随想録23 短剣と外套

 ―――「情報」とは扱いの難しいものである。

 オルクセンは、グロワールの混乱した内情を、ほぼ正確に掴んでいた。

 「世界最強」と呼号するグロワール陸軍の実情が、どうやらそれほど恐ろしいものではないようだ、という事実も。

 例えば、だが。

 数年前グロワール帝が、鉄工業経営者のためにパンテールローズ重工社クルーゾー工場のストライキを鎮圧したとき、投入した兵力が四〇〇〇名であることを察知していた。グロワール国内の報道より速く。

 また、何としても昔日の名声を回復したいグロワール帝の下令により、国境部に近いシャノワール兵営で大演習が始まったとき、動員の具合がどうにも古めかしい、と気づいていた。

 歴史上グロワールでは、しばしば政変に軍が参加してきた。市民革命しかり、デュートネしかり、またその一〇〇日天下の開始時しかり、である。そのため第二帝政下においては彼らの叛乱を恐れ、「軍の衛戍地を固定しない」という方針を採った。クーデターで政権を握ったデュートネ三世らしい判断と言えよう。

 これが、何とも奇妙な動員体制を生んだ。

 国民義勇兵に動員をかけるとき、まず居住地から遠く離れた場所に駐屯する原隊へと向かわせ、銃や被服といった装備の支給をやり、そこから軍の展開地へぽつりぽつりと小雨を集めるように送るのだ。

 徴兵制による郷土部隊方式を採っていたオルクセンと比べれば、確かに「奇妙なやり方」である。

 それでもグロワールの陸軍大臣は、

「準備万端。兵のゲートルのボタン一つにも手抜かりは無い」

 と豪語したけれども、実際には発動から一カ月が経過したところで常備軍一八万が集まったあと、さっぱり動員は進まなくなった。

 これは驚くべきことだ。

 万が一オルクセンやオスタリッチなどと戦争になった場合、真正面に立つ方面の軍隊が「集まらない」という。

 兵隊が一人一人てんでばらばらに、駅まで徒歩で行き、列車に乗り込み、演習地である兵営に向かうのである。

 出身地で乗り込むわけではないから、道に迷う者なども当然出る。

 乗車の列車を長時間待つ者、やっと汽車が来たと思えば混雑していて諦めた者、乗り込めたはいいが途中の食事も入手できない者・・・

 集合地であるシャノワール兵営へと目を向けてみると、将軍連は妻や愛人を連れて旅行気分、兵士たちはとくに指示もないので、近くの川で釣りをやっているという有り様である。

