随想録40 一三日間危機⑤

 一三日間危機は、世界という名の球が、破滅と平和の淵を転がり続けるような悪夢だった。

 キャメロット、ロヴァルナ、ユーゴスラヴァ、そしてオルクセン。

 事態に直面した国々の指導者たちは、それぞれが最良と信じる選択肢を主体的に取りながら、その実、何処かで国際情勢を制御しきれていなかった。

 錯誤、蹉跌、誤謬。

 相互不信に陥りながら、奇妙な希望を相手に託し、火薬庫の隣で火遊びをしているような。

 あちらで炙った炎が、こちらに飛び火。当事者たちは消火活動をしているつもりが、それはまるでニトログリセリンを火元に放り込むが如き、爆破による鎮火方法を選んでいるというような、荒っぽさと危うさがあった。

「第一次星欧大戦が始まったときを思い出すな・・・」

 オルクセン連邦大統領オットー・ラーベンマルクは、そんな感想を側近たちに漏らしている。

 五〇年前、世界最初の大戦前夜における国際情勢もまた、各国は相互不信に陥り、二つの陣営に分かれ、たった一発の銃弾をきっかけにして、外交的に保たれていた勢力均衡ピースが崩れ去ってしまったのだ。

 おそらくだが今回もまた、誰も戦争をやりたいなどとは思っていない。西側も東側も。

 だが、己たちでさえコントロールしかねる、面子や感情、不測の事態といったものを原因に、坂道を転がり落ちるように世界を破滅へと導きかねない。

 例えば、だが。

 キャメロットでは、空軍参謀部所属のマンドレークという名の空軍士官が、背筋を震わせていた。

 既に日夜、自国と西側諸国の戦略爆撃機が、第一級の警戒体制のもとで空中パトロールと地上待機を続けているが、彼は上官に命じられて、その搭載核弾頭の概算を改めて集計した。

 ―――

 そのどれもこれもが、第二次星欧大戦で使用された極初期の核兵器など玩具に思えるほど、威力を高めた熱核兵器だ。

 ICBMやIRBMといった核ミサイルまで含めた破壊力は、もはや想像すらつかない。

 つまり西側諸国の核戦力だけで、世界を丸ごと滅ぼせた。

 とくにキャメロット空軍の主力戦略爆撃機ヴィンディケーターの場合、最大射程一八五〇キロメートルの空中発射型巡航ミサイル「ブルーボルト」を搭載した機と、四五〇キロトンの自由落下型核爆弾を搭載したもの、核弾頭を搭載しない代わりに電子戦機能を強化したタイプの三機種が六機一組の編隊を形成し、北海や地裂海の「最終引き返し可能空域」で待機を続けている。

 これらの編隊が「開戦命令ゴー・コード」を受け取れば、ロヴァルナ本土の首都マスクワやリニングラードといった大都市、マゾフシェ条約機構を形成する東星欧諸国などへ低空進入し、防空網を破壊、妨害しながら、殺到するわけである。

 戦略爆撃機を操るクルーたちは、

「もう帰ってこられないと思う」

「私が戻らなくとも気にしないでくれ」

 そんな言葉の数々を家族に残して、飛び立った。

 当然ながら、彼らは極度の緊張状態を強いられる。いつ、どこで、不測の事態が生じてもおかしくはなかった。

 実際、まるで予想外の出来事も起きていた。

 それも、誰もが予期さえしなかった方角から。

 二〇日―――といえば、キャメロット時間午後七時に海上封鎖が発効した日であるが。

 世界の緊張に炙られたかのように、センチュリースター南部連合が合衆国と軍事衝突を起こした。

 ちょうど、二隻のロヴァルナ船舶が強硬突破を図ろうとしているとの報せがマクラーレン政権へと齎されたころに同時報となって世界を駆け巡り、

「・・・冗談だろう?」

 キャメロット首相マクラーレンを唖然とさせている。

 彼らの言うところの「植民地人たち」は、それまで断続的に国境紛争を起こして睨み合っていたが、情勢が酷くなったのは第二次星欧大戦以降だ。孤立主義と近親憎悪的対立によって新大陸に閉じこもった格好の二つの国家に、西側も東側も半端に介入を重ね、武器なども流入し、収拾がつかなくなっていた。

