随想録17 外地巡洋艦戦隊
オルクセンの産業は、農林業や漁業だけではない。
工業、鉱業、化学。
建設、製造、採石。
運輸、通信、郵便。
繊維、工芸、美術―――
海外との交易も年々増すばかりであり、ついには貿易収支も黒字となって久しく、産業殖産の伸びは国威の発揚そのものと言えた。
当然ながら統治者たる王族としては、産業を視察して回ることも、国民の熱意を盛り立て、更なる発展を促し、国家を繁栄へと導く大事な役割のひとつということになる。
星暦八七八年七月の第四週。火曜。
ディネルースは夫グスタフに伴われ、首都ヴィルトシュヴァインの王立磁器製陶所を視察した。
国王官邸からは、そう遠くない。
市内随一の面積を持つ公園ケーニヒスガーデンを抜けると、その西方端に位置する。
公式の訪問であったので、アンファウグリア騎兵一個小隊の供奉と、国王警護隊八名の護衛がついた。国王夫妻の無蓋馬車には、警護隊長リトヴァミア大尉と担当警護班の一等軍曹が同乗している。
動物園と水族館まである大公園を東西に貫く道路は、あのデュートネ戦争凱旋門を境界にしてフュクシュテルン大通りに繋がるもので、街路樹も電燈も良く整備が行き届いていた。
青々と茂ったオオマテバシイの枝が陰をつくって、目にも美しい。
沿道の、公園の芝生ひとつ目をやっても、雑草の類は丁寧に排されていて、清潔である。
管理事務所の庭師たちのみならず、救貧院の困窮者が社会復帰のための職業訓練を受け、市庁に雇用され揃いの制服を着て、公園をはじめ市内のあちこちを清掃する制度があるからだ。
そして、そうやって集められた雑草や落ち葉は、市郊外の公営肥料製作場に運ばれ、堆肥や腐葉土の原料になる。
―――まったく、なんと抜かりのない国か!
ディネルースなど、未だ感嘆してしまう。
この夏は、例年より暑さが厳しいように思えた。
ディネルースも、鍔の広い夏帽子に、清涼感のあるシルクシフォンの夏ドレス姿だ。
園内には何軒ものカフェやビアホールがあるが、きっとパラソルを広げたテーブルは客で一杯だろう。
オルクセンでは、昼間からでも
暗殺未遂事件後、初の公式外出であったので、沿道で国王夫妻の馬車に遭遇した者たちはさっと立ち止まり、帽子を掲げ、あるいはスカートをつまんで挨拶し、敬意を表した。
「国王陛下、ばんざい!」
「王妃殿下、ばんざい!」
「オルクセンに栄光あれ!」
歓迎と熱狂の気配がある。
ディネルースは、なるほど、これが夫グスタフの守りたいものなのだな、と手を振り返す。「王族と国民の距離」。遠くてはいけない。既に似たような光景は、ふたりが事件後初めて「朝市通い」を再開させた際にもあった。警備陣には、まことに申し訳の無いことだが―――
王立磁器製陶所は、明るく黄色がかった凝灰石で建てられた、壮大なものだ。
美しい生垣と青銅の正門に囲まれた広い敷地のなかに、二階建ての管理棟、四階建ての製造棟が二つ。附属の職工学校まである。
以前はもっと市中心部に近い場所にあったのだが、首都改造計画に従って現在の用地に移り、この新築の施設が建てられた、という。国が力を入れていることもあって、その規模は、高名なキャメロットやグロワール、アスカニアの王立窯にも勝る。
案内役を務める工場長が、サッシュを帯びた正装姿になって出迎えてくれた。見るからに緊張の色があり、にこやかな握手と挨拶で解きほぐしてやる。これは夫グスタフのやり方で、こんなときの彼の国民との接し方は熟練の域に達しており、ディネルースも見習っていた。
このドワーフ族出身の工場長から説明を受けつつ、ふたりはオルクセン美術工芸の精華が作り上げられる工程を、余すところなく見学できた。
「これは凄い・・・」
主たる原材料であるカオリナイトを砕き、何度も漉しながら粘土へと加工する巨大な分離槽。これは白い泥岩のような石であり、磁器に適した成分で、柔らかく細かな粉末にしやすい。幾重もの分離槽で、粘土塊とする。
