随想録28 海道①

 ―――星暦八七九年二月。

 当節最新の冬季登山装備で身を固めた牡たちが、ベレリアンド半島南端にあるヘレイム山脈への登攀をおこなった。

 大河シルヴァン川の北岸。東西八七キロに渡って標高一〇〇〇メートルから一五〇〇メートルの峰々が連なる天険であり、またシルヴァン川にとって東西へと分かれる中央分水嶺にして水源地でもある。

 当然ながら、冬季であるから雪を冠していた。

 彼らは旧ドワーフ領モーリアから出発し、馬車隊を組んで細い街道を行き、山脈北端の街フヴィドヘストで最後の準備を整え、そこから一週間ほどをかけて山脈麓の村クヴィンデアに前進拠点を設けた。

 クヴィンデア村は、ダークエルフ族の村落である。戸数三〇軒ほど。細々とした牧羊と狩猟、僅かな耕作で生計を立てていた。

 ベレリアンド戦争で解放された者たちと、戦後になって故郷に戻った元アンファウグリア旅団山岳猟兵連隊の除隊兵士がいて、後者のうち六名が案内役兼魔術通信に依る連絡役になってくれた。

 彼女たちを含めた一行は、三七名。

 殆どがオーク族である。

「冬の山に登るなんて、どうかしている」

 と、案内役のダークエルフ族たちは言ったが、その彼女らも登山隊の装備には目を瞠った。

 毛糸の帽子。牛革を重ねて厚くした外套。裏編みメリヤスの下着。ツイードの上衣と水兵風冬季シャツ。真綿を詰めた防寒チョッキ。薄いズボンの下には、真綿と木綿のズボン下を幾重にも履き、靴下を重ね、ゲートルを巻き、スパイク付きの編み上げ靴を用いている。

 手には、杖にも滑落防止にも使えるドワーフ族式の氷斧アイス・アックス

 ロープやランプ、防水帆布製のテント。食糧や替えの衣類、毛布といったものを詰めたナップザック。雪山は目を傷めるというので、黒くした防塵眼鏡もあった。

「隊長さん、見事なものだな」

 案内役の長は、感心したように言った。

「ああ。休憩中でも、寒気を感じないよ」

 応じたのは、隊長役を務める陸軍測地測量部の少佐だった。

 この牡の性格が、登山隊を、慎重で、準備にも抜かりのない、計画性のある存在にしている。

 近代的な登山というものが生まれて、まだそれほど年月は経っていなかった。

 だが牡は、知的生命にとってのその乏しい経験値から、各国の記録なども取り寄せ、最新の装備を整え、事前の準備も入念なものとしていたのだ。

 彼にとって最も参考となったのは、約一〇年前に星欧最高峰級であるツェルマットホルンへの登頂に成功した、キャメロット人探検家ウィンパー隊の記録であった。

 精緻にして詳細、それでいて奢りなどのない彼の登山記を取り寄せ、研究に励んだ。ウィンパーの発明した、最新のテントなども用意した。

 机上研究に励むだけでなく、国内の先達たちの下へも自ら赴いて教えを請い、またオルクセン本国南部最高峰であるファウスト山で実地訓練も重ねていた。ファウスト山は標高一一四二メートルであったが、気候条件としては二〇〇〇メートル級の山岳に匹敵する。

 牡が学び取ったことは、何よりも適切なルート選びの重要さだった。

 ウィンパー隊によるツェルマットホルン登頂も、急峻な経路を避け、目的を果たすことを第一としていた。

 現地に到着してからも、事前の情報収集と検討を欠かさなかった。

 そうして、ダークエルフ族たちの手も借り、慎重に登攀を進めていった。

 一日目、クヴィンデア村から四キロの地点にあるクランプスプラインと呼ばれている平原にベースキャンプを開設。

 二日目、ドリヴフスまで三キロ登攀。風雪に襲われ、視界五メートル以下。大事をとってキャンプ開設。足を痛めた者が出て、キャンプへの残留組とする。

「隊長・・・ 申し訳ありません」

「気に病むな。私たちの目的は冒険登山ではない。目的を果たし、全員で帰還することだ」

 隊長―――父性的な性格をしたヴィルヘルム・フォルクナーは部下を慰め、隊に同行している軍医とも相談のうえ、件の隊員に体を温めるブランデーの飲酒を許可したものだった。