 概ね、本来なら自由主義的及び資本主義的存在だったはずの北部合衆国側に東側諸国が接触を図り、権威主義的存在にして人権関係諸問題も多い南部連合にキャメロットやオルクセンが外交関係の維持を重ねているという、誰が説明を受けても一度では理解をしきれないであろう、混沌の坩堝と化している。

 各国の態度は「足裏を浸す」という程度。

 誰も本格的には新大陸に介入したいと思っていない。

「―――どうして、いまこのときに」

 人間には、感情の上で処理しきれないほどの事態に遭遇したとき、笑いの衝動がこみあげてくることがあるが。

 南北軍事衝突の第一報を受けたマクラーレンの反応も同様だった。

 これに対する外務大臣の答えも実に穿っていて、

「わかりません。新大陸人がマルチ商法を生み出したのが原因かも」

「それでは仕方がない。神をも畏れぬ所業だからな」

 彼らは現地対応を出先の外交官僚に任せ、目先のユーゴスラヴァ情勢に集中した。

 世界の反応にも差はなかった。

 南北センチュリースターに核兵器は存在しない。「夢破れた新大陸」が、通常兵器で兄弟喧嘩を繰り広げている限り、こう言っては何だが、世界の趨勢には何の影響も無い。

 ただし、南部産石油の輸出減少を見越して原油先物市場などには影響を与えた。

 このとき既にキャメロット勢力圏パルティアなど中道ミドル・ロード産原油輸出の保権料は跳ね上がっており、ログレスを始め西側の金融市場も乱高下していた。

 例えば、中立国であるがゆえに極めて手堅いものだったオルクセンの株式相場は、危機開始後の一九日には急落、翌週月曜日となった二二日には急騰という荒い値動きを見せ、一方で安全資産であると見なされた金相場は上昇を続けている・・・



 ―――新大陸などより、よほど深刻な偶発事態が想定されたのは、北海だった。

 世界のひとびとが、ユーゴスラヴァの海上封鎖に対し固唾を飲んで見守っていたころ、密かに北の「荒ぶる海」の緊迫は度を増していたのだ。

 オルクセン北部ブラウヴァルト州。

 午前一一時、海軍アハトゥーレン基地から飛び立ったNe一〇七アオローラ対潜哨戒機の一機は、四発のターボプロップエンジンを唸らせて、北海へと向かった。

 アハトゥーレンといえば―――

 ベレリアント戦争では、エルフィンド海軍巡洋艦アルスヴィズに艦砲射撃を受けた街だ。

 これほど時代を経ても、地政学的な位置の重要性というものは変化せず、オルクセンにとっては現在でも北海に臨む「最前線」である。

 むしろ第二次星欧大戦後、冷戦時代に突入し、より重要性は増していた。

 これより東はロヴァルナ連邦領であり、陸地においても国防上の最前線であると同時に、東方海域はボスト海とも呼ばれ、ロヴァルナ連邦海軍赤旗勲章受章レッド・バナー・ボスティックボスティック艦隊フリートの根拠地たるリーヴ湾が存在したからだ。

 ボスティック艦隊は、北海におけるロヴァルナ連邦海軍の重要なプレゼンスを担っている。

 なかでも、海軍戦力において西側に劣るロヴァルナ海軍が冷戦に入ってから次々に就役させた、水中高速型潜水艦の脅威度は高い。

 ディーゼルエンジンとシュノーケル、バッテリーを使用する通常動力型に加えて、原子力潜水艦まで作り始めているとあっては、尚更の事だ。

 ―――冷戦下オルクセン連邦にとって、対潜戦は国防上の重要な一角を占めることになった。

 空母は艦載対潜哨戒機を積んでいるし、対潜能力の高い艦艇も整備し、アハトゥーレンなど北海沿岸諸都市には海軍航空隊の基地を置いて、世界的にも多量の陸上型対潜哨戒機を配備している。

