オークのグルメ⑯リンゴと冬至祭

 一一月も末になると、オルクセンの各家庭ではユールクランツを飾る。

 モミの木で作ったリースに四本の大きな蝋燭を立てたもので、多くの場合マツボックリやナナカマドの赤い実、あるいはあのオオマテバシイのドングリなどで装飾が施してある。

 蝋燭もまた大ぶりなもので、これを順に一週毎に一本点火していき、四本全てに火が灯れば―――一二月二五日の冬至祭ユール・フェストだ。

 太陽が再び輝きを取り戻す日に際して、大地の豊穣を祈願する祭りである。

 元々は秋に収穫した穀物の脱穀が全て終わるころに行われた祝祭であり、秋の豊饒祭は食物の減る冬季に備えるためのもので冬至祭とも深い繋がりがあるとされ、ことの起源は諸説あるが、寿命の長い魔種族たちにさえ最早その由来は覚えられていない。

 ともかくも。

 このユールクランツの蝋燭に火が灯されれば、暗く寒いオルクセンの冬の夜は、各地で光り煌めく明るいものとなる。

 冬至祭に向けた市ユール・マルクトが、連日連夜立つようになるのだ。

 首都ヴィルトシュヴァインでも、市内各所にある公園で約二〇〇店舗から四〇〇店舗という屋台が出る。

 元々は、厳しい冬が来る前に生活必需品などの日用品を売る場だった。

 だが今や違う。

 冬至祭用の装飾品。パン菓子。手工業の玩具。

 香辛料やハチミツ、フルーツを使ったケーキレープクーヘンホットワイングリューヴァイン。焼き栗。焼きドングリ。

 木工工芸品。捺染布。陶磁器。繊細な装飾を施した真鍮細工。

 ヴァイオリンやリュート、オーボエといった楽器による、音楽の演奏まであった。

 そういった娯楽消費や食糧品の数々が、各店で二つから三つもランプを吊った露店やテントで商われる。

 このような形態となったのは今星紀の半ばほどからで、つまりオルクセンはそれほど豊かになった証でもあった。

 その光景は眩いばかりである―――

 ディネルース・アンダリエルは、夫グスタフ・ファルケンハインに従うかたちで、ヴァルトガーデンで開かれているマルクトを御忍びで訪れてみた。

 オーク族、コボルト族、ドワーフ族。

 たいへんな賑わいだった。

 ヴィルトシュヴァインも外気温は摂氏二度。みな、呼気までが白い。

「王だ、我が王だ!」

「王妃さま、ばんざい!」

「オルクセン、ばんざい!」

 熱狂の唱和が広がったあと、近場の市民たちと幾らか挨拶をし、

「ディネルース、こいつは美味いぞ」

 グスタフはホットワインを買った。

 赤ワインに、黒胡椒、クローヴ、シナモン、スターアニスといった香辛料を加え、砂糖もたっぷりと。

 熱めのところを、ピューターカップで頂く。

 ―――美味い。温まる。

 臓腑に染みた。

 たしかにこの寒空で飲むには、なによりの物だった。

「いいな、これは」

 ディネルースが微笑むと、店の親父も嬉しそうに光栄ですと礼を述べた。

 彼女の感覚からすれば、甘さが過ぎるようにも思える。

 オーク族たちは、種族としての習性なのだろうか、甘味を尊ぶところがあった。今星紀の中頃辺りまでたいへん高価だった砂糖が、ビートの量産と製糖技術の発達により庶民にさえ普及した影響もあるかもしれない。

 ―――本来は安物であるテーブルワインが、これほど魅惑的な飲み物になるとは!

