随想録18 新型巡洋艦
―――八七八年七月二六日。
ハウプトシュタット州ネーベンシュトラント港。
オルクセン最大の商業港にして、第二の都市である。
同国北海沿岸、西部。星欧では一四番目に長い大河、エルデ川の河口にあたる。
地図の上で眺めれば、巨大な幻獣が大きく咆哮したような地形で広がる、パッデルン湾と呼ばれる箇所の、ちょうど下顎部分に位置した。
住民数は約二四万。
古くから北海沿岸地域の貿易を掌握、星欧北部に独自の経済圏を形成していたフンデ同盟を歴史的背景として持つ自由港であり、住民にはコボルト族が多い。
穀物、織物、毛皮、鰊、香辛料、コーヒー、ココア、絨毯、カカオ、木材、金属―――
様々な産物の輸出入港であると同時に、積替港であり、また原材料を加工する一大商業域でもある。
例えば、このころオルクセンに年間約一七万トン輸入されていたコーヒーの生豆は、そのほぼ全てが同港に入り、同市域内で焙煎加工され、国内へと流通していた事実を思うだけでも、どれほどの規模の港であるか、よく分かる。
星欧域全体で眺めてみても、屈指の規模の商業港だ。
ベレリアンド戦争では、「グスタフ王の海賊」と呼ばれた仮装巡洋艦たちが根拠地とした港でもある。
一〇日ほど前、この港にオルクセン海軍の巡洋艦四隻が入港した。
これより遥か道洋の地へと赴くことになる、
彼らは、この港に本社を置く北オルク汽船社が手配した食糧運送船及び給炭船と合流。各艦自身もまた、真水、食糧、石炭などの補給を開始した。
二六日には、国王夫妻が首都から専用列車で中央駅に到着。海軍総司令官ロイター元帥以下、海軍首脳を伴った夫妻を、軍港司令官と市長が出迎えた。
グスタフは、珍しく海軍のフロックコート型軍服姿だった。頭には白い日覆いを被せた制帽を乗せている。オルクセンの国色をした白地に黒線二本のウェスト・サッシュを巻き、肩から腰にはオレンジのショルダー・サッシュを帯び、海軍の将官用儀礼刀も吊っていた。
アンファウグリア騎兵仕立ての陸軍少将姿であった王妃ディネルースとともに馬車に乗り込み、先行して到着していた騎兵及び騎乗警護隊約四〇騎、巨狼アドヴィンとウェンドラに供奉を受け、埠頭に向かう。
エルデ川に面した両岸の市域は、貿易量の増大にともなって再開発と拡張を施されている最中であり、少しばかり雑然とした雰囲気があったが、汽船会社や貿易会社の入った大廈高楼と倉庫街、巨大極まる湾岸道路と歩道、街路樹、電燈、上空から見れば弧状を描いた汽艇乗り場などはもう出来上がっていて、壮麗であった。
商業港らしく、着岸、あるいは碇泊した無数の商船のマストが、鬱蒼とした森林のように林立している。
そのずっと沖合の、湾内航路の邪魔にならぬ錨地に、巡洋艦四隻が沖泊めしているのが見えた。
埠頭には、艦載水雷艇が国王夫妻を待ち構えていた。
日覆いの白天幕が張られ、真鍮の飾りなども丁寧に磨き上げられた、全長一七メートルの最新式だ。
本来なら、長官艇と呼ばれている全長一五メートルのものが使われるところだが、随員の数が多いというので、水雷艇の出番となった。
旗艦次室士官の若手将校が指揮官となり、艇長以下艇員一名一名に至るまで選りすぐりの者たちで構成されている事は、言うまでもない。
指揮官役の将校にしてみれば一生の本懐というわけで、誇らし気な顔をしていた。
「やあ。よろしく頼むよ」
グスタフは気さくに声をかけてやり、名誉と緊張とでしゃちこばった敬礼を寄越す将校に、ゆったりと答礼をした。
ディネルースも続く。彼女はまるで海に出たことがなく、埠頭から浮桟橋へと短かなタラップを抜け、また横着けした汽艇へと乗り込む際、少しばかり不安を覚えたが、
―――オーク族の中でも取り分けて巨躯の夫で大丈夫なら、まあ心配はあるまい。
などと内心に潜ませつつ、やり遂げた。
「おもて離せ!」
艇尾の旗竿に軍艦旗を、艦首旗竿には国王旗を掲げた汽艇は、低く唸るように機関音を響かせると、艇員が器用に爪竿を使って桟橋から艇を引き離し、滑らかに出発した。
合成風力が頬を撫でる。
潮の香りが漂う。
この日は曇りであったが、ときおり太陽が顔を覗かせ、その度に水面がきらきらと反射して、美しかった。