「兵に食わせる金無し。最寄りの役所金庫にも皆無。主計部にても同様」

「本官はシャノワールに到着するも、予の指揮すべき旅団の姿無し。我が部隊は何処にありや?」

「看護人も事務員もひとりもおらず。行李隊、野戦用パン釜、野営器材、測量機、一切無し」

「軍にパンとビスケット欠く。リュテスの糧秣廠にて用意し、追送は可能なるや?」

 これらは、「大演習」初期においてシャノワール兵営と陸相の間に飛び交った電文の数々である。

 将軍が、麾下とすべき部隊が何処にいるのか分からないなどという部分に至っては、正気とは思えない。

 皇帝デュートネ三世が絶望に至り、精確な因果関係は不明であるものの病状を悪化させ、死に至ったのも道理というものだ・・・

 ―――このような実情の軍隊が、オルクセンに対し、何等かの軍事的行動を取るとは思えない。

 後世の目から見れば、明確なことだ。

 だが、オルクセンは戦時動員をかけた。

 何故か。

 国防上、本当に気を抜いていいのか、のだ。

 確かに、オルクセン軍はグロワール軍の演習動員状況を知っていた。

 知ってはいたが、「何をやるつもりなのか分からなかった」。

 内情の幾らかを察知していたものの、

 情報伝達手段も、諜報という仕組みもまだまだ未発達だった「時代の限界」である。

 そして皇帝が逝去し、政情が不安定となり、一軍の指揮命令系統が宙ぶらりんになったまま、国境部の近くに大軍を以て控えている―――

 分からなかったで不味ければ、

「なんだ、これは・・・」

 困惑したと言ってもいい。

 オルクセン国軍参謀本部兵要地誌局長カール・ローテンベルガー少将は、興味深い見解を述べたことがある。

諜報インテリジェンスとは、料理に似ている」

 如何にも、食に拘るオルクセンらしい例えだ。

 この場合の食材とは、「情報」だ。

 何処そこに何万の敵軍がいます、何日までにどれくらい増えそうですよ、という素材。

 この食材に、調理や味付けを施す作業が「分析」である。

 そうして出来上がった料理を、国を統治する者、軍を統率する者に提供することが「諜報」だと。

 更にローテンベルガー少将は続けて曰く、

「つまり、入手できなかった食材は、料理のやり様がない」

 ということになる。

 グロワール政情危機のとき、彼に用意できなかった食材とは「グロワール軍の意図」だった。

 軍の規模も、配置も分かる。内情も幾らか。

 だが、彼らが「これからどうするつもりなのか」が分からない。

 当然であった。

 当事者たる、のだから。

 彼らは政変に接し、一体どうすれば良いのか決めかね右往左往していた。本当に判断のつかなかった連中もいれば、己が将来のため故意に意思を明確にしない者、様子見を決め込んだ者もいる。

 ―――国防上、オルクセンとしては軍を動員せざるを得ない。

 国境部を防禦し、万が一の事態に備える。

 また、亡命者の受け入れはともかく、革命騒ぎの波及は食い止めなければならない。

 九月一四日の夜、

「違う、違う。一号じゃない。二号だ、二号。そう、二号計画だ。何を言っている、一号などやれるわけがないだろう!」

 国軍参謀本部で、すわグロワールと開戦か、いよいよ奴らを討つのかと騒めく作戦部参謀たちを前に、参謀本部次長グレーベン少将が色をなして否定していた通り、オルクセン軍が用意していた対グロワール戦時作戦計画三本のうち、二号作戦計画を発動した理由はここにある。

 一号作戦計画は、グロワールに対し自らイニシアティブを握って越境に踏み切る、攻撃的なもの。思想としては、ベレリアンド戦争の六号計画「白銀作戦」に近い。

 対する二号計画は、グロワールから戦争を吹っ掛けられた場合に備えて、自国領土防衛のために作り上げられたものだ。

 国軍参謀本部では、最大で三〇万の動員兵力を統括させるため、「モナート軍司令部」を設け、ベレリアンド戦争での活躍により昇進していた元第一軍団長テオドール・ホルツ上級大将を軍司令官に据えた。

 同時に西部国境各地の要塞群に対し、備砲の閉鎖解撤、食糧及び医薬品の備蓄を命じている。

 動員兵力の大半は、各要塞に入れる―――

「グレーベン」

「はい、総長」

「ホルツは、ベレリアンド戦争終結時にも国境部の防禦をやらせているから大丈夫だとは思うが。念のため、国土防衛のための発動であると徹底させたい」

「それが良いでしょうな」

「すまんが、お前、ちょっと行ってきてくれ」

「・・・止むを得ませんな」

 国軍参謀本部は―――というより、オルクセンの参謀将校たちは、長年に渡って対グロワール戦争の研究をしまった。

 戦争計画を弄びすぎたと言ってもいい。

 結果として軍内に醸成された空気とは、

「グロワール討つべし」

「この機会を逃す手はない」

「オルクセンの国家発展のためには、グロワールとの将来戦争は避け難い。内政も外交も一朝事あるに備え、出来得る限り早期にグロワールは倒してしまうべきだ」

 というものである。

 だが、ゼーベックやグレーベンは、あくまで冷静冷徹だった。

「現今の国際情勢下で、グロワールに戦争なぞ吹っ掛けられるわけがない。ベレリアンド半島占領軍を抱えたままでは、実質的な二正面作戦です」

「その通り。それを一番理解しているのが、お前だ。作戦指導役として赴き、現地の若手参謀たちの首根っこを押さえておいてくれ。陛下もそれをご懸念されている」

「わかりました」

 グレーベンとしては、嘆息せざるを得ない。

 彼自身としてもグロワールは「国家百年の敵」であったうえに、ベレリアンド戦争中にあれほど信頼を寄せることのできた部下二名、ライスヴィッツ中佐は昇進して占領軍総司令部におり、ビットブルク少佐は遠く道洋に赴任している―――

