随想録24 過ぎ去りしとき

 ―――傍目からは、何がなんだか分からない。

 世に「政変」や「革命」と呼ばれる行為は、得てしてそのように思えるものだ。

 当事者たちにすら、掴みどころがないことも珍しくない。

 星暦八七八年九月、グロワール首都リュテスで起きた一連の出来事も、例外ではなかった。

 まず一四日、グロワール帝デュートネ三世崩御発表後に起こった最初の民衆蜂起は、とくにリュテス七区の国民評議会周辺で激しかった。あの、オルクセン外務省在リュテス公使館員マルティン・ヴェルツが目撃した光景である。

 この時点で、その実態は単純な「民衆蜂起」と捉えることは難しい。

 共和派やブルジョワ階層、正統王朝派といった、それまでグロワール第二帝政下で政変の「起爆役」を担ってきた連中も勿論いたが、詰めかけた市民の大半は貧困層だったのだ。

 市内各所で、バリケードを築いた者たちも同様である。

 グロワール首都リュテスは、あの歴史に名高い「首都大改造」で、貧民街を整理整頓した。市中心部にまで存在したものを、おもに二つの街区に集中させたのだ。

 ―――この住民たちが「主役」になった。

 急速な社会発展、これによって拡大した貧富の差、また第二帝政末期に生じた不況と物価高に苦しむ者たち。

 彼らは、たいへん誤解を生む表現ではあるが、基本的にはそれまで権力者たちに「従順」だった。前星紀初頭におけるグロワール市民革命の流れを組み、非常に緩やかな社会改革を望む者たちを主にしてきている。

 多くの労働者にとって、政治の当事者であるという認識が極めて薄かった、とも言える。

 その「蒙昧な者たち」が、キャメロットで発展した労働運動思想などとも結びつき、まず「思想家」や「指導者」たちが生まれ、次いで徐々に己たち自身も「当事者」であるという意識を覚醒させていったのだ。

 ―――革命主義派である。

 この思想的指導者たちが、更に市民の騒乱を煽った。彼ら自身の表現に従うなら「革命を成就させよう」とした。

 ここに、星暦八七八年グロワール政変の、たいへん興味深い特徴が潜んでいる。

 九月一四日、のちの時代風に言えば下院に相当する立法院議事堂に市民たちが押し掛けたとき、懸命に走り回って、

「いまは武力革命のときではない」

「時期尚早である」

 鎮静化を図ったのは、リュテス選出のということだ。

 ジュール・ル・タン、レオン・バルレス、ヴィクトル・アンリ・ルサイ―――

 国民からも大変人気のあった彼等が動き、市民たちの前へと出て、説諭に努めた。

 つまりグロワール政変の実態とは、帝政継続派、共和派、革命主義派が三つ巴になって争っていたことを意味する(実際にはこの時期、市民たち自身にとっては革命派と共和派の区別は明確ではなく、今少し複雑である)。

