随想録01 積木遊び

 積木で何でも造られる

 お城や宮殿、要塞、波止場

 外では雨が降ってても 御家で私は積木する

 絨毯は海で ソファは山

 私はそこに街を建て 護り育てよう

 城塞や水車や畑

 そして波止場や船までも

 (ロバート・バルフォア キャメロットの小説家・詩人)



 ―――星暦八七八年の幕が開けた。

 オルクセンにとって、年始は冬至祭休暇の終わりを意味する。

 一月一日の新年を迎えれば、早くも翌二日には官庁も含め「仕事始め」となるから、感覚としてはまさしく「休暇の終わり」であった。

 一二月三一日の夜にはあちこちで花火が上がり、新年の到来を祝うと―――

 意外なことに、一日の国内全土はひっそりと静まり返っていた。

 官庁も商店も休み。街も地方の村も同様である。日頃は「他種族が休んでいても商いをやる」と称されているコボルト族でさえ、自宅に引き籠っていた。

 休暇の最後は「眠って過ごす」というのが、定番なのだ。

 ディネルース・アンダリエルは、微睡むとも目覚めるともつかぬ、心地のよい時間を過ごしていた。温かみがある。夫グスタフ・ファルケンハインの胸のうえだ。

 明け方を迎えたころであったろうか。寝室隅にある蒸気式のラジエーター暖房器から、機械構造上こればかりは致し方のない水撃作用による騒音が響いて、目が覚めた。ダークエルフ族特有の彼女の突耳にはそれがはっきりと飛び込んでくるので、小さく呻いたあと、すぐに夫の胸に頬を擦り寄せ直す。

 この上ない温かみに、今度は弛緩と歓喜の呻きを漏らし、同時に力強く規則的な鼓動を耳にする。グスタフの心臓の音だ。その巨躯からすると意外なほど大人しい呼気と振幅も感じる。

 ―――この音。

 いつのころから、この鼓動を耳にしていなければ、眠った気になれない体になってしまった。

 そっと彼の顔を見上げる。

 すやすや、すやすやと。まるで子供のような顔をしてディネルースのおとこは眠っていた。

 ―――こいつめ。昨夜も私を、しておいて。

 ディネルースは、形のよい眉と唇を緩ませるほど、そこに可笑しみを覚える。

 改めて想起することでもないが、夫は彼女からみればずっと年下である。自らの子であったとしても不思議ではないほど、こちらのほうが齢を重ねていた。

 それが、己にとっての初めての牡になった。

 自らの選択の結果でもある。

 そんな夫のほうはと言えば―――

 随分と、好いてくれているように思う。おそらく、自惚れではない。

 彼の求愛には、情熱と、渇望と、一途さがあった。

 その優しいばかりの前触れ。静かに昂るさま。巨躯の全身を目一杯に使った、抱擁。

 唇と、大きな舌と、太く逞しいが惚れ惚れするほど器用な指による、慈しみ。

 覆いかぶさり、押し広げ、分け入ってくる雄々しさと逞しさ。

 彼ほどの優しさを持つ者にも、征服欲や支配欲があり、獣のような部分があるのだと陶然とさせてくれる力強さ。

 己の何もかもを染め尽くさんばかりの、刻印の如き灼熱の迸り。

 そんな行為を、一夜に二度も三度も。

 そして、何もかも終えたあと、気づけば己が背を撫でてくれている腕と掌。

 昨夜の名残と幻影、残滓とを、体と心の隅々、奥底にまで感じつつ、ディネルースは再びうっとりと微睡む。

 ―――この鼓動。

 私のものだ。

 少なくともこの瞬間は、私だけのものだ。



 首都ヴィルトシュヴァインのゾフィ通りからジーベン通り、マン通りからアス通りの間にある一画は、この街のほぼ中心にあたる。

 旧市街と新市街の接点に位置し、そういった意味でも「中央ミッテ」である。

 そのため、正式にはゾフィ七八番地に存在した巨大な大理石造りの建物は、オルクセン政府機関や列商各国外交筋では「M七八」と通称されることが多かった。

 元々この地の北側部分には、パレリヒターと呼ばれる小さな宮殿があった。当時のオルクセンとしては壮麗なロココ様式で建てられたもので、紆余と曲折の末、先王アルブレヒト二世時代の政府中枢機能を果たしていた。

