オークのグルメ⑰とある元軍人と冬至祭

 エルフィンド陸軍ダリエンド・マルリアン大将―――正確にいえばエルフィンド軍はもう存在しなかったから「元大将」が、ベレリアンド半島へと帰還したのは、星暦八七七年一〇月半ばのことである。

 エルフィンドの降伏から、約五カ月が経過していた。

 マルリアンのまでこれほどの月日を要したのは、彼女自身の希望に依る。

 アルトリア籠城戦で降伏した約一四万名を筆頭に、ベレリアンド戦争中に生じたエルフィンド軍俘虜は約一八万名に及ぶが、マルリアンはそのなかでも最高位にあった。

 必然的な流れとしても、彼女は俘虜の総代表ということになった。

 首都ヴィルトシュヴァイン郊外大演習場に作られたバンドウ俘虜収容所、そのうち将校収容所一号オフラグ1に収容され、同所にあって俘虜たちを監督し、オルクセン軍との間に立った。

 そうして最後の一兵が帰還する目途がつくまで見届けてから、ベレリアンド半島に戻ったのである。

 この間の、彼女と、彼女に従った俘虜たちの様子は、ベレリアンド戦争史のなかでただそれだけを纏めても一冊の大著となるであろう程のものだ。

 オルクセン軍からの扱いそのものは決して悪くなかった。

 むしろ彼らは慣習法としての戦時国際法を懸命に守ろうとしており、俘虜たちを粗略には扱わなかった。

 一度に余りにも多くの俘虜とその移送が生じたアルトリア戦の直後にこそ混乱は見られたし、俘虜たちは己たち自身で収容所を作るという真似まで行わなければならなかったが、それは一時のことだ。

 収容期間中、俘虜たちにはオルクセン軍将校・下士卒の同階級と全く同等の給与まで支給され、労働は強制されず、朝晩二回の点呼に応じる以外に義務らしいものは何もなかった。

 であるから、問題はむしろ俘虜側で生じた。

 オーク族を始めとするオルクセン諸種族への、侮蔑意識。己たちの選民意識。

 祖国及び周辺から伝わってくる敗報による、意気の消沈。

 文化の相違から来るカルチャーショック。

 そういったひとつひとつを解決していかなければならなかった。

 マルリアン自身も例外ではなかった。

 俘虜生活中、彼女が発した言葉のなかで最も有名となり、また俘虜内における彼女の地位を確立させた発言に、

「私のパンだけ白いようなことは困る」

 というものがあった。

 これは収容所への到着直後、自身の食事にたっぷりとした白パン、卵、生野菜、ミルク、チーズ、ハムといった豊富な副食とスープが出され、どうか将校だけでなく兵たちにも滋養をつけさせてやってほしいという意図からの言葉だったが、

「オルクセン軍規定通り、白パンの供給日には兵一名に至るまで白パンを供給しています」

 ご懸念は無用ですとオルクセン軍側から返答され、唖然とするしかなかった。

 確認してみると、確かに内容にこそ将校用の食事とは多少の差異はあったものの、兵一名に至るまで豊富な食事が支給されていた。

 彼女や、あるいはその周囲の幹部将校たちが受けた衝撃は、何処かあのダークエルフ族たちがこの国にやってきた直後のものと似ていた。

 物量、国家としての豊かさ。

 加えて、マルリアンの場合、彼女自身は紛れもなくエルフィンド国家の中枢のひとりとして貴族的生活を送ってきたから、この茫然と自失、衝撃は大きかった。

 ―――将と下士卒の食事にはだと思っていたのは、私自身であったか。

 このことである。

「大した物量だ。うらやましい・・・」

 以降の彼女は、このオルクセンの豊かさを利用しつつ、それを如何にして少しでも多く消費させ、負担をかけさせるかを考えた。

 まだ戦争は続いていたし、むしろ「始まったばかり」だ。

 なにしろマルリアンは、後事を託す思いでコルネリア中将以下一部兵力をアルトリアから脱出させ、カランウェン少将に焦土戦術を授け、アルトカレ方面には地下組織を作り上げてから降った。降伏したことそのものも「抵抗」の一手ですらあった。

 ならばオルクセン国内における物資を消耗させることは、俘虜として出来る精一杯の抵抗でもある。オルクセン国内に移送された以上、白エルフ族の種族としての見た目は相違があり過ぎて、脱走の類は事実上不可能だったから、まさしく唯一の抵抗手段だ。