熟練職工たちが手作りで器や皿を作る場所。回転台のうえにあの粘土塊を置き、ロクロを足で蹴って回しながら形作る、昔ながらの手法だ。濡らした海綿を使って表面を滑らかにして仕上げる。
石膏の割り型を使って、陶土を水に溶いて注ぐやり方もあった。こちらは大量生産できるので、現在の主流である。ティーカップの柄のような小さな部分まで、中空にして作るという、緻密極まりない手法まで確立されている。空気を圧入して作り上げるため、厚さは見事に均一だ。
製作棟の一階にあって大きな面積を占める、窯も見せてもらった。
これが巨大極まるもので、なんと直径約八メートルはあろうかという円筒形をしている。周囲に四つの窯口を持ち、中央から伸びた煙突は建物を上下に貫いて、屋根の上へと達しているわけだ。
燃料は、最新の石炭ガス方式。
グロワールなどは薪を使っているが、遥かに効率がよく、温度管理もやりやすいという。
磁器は、この窯で焼く工程を何度かやる。
一度は素焼。二度目は釉薬を塗布してから。絵付を施してからという場合もある。
オルクセン磁器で使われているのは、低地オルク語でヘルストバルトと呼ばれている釉薬だ。珪酸礬土とカリウムが自然混合したもので、
「眩いばかりだ・・・」
玲瓏とした透明感のある、素晴らしい白磁に仕上がる。
国内のみならず、星欧社会でも深く嘆賞を集める白だ。
デザインも優れている。王立磁器製陶所の物で特に賛辞の的となっているのは、膨らんだ胴と縊れた高台、飲み口を持つ「Xフォーム」と呼ばれているシルエットである。そして絵付けにおいて、コバルトを用いた鮮明な発色の群青。
優等品とされたものは、数百ラングから一〇〇〇ラングという、途方もない値がつく。
扱う職工たちにも相応の敬意が払われており、熟練職工で月に四〇〇ラング、駆け出しに近い者でさえ一二〇ラングを得るという。
昼食は、彼らと供にした。
製陶所側の手配で、中庭に幾つもの巨大な白天幕が張られて、その陰に大机や、椅子が配され、特別な昼食が用意されたのだ。
首都の伊達者たちからは名高い、ケーニヒスガーデン南側にあるカフェレストラン「イーディケ」から、腕利きのコックたちが招かれていた。
冷製パテの前菜。川鱸のフライ。レンズ豆のピューレを添えた豚の網脂包み。牛背肉の蒸し煮。狐色に焼いた馬鈴薯。
そして、あの著名極まりない、イーディケのシャーベット。この日は、中でも逸品の呼び声高いオレンジ・シャーベットが供された。
「ああ・・・」
ディネルースは、感嘆を漏らした。
清涼、甘味、爽快。
暑気払いには何よりのものだ。夫グスタフが、この逸品のために「イーディケ」へと御用達認定を与えているのも納得である。
外気温はともかく、見学した製窯室の気温がかなりのもので、帽内の刻印魔術式金属板が作動したほどであった。作業場全体に刻印魔術を使えば良いのではないかとも思い質問してみたところ、窯の温度管理上、相応しくないのだそうだ。
「王妃殿下。当製陶所の御印象は如何でしたでしょうか?」
ようやく緊張が解きほぐれたらしい工場長が、尋ねてくる。
「そうですね―――」
まさかオレンジ・シャーベットだと応えるわけはなく、職工たちの緻密にして技巧溢れる様、真摯でひたむきな製作姿勢、そしてもちろん産出品そのものを褒め称えた。
また、三階にあった資料室。
技術の参照や研究のためのもので、星欧中の陶磁器は無論のこと、パルティアやマウリアの陶器、南道洋諸島の素器といった、世界中から集められた焼物が展示されていた空間のことだ。
その所蔵量たるや圧倒されるばかりで、なかでも遠く道洋の果てにある島国の磁器が印象に残ったと、感想を述べた。
「ええ―――」
工場長は、我が意を得たりと大きく頷く。
「あれは素晴らしいものです。彼らの技術。あの極限にまで薄さを追求した厚みと強度の並立。精緻な絵柄。どうにか我らも手にしたいと研鑽を重ねております」
「風は東から吹いている、といったところか」
海軍総司令官マクシミリアン・ロイター元帥は、国王官邸からの帰路、馬車内で呟いた。
間もなく夏季休暇に入る国王グスタフから、謁見を受けたあとである。