 グスタフ王の治世になって、このリヒター宮殿の南側、ゾフィ通りに面した部分全てを巨大なファサードで圧するように、増築が図られた。

 新古典主義様式の三階建て。地下室一階。屋根裏一階。地裂海洋式の列柱が並ぶ、見る者によっては無味乾燥とも称するこの巨大な建築物は、足掛け八年の歳月をかけて周辺用地の取り込みも図りつつ五年前に完成し―――

 以来、国王官邸と呼ばれている。

 それはオルクセン近代化の、ひとつの象徴のようなものだった。

 列柱の並んだファサード。二つの正面玄関。

 外交レセプションにも申し分なく使える、巨大なホール「大地の間」。ダイニングルームである「豊穣の間」。

 全長一四〇メートル、幅一二メートルにも及ぶ、大理石造りのギャラリー。

 内閣の閣僚及び次官たちが勢ぞろいできる、閣議室。

 天井高は概ね一〇メートルを超えており、壁には巨大絵画があり、彫刻像やブロンズ像があり、綴織のタペストリーがある。

 この建物の中枢は、ギャラリー回廊の全長中心に面した高さ五メートルの巨大扉の奥―――国王執務室だ。

 床面積四〇〇平方メートル。天井高さ一二メートル。その天の格間にはローズウッド。

 室内もまた大理石造りだが、壁はイザベリア産の黒大理石から選ばれた極力縞のないものであり、床材は白く艶のあるエトルリア産の最高級品を輸入して仕上げられていた。

 最奥に座るのは、巨大極まる執務机。長さ五メートル、幅一・六メートルの大理石天板を持つ、木製象嵌彫刻付きの幕板、引き出し、脚。

 オルクセン王にして諸外国などの評するところの「魔王」、いまや権威比肩なき王グスタフ・ファルケンハインは、日常の大半をここで過ごしている―――

 朝九時、二階にある居住区から隣の休憩室にある専用の螺旋階段で降りてきたグスタフは、まず食後のものを含めれば二杯目のコーヒーを執事長アルベルトに出してもらい、含む。

 この黒い液体を飲み干し、彼が俗世の煩わしさと向き合う腹積もりを固めた辺りで、官邸副官部長ダンヴィッツ中佐がその日最初の訪問者を迎え入れる。この呼吸と間合いは、機転も利く中佐が、しかも長年その職務にあるため、とくに合図を必要としない。

 ―――そろそろ、ダンヴィッツの将来のためには一度部隊勤務に転属させてやらねば、な。

 グスタフもそのように思っているのだが、この有能な副官をなかなか手離せない理由はこの辺りにあった。

 この前日、星暦八七八年一月二日は新年の祝賀ということで、各省大臣、次官、最高裁判所長官、国軍参謀本部総長及び海軍最高司令官、そして主要各国の駐箚公使及びその夫人などが「大地の間」に来訪し祝賀会が開かれた。ダンヴィッツはそのための実務も執事長アルベルトなどとも打ち合わせもやり、見事にこなしていた。

 そして実質的には本当の意味での「仕事始め」となる、この三日。

 最初の訪問者は、陸軍省の次官だった。

 執務室北側の隣室である副官室から、若いひとりの副官が案内にでて、来訪者にとっての控えの間を兼ねている長大な大理石造りのギャラリー回廊の執務室前で、ソファに座って待機していた次官を呼んだ。

 次官は、回廊に掲げられた巨大絵画を見上げているところだった。

 オルクセン南部にあり国内最高峰であるブロックスベルク山。北部で長い間代表的な商業港を担ってきたドラッヘクノッヘン港と荒海。西部モーナト川沿いのワイン畑。東部国境地帯にある、断崖絶壁と森林の作り出す渓谷。

 オルクセンの東西南北各地域から、これと選ばれた景勝地が描かれたもので、かつそれぞれに春夏秋冬の役割を振ったもの。

 四枚連作で一組になっており、オルクセンにおける写実主義的な巨匠に描かせたという。

 ―――つまり、絵画装飾の面においても、この官邸がオルクセンの中心であることを示している。

 高さ六メートルもあり、作りも重厚な国王執務室の扉を、アンファウグリア旅団の黒衣の兵が開け、次官を通した。

「おお、よく来たな。アルベディル」

「我が王。新年おめでとうございます」

「うん、おめでとう」

 オルクセン陸軍将官の軍服姿だった王は、相変わらず臣下に対して分け隔てなく気さくだった。

 自ら立ち上がって出迎えもすれば、握手もし、巨大な執務机前に常に三つ用意されている詰め物のよいグロワール式ソファを誰にでも薦める。

 執務卓とこの三脚のソファは、砂漠の国パルティア王国から贈られた素晴らしい絨毯のうえに乗っていて、大理石を傷つけることはない。王警護役の巨狼アドヴィンもここに寝そべっている事があるが、これは来訪者を「威嚇」する目的がある場合のみで、ちかごろは副官室の一隅に控えていることが多かった。