 アハトゥーレン基地から飛び立ったアオローラ対潜哨戒機も、そのようなうちの一機だ。

 彼らは北北西に八〇海里―――つまり一五〇キロほどの指定哨戒海域に到達した。

 現地では、それまで担当を務めていた同待機とすれ違い、互いに主翼を振り合うエールを交換。部隊平均にして一八時間に及ぶ哨戒任務を始めた。

 機長以下一五名のクルーからすれば、緊張を覚える瞬間だ。

 この国際情勢下では、いつロヴァルナ空軍機が飛んでくるか分からない。とっくに領海は飛び越え、公海上である。

 しかも約一〇年前、ここよりさほど遠くない場所で、オルクセン海軍は訓練飛行中だった飛行艇を二機、実際にロヴァルナ空軍機に撃墜される経験をしていた。当時ロヴァルナは、撃墜の事実すら認めようとせず、公式謝罪を得るまでに六年を要するという、外交案件になった。

 オルクセンにとって、厳密な中立を守っていた彼らが西側諸国寄りになるきっかけとなった事件―――だとされている。

「機長、コーヒーです」

「おう」

 紙コップに注がれたコーヒーを受け取りつつ、アオローラ哨戒機のオーク族の機長は一〇年前の事件を思う。撃墜された二機のうち一機には、海軍士官学校時代の同期が乗っていたのだ。

 ―――中立、中立。中立ね。

 名状しがたい気分になる。

 一〇年前に撃墜された飛行艇の任務は、実際には訓練飛行などではなく、キャメロットから依頼を受けた、ボスティック艦隊所属艦艇の電波収集任務であったことを機長は知っていたのだ。

 あのころと変わったものといえは、いつでも美味いコーヒーを飲めるようになったこと。

 キャメロット製の四発ターボプロップ旅客機の製造権を買い取り、胴体を丸ごと作り替えるほどの改設計を施し、機内容積を確保するためにダブルバブル型としたアオローラ哨戒機には、四床の仮眠ベッドと、オルクセン航空ルフト・オルクス機並のギャレーがある。

 道洋の達磨を逆さにしたような断面をした胴体のうち上部は与圧もされていて、オーク族でさえ楽に―――といえば誇大広告になるが、対潜機材で埋もれたような機内を、尾部の“個室”まで肘や足運びに気を使う程度で行き来もできた。

 少なくとも最初の一食分は、基地の食堂が拵えてくれた立派なサンドウィッチもある。

 哨戒担当海域―――哨区に到着すると、機長はインカムを通してクルーたちに声をかけた。

「皆、用意はいいか?」

「機首見張席、配置につきました。今日は良く見えます」

「よろしい。任務開始予定一二〇〇」

「通信より。時刻になったら任務開始電報出します」

「頼む。位置情報は航法士から貰ってくれ」

「通信、了解」

「天候情報をつける。高層に若干の雲。海面風は二九〇度、一二ノット。視程一五海里」

「通信、了解。復唱します―――」

「機体後部、配置よし」

「よろしい。高度三五〇〇まで下げる」

 アオローラ哨戒機は、他者から見れば全く不規則的なコースを描いて、哨区の上空三五〇〇フィート―――高度約一〇〇〇メートルを往来しはじめた。

 担当哨区全てを均一的に監視することも大事なことだが、規則的に飛び回っていたのではロヴァルナ潜水艦にすぐに動きを読まれてしまう。

 現状、ロヴァルナ海軍潜水艦の多くは通常動力潜―――ディーゼル潜水艦だ。ときおり浮上してきて、充電と換気のための航行をやる。シュノーケルを使って走っていることもあった。当然というべきか電波逆探装置は働かせていて、オルクセンのような西側諸国の哨戒機や艦艇と遭遇すれば急速潜航してしまう。画一的なコース飛行をやると動きを読まれ、ああ、通り過ぎた、戻ってくるまで〇〇分は余裕があるからその隙にシュノーケルを―――などという動きをやられかねない。

 海軍情報部からの連絡通達によれば、この海域には四隻のロヴァルナ海軍潜がいる。

 諜報に依る情報だけを根拠にはしていなかった。

 オルクセンから地図を眺めると、北極海まで何の障害もないように見える北海は、意外にも自由自在に航行可能な海域は限られている。とくに潜水艦にとっては。

 世界創世のころ降星によって吹き飛んだという星欧大陸北方地方の名残が、浅瀬や砂堆、暗礁の群れとなって方々に存在した。これは平時においては豊富な漁場であると同時に、艦船にとっては最悪の場所であることを意味した。