「・・・あいつらと比べれば。まったく、若い者たちと来たら」

「ふふ、ふ」

「なんです、総長?」

「いやなに―――」

 ゼーベック上級大将は、にやりとした。

「ベレリアンド戦争前のお前さんにも、随分と手を焼かされたのだがな。そのお前が、今度は若い者たちを宥める役に回ったと言うことだ」



 オルクセン西部。ランゲンフェルト州。国境都市ヒューゲルベルク市近郊。

「班長。そこ、一〇ミリほど低いな」

「・・・本当だ。標尺もなく、見た目だけでよく分かるな」

「当たり前よぉ、こちとら何年やってると思ってんだ」

 オルクセン国有鉄道社のまだ若い保線部技師フォークトは、まるで測量機能でも眼球に備えているのかと思いたくなる熟練線路工たちに、舌を巻いていた。

 四名一組となった保線工を横一列に並べ、タンピングと呼ばれる道床搗き固め作業。これを更に数組束ねた一班を監督しているところだった。

 オルクセン軍の動員が鉄道輸送を主体とする以上、動員令が下されると、国有鉄道社もまた特別軍隊輸送に向けた準備に入る。

 国軍参謀本部兵站局鉄道部から連絡を受けた国鉄は、輸送列車の手配、ダイヤグラムの検討を行いつつ、使用予定路線の膨大な保守点検作業を始めた。

 この作業は、深夜に実施される。

 実態は広範であり、複雑であり、枚挙に暇がない。

 例えば―――

 鉄道路線は、場所に依って日常的な輸送量や地理的条件が異なっている。中身が異なれば、全て同じ施設や保守を持たせることは不可能であるし、経済的ではない。

 そこでオルクセンの鉄道路線は、特別線、A線、B線、C線及び簡易線の五等級に区別してあった。

 保守作業もまた、この五等級分類に則って細部が異なる。

 点検内容のひとつには、線路の高低が基準値からズレていないかというものがあるが、特別線及びA線では許容値七ミリ、B線では八ミリ、C線では九ミリまでといった具合だ。

 このような「基準値」が、ありとあらゆる部分に定めてあった。

 ひとつの路線でも、軌条間隔でいえば直線部と曲線部は同じにするわけにいかず、曲線ではスラックと呼ばれる余裕が持たせてある。脱線を防止するためだ。

 継目にも気を使う。鉄道線路で最も弱い部分であるうえに、車両にも良い影響を与えないからだ。温度差で生じる伸縮の影響が出る部分でもある。当然ながら、同じ等級だったとしても国土の北と南や、開豁地であるか隧道内であるか等で差があった。

 枕木に用いられている材料も、場所や調達時期によって異なった。理想から言えばクリの木が良いのだが、なかなかこればかり調達できるわけでもなかったので、トウヒやヒバなども使われている。ちかごろでは防腐材を注入する技術も生まれていて、この有無も影響する―――

 こんな膨大な点検項目が、通常の平面軌条に加えて高低といった地形差、橋梁、船舶運航の可動橋、伏桶部、隧道、駅、分岐箇所、踏切、信号機などと複雑に絡み合いながら横たわっているわけだ。

