随想録27 海は甦る 

 ―――霧が出ている。

 濃く、伸ばした腕の先も見えないほどの霧だった。

 ノアトゥン市の港湾区にある、復興したばかりの倉庫街に集合したアシリアンド警察警官隊たちの、外套や、ブーツや、襟の隙間といったところから湿気は容赦なく浸食して、まるで濡れそぼつようですらあり、無言で待機する彼女たちを嫌な気分にさせた。

 まだ夜も明ける前で、おまけに警官たちは普段携えている手提げ燈の火を消していたから、その影は滲み、溶け込むようになっている。

 煉瓦造りの倉庫は、概ね信頼の置ける企業のものだ。

 警官隊が取り囲んだのは、一棟の木造「復興倉庫」だった。窓の全てに、暗幕目的なのだろう、荷が置かれるか、布の張られた倉庫だ。ただし、少しばかり明かりが漏れている。海沿いに位置していて、小さな桟橋があった。

 予め取り決められていた時刻―――夜明け未だ遠い午前五時。

 ピィィィと、鋭い金属笛の音が響き渡り、

「開けろ! アシリアンド警察だ! 扉を開けんか!」

 正面では、体格の良さと経験値から選ばれた巡査部長が扉を叩いた。

 内部から激しい物音がし、一方で彼女の怒声に応じる様子は無い。魔術探知を務める警官に依れば、中には一〇名近い不審者がいる。

 巡査部長が、傍らに控えていた指揮を執る警部をちらりと見ると、上司は頷いた。

「よし、扉を破るぞ。お前たち、手伝え!」

 手近にいた警官三名で、あまり普請の良くない扉へと肩から体当たりした。二度、三度と続けるうちに鉄製のラッチが釘ごと抜け落ち、打ち破ることが出来た。

「動くな!」

 どっと雪崩れ込む警官たちは、通常の警棒に加え、何名かは拳銃を携えていた。

 旧エルフィンドには、戦後混乱期のどさくさで闇社会に流出した軍用銃火器がある。これを警戒したのだ。

 しかしながら―――

 抵抗は軽微であった。

 内部にいた者の多くは、裏口から逃亡を図った。

 逃亡者たちを待ち構えていたのは、魔術上の夜目まで発揮して控えていた別働の警官隊だ。

 不審者たちのうち二名だけが倉庫内部で拳銃を引き抜き、捨て身の抵抗をしたが、たちまちのうちに警官隊の射撃に遭い、一名が死亡、もう一名は重傷を負ったうえで捕縛された。

「警部・・・」

「うむ」

 現場指揮官の警部は、倉庫内部を見渡して呻いた。

 ゆらゆらと揺れるランプのもと、四〇個近い木樽がある。殆どが大型のホックスヘッドだ。

「なんて量だ・・・」

 この日、一〇月二一日。

 アシリアンド警察に押収された密造粗製エリクシエル剤は約九〇〇〇リットル。

 密売組織による卸値にして一九八〇万ラング相当。末端価格となると、諸物価乱高下の折、想像もつかぬほどの代物だった。

 国家憲兵隊予備隊下士卒の給料が、一二ラングから六〇ラングの時代である。

 一度の押収量としては、過去最大であった。



 ―――このころ。

 ひとりの牡が、ベレリアンド半島の主要港湾を巡察している。

 ノグロスト、ファルマリア、ネブラス、エヴェンマール、タスレン、ノアトゥン。それに各地のフィヨルドなど。

 牡の名は、フランツ・ミュンター海軍大佐。

 海軍省水路部々長。オーク族。

 戦時中は、巡洋艦グラナート艦長。ついで第三戦隊参謀長を務めた。

 水路部というのは、海洋測量、海図の作成、水路誌の編纂、気象や海象の観測といった、航海における保安を司る部署である。オルクセンの場合、各地の燈台を管理する逓信省燈台局などとも関係があった。

 エルフィンド暫定政府としては、彼の一挙手一投足に対し、固唾を飲んで見守るような思いだ。暫定政府内務省の官吏や、旧海軍省の出身者を案内役につけて、丁寧な応接に努めた。

 それというのも―――

 このころ、旧エルフィンドの周辺は「暗黒の海」と言っていい状態であった。

 密輸。

 海上賭博。

 そして信じられないことに、「海賊」まで出没していた。

 北部ノアトゥンと南部ノグロストの間、もしくはアレッセア島との間には、木材や石炭、鉄鉱石を積載した沿岸航路船が復興需要の高まりとともに往来していたが、何しろ、旧エルフィンドの大型貨客船は戦中の海上封鎖により壊滅している。主体は、小さな、まるで艀のような小型船ばかりになった。