ちょうど汽艇が桟橋を離れたとき、空気を震わせるような格好で盛大な音響が湾内に響き渡った。
沖に碇泊した巡洋艦戦隊のうち旗艦のザフィーアが、礼砲用の五〇ミリ砲で空砲を発射したのだ。正確な間隔を以て号令を下す指揮官のもと、彼らは二一発の礼砲を国王夫妻に捧げた。
汽艇が近づくと、各艦では「気をつけ」の喇叭が鳴り、舷側に整列した将兵が一斉に、准士官以上は敬礼をやり、水兵たちは姿勢を正した。小銃を捧げている衛兵もいる。
三本マスト。煙突が二本あるから、汽帆装艦の一種。満載排水量二七〇〇トン。
既に各艦、新たに制定された道洋派遣艦用塗装が施されており、眩いばかりの白い船体に、黄色い上部構造と黒帯つきの煙突をしている。
―――海軍さんというところは、儀式をやらせると実に見事なものだな。
夫とともにキャビン内に座ったディネルースは、窓から彼らの様子を眺め、そのような感想を抱いた。
おまけに、既に夏季である。
将校は夫と同じく白い日覆いを被せた帽子に、黒のフロックコート、白ズボンという姿。水兵たちは上下とも白のセーラー服になっていて、目に映えた。
もちろん陸軍は陸軍で式典や規定には煩いが、海軍には気品や美しさをも伴わせるようなところがあるように思えたのだ。
例えば、だが―――
夫グスタフが汽艇のキャビンで座ったのは、同室で最も艇尾に近い席である。その位置が、海軍の者たちに言わせると「最上座」なのだそうだ。
そしてその席には、特別の敷物が設えてあった。黒地に金色で縁取られ、同じ金戎で錨と波型が縫ってある。この敷物の色や図柄が、艦長なら艦長、艦隊司令官なら司令官、国王なら国王と、対象となる貴賓によって細かくランク付けされた別の物だというのだから、本当に恐れ入る。
あるいは、気合も入って当然なのかもしれない。
海軍としては、初の常設遠征部隊の出発だ。
おまけに、彼らには殊更に意気込む事情も存在した。
戦前、戦中と、海軍軍令機構のトップは「海軍最高司令部」と言った。それがマクシミリアン・ロイター提督の元帥昇進、トップ就任とともに「海軍総司令部」へと変更になっている。
これは、単なる改称を意味しない。
信じられないことだが、「最高司令部」時代の海軍軍令機構は、書類上の正式な扱いで言えば何と陸軍の一部だったのだ。ずっと昔は国軍参謀本部海軍局といい、初代や、二代目の最高司令官も、陸軍の者が座っている。
陸軍国オルクセンの「陸主海従」を象徴するような制度であり、海軍の幹部たちは、常々苦々しく思っていた。
それが総司令部へと変わって、法的には国軍参謀本部と同格の存在になった。つまり表面的には僅かな改称でも、実態としては大きく様変わりしたことになる。
何しろ戦争中の多くの活躍があったから、陸軍の側でも「海軍の独立」に反対する者は、もう誰ひとりとしていなかった。
艦載艇は、反対舷側も含めた甲板にずらりと乗員が整列した旗艦ザフィーアの、右舷側に用意された舷梯に着けた。艦の舷に降ろされた、階段のような形状をした乗降楷梯のことだ。
グスタフは、登った先の、踊り場に相当する箇所で艦尾の方向を向き、ザフィーアの艦尾旗竿の軍艦旗にさっと敬礼したあとで、出迎える戦隊司令官ブラント少将、戦隊幕僚、艦長ら幹部に答礼しつつ、甲板を踏んだ。ディネルースも続く。
独特の音色をしたサイドパイプが鳴り、舷門では衛兵が捧げ銃をして、掌角長が喇叭を吹いた。
「ようこそ、陛下」
「お邪魔するよ」
握手を交わしたブラント少将の案内を受けながら、甲板に敷かれた緋絨毯の上を歩き、居並ぶ将校たちに答礼を送る。
艦尾甲板には白天幕が張られていて、その下にある比較的大きな昇降口から司令官公室に向かう。
ブラント少将は、道洋への出発に際して、戦隊各艦及び随伴庸船に何らの支障もなく、乗員一同の訓練も行き届いている旨を報告した。
グスタフは頷き、
「豊穣の大地の御加護があらんことを。諸君らは祖国の忠誠なる臣であり、諸艦艇に乗り込む乗員たちは、選りすぐられた勇士であると信じている。そして今日、オルクセン全国民の期待を担って大航海に旅立つ。海軍の光輝ある伝統を発揮し、居留民保護、治安の維持、国際交流の進捗に寄与すべし」
訓示を与えた。
