随想録08 侵入者

「アドヴィンに、伴侶を持たせてやるとはね」

 ディネルース・アンダリエルは、夫は良いことをしたと思っている。

 星暦八七八年が五月に入ったころ。

 星欧では北国のひとつであるオルクセンでも、もう雪の気配は完全に失せた。

 本格的な春の到来とともに、街に目を向けてみれば散策や買物といった外出を楽しむ市民も増えているようだ。 

 夫グスタフの疲労も癒え、彼は精力的に政務に打ち込んでいる。

 周囲の側近などからも、公私ともに充実しているように見えた。

 そうした彼の努力が報われたのか、このころ、オルクセンという国家もまた「もっとも困難な時期」を乗り越えたように思える。

 改めて振り返ってみると―――

 オルクセンにとってベレリアンド戦争終結直後ほど、大局的に見て危なっかしい時期はなかった。

 まずエルフィンド降伏条約への干渉により、最悪の場合グロワール及びロヴァルナとの二正面戦争が起こるであろうと、顔を青くした軍幹部は多かったのだ。

 いまひとつの干渉国アスカニアは、このころオスタリッチとひとつの地域共同体を形成していたから、この南側の両国も安心できたものではなかった。

 他の星欧各国にしても、決して好意的ムードとは言えなかった。オルクセンによるエルフィンド併合の意思がはっきりとすると、これはデュートネ戦争講和条約によって星欧に作り上げられた「勢力均衡」の崩壊だと捉える国ばかりであったのだ。

 少なくとも、各国からは周囲を隔絶しているほどに思えたオルクセンの軍事力も、危険視された。

 参謀本部制度。徴兵制を用いた動員能力。星欧一と呼べるほど整備された鉄道の軍事利用。ヴィッセル砲とエアハルト銃の高性能。そして、何よりも他国には模倣のしようがなかった魔種族ゆえの身体能力の高さ、エリクシエル剤、魔術通信、大鷲族による空中戦闘能力。

 国内的にもオルクセン国軍参謀本部なども、自国の軍事力に自信を深めはしていたが―――

 彼らのうち中枢に座る者たちの密かな認識では、動員能力の点において、ベレリアンド半島占領軍を抱えている限り、「周囲隔絶す」というほどには至っていない。

 オルクセン軍最大動員兵力約一五〇万というのは、相当に無理をした根こそぎ動員のうえ、国内防備にしか使えない二線級の兵力や後方機関を含めてのものだ。

 ハッタリに近い。

 一線級の、他国に攻め入れるほどの精鋭兵力は約五〇万。

 対して、戦後の仮想敵国第一位となったグロワールの常備兵力は約四〇万であり、彼らは戦時動員により更に国民義勇兵なども集めることが出来るだろう。

 仮に東西両近隣国と戦争になった場合これはもう絶望的で、ロヴァルナの兵力を早期に撃滅することは不可能であるとも国軍参謀本部は分析していた。大鷲軍団の密かな空中偵察まで用いた諜報活動の結果、東部国境ロヴァルナ側には湿地帯が多く、戦略的な運動戦にはまるで不向きだと見なされていたのだ。

 つまり、周囲の過剰な軍事的警戒とは裏腹に、オルクセン自身は東西両面を相手にした戦争はもちろんのこと、旧エルフィンドの併合を完了するまでグロワール一国を相手にした戦争にさえ、まるで自信を持っていなかった。

