随想録37 一三日間危機②

 ―――海上封鎖。

 という選択肢が持ち上がったのは、意外にも危機の初期である。

 一〇月一六日。

 つまりキャメロット連合王国マクラーレン内閣が、ユーゴスラヴァへの核ミサイル配備を知った当日のことだ。

 この日午前、一部メンバーでの情報共有に続き、午後から翌一七日にかけて全閣僚及び軍関係者出席の事態対応会議が開かれたが、時間が経つに従い全面空爆論と双璧を成す見解になっていった。

「全面解決には至らない方法ではありますが―――」

 論旨の中心を担ったのは、国防大臣ハロルド・ウィルキンソンだ。

 ウィルキンソンは、若きころに草創期のロッククライマーとして鳴らした人物であり、五二歳となったこのときも精悍だった。エンジニアの出で、その後は専門分野のジャーナリストを務め、戦後は各省で次官などを歴任している。

「海上封鎖は、限定的で抑制の効いた方法であるからこそ、段階的に圧力を高めることも不可能ではない。何よりも事態をコントロール可能な余地を残しておくことが出来る」

 一七日午前には、ウィルキンソンは全閣僚の中で最も強力な「海上封鎖論者」になっていた。

 彼の言うところの海上封鎖とは、強力なキャメロットの地裂海艦隊を使ってエトルリア東方からヴルカン半島にかけた海域を塞いでしまう。

 そうやってロヴァルナ連邦からユーゴスラヴァに向かう船舶を押し返し、更なる核ミサイルの搬入を阻止する―――

「ミサイル基地だけの空爆は軍事的な意味がない。それは対空砲火や他の軍事施設、都市といった全面空爆に繋がるだろう。そして地上兵力の侵攻にまで至るに違いない」

 状況は、とどめない深みに陥ってしまうという指摘である。

 その先にあるものは―――

 背筋も震わせるような事態に違いないのだ。

「最初から選択肢を狭めるようなことをせず、まずは海上封鎖を採ろう」

 当然というべきか、出席者のうち軍幹部や、強硬派の閣僚たちから反論があった。

「海上封鎖はミサイル撤去には繋がらない」

「また、新たな攻撃兵器搬入を完全に拒むことも出来ない。彼らには陸路がある」

「ヴルカン半島の地形から言って重量物の持ち込みは困難だろうが・・・ 陸路を使った増強は阻止できない」

「ミサイル基地で進められている作業を押しとどめる効果すらない」

「事態をコントロールする余地を残すと大臣は仰るが・・・ ロヴァルナ船を押しとどめるということは、ロヴァルナとの直接対決に陥るということだ」

「ユーゴスラヴァからミサイルを撤去すれば、ロヴァルナは相互保証として周辺国から我がミサイルの撤去を要求するだろう」

 どれもこれも説得力があり、また「海上封鎖派」からの反論もあって、議論は百出、甲論乙駁、互いにテーブルを叩き合わんばかりになった。

「うちの調度を傷ませないでくれ。これでも年代物なのだ」

 両者の議論に対し、あの冷静な様子で耳を傾けていたマクラーレン首相は、警句を冗談のオブラートに包んで皆を落ち着かせた。

 本来なら、為人ひととなりからいって彼の言葉はもっと皮肉っぽく聞こえたかもしれない。

 だがこのときは、それでも座を一時和ませる効果はあった。

「・・・進退窮まりましたな、首相」

 統合参謀総長が言った。まるで駆逐艦を指揮して艦橋にいたころと変わらない様子だったが、この海軍元帥にしてみれば冗句だ。

「貴方も一緒にですよ」

 首相は応じた。

 出席者全員から失笑が満ちる。

 そもそもこの会議の目的は、「事態について余裕をもって考えていられるうちに、今後の対応について徹底的に議論しておこう」というものだ。

 マクラーレンにとって救いであったのは、彼自身も含め、キャメロットを治める男たちが熟練した者ばかりであったことである。

 議論が熱を帯び、口に泡するほど激しくなったとしても、彼らは根本的には経験が深い。政権を担って既に五年目でもあり、議会も約七割を与党保守党側で占めている。

 彼らは、空爆派であろうが海上封鎖派であろうが、何か一つの考えに囚われ続けるということがなかった。己が能力と役割とを果たし、それだけ柔軟に事へと臨んだのだ。

 例えば「海上封鎖派」であるウィルキンソンは、

「私自身は封鎖に賛成だが。空爆に必要な飛行機、兵員、弾薬は展開しつつある。二三日には攻撃態勢に入ることができ、第一撃は五〇〇機の航空機から成る」