「問題は、我ら海軍にとって順風となるか逆風となるか、ですな」
「うむ・・・」
ベレリアンド戦争終結の直後、ロイターが荒海艦隊司令官の座を後進に譲り、陸に上がって海軍軍令機構上の最高位に就いたとき、補佐役に指名した参謀長が応じた。
ちょうど、このころ。
いままで沿岸防備を主体に考えてくればよかったオルクセン海軍は、徐々に変質しはじめていた。
祖国と道洋の交易は、拡大の一途を辿っている。
例えばこのころ―――
オルクセンの石鹸製造会社や、マッチ製造会社などが輸入を渇望していた道洋の輸出品に、木蝋がある。
星欧では、蝋といえば牛脂や牛骨、石炭から採れるワックスを使っている。これはステアリン酸と呼ばれるもので、性質としてはたいへん柔らかい。ここへ、堅い性質のある道洋の木蝋を混ぜれば、適度な硬さへと調整することができる。
蝋燐寸など、頭にこれを使うので大量に必要とした。
しかしながら、道洋はまだ発展途上だ。産物の品質も不規則であったし、供給量もなかなか安定しない。そこでファーレンス商会の現地法人が産地との直接契約に乗り出し、道洋の交易港から送り出すよう体制を整えた。
道洋からは、茶、生糸、銅、樟脳、陶磁器、扇子、米、寒天。
オルクセンからは、キャラコ、モスリン、砂糖、染料、工業機械、鍛鉄、兵器。
輸出側で主力を占めたのは、繊維関係と砂糖だ。
オルクセンは、既に星欧内においてすら単純な繊維関連生産で勝負をするのではなく、列商各国に先駆けて開発した石炭系化学染料による、仕上げ工程での国際的地位を確立することで、周囲からの強みにしていた。
砂糖についても同様で、ビートから砂糖を抽出する技術を開発し、大量生産可能にしたのは彼らである。オルクセンの工業基盤がまだずっと弱かったころから、周辺国への主要輸出品のひとつになっていて、これが道洋にも適用されたわけだ。
八七八年、このように活発となったオルクセンの対道洋貿易の総額は、年間約六五四〇万ラングに達していた。
当然ながら、行き交う船舶も、現地滞在者も増えている。
すると、華国や秋津洲にできあがった在外居留民交流クラブや、本国の産業連盟のような経済団体などは、国家の保護を求めて止まない―――
「軍艦を送ろう」
という話になった。
特段に乱暴な手段というわけではなく、星欧主要国は皆やっている方法だ。
だがいままでオルクセンは、条約締結のため使節団を送る際など、必要に駆られた場合にのみ、数隻の巡洋艦や練習艦を道洋に向かわせ、常駐はさせてこなかった。
そうではなく、ある程度まとまった数の一隊を送り、華国の貿易港に駐留させようというのだ。
オルクセンの海外政策としては、大きな転換である。
ただし星欧諸国の警戒を買わぬよう、なかでもキャメロットとは外交的打ち合わせを施してからのものになる。道洋に根拠地を持たないオルクセンとしては、海洋大国キャメロットの石炭供給体制や通信網、整備拠点を利用させてもらうことになるからだ。
意外なことのようだが、キャメロット政府はオルクセンの艦艇派遣方針を、密かに歓迎した。公式には黙認という具合だったが、政情不安定な道洋の地において、治安維持に参加してくれる兵力が増えるのは有難かったのだ。
正式名称で、「外地巡洋艦戦隊」という。
比較的旧式のペリドート型巡洋艦四隻から成る。旗艦は甲帯巡洋艦ザフィーア。これに少将一名を指揮官として据えた。
戦隊司令官として選ばれたのは、カール・エーリッヒ・ブラント。オーク族。
彼は、元々このペリドート型数隻の艦長を歴任しており、またベレリアンド戦争には同艦型から成る第四戦隊を率いて参加していたので、ペリドート型について知り抜いているものと判断された結果であった。
約二〇年前には、オルクセン初の道洋遠征隊となった艦隊に、幕僚の一員として加わっていた経験もある―――
各艦では、道洋の厳しい環境に備えて入渠整備を受け、士官室及び士官次室、乗組文官室に最新の蒸気式暖房や冷却系刻印魔術式金属版による空調を施し、若干武装を減じる代わりに食糧貯蔵庫などを増やすといった準備が進められた。
