随想録07 耕作者

 「シュパーゲル通り」という名の古い街道が、オルクセン首都ヴィルトシュヴァインにはある。

 星暦八七八年現在でいえば、ケーニヒスガーデン北側から旧市街地を南北に走り、ミルヒシュトラーセ川を橋梁で越え、郊外へと延びている。ちょうど首都再開発計画に従って、拡張工事を施されているところであった。

 「アスパラガスシュパーゲル」という奇妙な名は、まだヴィルトシュヴァインがずっと小さな田舎街だったころから、この農産物を首都へと運び込む街道であったことに由来する。北側郊外に古くから、その一大産地があったのだ。

 つまりオルクセンの民にとっては、通りの名につけるほどの楽しみであった。

 旬は、四月半ばごろから。六月半ばごろまで続く。

 収穫シーズンが始まると、一〇本、二〇本と白アスパラガスを柔らかく藁で結わい束ね、連日荷馬車で運び込まれて、各地の市場に山と盛られて並ぶ。

 人気は首都に限らず全土的なものであり、新聞の類も「白アスパラガスの季節来る」などと特集記事を組んだし、みな挙って買い求め、賞味する。

 このころにはもう水煮にしたものを瓶詰にした商品もあったが、歯ざわりも違えば香りも劣るというので、やはり獲れたてのものが尊ばれた。

 中でも初物は人気で、値も張ったが、まるで寿命が延びるようだとオルクセンの国民は誇る。

 外国の者には、ちょっと異様に見えるほどの熱狂ぶりだ。

「まあ、ひとつやってみれば分かるよ」

 夫グスタフはそのような笑みを浮かべたもので、ディネルース・アンダリエルは、献上品として届けられた今季の初物を彼とともに食べた。

 ―――瞠目した。

 食べ物について夫は間違ったことを言わないひとであったが、これはまた格別にその通りだった。

 柔らかく、汁気たっぷり。そして優しい甘味がある。

 この白アスパラガスには濃厚なソースが、よく合った。この日は、同じく春が旬のアミガサダケのクリームソースを使い、ソラマメを添えてある。

「これは・・・春をそのまま食べているようなものだなぁ」

 辛口の白ワインと合わせると、幾らでも入った。

「だろう?」

 つい先ごろ、ようやくヴィルトシュヴァイン会議に始末をつけたグスタフは頷いた。

 ディネルースの見るところ、流石に一息入れているといった様子だ。

「今年は、少しばかり早く夏季休暇を取らせて貰おうか。六月辺りにはヴァンデンバーデンへ行って、ただただ君とふたりで過ごしたい」

 などと、過日も珍しいことを漏らしていた。

 白アスパラガスの旨味と、妻との食事は、そのような彼を癒しているらしい―――

 休暇を取るくらいのことには、せめて我儘を通してはどうか。六月と言わず、いますぐにでも向かえばよいではないか、などとディネルースは思うのだが、そうも言っていられないようだ。

「少しばかり、片付けておかねばならないことがあって、な・・・」

 彼は、ぽつりと言った。



 国軍参謀本部総長カール・ヘルムート・ゼーベック上級大将は、浮かない顔付きの参謀本部次長エーリッヒ・グレーベン少将を前にしている。

「酷い顔だな・・・」

 グレーベンは―――あの胆力溢れる牡は、何か仕事の追い込みにかかったときは彼の常であったが、ここのところまるで自宅に戻っていないらしい。

「それで、どうなんだ?」

「どうもこうも・・・何度検討を重ねても無駄ですな―――」

 グレーベンは肩を竦めた。

「王国国防方針改訂案。こいつは葦の茎に節を探すようなものですよ」

 この時期。

 オルクセン陸軍と海軍は、ベレリアンド戦争後の国際環境変化に合わせ、国防方策の改訂作業をやっている。

 「王国国防方針」と呼ばれるもので、存在そのものは政治と軍事を一体化させた国家戦略として戦前からあった。

 平時からこのような準備を整えておかねば、国は護れない。

 つまりその内容は、平時の兵制は無論のこと、仮想敵国の順位を定めもするし、ひいては外交方針を始めとする国家体制にまで影響を与える。

 陸軍の場合、対グロワール戦を睨んだ作戦計画一号、同防衛戦争想定の二号、対エルフィンド戦用の六号「白銀作戦」などの諸計画は、この国家戦略の、軍事面での構成要素であったわけだ。