 のち、

「グスタフ王は、気前良く何もかも見せつけ過ぎたのだ」

 と評した、歴史家もいる。

「戦争に勝利したことが重荷になった国」

 という評価もあった。

 グスタフには、もう二度とこの国には戦争を起こさせない、参加しない、巻き込ませないという目標があったから、これは皮肉なことである。 

 彼は軍事力を用いることでそれに最大限成功したとも言えるし、そしてその成功ゆえに自らの首を絞めてしまったとも表現できた。

 ―――グスタフは、この危機を大きくわけて二つの方法で乗り切った。

 ひとつは、エルフィンド併合を周辺国が認めてさえくれるなら、もはや我が国には如何なる領土的野心もないのだとアピールする「充足国家」という考え方。

 いまひとつは、折しも勃発したロヴァルナ・イスマイル戦争という国際環境を目一杯利用したことに象徴できる、「領土補償」である。

 各国に海外進出を勧め、囁く。イスマイル帝国という老大国の一部を解体して、各国に投げ与える。その調整役たる「公平な仲介者」を引き受けることで、オルクセンの国威と中立性を高める―――

 これは狡猾極まる方法だった。

 彼はヴィルトシュヴァイン会議の開会にあたって「この会議は星欧社会の平和に資する」と演説したし、本心であったことにも嘘偽りはない。

 ただ、故意に説明不足であっただけだ。

 ―――その「平和」を誰よりも享受するのは我がオルクセンだ。

 このことである。

 彼は、いわゆる「平和主義者」ではなかった。それは彼自身が間違いなく否定しただろう。

 彼は紛れもない「現実主義者」であった。

 オルクセンや、旧エルフィンドや、両者が統一された国民たる魔種族や、己や周囲の者が生き残るためには「二度と戦争はやれない」。そのためには「他国がどうなろうと知ったことではない」と考えていたのである。

のだ。

 この至上命題を達成できるなら、他の星欧列商同士を争わせることすら躊躇いなく考慮した。

 考慮したうえで、オルクセンから出来るだけ遠くに―――ヴルカン半島とカウシス地方に「火種を撒いた」のである。

 そう、「火種を撒く」ことまで意図的だった。

 ヴィルトシュヴァイン会議において「公平な仲介者」の仮面を被り、各国に相互間の不和と不信とを植え付け、増幅させ、それでいながら各国全てがオルクセンには感謝する、あるいは擦り寄るしかない国際環境を作り上げてしまう―――

 そして彼は、この難事に成功した。

 ものの見事に、してのけてしまったのだ。

「魔王」

「腹話術師」

「ヴルカンを火薬庫にした王」

 歴史上の、とくに他国史観からのグスタフに対する道徳面の評価は、後世になるほど悪化した。

 いったい彼が何を目論み、何をやったのか、歴史家たちが気づいたのは彼の死後から更に長い時間が経ってからであったけれども、きっとグスタフは―――彼の内部を形成していた人間は、こう応えただろう。

「お褒めに授かり、光栄至極」



 ディネルース・アンダリエルは、もし彼がそのように応えるつもりだったと知ったなら、

「偽悪者ぶるのはやめろ」

 と、叫んだかもしれない。

 彼女は、夫がこのような外交手段に至るまでどれほど悩み抜いたかを、他の誰よりも知っていた。

 ディネルースが彼の「秘密」を知る立場になってからの時間は、シュヴェーリン元帥やゼーベック上級大将、アドヴィンなどよりずっと短かな年数でしかない。だが彼女は他の誰よりも、グスタフの生き様の深い部分に触れることが出来た。

 例えば―――

 ヴィルトシュヴァイン会議の前のことだが、コーヒーでも差し入れようかと休憩室から執務室に向かったことがある。

 彼好みのフェルナンブコ産中煎り豆をアルベルトに仕立てさせて。

 もう午前の来訪者時間は過ぎていたから、他愛もなくちょっと驚かせるつもりで、そっと扉をあけた。    

 夫は執務卓で俯いていた。何か小さなものを指先に持ち、それを見つめているのがわかった。

 夫は、そっとそれを引き出しにしまった。

「・・・・・・邪魔してしまったか?」

「・・・いや、大丈夫だよ」

 ディネルースは、彼が手に取っていたものが何であるかを知っていた。

 アザラシ皮を張った、蓋つきの高級小物入れであった。

 中に、エルフィンドの降伏調印式で使ったペン先が入っているはずだ。

 グスタフはあのとき、四本のペン先を使っている。

「グスタフ」の部分で一本、「ファルケンハイン」の部分で一本。それをオルクセン側文書で一組、エルフィンド側文書で一組。

 そうして調印式が終わってから、用意させていた揃いのケースに入れ、一本を己の保存用とし、一本をシュヴェーリン元帥に、もう一本をゼーベック上級大将に、そして最後の一本を故ツィーテン元帥の未亡人に贈ったのである。

