随想録29 海道②
―――「建設工事は可能なり」。
アドルフ・ルーディング教授が発した通信文は、シルヴァン運河計画を象徴する言葉になった。
報道の見出しとなり、一種の衝撃となって、オルクセン国内を駆け巡っている。
ただし、運河協会会長で、計画の総括責任者でもあるオットー・ベンシェ教授はこの言葉を耳にしたとき、正気かと罵りを漏らした。
計画地全体の調査も、測量も、設計もまだ不十分な時期に発せられたものであったからだ。
オットー・ベンシェ教授は、ドワーフ族。
旧ドワーフ領の滅亡後、オルクセンへと移住したドワーフ族第一世代を経たのちの、「二世」にあたる。先祖本来の姓はベンシイェーリなのだが、彼の世代辺りから姓もオルクセン風に変え、完全に帰化してしまった家も多く、ベンシェもそのような一族出身のひとりだ。
彼らに言わせるなら、
「オークどもが、我らドワーフの言葉をまともに発音できんからだ!」
というのが、改名の理由である。
ベンシェらの世代のドワーフ族には、ひとつの特徴があった。
従来からの「腕は確かだが、粗野で乱暴な種族」という他種族からの印象とは裏腹に、多くの学者や研究者が生まれた、という点である。
これは考えてみれば当然のことで、彼ら種族はオルクセンへの移住に際して、グスタフ王から産業殖産の担い手としての役割を期待された。
冶金学、金属、鉱山、橋梁、農業、土木、建築、コンクリート―――
そのような歴史的過程において、職工、技師といった親方的存在に留まらず、「実用的学問」を追求する者は、自然と現れたわけだ。
ドワーフ族の祖父母、父母世代からすれば「上品になった若者たち」である。
ベンシェと同世代の者を幾らか例示してみれば、ヴィッセル社の現社長ヴェスト・レギン、ベレリアンド半島の農業改革に手腕を発揮した農学者ウォルフ・レビンスキーなどが該当する。レビンスキーは「改名組」でもあり、彼の場合、先祖伝来の発音と姓を使えば「ヴォルフ・レヴィン」だ。
ベンシェ教授もまた「上品になった」例に漏れていない。
同僚ルーディングの発言に対して、遠く離れたアーンバンド市に据えられた運河本体計画調査のオフィスから、随分と語彙豊富な罵りをたっぷり三〇分ほど喚き散らしたあと、実にドワーフ族の漢らしく、後腐れないよう水に流すことにしたのだ。
ドワーフ族曰く、他者のしでかしについて批難するのは一度で充分。
ましてや、面と向かっていなければ。
それに、ベンシェとしては―――
ルーディング教授の発言が、政治的意図を含んだものであることも理解していた。また、これが必要であることも。
オルクセン国内外に対して、運河建設に向けた機運を盛り立てておくことは、計画のプラスにはなってもマイナスになることはないからだ。
建設が始まれば協会は多額の公債を集めねばならず、国民の支持や諸外国投機筋の関心は重要となる―――
ただしベンシェがルーディングの言動を苦々しく思ったのは、宣伝には早すぎる、と考えていたからだ。もっと計画が系統立てたものとなり、調査や設計も進み、具体性を帯びてからやるべきだ、と。
「そのためにも、まずは地に足のついた設計案を、な」
ベンシェは、自身の直轄する運河設計について、まずは現地測量と
ダムの計画については、ルーディング教授に任せておけばよい。
何だかんだと言いつつ、同じ土木工学畑であり実績もある教授を、ベンシェは信頼していたのだ。
またベンシェは、「実践のひと」でもあった。
メルトメア州アーンバンド市に開設されたシルヴァン運河協会の出先オフィスから批判するだけでなく、自らも現地へと赴き、調査及び設計の実務に勤しんだ。
ベンシェの見るところ、運河掘削には大きな技術的障碍はない。
近代に入ってダム工学が日進月歩の進化を見せたように、運河についてもまた既に多くの実績が星欧にはあったからだ。
例えば、だが―――
星暦八二〇年代を前後して、キャメロットは国内に次々と長大な運河を完成させている。設計、建設の責任者となったのは同国の優秀な土木技師トーマス・ラザフォードであり、なかでもエールズミア運河の一部として作り上げた水道橋は、人々の耳目を集めた。
当時最新の鉄製であり、全長は三〇〇メートル、高さ三八メートルの高所に架かるという壮大なものであったうえ、水道橋としての役割と、運河ボートの往来路としての役目を両方果たせたのだ。