 当然ながら、乗員もまた少数だ。

 そこへ敗戦時の混乱に紛れて逃亡した元兵士、あるいは流失した隠匿銃器を用いた荒くれ者などが、襲い掛かったのである。

 例え海賊側もまた小型船であっても、彼女たちが多数による力を頼んでしまえば、沿岸航路船など一溜まりもなかった。

 終戦直後の食糧難時代には、漁船すら標的になっている。

 そうやって荷を奪い、ときには被害船員を殺傷にまで及び、闇市場に流す―――

 海賊たちは、その形態からして密輸とも強く結びつくようになっていた。徐々に組織化し、陸上の新興犯罪組織などとも提携して、粗製エリクシエル剤の密造及び密輸役を果たすようになっていたのだ。

 新興犯罪組織と言えば―――

 海上賭博の横行もまた、彼女たちの収益源である場合が多かった。

 戦前のエルフィンドでは、賭博業は社会への影響が大きく、また反教義的だというので許可制であったが、敗戦によって荒んだ民心は刺激的娯楽を求め、摘発を受けにくい海上で営まれるようになっていたのだ。

 古い艀や木材運搬船などを犯罪組織が買い取り、その内部を改造して賭場とし、港の隅や碇泊域でひっそりと営むという犯罪形態があちこちに出没し、酒場やダンスホールなどといった他事業と結びつき、横行を極めていた。  

 また、ベレリアンド半島周辺の海は、文字通りの意味で「闇」と化してもいた。

 戦前までエルフィンドの燈台や航路標識の管理を担っていたのは、海軍である。

 ベレリアンド半島の沿岸は、総延長約九五八キロメートル。つまり約五一七海里もある。この治安維持及び航海安全を担う組織が、そっくり失われてしまったのだ。

 彼女たちは文字通り消失し、敗戦によって組織そのものが解体され、各地の燈台や標識は燃料不足及び管理者の不在によって多くは火を落としたままとなり、必然的に海難事故が続発した。

 元より、冬季におけるベレリアンド半島周辺の天候及び海象は世界屈指の難所であり、海難多発海域である。

 残されているのは、各州警察の、ほんの僅かな水上警察隊。

 まるで権限の小さかった財務省税関局の海上税関。

 農林省水産局の漁業監視船が数隻。

 そして、船舶にも課員にも不足した逓信省燈台局。

「このままでは、どうにもならない・・・」

「海の治安をどうにかしなければ・・・」

 エルフィンド暫定政府は、手をこまねいていたわけではなかった。

 戦前の複雑な氏族身分制度を越え、新たに登用されるようになっていた暫定政府官吏たちは、非常に有能で、そして熱意に溢れてもいた。

 内務省。逓信省。農林省水産局。財務省税関部。海に関する部局を預かる彼女たちは、何かというと海について話し合い、頭を悩ませ、事態を改善しようとした。

 この年の頭、まず逓信省海運局海務課の一課員が、上申書を作成している。

「海軍力壊滅後の状況を鑑み、海上税関、水上警察、水難救済、燈台及び航路標識の管理を一元化、一体化させた、仮称海上監察局を創設する」

 という構想だった。

 逓信省海運局のもとに、比較的洋上での役割を担う「海上監察隊」と、各地の港湾周辺での業務を担う「港湾監視隊」の二隊で編成する計画書になっていた。

 似たような上申書は、たくさん作られた。

 農林省「海上監視隊」創設案。

 財務省海上税関拡大案。

 内務省水上警察拡大案。

 彼女たちは、これらの諸案を、ベレリアンド半島占領軍総司令部のうち間接占領統治を担う特別参謀部軍政局へと提出したが―――

 回答は戻って来なかった。

「オルクセン側は、エルフィンド海軍の“復活”をたいへん警戒していました」

 と、件の逓信省海運局員は、のちに証言する。

「戦中、海軍のリョースタ以下残存艦艇は、ある意味で非常に上手くフィヨルドを活用して隠れ潜みましたが。これは戦前に海軍が水路研究をやり、海図を整えていたからなのです。ですから“統一された海上組織”とは、これ即ち“海軍の卵”に相違ない、復活させるわけにはいかないというのが、軍政局筋の空気でした」

 状況に変化が訪れたのは、この年の八月から九月だ。

 総司令部のうち、軍令を担う参謀部からオルクセン本国へと幾つかの電信が打たれ、参謀たちが往来し、そしてミュンター海軍大佐がやってきた。

 彼は、占領軍総司令部参謀部からの命令書を受領していた。

「ベレリアンド半島に現存する海上警備体制及び港湾警備体制、燈台及び航路標識管理体制を調査し、警備機関設置に関する計画、組織案及びエルフィンド暫定政府に対する勧告案を提出せよ」

