随想録36 一三日間危機①

 ―――世界は、滅ぶかもしれない。

 いつか戦略爆撃機や弾道ミサイルが頭上からやってきて、知的生物の抗いなど成す術もなく、営みも、街も、文明も、全てが一瞬で蒸発する。

 西も東も。陣営も中立も。敵も味方も。

 正も邪も。希望も絶望も。先進国も後進国も。

 区別も何もあったものではない。

 そんな恐怖が本気で信じられていた時代。

 この畏怖、戦慄、憂慮は、例え知識として分かり得たつもりになったとしても、おそらく同時代を生きた者にしか皮膚感覚としては到底理解されまい。

 歴史は、それを「冷戦」と呼ぶ。



 星暦九六二年の一〇月。ある秋空の日。

 オルクセン連邦首都ヴィルトシュヴァインを出た一台のクーペ型スポーツカーは、ハンドルを握る者の巧みな運転のもと、まず首都西方のアウトバーン一〇三号線に入った。

 オルクセンでも指折りの自動車メーカーであるヴィッセル・ワーゲン社が企画し、自社の大衆車をベースに、国内とエトルリアのデザイナーの手に依り設計をやり、生産、販売しているカレルマンギアのタイプ一後期型に属するそのカブリオレは、一五〇〇CCの水平対向四気筒エンジンを唸らせて、僅かな距離を走ったところにある最初のインターチェンジで降りた。

 ちょうど首都と、西方郊外の避暑地として有名な街の中間付近、ヴィルトシュヴァイン植物園の辺りだ。

 こんな面倒なことをやったのは、尾行を撒くためである。

 カレルマンギアの持ち主である女性には、ちょっとした外出にさえ、ひっそりとした「荷物」がつく。

 黙して受け入れていることが多いが、たまには煙に巻いてやり、存分に羽根を伸ばしたいときもある。

 そんなときは、事前提出の予定表を無視して、まずいきなりアウトバーンに乗ってやる。

 すると、ヴィルトシュヴァイン警察に属する最初の尾行チームは管轄外となるため、国家憲兵隊高速隊に慌てて連絡をとり、あとを引き継がなければならない。この僅かな隙を利用して、スピードを出し、最初のインターで降りてしまうのだ。

 こんな無茶をやるため、幾らか―――というよりかなりの速度超過をしていて、助手席の同乗者を慌てさせている。

「ふふ・・・」

 ハンドルを握る女性は、ふと、先立たれて随分と経つ夫を思い出す。

 あれは、自動車が発明されてすぐのころだった。いまと比べればずっと低速の、這うように進む代物に夫は目を輝かせ、世界に先駆けて工業的に量産された一台を納めさせて、自ら操縦して街へと乗り出し、周囲を慌てさせたものだった。

 それは夫の生涯でいえば、晩年に近い。いまにして思えば僅かな時間であったけれども、自動車の魅力は彼の子供のような笑顔から教わったように思う。

 いまでも彼女は、日常的な整備や洗車、ちょっとした修理は自ら行う。それは夫から習ったことでもあるし、彼女自身の流儀にも合致していた。

 艶やかな黒いボディのカレルマンギアは、連邦道路こくどう沿いにあった軽食堂に滑り込んだ。

 まだ昼前だったが、客は多い。

 かつては首都の大通りで屋台を引いていたという、コボルト族店主夫妻の作るサンドウィッチが、この種の店のものとしては大変美味なことで有名なのだ。コーヒーも良いものを出す。

 同乗者である友は、その名代のサンドウィッチを注文した。

 男物のサングラスをかけたまま入店したカレルマンギアの持ち主は、長めの焼きヴルストをパンに挟んだものを頼む。飲み物はコーヒーだ。

 第二次星欧大戦終結からこのかた、市井ではカレーヴルストや炭酸飲料が流行っているが、今日は昔ながらの軽食を楽しむことにした。

 店内のラジオでは、この夏にオルクセンでもヒットした、キャメロット人トランペッターのスウィングが流れていた。何処となくロヴァルナの民族音楽を思わせるのは、曲のタイトルからの連想もあるかもしれない。

