随想録35 海道⑧

 シルヴァン運河計画は、待ちに待っていたグロスシュタット・トンネルの開通を迎えた。

 フヴェルゲルミア・ダム本体工事を担当する第五工区にとって、いよいよ本格的なダム建設が始まることを意味する。

 ただし、彼らはこの約三年間、ただ切歯扼腕して待ち構えていたわけではない。

「ダムとは、コンクリートと岩盤の結婚である」

 とは、プロジェクトを指揮指導するダム工学の権威アドルフ・ルーディング教授の口癖だ。

 巨大なダムを建設するには、まず現在の流れを堰き止め、仮水路を作り、川底を剥き出しにする必要がある。

 両側斜面についても表層土を取り除いて、硬い岩盤を露わにしなければならない。

 また現地で膨大なコンクリートを打設していくには、コンクリートの混合施設、打設用のクレーン、セメントサイロ、はたまたそれらに要する操作技量者、作業員の受け入れ施設が必要だ。

 これらの準備作業は、グロスシュタット・トンネルの迎え掘り段階から、排出土なども利用して進められていた。

 トンネル完成までの準備工、仮設工といえども、いったい、必要資材や機材の類はどうしたのか。

 信じられないことだが、全て歩荷隊を使って運び入れた。

 まったく、フヴェルゲルミア・ダム工事における歩荷隊の活躍は、枚挙に暇がない。

 オルクセン全土の山岳地帯から集められた者たち。

 そして現地のダークエルフ族。

 総勢約四〇〇名。魔種族の強大な体力を用い、ひとり当たり最低でも一〇〇キログラム以上の荷を担ぎ、新たに取り付けられた登山道を使って連日現場に向かった。

 ルートは二つ。グロスシュタット側から一・六キロを片道一泊二日で登るものと、旧エルフィンド側クヴィンデア村を拠点にしてヘレイム山脈を越える方法である。前者はオーク族たちが、後者はダークエルフ族たちが使った。

 距離としてはクヴィンデア村のほうが近かったが、こちらは傾斜も大きく、シルヴァンの渓谷に架けられた細い吊り橋を越えなければならない。

 不幸なことに、歩荷隊はこの困難な三年の間に六名を失っている。

 歩道と言ってもオーク族が立てば、もうそれだけで横幅一杯という狭さの断崖絶壁を往くのだ。背負った荷が斜面に触れる、バランスを崩す、脚を踏み外すなどということがあれば―――あとは転げ落ちるしかなく、確実な死が待ち構えている。

 こうした犠牲をも払いつつ、トンネル貫通までの第五工区で使用されたありとあらゆる物資は、シャベル一つ、発破用火薬一箱、食糧の馬鈴薯一包といえども、ほぼ全て歩荷隊の苦闘に依って運び込まれたわけである。

 信じられないことだが、歩荷が両ルートから運び込んだ資器材、食糧などの総重量は六七〇トンを超えている。それも冬季における中断を挟んだ条件だ。

 ウルフェン・マレグディスが代表を務めるヘレイム山脈ルートの、しかも一年分だけでも内訳を覗いてみると、掘削のためのスチームショベル及び岩石排出用のトロッコ車を分解したもの合計一九トン、軽便鉄道レール二六トン、工具三〇トン、火薬六トン、石炭四六トンという、瞠目するしかない数字が記録されている。他に小麦粉、食糧・・・