「いいなぁ、リンツの奴」

「お前たちは、明日もあるんだろう」

 ボヤく部下たちには、苦笑して窘めた。

 フォルクナーは、自身のテントで記録もつけている。

「牛革外套には欠点がある。保温性はあるが、動き、汗をかくと内側に籠る。また水が染み込み、重くなる」

「対してダークエルフ族たちが使っているトナカイカリブーの毛皮被服は、理にかなっている。軽く、体を包み込むように出来ていて、冬季装備としては最良のものであることを認める」

「改良型ウィンパーテントの成績は良好だ。道洋の竹材を用いた支柱は、軽量であるにも関わらず強度がある。防水帆布の効果は完璧とはいえないが、ゴム引き底布は見事に我らを守ってくれている」

「温食は、隊の者たちの体力及び気力を保ってくれる、何よりのものだ。ウルフェンが、ダークエルフ族式のスープを差し入れてくれた。岩塩をベースにした素朴なものだが、雷鳥の肉と乾燥茸を使っており、最高に美味かった」

 翌朝、隊は目的地であるヤーマルスクを目指した。ヘレイム山脈ニフレイム山の鞍部を抜け、シルヴァン川の峡部を望む場所だ。

「隊長さん―――」

 案内役の代表にしてクヴィンデア村の副氏族長である、ウルフェン・マレグディスが告げた。

 ダークエルフ族らしく褐色の肌をしていて、うねる赤毛を高く後ろで纏めた、挑むような顔立ちの勝気な性格の持ち主だ。

「快晴だよ。だが山の天候は変わりやすい。動けるうちに出発した方がいいな」

「そうか。ありがとう」

 フォルクナーは頷いた。

 確かに、昨日はあれほど雪煙に包まれていた一帯は、見事な快晴である。

 ニフレイム山の、鋭い針のような山頂まで望見できた。

 鞍部を伝って、最も低い尾根まで一・五キロ。

 距離は比較的短いが、確かに急いだほうがいい。

 隊は、登山経験のある者たちばかり、そしてファウスト山での事前訓練を済ませた者ばかりだが、混成である。

 フォルクナーを含む陸軍測地測量部の者。第一七山岳猟兵師団からの志願者。民間の土木技師。そしてオルクセン電力公社の技術者―――

 彼らは、手早く簡単な食事を済ませ、午前八時半に出発し、昼を迎える前には無事到達した。

 ダークエルフ族たちからは「ヤーマルスクの尾根」と呼ばれている、山頂よりは比較的低くなった稜線上に立った格好である。

 一挙に視界が開け、隊の者たちからは歓声があがった。

 ヘレイム山脈と、対岸のオルクセン側ツェーンジーク山脈に挟み込まれるようになった谷底に、シルヴァン川がある。

 左右には、ヘレイム山脈のスヴォル、グンスラー、フィヨルムといった険峻。

 対岸であるオルクセン側も同様に、プラーネヒュフテ、シュタープス・プラーネ、エレーンの峰々が広がり、両者によって囲まれ、深く切り込んだ坩堝の如き地形が眼下にある。

 V字型の断面となった「坩堝」の底が、シルヴァン川だ。

 そして、

「・・・あれがフヴェルゲルミアの滝か」

 息をも飲む光景だった。

 横幅二〇三メートル。落差二四メートル。もっともこれは概算で、まだ正確に測量した者はいない。

 水煙が立ち上り、これが陽光を反射して、黄金色に煌めいていた。

 大瀑布といっていい。

 これだけでも見惚れるばかりの光景であるというのに、周辺の峰々から細い糸のような滝が一五以上も大瀑布の東西に注ぎ込んでいる。

 一つ一つは小さな滝であるものの、落差としては本体より大きかった。

 本来はその一本一本がシルヴァン川の支流であり、源流であって、固有の名で呼ぶべきところだが、エルフ系種族たちの言う「フヴェルゲルミアの滝」とは、これら全てを一体のものと見なした総称であった。