 立法院前の騒乱については、午後になると近衛騎兵が警備に駆け付け、威嚇のための射撃もし、また夕刻になって激しい雷雨が起こり、市民たちは自然と解散していった。

 だが―――

「一時市民は立法院議事堂にまで雪崩込み、知らせを聞いた皇妃は大いに恐慌す」

 と、参事官ヴェルツは記録する。

 そしてこの「恐怖感情」は、共和派にも共有されていたわけである―――



 このようななか臨時首班の座についたクリパオ将軍は、したたかであった。

 かつてグロワールが、キャメロットと共同で華国を攻めた際、首都燕京郊外の「九里溝」で大活躍をし、この名を冠した爵位を贈られた人物である。

 国内においても「英雄」として知名度があり、また、火中の栗を拾う選択である臨時首班を敢えて引き受けた点からも分かる通り、肝も据わっていた。

 騒乱翌日の一五日以降、彼は共和派代議士たちと立法院議事堂で協議の場を持った。

「この際、挙国的な臨時内閣を設けたい。私は首班でなくとも構わない。諸君らの提案を受け入れる」

 というのが、その論旨であった。

 これは極めて計算高く、巧緻に組み上げられた、政治的に狡猾な方法である。

 政争を治めるため、共和派提案を大幅に受け入れるかたちで「挙国一致内閣」を作る―――

 たいへんな譲歩をやっているようでいて、この場合の「挙国」とは、あくまで「帝政下において」である。そして、「臨時」のものだ。

 ―――つまり、帝政廃止の議論をうやむやにして、将来的な選挙によって体制の維持を図る。

 リュテスのような都市部はともかく、国内全土へ目を向ければ帝政を支持する者もまだまだ多かった。総得票数で言えば帝政継続は承認されるはずだ。

 そうして、留学中のルイ皇太子を呼び戻し、「デュートネ四世」として即位させる・・・

 クリパオ将軍は、皇妃オーギュスティーヌに対し、

「我らが成すべきことは、デュートネ四世陛下をお迎えするにあたって、国内の穴を埋めてしまう地均し役でありましょう」

 はっきりと己が構想を告げている。

 有言実行と評すべきであり、南部グロワール諸都市で起こった蜂起は、早くも武力鎮圧成功の気配を見せはじめていた。

 南部での蜂起は革命派を主体としたものであり、内容の多くは杜撰だった。共和派議員などの言う通り、「革命には早すぎた」のだ。

 リュテスにおいては、「敵の懐に飛び込む」格好で共和派と協議の場を持った点そのものもまた、彼の計算高さを証明している。

 共和派にしてみれば―――

 クリパオの提案を飲めば、帝政の継続を意味する。

 認め難いことだ。

 しかし、まごまごしていれば革命派が蜂起し、己たちの背後からも襲い掛かってくる懸念があった。

 協議は、長時間を費やしても容易に決着をみず、実に二日間に及んだ。

 おそらくだが―――

 クリパオの下に有力なリュテス方面の実戦部隊があれば、彼の狙いは成功しただろう。

 そうすれば軍の存在を直接的な鎮圧兵力にも使えたし、間接的には無言の威嚇とすることも出来たはずだ。

「然れども、軍動くに至らず」

 と、オルクセン国軍参謀本部機密報告は記録する。

 国内東部シャノワール兵営に集結したグロワール軍主力には、四名の元帥、六名の中将、一四名の少将がいたが、驚くべきことに統一された指揮官は存在しなかった。

 軍事用語を使って表現するなら、皆、逝去したデュートネ三世の「スタッフ」として参集した者たちである。

 司令部となったオテル・スタリオンには毎朝三〇名ほどの将校が詰めかけ、命令受領を望むものの、一向に要領を得ない。

 やがてリュテスから、クリパオの派遣した立法院副議長の伯爵がやって来て、軍主力をリュテス方面まで退いて欲しいと「命令」するも、

「クリパオが? どうして奴が。あいつに指揮命令権は無い」

「皇妃殿下の“御希望”だと言うが・・・ 軍には軍の作戦行動というものが・・・」

「それに、本当に摂政殿下の発したものなのかどうか・・・」

「リュテスの治安維持は、リュテス軍事総督の役目ではないか」

 軍幹部―――とくに四名の元帥は、クリパオ将軍よりずっと古参の者たちだ。

 おまけに故デュートネ三世独特の政治的バランス感覚で、帝政に批判的な正統王朝派の将軍まで名を連ねているという具合である。

 彼らは、各々の取り巻きである将校たちも含めて喧々諤々の議論はやるが、まるで結論には至らない。

 命令受領のための将校たちは、まだまだ高かった気温のなか、むっと蒸す一室で苛々として控えるままである―――

 挙句、オテル・スタリオンには「良く分からない連中」まで集まっていた。

 内外の新聞記者、自ら様子を確認したいと乗り込んできた議員、本来はリュテスにいるはずの陸軍省官吏、軍の御用を仰せつかる商人など。

 常に「何処の馬の骨とも知れぬ者たち」の誰かが出入りし、「機密など保持できる状態ではなかった」という。

 懸念の通り、九月一五日にはシャノワール周辺の軍兵力、配置、主要指揮官名等がそっくりそのまま、キャメロット報道紙にすっぱ抜かれるという事件が起きた。

 将校たちは、シャノワール近郊村落のカフェなどで、コーヒーを飲み、酒を啜り、肩を竦めるばかりだった。

「将軍たちは何も分かっていない」

「士官もだよ」

「俺たちゃどうなるんだろうな」

「腹が減った・・・」

 兵士たちは、もはや公然と上層部に対する悪態をつく。

 驚くべきことだが、彼等は各個ばらばらに地元村落へ赴き、パンを「ねだった」。兵たちの主食となっていたのは、兵営備蓄の乾燥オーツ麦を粥にしたものである。食えたものではなかった。