「しかし、いい稼ぎにはなったよ」

 ダークエルフ族たちは語る。

 報酬はこのころのアデナウアー社正規社員より高額で、「五名の歩荷が一名の作業員を支える」とまで称された。

 彼女たちの中には、工期中の稼ぎで一軒家を建てた者まで出ている。

 怖くないのかと尋ねられれば、

「そりゃあ、怖いさ―――」

 ウルフェンは答えている。

「だが、私は運がいいからな」

 決まって、そんな風に締めくくった。

 彼女はアンファウグリア山岳猟兵だったベレリアント戦争中、首の右側部に銃創を負ったことがあった。戦争最末期、ストロステンブロウの戦いでのことだ。

 衛生兵からエリクシエル剤の投与を受け、

「お前さんは運がいい。ここに命中弾を受けて助かった奴はほぼいない」

 驚嘆された。

 いまでも、うっすらと傷跡が残っている。

 彼女はいつも山岳地では見ない「オルクセン土産」のスカーフを巻いていて、当初、フォルクナーは彼女のそのような過去にも、銃創の跡にも気づかなった。

 深い仲になってから、知った。

「・・・隊長さん。気味悪くないかい? その傷跡」

「夢にも思うものか、そんなことは」

「そうか」

 こうして最低限の準備を、迎え掘りと並行して実施した第五工区であるが―――

 八八二年七月にグロスシュタット・トンネルが全面開通したとき、問題となったのはこの年の残り工期だ。

 既に初夏。

 あっという間に、シルヴァン川中央分水嶺周辺は雪深い冬季を迎えてしまう。

 第五工区でさえ冬季における工事継続が可能であることはもう分かっていたが、屋外作業は困難を伴う。

 冬の降雪、降雨のなか、川底や斜面での施工など不可能に近い。

 水嵩も増すから、仮設の止水堰近くで越冬することも大変な危険が予想された。

 ならばこの夏のうちに、少なくとも準備工とダムの基礎工事一部だけでも完了しておきたい―――

「しかし、そのようなことが可能なのか」

 運河協会側の工区責任者ルーディング教授、建設事務所副所長フォルクナー少佐、請負側アデナウアー社現地代表シュトラウス現場事務所長らは、既にトンネル貫通時期の見通しがはっきりと立った六月のころから会合を重ねた。

 当初計画では、渓谷斜面及び底部の表層土を取り除くには、空気圧搾掘削機による穿孔と発破、建設用重機を用いた掘削の積み重ねをやることになっていた。

 ベンチカット工法という。

 この工法は、掘削予定箇所を図面通りに施工できるというメリットがあり、既に第二工区のロザリンド渓谷などで採用されていたが、時間がかかるというデメリットもあった。

 ベンチカットを使っていたのでは、当然ながら冬季に間に合わない・・・

 そこでアデナウアー社シュトラウスが提案したのが、

「大発破をやりたい」

 というものである。

 このオーク族ベテラン技師の言うところの「大発破」とは、渓谷の表層部分に無数の穿孔を施し、多量の爆薬をしかけ、一挙に発破をやる―――すると岩盤が剥き出しとなり、渓流底にこの土砂が流れ込み、仮排水提も出来上がる、という寸法だ。

 だが、言葉で述べるのは容易い。

「危険だぞ、それは・・・」

 ルーディング教授でさえ、即断は出来なかった。

 これほどの規模の発破となれば、火薬量は世界記録級となる。しかも不発が生じれば、一帯は危険地帯となるだろう。

 早発事故の可能性もあった。現に第二工区では、死者二三名、重軽傷者四〇名という大惨事を既に招いている。

 一度失敗すれば、誰も近寄りたがらない状態に陥るに違いない。

 ダムと「結婚」させることになる大事な岩盤そのものを、傷つけかねないという懸念もあった。

 つまり、たいへんリスクの大きな一種の「賭け」であった。

「・・・工兵隊の指導監督を受けさせるならば、どうでしょう?」

 条件提案をしたのは、フォルクナーだった。

 装薬はもちろんのこと、雷管、導火索、手動式発電発破器など扱いについて作業員たちに教育を施し、徹底的な安全管理の下に実施する―――

「それならば・・・」

 教授も同意を示した。

 実際の準備作業は、トンネル貫通前から始められた。

 蒸気式発動機や、コンプレッサー、圧縮空気を送り込むための鋼管があちこちに据えられ、直径四センチから五センチ、深さ二メートルという穿孔を大斜面の各所に施す。

 歩荷隊のみならず、大鷲軍団の空中輸送をも使って、必要機材類は整えられた。これまた信じられないことだが、多くの機材は分解のうえで、巨大な砂糖塊を蟻の群れが運ぶようにして現地に持ち込まれ、再度組立と整備が図られて、使用されたのである。