 と、国防大臣としての責務を決して疎かにせず、報告をしている。

 これほど立派な男たちに担われてさえ、それでも会議は翌一七日水曜午前一杯まで続いた。

 マクラーレンの最終決心をつけたのは、軍部が指摘した空爆効果の実態であった。

「例え空爆に踏み切った場合でも、全てのミサイル基地を撃破することは困難である。幾らかは発射されるかもしれない」

 つまり、空爆イコール核戦争に陥る危険性がある。

 為政者とは、孤独なものだ。

 例えどれほど周囲と上手くいっていようと、老練であろうと、最終的な決断は己が一人で下さなければならない。

「海上封鎖だ」

 首相は告げた。



 オルクセン連邦首脳が事態を把握したのは、一七日午後五時であった。

 キャメロット政府が仕立てた特使らが密かに西星欧各国を訪れ、事態の説明と、海上封鎖の開始を伝えたからだ。

 キャメロットがこれほど手早く特使派遣に踏み切ったのは、道義的な理由に依るものではない。

 極めて現実的な必要性からだった。

 ユーゴスラヴァ情勢の最悪化は第三次世界大戦を招き、ひいては西側諸国の「戦争準備」が必須のものになるという、背筋を震わせるに等しい外交判断に依る。 

 オルクセンには、内務大臣リチャード・ウォールデンが、首相親書と関係資料を携え到着した。特別に仕立てられたアリエット・ヴァードン・ロー社製Avr七四八アルビオン機で、ヴィルトシュヴァインの空の玄関、南郊外のシャーリーホーフ空港に降り立っている。

 ウォールデンほどの大物がオルクセンに送り込まれたのには、幾つかの理由がある。

 一つには、この数カ月前からロヴァルナ連邦の特使ユーリ・グルムイコとの会談が予定されていたこと。これはヴィルトシュヴァイン東方郊外アンターレス湖の湖畔にある国際連盟本部で、翌一八日に開催される予定になっていた。

 いま一つには、オルクセン連邦という国家の置かれた特殊性にある。

 オルクセンはこのとき、未だ伝統的な中立政策を保っていた。

 第二次星欧大戦以来の国際環境下、東西冷戦という時代にあって、キャメロットは何度か自国が盟主を務める軍事同盟である北星洋条約機構NSTOへの加入を持ちかけたのだが、オルクセンはこれを慎重に断っている。

「我が国は如何なる軍事同盟にも加盟しない」

 彼らは中立国の立場を維持し、西側と東側の「架け橋」になることを目指した。

 第一次星欧大戦後に創設され、第二次星欧大戦戦後に諸規則が改正されて国際政治の一つの中心となっている、国際連盟本部の所在地であることも、この立場を補強している。

 国土がまるで戦禍を受けることもなかったため、キャメロットが主導した戦後星欧の経済復興策ケインズ・プランの世話になる必要もなかった。

 この魔種族国家は、東西アスカニアの国境部が長大な壁を以て閉鎖されてなお、西側と東側の外交、貿易、文化交流の担い役を務めていたのである。

 しかし―――

 では、いわゆる西側諸国に相当しないかと問われれば、これは微妙なところだった。

 彼らは確かに西側軍事同盟には参加しなかった。

 ところが、西側諸国の経済協定である星欧自由貿易連合SFTAには加入していたのだ。

 あくまで経済と軍事は別物、という姿勢である。

 九四〇年代及び五〇年代を通じ、キャメロットもまたオルクセンのような国家の必要性を認め、「誠実な中立関係」の維持に努めてきた。

 しかもだ―――

 実際には、オルクセンの中立政策とは、魔種族生存のための「仮面」に過ぎないことをキャメロットは知り抜いている。

 兵器開発や諜報の世界では、両者は密接に関係してきた。

 一例を挙げるならば。

 キャメロットが第二次星欧大戦終結のため、アスカニアに二発使用したブルーベアード型原子爆弾と、オルクセンが初めて採用したM五二核弾頭は全くの同系譜に連なるものだ。

 大戦中、両者が手を携え、極秘の核兵器共同開発計画アロイズ作戦によって生まれたのがブルーベアード型原爆だったから、当然のことと言えた。

 ウォールデンは、ターボプロップ双発のアルビオン機を操るキャメロット空軍パイロットの見事な腕前、着陸に際してもコップの水一つ零さない妙技に見惚れる暇もなく、またそのような精神的な余裕もないうちに、直接空港端に差し回された在オルクセン駐箚キャメロット大使館用意の車両に乗り込んだ。