 そして、一名でも多くの俘虜たちを無事に故郷へと連れ帰すための手段でもあった。

 たっぷりと食い、寝て、適度な運動をし、不足だと思うものがあればオルクセン側にどんどんと要求させる―――

 この基本方針を決めると、ありがたくもシュヴェーリン元帥の厚意により自らの周囲に残されたままだった彼女の幕僚、副官、アルトリア戦で俘虜となった将校たちを中心に「司令部」を組織した。

 俘虜たちを監督しつつ、如何にしてオルクセン国内を疲弊させるかのためのものである。



 オルクセン側は、彼女たちから見れば滑稽に思えるほど懸命だった。

 給与を払い、給食に務め、清潔な毛布や下着の支給をやる。スポーツやトランプ、ビリヤードといった娯楽の供給をし、医療室を作り、医薬品を揃えてくれた。

 このような明朗で公正な態度は、戦争初期のころにはオルクセン銃後にとっても一体的なものではなかった。

 俘虜収容所の将校区画では、オルクセン発行の主要報道紙、あるいは外字紙が自由に読めたが、

「前線で我が兵が命を懸けているなか、なぜ彼女たちを我らの諸税、我らの麦、我らの畜肉で養わなければならないのか」

 というような投書がしばしば見られた。

 しかしこのような悪感情は、オルクセン王が俘虜保護に関する勅命を出すに至って、また前線でのオルクセン軍勝報が重なるにつれて、徐々に薄らいでいくように思えた。

 オルクセン軍将校の郷土婦人会が、真心の籠った慰問品を携えて来訪してくるといったようなことも増えていった。酒保施設が設置され日用品の購買が可能となり、量にこそ制限はあったが飲酒も可能になった。

 俘虜たちの日常にも、変化が見られた。

 スポーツ、芸術活動、演芸会、読書会。

 驚くべきことに、収容所近郊にある景勝地への小旅行まで許された。

 労役も行われるようになったが、これは極めて軽いものであった。

 元々演習地に存在した農地を利用した、農業従事。

 大工、彫金、金銀細工、宝石細工、時計工。

 日に三時間から四時間ほど、手に職のあった者たちが従事した。

 そしてその参加者には、加給がなされた。日に五ラングから七ラング稼ぐ者までいて、これは就業時間を考えれば熟練の職工と同等だった。正統に「腕」を評価されたのだ。

「甘すぎるのではないか」

 などとオルクセン側ですら当局への批難が出たほどである。

 どうしてここまで。マルリアンらエルフィンド側幹部たちも首を傾げるほどだった。

 ―――理由はすぐにわかった。

 あるとき、俘虜収容所に訪問団があった。

 国外の報道機関や赤星十字社関係者たちだった。

 彼らはオルクセンに対する「好意的解釈」をし、これを賞賛、賛嘆した。

 オルクセン側は、決して善意だけを理由として俘虜を扱っていたのではなかったのだ。

 如何に戦時国際法を順守しているか。

 その範たらんと努めているのか。

 魔種族とて人間族と同様か、それ以上のことがやれるのだという、これそのものが宣伝戦の一種であった。

 そうして対比されるようにオルクセン側発表によって各国報道に乗ったのが、エルフィンド側のしでかした「ラーレズの森事件」調査結果と、「遵法意識と能力に欠ける俘虜及び投降者の取り扱い」である。 

「・・・・・・・」

「馬鹿な・・・」

「そんな・・・ 何かの間違いではないのか・・・」

 とくに前者については、戦前におけるダークエルフ族虐殺に携わらなかった、あるいは知らされていなかったエルフィンド軍俘虜たちでさえ絶句した。

 が政府の手で行われたのだという噂はしきりにあったし、これを耳にしていた者、捕縛されて何処かへ連行されるダークエルフ族を目撃していた者も多かったが、まさかそれほど徹底した行為が・・・

 マルリアンも例外ではなかった。

 彼女は打ちのめされていた。

 ファルマリア方面で俘虜になった国境警備隊の連中―――おそらく事件に直接関わっていた者たちの動揺した様子を見て、事実であろうとも思えた。

「アンダリエルの奴が・・・ あいつほどの奴が、寝返るわけだ」

 オルクセン側看守兵たちの眼にも、変化が見られた。

 あれほど公明正大にして道徳的に接してくれていた彼らから、何か薄汚いもの、罪人や咎人を見下げ果てるような視線を感じることが増え、白エルフ族俘虜たちは例え外出の機会を与えられても自ら収容所に閉じこもるようになった。