「どうだ、新しい職務にはもう慣れたか?」

「はい、お蔭を持ちまして」

 グスタフ・ファルケンハインは、この前年の晩秋、腹心カール・ヘルムート・ゼーベック国軍参謀本部総長などと打ち合わせのうえ、陸軍大臣と陸軍次官を交代させている。

 それまで内務大臣だったテオドール・ローン大将を陸軍大臣とし、陸軍省軍務局長だったヘルマン・アルベディルを陸軍次官に昇格させた。

 彼らに担わせるのは、ベレリアンド戦争の戦訓を鑑みた軍制改革である。

 戦争中、外務大臣ビューローとともに銃後を預かった「気骨者」ローンは、前任のボーニン大将と席を交換しあうかたちで就任し、陸軍軍政の実務能力者として名高かかったアルベディルなどともさっそく馬の合うところも見せ、グスタフ王の内意を受けたこの困難な仕事に取り掛かっていた。

 一方、ボーニン大将は決して左遷されたわけではなくむしろ逆であり、少しばかり自由主義的で柔軟な発想を持っていたことから、将来のベレリアンド半島併合を睨んで、保守主義的ではない治安維持政策―――つまり「エルフィンド再軍備」の立案を担当することになっている。

 グスタフは、己の自覚としても内政より外交を得意としていた。

 また、国家という巨大組織を、ひとりで細部まで見てやる事など出来ない。これはもう即位後に己が権力体制を確立して以降、長年に渡る永続的な問題であったので、彼には自然とこの解決策が身についた。

 ―――人事能力である。

 グスタフは実によく他者を見ていた。それは即断的というよりは慎重で、丹念であり、そのぶん適材を適所に配する能力を磨いていた。

 例えば、だが。

 一〇年ほど前、長らく兼務していた農林大臣ポストに他者を任じたとき、その人事は周囲を驚かせたものだ。

 農学者としての彼の著作や学説、つまりオルクセンの農業及び林業政策の幾つかの部分について批判的であった、ラピアカプツェ農業大学の教授ブレンターノを任命したのである。

 グスタフはその牡の論文を読み、研究と考査の重ねられたものであることを確認し、自説の一部が間違っていたこと、あるいは改善の余地があることを認めて、更にブレンターノの性格や姿勢を調べ、熟慮のうえで就任を打診した。これには先方が驚いていたが、

「貴方の姿勢には感銘を受けました。ぜひ、我がオルクセンの将来のため御力をお借りしたい」

 王に頭まで下げられると恐懼して承諾し、以来、農林大臣として懸命に務めている。グスタフは彼に、学者としての弱点である官僚組織運営に長けた次官と次官補までつけてやったから、尚更のことであった。

 グスタフの開墾政策により大幅に面積を減らしていた野性林の保護と、植林を目的とした森林保護法などはブレンターノの下で出来た。

 統治者、為政者としてのグスタフには、常にそのような姿勢があった。

 彼は、「個の力より組織の力のほうが根本的には強い」と考えているところがあり、また「世に万能な者などいない」と考えていた。そうして大筋を決め、責任は取る態度を明確に打ち出し、己がこれと見込んだ者を、適所だと判断した場所に据えた。

 むろんこの手法そのものが万能などではなく、ときには不成功に終わることもあったが、グスタフにとってみれば別の成果も残る。

 ―――政治権力上の味方を増やすこと。

 少なくとも彼に拾われた者、見出された者は、殆どの場合、彼の信奉者になった。

 ブレンターノの例を見ても分かる通り、己の対抗者になった可能性のある者でさえ、自身の幕下に加えてしまう。潰すのではない、己が力の一部に作り替えてしまう。

 グスタフは―――あるいは彼の内部で多くの部分を形成する元人間だった男の自我は、紛れもない権力者だった。最初からそうだったのではない。己が正しい方向だと信じる統治を突き進んでいるうちに、そうなった。成らざるを得なかった、というべきか。