 コボルト族バーナード種の主が、自らケチャップとマスタードを施してくれる。

「おまち」

「ありがとう」

 礼を述べ、まずは一口かぶりつき、熱いコーヒーを啜る。

 美味い。

 ヴルストの焼き加減と肉汁が良かった。

 パンも豊潤で、柔らかい。きっと毎日仕入れているのだろう。

 すっかり秋の今頃には、コーヒーの温かみも有難い。

 長年の友はと言えば、この店自慢のハムサンドに呻いていた。ベルグルンドハムが何枚か、セミハードタイプのチーズ、隠し味に玉葱を細かく刻んだラードを挟み込んだやつだ。

「何処かで焼きドングリ売りも見つけたいな」

「もうデザートの話ですか」

 わざわざ自ら屋台を探さなくとも、貴女の忠実な執事に命じればいいでしょうといった響きが口吻にある。

「あれはな、寒空の下、屋台で食うから美味いのだ。白ワインとともに」

「そんなものですかね」

「ああ。そんなものだ」

 それぞれ注文の品を平らげかけたときだ。

 トランジスタ式のホームラジオから流れていた音楽が、突然途切れた。国営放送のアナウンサーが明らかに緊張気味の声で告げる。

「重大ニュースが入りましたので、番組を中断致します。キャメロット政府の発表に依りますと、ヴルカン半島にロヴァルナ連邦の核ミサイル配備が確認されました」

 客はぴたりと会話を止めた。

 そんな。何かの冗談だろう。だがアナウンサーは同じ言葉を繰り返した。

「重大ニュースが入りましたので、番組を中断致します―――」

 客たちは軽いパニックを起こしかけていた。

 オーク族も、コボルト族も、ドワーフ族も。牡たちはテーブルを起ち、牝たちは悲鳴をあげる。

「姐様」

「うん―――」

 視界の隅で、店の駐車場に国家憲兵隊のバイク二台が滑り込んでくるのが見えた。

 彼らはオーク族の巨躯からすれば信じられないほど俊敏に降車して、姐様と呼ばれた女のカレルマンギアを確認している。すぐに目的の車だと気づいたらしい。店へと向かってくる。

 彼女の愛車は一種の特別仕様で、市販のものと違いエンジンは排気量一二〇〇CCから一五〇〇CCに変更されているし、「シーリ」という小さな銀色の特製プレートがテールランプ近くに張り付けてある。そして何よりもナンバープレートのアルファベットと数字とが、ある特殊な組み合わせになっていた。

 彼女は立ち上がった。

 サングラスを外す。

 傍らの友―――イアヴァスリル・アイナリンド退役少将には、軽く頷いただけだ。

「皆さん、まずは落ち着きなさい! 政府から特別の指示があるまでは、決して慌てないよう!」

 客たちは彼女を見やり、正体に気づき、毅然としたその姿に二重の意味で驚いていた。

 長躯のダークエルフ族。後ろで纏めたセミロングの栗髪。凛々しい眉の目立つ美貌。

 報道紙やブロマイドで、国民にはよく知られた姿だったからだ。

 国家憲兵隊員がやってきて、さっと彼女に敬礼を捧げた。

「女王陛下。お迎えに参りました。ただちに王宮にお戻りください」



 ―――のちに「一三日間危機」と呼ばれる事件は、星欧はおろか世界中を衝撃が駆け巡った一〇月一八日より四日前に始まっていた。

 一四日午前三時。

 南星欧エトルリア共和国のサンタンジェロ基地を飛び立ったキャメロット空軍のキャンベリーPR.一〇型偵察機は、高度を性能一杯の二万一三〇〇メートルまで上げ、東の海上を越え、ユーゴスラヴァ社会主義共和国の領空を侵犯した。

 正式には西アスカニアにいるはずの第五八飛行隊に属するこの機体は、まったくの特殊作戦機であると言えた。

 本来は、軽快な双発のジェット爆撃機としてキャメリッシュ・エレクトリック社が開発したキャンベリーの、翼面積を増大。エンジン推力も従来のものより五〇パーセント強化したものを搭載し、二五四〇ミリレンズの長焦点カメラに代表される昼間及び夜間用の垂直写真機、電波高度計などを装備させたものだ。

 爆撃機時代から残る胴体下部の回転式爆弾倉には、夜間偵察に備えて二一発のフラッシュ弾も搭載できる―――

 通称「飛び出しナイフスイッチ・ブレード」。

 二八機生産されたうちの一機であるWH八七六号機は、ボスナ・フムスカゼビア、ネマニッチ、ポドゴリツァという具合に、ヴルカン半島のユーゴスラヴァをぐるりと巡り、そして何よりも飛行経路内を撮影したフィルムを持ち帰ってくることが任務だ。