 このような混乱した状況の中、ヴァスール元帥という老齢の将軍が自ら希望して名乗り出て、将軍連の協議の末、ついに統一された指揮官となったのは一七日のことだ。

 ―――だが、ヴァスール元帥は一種の「怪物」だった。

 彼の手元には、集団としては相当大規模な数である約二〇万の軍がいる。

 元帥は、軍を動かさないことにした。

 動かぬことで、中央の政変がどうなろうと影響力を保ち、その先は己が意のまま―――というわけだ。

 とある気骨ある参謀将校が軍の現状について報告に行くと、元帥はホテルの一室に籠ったきりであり、火をつけていない暖炉の前に椅子を置いて座り、しきりにタバコを吸っていた。

「―――以上の通りです」

「うん」

 元帥は頷くばかりで、とくに指示を下しはしない。

 ただテーブルに脚を乗せて、部屋の天井に向かって煙を吐く。

 もう用はない、去れ―――というとき、グロワール軍の幹部がよくやった真似だった。

 参謀将校は、退室するしかなかった、という。

 結果としてグロワール軍主力は、八七八年政変に際し、結局最後まで何ら事態に寄与も貢献もすることは無かった。

「黄金より貴重な時間を、ただただ無為に過ごした軍隊」

 という評価は、軍への不信感となって、次の星紀まで彼らに付きまとうことになる・・・



 共和派にとって救いとなったのは、このような軍の「不介入」だ。

 彼らは民衆の熱気を利用し、一気呵成に事を進めてしまうことにした。

 手早く権力を握ってしまわなければ、革命派の蠢動や策謀、騒乱も許すことになる―――

 一六日のクリパオ将軍との協議中、

「再び市民たちが押し寄せてくる」

 という噂が議場に飛び交い、多くの日和見議員たちは蜘蛛の子を散らすように逃げた。

 協議も当然、中止となる。

 ところがこれは、共和派議員たちの流した欺瞞情報だった。

 彼らはこの隙に、「臨時政府」の閣僚名簿作成と、共和制復活宣言の準備に入った。

 市井から人気のあったレオン・バルレスを先頭に押し立て、リュテス市庁舎にて宣言を行う―――

 同時に文案を慎重に練り上げ、皇妃オーギュスティーヌに対し、帝政廃止と、摂政の廃位を迫り、更にはリュテスからの退去勧告を通告した。

「帝位の空位なるを鑑み、立法院は政務・国防・外交よりなる臨時政府を指名す。その後の状況の許すときは憲法制定議会を招集する―――」

 あくまで己たちは臨時政府、正式の共和制政府は選挙ののち発足する、との意である。

 前内閣の首班であったリオレが周囲から依頼され、共和制復活宣言文と、皇妃への通告文の文案を作った。

 よく人を見た選択であったと言える。

 リオレは共和派ではあるがデュートネ三世に協力した政治家であり、また文人としても知られていたからだ。

 実際、文案はたいへん優れていた。

 「帝位の空位なるを鑑み」とは、この一言で即ち「帝政の廃止」を意味する政治的表現であったからだ。

 そしてリュテス市庁舎の尖塔で強行された共和制復活宣言は、やはり市井から人気のあった共和政治家にして言論人レオン・バルレスが実行役に選ばれ、彼が動くならばと参集した大観衆を前にしており、この民衆の力を背景にして、体制の変換を既成事実化した。