 トンネルが貫通し、二カ月の後始末をやってから軽便鉄道が全開通したとき、最初に第五工区へと運び込まれたのは、約六〇トンという途方もない量の発破用火薬だ。

 平貨車に柵を覆っただけの車両の群れに、厚紙被覆筒型発破薬二五〇本入りの木箱ばかりが大量に積み込まれて、防水性帆布のシートが被せてある。

 貨車換算にして約五〇両分以上になった。

「・・・・・なんて量だ」

 誰しもが、息を飲んだ。

 ―――

 あの第二工区における発破作業の、約三回分である。

 資材輸送第二便では、直径六メートルの巨大な鉄管を細かく輪切りにしたものが幾つも届いた。ケーブルクレーンで峡谷底部へと降ろし、仮設止水提の導水路とするためのものだ。アーク式の現場溶接で繋ぎ合わされ、設置が進められた。

 外部電源の確保が難しい場所などの一部には、火壺によるアルミニウムと酸化鉄混合物が溶接に使われた。これはあのオルクセン海軍対艦焼夷弾の技術と同じもの―――というより、その源流である。彼らの臨機な鉄道敷設が迅速なのは、理由もあることなのだ。

 計算上、「大発破」で吹き飛ばされる表層土及び岩石は、約七〇万トンに達する。

 陸軍の工兵隊がやってきて、教育及び指導をやり、慎重な敷設作業が進んだ。

 穿孔、装着作業だけで一カ月以上を要した。大斜面に無数の牡たちが登り、重い掘削機を支え、削岩と穿孔をやり、工事用火薬を詰めていくわけである。

 最後に、口のところを泥や砂で塞ぐ。

 フォルクナーやアデナウアー社シュトラウスが毎日早朝から目を光らせ、少しでも緊張感が弛緩していると見て取った者には叱咤をし、容赦なく当直から外した。

 そして、八月二〇日―――

 山肌で作業をしていた二〇〇〇名の牡たちが退避し、下流側の山腹へ集合し、息を飲んで見守るなか。

 点火スイッチが入れられた。

 轟音。巨大な怪物のように脈打ち、盛り上がる山肌。土煙が辺り一帯を多い、何も見えなくなったあと。

「約二〇秒後に、待望の固い岩盤層が姿を現した」

 と、フォルクナーは記録している。

 土砂が一挙に崩れ落ち、シルヴァン川にまで達していた。

「こう、ドォォンときてね。見る見るうちに、あのフヴェルゲルミアの下流がせき止まっちまった。たいていの事には驚かなくなっていたつもりだったけれど、しばらくは言葉も出なかったね」

 こちらは、ウルフェンの証言。

 あらかじめ敷設されていた巨大な導水管を覆うようにして、仮止水壁がほぼ完成した―――



 山肌に残った土砂の片付けや撤去といった作業には、約一か月を要した。

 ただちにコンクリートプラント、コンクリートサイロ、ケーブルクレーンなどを敷設する準備工が始められた。

 あのグロスシュタット・トンネルには、終始輸送列車が行き交うようになった。

 食料事情も大幅に改善され、骨材製作を担当する第六工区からは、どしどしとコンクリート製造に要する骨材が運び込まれている。ヴィッセル社のモーリア製鉄所から届く、鉄材もあった。

 アデナウアー社では冬営に備え、コンクリート製の宿舎を造った。第四工区で悲劇的な犠牲を出した、雪崩などへの備えも万全にする意味があった。

 まったく、このころになると労務環境は大幅に改善していた。計画の開始当初や、困難に満ちた初年度の冬営を思うなら、天と地ほどの差がある。

「オルクセンは、労働者に甘すぎる」

「こんな工事は、我らにはやれない」

「どうかしている」

 訪問する諸外国の要人、報道筋などは、しばしばそんな感想を口にした。

 山深い第五工区はともかく、他工区では技師用クラブハウス、協会設営の交流クラブ、酒場、レストラン、病院、末端の独身作業員でさえ二名一部屋という立派な宿舎が、まるで当然のことだというように出来上がっていた。