 彼女たちのなかに大なり小なり存在した、優生思想や選民意識、自尊心の高さがガラガラと音を立てて崩れ、壊れ、砕けていった。

 そこからは何もかもが一気にやってきたというのが、マルリアンの受けた印象だ。

 ネニング平原会戦。

 ディアネン包囲戦。

 ノアトゥンと首都ティリオンへの砲撃。

 ―――そして、無条件降伏。

「・・・・・・」

 俘虜たちは、無事に終戦を迎えた。

 だがそこにはもう、還る故郷はあっても「戻るべき国」はなかった。エルフィンドという国家そのものが消え失せていた。



 ―――星暦八七七年の暮れ。

 復員後のダリエンド・マルリアンは、旧エルフィンド首都ティリオンにいた。

 自身の、戦前からの邸宅に閉じこもるようにして日々を過ごしている。

 無気力、倦怠、諦観といったようなものが彼女に降りかかっていて、何もする気になれなかった。

 あの快活だったカランウェン少将の死。

 愛すべき上官だった、クーランディア元帥の自決。

 旧エルフィンド軍復員関係代表となっていた元部下コルトリア中将の、白髪になり果てた姿には絶句するしかなかった。

 むろん、マルリアン自身があの要塞都市から送り出した兵たちも、膨大な数が戦死傷していた。

 ―――そして、祖国は最早無い。

 暫定政府だの何だのといったものは残っていたが、将来の併合を待つのみである。

「・・・・・・」

 何もやる気が起きなかった。

 幸い、戦前からの彼女の邸宅は戦禍を免れており、俘虜生活期を含めた蓄財も幾らかあった。

 マルリアンは既に自由の身であったが、オルクセン側から「なるべく遠方への移動は控えて頂きたい」というがなされていたこともあり、またこれに抵抗しようにも彼らから移動許可証が発効されない限り事実上困難でもあったから、この邸宅に蟄居した。

 一〇〇年ほど前に建てたもので、よい具合に古びた瀟洒な家だ。

 楕円の生垣とキャメロット風の庭に囲まれ、木造白漆喰に茅葺きの屋根。明り取りの丸窓が幾つか並ぶ。二階建ての母屋、温室、サウナ、平屋造りの使用人用離れ、厩。そう大きくなものではなかった。

 家族という概念を持たない白エルフ族の邸宅としては充分な広さであったが、マルリアンほどの地位にある者としては慎ましい。

 彼女はそこで、趣味らしいものとしては唯一のものであるドールハウスの蒐集品を眺めて過ごした。まるで小さな、それでいて精巧な家具から食器、調理器具まで、出入りの職人に拵えてもらったものだ。下手をすると、指先ひとつほどのサイズのもので実物に近い値段のようなものまであった。

 ―――これはいかん。

 現実逃避のような境地に陥っているらしいことは、自覚していた。

 だが止まらなかった。

 ピンセットを手にとり、本物の銅でできた幾つもの鍋やフライパン、ミルクパンなどを厨房に並べ直し、あちらから、こちらからといった具合で眺める―――

 そういった真似で一日の大半を過ごすこともあった。

 しかし、俗世との関わりを何もかも断つことは出来なかった。

 まず、これは帰還直後のことだったが、邸宅を含む一切の家財を護ってくれていた家令が、おずおずと、闇市での食糧買い出しをしたいと許可を求めてきた。

「闇市?」

「はい。一時のことを思えば物資不足も収まってきておりますが、それでも配給品だけでは心許ない状況です。このままではマルリアン様に滋養をつけて頂きたくとも・・・」

「なるほど・・・」

 闇市での売買は、当然ながら正式にはご法度である。

 ウィンディミア首相率いる暫定政府当局は、諸物価回復や物資不足解消のためにも摘発に躍起になっていていた。

 そのようなものに手を出したと噂が立てば、マルリアンの名誉に関わる。

 そこは上手くやるから、許可を願いたいというのだ。

 マルリアンは、ちらりとミニチュアの厨房に並べられた豊富な食材を眺めた。籠に盛られた石膏製の林檎や、大皿に盛られた鳥料理、ミルク粥。

 ―――どれほど精巧でも、これは食えんからな。

「わかった。だが私のことよりも、お前たちの食糧確保のためにやれ」

「それは・・・」

「いいな。私のことなど考えるな」

 それから幾日か経ったころ。

 ベレリアンド半島占領軍総司令部から、アロイジウス・シュヴェーリン元帥名でオルクセン軍軽輜重馬車一台分の食材が届いた。困窮の折でもあろうからと手紙も添えられていた。

 牛肉、牛乳、卵、生野菜―――

 ダリエンド・マルリアンが、終戦後最初の気力を取り戻したのはこのときである。

 彼女は、この食糧を家令に命じて突っ返させた。

 そして占領軍総司令部に怒鳴り込んだ。

「私を特別扱いすることは止めて頂きたい! そのような真似はただの一度も頼んでいない! このような真似は貴軍の精神にも反するはずだ!」

 それはマルリアンのなかで澱のように蓄積していたオルクセンへの反感が、一気に爆発したようなものだった。

 例え―――

 例えどれほどの理由があろうとも。己自身でさえ頷ける部分があったとしても。

 ひとつの国家が滅ぼされるというのなら、その国の民として、ましてや元軍人として、何もかも納得など出来ようものか。

 ―――出来るものか!