「隊長さん―――」

 傍らに立ったウルフェンが尋ねてきた。

「本当にあんなところに・・・ 何と言ったか。ああ、ダムとやらを作る気なのかい?」

「うむ―――」

 フォルクナーは頷く。

「正確にいえば、あの東側下流、フィヨルムの尾根と呼ばれている辺りだが。最新の、重力コンクリート式。完成すれば、星欧最大のものになるな」

「・・・・・」

「シルヴァン運河の、東側への水利。中央分水嶺迂回路への導水湖。そして水力発電のための施設だ」

 正式には、シルヴァン運河の建設はまだ決定していない。

 事前測量と検討、設計の予算がついたばかりである。

 だが最初に話が持ち上がったのは戦中のことであったし、既に東部及び西部下流域では軍に依る幾度かの測量も実施されていた。

 フォルクナーの隊は、事前調査の一環として、大計画にとって障害のひとつとなるであろう冬季における周辺環境の確認、測量、標本や土壌の採取といったものを任務にしている。

 運河計画を実現するためには、中央分水嶺を迂回するルートが必要であり、そのためにはダムが必須の存在になるというのが、学者たちの一致した意見だ。

 建設場所についても彼らの見解は概ね一つの方向を指し示していて、このフヴェルゲルミア滝の周辺が相応しいとされていた。

 シルヴァン川流域は、星欧北部でも屈指の降雨及び降雪地帯であるが、これが水源となって、同地周辺に集中するからだ。

 本当の意味で滝に近い部分は、勾配がきつく、推定約二五分の一。即ち二五メートルの距離で一メートル下がるという落差であり、激しい急流である。

 だが同地から東側へ下ったあたりには蛇行部があり、勾配約六〇分の一、流れもゆるやかになって、建設用地として相応しい―――というのだ。

 フォルクナー自身、本当にそのような真似が可能なのかという思いもある。

 眼下に広がる、険峻で、それゆえに手付かずできた、無垢なままの大自然を制することなど出来るのか。

 ダムを作るだけではない。

 そのために、ツェーンジーク側の地下を約一〇キロメートルに渡って、大トンネルを掘ろうというのだ。

 これは建設資材及び要員の搬入路であり、ダム完成の暁には迂回ルートへの導水路であって、水力発電の源ともなる。

 ―――一〇キロ!

 ―――眼前の大山脈の地下を!

