囲まれた約八〇名の男たちの殆どは、出撃目的を知らされていなかった。

 ただし、乗員の多くはこれが通常の出港ではないことに気づいてもいた。ボリショイ型潜水艦には通常、二二発の魚雷を積むことが出来る。ところが、出港準備の一環として各艦に一発ずつ積み込まれた魚雷が、通常のものとは違っていた。

 核魚雷だったのだ。

 シャムコーフ艦長率いるB一四の乗員たちにとって、感慨は他の艦より深かった。

「ちょうど一年前。核魚雷最初の実弾実験を成功させたのが、我が同志艦長だからな」

 ロヴァルナ連邦海軍の核魚雷は、最大核出力で二〇キロトン。

 世界に浮かぶどのような巨艦でさえ一撃で葬ることが出来るし、それどころか艦隊一個丸ごと吹き飛ばせる威力だ。北海の孤島に、港湾を模して造られた実験場で、B一四は発射実験に成功した艦歴を持っていた。

 乗員たちは、艦長が遮光ゴーグル着用のうえで潜望鏡により観測した、その約一年前の極秘実験をよく覚えていた。

 一種の誇りにようになっていたのだ。

 彼らの連帯は強い。

 元より、潜水艦乗組員の日常は過酷である。

 冷涼な北海での行動を前提に設計されたボリショイ型は、艦内温度が上昇しやすく、湿気も溜まりやすかった。

 通常動力型潜水艦でもあり、航行速度は遅い。とくに水中では七ノット出せればよい方である。艦内の空気はあっと言う間に汚濁し、汗と、男たちの体臭と、ディーゼル機関の匂いの混合したもので満たされてしまう。

 蓄電池は設計通りの性能を発揮してもくれなかったし、ゆえに頻繁な浮上航行かシュノーケルの使用を要した。

 各所の故障頻度についても、褒められたものではない―――

 実際、早くも出港直後、B一三〇が機関故障を起こした。ボリショイ型が搭載する三基のディーゼル機関のうち二基までが再起不能となり、急遽リーヴ湾から迎えに出た艦隊曳船に曳航され、帰還を余儀なくされた。

 これで残りは三隻。

 B三六は、オルクセン領ヴェゼティ島北側の海域を通過しようとして、魔種族たちの操る対潜哨戒機に発見されてしまった。

 二四日のことだ。

 西側海域に展開するグスタフ・ファルケンハイン空母打撃群から、護衛駆逐艦イルティスとアルコナ号の二隻が分離して現場海域に駆け付け、音響警告弾を浴びせた。水深も浅く、対潜哨戒機による支援まで受けたオルクセン海軍艦艇を振り切ることは、事実上不可能だった。

 シュノーケルを使うことも出来ず、空気は汚れ、艦内気温は急上昇した。

 彼らは浮上し、国際慣習法に基づきロヴァルナ国旗を掲げ、

「汝、航行に支援の要ありや?」

「支援の要なし。自力航行可能」

 オルクセン海軍駆逐艦からの発光信号に対して、実にロヴァルナらしい精一杯の虚勢を張り、現場海域を離脱する他なかった。その上空を、領海外に出るまで対潜哨戒機が監視した。

 B一四と五九の二隻は、どうにか見つからずに済んだ。

 シャムコーフ艦長のB一四は、南側航路を航行中だったアルビニー船籍貨物船の航跡波に潜み、突破を成し遂げた。

 ザヴィツキー艦長のB五九はオルクセン海軍に発見されたものの、急速潜航して四時間余りも海底に隠れ、やり過ごした。ヴェゼティ島の南側海域入口付近である。

 彼らは翌二五日、ロヴァルナ連邦からの通信を受信することにも成功している。

「いかなる手段を以てしても北海西側へ突破せよ。威嚇された場合は武力を行使せよ」

 正直なところ、両艦長は困惑していた。

 出撃前に与えられた艦隊司令部からの命令書、首都マスクワからの封密命令書、そして新たな通信文。

 どれもこれも、微妙なニュアンスの差異があったのだ。

 艦隊司令部からの命令と通信は、攻撃的な性格を帯びている。一方で首都マスクワからの―――つまりロヴァルナ連邦首相フルシチョーリフからの命令は、

「開戦の連絡があり次第、核魚雷を含む全兵器を使用して構わない」

 とあった。

 ―――開戦の連絡があり次第。

 つまり、「危機が実際の戦争に突入するまで、核兵器を使用してはならない」とも解釈できる。

「いったい・・・ いったい、どうしろというんだ」

 カーテン一枚で仕切られただけの狭苦しい個室―――ボリショイ型潜水艦にとって唯一の個室である艦長室で、そっとシャムコーフは呻いたものだった。

 一方―――

 このときオルクセン海軍側では、空母グスタフ・ファルケンハイン群を率いるアーダルベルト・ギースラー少将が、隷下部隊の全力を揚げた対潜掃討の実施を決意していた。

「なんとしてもロヴァルナ海軍潜水艦を見つけ出せ、ノルトマン」

 ギースラー少将は、オーク族特有の彫の深い容貌を、更に陰影深いものにしている。空母群全体の指揮命令中枢である戦闘指揮室におり、艦橋の真下付近の船体内にある同所は、無数に詰め込まれたディスプレイ等を読み取りやすくするため、照明を暗くしてあった。