 つまり、特別軍隊輸送を成し遂げるためには、想像もつかないほどの苦労が払われている。日常の運行についても同様であり、膨大な戦時動員ともなると尚更のことである。

 一直線であるべき軌道間隔に狂いが生じている部分を、修正する作業。

 軌条面の高さ修正。

 タンピングと呼ばれる、道床を緊縮する作業。

 どれもこれも、放置すれば振幅や振動を誘引し、鉄道車両の脱線事故を生じてしまう。

 保守作業の大半を占めるのは、タンピングだ。

 四名一組になった保線工たちが揃った動きで振り上げ、打ち下ろすのは、片側の先端が平たくなったツルハシの一種である。

 枕木一本に対し、これを何十回と打ち下ろし、周囲の砕石を搗き固め、軌道の高さを調整する作業だ。

 線路工たちは、調子を揃えるために歌を使う。


 我らの鉄道 命の守り

 力の限りで 打ち込め

 我らの誇り 保線の魂

 輸送の安全 打ち込め

 我らの鉄道 ここにあり


 線路工たちは、軍の略帽に似た国鉄の鍔付き制帽、デニムのオーバーオール、淡い青縞のシャツという姿だ。

 まだ他国では、鉄道運転手や駅員、所謂赤帽たちはともかく、作業夫は古着などをてんでばらばらに着込んでいるから、先駆的だ。

 星欧では、夏季といえども夜は冷えた。

 それでも彼らがシャツ姿なのは、夜間でさえ汗ばむほど過酷な労働だからである。当然ながら、作業班は力持ちのオーク族たちばかりで構成されている。

 ちかごろでは国鉄も随分と気を使っていて、琺瑯引きのポットや、コーヒー豆くらいは用意してくれていた。

 これに各自、ブリキの弁当箱に持参した夜食を摂る。

 ただし、その休憩時間は明け方近くだ。

 夜間しか作業できない以上、始発の運行開始までに全てを完了してしまわなければならない。

 作業は一日の運行が全て終了してから実施されるが、万が一ということもある。確認漏れの回送列車の通過でもあれば、事故を生じかねない。雷管を利用した軌条敷設の重量感知式警笛装置が、作業現場の上下に仮設してあった。

 この警笛装置も含め、ダイヤグラムを確認しつつ片付けまで済ませてしまい、汽笛を鳴らす始発便が盛大な排煙を吹き出しながら進む姿を、安全確認のため片腕を水平に伸ばした揃った所作で見送る。

 ようやく、食事だ。

 もう、朝食と変わらない。

 だが線路工たちには、密かな楽しみがあった。

 作業用の角スコップを使い、これをまるで「オークの牙ほど」輝くまで磨いて、持参したヴルストや卵、ジャガイモといった食材を焼くのである。

 運転手や給炭夫から教わり、広まった方法だった。彼らはそれを機関車の釜でやるが、線路工たちは焚火や軍払い下げの野戦釜を頼りにした。

「いい匂いだ。たまらなく美味そうな匂いがしてきたぞ」

 フォークト相手に線路の高低を一目で見抜いてみせたあの熟練工が、腹の虫を誘ってやまない焼き音を立てるヴルストと目玉焼きに鼻をうごめかせ、さあ食ってやるぞ、食ってやるぞという様子で呻く。

「班長さん、あんたのぶんも焼いてやろうか」

「いいなあ、頼むよ」

 ごくりと生唾を飲んだフォークトは、どっかりと彼らの側に座った。

 線路工は、くっくと嬉しそうに笑う。

「いいな、とてもいいよ。班長。あんた、出世するぜ」

「なんだい、いきなり」

「大学出の技師さんたちの中には、俺たちのことを見下す奴も多いんだ。同じ現場にいながら、側に寄ろうともしない奴も珍しくない」

「・・・・・・」

「でも、あんたは違う。俺たちの目視も信じてくれた。きっと出世するよ。いや、ぜひ偉くなってくれ」

 フォークトは、焚火に直焼きして温めたポットから各自のカップにコーヒーを淹れてやった。挽いた豆から直接煮出しているから、上澄みを啜り、滓は捨てる飲み方をする。

 若いフォークトは、耳に残った線路工たちの歌を思い出していた。

 ―――我らの誇り、保線の魂。我らの鉄道、ここにあり。

 そう。

 オルクセンの鉄道は、彼らが支えている。

「・・・見下したりするものか。決して」 


 