 だが、おそらくだがオルクセンはしてのけるだろう。

 知的生命にとって、好奇心と探求心、日々進化していく科学技術は、自然を制する欲や力を育む土壌となっている。

 そして一度抱いた欲と、身についた力、飽くなき探求とは、知的生命にとって最早二度と捨て去ることの出来ない存在であるように思えた。

 学者たちは、

「なに、大したことはない。エトルリアの連中がアルバスをぶち抜く鉄道トンネルを開通させたときは、もっと厳しい施工条件だった」

「ダム技術も、日々進化している」

 と、大自然の驚異を歯牙にもかけない。

 陸軍測地測量部で、山岳測量を専門にしてきたフォルクナーには、彼らの自負や自信、自尊も良くわかる気がした。

 だが、

「・・・やはり、気持ちとしては複雑かい?」

「まあ、我らにとって聖地のひとつとされているからな。反対する奴もいよう―――」

 問われたウルフェンは、肩を竦めた。 

 あの滝のおかげで、シルヴァン川の水運は発達しなかった。分水嶺であり、大河の東西はここを境に往来が断絶している。

 だがこれは同時に、大河シルヴァンに南方からの国境防禦の要となる役割を負わせてきたことも確かである。

「君自身は、聖地に拘っていないように聞こえるな?」

「・・・幾ら聖地や防壁と崇めようとも。我らにとっての本当の敵は、北から―――それでも同族だと思っていた者たちからやって来たからな」

「・・・・・」

「あの忌まわしき出来事に遭い、シルヴァンを渡り、近代兵器とやらに触れ、貴方がたと肩を並べて戦い、少なくとも私は現実的になった」

「・・・そうか」

「それに―――」

 この誇り高き狩人は、ちょっと皮肉な笑みを浮かべた。

「迂回路とやらが完成すれば、貴方たちにとっての聖地に至っては完全に消え去るのであろう?」

「・・・ふふ―――」

 フォルクナーも喉を鳴らし、頷く。

「君たちとの、負け戦の古戦場を聖地と呼んでいいのなら、な。だが、確かに事実だ―――」

 シルヴァン運河。

 その中央分水嶺迂回路が開通したとき、

「ロザリンド渓谷は、水没することになる」



 シルヴァン運河協会という、オルクセンの軍官民から成る委員会が立ち上がったのは、この年の頭のことだ。

 公式には、まずは「建設の可能性を探る」ための組織であった。

 代表は、それまでもオルクセン国内の運河建設に経験のあった工学博士で、のちに油圧工学を専門としたオットー・ベンシェ。

 副代表に、オルクセンのみならず世界のダム建設工学をリードする存在として高名であった、アドルフ・ルーディング教授。

 このふたりを、軍人や官僚、民間技術者たちが補佐するわけである。

 彼らは第一次計画として、調査、測量、検討用設計の三つを始めることにした。

 本格的な調査隊は、五月に出発した。

 少なくとも、平野部における雪解けの季節を待ち構えていたのである。

 総勢約一五〇名。

 内訳は、陸軍測地測量部の技官、同部で製図や測量を担当していた軍属、民間の地質学者や土木工学者、陸軍通信隊の電信技師及び魔術通信師、写真家、そして山岳猟兵師団から志願者を募った将校、下士卒である。

 陸軍測地測量部を代表するフォルクナー少佐と、海軍側の代表となったエドゥアルト・ラル中佐の二名が、二頭体制のトップを務めた。

 他に陸軍大尉の測地測量部所属将校がおり、この三名を長に三隊編成をとり、全長約二五〇キロメートルの建設予定地を分担して調査するわけである。

 準備は、入念にして精緻、膨大を極めた。

 蒸気機関付きの曳船が二隻。艀が幾つか。

 専属の馬車隊。

 野戦炊事車。

 万が一に備えた、八〇余丁の小銃。

 一名当たり一枚の、ゴム引き毛布。

 一六〇キロメートル分の電信線と架柱器材及び碍子。

 高度分度器付き手持水準儀。測量用トランシット。アルコール水準器。コンパス。標尺。測鎖。アネロイド式気圧計。高地用に精度の秀でた水銀式気圧計。流速計。

 なかでも、オルクセンの誇る光学機器メーカーであるヴァイス社製トランシットは最新式のもので、光学機部分が優れているだけではなく、軸部分が二重の円錐軸受けにはめ込まれていたため従来の物より精密で、また目盛りを読みやすくする改良が図られており、誤読を防ぎ、読み上げも迅速に行えた。

 測量器の類は、出発までに習熟も図られたし、精度や機能及び動作上の確認作業である校正も施されている。

「こいつは、まるで戦争だな・・・」

 調査隊の主体がオーク族で構成されている以上、食糧の準備も入念を極めた。

 なかでも、中央分水嶺の底部附近に旧エルフィンド及びオルクセンの両側から降り、あのフヴェルゲルミアの滝周辺を測量する役割を負った二つの隊は、何しろ周囲隔絶した峡谷底部に小屋を作り、滞在することになる。

 彼らのためにも「雨に打たれても、まず痛まないようになっている」食糧が用意された。

 ベーコン、三二〇〇キログラム。ヴルスト、三二〇〇キログラム。軍用乾パン四五三〇キログラム。トマトスープ缶詰二七二〇キログラム。乾燥豆一〇八キログラム。コーヒー豆一一二五キログラム。胡椒一〇〇瓶、缶入りバター二七〇キログラムなどである。