「・・・フネの数が足りません」

 艦隊参謀長のノルトマン大佐が、コボルト族シェパード種のすらりとした鼻筋に懸念を浮かべる。

 そもそも彼は、空母群から護衛の艦艇まで引っ剥がして積極的な対潜戦に投入するという、ギースラーの方針自体に反対だった。

「母艦艦載機も使って構わん。先行させた対潜艦艇を最大限活用しろ」

 空母グスタフ・ファルケンハインには、艦載型の対潜哨戒機が幾らかあった。

 小型の鯨類のようなシルエットをした国産のレシプロ双発機で、尾部にある磁気探知装置によるスイープ捜索を得意としている。陸上型の大きな対潜哨戒機と比べれば小回りが利き、沿岸域での対潜哨戒に適していた。

 ギースラーはこの飛行隊も投入しろと命じていた。

「ロヴァルナ側が、過剰反応する危険性が・・・」

 ノルトマンは憂慮を更に付け加えて表現した。

 彼の補佐するギースラー少将は、たいへん知的な牡であった。ただしその知性の殆どを積極的方策に用いる癖があり、自らの役目はそのような上官に冷静さや慎重さを求めることであろうと理解している。

「構わん。例え我ら自身を危険に晒してでも、原潜群を守るのだ」

 このとき―――

 オルクセン海軍は、ロヴァルナ海軍が潜水艦に核魚雷まで搭載していることを、まるで気づいていなかった。

 例え、非常に優れた対潜能力を保有していようと。緻密な諜報網を持っていようと。更に言えばキャメロットとの秘密協力関係がこれに加味されていようと。何処かに限界はある。

 世界は。

 一三日間危機の主要舞台ユーゴスラヴァとはまるで別の方角―――北海で、静かに全面核戦争の坂を転げ落ちそうになっていた。



 ―――同日、同時刻。

 旧エルフィンド首都ティリオン。

 この都市は、時代を経ても美しかった。

 それどころか、清楚な魅力を更に深めていたと言ってもいい。お伽話の舞台めいた作りへ、復興とオルクセン式のインフラ整備とが進み、おまけにその後は二度の星欧大戦への中立により戦災にも遭わず、そこへ魔種族の不老長寿によって良い意味での伝統や歴史も維持されたからだ。

 ベレリアント戦争以来の建物の多くが、改築を重ねつつ、未だその姿を保ち続けている。

 この美麗な都市に存在した大学の生徒たちを中心に、若い世代のエルフ系種族がデモを繰り返すようになったのは、一三日間危機の生起以来だ。

「戦争反対!」

「核兵器反対!」

「キャメロット政府は帝国主義的行動を放棄せよ!」

 オルクセン国内的には、平和運動派や核兵器反対運動派と呼ばれている若者たちであった。

 ベレリアント半島の一〇月末といえば、既に秋が終焉の足音を立てて去り、冬の気配漂うころだ。

 その寒気の中、ティリオン一の繁華街リースニュトルヴ大広場周辺では、呼気を白くするほど熱狂した学生たちを中心に、多くの若いエルフたちがプラカードを携え、シュプレキコールを繰り返していた。

 ティリオン警察発表、約五万五〇〇〇名。

 主催者側発表はその三倍に達していたが、これは流石に誇張が過ぎるというものだろう。

 ティリオン警察では、約五八〇〇名の警察官を投入して周辺雑踏警備に当たらせ、なかでも王女エレンミア・アグラレスの住まうティリオン離宮前には三〇〇〇名を配した。更に市内各警察署の一万名に対し、即応体制を採らせていた。

 命令があれば、いつでも武装した警官隊が出動できる―――

 その、騒擾の気配が濃厚に漂うティリオンの一角。

 レジュセ・エン・セストと呼ばれる地に衛戍する、とある武装集団は、緊張した空気に包まれていた。

「折から集結したデモ隊は、口々に戦争反対、核兵器廃絶を訴え、方々で警官隊と衝突。学生指導者六名の検挙に抗議し、ティリオン警察のオートバイに放火するなど、現場は混乱を極めております―――」