 そのような感情だった。

 彼女のそういった部分が発露されるのはこれが初めてというわけでもなく、戦時中に画策した様々な手段はオルクセンへの抵抗のため以外のなにものでもなかったし、終戦後にはウィンディミア首相に代わる首班候補に挙げられたとき、傀儡になるつもりなどないと、これを断固拒絶している。

 このような彼女の気迫を前にしては、あのシュヴェーリン元帥でさえ、貴官の自尊心を傷つけるつもりなどなかったのだ、どうか許してほしいと平謝りになるしかなかった。



 マルリアンは、徐々に活力を取り戻していった。

 彼女は、傍目には冬眠しているようにしか見えない生活のなかでも世情への観察を欠かさなくなった。

 新聞を読み、要路へひとをやり、自ら首都郊外を散歩して市民の様子を眺めた。

 ときおり、占領軍総司令部特別参謀部やエルフィンド暫定政府一五名委員会による、戦争犯罪捜査に関する聴取を任意で受けることもあった。既にマルリアンがダークエルフ族虐殺に関与していなかったことはハッキリとしていたが、特別参謀部はまるで別の点について関心を抱いていた。

 マルリアンは三代ほど前の陸軍大臣を務めたことがあり、いったいエルフィンド陸軍省という組織に対し、政府の関与が強くなったのはいつごろからなのか。彼らはそのような部分について調べているようだった。

 激動の星暦八七七年にも終わりが見えてきた一一月一九日になると、第二回戦犯逮捕が実施され、世間を賑わせた。戦犯という概念はまだなく、特別犯罪者などと呼称された。

 ダリンウェン政権時代の各省次官、内務省旧国境警備隊筋、教義関係者を中心に合計一一名。このうち、開戦初期にファルマリアで逃走した陸軍少将一名は被疑者生死不明のままでの公開指名手配であり、また過激な教義関係者であった一名は捜査陣が踏み込む前に自決している。

 マルリアンの見るところ、エルフィンドの新聞は変わった。

 占領軍総司令部命令第二号に従って検閲制度が取り払われ、暫定政府への批判、過剰な教義原理主義や優先思想への反省を記している。

「上手くやっている。奴らは、本当に・・・」

 宣伝戦、神経戦、心理戦などと呼ばれるものに対し、オルクセンは実に巧妙だった。

 これは戦時中からのことであり、ベレリアンド戦争の勝敗、帰趨、そして諸外国からの視線を決定付けたものの大きなひとつであろう―――

 毎日、各紙を眺めていてもそれが良くわかった。

 明朗闊達に見える各紙の記事、論評には、占領軍に対する批判や批評が存在しなかった。

 「報道の自由」を保証したと一般に解釈されている占領軍総司令部命令第二号は、占領政策に関する複数の条項から成っており、そのなかには「占領を阻害する者、妨害する者、抵抗する者は占領軍に依る直接鎮圧の対象となる」というものがあった。

 つまりこの両者を合わせて吟味すれば、「報道の自由」とは間接占領地域における白エルフ族内に対してのみ向けられるもので、オルクセン軍への批判は許さないと介することになる。

 報道各紙は、この辺りのをたいへん上手く読んでやっていた。

 当然このような姿勢は本来なら被占領地住民の、占領軍に対する鬱屈した感情になるところだが、占領軍総司令部はときに自ら記者会見を開いて、オルクセン軍内における「不届者」の逮捕を発表した。

 いちばん多かったのは、将校及び下士官に依る占領軍物資の横流し、兵に依る白エルフ族への暴行や強盗行為であった。第六軍及び第八軍野戦憲兵隊は容赦なくこれらを追捕し、軍規に照らし合わせて厳正な処置をしていた。