この間、ブラント少将以下幕僚たちは、遼遠たるものとなる航路、道洋についての研究に没頭している。また海軍省では、遠隔地における特別加俸制度、戦隊将兵の交替方法、艦隊整備のための諸準備など、策定と契約を進めた。
道洋では、星欧社会に属する者には様々な恩恵がある。しかしながら、その生活環境は侘しいものだ。戦隊所属艦の整備体制、休養地の確保が必要だ―――
戦隊に与えられた公式任務は、
「道洋における権益の保護。治安の維持。華国及び秋津洲沿岸における測量。戦隊泊地に適した港湾の研究」
であった。
出発予定は七月下旬。
戦隊は、北海西部沿岸ネーベンシュトラント港に集結。給炭のために雇用された北オルク汽船社庸船一隻とともに、国王グスタフも臨御の出発式を行い、道洋に向かう。
オルクセンという国家の制度上、当然というべきか、これらは国王グスタフの決心と裁可を経た、国策である―――
命令の正式受領のため、海軍総司令部を訪れたブラント少将は、
「総司令官―――」
まず、研究の結果判明した、この任務が抱えている問題点の幾つかを指摘した。
諸改造を施したとはいえ、老朽艦が多く、いずれ新造艦との交代を要すること。
また、権益保護と治安維持となれば、その対象は華国にある三つの大河流域ということになる。基本的には船体の大きな巡洋艦ではなく、ある程度河川の遡上も可能な、砲艦の追加配属が望ましいこと。
「派遣継続の先鞭をつけるため、貴公には苦労をかけることになるが―――」
ロイターは応じた。
「目下、艦政本部ではヴィッセルの連中と組み、全く新形式の設計となる巡洋艦建造計画を進めておる。砲艦も同様だ。いずれ貴公の懸念は解消されるであろう」
ブラント少将は安堵しつつ、最後に声を潜めて、
「閣下。本命令には、含むところはあるのでしょうか。つまり、
最も懸念している点について確認した。
つまり、道洋の地に植民地や保護領、あるいは長期的な租借地を求めるための派遣なのか、という含意である。
「・・・命令は、命令じゃ」
ロイターは、笑みを浮かべた。
我らの気風に似合わぬ腹の探り合いなどやめ、額面通り受け取れ、と言いたげであった。
「だが、海軍とは国家の要求に従うもの。その尖兵。ありとあらゆる可能性に備えよ」
司法大臣ヨハン・フリートベルクは、彼一個の牡としては粋者として知られていた。
歌劇や流行歌、音楽を愛し、国立歌劇場観覧席の常連であり、毎日早朝には公邸近くのケーニヒスガーデンを鼻歌混じりに散歩してから、カフェ「イーディケ」に姿を見せることも珍しくない。
「愛する故郷よ、また見る日はいつのことか―――」
丁寧に整えた口髭の鼻筋で歌唱しつつ、流麗なフロックコート姿に、籐のステッキを持ち、コボルト族シュナウザー種特有の短い尻尾を振る。尻尾は、彼の種族としての習慣で、幼少期に両親から断尾されたものだ。
イーディケでは、コーヒーとシャーベットを愛した。
この季節なら、テラス席の開放的な空気も好んでいる。
ただちかごろの彼は、その素晴らしい逸品や席を前にしても、ふと表情を曇らせることがあった。
―――愛する故郷よ、か。
生地であるハウプトシュタット州の森林を想う。そして、祖国オルクセンを。
幼き頃、この国はいまよりずっと貧しかった。
だが食糧の増産と、産業の殖産、文化の興隆に努め、ついには列商諸国中第二位というところまで、昇り詰めたのだ。
とくに、ベレリアンド戦争における勝利と、ヴィルトシュヴァイン会議の成功が、国威を発揚させて著しい。
だが。
この国は、徐々に変容しようとしているのではないか。
正確に言えば、いまや星欧諸国内においてさえ、権威比肩なきグスタフ王が。我らが王、我が王が。
エルフィンドの併合方針。
暗殺未遂事件の、陰謀じみた対応。
国家憲兵隊関係諸法の改正と、予備隊の創設。
戦時食糧統制計画の策定。
そして、道洋への艦隊派遣。
あまりにも強権的な政策の数々だ。
王が目指しておられるのは、何処だろう?