 ゆうに二カ月分はあった。

 その他に、ウイスキー、火酒、エリクシエル剤を始めとする医薬品・・・

「やあ、隊長さん。また来たね」

「ああ。またお世話になるよ」

 中央分水嶺調査隊のうち、旧エルフィンド側の隊を直接率いて行ったフォルクナーは、再びクヴィンデア村を訪れていた。 

 五月の下旬である。

 まだ、高地には雪が残っていた。

 近隣村落を含むダークエルフ族たちが、調査計画における案内、荷役、魔術通信の担い手として正式に組み込まれたのは、このときである。正式な雇用であるから、しっかりとした給金も出た。

 彼女たちは、フォルクナーをして舌を巻かしめるほど、強靭だった。

 交替で調査の下準備を図る隊に随行し、重い荷を背負い、ヘレイム山脈を登攀し、あのヤーマルスクの山稜を越え、V字型の鋭い形状を描く渓谷底部附近へと降り、調査隊のための丸太小屋を作り上げる役割を果たしてくれた。

 周辺の峰々から、合計で二〇近い支流まで注ぎ込む分水嶺附近は、当然ながら本当の意味での谷底へなど降りられない。

 気持ちばかり棚状となった地形部分へと、最初はテントを張り、徐々に丸太や釘といった資材を降ろし、粗末な小屋を作り上げたわけである。

 ベレリアンド戦後から、ここまでの期間―――

 ダークエルフ族の集落を直接観察出来た他種族は多くない。

 フォルクナーは、例え一時のこととはいえ、彼女たちの生活ぶりも記録している。

 一口にダークエルフ族と言っても、その風習、文化、風俗などは地域によって差異があった。

 狩猟。半農半牧。よく知られたこのような生活形態の他に、養蜂をやる者があり、毛皮を主体にした交易を営む者もいれば、川で漁業を糧にしている者もいる。

 当然ながら、このような地域の差は住居の構造にも表れた。

 元来、星欧の生活圏としては北限に近いベレリアンド半島は、夏季においても清涼であり、湿気も少ない。また遠く新大陸から北星洋を渡って流れてくる暖流の影響により、緯度の割には―――あくまで緯度の割にはだが、冬季でも比較的気温は下がらず、降雪量も多くない。