 その様子は正しく厳正であり、重罪に対しては銃殺刑すら執行されている。

 報道各紙は、オルクセン軍側のこのような態度を称賛していた―――

「こいつら。本当に上手くやっている」

 報道の効果を完全に理解しているのだ。

 そして醸成された社会の空気は、エルフィンド旧体制を「旧弊」及び「巨悪」とし、オルクセン軍を「解放者」、あるいは「改革者」と見なすというものが大半だった。

 オルクセンの国力、諸制度を羨む記事も多かった。

 例えば、だが。

 「オルクセンの物量」と題した、旧首都ティリオン方面に駐屯する第二九師団及び占領軍総司令部要員が、一日当たりに消費する諸物資の概量という記事があり、

「パン四六万斤、ジャガイモ七万六〇〇〇ポンド、肉牛一四〇頭、豚肉他加工肉一六万九〇〇〇ポンド、塩二万五〇〇〇ポンド、コーヒー四万三〇〇〇ポンド、軍馬飼料二二万ポンド。火酒七〇〇〇本、濃縮オレンジジュース七〇〇〇本、ビール輸送用大樽二〇樽、紙巻煙草一四〇万本。消耗補充分として本国より送られたフランネル下着三万四〇〇〇枚、毛織靴下二万五〇〇〇本、ブランケット二万五〇〇〇枚。また兵士より送られる郵便は一日六七七〇通に及ぶという」

 と、膨大な物資量を記し、

「このような国力及び物資輸送能力は、我がエルフィンドへの食糧支援にも向けられている。ついに我が民はただひとりの餓死者も出さず、誠に以て羨むばかりの国力なり」

 そう結論づけていた。

 マルリアンから見れば多分に憶測も混じっているものだったが、ベレリアンド半島内調達物資を差し引き、ざっと計算してみたところ、彼らの軍用列車輸送量としては一編成乃至二編成といった辺り。確かにオルクセンの国力ならば充分に可能であろう量であった。

 ―――それに引き換え、我が国は。

「奴らのやっていることは正しい・・・ そう、正しいのだ」

 マルリアンも認めた。

 だが。

 種族として自活し、これからを生き抜くには一体どうすれば。

 そこで私に出来ることとは何だ。

 彼女はそれを考え続けていた。

 ―――そうして、冬至祭を迎えた。



 マルリアンは、家令などの尽力にも助けられ、冬至祭に相応しい料理を楽しむことが出来た。

 冬至祭は白エルフ族にとっても大切な祭礼ではあるが、現況下において日々の生活をやっとの思いで送る民からすれば恵まれた立場にある、申し訳ないことだと自覚もしていた。

 旧エルフィンドにおいて冬至祭の定番とされている料理は幾つかあったが、ティリオン方面では豚肉料理がメインにされることが多かった。

 皮付きの豚肉ロース塊に切れ目を入れ、ローレルとクローブを挟み込み、黒胡椒を降りかける。そうしてオーブンでじっくりと焼き上げ、パリパリの皮とジューシーな肉とする。そして仕上げにグレイビーソース―――

 どことなくオルクセンにおけるガチョウ料理と似ていて、両者の文化圏的近さを思わせた。 

 ホットワインを飲むところも変わらない。

 付け合わせは赤キャベツと、甘く仕上げたジャガイモが良いとされている。

 マルリアンはもともと食が細く、どちらかというと飲むほうを嗜むのだが、この日ばかりは家令ら精一杯の料理を綺麗に平らげた。

 ―――食わねば。

 今日を生き、明日を生き、我ら種族の未来を考えねば。

 奇妙な来客があったのは、この日から年明けまで続く冬至祭休暇の最中であった。

 会ったこともない白エルフ族である。

 実業家という名乗りだが、どことなく胡散臭さと野趣の匂いがあり、通常なら押し帰すところだ。

 だが侍従武官長ファラサール大将及び、エレンミア王女警護隊イサリアン中佐の紹介状を携えていた。

 名は、アダウィアル・レマーリアンといい、ティリオン郊外でホテル経営をやっているという―――

 マルリアンは彼女を通し、紹介状を丹念に読んだ。

「・・・なるほど。つまり貴殿は、旧軍人の往来が何かとやりにくいこの世情にあって、一種のメッセンジャーのようなものを務めている、というのだな?」

「はい。ただし―――」

 いささかオルクセン側とも出入りがあるという。

 レマーリアンはその点をはっきりと告げた。

 面白い奴だな、逞しさも道理だとマルリアンは思った。

 いまの世に、実に巧く生き延びている。

 だがそのような観察は、レマーリアンが告げた本題を前に吹き飛んだ。

「・・・エルフィンドの再軍備。俄かには信じられん。そんな動きがあるというのか。それもオルクセン側で」



(続)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る