 食事は、ひとり三〇レニも払えば立派なものが食べられた。これは市井の約半額である。

 クラブハウスともなると、オルクセン式の五皿や六皿という豪華な食事が注文できる。

 病院の入院費は一日一ラングであったが、これは例の先行導入された社会保障制度により、半分が国家持ち、もう半額が協会と企業負担だ。怪我や罹病をした労務者たちは、一レニの自己負担もなく、安心して入院することが出来た。

「看護師さんたちが、これがまた皆、生みの母親さえそこまでの慈愛はないだろうというほど、優しい方ばかりでね」

「大部屋でもしっかりとしたベッドと毛布。清潔なシーツ。いつまでも居たかったな」

「風邪を引くとね、滋養をつけろというので、毎晩ウイスキーを飲ませて貰えた。もちろん、ほんの一口だったけれど。美味かったな」

 これら証言の数々が残っている。

 第五工区でさえ、容易に休日を取れるようになった。正確なダイヤグラムで運行される連絡列車に乗り、他の工区を見物にいったり、モーリアやアーンバンドで「汗を流す」ことが流行った。

 アデナウアー社も労働環境の改善に努めている。

 これは彼らに限ったことではないが、シルヴァン運河計画では「作業服」が用意された。

 国鉄を見習い、デニム地のオーバーオールを製作したのだ。

 シャツや帽子の類を購入できる酒保も整えられて、運河計画に携わる労務者たちは皆これを利用できた。

 ここから二〇年三〇年と経った工事でも、諸外国の労務者たちはてんでばらばらの古着などを着ていたから、これはたいへん画期的なことだった。

 給与体系も整備されて、熟練の労働者たち、貴重な、まだ誕生したばかりのスチームショベルの操縦者などには、月に三〇〇ラング以上という高額を稼ぐ者まで現れた。下級兵士の月俸が、一二ラングから一六ラングという時代だ。

 つまり居食住の全てが整えられて、負傷や病気の心配も無いとなれば、労務者たちはその気になれば貯金を図ることが出来た。運河計画の全てが終わったあとで故郷くにに帰り、「一旗揚げられる」ほどに。

 まるで社会主義の壮大な実験をやっているようであり、しかもそれはたいへん上手くいっていたため、影響を危ぶんだ外国筋までいた。

 アデナウアー社独自の対応もある。

 彼らダム本体工区の食糧事情は、「オルクセン一高い食材」と称された歩荷隊輸送のころと比べると随分と改善されていたが、それでも休暇に出る労務者たちに金を預け、

「牛肉でも野菜でも何でもいいから、どんどん買い付けてこい」

 と命じていた。

 そうやって、日々の食事量を少しでも多くし、またバリエーションも豊富にしようと図ったのである。現地に作られた鶏卵のための鶏舎も、ちょっとした養鶏場並みに拡大していた。

 ライ麦パン、ヴルスト、ベーコン、ハム、サラダ、ゆで卵―――

 膨大な食事が、労務者たちの口に消えていった。

「モリモリ食って、バリバリ働こう!」

 そんな標語が、食堂の壁に飾られることもあった。

 実際のところ、食事の楽しみに支えられた彼らの作業内容は、後年の者の感覚からすれば想像を絶するものがあった。

 例えばだが―――

 第五工区ではコンクリート打設のために、川底にコンクリートバケットを降ろすためのケーブルクレーンが作り上げられたが、これが全長約五〇〇メートルという、それまでの歴史上からみても最大規模のものであった。

 山間に最初のケーブルを渡すだけでも、大鷲隊に誘導索を持ってもらい、対岸に架けるという手間が必要だった。当然ながらそのクレーン自体も、鉄材一本、滑車の一つ、鋲の一本一本に至るまで作業員が山肌を登って据え付けたものである。

 打設位置となる地点の、岩盤の剥き出し作業も、困難を極めた。

 コンクリートを打設する場所は、ただただ岩盤が露わになっていればそれで良いというものではない。大斜面に鋼管が据えられ、蒸気式のポンプを使って揚水をやり、ホースにより岩盤を洗い―――