 ヴィルトシュヴァイン警察の、巨躯のオーク族警官にさえ耐える頑丈な、排気量一二〇〇CCのV型二気筒エンジンのNMW社製R六〇バイクが車両前後に二台ずつ警護につき、車列はヴィルトシュヴァインのミッテ区に向かう。

 幸いにも、魔種族の首都には各国大使館を始め、国際機関も多いから、警護をつけた外交関係車両が疾走していても、市民たちの殆どは特に注意を払わなかった。つまり、報道関係の目にも留まりにくい。

 連邦道路九六号線を抜け、カレルゼマン通り、ラプンツェル広場、マン通りを経て、ゾフィ通り七八番地―――かつては国王官邸と呼ばれていた巨大な大理石構造物の裏庭へ入る。

 裏門では、警備の兵から敬礼を捧げられた。

 現在の、連邦大統領官邸だ。

 オルクセンはおろか、こんにちの星欧の姿の源流を形作った賢王、ウォールデンでさえ伝記などを読み、名を知るグスタフ・ファルケンハイン王は、在位中の最晩年にこの場所を連邦政府に譲った。

 いまでは王家は、この西にあるヴァルトガーデンを挟んだケーニヒスガーデンの端に元々離宮として存在した七棟の宮殿に移っている。グスタフ王が己の隠居所として定め、崩御した地もそちらだ。

 ―――グスタフ王か。

 ウォールデンは、想起せずにはいられなかった。

 偉大な王だったのは間違いない。

 一目会ってみたかった。

 そして彼なら、いま、この瞬間の情勢を一体どうやって処理しただろうか・・・

 ウォールデンの雑念は、公用車が車寄せに着け、官邸の役人がドアを開けたことで、かき消された。

 事前にアポイントメントを取っており、しかもそれは重大事であると匂わせてあったので、遅い時間にも関わらずオルクセン連邦大統領はウォールデンを待っていて、面倒な儀礼上のやり取りなども無く、ただちに会談は始まった。

「・・・・・・・」

 連邦大統領は、じっと耳を傾けていた。

 ―――オットー・ラーベンマルク。第五代オルクセン連邦大統領。

 オーク族の、元外交官僚。グスタフ王の治世下にはもう外務次官を務めていたという、紛れもない星欧外交界の長老である。

 ウォールデンとは、初めて顔を合わせるというわけではなかった。

 過去何度も会談の場を持つ機会があり、ウォールデンの対魔種族感はこの牡によって形成されていたと言っても過言ではない。

 紛れもない、現実主義者。魔種族とは粗暴な存在ではなく、摩訶不思議な何かでもないと印象付けられる、知性の塊。

 オルクセンの民というより、むしろキャメロット人の感覚に近いのではないかと思わせる、とんでもない皮肉屋でもあった。

 その薄桃色をした豚顔で、黒い瞳で、二メートル近い巨躯で、じっと見つめられると、ウォールデンほどのベテラン政治家でさえ緊張を覚えてしまう。

 まったく、彼ら魔種族ときたら長命長寿にして不老不死に近い存在でさえあり、そのような生命体からすれば我ら人間族など小童にさえ等しいのではないかと、消え入りたくなるのだ。

 ―――一星紀前!

 そんな遥か昔から外交官僚をやっていたような生物を前に、一体どんな顔をしろというのだ・・・

 そのラーベンマルクが。

 ただただじっとウォールデンの説明に耳を傾け、ユーゴスラヴァで核ミサイルの存在を確認したこと、これに対処するため海上封鎖を開始すること、明日一八日にマクラーレン首相が声明を発するといった、キャメロット政府の主張に対し、了解を示した。

「・・・よくぞご連絡を頂きました。感謝致します」

 ラーベンマルクは告げた。

 歴代の大統領のなかで、最もグスタフ王に近いと評されている低い質の声だ。

 ウォールデンは、「証拠」となる偵察写真を引き伸ばしたもの、ミサイル射程を星欧の地図に図示した説明用資料などを持参していた。これを黒い革製のブルーフケースから取り出そうとすると、