 軍の動員を裁可すると、グスタフ・ファルケンハインは各国公使との会談を欲した。

 国軍参謀本部、外務省などとも綿密な打ち合わせをやったうえでのことだ。

 アスカニア、ロヴァルナ、オスタリッチ、エトルリア、そしてキャメロット―――

 グロワールを除く星欧列商七カ国セブン・スターズ全てに、軍の動員を包み隠さず通告したのだ。

 何故か。

「いまオルクセンに必要なものは、誠意だよ」

 間違っても、グロワールの混乱に乗じて寝首をかこうとしている、などと解されることは避けねばならない。

 そのような誤解を招けば、列商各国は例外なく、国威発揚著しいオルクセンが「調子に乗っている」と見るであろう。

 国際外交の場では、ままあることだ。

 例えば、だが―――

 グロワール帝は、ベレリアンド戦争の終戦時、介入をやろうとした。とくにスクラムを組んだロヴァルナとアスカニアが手を引いてなお、干渉を続けようとした態度がいけなかった。

 これは、グロワール国内外から「帝の傲慢」と見られた。

 各国外交筋は勿論のこと、足元の国内からも不評の嵐になったのである。

 たいへん意外なことのようだが、あのときグロワールの国民はオルクセンの勝利に賛辞を送った。首都リュテスの大通りで、祝意を表するパレードが自然発生したほどだ。

 それほど旧エルフィンドの「悪行」は評判悪かったし、オルクセンの戦勝は「正義の善行」であると見なされた。

 共和派や反政府系新聞などが、世論の誘導もしている。

 彼らの奇妙にも思える動きは、グロワール国内の政治的勢力争いから来ていた。

 考えてみれば至極当然なことで、グロワール帝に依る干渉がもし成功すれば、帝政の権威が高まってしまい、共和派にとっては面白くなかったのだ。

 グロワールの財界なども和平の到来を歓迎して、リュテス市場の株価は高騰。

 労働革命派は、グロワール帝の不用意な介入を「戦争を招きかねない行為」と批難した。急速に政治意識へと目覚めていた労働運動指導者からすれば、オルクセンの先進的な労働組合制度や福祉制度は、キャメロットと並んで「理想郷」であった。

 国内不況と物価高に苦しみ、大量の離農者を出していた農家も同様である。彼らからすればオルクセンの制度は垂涎の的で、国境部などでは移民を希望する者までいた(ただし、急進な無政府主義派は、官製的な労使関係に「満足」しているオルクセンの労働者たちを「蒙昧」とみていた)。