 なんとも信じられないことだが、そうやって洗浄された岩盤を、作業員一名一名がウエスで以て丁寧に磨いた。

 巨象の体に、小さな蟻が集っているような、途方に暮れたくなるような光景だった。

 こうしてこの年のうちは、準備工に明け暮れた。



 フヴェルゲルミア・ダムが本格着工を迎えたのは、星暦八八三年二月のことである。

 まだシルヴァン川流域には雪もあり、完全な冬季だった。

 工期内の完成を見据えて、アデナウアー社の第三次冬営隊が組織され、このような時期から作業を開始したわけだ。

 フェヴェルゲルミア・ダムの計画要目は、重高さ六五メートル、幅四〇〇メートル、提体容量三三八万立方メートル。

 当時、世界最大のダムであった。

 このころ最新の重力式コンクリートダムだ。同形式のものとしては、ずっと後年になっても星欧最大級を誇った。

 重力式というのは、コンクリートを主要材料とし、質量を使って水圧に耐える考え方をしている。

 極めて頑丈なのだが、硬い岩盤と、多量の材料を必要とするという欠点があった。

 フヴェルゲルミア・ダムの場合、砂と砂利で構成された骨材の必要量が約。この骨材と混合させるセメントが約という規模になった。

「設計をやった計画当初のとき、ルーディング教授のチームは六名の技師から成っておりました―――」

 これは、ルーディング教授の助手を務めていた、とある技師の証言。

「なにしろ当時は、電子計算機はおろか、アナログ式の計算機もありませんでしたからね。頼りになるのは計算尺と筆算のみ。その六名が、冬至祭の休暇も無しで毎日計算紙と向き合って、材料を算出するまで半年かかりましたよ」

 この膨大な原材料を供給するため、シルヴァン運河計画には骨材製作専門の第六工区が設けられていた。アーンバンド近郊の二本の河川から川砂を採取し、運河工区の排出岩を利用、また近くの山をまるまる一つ潰すようにして岩盤を採掘し、破砕し、ふるいにかけるのだ。

 またノグロストの港には、セメントを搭載した貨物船がどしどし入港し、荷揚げをやり、専門に建てられた倉庫に収めていった。

 これらは、工事用鉄道に積載されて、グロスシュタット・トンネルを通り、第五工区へと運び込むわけだ。

 ダム建設に豊富な経験を持っていたアデナウアー社の者たちでさえ怖気をふるうほどの規模で、彼らとしては一刻も早く完成させるため、冬季からのスタートを決意したわけである。

 残念ながら、冬季におけるコンクリート打設は遅々として進まなかった。

 原因は、残雪や気温といった天候の影響もあるが―――

 最新技術として投入されたケーブルクレーンの運用が、最新であるがゆえに、未知数でありすぎたことにある。

 コンクリートを詰め、クレーンに吊って空中を運び、底部へと降ろすバケットが、ゆらりゆらりと振り子のように揺れてしまったのだ。

「ぞっとしましたよ―――」

 クレーン技師のひとり、ヨハン・リンザーは振り返る。

「揺れたバケットを、労務者たちの頭上へ降ろすのですから。ちょいと叩いてしまったら、それだけで相手はあの世行きだ。おまけに誰かからコツを習いたくとも、こんな規模のクレーンを操ったことのある奴は世界中探してもいない。作り上げたメーカーの連中にすら予想もつかない。操れるのは私と、もうふたりだけだったんです。自らが体でレバー操作を覚え、風を読み、バケットの揺れ具合を殺してやる方法を編み出す―――そんな現場でした」

 リンザーは、毎晩寝床に収まっても頭のなかで操作を練習した。

 今日のあの風なら、こんな具合に揺れる。

 大きく振れたときは、あのレバー操作で相殺できる。

 バケットをコンクリートプラントに戻すときは、コツがある―――

 飯も喉を通らぬほどの、悩みの連続だったと、リンザーは語る。

 一方、打設側の労務者たちの証言は、やや趣を異にする。

「ああ、今日はリンザーの奴が乗っていやがるなと、一目でわかったね。雪解けを迎えるころには、抜群に上手くなっていたんですよ。こりゃあ、うかうかしていられないぞ、みんな気合を入れろ、勝負に負けちまうと怒鳴り合いました」