傍らで耳を傾けていたディネルースは、
―――こんなとき、「余の忠臣」とは言わず、「祖国の忠臣」と述べるのは、本当にこのひとらしいな。
と、思った。
夫は気負いでも衒いでもなく、きっと本気で、軍とはそうあって欲しいと願っているに違いない。
各艦には、ディネルースの名で士官室、士官次室といった各室用にテーブルクロスが贈られた。如何にもオルクセンらしい下賜品である。
儀式のあとは、各艦の艦長なども招いた昼食会になった。
白パン。たっぷりとしたバター。コーヒー。ママレード。
冷製ポタージュ。
サーモンの冷製ベレリアンド風ジェリー添え。
オマール海老のセンチュリースター風。
ポーク・カツレツ、オルクセン海軍仕立て。
生野菜のサラダとコンビーフマッシュ。
鶏卵と牛乳の冷製プティング。クリーム添え。
「王妃殿下、如何でしょうか?」
「大変結構です。もし生まれ変われたなら、次は陸軍ではなく海軍に入ろうと思います」
海軍の者たちは、破顔一笑する。
ディネルースにしてみれば、リップサービスというばかりではない。実際に美味かった。
とくにオルクセン海軍名物だというカツレツは流石のものだったし、場所柄、新鮮な魚介が手に入ったのだろう、オマール海老とサーモンが素晴らしい。わざわざベレリアンド風としてくれたのは、己への気遣いであろうと察することも出来た。
供されたワインも良かった。
葡萄園元詰、乾粒選果特醸の文字がある。メテオーア川の支流沿いで作られている西部産の白ワインだ。
食後酒として出されたリースリングが、驚くほど甘かった。まるでリキュールである。
ブラウネブルクと銘にある。
星欧では北限であるオルクセンの葡萄栽培では、甘いワインは作りにくい。どうしてもグロワールなどと比べれば糖度に劣ってしまう。
だが、ワインの高級度に「甘いかどうか」を基準にしてしまうほど、オーク族は甘露を尊ぶ。
では、どうやっているのか。
オルクセンにおける秋の葡萄収穫期は大変長い。早摘みから始まって、何度も葡萄園内を往復しながら遅摘みまでやる。
葡萄は房のかたちで長期に渡ってぶら下がっているほど、糖度が増すからだ。
理屈としては、早く摘もうが遅く摘もうが、均一に混ぜてやれば安定した質のワインが作れる。
ところがオルクセンの醸造家たちは、採取時期ごとに樽詰めして、これを決して混合させないのだ。
遅く摘んだ物ほど、甘いワインが出来上がる、というわけだ。
天候が良好であった年にしか作られない「乾粒選果特醸」などこの代表のようなもので、殆どレーズンのようになってから摘み取ったものである。ひとりの農家が、一日中ワイン園を動き回って、やっと一本分しか収穫できないとされていた。
グロワールの者たちなど、このやり方を評して「グロワールのワインは自然の産物。オルクセンのワインは加工品」と呼んでいたりする。
だが―――
たしかに見事なものだ。
ワイン農家の勤勉と精緻、熟練技に支えられた逸品である。
ディネルースとしては、若飲みのすっきりとした物の方が好みであったが、オーク族たちの好む甘口も極上の味であることは認めていた。
昼食会のあと、再びグスタフとディネルースは艦載水雷艇に乗り、碇泊地の各艦を視察した。
この艦たちが、つまり八〇〇余名の艦乗りたちが、間もなく道洋に赴くのである。
航路は約一万海里。計算上は一日二〇〇海里進んだとして約五〇日で到着することになるが、途上、エッセウス運河の通過や、寄港地での休養及び補給もある。最終目的地である華国寧海港まで約八〇日と予定されていた。
言うまでもなく、大航海である。
グスタフは、水雷艇が埠頭への帰路に就いても、何度も名残惜しそうに振り向いた。
国王夫妻と随員たちが上陸すると、ただちに艇は旗艦へと戻り、揚収作業と出港準備が始まった。
やがて各艦は大きく汽笛を鳴らし、機関蒸気圧の上昇を示す薄く黒い排煙を吐き出し、抜錨。出港した―――
グスタフは埠頭に立ち続け、帽を振り、艦影が見えなくなるまで見送った。無論、ディネルースたちも従っている。「オルクセンの栄光」を奏でる海軍軍楽隊、詰めかけた市民たちも同様であった。
ロイター提督も、感慨深そうだ。