「その数、二〇万を下らず」

 と、オルクセン外務省在外公館報告は記録する。

 共和政治家たちが辻馬車に乗り、車窓から身を乗り出し、手を振りながら、ボーヌ川左岸に沿って市庁舎へと移動、民衆を誘導した。

 これは一つの方面で行われたことではなく、別の大通りから、また別の辻からと、共和派政治家たちを先導とした民衆が続々と長蛇の列を作り、集まった。

 市庁舎には、警備のための警官がいたが、彼等は何の抵抗も示さなかった。

 この庁舎にはボーヌ県知事が政務に就いていたが、共和派の代表バルレスが入室すると静かに立ち上がり、

「お待ちしておりました」

 礼儀正しく引渡しをやり、退室。

 二度と戻って来なかった。明け渡しは、実にあっさりと終了したのだ。

 九月一七日、午後四時―――

「市民諸君! 我々はここにデュートネ三世とその一族がグロワールに君臨することを永久に廃したことを宣言する! 共和政万歳!」

 レオン・バルレスの宣言のもと、

「帝政廃止!」

「共和国万歳!」

 人々は、帝室の象徴であった鷲の紋章を引きちぎった三色旗を振り、絶叫した。

 このとき詰めかけた市民の大半は、ブルジョア層である。

 日付は平日で、労働者たちの多くは工場勤務中だった。

 だが操業時間を終えると、革命派に率いられた彼らもまた集まってきて、市庁舎の尖塔に掲げられていた三色旗に代わって赤旗を揚げようとした。

 しかし数に違いがありすぎ、この動きは果たせていない―――

 共和派の企図が成功したわけである。

 臨時共和政府は、自らの正統性を確保するための手早い行動にも出た。

 外相に就任したジュール・ル・タンが、在リュテスの各国公使に対し、臨時共和政府の発足と、従来と変わらぬ友好関係の維持を希望する旨、会談したのである。

 外相ル・タンは、キャメロット、オスタリッチ、アルビニーの公使には、水面下での皇妃説得役も依頼している。彼らはカルーゼル宮殿に参内し、実際にこの役を引き受けた。

 皇妃オーギュスティーヌは、それでも一夜粘った。

 しかし、宮殿周囲へも市民が参集。圧倒的熱狂を以て帝政廃止を訴え、デュートネ三世及び彼女自身への批難を叫ぶに至り―――

 ついに全てを諦め、

「・・・・・・帝政の廃止と、我が退位を了承します」

 オスタリッチ公使に対し、臨時共和政府への伝達役を依頼した。

 九月一七日早朝のことである。

 顔面は蒼白。

 恐怖と憤怒とで、その美貌と全身はわなわなと震えていた、という――― 


 

 この間、オルクセンは、主に外務省筋が情報収集に全力を挙げていた。

 エリゼ大通りに豪邸を構えるコボルト族シェパード種の大富豪ヘルマン・ドナースマルクが、人間族の愛人ルイーゼとともに、その役割の中心を担っている。

 ルイーゼのサロンには、日夜リュテス内の報道関係者、知識層などが集まり、それぞれの掴んだ情勢を大声で語り合ってくれるものだから、ただ待ち構えているだけで「情報」はやってきた。

 ロヴァルナ生まれの高級娼婦出身であったルイーゼは、この活動を楽しんでいたという。

 このころの、グロワールにおける高級娼婦とは、ただただ美貌と肉体に優れていれば勤まった職業などではなかった。

 社交界に出入りし、例え独学でも広範な知識を持ち、洗練された物腰と、ウィットに富んだ会話術を身に着けていなければ「高級」になどなれない。

 その意味で、ルイーゼは天性の「おとこたらし」であったと言える。

 元より彼女には、オルクセン情報機関の手先となっている自覚などなかったようだ。

 ただ、自らの主となったドナースマルクを愛していた。

 確かに、人間族の己からさえみても、彼は小柄だった。

 だが、「夫」の魅力はそのようなことでは語り尽くせないと誇っている。

 機知に満ちた会話。洗練された趣味、嗜好。人間族からは思いもよらぬ、長い舌。疲れを知らぬが如き腰。そして何よりも、尽きぬ金銭―――

 彼女のことを、「コボルトの愛人になった女」と批難や嫉妬をぶつける同輩たちは当然いたけれども、ルイーゼはまるで臆することなく、

「毛むくじゃらで野蛮なのは、人間族の殿方も変わらないわ。あのひとはね、わたしの大切なひとなの」

 胸を張ったものだった。

 彼女が唯一不思議がったのは、ときおり夫が、自室に籠りたがることだった。

 日に一度、小一時間ほど書斎に引き込み、出てこない。

 これは、ドナースマルクが魔術通信を使って、邸宅から約一・二キロ先に設けられていたオルクセン公使館連絡員の控えるアパルトメントに、収集した情報を届けている時間であった。