 これは、占領軍総司令部から「空想家たち」が一掃された時期と符合する―――



 ミュンター大佐の調査は、丁寧だった。

 補佐役の部下一名と副官を連れ、軍用特別列車を乗り継ぎ、総司令部手配の馬車を使い、ときに騎乗となって、ベレリアンド半島の沿岸部をほぼ一周している。

 彼は快活にして温厚篤実な性格をしていて、移動手段の軍用特別列車では旺盛な食欲も見せた。

 このころベレリアンド半島におけるオルクセン軍の特別列車は、ダイヤグラムや優先順位こそオルクセン側の所管だったが、運行の実態は再教育の完了した旧エルフィンド国鉄に委ねられるようになっていた。正式には、彼女たちはもうオルクセン国鉄の一部だったから、当然の推移といえる。

 軌道間隔改修も順に進められ、車両もまたオルクセン国有鉄道の主力であるOB七号型機関車や、客車、貨客車、貨車に切り替えられていた。

「真新しい車両は、すべてオルクセン軍用だよ。一方で白エルフ族市民は、旧エルフィンド国鉄の車両に台車交換を施したもの。あるいは戦時中にオルクセン軍が使用したお古の使い回し。そんな光景を見る度に、こん畜生、のし上ってやろう、いつか見返してやろうと思った」

 というのは、このとき経済犯として収監されていた、あの怪商アダーウィアル・レマーリアンが、ずっと後年になって語った言葉であるが―――

 将校移動連絡用列車は、実際に豪華だった。

 本国の特急一等車及び二等車並に設定され、ティリオンやアルトリアといった主要都市の駅舎には占領軍将校専用窓口があり、混雑や不便とも無縁でいられた。

 白エルフ族の客室係やコックも雇用されるようになっており、これはレマーリアンの感想はともかく、旧エルフィンド内では人気の職業であった。日常会話程度の低地オルク語習得が必要だったが、狭き門を潜り抜けて採用されれば、当時としては高額の給金を受け取れたからである。

 食堂室では、

「うむ、美味い鶏料理だ」

 大佐は、若鳥のローストを褒め称えた。

 彼は健啖家であった。

 上質な白パン。

 雄鳥のトサカと背肝、エトルリア米、エンドウ豆を具にしたコンソメ。

 新鮮なチャードと卵のサラダ。

 バターをたっぷりと効かせたサケのソテー。

 上級品の証であるかのように、グロワール風にプレ・ド・グランと銘打った若鶏。

 食堂車で提供されるコース料理を、余すところなく平らげた。

 中でも若鶏の柔らかさは、大いに気に入っている。

 提供メニューに鶏がよく用いられていたのは、復興途上のベレリアンドでも比較的調達の容易な食材であったからだ。

 これで価格は二ラング七五レニ。将校からすれば、たいへん安価だ。

 随員と三名で、ポルトワインとシャンパンそれぞれ一本も開けている。  

 そうやって精力的に沿岸各地を視察し、一〇月下旬にティリオンのマルローリエンホテルに事務所を開設した。

 マルローリエンホテルといえば―――

 半島占領軍総司令部に接収され、参謀部情報部長のアウグスト・シュティーバー大佐なども事務所を構えていた場所である。

 ミュンター大佐は、同地で報告書を作り上げた。

「ベレリアンド半島の海上治安維持、航海保安のためには、統一された海上警備組織が必要である。我が海軍がその任を担ってもいいが、そのためには多数の艦艇、兵員を要する―――」



 ―――国家憲兵隊予備隊海上部隊。

 そんな名前の組織が出来上がることになったこの年の末、エルフィンドで近代海軍を育てあげたトゥイリン・ファラサール元海軍大将は、既に病身だった。

 高血圧である。

 戦中からの患いであった。

 ファラサール元大将は飲酒を好み、酒量もたいへんなもので、これが原因であったらしい。

 侍従武官職も辞し、ティリオン郊外の自宅で静養する毎日を送っていた。

 彼女自身は己が「特別犯罪者」に指定されることも覚悟していたが、これは杞憂に終わっている。

 聴取は受けたが、まずこの聴取からして出頭を求められるのではなく、先方が赴いてくるというかたちであり、またその際、占領軍総司令部参謀部のオルクセン海軍将校から、

「提督については全て調査済です。戦前、一身を以てエルフィンド海軍を作り上げられたこと、また民族浄化行為には関与されていないこと、戦中の動静。一切を把握しております。提督が訴追されることは絶対にありません。我々は、提督を敬しております」