「それには及びません―――」

 魔種族の大統領は、大きな手を翳して制した。

「貴国ほどの国家が、いみじくも行動に出られようというのです。充分な証拠は掴んでおられるはず。我がオルクセンは、貴国の御主張を信じましょう」

 これには、ウォールデンも深い安堵を得た。

 肩で大きく息をしてしまったほどであった。

「マクラーレンに代わって感謝致します、大統領閣下」

 そしてラーベンマルクは、キャメロット政府に助言も与えた。

「なるべく慎重に・・・そう、慎重に対処されることです。結果としてそれが、貴国にとって一番の国益となるでしょう」

「なるほど・・・」

「そのためには、国際連盟安全保障理事会の場も利用されるといい。一ヶ国でも多くの味方を得られること。世界の賛同を得られること。これがミサイル撤去にもつながりましょう」

 オルクセン連邦として助力も惜しまない旨を告げられると、これは共同歩調の確信を得られたことを意味し、ウォールデンとしては肩の荷が降りる思いだった。

 一瞬の、ほんの束の間の安息が、どれほどウォールデンを勇気づけたことか。

 明日は、まだミサイルの存在に気づかれているとすら思っていないであろう、ロヴァルナ特使との会談が待ち構えている―――

「ずいぶんと、お疲れのようですね」

 ラーベンマルクは苦笑した。

 彼は、巨大な大理石の天板を持つ執務机のうえにある、秘書官呼び出し用のブザーを押した。

 事前に手筈を整えておいたのだろう、指示や準備の間もなく、黒い生地に赤い縁取りをした制服姿の給仕が現れ、銀製の盆から柄つきのグラスを二つ置いた。赤い液体が湯気を立てている。シナモンが一本、立てるように沈めてあり、ドライオレンジも浮いていた。

 甘い、良い香りがした。

「ホットワインです。たまには大陸風のやり方も良いものですよ。疲れが吹き飛びます。どうぞ」

 赤ワインを温め、香辛料や砂糖を加えたものだ。

 ちょっと心配顔になってしまったのか、ウォールデンの表情を眺めた魔種族の大統領は苦笑し、

「ご安心下さい。エリクシエル剤は入っておりません。あれは最早、我ら魔種族でさえ余程の重傷重篤の者にしか用いませんので」

 告げた。

 ありがたく、押し頂くようにしてウォールデンはそれを飲んだ。

 ラーベンマルクも付き合い、ゆっくりと甘露と湯気、薫香とを味わう。

 疲れが、気づかぬうちに体中を支配していたこわばりが、癒される。

「・・・閣下」

 赤い液体を見つめるように視線を落としたままのラーベンマルクが、絶妙な、舌を巻くしかない絶妙なタイミングで言葉を紡ぐ。

「もし・・・ もし不幸にして第三次世界大戦が勃発したときは―――」

 魔種族の為政者は、顔をあげた。

 ウォールデンは息を飲む。

 まるで己たち人間族と変わらぬ、深い憂慮と、懸念と、そしてこれに立ち向かおうとする決意を見て取れたからだ。

「我がオルクセン連邦は、貴国との密約通り、西側に立ちます」



 キャメロット特使が去ったとき、既に大統領官邸内の別室にある閣議室には、オルクセン連邦政府の閣僚及び軍の代表者たちが緊急集合をかけられ、続々と集まっていた。

「シュヴァーデン。すまんな、御息女の結婚式だったのだろう?」

「お気になさらないでください」

「タルヴェラ。報道協会はどうだった?」

「まぁ、そのぉ・・・やはり幾らか気づいている官邸番の記者たちもいますが。ザウム会長は報道管制に応じると」

「うむ。明日のキャメロット首相演説までは、一切漏らしてはならん」

「・・・それで、女王陛下はなんと?」

「まだお知らせしておらん。陛下には、御休息が必要だ。ベレリアント半島行幸から戻られたばかりだからな」

 ラーベンマルクは彼らと供に手早く夕食を摂り、この国家安全保障上の凶事への事後対処を検討しはじめた。

 マクラーレンやウォールデンのような人間族たちからすれば真に意外なことのようだが、オルクセンという国家を統べる魔種族たちは、まるで冷静冷徹でいられたわけではなかった。

 悠久を生きる彼らの感覚は、人間族とは全く異なる。

 心身ともにいつまでも若々しいから、自覚上の気分としては他種族の二〇代や三〇代に等しい。

 何かに縋れるなら。誰かに代われるものなら。いますぐにでもそうしたい程だった。

 例えばラーベンマルクなどは―――

 彼は日頃から、今やフロックコート以上に着慣れたスーツの胸ポケットに、常に一つの紙切れを忍ばせていた。

「全ては生存のために」

 敬愛するグスタフ王の、言葉だ。

 一種の信仰、縋りつく精神的な支柱にして安らぎのように扱っていた。

 ―――弱ったことをしでかしてくれたな、人間ども!