 ディネルースは悔やんだ。

 ―――忍び足など。我ながら、馬鹿なことをしてしまった。

 と。

 彼女は何も問い尋ねはしなかったが、そのとき振り向いた夫の表情で全てを察した。

 夫はどうやら、何かに思い悩んだときにそのペン先を取り出して見つめ、己への戒め、叱咤、精神的指針のようなものにしているに相違なかったのだ。

 それは「見てはならないもの」だった。

 グスタフは―――というよりその内側にいる人間だった存在は、本来なら決して王など引き受けるべきではなかった「男」である。ディネルースはそれにとっくに気づいていた。

 これほど優しい心根の持ち主を、彼女は知らない。

 それが長い年月をかけて統治者をやっているうちに、権力者たることは何であるかを自ら身に着けた「ひと」なのだ。

 ―――何処か遠くへ、このひとを連れて逃げられないものかな。

 叶わぬ妄想と自覚しながらも、ディネルースはそのように思った。

 例えば、己の生まれ故郷にでも。

 山も川も森も、きっといまでも手に取るような具合だろう。

 住むところなど丸太小屋で構わない。小さなものでいい。

 日々の糧は、私が獲って来てやろう。

 彼ならきっと、ふたりで食べていけるだけの畑も作れる。

 そして。

 そうして。

 このひとが息を引き取るその日まで、ふたりきりで暮らせたなら。

 夫には、それが何よりも良いことなのではないか。

 そんな空想を抱くのは、初めてのことではなかった。朝に夜に、夫の胸のうえで彼の鼓動を耳にしているとき、そのような絵空事を考えることがあった。

 それは夫の目指しているもの、彼が生きる目標としているものなどではないことも自覚していた。

 これは私自身の願望だ。

 思考を始めれば深みに沈み続けるような、どうにもならぬほどの、喚き散らしたくなるほどの。

 ―――ディネルースには、夫がまるで生き急いでいるように思えたのである。



 そのキャメロット国籍のとある男が、いったいいつから「計画」を立て始めたのかは良くわからない。

 それはのちに行われたオルクセン及びキャメロットの合同捜査でも、ついに判明しなかった。

 本格的に動きはじめたのは、この前年末からであった。

 それまでは酒に入り浸っていた。これは長期に及んだ。そのような生活をやれるだけの財力があったことが、むしろ昏い日々を長引かせた。

 整っていた顔立ちの頬はこけ、栗色寄りの金髪はぼさぼさになり、無精髭が伸びた。四六時中酒臭い息をし、グレイの瞳はどろりと濁り、微笑めば同性も異性も問わずチャーミングに思わせた表情は、まるで変化に乏しくなった。

 しかし、何かを―――ついに誰にも分からなかった何かをきっかけにして、男は活力を取り戻した。

 この人物にとって不幸であったのは、その「活力」がまるで仄暗い方向を突き進んでしまい、先鋭化し、頑迷になっていったばかりであったことだ。

 男はまず、熱い風呂に入った。

 そして髭を剃り、高級な下着とシャツとフロックコートを着て、食事に出た。

 コヴェントリー街にあるシースクアという高名な店に入り、落ち着いた調度のなかで革張りの席につき、素晴らしい生牡蠣、グロワール風の農村パテ、ローストビーフ、アーティチョークのスープを平らげた。

