随想録14 暗闘の季節

 ―――陽が傾きつつある。

 七月一四日の夕刻、ティリオン市。アパルドル街。

 旧エルフィンド首都の西側郊外にあたる同地は、高級住宅街として知られている。

 アダウィアル・レマーリアンは、戦争の終わった年の末、同地に約二六〇〇平方メートルという豪邸を買っていた。敗戦により困窮した教義筋が九万ティアーラで売りに出していたものを、五万七五〇〇ティアーラで購った。

 差額は、例によってラング通貨を使うことで買い叩いた。

 もっとも、満額を出しても惜しくはなかったがな、という程度には気に入っている。

 一星紀ほど前にエルフィンドに招かれたキャメロット人建築家の手に依るもので、二つの時代様式が巧みに融合し、かの国のカントリーハウスのような趣があった。

 レマーリアンは、この邸宅に三名の同族を囲っている。

 演劇場で女優をしていた者、繁華街で酒場を営んでいた者、元は針子だった者。

 ネブラスから戻って三日。既に一巡ずつ抱いている。レマーリアンのような嗜好の持ち主は、富豪であるという点を差し引いても、実は珍しいことではない。権力を握った白エルフ族にとっての、密かな娯楽、嗜みのようなところがあった。

 それにしても、三名というのは剛毅だ。

「愛人を持つなら三名にしろ」

 というのは、レマーリアンのモットーである。

 ひとりでは関係が重くなる。ふたりなら愛人同士で喧嘩する。三名がちょうどいい、というわけだ。ただし多数の愛人を持つということは、ましてや一つ屋根の下に囲うということは、均等に愛してやれるだけの気力と体力、金銭を要するが、そこは不足を感じていない。

 食欲、性欲、権力欲―――

 レマーリアンは、およそ欲と名のつくもの全てで一等でありたいと願っている。かくあらなければ、大きな商売などやれない、と。

 いまも、愛人たちと供にしている夕食で、健啖ぶりを発揮していた。

 フェンネルのサラダ。

 鱸のバター焼き。パセリソースとジャガイモ添え。

 兎肉風仕立てのミートローフ。クリームソースと赤すぐりのジャム添え。

 バターミルクの冷製スープ。

 ベリーをたっぷり使った焼きメレンゲのデザート。

 世間では、まだまだ配給統制下におかれた物資も多ければ、明日をも知れず困窮している者もごまんといる。そのような環境下にある者からすれば羨むばかりの栄耀と潤沢とを、余すところなく平らげた。

 食材は、占領軍の鑑札を使って大手を振って集めることが出来る。コックも、腕の良い者を選りすぐって雇っていた。

「流石だな・・・」

 満足の感嘆を漏らし、食後はコーヒーを楽しんだ。もちろん、本物だ。

 戦時中のことだが、レマーリアンはよく賄賂にコーヒーを使ったものだ。他には牛肉や乳製品が多かった。調達をやるために必要な署名を地区の司令官などに貰いに行くとき、持参した。いまでも、下手な現金より効く。そうやって篭絡させた者のひとりが、いまは腹心をやっている元後方兵站司令部の参謀だ。

「しばらくは、ティリオンに?」

 愛人のひとりが尋ねてきた。

 伺うような色がある。待ち望んでいるような、困ってもいるような。

 彼女たちの主は、巧みで、満足させてくれることにも申し分なかったのだが、肉欲に執拗なところがあり、まるで蛇のように絡めとられて責め苛めるので翌朝などぐったりとしてしまう。

 三名いなければ、身がもたないところだ。

 健啖ぶりから、そちらのほうも想像してしまったらしい。

「うん。週明けから、少しばかり忙しくなるがな―――」

 レマーリアンは、今夜愛でてやる予定の情婦に頷いた。

「この週末は、君たちとのんびりさせてもらう」

「・・・のんびり?」

「そう、のんびりだ」



 七月一五日の月曜。

 レマーリアンが営業上の接触を持ったのは、占領軍特別参謀部経済安定局で報道関係を担当している、エルンスト・シュタインバッハという少佐待遇の軍属だ。コボルト族シェパード種。

 この牡は変わっている。

 本業は、ヴィッセル社の専務なのだ。経理畑の出である。

 通称、「ヴィッセルの番頭」。

 それがエルフィンドの企業整頓関係で赴いてきて、マスメディアの扱いが上手いというので、宣撫と検閲を特別参謀部で担当するようになった。

 エルフィンドの報道及び出版関係者、文壇や芸術界から、この牡の評判は良い。

 白エルフ族の優先思想や種族間差別を煽るものや、占領軍への過剰に批判的な報道は、占領政策上差し止めざるを得なかったが、その他のものについては各社の自主規制に委ねる方針を採っていたからである。