 本音を吐露できるなら、絶叫したいほどだった。

 そんな彼の眼前にこのとき官邸へと集合していたのは、現オルクセンの統治制度としては内政を司る首相のヨハン・シュヴァーデン以下、外務大臣、内務大臣、国防大臣といった主要閣僚の他、統合参謀本部長クレメンス・ビットブルク上級大将、国家憲兵隊長官エミール・グラウ大将、情報局長官アーウェン・カリナリエン中将。

 彼らはまず、キャメロット人たちの称するところの「最悪の事態」―――核ミサイル危機が第三次大戦へと発展した場合の未来絵図を確認した。

「海上封鎖が効果を発揮し得ず、ユーゴスラヴァ空爆へと至れば、当然ながらロヴァルナ連邦とユーゴスラヴァ軍は現地で反撃を試みるでしょう―――」

 ビットブルク上級大将が説明役となった。

「すると、キャメロットは全面空爆に移行するでしょう。ユーゴスラヴァへの直接侵攻も考慮されます」

 東側陣営が戦力に劣るユーゴスラヴァ方面では、彼らは壊滅するだろう。

 だが、共産圏の盟主ロヴァルナ連邦が、そのような苦痛を黙ってみているわけがない。

 彼らは、何処か別の星欧地域で「報復」に出る。

「それは、東西アスカニア国境となることは確実です」

 誰にも異論はなかった。

 東西冷戦対立の最前線。第二次星欧大戦の結果、文字通り二つに分かれてしまった国家アスカニア。

 その国境部で、ロヴァルナ連邦軍、東アスカニア人民軍、ポルスカ人民共和国軍といった共産陣営の軍事同盟―――マゾフシェ条約機構軍が攻勢に出る。

 これは東側の戦争計画にとって最早完全に組み上がったもので、諜報面でも幾らか察知できていた。

 彼らの呼称によれば「ブーヴァ」とされている計画だ。

 弱ったことに、マゾフシェ条約機構軍は強大な地上軍であり、多数の装甲車両、火砲、膨大な兵力を有する。北星洋条約機構軍に対して圧倒的に勝っている。

 オルクセンはこの段階で、第三次大戦に巻き込まれるとみられていた。

 アスカニア国境部侵攻の牽制及び補給路確保の支作戦として、オルクセン東側正面のポルスカ軍とロヴァルナ連邦軍沿岸軍が、雪崩込んでくる―――

 彼らは侵攻と同時に、大量の戦術核兵器を使用するであろう。

 一挙に前線の優位を確保して、文字通り「嵐」の如き奔流となって西アスカニアを侵し、果てはグロワールまで攻め込む腹積もりだとされているからだ。

 ―――西アスカニア及びオルクセンに使用されるであろう戦術核兵器は、

 それはロヴァルナ本土から飛来する戦術ジェット爆撃機と、準中距離ミサイル、中距離ミサイルといった形をとる。

「・・・・・・・」

 閣僚たちの誰しもが、以前にもブリーフィングを受けたことのある内容だったが、言葉もなかった。

「対抗するため、我が陸軍は空軍と共同のもと、国境部で出来得る限りの遅滞防禦を行います」

「・・・国境部の兵力は核兵器に依って吹き飛ばされるのでは?」

「はい、残念ながら」

 ビットブルクは、冷酷な響きに思えるほどあっさりとそれを認めた。

「遅滞戦闘の主力は、第一線の後方に待機する装甲師団及び装甲擲弾兵師団です。彼らが機動的に敵の破穴を塞ぎ、迎撃に努めることになりましょう。そして―――」

「・・・・・・」

我々の保有する戦術核兵器を投じます」

 なんてことだ、と誰かが呟いた。

 敵と混淆した状況を利用して、味方ごと核で吹き飛ばそうというのだから。

 当然ながら、陸軍で防禦を担当する部隊には一切知らされていない戦術だ。

 ただし「公式には」という言葉を冠する質のもので、冷戦がひとびとの心理に圧し掛かって以来、軍はおろか国民たちでさえ「いつか降りかかってくるかもしれない未来」だと思っている。