 ビュッセル・バンクのような著名漁場など、水深が一五メートルから四〇メートルほどしかない。必然的に潜水艦はこれら浅海域を避けて航行することになる。

 そしてオルクセンは、このような特殊な近海事情を利用して、北海における音波伝達を研究するとともに、水中固定聴音器による対潜水艦音響探知システムを構築していた。

 ―――通称、SOUSゾウス。サウンド・ユーバーヴァッチェング・システム。

 設置個所はアレッセア島、ズーホフ島、ベレリアント半島ノアトゥン沖など、領海内の合計一二個所。水深は一二メートル、三〇〇メートル、最深部で七〇〇メートル地点と複層に渡る。

 これらは四〇個のハイドロフォンをつけた三〇〇メートルのアレイから構成されていて、水温の低い北海では存外に遠くまで届く潜水艦の騒音を探知、三角測量によって相手の位置を特定する―――

 精度を上げるため海軍艦艇により水温、塩分濃度などの測定もやり、この前年に就役した世界初の戦略ミサイル原潜アルブレヒトの試験航海を利用して、実証実験も済ませたところだった。

 また、オルクセンの沿岸、ブラウヴァルト州やベレリアント半島には第二大戦期以来の技術である通信傍受網の巨大なアンテナがあり、北海に捉えた電波の傍受と測量を実施していた。

 ロヴァルナ海軍は所属潜水艦に対し、例え現在位置が暴露する危険を冒そうとも、一日に一度、本土への通信連絡を課していた。ときに数秒で済まされることもあったが、長くなることも有り得る。この電波が、しばしば傍受できたのである。

 これらSOUSと通信傍受とが、ボスト海リーヴ湾方面からロヴァルナ潜水艦出現の兆候を掴んだ。

 二一日のことだ。

 数は四隻。

 この時点で、ロヴァルナ海軍が主力にしているブラボー型潜水艦らしいという事まで判明していた。

 ディーゼル機関の通常動力潜水艦である。

 ブラボー型という呼称は北星洋条約機構軍のもので、正式には六四一型といったこの艦型を、どうやらロヴァルナ軍内では「大きなボリショイ」と通称しているらしい、という情報に因む。つまり、BIGのBだ。

 オルクセンとしては、このような事態を予期していた。

 北海側に展開するオルクセン海軍や、キャメロット海軍の空母機動部隊、あるいは潜水艦に対する接近阻止を図っているのであろう。

「艦艇、空母に対する安全を第一儀とする。奇襲攻撃に警戒せよ。可能なかぎりの情報、戦術、回避策を用いて対処すべし。幸運を祈る」

 オルクセン海軍作戦本部は以上のような命令を発し、最新情報の間断ない提供と、陸上基地の対潜哨戒機による支援を与えることにした。

「我が国が第三次世界大戦の引鉄を引くようなことは困る」

 まだ空母グスタフ・ファルケンハインを中心とした機動部隊が出港する前のことだが、海軍の対潜哨戒方針に難色を示したのは、ラーベンマルク大統領だ。

 このころ、「領海」というものの考え方ほど厄介なものは無かった。国際条約によって海洋主権の範囲を確立させようという試みは過去何度も図られていたが、締結には至っていない。

 長年守られてきた「公海自由の原則」が根底にあったし、伝統的な三海里や四海里を続けている国もあれば、二〇〇海里という途方もない距離を独善的に宣言している国々もあった。

 オルクセンは北海での漁業権の問題もあり、一二海里が領海、その外側五〇海里まで漁業管轄水域がある、という立場であった。過去に議会でそのような法整備も行っている(完全な蛇足となるが、このためキャメロットとはタラの漁業権を巡った国際係争を抱えていた)。

 この内側に進入した「国籍不明潜水艦」に手を出すならともかく、公海上にいるロヴァルナ潜水艦に対し攻撃すれば、世界滅亡の扉を開きかねない―――

 頼みの綱は、北海に何カ所かある自国領の離島だ。

 なかでも「ボスト海の宝石」とも呼ばれるヴェゼティ島は、同島南北にある潜水艦航行可能水深海域を塞ぐように存在している。所謂、チョークポイントだ。

「そこで、オルクセン本土、ヴェゼティ島、ズーホフ島を結ぶ線に警戒線を設定―――これは、普段の我が海軍の警戒線そのままでもあります。この内側に進入する潜水艦に対し、演習用爆雷もしくは対潜音響弾による警告を実施します」