 また、このころ本国で出来上がっていた「オルクセン交流協会」を通じて、音楽、工芸、芸術といった分野で、オルクセンとエルフィンドの文化交流を推進していた。とくに昨年末実現させた、オルクセンの誇る音楽家ヨハネス・ラームストをティリオンへ招いての演奏会は大成功を収め、エルフィンドの音楽界に「オルクセン・ブーム」を齎している―――

「やあ、レマーリアンさん」

 既に知己のあるシュタインバッハは、従卒にコーヒーを淹れさせて彼女を迎えた。

 占領軍のオフィスらしく、未だ旧エルフィンド市民の間には主軸となり続けているチコリや麦芽、タンポポといった代用ではない。 

「どうも。しかし、大騒ぎですな」

 レマーリアンは、ここへ来る前、街角で買った朝刊を示した。

 一面、先週末に発表されたばかりの国家憲兵隊予備隊の話で一杯だ。

「ああ、それですか―――」

 シュタインバッハは、ちらりと苦笑した。

「軍政局が、とにかく発表を急げと矢のような催促で」

「ほう・・・」

「まあ、市民の反応は良いようですがね」

 事実である。

 旧エルフィンドは、占領下という点を思うなら驚くほど治安がいい。

 だがそれは「占領軍相手には」という話であって、戦後の物資不足、経済困窮を起因とする凶悪犯罪はかなりの頻度で起こっていた。

 闇屋グループ同士の抗争。金銭や食糧目的の強盗。漁民を利用した密輸。北部域には、混乱期に隠匿した銃器を使用した、復員兵上がりの野盗まで出没している。

 つい先日も、物資や職の斡旋を口実に若いエルフを呼び出し、山中に誘い、金品を奪って殺害していた連続凶悪犯が捕まって、市井を震撼させたばかりだ。

 そのようななか、オルクセンは占領軍を縮小する方針であり、現在の駐留兵力は約一六万名。占領開始時より、随分と減っている。ここから更に第六軍を解散させて第八軍一本に絞り、最終的には六個師団にまで減じるつもりだという。

 この方針は既に発表済みのうえ、実際に漸次実行に移されてもいる。このままでは「代替の治安維持策」が必要であると、主要新聞各紙なども以前から論陣を張っていた。なかには、占領軍の駐留継続を願う記事まである。

 そこへ、予備隊創設の発表だ。

 これぞ求めていた治安維持策であると、概ね歓迎されているのは間違いなかった。雇用の創出。そして何より、治安組織が同種族の手により構成されるという事実への期待まで高まっている。

「・・・つまり、これは警察ですか?」

「うーん、少なくとも私はそのように理解しておりますが―――」

 シュタインバッハは、小首をかしげてみせた。

 まるで、ひとのいい仕草だ。

 本国における国家憲兵隊とは、紛れもない治安維持機構である。構成者は兵役を終えた擲弾兵や騎兵で、戦時には野戦憲兵隊となって動員されることも確かだが、平時は内務省の所管だ。

 国王グスタフ及び王妃ディネルース暗殺未遂事件の影響によって関連法が改正され、以前よりも出動要件は緩和されはしたものの、そこもまた治安維持機構としての役割をより積極的に果たすためのものである。

 この国家憲兵隊の「予備」なのだから、これは警察力の一種と解するのが正しい―――

 彼はそんな説明をした。

「・・・はっきりと申し上げれば。これは軍隊の卵、エルフィンド軍の復活ではないかという噂がありまして」

「ご懸念はごもっともです―――」

 シュタインバッハは肩を竦めてみせた。

 ひとのよい彼は、レマーリアンの目的を完全に誤解していた。いまさら旧体制を復活させるような動きがあれば、商売がやりにくくなると懸念しているのだろう、と。

「しかし、あり得ませんよ。相当高度な運用性を持った警察力。旧エルフィンド軍で佐官級以上だった者は採用しない。発表の通りです―――」

「・・・・・・」

「ましてや。エルフィンド旧体制の打破と改革を主導する軍政局が、そのようなものを許すはずがありません」

 それに、軍事の担当なら、特別参謀部ではなく参謀部が所管しますからね―――彼は、そんな風に締めくくった。



 レマーリアンは、総軍司令部を出ると、そのままリースニュトルヴ大広場を抜け、ティリオンの目抜き通りであるエイルフマレ大通りを歩いた。

 美しいファサードを持つ四階建てから五階建ての建物ばかりで、高級品店、レストラン、カフェなどが並ぶ。

 夏季といえどもベレリアンド半島に多い薄曇りの日だったが、往来は賑わっている。とくにオルクセン将兵の姿が目につく。彼らは皆、買い物の紙袋を小脇に抱えているか、ショーウィンドウを覗いているか、カフェで一杯やっているかだった。