 四肢の隅々、脳細胞のひとつひとつまでが蘇るようだった。

 まだ寒い時期だったから、店を出る前にイザベリアのシェリー酒を一杯ひっかけ、辻馬車を拾い、

「フォックスフォード・ストリート。ミーティアズまで」

 と命じたときにはもう、頭蓋のなかはひとつの考えで一杯だった。

 ―――いつ。どこで。どうやって。

 中古書籍販売業者チャールズ・ミーティアが三〇年ほど前に始めた貸本・新聞閲覧事業は、このころ興隆を極めていて、ログレスのシェアを寡占するまでに至っていた。いまではフォックスフォード・ストリートの大きな地所に移り、更には近隣含め三つの地番を占めている。

 それは「小さな王立博物館図書室」と称されているほどのものだ。

 化粧漆喰仕立ての四階建て。通りに面した二階部分には、誇らしげなミーティアズ・ライブラリーの金飾を施された大文字。膨大な蔵書と、各階に円形をした巨大な貸し出しカウンターがあって、会員になり、年に一クィド支払っておけば本を借りることも出来るし、この建物のなかの閲覧室で読むことも出来た。

 彼にとって、一階にある庶民向けの「三巻小説」や、婦女子に人気のある「長判印刷の創作読み物ブロードサイド」にはまるで用はなかったので、三階へ向かう。

 そこにはキャメロット国内はもちろん、星欧各国の主要紙があった。

 まず手始めに、オルクセンで発行されているキャメロット語紙オルクセン・クロニクルを借り出した。

 目標としている存在について書いた記事があれば目を通し、参考になるところがあれば丁寧に手帳へメモを取った。

 そんな真似を、オルクセンの主要紙でも繰り返した。

 対象が著した農業書も読んだ。中身についてはまるで興味はなかったが、その前文や、内容の端々から相手の性格を知ろうとしたのである。

 ―――こいつは、制御の効かない出来事を嫌うタイプだ。

 男は思った。

 何事に臨むにしても不確定な要素を出来得る限り排して、予想と計画とその修正とで対処できるよう努める。そんな奴だ。

 ―――つまり、法や規則、予定といったものを重視する。

 これがヒントになった。

 対象には、決まって繰り返し行動するパターンのようなものが、大きく言って二つ存在することが分かったのだ。

 それだけ分かれば充分だった。

 どちらを狙うにしろ、時間はたっぷりある―――



 男がアルビオン海峡を渡ったのは、まだ星暦八七八年が四月に入ったころだった。

 フェリーの港は、キャメロットとグロワールの海峡間距離がもっとも狭くなったところにある。

 海峡蒸気汽船会社の運航するフェリーが、キャメロット側のラドナーストン港からグロワール側のベルモントとサン・ピエール港、そしてアルビニーのテステーレプ港の間を結んでいる。

 男はアルビニーに渡った。

 旅行用のアルスターコートに、ツイードスーツ、ボウラーハット。それに黒檀のステッキ。キャメロットでは予備役の軍人がよく携えている、銀製の丸型の柄をしたやつだ。旅行鞄が二つ。従者は連れていなかった。

 外輪式、二本煙突、全長六〇メートルほどの蒸気船がこの航路に専属で就いていて、上甲板には客室こそ無かったが天幕付き船尾デッキもあり、甲板下二層が旅行者向けの空間になっている。

 緋絨毯が敷いてあり、間仕切り板兼背もたれのある客席もあって、まずは落ち着いて座っていられた。ただし、船に強い者なら、という注釈がついたが。

 一クィドの乗船賃を払って一〇時に出港し、正午過ぎに着く。

 テステーレプ港は、素晴らしい砂浜とホテル、カジノ、競馬場などもある、星欧でも著名な保養地だが、オフシーズンということで閑散としていた。アルビニー人得意の白亜の街並も、何処となく全体がくすんだ灰色に見えなくもない。