 一方で、北限に近いということは夏の日照時間は長く、冬は闇に包まれたかのようなものである。

 これら自然環境を考慮した住居を建てねばならないわけだ。 

 平地では、豊富な木材を活用した平屋作り。これに、「草屋根」と呼ばれるものが被さっている。

 丸太を連ねた構造材の上に、ベレリアンド半島には多い白樺などの樹皮を重ね、土を乗せ、芝や苔を植えたものだ。

 この構造が、夏季には植物の蒸散作用により室内の温度を下げ、冬季には断熱材の役割を果たすわけだ。

 窓は、意外なことにオルクセン北部州などと比べると大きい。ただし、二重構造である。

 冬季においても、少しでも日差しを取り込むためだ。

 これがクヴィンデア村のような山岳地となると、家屋の主要構造材は石材に変わる。

 屋根は、平地と同じく「草屋根」である。

 風雪を避けるため、山岳の傾斜に抱かれるような配置になっていて、窓も少し小さくなる。

 当然、冬季の寒さに備えて立派な暖炉を備えており、この暖炉が調理や湯沸かしのための存在でもあった。

 夜になると、彼女たちは良く歌を歌った。

 リュートの系譜に属する、弦楽器を所持する者も多い。


 ああ、我らの父なるシルヴァンよ

 母なる白銀樹を潤し給え

 燃え盛る焚火

 寝ずの夜 星のもと


 それは古典アールブ語によるもので、フォルクナーには意味までは理解できなかった。

 ただ、

「いい声だな。聞き惚れる」

「・・・もう、隊長さんの前では歌わん」

 ある日、ウルフェンの鼻歌めいた歌声をふと耳にし、そんな会話を交わしたあと、歌詞の内容について教えてもらった。

 こんなところにも、シルヴァン川が彼女たちにとっての「聖地」である事実が現れている、と思った。

 しかし「寝ずの番」の意味するところが分からず、質問を重ねてみると、

「ああ、それはな―――」

 白銀樹には、年に一度「産みの季節」がある。

 概ね、六月から七月。

 場所に依って、多少の差異はあるらしい。

 そのときまでに準備を整えておいて、近くに建てた小屋で、交替制による「見張り」に就くのだそうだ。

 氏族に新たな赤子が誕生した際、ただちに枝から護符を彫り、保護できるように―――

「・・・・・・」

 今更ながら、フォルクナーには彼女たちが何とも摩訶不思議な存在に思えた。

 ダークエルフ族たちは―――いや、エルフ系種族は、本当に文字通り白銀樹から生まれ出でるわけだ。

 戦後、元アンファウグリア旅団兵士から幾らかの者たちが故郷に復したのも、この習慣に従うためだという。

 北部域から解放された者たちも、同様である。

 グスタフ王は、白エルフ族のものとなったままの元ダークエルフ族の村落にも、新たに生まれ出でた者を保護するよう、これは厳格に布告も出していた。

 では、なぜアンファウグリア旅団の者たちの多くは、ヴァルダーベルクへの残留を選んだのか。

 一つには、民族浄化後に白エルフ族たちが旧ダークエルフ族領域に入植した際、白銀樹ごと切り倒してしまった村落も多かったこと。そのような村落は、文字通り「根絶やし」とされてしまったわけであり、「故郷」としては消滅した。

 例えば現王妃ディネルースが氏族長を務めていた村、スコルなどはこの事例に該当する。

 また何より、彼女たちはたいへん誇り高い種族であり、ゆえに義理深く、己たちを救い出してくれたオルクセン及びグスタフ王への忠誠が厚いことに依る。

 この忠誠の厚さが、ウルフェンなどには故郷へと戻った理由の一つにもなっていた。

「新たな命を、育み。いずれヴァルダーベルクへ送る」

「・・・・・・」

「アンファウグリアの火も絶やすわけには、いかんのだ」

 彼女は、翡翠のような色をした瞳に確固たる意志を潜ませ、そんな言葉を告げた。



 フォルクナー自身もまた、ウルフェンたちがジェアスンプと呼んでいる場所―――谷底に近い、棚状に開けた場所に降りてみた。

 ダム工事の責任者であるアドルフ・ルーディング教授が、助手を伴い、果敢にも自ら現場視察に訪れており、彼と供に、だ。

 ルーディング教授は、コボルト族ダックスフント種。小さな眼鏡を、長い鼻筋にひっかけている。その小柄な体躯を、ウルフェンの担ぐ背負子しょいこに抱えてもらうようにした。

 まだ辺りには残雪があり、標高もあって、たいへん勇気のいる真似だ。

 だが教授はまるで平気であった。

 それもそのはず―――

 彼はもう、随分と長い間、ダム工事にばかり携わってきた土木工学の権威である。

 ダムという存在は、古代からある。

 それが近代的なものとなったのは、いつからか。

 様々な考え方、捉え方があるが、一つには星暦八二〇年代にキャメロット人の手により、ポルトランドセメントが発明されて以降のことであろう。

 これを骨材と混ぜ込んで、現場打ちに依る、強度のあるコンクリートが作れるようになった。

 オルクセンでは「べトン」と呼んでいる。

 元より、星欧には大規模な河川が多い。

 ちょうどこのころグロワールで権力を握ったデュートネ三世など、治水目的のため、国内へ盛んにダムを造らせるようになった。

 工学的にも研究が進んで、重力と、ダムの自重とを利用した重力式コンクリートダムの設計などが生まれている。

 このような流れ、技術的革新の、オルクセンにおける担い手がルーディング教授だ。

 彼は、更に画期的な考え方をダム工学に齎した。

 ―――複合目的ダム。

 それまでの、ただ治水に使うといった、単体目的のものとは違う。

 治水もすれば、上水利用、あるいは最新の科学技術を投入した発電もやろうという、「利水」を担わせるという、全く新しい考え方であった。

 ポルトランドセメントと、オルクセンの優れた鉄骨を使えば、いままでよりずっと巨大なダムを造れる。ダムは巨大化させ、貯水量を大きくし、複合的に利用したほうが理に適っている―――というわけだ。