 彼は魔種族であるがゆえに、そして魔術通信を使えたがゆえに、その後も何十年とオルクセンのスパイ役を務め上げた。

 何度か疑われたこともあったが、ついにグロワール当局は彼がスパイである証拠を発見できなかったのだ。

 例えどれほど監視に努めようと、ドナースマルクが外部との疑わしい連絡や接触を図っている気配が見つからなかったのである。

 彼が本国オルクセンへと戻るのは、ここより三〇年ほどあと、魔種族の己より寿命の短かな存在であるルイーゼを失ってからのことになる―――

 八七八年政変に関して言えば、ドナースマルクにより送られた情報の数々が、いったいどのようにオルクセン当局に活用されたのかも、その後ずっと長い間、詳らかにはされなかった。

 諜報活動の常で、細かな記録の類も残っていない。

 ただ、国軍参謀本部兵要地誌局長カール・ローテンベルガー少将の指示のもと、国家憲兵隊首都管区司令エミール・グラウ中佐が、キャメロットの「同業者」と接触したのは、この時期だとされている。

 この行動の「オファー」は、キャメロット側からあった。

 オルクセンが資金と情報を出し、アルビニーが外交的黙認を与え、キャメロットが行動する極秘計画。三者の「国益」が合致したからこそ成し得たもの。

 ―――グロワール皇妃オーギュスティーヌの亡命である。



 オーギュスティーヌの首都リュテス脱出は、同一七日に行われた。

 前夜、宮殿庭園にまで市民が侵入する事例が起こり、皇妃はすっかり恐怖していた。

 市庁舎での宣言に合わせて民衆がそちらへと流れ、小康状態となった隙に、クリパオ内閣の大臣二名、海軍大将一名の側近たちが、

「いまを置いて機会はありません。どうかご出発を―――」

 奏上した。

 オーギュスティーヌはそれでも迷いを示したが、キャメロット、オスタリッチ、エトルリアの公使が参内して、あとのことは引き受けますと「保証」をやり、決心を促した。

 皇妃を案内したのは、「二名の外国人」であったという。

 中心を担ったのは自称キャメロット人医師で、エヴァンスという男だった。

 隣の別宮殿を通り抜け、ボーヌ川沿いに目立たぬ辻馬車を用意し、皇妃自身もまた華美ではない外出着となり、気丈な侍女一名だけを伴って、脱出を図った。

 残った側近や宮内府の官吏たちは市井の服装となり、街へ消えた。彼らもまた口々に、

「絶対の忠誠を誓う」

 などと皇妃を励ましながらも、当の皇妃が脱出した瞬間、「帝政を捨てた」のだ。

 リュテス市街と郊外には、城壁がある。城門はどこも堅く閉ざされていた。皇妃一行をこの事態下で引き受けようなどという貴族もいない。

 エヴァンスは己が邸宅で一晩、一行をかくまい、「自らの家族である」という偽造の旅券を用意。

 翌一八日早朝になって再び馬車を仕立て、城門を通過することに成功した。

 この城門の番兵は、リュテス市内の何者かによって買収されていた、とも伝わる。

 馬車はそのまま北街道へ向かい、ときに馬を変え、経路を選び、同日夕刻には国境を越えて、アルビニーへと到着。

 心労と疲労、前途への不安に憔悴した皇妃は、アルビニー王室が非公式に用意した汽車に乗せられ、海峡沿いの港テステーレプ港のホテルへと送り届けられた。

 彼女を待ち構えていたのは、キャメロット政府の手配により留学先から海峡を渡ってきた、皇太子ルイだ。

 痩身で、気の弱そうなところのある息子ルイの姿を認めると、それでも皇妃は涙を流して喜び、叫んだという。

「ああ、ああ・・・ルイ! 私には貴方だけになってしまいました・・・」

 皇妃一行は翌一九日、渡峡。

 庸船となったアルビオン海峡汽船のフェリーには、ずっと遠く水平線上にキャメロット海軍の軍艦が随伴した。公式には直接の護衛ではない。キャメロット政府は、決してそれを認めなかった。