 コボルト族ブルドッグ種の海軍作戦本部長オスカー・ヴェーヌス大将は、そのように説明した。

 演習用爆雷や対潜音響弾は、実際の対潜兵器と比較すれば威力は低い。

 これを三度使用すれば、国際習慣上は国籍不明潜水艦への「浮上せよ」との合図になる。

 むろん、この方法とて相手が「攻撃された」と取れば不測の事態を生じかねないが―――

 何もかも恐れていては、ロヴァルナ側の思う壺でもある。

 いずれにしても、対潜警戒は空母機動部隊のために―――そしてオルクセンにとって、空母を囮として海中に潜んでいる戦略原潜のために必要な行動だ。

「・・・わかった。海軍のプロフェッショナリズムを信じて任せる。始めてくれ」

 大統領は頷き、ヴェーヌス作戦本部長は大統領官邸から四ブロック先にある海軍作戦本部へと戻った―――

 海軍作戦本部の地下にある指揮中枢は、オルクセン海軍の艦艇が一体何処にいるのか、一目で見て取れる。

 地下三階に相当するこの指揮所へと降りるには、螺旋階段と、二枚の分厚い鋼製扉を潜り抜ける必要があった。

 ヴェーヌス作戦本部長は、壁面の一つを丸ごと占めるが如き、巨大なその情報表示板を眺めた。電光表示とスクリーンを組み合わせたようなものだ。

 若いころにベレリアント戦争で激しい海戦を経験し、北海を漂った末に生還した影響か、ちかごろでは幾らか視力の低下がみられ、眼鏡を必要としている。

 ヴェーヌスはその眼鏡を一度拭いてから、架け直した。

 注目する周囲にも関わらず、まるでいつもと変わらぬ仕草だった。

 彼の傍らの机上には、黄金色をしたものと、赤色をした、二台の電話機があった。前者は大統領からの核攻撃命令を受け取る為のもので、後者は隷下各指揮官へと同命令を伝達するためのものだ。どちらも、扱うのはヴェーヌスの役目である。

 表示板には、オルクセンの全ての軍港、海軍航空基地、水上艦艇、潜水艦、飛行中の哨戒機やヘリコプターが表示されていた。

 ヴェーヌスの視線は、自然と空母機動部隊に注がれる。

 空母グスタフ・ファルケンハイン。

 巡洋艦エルネスト・グリンデマン。

 防空ミサイル駆逐艦レーヴェ、コルモラン、ファザーン。伝統を継承して通称「屑鉄戦隊」と呼ばれている、第一一防空ミサイル駆逐戦隊。

 他に護衛駆逐艦が何隻か。

 彼らはヴェゼティ島チョークポイントの北側を塞ぐ。

「・・・彼らなら。我が国を守ってくれるさ」

 海軍作戦本部長は、独り言ちた。



 ―――二二日。

 キャメロットが地裂海に設定した封鎖線に、二隻のロヴァルナ船舶がいよいよ接近する形勢を示した。

 このときまでにキャメロットは、合計して一四隻のロヴァルナ船舶が本国との間に何らかの通信を交わしたあと、停止、もしくはUターンすることを確認しており、政府及び軍部中枢は一喜一憂していたと言える。

 度重なる討議の末、ハロルド・マクラーレン総理は、

「停船もしくはUターンした船舶には、手出ししないように」

 海軍に命じた。

 緊張を緩和し、ロヴァルナ側を―――ニキータ・フルシチョーリフを追い込み過ぎないようにしたのである。

「彼を決してリングの端へと追い詰めないことだ―――」

 世界の命運は、結局のところマクラーレンとフルシチョーリフの手に握られている。

「フルシチョーリフにも、冷静に物事を考える余裕が必要だと思う」

 このときまでに、東地裂海の封鎖線にはキャメロット海軍の三隻の航空母艦、一隻の戦艦、二隻の巡洋艦、四五隻の駆逐艦及びフリゲート、多数の支援艦が集結しており、彼らは艦載機を展開しつつ、「離脱組」となったロヴァルナ船舶から距離を取った。