 なにしろ、当時はブルドーザーすら存在しなかった。

 降ろされたコンクリートがバケットから放出されると、これを川床に均すのは労務者たちの役目である。

 スコップを使い、レーキを振るい、全て己たちの体力一つで打設したのだ。

 コンクリートの打設には、時間との勝負のようなところがある。

 うかうかしていたのでは、固くなってしまう。これを防ぐため必要以上に水の量を多くしたのでは、品質に関わるので厳禁だ。

 リンザーにクレーンを操られると、この「勝負」が正に時間との戦いになった。あっと言う間に次のバケットが、それも見事に揺れを防いで降りてくる。

「急げ急げ!」

「ぼやぼやするな!」

「でれっとしていやがると、ぶちのめすぞ!」

 作業員たちは、不安定な板を足場に、必死にコンクリートを均した。

 ダムは、この年のうちに最も困難な渓谷底部の基礎掘削作業を終え、高さ一五メートルまで築提された。

 翌八八四年の一杯、そして八八五年の半分を要して、高さ五五メートルに到達。

 それは三〇〇〇名近い牡たちの、苦闘と困難と、時折発生する不慮の事故の、膨大な積み重ねだった。

 八八四年の暮れは例年に増して降雨と積雪が多く、増水した影響で仮止水壁の一部が決壊の危機に瀕し、工事村の一部が吞まれかかるという困難まで、彼らを襲っている。

「目の前で―――」

 フォルクナーは回想する。

「目の前で、木製宿舎の一棟が濁流に吞まれる光景を見たときには。退避が完了していたことを、豊穣の大地への感謝の言葉を呟きました」

 八八五年一〇月一日。

 ダム下部にある巨大な鉄製水門が降ろされ、シルヴァン川の流れはついに完全に堰き止められた。

 ―――一部貯水の開始である。

 中間湛水ともいう。

 上流側では、あの壮大なフヴェルゲルミアの滝の一部も、初年の調査行のとき粗末な丸太小屋が築かれた棚状地も、ダム湖の底に沈むことになった。

 しかし、誰も感慨に浸る暇はなかったという。

 残りの一五メートル部分を築提し、提上道路の作り上げ、周辺管理施設も含めた仕上げをやるまで、本当に文字通り時間との勝負が始まったからだ。

 急がなければ。

 この日までにグロスシュタット・トンネルと並行する形で完成していた導水坑を通り、運河本体への放水が始まったのは、一一月二六日のことだ。

 ―――あのフォルクナー隊の調査から、約七年経っていた。



 八八七年六月一〇日。

 シルヴァン運河は、ついに完成をみた。

 着工から八年。一〇年という当初計画を大幅に短縮し、渡り初めとなる竣工式を迎えた。

 このときにはもうオルクセンは旧エルフィンドの併合を終え、国号も「連邦」になっていた。

 新憲法発布の正式な予告も出され、国民は議会創設の話題に沸き、国王グスタフといえば万国平和会議の開催とオルクセン永世中立化の外交的下準備に追われていたころにあたる。

 信じられないことだが―――

 この種の大規模計画としては稀有なことに、工事内容の増加や、物価の上昇などといった要素を工期の短縮が吸収しきって、シルヴァン運河計画は当初予算を超過しなかった。

 これには諸外国までが感嘆と賞賛、賛辞を惜しまず、シルヴァン運河をエッセウス運河と並ぶ「世界二大運河」と称したほどである。

 開通式の日、グロススファーヘン港から海軍の装甲艦一隻が用意され、お召艦となり、国王グスタフ・ファルケンハイン夫妻を乗せ、渡り初めを行った。

 あのラーテ級装甲艦の二番艦であるリンツが、大役に選ばれた。

 装甲艦リンツがお召艦に選ばれた理由は、はっきりしていない。

 建艦技術の急速な発達により、もうこのころには、最新鋭艦とも呼べない存在になっていたからだ。

「ベレリアント戦争に間に合わなかったリンツに、国王陛下が花を持たそうとされたのだ」

 という説が海軍内に流布したが、確証はない。

 リンツが「シルヴァン運河を初めて渡った艦」だという、今日でもひとびとが信じる記録も、実は俗説に過ぎない。

 完成後のシルヴァン運河には、運河協会所属の大小様々な曳船が配備されたが、このうちとびきり大きな一隻である、その名もシルヴァン号という蒸気式曳船が、竣工式より前に試験的な通行を担当しているからだ。