 海峡を望むコンスタブルという寒村に、元貴族のカントリーハウスだったという邸宅が手配されていた。

「ルイ、こちらは?」

が用意してくれたものです。何かと不便もありましょうが、何卒まずは御静養を・・・」

「・・・わかりました」



 ―――グロワールの政情は、ようやく安定を見た。

 周辺国にすれば、貿易や外交、国防上の混乱がやっと終息したわけである。

 国家間の対立というものは、ときに奇妙な判断を生む。

 例えどれほどいがみ合っていても、「まともな政府が存在する相手」として成立してもらっていた方がマシ、というような。

 ただし、たいへん厳格に史実を記していることで知られる「グロワール第三共和政史」は、海外の干渉があったことなど一切認めていない。

 周辺国の公式記録や、文書の類からも、何も出てこない。

 残されているのは、傍証の数々だけだ。

 ―――この時期、ドナースマルクの膨大な財産が、馬車一台分と馭者の給料、兵隊数名分ほど手配や買収できそうな程度、僅かばかり目減りしていること。

 ―――コンスタブルのカントリーハウスは、元ファーレンス商会の持ち物だったこと。

 ―――エヴァンスなる医師は、キャメロット連合王国医師免状記録には存在しないこと。また彼が、在リュテス公使館の駐在武官某と瓜二つであったこと。

 ―――アルビニー王国の黙認がなければ、皇妃及び皇太子一行の通過や滞在など不可能であること。

 そして。

 この事件のあと、キャメロット王国軍事諜報部とオルクセン国軍参謀本部の間で、前者からはキャメロット国内の、後者からはグロワール国内の、過激労働革命家のリストが極秘裏のうちに交換されていること。

 ただし―――

 仮に彼らの「何らかの活動」が本当に存在したのだとしても、グロワールの政変はこのあとしばらく続いた。

 在リュテスのオルクセン公使館員ヴェルツに、グロワール陸軍中佐某が告げた通り、グロワールに新たな体制を築き上げた臨時共和政府は、陰惨な「同士討ち」を始めたからである。

 選挙を経て正式な政権となった彼らは、自らの足場を固めるため、それまでの第二帝政以上に、過激革命派の摘発に乗り出す。

 そしてこの翌年三月、革命派の一斉蜂起を誘発してしまう。

 首都リュテスから政府を追い出すほどの勢いで蜂起した革命派は、世界初の労働者政権リュテス・コミューンの樹立宣言に至るも、だがその後、共和政府の凄惨にして苛烈な反撃に遭い、八七九年五月、武力鎮圧されるに至る―――

 グロワールの政情が本当に安定したのは、この鎮圧後のことだ。

 つまり、八七八年グロワール政変とは、大きな目で見ればこの翌年まで続いたことになる。

 ―――皇妃オーギュスティーヌにも、巨大な悲劇が待ち構えていた。

 コンスタブルには、多くのグロワール貴族たちが彼女たちを慕うかたちで亡命してきたし、彼女にはイザベリア経由で温存を図った莫大な財産があり生活にも困らなかったが、彼女の望む帝政の復活など果たせなかったのだ。

 何故なら。

 彼女に「たったひとつ残されたもの」皇太子ルイが、この翌年、彼にしてみれば恩義のあるキャメロットの、植民地戦争に志願して従軍。

 ―――そこで戦死してしまったのだ。

 失意のオーギュスティーヌは、デュートネ三世の帝室のなかで最も長生きし、翌星紀前半に故郷イザベリアで亡くなっている―――



「・・・・・・・哀れな、ひとだ」

 亡命成功の報せを耳にした直後、ディネルース・アンダリエルは感想を漏らしている。

 ただしそれは己ひとりのときのもので、二度と口にはしなかった。

 ディネルースにしてみれば、オーギュスティーヌが自国の国民や、ありとあらゆる政治勢力、そして周辺国からさえ邪魔者扱いされ、その後は飼い殺しにされたように見えたのだ。