 オルクセンだけに限った非情な選択とも言えなかった。キャメロット以下、北星洋条約機構軍は、アスカニアを舞台に同じことをやるつもりなのだ。

「マゾフシェ条約機構軍の迎撃に成功した場合、ロヴァルナ連邦は全戦略爆撃機及びミサイルを用いて、更なる報復に出ます―――」

 無論、西側としては防がねばならない。

 そこでロヴァルナの期先を制するためにも、こちらの戦略爆撃機及びミサイルもロヴァルナ本土を狙う。

「・・・・・・」

 感情が表に出やすいところのある財務大臣が、ごくりと息を飲んだ。ベレリアント半島北部の寒村に生まれ、大変な苦労の末に現在の地位にある、立志伝中の白エルフ族議員である。

「つまり最終的には、星欧内で全面的な核兵器の報復合戦となり―――星欧で約七〇パーセント、ロヴァルナで約四〇パーセントの市民が死滅することになるでしょう」

 誰も予想を疑おうとはしなかった。

 いまから五年ほど前、オルクセン内の反核運動派の学者のひとりが、

「一〇年以内に核戦争の起こる確率は五〇パーセント。そうなれば誰も予想できない事態に陥る」

 と発言して、物議を醸したことがある。

 だが、この場に集った者たちは、この発言の前半部分に首肯はしても、後半部分には同意しなかった。

 ―――予想は立ててある。最悪のかたちで。

 オルクセン統合参謀本部が中心となり、国内で核兵器及びロケットについて研究してきた一八名の学者を参加させ、世界の論文なども取り寄せ、作り上げたものだ。

 彼らは、対抗策まで生み出していた。

 核兵器運用部隊の生存性を徹底的に高め、東側の核兵器が例え一発でも使用された場合、ただちに報復としてロヴァルナ本土に対し保有核兵器を全面的に投ずる。

 その覚悟の上で核兵器整備に努め、これを公式声明として喧伝してしまう。

「やれば、双方が確実に破滅する」

 そのように思い込ませること。

 後年、「相互破壊確証」や「核抑止力」と呼ばれることになる考え方の、源流のようなものだった。

 これ以外にオルクセンという国家が―――魔種族が、生き残る方法はない。

 オルクセンはそのために、年間軍事予算のうち一〇パーセントから二二パーセントという膨大な予算を注ぎ込んで、核兵器関連の開発及び整備に努めてきた。

 とくに、ここより五年前、ロヴァルナ連邦がプラウダロケットを使い、世界初の人工衛星プラウダ一号を打ち上げ、周回軌道に乗せることに成功させてからは、なりふり構っている余裕はなかった。

「我がロヴァルナ連邦は、西側諸国に対し戦略ロケット兵器において圧倒的優位に立っている」

 フルシチョーリフが、西側に対する自国のミサイル戦略優位を度々強調することで生まれた、いわゆるミサイル・ギャップ論争だ。

 これを受けてオルクセンは、水爆の実用化と小型化、長距離ミサイルの開発と整備、巨大極まる航空母艦の建造をやり、国内においては軍事基地の地下化、避難所の構築、各家庭における核シェルター設置の推進などを図って来た。

 現在の核弾頭保有数は約六六〇発。

 地上配備のICBMは約六〇基。

 中距離及び準中距離、地対空核ミサイルが約一六〇基。

 核弾頭の主力は、水素爆弾になっている。

「―――そして、核報復の主力は二隻の戦略巡航ミサイル原潜及び、世界に先駆けて就役させた二隻の戦略ミサイル原潜です。合計して三六発の核弾頭を搭載しております。最低でも一隻が北海において二四時間パトロールを行う彼らの目標は、ロヴァルナ連邦首都マスクワ他、かの国の大都市」