キャメロットやグロワールのような覇権国家だろうか。そして、そのような国家の頂点に玉座を占められることなのであろうか。
以前は、そうではなかった。
まるでそうではなかった。
ただただ国家の繁栄と、諸種族の融和と、諸外国との協調を願われる、王であられた。
だが―――
権威権力とは、ひとを変える。
まさか。そんな。
「・・・・・・・」
フリートベルクは、憂慮に表情を曇らせる。
憲法学者としての彼は、民法を専門にしていた。
魔種族特有の選王制度のため、三権分立の曖昧なこの国で、どうにかグロワール式の開明的な民法制度を採り入れられないかと、そればかりに腐心してきた閣僚である。
だが、オルクセンと国民の空気、そして王の政策の数々は、時代に逆行しているようにも思える―――
「やあ、フリートベルク。同席させて貰ってもいいかい?」
唐突に、背後から声がした。
振り向き、驚く。
夏用のラウンジスーツ。目深にかぶったボウラーハット。巨躯。オーク族。あの子供のような目は、悪戯っぽく輝いていた。
「お、王・・・」
王妃ディネルースはおろか、巨狼アドヴィンや、警護ひとり伴っていない微行姿のグスタフ王は、そっと人差し指を口元にたて、その名は出すなという仕草をした。
「驚いたのか? 私とて、長年この地位にあり、
てっきり知っているものだと思っていたのだがな、朝早く目が覚めてしまったときはイーディケにいるぞ、と王は片目を閉じてみせた。
「まあ、結婚してからは機会も減ってしまったが」
王は、ウェイターにコーヒーを頼んだ。
ウェイターや店の者たちは、気づいている様子である。
王は声を小さくして、
「御用達認定を出すとき、こっそりと条件をつけてな。微行のときは、過度に構わないでくれと。たまには、思い切り羽根を伸ばしたいときもあるさ」
「それは、それは」
フリートベルクとしては、破顔せざるを得ない。
明日、休暇に出る。留守を頼むぞ、と王は言った。
「・・・せっかく会えたのだ。こんなところで無粋の極みだが、ひとつお前に頼みたいことがあってな」
「はい、我が王?」
グスタフ王は、ラウンジスーツの胸ポケットから、いつも携えている手帳と鉛筆とを取り出し、さらさらと何かを書きつけた。
そうして、太く大きな指で、意外なほど器用かつ丁寧に頁を破ると、フリートベルクに差し出した。
「・・・・・・・」
フリートベルクは一読し、息を飲む。
大変な代物だったからだ。
完全自由選挙の導入と、議会の創設。
大統領制への移行。
大統領指名の首相制度。両者の兼任は禁じ、任期には上限を設けること。
己を最後に、王位制の廃止。
「王・・・これは・・・」
「ひとつ、研究してみてはくれんか? 我が国の、将来あるべき姿だ」
憲法も大幅に変えなきゃならん、君は民法の専門だから、憲法学者のひとりぐらいは補佐につけても構わん、ただし秘密は厳守させること。
「しばしば官邸にも来て、進捗具合を報告してもらうことになるが。そうだな・・・表向きは、戦時食糧統制法の検討報告ということにしておいてくれ」
フリートベルクは震えた。
歓喜のものだ。
彼にはようやく、王が目指しているものの姿が、はっきりと見えたのだ。
―――そうか・・・! そうだったのか!
ここしばらくの施策のどれもこれもが、議会制に移行したあとでは一朝一夕の採用と実行など、困難なものばかり。
そして。
王の権威がなければ、やれないものばかりだ。
この、オルクセンを根本から作り替えてしまうことになるであろう改革も同様である。
「王・・・王・・・」
フリートベルクは、己の不明を恥じた。
「なんだ、その顔は」
王は、再びあの悪戯っぽい笑みを浮かべる。
心まで解きほぐすような、見事な香りのコーヒーが来た。
「ああ、ウェイター。すまないが、あとで誰かにオレンジ・シャーベットを届けさせて欲しい。妻が、すっかり気に入ってな。頼むよ」
(続)
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