 既にこの考え方のダムを、教授は二つ完成させていた。

 教授とフォルクナーは、フヴェルゲルミアの滝よりやや下流にある、トンネル掘削の理想的位置とされた場所を視察した。

 ヘレイム山系フィヨルムの尾根の向かい側、つまりオルクセン側。

 彼らから見て対岸。

 案内役になってくれたダークエルフ族たちが、「スペジュルの岩」と呼んでいる箇所だ。

「スペジュル?」

「古典アールブ語で“鏡”という意味だそうです、教授」

「なるほど。鏡、鏡ね。言い得て妙だね、それは」

 フォルクナーを介して説明を受けた教授は、くっくと笑った。

 確かにその部分は、まるで断崖絶壁である両岸のなかで、上から下まで巨大な一枚岩のようであった。

 例の、流れの緩やかになった地点の側面に位置してもいる。

「オルクセン側の掘削場所は、標高や開豁地、利水の便の点から、ほぼ決まっている。グロスシュタットだ」

 ツェーンジーク山脈の、南側山麓である。

 これがまた、オルクセンの民である彼らからしても何とも奇妙な名で、「大きな町」という地名に反し、まるで山中の田舎だ。民家すらない。

 そのグロスシュタットから、約一〇キロメートルの大トンネルを掘る。

 これほどの規模のトンネル工事をやるときは、両側から掘削させていって、途上で邂逅させることが望ましい。

 ―――迎え掘り、という。

 この「迎え掘り」に相応しい箇所が、シルヴァン川側では「スペジュルの岩」であると、教授は見ていた。

「しかし、教授。あんな場所で、本当に掘れるのですか」

 フォルクナーとしては、尋ねずにはいられない。

 彼の目から見ても、余りにも険峻な断崖絶壁である。

 彼は長い間、山岳専門の測量をやってきた。

 だから、不幸にもときに生じる、犠牲者の姿もたっぷりと見てきたのだ。

「うむ。オルクセン側の尾根から新規に作業道を作り、ぐるりと回り込むように降りて、そこからほぼ手作業でやることになるな」

 言葉で述べるのは容易い。

 だが、おそらく困難を極める作業になるだろう。

 手掘りということは、掘削長も大きくは進むまい。

 グロスシュタット・トンネルの施工は、ほぼ、オルクセン側からひたむきに押す、押しに押していく「片道」になるだろうと、これは教授も認めていた。

「だがなあ、フォルクナー君―――」

「はい、教授?」

「エトルリアの連中は、標高三〇〇〇メートルを超えるアルバス山脈の中で、堅い岩盤を繰り抜いて、全長一二・八キロのトンネルを掘ったんだ」

「・・・フレジュストンネルですね?」

 約八年前に完成した、当時星欧中の耳目を集めた大事業だ。

「ああ。奴らがあの工事をおっぱじめたときには、だ。まだ手掘りに、発破だけだった」

「・・・・・・」

「イザベリアの連中が巨大ダムを造って四星紀。デュートネ三世が洪水に備えた調整用ダムを造らせて、もう二〇年。我らもまた、多くのダムを造ってきた」

「・・・・・・」 

「そして、偉大なるエッセウス運河。かのグロワール人実業家は、一六八キロの大運河を砂漠のど真ん中に通し、ついに星欧と道洋の間を九〇〇〇キロ縮めたのだ!」

 教授はこれらの流れを、「工学と機械、知識の飛躍的進捗」と呼んでいた。

 ―――造れぬダムは無い。

 ―――掘れぬトンネルは無い。

 ―――水を通せぬ運河は無い。

 もはやもの。

 発達した科学を前には、いまや人間族たちでさえ「神の御加護」とは単なる決まり文句としてにしか口にしない。

 そして、この考え方は調査隊全員に共通されている思想でもあった。

 正式には予備調査だが、シルヴァン運河の建設は規定路線である、と見なす者が多かった。

「ウルフェン君、魔術通信を頼む。協会本部宛だ!」

 元気一杯の教授は言った。

「我、分水嶺より調査隊一同を代表して挨拶す。建設工事は可能なり!」


 

(続)

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