 オルクセン国営放送ティリオン支局の伝えるテレビ実況中継を眺めやりつつ、野戦服に身を包んだ集団の幹部たちが、現場一帯の地図を囲んでいた。

 リースニュトルヴ大広場及びエイルフマレ大通り周辺の現場や、建物屋上などに私服姿で潜り込ませた情報収集班からの報告も、続々と入ってくる。

 既に営内に待機した約三〇〇〇名の隊員たちは、完全武装状態だった。回転式拳銃や自動拳銃、ケーヒニス・グスタフM四五短機関銃、軽機関銃や重機関銃、携行型対戦車無反動砲―――

 軍が使っている物と同じ四輪駆動野戦指揮車や、各種トラックなども同様である。

 ―――オルクセン内務省国家憲兵隊国境警備隊、第九国境警備群。

 彼女たちは、あの国家憲兵隊予備隊の、最も正統的な後継者であると評していい。

 国家憲兵隊予備隊は、約八〇年の時を経て、陸軍の新設師団や旅団、外務省公館警察などに発展的解消を遂げていた。

 第九国境警備群は、そのような中にあって唯一、内務省国家憲兵隊に残留した組織だ。

 構成者は、歴史的経緯からほぼ白エルフ族のみ。

 任務については、改めて述べるまでもない。

 ―――旧エルフィンドの治安維持。

 彼女たちは、その実働を担う、最も重武装で、最も機動的な集団だった。 

 オルクセン国家憲兵隊には合計して九つの国境警備群があるが、ベレリアント半島を担当する第九国境警備群は最大の編成規模であり、練度は高く、武装も優先して整えられ、また経験値も深い。未だ魔術探知や魔術通信が使え、暗視ゴーグル無しに魔術上の夜目まで発揮できる能力を有する彼女たちは、おそらく世界レベルで見ても屈指の治安維持部隊だ。

 通常は大佐を配する群司令にも、少将を当てていた。

「・・・いったい、どれほど第五列が潜り込んでいるのやら」

「おそらく半島内のほぼ全てでしょう。煽るだけ煽る気だ」

「正気なのかね」

 核兵器廃絶を思想の中心とした「平和運動」が、無視できないほどの勢力になっている国家は、オルクセンのみならず西側諸国のほぼ全てだ。

 その源流は、九五〇年代中盤にまで遡る。

 東西の冷戦構造がはっきりとし、諸国家が形振り構わぬ核武装に走ったとき、最初は各国の物理学会を中心に起こった。

 やがてその運動に、市井の若者―――とくに学生層が加わり、徐々に数を増していった。

 オルクセンの場合、少しばかり事情が異なる。

 この社会的気運の盛り上がりは、ベレリアント半島で激しかった。

 併合及び連邦化という、かつての歴史を見直し、旧エルフィンド地域の高度な自治権の要求、ひいては独立を回復しようという機運と結びついてしまったのである。

「・・・皮肉なことだ」

 第九国境警備群司令は、唇の端を歪めた。

 公式には、オルクセンという国家では幾ら旧エルフィンドの独立を唱えようと、それが民主的議論に留まっている限り、逮捕や訴追を受けることはない。

 いまやこの国にすっかり根付いた民主主義とはそれほど「自由」で、明朗であり、そのような主張を繰り広げる報道機関、記者、文化人、議員や政党すら公に存在する。

 だが、国家の治安維持を担う者たちにとって、そのような運動勢力のうち一部過激化したグループや指導者、思想家たちは重大な監視対象になっていた。

 理由は、はっきりしている。

 九六〇年代に入ると、それまでに各国に広がった平和運動の潮流の影にはロヴァルナ連邦の存在があることが、もはや歴然と判明していたからだ。

 ロヴァルナ連邦は、核開発とその実戦化に、西側諸国から遅れを取った。

 言ってみれば「時間稼ぎ」のため、各国の平和運動を裏から煽ったのである。

 無論、純粋に国際平和を希求する賛同者もたくさんいる。

 結構なことだ。

 理想を高く求めることも、必要であろう。

 だが、「現実」は簡単ではない。そのような運動の根幹部分に他国の介入があり、浸透工作があり、邪な意思が介在しているとなっては、これは看過し得ない治安維持上の懸念材料である。