ネーベンシュトラント港までやってくる国王専用列車の車中で、彼はひとつの海軍建艦計画について、国王から裁可を得ていた。
将来的には、外地巡洋艦戦隊の各艦を入れ替えていく必要があることは、ブラント少将なども指摘する通り、明らかである。
このため海軍は、ヴィッセル社などとも組み、完全な新型艦の設計を進めていた。
それは革新的なものだ。
ベレリアンド戦争における戦訓と、最新の技術を採用している。
帆走の完全な廃止。
従来のモリム鋼に、ニッケルを混合させた新鋼材の使用。
あのエルンテモント型貨客船で実用化された、三段膨張機関の採用。
居住性を高めるため、主要居住区への冷却系刻印魔術及び蒸気式暖房の導入と、乾舷を大きくとった設計。
そして、何よりも画期的であったのは、従来とはまるで違ったものとなる装甲形式だ。
いままで各国海軍の巡洋艦は、防御力として舷側に装甲を張り付けていた。「甲帯」、あるいは「装甲帯」と呼ばれていた方法である。
このような型式で作られた従来の艦を、
しかしこの形式には、建造費が高価となる、艦の重心を上昇させて揺れを増大させてしまう、また波高のある状況下などで甲帯が海面下となると、たちまち防禦力を失ってしまうといった欠陥があった。
これを解決しようと、ベレリアンド戦争時におけるオルクセン最新の巡洋艦グラナート型では、石炭庫を空間装甲のように利用する、機関部及び弾薬庫の天井部分に当たる甲板の一部に装甲を施すといった手法が採り入れられていた。
計画中の次期最新鋭艦では、この設計思想を更に推し進めることにしたのだ。
甲板装甲を、全体全長に渡って全面採用。
更には被弾経始―――装甲に反りを持たせて敵弾を弾く、という手法を採る。
さすれば、重心の上昇を抑えることができ、建造費も安価となり、量産も可能となるに違いない―――
もはやここまで設計思想が変わると、完全な新艦種であると言えた。
―――
海軍では、この新型巡洋艦を計六隻建造するつもりだ。
新しもの好きのグスタフは、海軍の主張の正しさを認め、計画を進めるよう裁可した。
「これは、大変な事になるな」
グスタフは、少しばかり皮肉な気分になった。
海軍大国であるキャメロットではなく、陸軍国であるこのオルクセンから画期的新型艦が生まれるとは―――というわけである。
輸出品にもなるかもしれない。
ヴィッセル社の連中は、この試作型ともいうべき一隻を、華国から要請のあった軍艦建造に採用するつもりらしい。
「休暇に入る前に、よい気分になれたよ。ありがとう、提督」
グスタフは、ネーベンシュトラントから直接、バンデンバーデンに向かう予定であった。
ヴィルトシュヴァイン会議。
暗殺未遂事件。
戦後と将来を見据えた諸改革。
多忙を極めたこの年、ようやく得られた長期休暇である―――
―――
キャメロットの商船が、センチュリースター合衆国から北星洋航路を渡って運び、依頼主であるログレスの植物園に持ち込んだ、葡萄の苗木である。
これがどういうわけか、何らかの経路を辿ってアルビオン海峡を越え、グロワールに持ち込まれた。
品種改良にでも使うつもりであったのか。
ともかくも、携わった誰にも悪意など無かったであろう。
だがこの苗木は、小さな小さな生物を付着させていた。
生物は、約二年かけて密かに繁殖した。
グロワールのワイン産地に広がり、アスカニアへ、そしてオルクセンへ―――
八七八年の収穫期を迎える前、夏の陽光を受け、同年の葡萄がまさに育とうとする時期に、この生物は爆発的に増え、各地の葡萄の根を侵し始めた。
「ああ・・・ああ・・・なんてことだ・・・」
最初は、誰にも原因は分からなかった。
気づいたときには、もう何もかもが遅かったのだ。
葡萄の木々が枯渇し、本来なら青々としていた葉が萎れ、もちろん葡萄は育たない―――
勤勉なオルクセンのワイン農家の多くが、豊穣の大地の思わぬ仕儀に、絶望の呻きを漏らした。
生物の名は、フィロキセラ虫という。
学名フィロキセラ・ヴァスタトリックス。
ここから数年かけ、星欧中の葡萄とワイン産業を壊滅させてしまう大災厄、葡萄根油虫禍の始まりである―――
(続)
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