 これは「偶発的戦争勃発」を防ぐ手段でもある。

 ほんの些細な出来事―――例えば互いの水兵同士の口喧嘩でさえ、核戦争に至りかねないのだ。

 ただし、決して封鎖を解かずに。断固たる姿勢を示しつつ―――

 この辺りの機微は、流石は海軍を操ることに長けたキャメロットである。

 問題は、前進を続ける二隻のロヴァルナ船舶で、なかでもタンカーのブクレシュティ号の扱いが厄介だった。

 というのも。

 空母艦載機による偵察の段階から、明らかに核兵器や軍需物資を船だったからだ。

 首相以下幹部たちは、討議の末、キャメロット海軍艦艇によって船名、積荷、行先を確認するための交信を実施した上で、ブカレシュティ号に対しては臨検を見送り、通過させることにした。

 タカ派と呼ばれる政治家や軍幹部の一部を中心に、キャメロットの断固たる意志を示すため臨検を実施し、場合に依っては同船を最寄りの港に寄港させる強硬案があったが、マクラーレンはこれを制し、「穏健策」を採った。

「・・・私には確信が持てたよ―――」

 流石に危機発生以来の疲労を滲ませつつも、マクラーレンは呟く。

「フルシチョーリフも、核戦争に陥るという事態は避けたがっている」

 そうでなければ、船舶を呼び戻しなどはしないはずだ。

 あとは、面子というものに拘るロヴァルナに配慮しつつ、キャメロットの権威と国益を確保しながら、如何にして妥協点を見出すか、だ。

 ―――国益。

 老獪なマクラーレンでさえ、途方に暮れたくなる思いだった。

 ―――一触即発の、この環境下で! 

 だが、ロヴァルナはまるで話の通じない連中ではない。

 それだけは確かなことが、分かった・・・

 キャメロット首相マクラーレンとロヴァルナ連邦指導者フルシチョーリフにとって、海上封鎖とは、「会話ランゲージ」だった。

 本来なら双方の大使館もこの手段になるのだが、在キャメロットのロヴァルナ大使がミサイル配備の事実すら知らされていなかったのでは、どうにもならない。老練なキャメロット外交らしく、腹を割って話せるパイプ役の閣僚も存在していたのだが、実質的には「窓口」として「メッセンジャー」程度の役割しか期待できない。

 外交上の対決の場は、オルクセンにある国際連盟本部ということになる―――

 海上封鎖の実施は、この二二日夜、国際連盟も動かした。

 二四日の予定で安全保障理事会の開催が決まり、また、これに先駆けて連盟事務総長ウ・パントが事態収拾案を提案したのだ。

 ウ・パントは、道洋出身の外交官。この前年、前任者が航空事故死したことから急遽選出され、正式には事務総長代行の地位にあった。

 仲介案の中身は、

「ロヴァルナがユーゴスラヴァにミサイルを送らぬことを確約する代わりに、封鎖を解除してはどうか」

 というものだった。

 フルシチョーリフはこれを受けて翌二三日、周旋を歓迎する意向を漏らし、首脳会談の可能性すら示唆した。

 だが、キャメロットから見れば、この仲介案は不満足なものだった。

 目先の緊張を解くことだけを意味し、キャメロットの求めるミサイル撤去そのものには繋がらない。

「この危機は、ロヴァルナによるユーゴスラヴァへの攻撃兵器持ち込みをきっかけにするものであり、その唯一の解決方法はこれら攻撃兵器の撤去である―――」

 マクラーレンはウ・パントへの回答を示した。

「我が国は、問題を平和裏に解決するいかなる討議にも喜んで応じるが、ユーゴスラヴァのミサイルは撤去されなければならない」

 外交手腕において老練な、如何にもキャメロットらしい回答といえたが。

 同じころ、ロヴァルナ連邦指導者フルシチョーリフは、ユーゴスラヴァへの軍事支援関連船舶に引き返しを指示するとともに、軍需物資を搭載していない船舶には航行を続行するよう指令を出していた。