 旧エルフィンドの独立機運にまで結びついてしまったオルクセンとしては、尚更のことだ。

 非常時、そして有事におけるオルクセンの国家としての対処方針は、明確だった。

 彼らが市井に対して無料配布まで行っている緊急事態対処マニュアル「戦時及び災害の備え」における「戦時下の市井」の章は、

「敵国の浸透勢力は、我が国の一部マスコミ、有識者、文化人などの口を借り、徹底して経戦を削ごうとするだろう。これは浸透工作―――いわゆる第五列の陰謀である」

 と、唖然としてしまうほど堂々と記し、断じ、

「懸命なる国民諸氏は、決してこのような謀略宣伝に騙されてはならない」

 明記していた。

 ―――戦時となれば、追捕し、場合に依っては武力鎮圧も厭わない。

 そのための法整備まで行っている。

 つまり、国家非常事態宣言が成されている現在、いまティリオンなどで生起している騒擾も、命令が下り次第、鎮圧の対象であった。

 ―――皮肉なことだ。

 第九国境警備群の司令は、再びその感慨を胸中で繰り返した。

 既に何杯流し込んだか分からないコーヒーが、胃を重くしている。

 白エルフ族で平和運動や独立運動に身を投じている者には、若者が多い。

 皆、あのだ。

 各国の、過激な平和運動に眉を顰める保守層は「大人たち」を中心としているが、オルクセンでは特にその傾向が強い。

 グスタフ王の諸改革に依る恩恵や、オルクセンとの戦争を直接経験した者ほど、独立したいなどとは考えず、現状の体制維持を望んでいる。

 もちろん例外も存在したものの、第九国境警備群司令もまた「保守派」のひとりだ。

 午後に入ると、彼女は、

「保守層のうち過激な者たちがエイルフマレ大通りに集まり、平和運動派と衝突しかかっている」

「双方一部が暴徒化しつつある」

 という報告に接した。

 ゲバ棒や投石で、衝突が生じている。

 おそらくだが、手のつけられないような、流血まで伴う大騒乱に陥るだろう―――

「司令、鎮圧命令は・・・ 鎮圧命令はまだ降りませんか」

 幹部将校のひとりが叫んだ。

「焦るな―――」

 いまはまだ、ティリオン警察の仕事だ。

 オルクセンは「自由」の国である。

 平時の政治思想は、むしろ手厚く保護される。それは誰しもに与えられた権利である。

 司令の胸中は複雑だった。

 かつての上官の―――いまでも敬愛して止まない、上官の言葉を思い出す。

 ―――いいか。我ら魔種族にとって、生き残ることのほうが大変なのだぞ。

 全くです、元帥。

 私は、あれから様々なことを経験しました。本当に嫌になるほど、様々なことを。

 再軍備。

 治安維持。

 併合。

 想像もつかなかったほどの科学技術の発展と、国際情勢の複雑化。

 そして、いまや命令が下れば、同族たちを、それも次代を担う若者たちを鎮圧しなければならない。

 断固として。

「いつでも出動できようにしておけ。先遣中隊指揮官に伝えろ、まずは情報収集名目で増援に出てもらうと」

 第九国境警備群司令―――元エルフィンド軍ディアネン方面軍参謀、イレリアン少将は命じた。



 ユーゴスラヴァ社会主義共和国の指導者ブロズ・ティトはこの前日、首都ベリグラードの国営放送局に野戦四陸駆動車で乗りつけ、午後八時三五分から長い演説をやった。

「キャメロット首相の言葉は、一国の指導者の言葉ではない。あれは海賊のものだ」

 徐々に演説の調子は昂ぶり、ユーゴスラヴァではまだまだ数の少なかったテレビ放送を視聴した者のみならず、ラジオ放送に聞き入った者さえ、人々は両手を振るって演説するティトを眼前にしている気分になった。

「我々は大国に媚びへつらって生きているのではない。自らの意思を以て国を守り、父祖からの大地を、文化を、国民を守っているのだ」

 驚くべきことにスピーチの内容は、ロヴァルナ連邦のことも、ミサイルも、核兵器も、また大半の部分にはキャメロットについてさえ触れられていなかった。

 ユーゴスラヴァと、民衆と、民族的文化的多元性とにこそ、九〇分に及ぶ大演説の殆どが割かれていた。

「祖国か。さもなくば死か。祖国に勝利を」

 舌鋒鋭く演説を締めくくったとき、聴衆もまた感奮した。

 彼の論弁は、直接他者の目に触れた場合に一番効果を発揮する質のものだ。興奮と合わせて右腕を振り上げるジェスチャーをし、最も重要だと認める箇所では左腕を高く掲げるというボディランゲージである。

 意外なことに、ユーゴスラヴァという歴史的にも民族的にも複雑な地を纏め上げたティトの演説は、決して巧みなほうではない。

 声の質はむしろ耳障りな高いものだったし、天賦の才など持ち合わせていなかった。

 彼が上手かったのは、「成すべきときに成すべき言葉を選ぶこと」である。

 例えば、他国―――とくに西側諸国を訪問したとき、彼は厳つい外見とは裏腹に、まるで哲学者のように、静かに、淡々と、まるで演説原稿を一言一句違えぬように心掛けているのかと思える調子で話した。

