異聞 オルクセン村史
―――オルクセン村。
住民数三五〇〇。
星欧大陸にあって、やたらと豚肉やジャガイモを食い、朝からビールを飲んだくれる地方にある。
ちょうど、トンカツ山脈の東麓あたりだ。
土地は肥え、実成りも豊か。眼前に広がるカクニ湾では高い漁獲量も誇る。
オーク族を中心とした住民の気質は、朗らかである。
ドワーフ族が営む鍛冶屋の腕は良く、コボルト族の銀行は誠実で、大鷲族の天気予報は精確無比であり、ダークエルフ族と巨狼族のマタギに狩れぬものはない。
観光ガイドに依れば、何の悩みも無い「理想郷」とされている。
もし住民に「道に迷える者」があれば、何処からともなくハイキングを楽しむ他住民が現れ、適切なアドバイスをしてくれるという伝統があるからだ。
何も申し分ない。
素晴らしい村だ。
しかし。
ちかごろオルクセン村は、ちょっとした悩みを抱えていた―――
「村長さん、我が村長さん!」
「おお?」
村長グスタフ・ファルケンハインは、村の高台にある丸太作りの自宅で、ちょうど朝食を摂っているところだった。
季節の鮭に、たっぷりと粗塩を振ったもの。
豆腐とツルムラサキの味噌汁。カツオとコンブの出汁、合わせ味噌仕立て。
新鮮な鶏卵の目玉焼き。醤油をかけてある。
そして何より、丼一杯の白米。炊きたての銀シャリ。
「おやまあ、村長さん。えらく道洋風の朝食だねぇ」
「うん。この村は何でも作れるからな―――」
まったく、本当に素晴らしい村だ。
長年の努力の結果、大豆から醤油や味噌、豆腐も作れるし、水田で米も育つ。
「本編とは違うのだよ、本編とは」
「ほんぺん・・・? ああ、ハンペンのことですかい?」
「いや、気にしないでくれ。ところで何だい?」
「また、エルフィンド村の奴らが・・・」
グスタフは茶を咽てしまう。
―――またか。
エルフィンド村。
オルクセン村とは、シルヴァン農業用水路を挟んで北隣に位置する、白エルフ族を中心にした村だ。
村境界、水利権、漁業権、入山権など、オルクセンとは揉めてばかりいる。
例えば、だが―――
過日には、エルフィンド村の連中が、境界石を毎日約一センチずつ南へずらしていたことがわかった。こっそりと。
問い合わせると、
「けったいな言いがかりはよしておくれやす。一センチやおまへん。〇・四インチどす」
と来たものだ。
いやいや、そうじゃない、聞きたいことはそういうことじゃねぇと唖然としてしまった。
また、こんなこともあった―――
オルクセン村では、小さく古びてはいるものの乗り込む牡たちも素晴らしい三隻の漁船を使って、漁業組合長ロイターの下、諸法を順守して漁業を営んでいるが。
いつものように三隻の漁船メーヴェ、コルモラン、ファザーン号が「我、漁網を投入中」を示すZ旗を掲げて操業中、エルフィンド村の連中が漁場を根こそぎ荒らしていることがわかった。相手は、巨大トロール船リョースタとスヴァルタという二隻だそうだ。
激しい抗議を行ったところ、
「まあ、そないないけずはせんと、仲良うしよやおまへんか」
そんな返答が戻ってきた。
―――困ったものだ。
と、グスタフは思っている。
いやまあ、境界石のトラブルについては、村で一番血の気の多い自警団長シュヴェーリンを話し合い役に送り込んでしまったのは、こちらとしても失敗だったが。
シュヴェーリンの奴ときたら、ひとまず話し合おうという先方にバックブリーカーとボディスラム、フルネルソンを決め、境界石を一メートルほどあちらへぶん投げて戻ってきてしまった。
挙句、
「我が長。まったく、あいつらは野蛮極まりないですな」
である。
シュヴェーリン自身も頬に大きな平手打ちの跡をこしらえていたのは、エルフィンド村で一番の使い手であるマルリアンという者に、してやられたらしい。
こんなことなら、何事にも沈着冷静な副村長ゼーベックを送るか、私自身で赴くべきだった―――と思っている。
弱ったことだ。
「まあ、ともかく落ち着いてくれ。いま、妻が様子を観にいってくれているから」
村一番のマタギにしてグスタフの妻、ディネルース・アンダリエルは、シルヴァン用水路を見下ろすことの出来る位置に築いた山小屋から、そっと双眼鏡を構えていた。
「アドヴィン―――」
傍らに控える巨狼族を呼ぶ。
「あいつら、いったい何をやっているのだと思う?」
彼女の視界には、シルヴァン用水路の上流附近に集まったエルフィンド村の連中が、切り出した丸太などを使い、何か大きなものを組み上げようとしている様子が写っていた。