 彼は、秘書官にその構想を漏らしている。

「世界は、非武装かつ兵器や軍需物資を搭載していない商船を、キャメロットが停船させる度に批難するだろう。緊張を煽っているのは帝国主義者どもであることを、世界は知る。なかには、チャーターしただけの他国船籍の船もいるのだ。そして批難は疑問に繋がる。本当にユーゴスラヴァにミサイルなど存在するのか、と―――」

 フルシチョーリフはにやりとした。

 彼は、西側諸国においてさえ新聞報道の類がキャメロットの主張に疑義を呈し始めていることを、各国駐箚大使館の報告により知っていた。

「R一四の核弾頭が殆ど持ち込めなかったのは残念だが・・・ R一二や、巡航ミサイルとその弾頭が現地展開を終えていたのは幸いだった。船舶たちを引き返させたところで、我が国には何らの実害もないのだ」



 ―――二四日、水曜日。午前一一時四五分。北海。

「機長、昼食です」

「おう。お前、先に食べろ」

「いえいえ、機長から」

「そうか・・・ すまんな」

 そのNe一〇七アオローラ哨戒機の機長は、差し出された二種類の航空弁当のうちから、チキンサンドを受け取った。

 一見奥ゆかしい譲り合いのようだが、他にも理由のあることだ。

「操縦渡すぞ」

「操縦受け取ります」

 二つのメニューがあり、機長とコパイとで内容が被らぬようにするのは、仮に食中毒が発生した場合、二名同時に罹患しないための鉄則でもあった。

「・・・機長。電測。レーダーコンタクト。方位二七六度。距離一五海里。反応小さい。潜望鏡かシュノーケルのように思われます」

「了解。ようし、追尾始め!」

 ちょうど、機長が分厚く大きなチキンサンドを食べ終えたときだった。

 機体下部に大きく膨らんだ瘤のような形状のレドーム内に収まる対水上レーダーに、探知があった。

「左旋回、針路二八一度」

「二八一度、宜候」

「機長、戦術より。目標上空まで三分五一秒」

「了解。電測、上空一分前に連続探知。機首見張、魔術探知使用してよろしい」

「電測、了解」

「機首、了解」

 優美な機体が高度三五〇〇フィートで旋回し、突進すると同時し、機内は一挙に慌ただしくなった。

 このころ、のちに電算機器の塊のようになる対潜哨戒機は、まだまだずっと原始的なものだった。

 哨戒手段の主は、レーダーと目視。

 空中投下して海面に放り込むパッシブソナー―――ソノブイはもう存在していたが、高価で、普段はおいそれと使わせて貰えない代物だった。

 瞬時に相対位置を表示してくれるディスプレイなどまだ夢の産物で、戦術航空士らがコンパスと計算尺とデバイダーとを使って、懸命に戦っていた時代である。

「全クルーへ、目標到達一分前」

「レーダー、目標失探」

「機首見張、何か見えるか」

「何も見えません。魔術探知も同様」

 失探は、むしろ熟練したクルーたちを喜ばせた。

 この段階に至ってもなお、のんびりと浮いているような潜水艦はいないからだ。いつまでもレーダー探知にひっかかるようであれば、それは漁船や、漂流物である。

 目標推定位置の一〇秒前になると、哨戒機は基準となるソノブイ一本を投下した。

 こんな事態だ。

 ソノブイ使用に無制限許可が下りていたのが有難かった。

 潜航推定位置周辺に五本のソノブイを投下し、音響弾と組み合わせて潜水艦を追う対潜戦術、ファイブブイ・パターンを哨戒機は採った。

「目標上空」

「機首見張り、海面に渦が見えます。おそらくシュノーケルの突き出した跡でしょう」

「よし! 通信、潜水艦発見報を基地と空母機動部隊へ送れ!」

「通信、了解」

 西方の海上には、哨戒機とは別にNe一〇七をベースにした艦隊電子戦機が常時交替で飛んでいる。

 彼らが、空母機動部隊へ事態を知らせてくれるだろう―――

 ずっと後年になっても世間には殆ど知られなかった、「もう一つの一三日間危機」。

 北海における、オルクセン海軍とロヴァルナ海軍の暗闘が始まった。



 (続)

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