 「国家が軍隊を動かしているのではなく、軍隊が国家を動かしているようなもの」などと評された、如何にもオクルセンらしいやり方だ。

 当然ながら、対エルフィンド戦計画は既に抹消されている。

 代わって持ち上がったのが、部局内では七号計画と呼ばれることになった戦争計画だ。

 この計画、グロワールとロヴァルナの二正面作戦を想定していた。

 両国が同盟などを結び、一度に相手をしなければならなくなったような場合に備えてのものだ。

 作成を命じられたグレーベンは、

「・・・正気の沙汰じゃない。どうにもなりませんよ」

 不可能だ、というのだ。

 防衛戦争となると、絶望的。

 しかし現在のオルクセンの国力を以てしても、動員能力から言って、東西両面で同時に攻勢に出ることは困難である。

 唯一可能だとみられていたのが、ロヴァルナ側では国境の防備に全力を尽くし、グロワール側で攻勢に出る、という案だ。

 まず、防禦の固い西部国境を直接突くのではなく、アルビニーに侵攻、北部から繞回進撃し、グロワールに突入。首都リュテスを攻略して城下の誓いを成さしめる。そうしてから軍主力を鉄道軌道で東部に運び、ロヴァルナの野戦軍を撃破する―――

 この場合、イニシアティブを握ることが何よりも重要であったから、戦争はこちらから吹っ掛ける。

 既存の戦争計画のうち、一号計画と、対ロヴァルナ戦用の五号計画の流用だった。

 この作成過程で、もっと別の思案―――それもかなり剣呑な内容のものも持ち上がっていた。

 つまりオルクセンにとって、ロヴァルナとグロワールが同盟するような状況に陥れば、まさしく国家存亡の事態。

「ならば、そうならないうちにグロワールを討ってしまえ」

 という声が作戦局内に上がっていた。

 将来の脅威を、その萌芽が成長しないうちに摘み取る。

 「予防戦争」と呼ばれる考え方だ。

 内容は完全に一号計画のものとなるが、重要なのはその発動時期。政治や外交とも協同一帯となって、なんとしてもグロワールに戦争を吹っ掛け、機先を制する―――

 これは対エルフィンド戦で実際に行われた思想だったから、国軍参謀本部作戦局としては自然な流れであった。

「・・・しかし。こいつも駄目ですな。少なくとも短期的には」

 グレーベンは断言した。

 ここ一カ月ほどの間、彼は参謀本部に寝泊まりしてそればかりを考えていた。

「やはり、ベレリアンドか」

 ゼーベックは、静かに、呟くように応えた。

「はい。ベレリアンド半島占領軍を抱えたままでは、例えグロワールとだけの予防戦争に持ち込んだとしても、既にその時点で“二正面作戦”なんですよ」

「道理だな」

 この問題は、エルフィンド降伏調印時の三国干渉のころから、もうずっと国軍参謀本部の悩みの種だった。

 あのときはグロワールが主体となった干渉への対応のため、形振り構っていられなかったが。故に、実質的には国境防禦を現実的対応策として据えた。

 オルクセンの軍事力が例え他国からどれほど脅威に思われていたとしても、それは当のオルクセン国軍参謀本部としては「買い被り」というもので、実態としては心許ない。

 兵器や戦術には自信があったものの、動員可能な兵力数の点において不安で仕方なかった。

 国軍参謀本部が、陸軍省とも折衝して軍制改革案を進めているのは、これが動機だ。

「よし―――」

 ゼーベックは頷いた。

「国防方針とは別の覚書として、短期的には二正面作戦は現実的に不可能だという文書を作れ」

「・・・代案は必要ですな?」

「ああ。当然だ。戦時動員能力の強化を主軸とした、より高度な国防体制案を作り上げることを目指す。ベレリアンド半島占領軍は、早期に縮小化させることも望ましい。これが見込めない場合、師団数の増加、要塞防備の強化が必要である―――そんなところだな」

「自国領での防衛戦争案とは何とも同意致しかねますが・・・止むを得ないですな」

 応えつつ、随分と流れにな、とグレーベンは思う。

 ―――規定路線ってやつか。

 陛下と総長は、もうとっくの昔に打ち合わせ済みなのかもしれない。

 やれやれ、なんてこった。

 だとすればこいつは、陛下への国策上奏なんてものじゃない―――

「随分と気を揉んでいるようだから、少し安心材料をやろう」

「・・・なんです?」

「外交的に、グロワールの目は外に向けさせる。陛下はそのおつもりだ」

 やはりか。

 こいつは、二正面作戦や予防戦争など不可能だと、俺たちに納得させるための作業だったわけだ。

 まったく。陛下も、ゼーベックの親父も、狸だねぇ。

 では―――

「ヴィルトシュヴァイン会議は、そのための布石でもあったと」

「そういうことだ」

 ―――やれやれ。

 仕切り直しの前に、今日は家に帰ろう。

 グレーベンはそのつもりになった。

 簡単なものでいい、国軍参謀本部食堂の不味い飯ではなく、妻の用意した食事が摂りたくて仕方ない心持ちだった。

 フライドエッグ。キャメロット風トーストにバター。サラミとヴルストが幾らか。たっぷりとした淹れたてのコーヒー。

 ちくしょう、猛烈に腹が減ってきた。

 あいつに会いたい。

 ああ、突然帰っては怒られるだろうから、先に副官を遣いにやらなくては。そうすれば、あいつは何かスープに熱い風呂も整えてくれる。



 巨狼族アドヴィンにとって、国王警護役としての出番はすっかり減っていた。

 ちかごろではアンファウグリア旅団や国王警護隊がその役目を務めることが多くなっていて、日中の彼は国王副官部の部屋で寝そべっているばかりだ。

 グスタフが独身のころは良く彼の寝室にもいたが、彼に愛妾ができ、やがてその愛妾ディネルース・アンダリエルが妻となると、専用の別室を用意してもらってそちらで寝るようになった。 