 ビットブルク上級大将は告げた。

「そして彼らを生き残らせるためには、五発の核弾頭を搭載するという運用法にあります」



 ―――一八日正午。

 キャメロット連合王国首相ハロルド・マクラーレンは、国営放送CBCを通じて国民へ、そして全世界へと呼びかける演説を始めた。

「国民の皆さん。政府は、かねてより約束の通り、ユーゴスラヴァにおけるロヴァルナ軍の増強を厳重に監視してまいりました。そして過去一週間以内に、間違いのない証拠に依って、かの国に一連の攻撃用ミサイル基地が準備されつつあるという事実が証明されたのです。これら基地の目的は、西星欧諸国に対して核攻撃能力を備えようとするもの以外の何物でもない―――」

 世界は、震撼した。

 この日午前、オルクセン国営放送は概略を告げるアナウンスのあと、マクラーレンの演説を全て中継し、そして翻訳と解説を加えている。

 オルクセン女王ディネルース・アンダリエルは、ささやかな休暇とちょっとした悪戯に満ちた微行の最中、これを外出先で耳にしたわけだ。

 ケーニヒスガーデンの王宮に戻った彼女は、ラーベンマルク大統領の参内を受け、ベレリアント半島ヘレイム山脈地下に作られているオルクセン空軍防空総司令部への退避を勧告された。

 ―――豊穣の大地よ。

 刹那ほどの間、彼女は先立たれた夫を想った。

 ―――あのひとなら、どうするだろう。この危機に際して。

 私に出来ることは限られている。

 私に統治権はない。何の実権もない。

 私の役目は、あのひとの遺言を引き継いでいくこと。あのひとが崩御したとき、周囲から望まれ、いまの地位に就いた。

 ―――いいかい、ディネルース。外交とは、誠心誠意を尽くして自国の国益を叶える、特殊な技術なのだよ。

 ―――どこにいようとそこがオルクセンだ。

「私は退避など致しません。この国と、国民と供にあります。豊穣の大地の御加護を」



 同日。

 キャメロット連合王国首相ハロルド・マクラーレンは、国家非常事態宣言に署名。

 ロヴァルナ連邦首相ニキータ・フルシチョーリフは、全ロヴァルナ軍及びマゾフシェ条約機構軍に緊急動員を下令した。

 ユーゴスラヴァ連邦人民共和国首相ブロズ・ティトは、国民への緊急演説を行っている。

「革命家同志よ。愛国者よ。運命を共にするときがきた。祖国か死か。我々は勝利する」

 ユーゴスラヴァ軍参謀本部は最高警戒体制を発令。二七万の正規軍に総動員令。全員戦闘配置につく。

 全職場、学校で民兵の戦闘訓練を開始。一般市民も男女の別なく銃を手に取った。

 マクラーレン演説の少し前―――

 予定通り、国際連盟本部でロヴァルナ特使グルムイコと会談を始めたキャメロット連合王国内務大臣ウォールデンは、ユーゴスラヴァ情勢を巡って互いに一歩も引かぬ非難の応酬を繰り広げていた相手が、核ミサイル配備の事実を知らされ、顔面蒼白となるのを目撃している。

「彼は一挙に一〇も歳老けたように見えた」

 グルムイコは、ユーゴスラヴァへの核ミサイル配備を本国から事前に一切聞かされていなかったのである。

 そして翌一九日午後九時―――

 オルクセン北部ブラウヴァルト州グロススファーヘン港では、一隻の巨大軍艦が緊急出港準備を整え、錨を巻き上げ始めた。

 空母グスタフ・ファルケンハイン。

 彼らは闇夜の中、一隻の巡洋艦、三隻の駆逐艦、四隻の護衛駆逐艦を従え、北海へと向かう。そうして翌朝洋上で、海軍航空隊基地から発進した艦載機の着艦収容を始めた。

 この空母機動部隊の指揮官は、ギースラー少将といった。

 海軍作戦本部長ヴェーヌス大将からは、

「北海領海を警戒しつつ東進。領海内に侵入するロヴァルナ艦船あればこれを追尾」

 そして、

「開戦命令あらばロヴァルナ沿岸部の海軍基地を核攻撃せよ」

 との、封密命令を受け取っている。

 少将は出港を前に自宅に電話をかけ、妻に向かって「少し出かけてくる」とだけ告げた。

 それから、ただひとりの愛娘に宛てた手紙をしたため、投函している。

「もう手紙も書けないかもしれません。母さんを大事にし、立派なひとになり、誰か素敵なひとを見つけて下さい。御身お大切に」

 ―――世界は、共通の悪夢を見始めた。



(続)

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