 ―――結構なことだ。観光にきたわけではないからな。

 それでも男は船着き場の税関で、

観光ツーリズムだ」

 と、当たり障りのない答えをし、キャメロット連合王国発行の旅券を示した。

 荷物を開封させられはしたが、この時点では後ろめたいものなど何も詰まっていなかったから、堂々とした態度だった。

 背丈があり、筋肉質で、締まった体つきをしていた彼は、旅券記載内容の通り確かに若い予備役将校に見えた。

 ただし、旅券そのものが偽造だった。

 淀みなく偽名で受け答えをやりながら、まったく、我が母国の政府連中はどうかしていると思っている。

 公的な書類を偽造するような不埒者は誰もいないと思い込んでいて、透かしもなく、上等な紙だが格別に特殊なものでもない用紙で旅券を発行している。本物からして印刷もちゃちなら、印版もお粗末だ。

 ―――これでは、高級なインクと紙の無駄使いというものだ。

 内心、皮肉を覚えている。

 偽造旅券そのものは、かつて付き合いのあった仲間に用意してもらい、氏名、身体的な特徴、年齢、出生地といった手書きの項目は、男自身で役所の筆記体を真似て書き込んだ。

 初めてやる真似というわけではなかった。

 男は、稼業にしていた貿易商の駆け出しのころ、よくこんな手段でアヘンや宝石類の密輸入を祖国と大陸の間でやり、荒稼ぎしたものだった。

 彼はテステーレプの高級ホテルに一泊し、翌朝八時になってアルビニー首都ブルークゼーレ経由、東部リネージュ行きの鉄道列車に乗り込んだ。行程、約一九〇キロメートルである。

 アルビニーは、星欧にあって大国に囲まれた小国だ。

 海峡を挟んだキャメロット、南のグロワール、東のオルクセン。歴史的にみると、戦争が起こる度に周辺大国から「交通路」にされてきた、凄惨な過去を持っている。

 かのデュートネ戦争に始末をつけたシャルルロワの大会戦は、このアルビニーの域内で起きた戦いであったことを想起すれば、分かりやすい。

 ゆえにこの国は、生存のための感覚を鋭くするしかなかった。

 聡明な王を得たこともあり、国民みながこれを支える立憲君主制の開明的な憲法を制定し、上下一致して産業殖産に努めてきた。

 気風は活発で、仕事好き。白い石造りや、白亜の漆喰を用いた建物が多く、いたるところが白っぽい。

 男が向かったリネージュの街は、そんなアルビニーの産業殖産政策を象徴するようなところがある。

 良質な石炭や鉄鉱石が採れるというので、一〇余ヶ所の立派な鋳鉄所、鉄鋼工場があった。

 そして、星欧随一の兵器生産の街でもある。

 独立を保つには精強な軍隊を待たねばならぬというので、自然な流れとして兵器の自国生産も図られた結果であった。

 男がやってきたときには、極めて優秀な銃器を作るというので後年高名となるエルスタル国営兵器製造所こそまだなかったが、腕のよい銃工を幾人も抱えた武器製造業者が三つもあった。

 彼らがどれほど進取の気風に富み、技術に優れ、また向上心を欠かさない存在であったか。

 遠く道洋の近代化過程に流入した、オルクセン軍正式採用小銃Gew四一小銃など各国の小銃が正規製品ばかりではなく、このリネージュの街で模倣された品が多数含まれていた事実を思えばよい。彼らはそうやって技術を磨いたのだ。

 職工が個人で開いている店、いわゆるガンスミスなどもあった。

 男が向かったのは、そんな店のひとつだ。

 かつて一緒に仕事をしたことのある、アルビニーの暗黒街の友人の紹介状も携えていた。

「・・・どうだい? 出来るかい?」

 男は自らの要望を記したメモを示した。

「ふむ・・・ どれも難しいことじゃない」

 経営主にして銃職人は答えた。

 彼には男の要望が何か妙な目的を企図した代物だというのは、一目見てわかったが、その点について口を挟むつもりはない。

 主にとって大事なことは、自らの職人魂が刺激されるかどうか、代金が正当に支払われるか、そして製作した銃が例え何に使われようとも自らに火の粉は降りかからないようにすることである。そのために顧客の秘密を護ることは、必須の商売でもある。