 ちかごろ熱中しているのは、国王警護隊に新たに加わった連中を相手に、訓練役を引き受けることだ。

 魔術まで用いて全周警戒をやっているつもりの兵に、例えば背後からそっと近づいていって驚かせてやるのだ。

「ひ・・・」

 興が乗ったときは、頬を舐めてやったりする。

 面白くて仕方なかった。

 ヴィルトシュヴァイン会議の間は、各国首脳を驚かせるのは良くないとされて、官邸警備に回った。

 南側のアス通りに面した柵を乗り越えようとした記者がいたので、思い切り吠え掛かってやり、その不埒者が驚き、悲鳴を上げ、尻もちをつくさまは見ものだった。

 そのような日常を過ごしつつ、国王執務室に来訪者予定が捌けたあとなど、グスタフの元へ行く。

 とくに言葉を交わすでもなかったが、彼の側で寝そべった。

 副官部にすれば、これは一種の合図にもなっていて、午前の外部予定はもうございません、というわけだ。

 グスタフはパイプに火を点け、コーヒーを飲み、書類を読みにかかる。

 付き合いの長い彼らにはそれで充分だった。

 ダークエルフ族などこの国にはいなかったころからの、警護役。治世開始直後の、叛臣鎮圧。グロワールとの国境に現れた、恐るべき南方系巨狼の討伐。毎夏の休暇。狩猟の供。そしてベレリアンド戦争―――

 彼らの付き合いは、本当に長かった。

 日に一度は必ず、グスタフはアドヴィンの額を撫で、あるいは毛並みを整えてくれ、副官部の用意した牛骨などを与えてくれた。

 アドヴィンには、それが楽しみで仕方がない。

「アドヴィン。お前、ちかごろ随分と気を使ってくれているな」

 あるとき、彼の額を揉みながらグスタフはそう言った。

 寝所や休憩室から、アドヴィン自ら居場所を外していることを指していた。

「だが、安心しろ。私にとってお前は唯一の友―――“相棒アドヴィン”だ」

「・・・ありがたき幸せ、我が王」

「いま、いいものを用意している。お前も、きっと気にいるぞ」

「・・・?」

 彼は謎のようなことを言って、またアドヴィンの額を揉んだ―――

 グスタフの言うところの「いいもの」は、ヴィルトシュヴァイン会議は終わったあとでやってきた。

 ちかごろには珍しく、グスタフのほうからアドヴィンを呼び、官邸裏庭に連れていかれると、は居た。

 巨狼族だ。

 同種族はおろか、他種族から見ても灰色の毛並みまで美しい。精悍な顔立ちも、その青い瞳も。

 族長としてのアドヴィンからすれば、初めて見る顔というわけでもない。

「ウェンドラじゃないか」

「はい」

 良い声だ。

 ベレリアンド戦争で、第三軍に従軍した牝だった。

 ―――どうしてここに。

 アドヴィンはグスタフを見上げた。

「まあ、しばらく面倒を見てやってくれ」

 彼の主は言った。



 幾日かして、昼食に白アスパラガスのスープが出た。

 この料理、作り方にはいろいろとやり方があるが、この日のものは丁寧に裏漉しした白アスパラガスのピューレ、鶏の野菜の出汁ストック、牛乳とクリームで仕立てたものだった。

 もちろん、茹でたアスパラガスそのものも入っている。

「これはまた、絶品だな」

 ディネルースも気に入った。

 例の、官邸司厨部得意の丁寧な裏漉しが極上の逸品に仕上げていた。

 摂り終えると、感嘆の吐息が漏れる。

 夫は、白アスパラガスの栽培がどれほど手間のかかるものか、そんな話をした。

 農家は高い砂地の畝を作り、この宝石のような農作物をその畝の中で育てる。

 だから白い。

 事情を知らぬ者にはちょっと信じられないことだが、並の緑色をしたアスパラガスと、白アスパラガスは同じ種だ。

 この育て方の違いが、色も香りも柔らかみも変えるのだ。

 収穫は、丁寧に一本ずつ手作業で行う。土のうえに芽が出てしまうと緑になってしまうから、そうならないところを見極めることが必要だったし、手間もかかる。たいへんな重労働だ。

「その丁寧さ。勤勉。熟練。私も、かくの如くありたいものだ」

 休憩室のグロワール窓越しに、裏庭が見えた。

 心無しか、ちかごろは陽光にも温かみが増していた。

 アドヴィンとウェンドラが、追いかけっこをしている。ときおり互いの口元を甘噛みしたり、匂いを嗅ぎ合う、巨狼族式のじゃれ合いをやりながら。

 グスタフは目を細めた。

「・・・すっかり春だな」



(続)

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