 と、「保証」を受けた。

 ファラサールが職を辞すとき、「黄金樹の守護者」の立場に身を置いていた王女エレンミア・アグラレスは、

「ファラサールには、苦労をかけました。これからは満足に会えないかもしれません。このようなときで何も用意できませんでしたが。これは、私が日頃使っていたペンとインクです。今日の記念に、持ち帰ってください。くれぐれも健康には留意するように」

 と、自らの愛用品を直接下賜した。

 退出したファラサールは、直後、ティリオン離宮の廊下で声を殺して涙を流したという―――

 このファラサール大将が、海軍省軍務局長だったホスティエレン少将を呼び、

「オルクセンも、いつまでも私たちを非武装のままにはしておかないだろうから。海軍再建を研究しておくように」

「海軍の者たちの優秀な技術が、後世の役に立てるように」

 密かな指示を下したのは、エルフィンド海軍が正式に解体された八七七年一一月以前のことであったらしい。

 ホスティエレン少将もまた「元少将」となったが、占領軍総司令部の聴取や戦史編纂に協力しつつ、ひっそりと小さな研究グループを作り上げた。

 ―――元少将二名。元大佐四名。元中佐二名。

 たったの八名。

 陸軍の「再軍備グループ」と比べれば、本当に小さな所帯だった。

 必ずしも、彼女たちの思惑通りに事も運ばなかった。

 オルクセン側がかなり早くから計画していた陸上の再軍備と違って、海軍の再建はまるで顧みられなかったからだ。

 占領開始直後には、むしろ特別参謀部軍政局筋で警戒感のほうが強かった。

 ホスティエレン元少将のグループは、「人員一万名、艦艇一二五隻、自衛火器及び艦載兵器を有する」という再建計画を作り上げたが、これは時節柄から見てあまりにも稀有壮大というもので、実現の可能性は皆無に等しかったわけだ。

 だが―――

 思わぬ事態の推移から、海上組織再建の機会がやってきた、と言える。

「提督、いよいよ・・・」

「焦ってはいけないよ―――」

 自宅静養中のところを、ホスティエレン元少将の訪問を受けたファラサールは、彼女を諭すように言った。

「占領軍総司令部は、予備隊方式の直轄組織として海上治安維持部隊を創るというのだろう? 最初は、うんと小さな組織にもなるだろう。君たちには、海軍にさえ思えないかもしれない」

「・・・・・・」

「それに。きっと、トップには軍経験の無かった者を暫定政府に選ばせ、据えるだろう」

「・・・・・・」

「だが、ともかく若い者たちを、どうにか参加させることだ。彼女たちの将来を作るつもりで始めることだ。我ら自身は、そこから身を引き、見守るつもりでやりなさい」

「・・・はい、提督」

「海は―――」

 応接室のファラサールは、窓を見やった。

 ずっと遠くを見つめているようだった。

「海は、必ず甦る」



 ―――「未経験の者をトップに据えるだろう」。

 ファラサール元大将の言葉は、正鵠を射ていた。

 国家憲兵隊予備隊海上部隊なる新規な組織の本部長として選ばれたのは、暫定政府逓信省で海運局長をやっていた官吏タリミア・オウギルだった。

 占領軍総司令部側から推挙を求められたウィンディミア首相が、誠実にして職務熱心な彼女の性格を見込んで選んだのだ、とされている。

 当初、オウギルはこれを強く辞去している。

「私は治安維持に関わったことがない」

 というのが、その理由だった。

 だが再三再四説得を受け、ついには就任を承諾した。

 暫定政府に籍を置いたまま、オルクセン側に出向するようなかたちで、海上部隊本部長に就任している。

「女史は、仕事熱心であり、一個の存在としては粋者である」

 と、ミュンター大佐は日誌に記している。

 白エルフ族には、彼女たち独特の、古典アールブ語を用いた作詩文化があり、オウギル本部長はその道の探求者であったのだ。

 そのためであろうか。たいへん困難なものであった海上部隊の創設時から発展期を振り返った彼女の回想録は、非常に文章に優れ、どこか一編の歌のようであり、読みやすい。

「参ったよ。治安維持と航海保安をやれというが、オルクセン側の用意した艦艇が本当にお粗末で」

 蒸気機関付き曳船三隻。それに、帆走のケッチやカッターと呼ばれる、これは計画造船の漁船となんら変わりのないものが一三隻。

 組織としては本部長官房、保安局、燈台局の三つ。

 陸上勤務を含む隊員数四〇〇名。

 たったこれだけの「戦力」だった。

 救いといえば、密輸などの影響が占領軍将兵や本国に及ぶことを恐れたオルクセン側が、極めて迅速に海上部隊設置を決めたこと。そして彼らの直轄組織となったことで暫定政府内の関係省庁間管轄争いの発生を回避できたこと。構成者の多くが戦時中の佐官級を筆頭に元エルフィンド海軍の者から採用されたという、僅かな点に過ぎない。