また、やはりラザフォードが計画責任者となって造り上げたグレートグレン運河は、幾つもの旋回橋により地元の陸上路と共存し、かつ多くの閘門や水門を使って高低差を乗り越えることを成し遂げている。
なかでも「海神の階段」と呼ばれる、全長五五メートル、幅一二メートルの個所は八つの閘門で構成され、約九〇分かけ、二〇メートルの高さを克服している。実証の成績によれば、三二門もの砲を備えたキャメロット海軍フリゲートを通過させることにも成功していた。
運河を作り上げたのは、キャメロットだけではない。
センチュリースター合衆国で八二五年に開通したイェリー運河は、構想から竣工まで一〇〇年以上、着工から数えても二七年の工事期間を要したものの、全長が五八四キロメートルもあった。東海岸から内陸までの物流を大幅に改善し、従来の荷馬車より遥かに迅速な往来を可能とし、輸送コストの実に九割以上を削減した。
この運河は、存在自体は内水面輸送における小型船舶用ではあったものの、「世界最長の運河」であり、その途上に存在した二一三メートルの高低差も閘門を使って処理に成功している。
そして何より、エッセウス運河。
グロワール人外交官にして実業家フェルディナント・ヴィコントは、外交面や資金面といった数々の困難を乗り越え、国際エッセウス運河会社を設立。実に一〇年の歳月をかけ、砂漠の大地に全長一六四キロ、深さ八メートルの大運河を掘った。
建設そのものもコレラなど疫病のため困難を極め、最盛期には一日三万名以上が建設工事に従事し、延べ総数では一五〇万の者が携わったという。
「星洋と道洋の結婚」と呼ばれた同運河は、まるでその存在そのものが一つの国家のようですらある―――
「運河側の作業で最大のものとなるのは、やはり中央分水嶺迂回路の掘削だな」
三〇名ほどの測量士、製図士を引き連れてツェーンジーク山脈南側の地方に赴いたベンシェは、濃い茶色の髭をしごく。
西はロザリンド渓谷、東はアーンバンドまで。全長約八四キロメートル。海面との高低差は平均で二八メートル。
ここに幅約一〇〇メートル、水深一一メートルの運河、高低差を乗り越えるための二つの閘門を造るのである。
運河全長約二五〇キロメートルのうち、残りの一六六キロメートルに相当するベレリアンド半島の西部と東部においては、元より存在するシルヴァン川を利用し、その拡幅、浚渫、そして干満差に対応するための閘門を建設する作業が主体となるわけだ。
「モーリア市の、パウル橋梁群の付け替え作業もあるが、な」
ベレリアンド戦争の開戦時、あの第三軍が奇襲によって奪取した橋梁群は架橋位置が低く、今後ますます大型化するであろう船舶の通行を阻害する。うんと高さをとって、最新のトラス鉄橋で架橋をやり直す。
また、ダークエルフ族の脱出行やアンファウグリア旅団の渡河作戦に使われたシルヴァン渡渉地付近にも、新たな鉄道橋を造ることになっていた。
やはり高さをうんと取り、架橋して、オルクセン本国アーンバンドと、ベレリアンド半島ファルマリア港を繋ぐ新路線の開設計画だ。こちらは正式には運河計画本体とは別個のものとなった、オルクセン国有鉄道社の所管事業である。
国有鉄道社は、作業用狭軌鉄道及び軽便鉄道の敷設、運行も担当する―――
つまり、掘削作業量として最も大規模となるのは、中央分水嶺迂回路部分ということになる。
ベンシェは、ざっと迂回路部分の掘削土量を計算してみた。
専門的用語を使うなら、地山掘削量と呼ばれているものだ。
たいへん、ややこしい話だが。
土木工学における掘削土量は、自然のままの姿であるものを計算する場合と、掘削後のものを計算するのでは求められる値が異なる。
これは考えてみれば極めて単純な理由であり、掘り起こせば土砂類は膨らむからである。
前者のことを、天然の状態のまま手の加えられていない姿―――地山掘削量という。
ただし、運河建設予定地の容積をただ計算すれば良いというものではない。掘る必要がある部分もあれば、そうでない部分もあるからだ。
「一億六〇〇〇万立方メートルか・・・」
弾き出された概算値は、途方のない量に思える。
施工期間は、一〇年と仮定。それでも一日当たりに投入する労務者の数は、最大一万名近くになるであろう―――
予算は、中央分水嶺部分だけで、閘門や仮設道、工事用鉄道なども含めて八〇〇〇万ラングは下るまい。
ダムやトンネル、シルヴァン運河の浚渫といった計画全体となれば、一億五〇〇〇万ラングほどにはなるのではないか。
―――一億五〇〇〇万ラング!