 グスタフは、のちに経済学がもっと進んだ時代になったとき、

「修正資本主義及び社会自由主義を取り込んだ歴史上初の権力者」

 と称されたほどであるから、無理もない。

 彼が降伏条約締結の場で示した「星欧社会平和の礎になりたい」という構想も、大いに賞賛を浴びた。

 対するグロワール帝は、「自己の権威復活を目指して無用な介入を図った」と見なされたのである。「祖国を対オルクセン戦争の危機に追い込みかけた」とも。

 ―――外交とは、治世とは、これほど恐ろしいものだ。

 一歩間違えただけで、瞬く間に「敵」を作り出してしまう。

 だからグスタフは、各国外交筋に「誠意」を示そうとした。

「兵力動員は、あくまで不測の事態に備えるものです。我が国は、グロワールに対して何らの野心も持ち合わせておりません」

 各国公使に対し、外務大臣ビューローを個別に面談させ、明瞭な態度表明を行わせた。

 このような兵力動員は、星欧にとって初めてのことではなかった。

 二〇年前のエトルリア統一戦争において、オルクセンも国境防禦を固めたことがあった。

 今回のものなど、ロヴァルナ・イスマイル戦争におけるキャメロット及びオスタリッチの動員などよりは、よほど穏健である―――当然の自国防衛行動だと見なされる。

 通告に対して、各国は理解と了承を示し、また過去にデュートネの侵略を受けたアスカニア、オスタリッチなどは、グロワールとの国境部に自国の動員も始めた。

 グスタフは、とくにキャメロット公使クロード・マクスウェルと会談し、

「公使。この度のグロワール政変は、星欧各国の安全保障を揺るがす事態であることは確かです」

 革命思想の伝播は危険だという各国共通認識を匂わせてから、

「しかしながら、これはあくまでグロワールの国内問題というものでありましょう」

 軍事介入のつもりなど、毛頭無い事を強調した。

「まさしく。陛下」

 マクスウェルは安堵している様子だった。

 キャメロットはキャメロットで、首相ビーコンズフィールドが海峡艦隊に警戒命令を発していた。

 ただし、軍事介入までやるつもりはない。

 今回もまたオルクセンと共同歩調を取れるなら、申し分ないということだ。

 ―――国王としてのグスタフは、何処までも怜悧狡猾だった。

 彼はオルクセンの姿勢を各国に了承させ、誠意まで持ち合わせていると印象づけ、共同体制を構築することに成功した。

 手早く動くことで、星欧列商の事後対処方針について、主導権を握ったに等しい。

 ―――そしてこれは即ち、「グロワールの孤立を深めること」に繋がる。

 また、約三〇万という大兵力の動員をかけることは、実際に国防上の備えであると同時に、純軍事的に「ベレリアンド半島を抱えてなお、オルクセンは他国と戦争をやれる能力を有している」と周辺国へ効果を狙っていたのだ。

 ―――オルクセンの外交的及び軍事的安全保障能力を高める。

 グスタフは、徹頭徹尾、その軸を違えなかった。

 それどころか、危機に際して果敢かつ積極的、迅速に取り組み、強化のための材料に変えてしまった。

 この夜、ディナーのあとでコーヒーを含みながら、グスタフは妻ディネルースに告げている。

「いいかい、ディネルース。外交とは―――」

「うむ?」

 ディネルースは、彼を見つめた。

「外交とは、相手の感情を損ねることなく、誠心誠意を以て、明白な真実を伝える特殊な技術なのだよ。そして、その“真実”とやらの中身は―――」

 夫の瞳に浮かぶ感情は、信念に満ちていた。

「いつ如何なるときも、相手からは当座気取られぬほど誠意を徹底して、自国の国益でなければならない」



 キャメロット連合王国、首都ログレス。ブルックフィールド街。

 女王アレクサンドリナの拝謁を賜ったあと、ビーコンズフィールド首相は、自身の私邸に戻った。

 腹心たる外務大臣ホールドハーストが、待ち構えていた。

「女王陛下が?」

「うん」

 女王アレクサンドリナは、グロワール皇妃に親愛の情を抱いている。約二〇年前、互いが両国を訪問しあった際、女王は皇妃をたいへん気に入ったのだ。

 現在では、グロワールとキャメロットの外交関係はすっかり冷え切っていたものの、国家と国家の関係がどうであれ、実の姪御のように可愛がっている点に変わりはない。

 グロワールの皇太子ルイが、キャメロット軍士官学校に留学している理由は、この辺りに起因する。

「陛下は、どうにか皇妃を助けられないかと仰るんだ」

「・・・・・・」

 馬鹿な、という言葉は不敬にあたると思い、流石のホールドハーストも飲み込んだ。

 キャメロットとグロワールは、犬猿の仲だ。

 彼らの混乱を喜びこそすれ、助けるなどとは。

 またキャメロットの原則的外交方針として、星欧大陸に直接介入することは悪筋だとしか思えない―――

 だが、外相の仕える「現実主義者」は、意外な考えを口にした。

「ホールドハースト君。僕はこれを、そう悪い方法ではないと思うんだ」

「・・・は?」

「つまりね。昨夜、君のところの次官が届けてくれた、オルクセン王の態度表明は大いに参考となる―――」

 首相は、ちょっと悪戯っぽく微笑み、

「国益、国益。我が国の国益と、グロワール皇妃を救うことは並立し得る。僕にちょっとばかり考えがあるから、“M”を呼んでくれないか」

 歌うように告げた。



(続)

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