 航路は、約一六〇〇キロ。

 キャンベリーPR.一〇型機にとっては、戦闘行動半径一杯である。

 自ら操縦桿を握る飛行隊長ピーター・ロス少佐は、大戦中に「救国戦闘機」と呼ばれた傑作機メイフィールド・ケストレルの偵察型を与えられて以来、この分野を担ってきたベテランだ。

 出撃前には、いつもの習慣でベーコン・アンド・エッグスを食べた。いまではどうということのないメニューだが、食糧統制の厳しかった大戦中は、出撃前の者だけに与えられる「ご馳走」だったのだ。彼個人にしてみれば、今日もまた無事戻ってくるための験担ぎのような存在になっている。

 ロス少佐には、なぜこのように危険な飛行をやらねばならないのか、理由まで分かっていた。

 ちかごろ、ユーゴスラヴァの各港にはロヴァルナ社会主義共和国連邦の船舶が頻繁に出入りしている。

 排水量一万七〇〇〇トンの大型貨物船アナドィリ号、同五四〇〇トンのチェルネンコ号をはじめ、タンカーまで含まれる。

 三〇〇〇名を超えるロヴァルナ陸軍の軍事顧問団が到着したという情報もあるらしい。

 多数のトラック、弾薬、火砲、戦車、戦闘機などが陸路及び海路で運び込まれている―――そんな兆候も。

 そうして、これら軍事供与をロヴァルナ連邦に要求したのは、ユーゴスラヴァ社会主義連邦首相ブロズ・ティトその人だという。

 ―――どうして。

 第二次星欧大戦におけるアスカニアへの抗戦期間を通じ、世界で唯一、共産主義の盟主ロヴァルナ軍の手を借りずに自力で共産主義化に成功したユーゴスラヴァと指導者ティト。

 彼らは当初、ロヴァルナ連邦の指導者にして独裁者コバーリンから敵視された。

 一種の「異端」だと見なされたのだ。

 ティトが、ロヴァルナになんら相談することなく、ヴルカン半島西岸の国々と一種の共同体を作ろうとしたことが、直接の引き金だったとされている。

「ロヴァルナの指導的役割を無視している」

 ロヴァルナの「赤い皇帝」コバーリンが、キャメロットを中心とする西側諸国と対立を深める過程で東星欧諸国を厳格に管理するようになると、この方針と相入れないユーゴスラヴァの除外を図った。

 東側の経済ブロックである経済相互援助会議コメコンから除外され、制裁を浴びることとなったユーゴスラヴァは、餓死者を出すほどに困窮した。

 本来なら、西側諸国の盟主キャメロットにとって、ティトを自陣営に引き込むチャンスであったかもしれない。

 事実、キャメロットにはユーゴスラヴァに一五億クィドの経済援助を与える計画が存在したが―――

 ティトは、西側諸国のやり口もまた、相容れないものであると断じた。

 彼が目指したのは、あくまで社会主義体制だ。

 ちょうどこのころ、キャメロットがグロワールと謀って強引に「砂漠の大動脈」エレッセア運河へ侵攻、国際管理下に置くことに成功していた影響もある。

 ティトにしてみれば、彼らは植民地主義者にして帝国主義者、抜け目のない覇権主義者と映った。

 結果として―――

 度重なる接触にも関わらず、西側陣営への参加をのらりくらりと躱すティトを、キャメロットもまた危険視するようになる。

 キャメロットの秘密諜報機関SISは、ティトの失脚を狙った極秘のテロリズム計画ジェネット作戦を実施。元々複雑なものであったユーゴスラヴァ国内の民族対立を煽り、五〇〇〇ヶ所以上の破壊工作、ビラや出版物の散布といったプロパガンダ工作、果てはティトの暗殺計画といった謀略を繰り返した。

 ―――ティトは、ロヴァルナとの和解と東側体制へ加わることを決意する。

 完全にキャメロットの手落ちであった。

 ティトにとって幸いであったのは、このころ「恐るべき独裁者」コバーリンが死去。次代の指導者フルシチョーリフが周辺との権力闘争にも競り勝ち、ロヴァルナ連邦首相に就任。彼もまたユーゴスラヴァとの和解を望んでいたことだ。