ベンシェは震えた。
オルクセンの年間国家予算は、約一四億ラングである。
ベレリアンド戦争の直接戦費が、約八億ラングだったという。
つまり正真正銘の、国家事業だ。
しかしベンシェは、こと土木工学の見地から言えば、この計画を実現可能であるとみた。
二五〇キロの運河、なかでも八七キロの迂回路が、たいへんな大事業であることは事実だ。
だが、大半の部分は既存の大河シルヴァンと、ロザリンド渓谷に代表される大渓谷部とを利用する。
しかも地質学的見地から言えば、一一メートルの水深に要する掘削は「ちょっと表面をひっかく」だけである。調査で判明している、硬い片麻岩や花崗岩、輝緑岩層の殆どに達することなく、山麗堆積物や氾濫原堆積物といったものを掘り返すだけに過ぎない。
予定地には、森林部や山麗露出岩などの障害も存在したが、オルクセンには既に首都改造計画にも投入実績のある蒸気式土木機械があり、発破用火薬があり、施工技法もある―――
予算についても、その全てが国家予算から支出されるわけではなかった。
運河協会発行の、公債を財源とする予定なのだ。
年間にして、約一五〇〇万ラングだ。
オルクセン鉄道公債や電力公債、ベレリアンド戦争戦時国債における国内外販売実績を見ても、充分に募集可能であると思えた。
「やれる。やれるぞ、これは」
期せずしてルーディングと同じ結論に達したベンシェの短躯を震わせているものの正体は、歓喜、発奮、高揚であった。
これほどの大プロジェクトに携わることが出来る。そして、その主務者を担うことが出来る―――
土木工学者冥利に尽きた。
ドワーフ族オットー・ベンシェは、紛れもなく父祖たちの血を引く「探求者」であった。
このころ―――
オルクセンには、外交上の貴賓があった。
この年一月に即位したばかりの、エトルリア国王ライネリオ一世である。
エトルリア統一戦争に終止符を打った父王の崩御により、跡を継いだ。
前年におけるグロワール帝デュートネ三世の崩御とこれに伴う政変は、良くも悪くも星欧社会の耳目を集めたにも関わらず、エトルリア王の即位はそうでもなかったという点が、まだ近代統一国家としては新参であった小国エトルリアの辛い立場を示している。
この新エトルリア王が、装甲艦一隻を御召艦に仕立ててオルクセンを訪問した。
名目上は、前年八七八年にエトルリアを親善訪問した、オルクセン海軍外地巡洋艦戦隊への返礼であった。
「我がオルクセンへようこそ、陛下」
グスタフ王は、王妃ディネルースを伴い、正装し、まだ齢三四であったライネリオ王と、その妻マルゲリータ、首席随行役であるイゾラベッラ伯爵以下随行団を自ら迎えに出た。
そうして、下にも置かぬ丁重な扱いをした。
まず、来訪港であるネーベンシュトラント港では、オルクセン海軍の数隻を見せ、港湾施設なども案内し、ついで国王専用列車センチュリースター号を使って供に移動し、ヴィッセル社本社工場、エアハルト造兵廠、モアビト・キルヒ社の鉄道工場といった、オルクセンを代表する重工業を視察している。
首都ヴィルトシュヴァインでは、ホテル・ヴァインモナートを宿舎に用意したし、大通りにはエトルリア国旗を掲げさせ、同じ馬車に乗って移動もするという、熱烈な歓迎の意を表した。
それというのも―――
エトルリア王国は、オルクセンとの外交関係深化を望んでいた。
同国の、地裂海を挟んで対岸にあたるトゥニスには、グロワールが進出。統一戦争以来関係を悪化させていた聖星教教皇領との間には改善が見られたものの、北には長年の対立関係にあるオスタリッチが控える。彼らとの間には、「未回収のエトルリア」と呼ばれている領土問題まで抱えていた。
近代国家として纏まったばかりのエトルリア自身のみでは、このような周辺環境に抗しきれないことは、外交上何ら得るものなく終わったヴィルトシュヴァイン会議の結果を見れば明らかである。
オルクセンは、彼らの要望に誠実に応えた。
とくにグスタフ王の明朗で篤意溢れる態度は、そのように見えた。