 だがこのような国家の危急に際しては、粗野で、興奮して、全身を使って語り掛けるように弁舌を振るった。

 つまり、「演説を届けたい相手を意識すること」にこそ長けていたのである。

 一〇代のころから共産運動に身を投じ、第一次大戦に参加、第二次大戦ではパルチザンを率い、戦後は多くの対抗勢力と競り勝つうちに磨かれた才と言えるだろう。

 主に第二次星欧大戦中の拠点式指導に影響された、「穴倉に籠っている」という一般的イメージも正しくない。

 外国だろうが、国内だろうが、必要だと思ったときには自ら赴いた。

 政治家でも記者でも庶民でも、誰とでも気軽に握手をし、彼らの言葉を聞き、そしてよく食事をした。

 彼の側近はしばしば、出先でティトの気に入ったメニューを速記し、レシピを調べ、持ち帰るように命じられている。精力的な政治指導者に多くの類型が観られる、健啖家のひとりだったのだ。

 郷土の料理としては、仔牛肉のシチューを愛した。

 仔牛の首筋肉を、ことことと一晩かけて煮込み、ヨーグルトと卵で仕上げたもの。バターとタマネギ、ニンジン、セロリなどもたっぷりと使う。これを、コモヴィカと呼ばれるブランデーの一種と合わせる―――

 そのティトが、この日、国内の学校や病院を自ら視察し、国民を励まし、そして激しいテレビ演説を実施したのには、むろん理由がある。

 二三日以来、キャメロットは従来の高高度偵察飛行に加え、母艦艦載機も投入した低高度偵察飛行を実施しはじめたのだ。

 ―――オペレーション・ブルームーンという。

 キャメロット首相マクラーレンは賢明であるが故に、海上封鎖を危機解決の最終的手段とは看做していなかった。これ以上の核兵器流入を防ぐための手段、軍事的及び外交的圧迫に過ぎない、と何処までも冷静に断じていた。

 ならば、外交交渉にせよ、空爆や侵攻といった軍事手段に出るにせよ、危機を解決するためには、より詳細なユーゴスラヴァの偵察を要する。

 なかでも各地に分散して置かれていると推測されていた核弾頭の保管庫は、どうあっても把握しておきたい。

 これは国際政治の場でユーゴスラヴァへの核兵器配備を糾弾する「証拠」となるし、五〇〇機に及ぶ作戦機と一〇一六回のミッションが想定されていた空爆計画の最優先標的ともなる―――

 この行動が、ティトを追い詰めた。

 多くのユーゴスラヴァ国民にとって、高高度を飛行する戦略偵察機は、実は大した影響はなかった。

 飛行機雲を引いていたとしても、何処の国の飛行機かすら分からず、そもそもポカンと上空を見上げていなければ気づきもしない。

 だが、低空飛行は違う。

 憎たらしい蛇の目の国籍マークをつけた「敵機」がはっきりと見てとれ、我が物顔で祖国の空を、街や、畑の上を飛び回るのである。明確な領空侵犯だ。

 総動員された民兵たちは、憤慨した。

 ワイン農家は拳銃を握りしめ、農家の奥さんは編上靴を履き、幼い子供たちまでが対空砲の銃弾を運んで、絶叫した。

「帝国主義者どもめ!」

 各地の防空司令部では、「どうして撃たせてくれないのか」と抗議が殺到した。

「命令があるまで待て。軽挙妄動することこそが、奴らの思う壺なのだ!」

 必死に宥める防空連隊の指揮官や、各対空砲の指揮官たち自身が、内心では焦れている―――

 ロヴァルナ連邦の対空ミサイル連隊も、ユーゴスラヴァの対空砲陣地も、抑制を利かせた対応を取っていたわけである。

 では、ティトは事態を何処までも平和的に解決しようとしていたのだろうか。

 結論から言えば、そうではない。

 キャメロットもロヴァルナも、最早両者の指導者たちが核戦争の危機だけは回避しようとしていることがはっきりするなか、直接危機に関係した指導者のなかで、ティトだけは例外だった。

 彼は側近に漏らしている。

「他国の政治体制が気に食わないからといって排除するというのならば、理不尽極まる。それは大国のエゴイズムだ―――」

 ティトの目からみれば、キャメロットのマクラーレン政権もまた、帝国主義華やかなりし時代の歴史上の覇権主義者どもと、何ら変わりがなかった。

「もし・・・ もし、我が国に対し本当にキャメロットが侵攻してきたら、蹂躙されるのは我が国土、我が国民なのだ。私は躊躇いなく核を使うだろう」

 彼の言葉には裏付けもあった。

 ユーゴスラヴァに持ち込まれているのは、R一二準中距離核ミサイル及びR一四中距離核ミサイルだけではなかったのだ。

 ―――ルナ戦術核ミサイル。

 これは発射機と一体になった装甲車両に搭載され、展開も容易なら核弾頭の装着も三〇分以内に行える。キャメロットが上陸してきた場合、その上陸海岸を狙う計画だ。射程は約七〇キロメートル。