 水面下での交渉ののち、九六〇年二月にはロヴァルナ第一副首相の公式訪問が実現。そして翌年ユーゴスラヴァの旗色を鮮明にする共同宣言が出される―――

 同年四月には、早くも最初のタンカーが入港。

 明白にロヴァルナ連邦がユーゴスラヴァを援助する兆候が表れたわけだ。

 対抗してキャメロットは、地裂海艦隊をシシリア島沖に集結させ、大規模な「上陸演習」訓練を繰り返していた。

 一個スコードロンの高高度偵察機を西アスカニアからエトルリアへと進出させ、越境偵察を実施してもいた。

 果たしてこれが、共産主義陣営の拡大を押しとどめることに繋がるのかどうか。

 ロス少佐の操るキャンベリー爆撃機偵察型は、予定のコースを約二時間で飛び終え、エトルリアの空軍基地に帰還した。

 すかさず地上整備員たちが七台のカメラからフィルムを回収し、特別規格の密閉容器に収め、待機していた連絡機役の別機に積み込む。連絡機が目指すのは、キャメロット本土だ。

 キャメロット空軍は、写真の解析技術に優れている。

 大戦前にはもう、高高度撮影した写真をステレオスコープで解析するという技法を生み出していて、しかもそれは第二次星欧大戦の全期間を通じて磨かれ続けていた。

 熟練した主任写真分析官は、大きく引き伸ばされた、素人目には全く粒子の粗い現像写真の数々を拡大鏡で眺め、ザフムリェ地方の県都モスタリ郊外を撮影した一枚に注目した。

 情報部の連中が、分析官たちには想像もつかないルートから「慌ただしい動き」を察知し、偵察飛行隊に対してとくに撮影を命じた場所である。

「なんてことだ、こいつは・・・」

 分析官は呻いた。



 キャメロット連合王国第六五代首相ハロルド・マクラーレンは、「危機に際しても冷静な男」という評判を国内外から得ていた。

 ここより約五年前の出来事だった政権の滑り出しも、上々であったと言える。

 前任であり、同じ保守党のエイヴォン内閣がエレッセア運河侵攻を成功させ、通貨クィドは強さを保ち、その人気を引き継ぐかたちで首班指名を受けることが出来たからだ。

 ―――「帝国の道エンパイア・ロード」は辛うじて保たれていた。

 キャメロットは、第一次及び第二次星欧大戦で連合国の中心を担い、競り勝ち、「帝国」の地位を維持し続けている。

 その実態は、莫大な戦費の負担と、戦後復興の中心役、東西冷戦の西側首魁を務めることで、青色吐息であったが。

 一例を挙げるなら、第二次星欧大戦終結後、西アスカニアに駐屯する占領軍をはじめとする旧枢軸国の占領経費は、年間一億クィドを越えていた。

「勝利することで、途方に暮れた帝国」

 などと呼ぶ者までいる。

 マクラーレンは、「現実主義者」でもあった。

 ―――最早ただ一ヶ国で世界を背負うことなど、不可能だ。

 保守党の戦後方針を引き継ぎ、グロワールから批判のあった西アスカニアの自立経済復興方針を明確化し、星暦九六〇年に星欧自由貿易連合を発足させたのは、彼である。

 星欧経済全体の早期復興と発展こそが、自国の疲弊を回復させ、相対的にキャメロットを生き長らえさせることが出来る―――

 結果的にこの政策は、東側経済圏との完全な断絶を齎し、「冷戦」構造を完成させる役も担ってしまった・・・

 一〇月一六日火曜、午前九時前。

 内務大臣リチャード・ウォールデンは、ブラウニング街一〇番地―――即ちキャメロット首相官邸から電話連絡を受けた。首相秘書官ではなく、マクラーレン直々のものだった。

「ともかく来てくれ」