王妃ディネルースの見るところ、夫は、若きエトルリア王の人柄を気に入ったようである。陸軍将校として実直な青年期を過ごしたライネリオ一世は、たいへん大人しい、品のよい性格をしていたのだ。
ライネリオ一世の滞在中、ちょうど国立歌劇場で公開されていたオペラを、両国国王夫妻揃って特別席から観劇した。
このころ、元々は旧エルフィンドのティリオン王立歌劇団に属していた白エルフ族女優たちが、首都ヴィルトシュヴァインに常駐するようになっており、砂漠の国を舞台に国家の興亡と引き裂かれた男女の悲恋を題材にした、大評判の演目を上演していたのである。
「陛下。この戯曲は御国で作られたもの。これが我が民の演じるところとなり、またこうして御観覧の名誉に授かりますことは、期せずとして両国関係の親善を象徴するものとなりましょう」
「大兄の御心遣い、ありがたく。光栄なことです」
ライネリオ一世は魔種族のグスタフを「大兄」と呼び、品良く、終始物静かに応え、妻を気遣いつつ観覧した。
グスタフには、このようなエトルリア王の節度ある態度が気に入ったらしい。
これが、先代のエトルリア王なら―――
「それで。あの美しい女優は、一晩幾らですか?」
などと宣わったに違いないのだ。
先代王は、豪放磊落にして統一戦争を終結させた一種の傑物ではあったものの、同時にかのデュートネ三世を苦笑させたほどだという漁色家であり、そんな真似は珍しくなかったのである。
実直な陸軍将校として青年期を過ごしたライネリオ一世には、父王のような気配は微塵もなかった。
それでいて、祖国愛にはまるで先王に劣るところがない。
彼が即位するまでに、歴代のエトルリア王家には三名のライネリオという名の王がおり、本来なら四世を名乗るべきところであった。ところが彼には「統一されたエトルリアで初めて即位するライネリオだ」という気概があって、自ら望んで一世を名乗った。
愛妻家であった点も、グスタフ王と共通項を抱く。
このような好感に応えるように―――
一週間のエトルリア王滞在中、連日連夜の如く、国王官邸では舞踏会や晩餐会を開いた。
星欧としては、晴れやかで豪奢、享楽的な場もまた、外交舞台である。
成婚後のディネルースは、そのためにダンスの教育も受けていた。
「続けましては軍隊ステップです!」
流行りの、コカルデを取り込んだドレスを着て、慣れぬダンスを踊っている。
幸いというべきか、
「なんと。こんなに美しい御方が世におられるとは。一曲踊って頂けませんでしょうか」
「・・・ばか。女房を口説く奴があるか」
日頃の教練のころからグスタフがリードしてくれたので、どうにかやりとげることができた。
美食、佳酒、華やかな音楽と舞踊。
このような席は、しかし、まさしく外交の舞台だ。
国王官邸「大地の間」周囲には、幾つかの小部屋がある。休憩や歓談、喫煙のための部屋だ。
そのような一室を利用し、グスタフは、ライネリオ一世や首席随員イゾラベッラ首相と極秘の会談を持っている。
ヴィッセル砲に代表される武器の輸出。
オルクセン産業界によるエトルリアへの投資。
鉄道技術の指導。
フィロキセラ禍対策の農学援助。
これら会談中に取り決められた今後の両国関係についての内容は、多い。
「我が国としては、貴国の御力も借り、自存自衛の手段を確立させたいのです」
「承知しました。エトルリアの御役に立てるのならば、我が国としてもこれに過ぎる名誉はありません」
グスタフは即諾をし、王とイゾラベッラ首相を喜ばせている。
通称コンテ・イゾラベッラとして国内外に名高かったエトルリア首相は、能力に優れた人物だ。
彼にとって意外であったのは、海千山千の「魔王」からあっさりと、実にあっさりと協力関係構築を引き出せたことにある。
しかもグスタフは、
「いまからお話することは、我が国の国益上、ヴィッセルの者などには叱られましょうが。ライネリオ一世陛下。首相閣下―――」
「はい、陛下?」