 ―――KSR巡航ミサイル。

 ロヴァルナ連邦の開発した兵器で、一八〇キロの射程を持つ。固定式発射機を用いるが、こちらも設置が容易であり、既に展開済み。上陸海岸を狙う。

 ―――航空機搭載核爆弾。

 アリューシャン二八ジェット軽爆撃機に搭載可能なもの。ミサイルと違って運用に柔軟性がある。

 どれもこれもが、核出力の点において第二次大戦で使用されたブルーベアード型原子爆弾に匹敵する。

 そして、どうやらキャメロット側はルナ戦術核ミサイルとKSR巡航ミサイルの配備に気づいていないようなのだ。

 ティト自身が指揮官を任命し、極秘に新造した道路などを使い、外国人は勿論のこと住民の出入りまで徹底して民兵に監視させ、山中に秘匿していたことが功を奏したらしい。

 そしてKSR巡航ミサイルは、二個のロヴァルナ連邦軍ミサイル連隊に装備され、そのうち一つはユーゴスラヴァ国内のみならず、エトルリア領トリエストも射程に入る。

 ユーゴスラヴァにとってみれば、領土上、係争を抱えてきた地だ。

 駐留キャメロット軍もいる。

「―――トリエストは蒸発することになるだろう」

 ティトは側近たちに公然と告げた。



 偵察情報を欲していたのは、キャメロットだけではない。

 オルクセンも同様だった。

 ただし彼らが求めていたのはユーゴスラヴァの情報ではなく、国境を接する東側諸国のポルスカ人民共和国と、アスカニア民主共和国のものである。

 一三日間危機の間ほど、オルクセンがありとあらゆる情報収集手段を投入した時期は他に存在しないと言っていい。

 危機勃発以来、状況は何度も緊張した。

 例えば―――

 二四日の夜、オルクセン北部を管轄する空軍の防空軍団は、緊急指令暗号「一〇・四・一〇・一〇」を発している。

 これは実態以上に恐れられていたロヴァルナの空挺特殊部隊を警戒していた空軍の基地警備隊のうち、とある基地の隊が、

「フェンス外に怪しい影が二つ見える」

 と、報告を上げたことを契機に起こった騒動だった。

 警衛に依る目視だけでなく、魔術探知にも実際に何らかの接近者が偵知されたため、当該基地は規定に従って捜索隊を投入するとともに、上級部署に通報を発した。

 これを受けて、オルクセン特有の教条主義的なマニュアル重視が、過度の反応を示すことになった。

 北部域防空司令部は、麾下の各空軍基地、そしてこの日までに各地の補助基地や民間空港に分散させていた防空任務の飛行隊に対し、「ただちに発進、空中待機に入れ」との緊急指令を下したのである。

 指令「一〇・四・一〇・一〇」の計画番号で想定されていたのは、国内外からの破壊活動に依る脅威だ。

 部隊の生存性を上げるため、例え一基地でも警戒を要する事態が生起した場合、ただちに周辺他基地からも即応機を発進させ、上空待機させることになっていた。

 ―――主力防空兵器である、核弾頭搭載ロケット弾を搭載したままで!

 結論から言えば、「侵入者」の正体は特殊部隊や国内叛乱分子のサボタージュなどではなかった。

ヘラジカエルクだ・・・」 

 たった二頭のヘラジカが、大袈裟に評することを許されるならば「世界を核戦争一歩手前まで」追い込みかけた。

 最も練度がよく、訓練通りの対応を示した基地では、あと五分で実際に防空機が発進しかかった。大慌てで管制から走ってきた車両がヘッドライトでパッシングを繰り返し、状況中止の通信が駆け巡り、離陸を止めるところまで「世界滅亡の時計」は針を進めたのである。

 より深刻で、継続的な緊張も生じていた。

 東部国境では、第一軍団に属する装甲師団二個、装甲擲弾兵二個が国境警護と機動防禦に備えて配置に就いていたが、第一一装甲擲弾兵師団のとある大隊では、連隊長名で出された命令に仰天していた。

「塹壕構築に当たっては、壕を深く掘り、兵士は身を完全に覆い隠せるようにし、対衝撃及び閃光に備えよ」

 明らかに、核攻撃とこれへの耐久を想定したものだった。

「畜生・・・ 魔女の婆様の呪いだ」

「地獄に落ちろ」

「くそったれめ」

 憎まれ口を叩く兵たち、余裕を嘯く兵たち、無言で命令に従う兵たち―――

 古兵も新兵も例外なく、また当然ながらオークもダークエルフもコボルトもドワーフといった種族の違いもなく、彼らは大なり小なり動揺していたと言える。

「本当に・・・本当に戦争になるのかい? 兵隊さん?」

「安心しろよ、女将さん。俺たちが守る・・・きっと守ってみせるよ」

 市井の者の狼狽は、もっと酷かった。

 オルクセンの誇る有事対応マニュアルや、公官庁や自治体、警察や国民防災隊の指示に従っていても、いまに世界の終わりが来る、などと茫然とし、ただただ自宅で蹲っている者もたくさんいた。