 理由は明かされなかったが、ウォールデンは詳細を尋ね返さず、直ちに身支度を整え、官邸に向かっている。

 マクラーレンは、決断力に溢れ、機敏で、能力のある首相だ。

 見た目は紳士然としていながら、感情の起伏が激しかった前任者とは違う。

 閣僚と一対一の関係を築き、自ら磨き上げた能力で内閣を統轄し、冷静沈着に議会と渡り合う、おそらく戦後キャメロット最高の首相であるとまで、ウォールデンはみている。

 そうでなければ、保守党党首及び首相の座を競い合った己を、片腕として抱きかかえることなどできない―――

 そのマクラーレンが直ぐに来いというのだから、よほどの一大事である。

 理由など尋ねる必要はなかった。

 首相官邸に到着すると、マクラーレンの忠実な秘書のうち一名で外務省からの出向であるフィリップ・ベネシーがウォールデンを迎え、面倒な取次無しに奥へと通した。

 外務大臣ダグラス・ギネス、国防大臣のハロルド・ウィルキンソン、統合参謀総長、陸軍参謀本部長、海軍第一卿、空軍参謀長、それに軍事諜報部の長官が先客として既に来ていて、ウォールデンと会釈したが―――

 彼らの顔を見るなり、ウォールデンの鳩尾の辺りに、まるで氷塊を押し当てられたような嫌な予感がした。

 何か、ろくでもないことが起きたに違いないのだ。

「やあ、リチャード。早くから済まない」

 マクラーレンが告げた。

 アレクサンドリナ朝時代に生まれ、第一次大戦に従軍、後遺症の残る銃創まで負った首相は、相変わらず嫌になるほど冷静な表情だった。

 とても、立ち上がると体を傾ける癖のあるほどの戦傷が残っているようには見えない。

 品のよい白髪に、ブラシ髭。本来は人懐っこさを感じさせる目元をしているのだが、こんなときはまるでフォックスフォードで教鞭を振るう哲学者だ。

「一つ、彼らの説明に耳を傾けてやってくれ」

 首相は頷き、軍から説明役に伴われてきた写真分析官に促した。

 分析官は、大きな黒いアタッシュケースから、引き伸ばされたパネル三枚をイーゼルに立てて、指示棒を当てた。

 ウォールデンには、牧歌的な田舎の光景に見えた。

 高倍率で撮影された、上空からの眺め。曲がりくねった街道。点在する森と平野。とある平地には、長い筒のようなものが幾つか置かれていて、また別の一画には白っぽい楕円形の何かが整然と並んでいる。

 撮影場所は、ユーゴスラヴァ。サラエボズナ地方。

 分析官は、筒状のものを示した。

「R一二準中距離弾道ミサイル。北星洋条約機構呼称SS四。射程一六〇〇キロメートル。設置場所からは我が首都ログレスも射程内に入ります―――」

 ウォールデンは、後頭部を殴られたほどの強い衝撃を受けた。

 一挙に動悸が高まり、息が詰まる。

「搭載可能核弾頭は、推定三メガトン。我が国が先の大戦でアスカニアに使用したブルーベアード型原爆に換算して、約一八七発分です。発見されたのは約三〇基」

「馬鹿な・・・!」

 ウォールデンは、喘ぐようにして叫んだ。

 衝撃は二重のものだった。

 第二次大戦でアスカニアがポルスカに侵攻したと聞かされたときと同じ、まるで奇襲攻撃を浴びたような、ロヴァルナに騙されたという気分。

 そして、一体どうしてロヴァルナはこのような行動に出たのかという疑問だった。

 従来、ロヴァルナは所有する核兵器を厳格な自国管理下に置き、自らの藩屏たる東部星欧諸国にさえ配置も供与もしてこなかった。主に、東アスカニアに代表される諸国への不信感が原因らしい。