 店の側でも「低地オルク語話せます!」という張り紙を挙って掲げ、オルクセン将兵を呼び込むのに懸命だ。占領開始直後はオルクセン軍を恐れる白エルフ族ばかりだったが、彼らの物腰が丁寧であり、軍規にも厳正で、しかも金離れが良いと分かると、あっという間に上客扱いになった。

 高級服飾店、宝石店、エルフィンドの誇る伝統工芸の家具屋などはとくに繁盛している。

 オルクセン軍幹部が本国から家族を呼び寄せるようになると、高級将校の夫人や娘たちまで客になったからだ。

 ちかごろ市井で最も売れている書籍は、「低地オルク語日常会話」。各地には言語学校が次々に出来上がっている。白エルフ側も必死なのだ―――

 交差点では、エルフィンド警官が交通整理をやっていた。

 つまりそれほど辻馬車は多い。二名乗りの箱型四輪、二頭曳き。馭者は後部に乗るかたちで、グロワール式のフィアクルに近い。

 こちらもやはり、オルクセン将兵を相手に商いが盛んなのである。中央駅にいけば、殆ど客待ちをやらずに済むほど。闇物資の買い出しに行く市民たちのうち、懐に余裕のある者が荷物を持ち切れず使うことも多かったから、益々繁盛するばかり。

 レマーリアンは、頬を緩めた。

 彼女も一社、辻馬車屋を営んでいるのだ。業者免許欲しさに、買収したものだ。

 結構、結構。たっぷり稼いでくれ、などと思っている。

 大通りから一筋逸れたところにある、瀟洒な造りのカフェに入った。ちょうど王立演劇場の裏手だ。籐の椅子と、樫の丸テーブルの並んだ、見るからに雰囲気のよい店である。場所が場所だけに、演劇場の歌手や踊り子などもやってくるから洒落た店構えも当然だった。

 古参のウェイトレスのひとりがいたので頷くと、ちょっと一見しただけでは存在が分からないようカーテンで仕切られた、奥の階段に通してくれる。二階にある個室席に腰を落ち着けた。

 一般の客は、通されない席だ。この店は、かつてレマーリアンが愛人にしていた元踊り子がやっている。もう愛人関係には無かったが、開店資金は彼女が出してやったので今でも何かと便利に使わせてもらっていた。

 腹が減って仕方がなかったので、黒すぐりジャムとブルーチーズを乗せたライ麦パンのスライスと、ジャガイモとベーコンのオムレツ、冷所でよく冷やしたビールを頼む。

 そこはレマーリアンが贔屓にする店だから、ライ麦パンは大鋸屑やふすまで割り増しされていない無垢なものだったし、他の材料も厳選されたものだ。

 エイルフマレ大通り周辺の店は占領軍将兵を相手にするから、良い料理を出さないと商売が成り立たないということもある。その代わり値は張るから、白エルフ族で客になれるのは金を持っている奴、オルクセン軍将校の情婦になっている者などだけだが。

 オムレツが卵とバターのたまらなく良い匂いを立ててやってきたところで、待ち合わせを約束していた客も現れた。

「おお、美味そうですな」

「申し訳ない、先にやらせて貰っています」

「なんの、なんの。お時間もはっきり出来なかったことですし」

 私も同じものを、とウェイトレスに注文したのはエルフィンド内務省警察局の調達課長だった。レマーリアンから、現金、食糧、酒類、日用品などの贈与をたっぷりと受けて、とっくに飼い慣らされている官僚である。