 こんなときは理屈や理論などよりも、個の性格的魅力に縋りたくなるのが、知的生物の情というものだ。

 第一一師団長は、野戦四輪駆動車に飛び乗って、副官一名だけを伴い、隷下各部隊を積極的に視察した。

「どうだ、何か不足しているものはないか?」

「よく眠れているか?」

「温かい食事は摂れているか?」

 師団長の配慮は細やかであり、こう言っては妙だが、彼は兵たちを極力「日常通り」の環境に置こうとした。

 一線部隊の背後には機動防禦用の装甲師団がおり、彼らでさえおそらく核兵器に吹き飛ばされるだろうというのが、密かな予想の立てられているところである。おまけに、本当の意味での反撃兵力である戦術核ロケット部隊に発射命令が下った場合、敵も味方も、国民さえも蒸発してしまうとあれば―――

 万に一つも可能性はないとみられていたが、例え核兵器を使わぬ通常戦だけが生起したとしても、オルクセン陸軍は重大な欠陥を抱えていた。

 備蓄弾薬の不足である。

 軍事同盟に加入せず、中立国であり続けるという選択は、これ即ち国防上必要なありとあらゆる手段を全て自前で用意しなければならないということだ。

 オルクセンは一種の自己矛盾に陥っていた。

 ―――核兵器の開発と量産は、最も戦争抑止効果が高く、魔種族が生き残るための唯一の方策。

 意外なことのようだが、一度開発にさえ成功すれば、核弾頭そのものは「缶詰でも作るように」量産出来る。

 しかしこの方針に傾斜する余り、他の軍事予算は圧迫を受け続けていた。

 空母、弾道ミサイル原潜、中距離弾道弾、巡航ミサイル、核兵器搭載の可能な航空機といった投射手段の開発と配備、維持にも金がかかる。

 予算は無限ではない。

 ―――だがこれしか方法はない。

 これ以外の方法など存在しない。

 どう抵抗を重ねても、陸軍は敵国の戦術核に吹き飛ばされてしまうのだから。

 結果として、オルクセン全軍の中で、かつてあれほど国防上の役割を果たしてきた陸軍が、最も割を食うかたちになっていた。

 なかでも、戦時に入った場合に量産すべしとされた備蓄弾薬が不足していた。

 想定では、例えどれほど上手く事態が転んだとしても、強大極まるマゾフシェ条約機構軍を正面切って相手にした場合、約四日で備蓄弾薬は尽きるとされている。

 そしてこれらの状況は、兵士たちには知らされていない―――

 情としても、緊張状態による偶発事態を避けるためにも、師団長は視察を重ねた。

「大した師団長だ・・・」

「元は、学校教師の予備将校だったってのは本当なのかね?」

「らしいぜ。何度か応集を受けているうちに、結局は軍に残ったんだと」

「道理で慣れているはずだな・・・ 俺たちゃ子供か」

「ベレリアント戦争世代から見れば、紛れもなく子供だろうよ」

「アルテスグルック中将がねぇ」

 このような状態を緩和するためにも、あるいは最悪の事態を迎えた場合、国土の被害を最小限に抑えるためにも、オルクセンは情報を欲した。

 ところが―――

 このころ、オルクセンの情報収集手段には、制約が生じていた。

 まず、本来なら彼らが前星紀以来磨き続けてきた諜報面で、キャメロットと共同の情報源となっていたロヴァルナ連邦陸軍の情報将校が、ロヴァルナ秘密警察に逮捕された。

 この将校は、参謀本部情報総局に要職を占めながら、一体いかなる理由からか自ら西側へ接触を図り、かねてよりR一二準中距離弾道ミサイルの詳細や、ロヴァルナ国内の核兵器開発及び配備状況、ユーゴスラヴァ情勢を中心に機密情報を流し続けていたのだが―――

 既に秘密警察にマークされていた。

 情報網の一網打尽を狙って、所謂「泳がされていた」状態だったのである。

 だが危機が生じ、核戦争の勃発も予想されるところだ。これ以上泳がせても百害あって一利なしと判断した当局に依って「ドアをノック」されてしまった。

 おまけに取り調べに際し、厳しい拷問を示唆されたというただそれだけで、自己保身から全てを吐露した。

 彼自身はおろか、彼との連絡使クーリエを務めていた者まで捕まり、キャメロットとオルクセンの情報筋は多くの担当者の配置換えを要した。

 ―――諜報手段が、大きく断絶してしまった。

 キャメロットやオルクセンが、短剣と外套を操る長い腕を伸ばしていたのはこの男だけではなかったが、最も有力な情報収集経路を失ってしまったのである。

 影響は計り知れなかった。

 例えば二二日の深夜、ロヴァルナ連邦首都マスクワでは数十両の装甲車両、兵員輸送車、多数の兵隊が蠢き、ちょうどこの街を訪れていたキャメロットの経済及び文化訪問団を震撼させている。