 それが、よりにもよって、どうしてユーゴスラヴァなどに―――

「第一、本当にこれが準中距離弾道ミサイルだと、どうしてわかるのだ? 私には、どうってことのないトラックに見えるぞ」

 己でも気づかぬうちに、この事態を否定したいという思考が働いたものか、ウォールデンは喘ぐように問い詰めた。

「長さです、大臣閣下」

「長さ?」

「はい。この物体の長さ、配置です」

 分析官たちは、無論この偵察写真を徹底的に調べあげていた。それは撮影枚数にして三〇〇〇枚、時間では三六時間にも及んだ。

 そうしてこの筒状の物体が、白い構造物とケーブルで繋がれていることを確認し、また写真解析における新兵器―――電算機を使って筒状構造物の長さを計算した。

 約二〇メートルであるという答えが出た。

 これが、ロヴァルナ首都マスクワの星の広場で行われる軍事パレードで公開、撮影されたSS四ミサイルの特徴と一致する―――

 騒めくウォールデンらを制するように軽く手を挙げたマクラーレン首相が、静かに、まるで動じていないかのような様子で尋ねた。

「そのミサイルの発射準備が整うのはいつごろかね?」

 分析官は、一〇日以上かかると見られます、と報告した。

 核弾頭が到着していれば、これを保管保存するための施設が必要だが、ミサイル周囲一帯にそのようなものは観測できていない。

「諜報面でも同様の報告が上がっていますから、これは間違いないでしょう」

 軍事諜報部長官が補足する。伝統的に歴代全員が「M」と呼称されている男だった。

 これに対し、統合参謀総長を務める海軍元帥は異を唱えた。

 それは何か根拠になる理屈が手元にあるからではなく、対処が遅れた場合の軍事的リスクを指摘するという、彼自身の役割を果たすためのものだ。

「発射台が早期に完成する可能性もあります。そのような事態を座して眺めているわけにはいきません。既に海軍の空母部隊は現地付近に展開済みであり、エトルリアの空軍基地も近い。いつでも御命令があり次第、軍はこの脅威を直接取り除くことが出来ます」

 弱ったことに、統合参謀総長の発言には説得力があった。

 彼は第二次大戦中、地裂海方面で駆逐艦を指揮して同艦が戦没するまで戦い抜き、幾つもの作戦を指揮し、戦後もマウリア総督を始めとする国家の要職を務めた、大物貴族だったのだ。

 経歴の面からも、マクラーレンでさえ一目置かざるを得ないところがあった。

 また統合参謀総長は、ユーゴスラヴァから弾道ミサイルが発射された場合、西星欧諸国におけること、対処を誤ればその僅かな時間の後にことを指摘した。

 言うまでもなく、キャメロットの喉元にナイフを突き立てるかたちで設置された弾道ミサイルとは、重大な脅威に他ならず、どのような手段を採るにせよ排除しなければならない―――

「・・・・・・」

 首相の沈思は長かった。

 表面的には冷静沈着そのものだったが、彼の内心はロヴァルナ連邦首相フルチョーリフへの怒りで満ちていた。

 マクラーレンには、苦い経験がある。

 この前年、オルクセン首都ヴィルトシュヴァインで開かれた現在のところただ一度の首脳会談で、マクラーレンはフルシチョーリフから「いいようにあしらわれて」しまったのだ。

 あの魁偉な容貌のロヴァルナ首相は、マクラーレンをまるで骨董品であるかのように扱い、キャメロットの「歴史的悪行」とやらを講義し、挙句の果てに「いつでも西アスカニアを占領できる」と豪語の上、そのためには「核の開発競争も躊躇わない」と態度で示したのだ。

「キャメロットが戦争をやりたいというのなら、いつでもやってみるがいい」

 しかもこの元金属工だったという指導者は、友好的な態度を示した直後、まるで人が変わったように無愛想となり、豹変し、マクラーレンを困惑させたのである。

 東西の緊張の高まりは想像を絶する事態を招きかねない、融和を図りたいと考えていた彼にしてみれば、散々に希望を持たされたあと、冷水を浴びせかけられたような、強烈で苦々しい経験だった。

 しかも、だ。

 この年の初頭、フルシチョーリフは仲介者を通じて「互いのためにも、しばらくは外交上の摩擦は回避したい」というメッセージを送ってきていた。

 ―――そこへ、この核ミサイル騒ぎだ。

 舌の根も乾かぬうちに!

 マクラーレンにとって、フルシチョーリフへの「何を考えているのか分からない男」、「大嘘つき」、「マフィアの親玉のような男」というイメージを増大させてしまった。

 冷静沈着にして、普段の物腰が柔らかであり、決断力の早い人物というのは、往々にして一度相手を叩き潰す相手と認識すると、例えどれほど時間がかかろうとも、機会を捉え、相手を叩き潰そうとする。

 このときマクラーレンの思考は、大きく軍事的選択へと傾こうとしていた。

 問題はその具体的内容だ。

「まずは偵察飛行の強化―――」

 空爆を行うにしても、侵攻に踏み切るにしても、目標の精確な確認が不可欠である。

 マクラーレンは、軍に対して作戦計画の立案を命じた。

「おそらく、前者を選ぶことになると思うがね」

 ユーゴスラヴァに対し空爆を実施する、との意であった。



(続)

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