 この日、アルベディルは軍制改革の第一弾となる草案を携えてきていた。

「現役三年、予備役四年七か月、後備役一〇年・・・」

 グスタフはその骨子を読み上げた。

 ―――兵役法改正案。

 国民皆兵主義下の徴兵制で実施されている兵役年度を、現行の「現役四年、予備役四年、後備役五年」から変更する。加えて、これら各種兵役に該当しない徴兵対象年齢の牡国民全てを「国民兵」と分類する改正案だ。

 現役兵期間を三年に短縮、更に実際の運用上としては一年の「帰休期間」を用意し、実質的には二年とする。経済規模の発展著しい現状に合わせ、国民の負担を減らすことが出来た。

 それでいて、やはり平時負担感の少ない連隊区居住義務のない後備兵役期間を延ばすことで、戦時動員能力の向上が見込める。

 グスタフの、日常的な執務に対する姿勢は丁寧である。草案や上奏書を読み、臣下からの口頭の報告に耳を傾け、「よろしい」、「今少し検討せよ」、「財務大臣と相談せよ」、「反対だ」などといった意見を余白に書く。全てが整ったあとの正規の決済書式の場合、承認の署名を入れる。

 その日は、「よろしい」と書いた。

 キャメロット人やグロワール人でさえ品質を認めるオルクセン製の精巧なペン先に、オーク族用の大振りなホルダーをつけたもの。これに、やはり国産のインクを浸して使う。

 議会がなく王による親政がとられているオルクセンにおける基本的な法整備の流れとしては、このあと正規の決済書類がつくられ、グスタフが御名御璽をやり、陸軍大臣が副署すればそれで完了する。

「・・・ともかくも。これは第一歩だ」

「はい、心得ております」

 グスタフの言葉にも、アルベディルの応答にも「含み」があった。

 彼らは、戦時中に肥大した国軍参謀本部の権限を幾らか削ぎ、陸軍省の管轄下に移すことを画策していた。

 今回の件でいえば、国軍参謀本部の要望を受けたという形を取りつつも、陸軍省軍務局に今後の主導権を握らせるつもりであった。

「国軍参謀本部はあくまで必要だ。だが、少しばかり大きくなりすぎた・・・」

 グスタフは、己からは左の方角―――西側になる官邸裏庭に面したバルコニーに視線をやり、ちょうどその日の衛兵交代に到着したアンファウグリア旅団の騎兵中隊に目を細めつつ、独り言ちた。



 昼前になると、一時的に来訪者は途絶える。

 これは昼間際に客を入れると、外向きに近い者が相手であればあるほど昼食の手配をどうするのか、気を揉まなければならないからであった。

 グスタフの性格からは誰でも誘うことは厭わなかったが、場合によっては、妙な前例を作り出してしまうことになりかねない。

 例えば、他国の外交官などは決してこの時間には招かれない。一国に対して個別の会食付きの面談をやったなどという前例を与えてしまうと、他国の公使からもまた我も我もと要望を出されかねなくなるからであった。

 そもそも、意外なことのようだがグスタフを含め各国の首脳は、極力、他国の外交官とは日常の公式面談を避ける傾向にある。これもまた、一度前例を作ってしまうと他例から逃げられなくなるからであった。そのためにも外務大臣がいて、外務次官がいるのだ。

 だから会いたい場合は、意を凝らす。

 外務省での会談の場に「偶然」グスタフが来訪していただとか、そのような「非公式」を演出する。

 そうしてこのような配慮に満ち、良く言えばソフィスティケイトされた物事のやり方は、国王官邸ともなると始終付きまとうものだ。

 午前二番目の来訪者は、産業連盟会長にしてヴィッセル社の会長ヴァーリ・レギンだった。

 新年祝賀の挨拶ということになっている。

 レギンは献上品として、以前からグスタフ王が強い関心を示していた二八センチ攻城砲の、精巧かつ精密な金属模型を贈った。グスタフは大いに喜んだ。

 そうしてふたりは、デュートネ戦争中の昔話などをやり、執事長アルベルトが供したコーヒーの香りと深みを楽しみ、談笑した。

 ただそれだけである。

 この会談、ふたりが「会った」という事実にこそ価値があった。

 産業連盟は―――というよりヴィッセル社は、このしばらくあとベレリアンド半島北部ノアトゥンにおける造船所の復興に参画することを決めた。

 また、二月に行われた連盟次期会長選で、候補として有望視されていたファーレンス商会会長イザベラ・ファーレンスではなく、北オルク汽船社のエルンスト・フォアベルクを選出した。