 ―――すわ、戦争準備か。

 この情報は代表団を通じて本国へと送られ、一時、緊張を増幅させた。

 例の参謀本部情報総局将校がこれを知ったら、唖然とし、瞠目し、次いで哄笑しただろう。

「なんだ、そんなことですか」

 とでも言って。

 何のことはない、深夜の車列の動きは、例年マスクワの星の広場で開催されている革命記念日パレードの、予行演習だったのである。

 そんな「些細な出来事」でさえ、実態以上の緊張となって伝播してしまうほど、「情報が断絶」してしまったのだ。

 これを補うべく実施された、航空偵察にも限界があった。

 表面上はあくまで中立政策を採るオルクセンにとって、キャメロットのような領空侵犯も辞さない偵察は簡単に行える真似ではなかった。

 やむを得ず、国境部上空ギリギリのオルクセン側一帯を飛行させ、斜め角度に撮影できる偵察撮影装置の装備機や、電波情報の傍受可能な電子戦機を使って偵察を試みるしかなかった。

 電波傍受は地上からも実施したし、オルクセンはキャメロット開発のキャンベリー爆撃機の製造権を買っていて、これを大幅に翼面積の拡大を図るなど本国以上の改造を施した機体を二一機保有していたが、得られる偵察情報は当然ながら直接偵察のそれに劣る。

 国境部周辺に配した陸軍部隊のうち、未だ魔術力のある兵を配していた偵察大隊に依る魔術探知や、視認を行い、更には中立国として従来から東側諸国に持っていた外交及び通商筋の情報網まで用いたものの―――結果には不満が伴い続けた。

「理想から言えば、だ―――」

 オルクセン空軍、ヴァンデンヴァーデン基地。

 二五日夕刻。

 戦略偵察を専門に受け持つ第八八二三飛行隊の駐留する同地を訪れていたオルクセン連邦空軍総司令部のコボルト族ビーグル種の参謀大佐は、作戦指導相手の幕僚たちに告げた。

 蒲鉾型をした、巨大な格納庫の一つだ。

 いまは、例の分散配置方針に従い、収められていた機体も出払っていて、情報収集名目のラジオだけが音を立てている。

 まもなく開催される、国際連盟緊急安全保障理事会について、アナウンサーが抑制の利いた調子で解説を告げていた。

「我らが欲する条件は、レーダーに探知されないほど低空を飛べ、目視発見もされないほど小型で、静寂性のある偵察手段だ」

「そんな方法がありますか?」

 少なくともキャンベリー爆撃機の偵察型ではない。

 ちかごろ普及してきた、ヘリコプターでも無理だ。

 理想に近いのは、オルクセン空軍の主力戦闘機ドラッヘに偵察ポッドを吊る方法だが、これとて低空侵入すればたちまち目撃されてしまうだろう。ジェットの音も立てる。

「・・・だから彼らに来てもらった。全くの、異例のことだが」

「皆さん、もう退役されていたのでしょう?」

「ああ。だが参加を求めると、ひとり残らず集まってくれた」

 格納庫の一角には、普段の整備では見かけない代物―――いまの空軍の者たちには、なんとも古めかしく思える物ばかりが集められていた。

 コボルト族の体格に合わせた、乗馬用の鞍具にも似た籐製の椅子。

 温熱式金属魔術版つきの、冬季用飛行服。いまや必須の対G機能はない。

 比較的新しい物は、夜間撮影可能な高感度フィルムを収めた、携行型の航空用カメラくらいだろうか。

 格納庫の扉が静かに開けられた。

 滑走路へと次々に降り立つ、黒い影。鋭い陰影は機械的ではない。

 着陸すると、首を前後させる独特の仕草で、こちらへと集まってくる。

 大鷲族だ。

 農家のため空から種蒔きを営んでいた者。子供相手の遊戯飛行や曲芸飛行に腕前を披露していた者。王立戦争博物館でガイドを務めていた者―――

 参謀大佐も、飛行隊の幕僚たちも敬礼を捧げた。

 例え空に上がる手段が異なろうと。

 九つの影は、彼らにとって偉大な先達たちだ。

 敬礼を捧げたままの大佐に対し、最先頭にいた大鷲が告げた。

「そうしゃちこばらんでくれ。いまは妻に仕えることだけが楽しみの、一介の年金生活者に過ぎん―――」

 大鷲は目を細める。

 こう言っては何だが、どこか嬉しそうだ。

「それで。いまや時代遅れの我ら種族に、いったい何をして欲しいのだ?」

 参謀大佐は、歓喜に身を震わせる。

「・・・お待ちしておりました、ラインダース退役中将! ウーフー中隊の皆さん! 供に豊穣の大地を守れることを光栄に思います!」



(続)

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