 店の側でも慣れたもので、すぐに調達課長のための料理もやってきた。

「・・・それで如何でした?」

 課長が一息ついたところで、つまり口が滑りやすくなったところで、レマーリアンは尋ねた。

 この辺りの空気を読む巧さは、彼女一級のものである。

「どうも、総監役にはハリウェンさんが座るという話ですな」

「ハリウェン? いまのエルドイン州知事の、ですか?」

「ええ」

 占領軍総司令部が選考を進めている、国家憲兵隊予備隊の総監人事の話をしている。

 しかしそこで挙げられた名に、レマーリアンは軽く驚きを覚えた。

 ハリウェンという白エルフ族は、地方自治畑を歩んだ、内務省の官僚なのだ。軍人はおろか警察畑の経験すらない。

 エルフィンド軍で佐官級以上だった者は採用しないというから、誰を幹部中枢に使うのかと、レマーリアンは疑問に抱いていたのだが。

 まさか、内務官僚出身者を据えるとは。

 てっきり、オルクセン軍の者が座るのかと思っていた。

「どうも、先週末にはもう、クレーデル大佐に呼び出しを受けたそうで」

 特別参謀部軍政局次長の、あの傲慢な牡に、か。

 まあ、既に白エルフ族をひとり当てがって、楽しませちゃいるが。

「ハリウェンさん自体は、何しろ温厚誠実な御方でしょう? すっかり驚かれたそうで。熟慮したいと即諾はされなかったようですが。しかし、占領軍総司令部の御意向ではいずれ受けざるを得ないでしょうな」

「ふむ・・・」

 すると、やはり予備隊とやらは警察なのか。

 正直なところレマーリアンには、国家憲兵隊予備隊とやらが再軍備グループの望む軍隊の卵なのか、それとも軍政局筋の言うところの警察機構なのか、どうでも良いことだった。

 彼女の関心は、ただひとつ。

 この件を主導しているのが、占領軍総司令部で軍事を司っている参謀部であるのか、エルフィンドの軍政を所管している特別参謀部なのか。そのどちらか、という一点だ。

 総司令部は、おおまかに言って二つの部局で出来上がっている。

 占領軍の主力を成している第六軍及び第八軍を統括する、「参謀部」。

 そしてエルフィンドの旧体制を改革、指導、戦争犯罪者を追求する役割を担ってきた「特別参謀部」。

 この二つの部局は、細かなところで管轄が被っており、その内情はオルクセンの作り上げた組織らしく如何にも複雑である。参謀部には六局、特別参謀部には一二局も部署があった。

 そして―――

 両者はしばしば、主導権争いを演じるようになってきていることを、要路のあちこちに鼻薬を効かせているレマーリアンは知っていた。

 軍人ばかりである参謀部に言わせるなら、特別参謀部とは「理想ばかりに燃える空想家の集まり」。

 オルクセン本国では各省庁や行政機構の官僚であった者、学者、弁護士や検事出身者など軍属が多い特別参謀部曰く、参謀部とは「ごりごりの軍人たち」。

 重大な関心事だ。

 将来の商売に繋げるためには、どちらにより食い込めばいいのか。どう転んでもいいよう、どちらにも食い込んで来たが。

 そろそろ、結論を出さなければならない。

 ―――どうやら、答えは特別参謀部か。

 国家憲兵隊予備隊の件に関していえば、正解は特別参謀部、なかでも軍政局筋であるようだ。

 ―――土台、将来の独立など無理な話なのだ。

 もはやそんなことは不可能だ。

 ならば、オルクセンの一部になったとしても、白エルフ族そのものが生き残れる道を探るべきだ。誰よりもまず、この私が稼ぐために。



 ベレリアンド半島占領軍総司令部は、ただそれだけで総勢六〇〇〇名を超える。

 軍属三八五〇名を含んだ、巨大組織だ。

 当然というべきか、旧ティリオン市庁舎だけでは全てを収容しきれない。近くにあるマルローリエンホテルやエルフィンド国有汽船エルフィク・ライン本社屋、産業中央会館などにも分駐していた。