 どちらもグスタフの密かな意向が働き、レギンの思惑にも沿うものだった。

 この日、いったい新年祝賀の裏で何が話合われたかは明らかにされず、それだけに周囲からは如何様にも解釈でき、ありもしない深読みを図れるようにして事態は進んだ。

 レギンとその使者が連盟加盟各社の静かな説得をやり、フォアベルクの「俄かな出馬」を促し、イザベラが確保した以上の票の纏めをやって、蓋をあけてみれば圧倒的大差で連盟新会長が決まり、イザベラに臍を噛ませた。

 ―――グスタフ王の「寛容」さは、決して世の全ての者に対し無条件で発揮されるものではなかった。

 己の意に沿わない者を外すことを、厭わなかった。

 ただしこのときは、彼女にも半島北部域での役割を与え、決して見捨てようなどとはしなかった。ちょっとお灸を据えた程度。

 そうしてこのケースの場合、これは国軍参謀本部の過大になった組織の具合を加減してやることを兼ねていたのである。



 昼になると、グスタフは執務室の奥隣りにある休憩室へ行き、ここでディネルースと食事を摂った。

 休憩室は、広さ三〇平方メートルほど。執務室と比べれば小さな部屋だ。ただし天井高があるので圧迫感はない。

 そこには、隠れ家的な安息があった。

 落ち着いた家具、調度、二階の国王夫妻居住区と行き来できる螺旋階段―――

 ディネルースは、日課にしている朝の乗馬を官邸裏庭及びヴァルトガーデンで済ませると、この部屋に控えていることが多くなっていた。

 ここからはバルコニーに出入りできるグロワール式の窓越しにアンファウグリア旅団騎兵中隊の交代を見守れたし、ときおりその中隊長に現旅団長アルディス・ファロスリエンや、旅団参謀長イアヴァスリル・アイナリンドといったダークエルフ族仲間への私信を託すこともあった。

 なによりもこの部屋は、ディネルースがまだグスタフの愛妾だったころ、しばしば彼との密かな逢瀬に使った場所でもある。

 そこが彼女には良かった。

 執務室の、執務卓裏にある接続扉から直接戻ってきたグスタフは、ディネルースの姿を認めると、目を丸くした。

「おお、今日は肋骨服か」

「うん。久しぶりに、な」

 この日、ディネルースはアンファウグリア旅団長時代のものと同じ意匠を使った黒の上下姿だった。ちかごろではオルクセン陸軍騎兵科将校の服装か、肋骨飾りに毛皮の襟と縁取りを使ったアイボリーの男装をしていることの方が多かったから、珍しい。

 小さな丸テーブルで、昼食を摂る。

 この日は、キャベツを使った田舎風の野菜スープがでた。

 キャベツの他には、タマネギ、ニンジン。それぞれ小さく刻んだものが、具になっている。このうえなく柔らかくなっていて、野菜の甘味が五臓六腑に染みた。ほんのりと利かされたブラックペッパーと、エトルリア・パセリまでが良かった。

「この優しい味・・・ 冬至祭休暇で奢った舌と胃には何よりのものだ」

 グスタフは、そんなことを言った。

 前菜に続いて、肉厚な白身も見事なイシビラメのソテーが供されたところで、ディネルースはグスタフの多忙ぶりを少し気遣った。

 来客が去ったあとも午前中一杯、熱心に何か書類を読み込んでいたようであるし、休暇明けということもあって、このあとも幾組か来訪予定が詰まっているらしい。

「なに―――」

 大したことじゃないといった顔で、グスタフは応じた。

 実際のところは、国軍参謀本部から届けられたロヴァルナ・イスマイル戦争の情勢報告を読み、どうやら星欧中を巻き込むことになりそうな事態推移の深刻さを思い、また午後からは外務省が何やらそれに絡んだ外交関係上の動きを掴んだようで、報告を聞くことになっている。ベレリアンド半島の占領軍政についても、あれこれと書類に目を通さなければならない。

 そうか、それでディネルースは肋骨服を、などと得心を覚えている。

 ディネルースは、執務の詳細までは知らない。

 だが、何事にも聡く、察しとる。

 だから愛妾時代を思い出させる、ちょっとした気分転換を提供してくれ、かつ、貴方は私が守ってやるという意思表明でもあるのだろう。

 最高の姉様女房だ。

 まるで母のようですらある。

 なにか、気の効いた言葉を返してやれるといいのだが。

「そうだな・・・ ちょっと積木遊びをやっているだけ。そんなところだよ」



(続)

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