 竣工式当日も、このシルヴァン号が装甲艦リンツの前方に先導船として配置についた。

 運河東側から入り、閘門を越え、中央分水嶺迂回路へと入ると―――

「ロザリンド水路です」

 案内役となった海軍の士官が告げた。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 海軍将官姿となったグスタフも、これに着き従いドレス姿であったディネルースも、刹那、息を飲んだ。

 ふたりとも知っていたロザリンド渓谷の面影は、もうどこにも無かったからだ。

 わずかに山岳の稜線に、気配を感じ取れた程度である。

「・・・ディネルース―――」

 グスタフは妻を呼ぶ。

 このころには、どうやら己たちには子は授からぬようだと、ふたりにはもうはっきり分かっていたが、それを乗り越え、強い絆で結ばれ、夫婦仲も以前に増して良好であった。

「ここに。ここに運河計画の犠牲者たちの、慰霊碑を立ててやろうと思うのだが。どうだろう?」

「・・・うむ」

 それは良い、きっとそれが良いと、ディネルースは答えた。

 ―――シルヴァン運河計画の正式な犠牲者数は、約一六〇〇名。

 最もこれは、運河協会把握の、正規に労務者名簿に記載されていた者たちの数である。

 運河工事には、遠くエイランド島などから人間族の労務者も出稼ぎにきていて、彼らは「潜り」に近い存在であり、社会保障の対象にもされなかったから、実際の犠牲者数はもっと多かったとされている。

 その正確な数は、もはや判然とはしない。

 グスタフは、元ロザリンド渓谷の北岸側を見つめ、静かに言った。

「私の・・・ 私とオルクセンの、糧になってくれた者たちだ」



 星暦九一〇年六月。

 全長僅か三八・九メートル、幅四・五七メートル、総登録トン数四〇二トンの三檣型汽帆船が、シルヴァン運河を通過した。

 この船は、何度かの寄港を経て、やがて遥か南、オルクセンから一万六〇〇〇キロ以上離れた氷の大地に到達。

 上陸適地の湾を見つけると、一〇頭の巨狼、これに曳かせる橇、諸物資を降ろし、ここから数カ月に及ぶ旅の準備を始めた。

「隊長」

「おう」

 隊長と呼ばれたオーク族の牡は、地図を睨んでいた。

 この氷の大陸には、前人未踏の地域、名すら着けられていない場所が多い。

 彼らが上陸した場所も、同様だった。 

 やたらと鯨の観測できるこの地に名を着ける権利が、牡にはあった。

 出発前、牡は国王のもとを訪ね、王の名を未発見地につけてよいかと願い出たが、これは王から固辞された。以前より何処か衰えの気配を漂わせる王は、それでもあの子供のような笑顔を浮かべ、私などより君の名前をつけろと、篤い握手を授けてくれたものだった。

 だが、いざ到達してみると、己の名を地図に刻むなど、なるほどまるで趣味に合わない。

 寡黙を信条とする彼としても、まっぴら御免であった。

 彼―――この翌年、知的生物史上初めて南極点に到達する牡、オルクセン南極探検隊隊長ヴィルヘルム・フォルクナーは幾らか悩んだあと、捻り出した候補の名を地図にペンで記した。

 それは故国オルクセンで彼の帰りを待つ、何度諫めてやっても「隊長さん」と夫を呼ぶ癖の抜けない、フォルクナーの妻の名前だ。

 ―――ウルフェン湾。

 シルヴァン運河から世界へと繋がる「海の道」は、そのうち一つの到達点をこの地に刻んだ。



(続)

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