火打ち石フリントロックではなく、雷管式パーカッションにするのは確実に作動させるためだね?」

「そうだ」

「これは簡単なことだ。そして口径は大きくする、と」

「そう」

「技術的にはこれも問題はない。猟銃だけでなく、拳銃でもやられていることだからね。しかし、うんと反動は大きくなるよ。射距離はどれくらい?」

「そうだな・・・目前でやる」

「ふむ。なら、大丈夫だよ。ライフリングも刻むかね?」

「頼む。そして弾丸は既製のものでも特製のものでも良いから、まるで猛獣撃ちのような、威力のある弾にしてほしい」

「なるほど。猛獣撃ちのような弾に、ね」

 主は完成系の全体像を思い浮かべた。

 客の要望を全て叶えると、センチュリースター合衆国の連中が作っていた護身用拳銃を、長さも口径も少しばかり大きくしたような代物が出来上がる格好になる。

「そう。それが理想的だ。製作期間はどれくらいかかる?」

「ひとつき・・・いや、三週間といったところか」 

 主はちょっと考えていった。

 男は頷いた。

「問題ない。代金は半分払っておく。もう半分は受け取るときに、ということで」


 

 男が国際寝台会社の北特急に乗り、アルビニー国境からオルクセンへと入ったときには、もう五月になっていた。

 しかし彼はまるで焦っていなかった。

 まだ「予定」まで日時はたっぷりとあったからだ。 

 アルビニー側の国境町カディニャンを越え、オルクセン側のハーヴェルシュタールに入る。両国の鉄道軌間は異なるから、ここで国際寝台会社契約のオルクセン国有鉄道車両に乗り換え、その時間を利用して税関の審査を受けるわけだ。

 オルクセン内務省国家憲兵隊のうち、国境防禦を受け持つ国境警備隊のオーク族係官は男の旅券と手荷物を検査した。

 大振りな旅行鞄のうち一つは何も問題はなかった。キャメロットの誇る高級シャツや、下着などといった衣類ばかりだったからだ。

 もう一つの鞄で、オーク族は手を止めた。

 丁寧に鍵のかけられた、飴色をした高級木箱が収まっていたからだ。

「これは?」

「銃だよ。決闘用の銃。御国のお客の依頼で、納めにいくところだ」

 開封させた中身は、確かにその通りだった。

 二丁一組。

 ビロードの敷布のうえに、古風な見かけに仕立てられた単発銃があった。ただし中折れ式の後装型。

 そして係官は、これを

 ―――オルクセンには、奇妙な習慣がある。

 これは彼らに限らずまだ当時星欧中で認められていたことだが、決闘の習慣が残っており、なかでもオルクセンのオーク族では特に盛んだった事だ。

 契約上の行き違いであるとか、牡牝だんじょの仲の縺れであるとか。彼らは何かあるとすぐに手袋を投げつけ、決闘で決着をつけたのである。

 決闘という行為そのものが、オーク族の気風に合っていたのかもしれない。

 その情熱たるや、他国の者が呆れるほどだった。

 そして、もう剣による決闘は廃れかけていて、その勝負は殆どの場合、銃で行われるようになっていた。

「それはそれは・・・ご苦労さまです。どうぞ、行って頂いて結構ですよ―――」

 オーク族の係官は、神聖なものを見つめる眼つきになって言った。

 旅券に記載された名で、キャメロット陸軍予備役大尉だとされている男に入国を認めた。

「―――我がオルクセンへ、ようこそ。モランさん・・・セバスチャン・モランさん」



(続)

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