 七月一五日の午後、総司令部参謀部兵要地誌局長アウグスト・シュティーバー大佐は、国有汽船社四階にある自身のオフィスに戻った。

 参謀部次長兼情報参謀職でもある彼は、総司令官シュヴェーリン元帥及び参謀長ブルーメンタール中将との会食を終えたところだった。

 来客が待っていた。

「これは、これは・・・」

 シュティーバー大佐は、オーク族特有の巨躯をマガホニーの執務机に落ちつけた。

 革製の書類鞄から、持ち帰ったばかりの書類を取り出す。

 表紙には、機密というスタンプがある。

「まずは、御覧下さい」

 来客の白エルフ族は、これはちょっと彼女の種族の中でも特徴的な見かけをしていた者だったが、大佐から書類を受け取った。

 三〇頁近い。

 国家憲兵隊予備隊の、編制、組織、機構、募集方法、管理など全般にわたる詳細。武器の一覧や、配置予定図まであった。機密も機密、オルクセン側内部資料だ。

「・・・一管区隊当たり、約一万六〇〇〇名」

 客の白エルフ族は、それだけでピンと来た。

「御国の、猟兵師団に近いですな」

「ええ―――」

 シュティーバーは頷いた。我が意を得たり、という様子だった。

「ティリオン、アシリアンド、エルドイン、アルトカレ。計四管区に配します。残りは中央司令部の要員、後方要員ですな」

「Gew七四、五七ミリ山砲、グラックストン機関砲―――」

 装備類も、予想以上に豊富だ。編制の中には、騎兵まで入っていた。

 誰の目にも警察などではない。軍隊だ。

 必要経費の概算書も附属していた。

 年間、約二〇〇〇万ラング。これを七年かけて継続支出し、計五次に渡る訓練計画を実施。予備隊を完璧なものに育てあげる。

 七年かけて長期的な予算を組むのは、軍備を整えるに際して不確定要素を排そうとするオルクセン軍独特のやり方で、財源も臨時会計費を用いるつもりらしい。

 財源上も、完全に軍隊だということだ。

「ご安心いただけましたか?」

 頃合いを見たシュティーバーが尋ねる。

「ええ、望外の極みです―――」

 来客の白エルフ族は頷く。

 それにしても軍政局の通告には、肝を冷やしましたと答える。

「ああ―――」

 ちらりとシュティーバーは苦笑する。

「大々的に発表してしまえば、無謬であらねばならない占領軍の建前上、撤回はやりにくくなる。そうやって草案には無かった条項を、決済無しで潜り込ませる。“空想家”たちの考えそうなことです。暫定政府内務省筋、なかでも警察筋は彼らにとって子飼いでもありますし」

「・・・弱ったものですな―――」

 白エルフ族は小さく呻いた。

「素人が集まっては、軍隊は作れない」

 彼女は「再軍備グループ」に属していた。

 そして彼女たちに無形の庇護を与えてきたのが、シュティーバー大佐を筆頭とする参謀部筋だ。なにしろ、占領下のことである。占領軍の暗黙の了解がなければ、再軍備グループなど活動できるはずがなかった。

 彼女自身は、戦前戦中の己自身とエルフィンド軍について聴取を受けるうちに、彼らと繋がりが出来た。

 オルクセン側に再軍備の動きがあることも、とっくに知らされていた。

 最初は、独立を目指すつもりだった。そのためには彼らを利用しよう、と。

 だが、もはやそんなことは不可能だ。

 オルクセンはとっくの昔に、外交上までエルフィンドを併合する環境を整えている。いまや彼らは、この星欧全体の外交を動かすまでに至っているのだ。

 また、大半の一般市民たちは旧体制の復活など望んでもいない。都市部でもそうだったし、グスタフ王の改革により長年の貧困から急速に解放されつつある、農家などとくに。

 エルフィンド農民の生活水準は、著しく向上していた。戦前の農家たちは困窮し、離農を図る者も少なくなかったが、いまではそんな者はまるで見られなくなっている。農民たちにとって旧体制とは「悪」、オルクセンは「救世主」だと思うものたちばかりであった。

 ならば、白エルフ族がこの国で生き残れるよう、努力を払うべきだ。

 積極的に、占領軍の要求に応じて。

 彼女は、そんな考えをしている者のひとりである。

 しかしながら再軍備グループといえども、一枚岩ではない。「独立派」に属する者も多い。目的達成のためには、被らねばならない仮面もある。

「我らが予備隊編成のお役にたてるなら、これに過ぎるものはありません」

「まったく同感です。机上の考えだけで、軍隊は作れません。ましてや幹部が一朝一夕に育つものですか。また、これについてはシュヴェーリン元帥もブルーメンタール参謀長も同意を示しておられます」

「・・・ありがたいことです」

 シュティーバー大佐は、そこで合計約九二〇名の元エルフィンド陸軍将校をリスト化して欲しい、と言った。それだけあれば、四個師団相当の幹部をほぼ全て掌握できる。

 第一次として四〇〇名。第二次として残る者。全ては採用できないかもしれないが、「推薦枠」を用意した。そうやって元エルフィンド陸軍幹部を予備隊に送り込み、実権を把握する―――

「ただし、以前申し上げました通り。将官の方はご辞退いただきたい。まだ時期が早すぎます」

「それは結構です―――」

 白エルフ族は頷いた。

「我らとて、もはや後進に全てを委ねるときであると弁えております」

 そしてこれは彼女と意を通わせきっている、ウィンディミア首相も同様の考えである、と付け加えた。

「小官も、かくありたいものですな―――」

 この情報畑の牡にしては極めて珍しいことに、本心から敬意を滲ませているような態度と声音で、シュティーバーは告げた。

「マルリアン閣下」


(続)

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