 ファラサール元大将の言葉通り、「海軍」ですらなかった。あくまで海上治安維持組織である。諸外国でいえば水上警察に近い存在だった。

 だが、彼女たちは懸命に働いた。

 荒れる海に、このような小さな船で乗り出し。

 大きな船には歯が立たず、少しでも脚の早い船には振り切られながら。

 魔術通信や探知をも用いて、懸命に密輸船を追い。

 ときに発生する凄惨な海難事故から、己が命すら賭け、要救助者を救い。

 不幸にも、殉職者も出しながら。

 徐々に船舶と隊員の数、規模を増していった。

 燈台や航路標識管理役となった隊員たちの苦労、払われた努力、世間からの継子扱いも筆舌に尽くしがたいものがあった。

 当時の燈台守りはたいへんな仕事で、充分な給養もままならなかったから、自ら敷地内で畑を耕し、昼に海辺へ降りて魚を釣り、交替で調理をやるというような、「自給自足」を強いられた。

 それでも彼女たちは、海を往く船のために、決して燈火を絶やさなかったのである。

 のちに下院議員となる初代本部長オウギル女史も、懸命に、誠実に、全身全霊を以て、この組織を育てる役割を果たしている。

 そんな海上部隊員の努力の積み重ねの結果―――

 星暦九一五年には、海上部隊は国家憲兵隊沿岸警備隊に発展した。このとき、ベレリアンド半島のみならず、オルクセン連邦の沿岸域全てを受け持つことになった。

 同時期、オルクセン海軍に婦人補助部隊が出来て、白エルフ族にも海軍への門戸が開かれた。最初はあくまで陸上勤務であり、彼女たちが本当の意味で海軍艦艇に乗り込むには、そこから更に長い年月を必要としたが。

 ―――ともかくも、白エルフ族にとっての海は甦ったのだ。




 ―――星暦一〇二一年八月。

「ファルマリア港のサリウェンです。御覧の通り、現在の天候は快晴。ベレリアンド半島には珍しいことと言えるでしょう―――」

 マイクを手にしたオルクセン国営放送の白エルフ族レポーターは、近頃はデジタル式となり、また随分と小型になったテレビカメラに向かって語り掛けた。

「今回の大型巡視船カッター派遣目的は、皆さんご存知の通り、アフェルカ東部ソマリランド沿岸警備隊との協同訓練でした。各国海軍の働きにより、かの地での海賊は随分と減りました。そしていま、現地の沿岸警備隊を育て、仕上げをしようとしている段階です。遠く洋上まで派遣できる沿岸警備組織を持つ国は稀であり、我がオルクセン連邦にとって国際貢献上、大きな役割を果たしていると言えます―――」

 レポーターはそこでちょっと言葉を切り、発足当初はうんと小さなものだったオルクセン連邦沿岸警備隊が、いまや要員約五万五〇〇〇名、船艇八四隻、航空機一九七機という、世界屈指の規模になっている事実をかいつまんで説明した。

 ―――発足以来の殉職者数、一九五名。

 その点には、視聴者に与える影響を考慮し、慎重に触れなかった。

 ―――年間平均救助船舶は、約一八〇〇隻。救助者数は約七〇〇〇名。

 白エルフ族にとって、千載に及ぶ海の歴史の一端そのものである。

 それから、ファルマリア港と、入港しつつある大型巡視船を、ほんの僅かの間、眺めた。

 総トン数約七三〇〇トン。

 全長一五〇メートル。全幅一七・〇メートル。

 純白の船体に、青いラインを描いている。

 見る者によっては、かつてのエルフィンド国旗を思わせた。

 沿岸警備のための船艇としては、世界最大規模のものである。荒れることの多い北海に対処している長い歴史のうちに、警備隊はそれほどの船を持つようになったのだ。

 岸壁には、接岸作業を受け持つ者以外にも、沿岸警備隊員や乗員出身氏族の者たちが集っていた。

「皆さん、御覧下さい―――」

 レポーターは、再びカメラへと向き直り、少し誇らし気に告げた。

「巡視船リョースタの帰還です」



(続)

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