「・・・あれは、用水路を堰き止めようとしているのでは?」
「やはり、お前もそう思うか」
片腕とも呼ぶべき同族ヴァスリーの奴に細かな様子を見に行かせているが、どうも新たな別水路も掘っているようだ。
つまり、エルフィンド村の連中は、シルヴァン用水路の流れを付け替えてしまう気に違いない。
そんな真似を許せば、オルクセン村は大変なことになってしまう。
「・・・やりますか?」
それまで静かに炉端で山刀を研いでいた、もうひとりの片腕アルディスが問うてきた。
山小屋の偽装は完璧だ。
連中からは気づかれてもいまい。
いまなら、村のドワーフたちが拵えてくれた素晴らしいエアハルト猟銃で、撃ちかかることさえできるかもしれない。
もちろん、威嚇だが。
ディネルースたちが本気で狙えば、洒落にならないことになってしまう。
彼女たちは数年前、近隣の村々を襲った恐ろしい巨大熊―――通称、トリカブトと呼ばれていた隻眼の個体すら葬ったことがある。それほどの腕なのだ。
「・・・やめておこう。まずはヴァスリーの奴が戻るのを待つんだ」
上空を飛んでくれている大鷲族の友ラインダースらが、より広範囲で情報を掴んでもくれよう―――
もっとも、周囲を宥めているように見えるディネルース自身、ちょっとばかり苛ついていた。
エルフィンド村の連中のお蔭で、猟期前だというのに山の中だ。
愛しい旦那を寝床にする毎朝から引っ剥がされ、彼の作る美味いばかりの三食にもありつけない。ふたりで一から建てた、質素だが満ち足りた丸太屋で、落ち着いた日々を過ごしていたというのに。
対してこの山小屋と来たら、猟期や、山菜シーズンに少しばかり休憩と寝泊まりをやる目的の粗末なものだ。
昨夜は、精をつけるために鯨皮をとぷんと落とした味噌汁を拵え、ヴァスリーたちと啜ったのみである。
―――吞もう。
酒でも飲まなければ、やっていられない。
「アルディス、一升瓶をとってくれ。肴? 塩で構わん」
―――エルフィンド村の連中が、用水路を塞ごうとしている。
報せを受けたオルクセン村では、住民一同が沸騰した。
「皆の集、得物は持ったな!」
「はい!」
自警団長シュヴェーリンの呼びかけにより、猟銃や、鎌や、鍬や、土均しレーキを携えた村民たちが広場に集まり、気勢を上げた。
どういうわけか得物と鋳物を聞き間違え、鍋や釜を持った者までいたが。
シュヴェーリンは林檎箱の上に立ち、叫んだ。
「儂らはいかなる犠牲を払おうとも、自らの村を守る。儂らは海岸で戦う、漁場で戦う、野原と畑で戦う、丘で戦う。儂らは決して用水路を諦めない!」
「おお!」
「弾はまだ残っとるがよ!」
「やれい! やっちゃれい!」
大変な騒ぎになってしまった。
シュヴェーリンの娘婿グレーベンが知恵者だったので、一挙に止水堰を奪取する作戦を立て、村の会計を預かるリストが自治会費の蓄えを引き出し、荷車屋カイトが荷馬車を整え、婦人会が寸胴鍋でたっぷりとカレーを拵えた。
ディネルース以下ダークエルフ族たちは猟銃を肩に担い、弾帯を巻き、山刀を腰に差し、そして顔にドーランを塗り、
「でぇぇぇぇん!」
と、興奮しきった際の種族特有の叫びをあげていた。
ロイター漁業組合長は、古びた漁具をエルフィンド村の漁港に投げ込む腹積もりだという―――
「待て! まあ、待て!」
慌てたのはグスタフである。
彼は説得を試みた。
大きな騒乱となれば、収集のつかない、骨肉の争いとなってしまう。
周辺村落も騒ぎを聞きつけよう。
とくにキャメロット村が危険だ。
あいつらは何でも介入してくる―――
「じゃあ、村長さんはどうしようってんだ!?」
「ここはひとつ任せてくれ。私が直接乗り込んで―――」
「エルフィンドの村長に、村落合併を持ちかけるとはね」
ディネルースは、村一番のレストランであるアルベルトで、料理長ベッカー自慢の軍隊風シチューを啜りながら、夫を褒め称えた。
「まあ、あちらのウィンディミア村長は、話せば分かる奴だという評判だったからね」
グスタフは、キャメロット村の友人であるアストン氏から聞き知っていた事実を告げ、頷く。
「それで。いったいどんな魔法を使って、説き伏せたのだ?」
「うん―――」
ディネルースの夫は、杯を掲げてみせた。
なんでもないことだ、といった様子である。
「合併すれば、たっぷり国から補助金を踏んだくれるよ、と持ちかけたのさ」
(続かねえよ?)
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