 ただ―――

 その夜、ディナーのとき、あるいは寝室で、夫グスタフをそっと見つめた。

 ―――同じ為政者。このひとと、デュートネ三世の差は何処で生じたのだろう。

 夫と、デュートネ三世の政策の一部は似ていた。

 だが、結果はまるで正反対だ。

 おそらくだが。

 夫は、オルクセンという国家そのものの国威発揚を求めた。己の権威など、そのあとで着いてくるものだと。

 だがデュートネ三世は、己が権威をまず主に考えた。細かなところを見れば決して無能な為政者であったなどとは思えないが、少なくとも帝政末期は己が自身の権威を求めた。

 ―――その点に最大の差異がある。

 私は、このひとと出会い、このひとを選び、このひとに選ばれて幸せだ・・・

 そんなことを考え、夜、夫の胸に頬を摺り寄せた。

「どうした・・・ ディネルース?」

「・・・なんでもない。なんでもないんだ」

 翌九月二一日。土曜。

 ディネルースは、いつものように夫とともに恒例の朝市通いを済ませ、彼が午前の執務を終えるまで、執事長アルベルトの淹れてくれたコーヒーを飲み、隣の休憩室で読書をしてグスタフを待った。

 このとき彼女が手にしていたのは、国軍参謀本部編纂の「ベレリアンド戦争公刊戦史」、その第三巻だ。

 全てが刊行されれば、全八刊、附属図録資料二刊から成る予定のものである。

 軍の一翼を率いた者としては、純粋な興味を寄せていた。

 だが、内容を読み進めていくうちに、近頃では、

 ―――これは、いかんな。

 などと思い始めている。

 たいへんな勝ち戦だった為だろうか。

 全体の記述が総花的であり、とくにオルクセン側の失敗に関しては言及が少ない。まるで触れられていない部分まである。特定の誰かが責任追及されないよう、最初からそんな編纂方針で作られているらしかった。

 オルクセン軍にとって、悪しき前例となるのではないか。

 ―――いつか。ずっと時間が経ってからになるだろうが。私自身の手で、あれこれ調べたいものだ。

 そんなことを考え、頁を繰る。

 ちょうど、第三軍によるアルトリア包囲戦が終結を迎えたところまで読み進めていた。

「・・・・・・・」

 とある記述に、目が留まる。

 体が固まった。

 何度も、何度も、その部分を読んだ。

「・・・・・・・」

 彼女は、大きく吐息をつき、それが震えていることを自覚した。



「・・・王妃殿下から?」

 国軍参謀本部資料局戦史編纂部。

 同部長である大佐は、国王官邸警備のアンファウグリア騎兵が図嚢に収めて伝令に来た、非公式の下問書を眺めた。

 王妃ディネルースが「ベレリアンド戦争公刊戦史」に興味を抱いてくれていることは、知っていた。

 ―――ありがたいことだ。

 と、思っている。

 戦史編纂部は、所帯としては小さな部署だ。

 その刊行物を、王妃殿下が御愛読されているとあれば、プレッシャーではあったものの、名誉なことであったし、こう言っては何だが予算の確保にも役立つと感じていたのである。

 過去にも、「ロザリンド会戦史」、「デュートネ戦争公刊戦史」などを奉呈していた。

 ときおり、質問状が来る。

 どれもあくまで非公式扱いであり、文章は慇懃で、王妃個人が元軍人として興味そそられた内容を尋ねるという態になっていたことも、部長を喜ばせていた。

 精一杯の配慮を示されたうえでのもの、と理解できたからである。

 だから専属の部員一名をつけ、丁寧に、かつ迅速に返書を用意したものだった。

 この日もまた、既に土曜午前の執務終了近かったところへ来た質問書へ、とくに不審にも苦にも思わず、また回答を週跨ぎにさせようともせず、臣下として精一杯の対応をした。

「・・・ふむ。アルトリア戦の解囲軍? 参加エルフィンド軍将官の?」

 おおい、誰か、と部下を呼ぶ。

 すぐに返答があった。

「セレスディス・カランウェンですか? ああ、例のゲリラ戦の指揮官です―――」

 部下は言った。

「ええ。推定ではありますが、戦死しておりますな」


 

(続)

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