「本当の意味で国家の自存自衛を図られるなら、我が国の技術を踏み台にもし、兵器は極力国産化されることです」
「・・・・・・」
「もちろん、差し当たってのご要望に惜しむものではありません。お望みのものは、なんでも輸出致します。しかし小銃などは、一日も早く、貴国独自のものを作られることです―――」
「・・・・・・」
「国家の根幹は、鉄と金。まずは鉄を造られることです。我が国は、そうしていまの繁栄を手に入れました」
「・・・なるほど。御忠告、御指導、我が身に沁みます」
たいへん篤実な助言を与えた。
後日のことだが―――
エトルリアはグスタフの助言を入れ、ヴィッセル社の技術者を招き、ユリウス銑鉄と呼ばれる国産鉄材を生産する。
そうしてこれを使って、やはりオルクセンから製造権を購入したヴィッセル二八センチ沿岸砲を国内で製造、沿岸防備の要として配備することになる。
エトルリア王来訪が成功裡に終わったあと―――
グスタフは、シルヴァン運河計画の第一次調査報告書を読んだ。
結果に満足し、更なる調査と詳細設計を進めるよう、署名を入れている。
そうして、ディネルースとふたりで気取らぬ夕食を摂った。
何しろ連日連夜、小ヒラメのエトルリア風であるだの、仔牛のフィレのポワロだの、ザリガニ肉のシタビラメ巻きといった豪奢な料理ばかりで過ごしたので、アルベルトに命じてオルクセン家庭料理風の献立を仕立ててもらった。
なかでも、旬のアスパラガスの、さらに柔らかな穂先のみを練り込んだオムレツにグスタフは喜んだ。
「好物に好物が重なるというのは、素晴らしいことだ」
「まったくだな」
献上のエトルリア産赤ワインを飲むディネルースは、少し甘い声で応える。
彼女はついさきごろ、昨年自らが大層気落ちした際、供されたスープを作ってくれたのが夫であったことを知った。アルベルトに、あの実に美味かったスープはどうやって拵えるのだと尋ねて、ようやく聞かされたのだ。
そんな真似をやっていたことを、まるで黙っていることが本当に夫という牡らしかった。
以来、夫に対する態度が普段に増して甘くなっている。
エトルリアとの外交交渉で、相変わらず見事なばかりの、魔術の如き才を発揮しているところを目の当たりにした影響もあった。
グスタフがあっさりとエトルリアの要望を受け入れたのは、彼らとの親交を深めることが、グロワールやオスタリッチへの牽制になるから。
これは、以前からの政策でもある。
そうでなければ、海軍艦艇の親善寄港などさせない。
かてて加えて、どうやらキャメロットとエトルリアの仲を取り持つつもりらしい。
エトルリアはどちらかというとキャメロットの地裂海政策とは対立関係にあり、むしろオスタリッチとの外交関係を改善させたがっているようだが、積極的に彼らの要請に応じることで「頭を上がらなく」し、こちらの望む方向へ舵を曲げさせてしまうつもりらしいのだ。
―――相変わらず、凄いひとだ。
「外交とは、最大限の誠意を以て相手に接し、自国の国益を通す特殊な技術だよ」
彼の言葉を思い出さずには、いられなかった。
食後、グスタフがパイプにイスマイル葉を詰め、至福の一服をやるときには、火を点けてやった。
日頃なら、そんな真似はしない。
態度の問題ではなく、パイプは、他者から火を点けることがやりにくい喫煙具だからだ。
だがその日の夫は、とても変わった、
長さときたら本当に珍しいほどで、顔のところから彼の巨躯の腹の辺りほどまでになる。
その先に、金覆い付きの、ちょっと大きなボウルがついている。
まるで異国の産物のようですらあった。
「面白いパイプだな」
「ああ、オルクセン南部の、山岳地帯風のものなんだ。とろりとしたいときには、良い―――」
ただし夫曰く、甘くまろやかな味わいになる一方、若干、吸うためにコツも必要なのだそうだ。
グスタフは、満足気に告げた。
「まあ、これも技術でね」
(続)
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