 オルクセンの豊かさは更に進んでもいるようで、目新しい売り物として、焼きアーモンドというものもあった。

 グスタフも目を丸くしていたが、地裂海地方産の輸入アーモンドに砂糖をまぶし、焼き上げたもの。アーモンドのほのかな苦味と、キャメリーゼされた衣の甘味の混淆が堪えられない。

「これは・・・ 大地の豊饒に感謝だな」

「ふふふ、ディネルース。これで一杯やりたいという顔をしているな」

「ふふ、わかってしまったか?」



 ―――暦の歩みは、全ての大地に等しく訪れる。

 第八軍司令官レオン・シュトラハヴィッツ上級大将は、このころベレリアンド半島北部まで隷下部隊の視察に赴いていた。

 軍参謀長ブロン中将を伴い、第一〇擲弾兵師団の駐屯するエルドイン、第一七山岳猟兵師団の駐屯するラムダル、第六擲弾兵師団の駐屯するアシリアンド、第一一擲弾兵師団の駐屯するノアトゥン―――

 この視察旅行には、戦争中に国王専用列車メシャム号として使われていた車両の一部が用いられ、シュトラハヴィッツ上級大将を恐懼させるとともに喜ばせた。

 ただし、降伏調印の場となったあの会議室車は編成のなかには含まれていなかった。

 会議室車は、グスタフ王の意向により首都ヴィルトシュヴァインにある戦争博物館に保存されることになり、すでにファルマリア港に運ばれ、船便まで用いた移送の準備に入っていたからである。

 シュトラハヴィッツ上級大将の目には、半島北部域は「純朴」に見えた。

 既に積雪を冠した山脈。

 茶色く冬枯れした樹々や大地。

 冬穀や根菜類を育てる農民の姿や、村落、中規模都市を行き交う住民たちも楚々としていて、平穏である。

 もし戦争がディアネン包囲戦で終結していなければ、半島北部の地もまた戦場となっていたに違いなく、事態がそのように推移しなかったことは幸いである―――

 この想起は、シュトラハヴィッツ上級大将を深く安堵させた。

 本来が豪放磊落な性格をしている彼にとって、貴族的に豪奢な列車は「いままで見たこともないほどのもの」で、むしろ緊張感や居心地の悪さも覚えたものの、視察旅行そのものは順調に進み、エルフィンド旧首都ティリオン出発後の一一月一二日にはエルドイン、一四日にはラムダル、一六日にアシリアンド、一九日にエルドインといった具合に、各地の駐屯部隊及び諸都市の視察を終えた。

 上級大将がまず感得したのは、一兵士に至るまでオルクセン軍半島占領軍将兵の健康状態が良好である点であった。

 このころ、こと占領軍に関していえば本国からの補給状況は「過去最高」の状態に達しており、オーク族兵など「平均して五キログラム体重が増していた」。

 占領地の治安も良く、抵抗運動らしきものは欠片もない。

 将校たちには家族を呼び寄せる許可が下りていたこともあり、みな笑顔である。

 ただし、下士官及び兵士たちにはこの規定が無い。

 そこまで適用範囲を広げてしまえば、ベレリアンド半島の物資不足に拍車を掛け兼ねず、また、下士官兵たちは戸建て宿舎やホテル住まいの将校たちと違って、兵舎暮らしである。家族を呼び寄せたとしても同居は難しい―――

 これは麾下兵士たちを思うことの多い上級大将にとって懸念すべき点であり、彼自身が本国から家族を呼び寄せていなかった所以でもあったが。

 親しく視察した兵たちにそれとなく下問してみたところ、意外なことに多くの者は「本国から家族を呼び寄せたいとは思わない」と答えた。

「ほう、どうしてかね?」

「家族を呼び寄せて一年二年と駐留生活が伸びるより、早く本国へ戻って一生家族とともに過ごしたいです」

「・・・なるほど。なるほど、うん。道理だ」

 上官に対しても率直に意見や心情を述べるべしとされているオルクセン軍にとって、上級大将にはこれは兵たちの無垢で、正直な、本音だと感じられた。

 また、独身の兵たちのなかには、現地白エルフ族と「交流」を持つ者も出始めていた。

 これは、白エルフ族側にとっては物資不足や収入不足からの脱却を図りたいという動機が多分にあり、そのようなケースに対しては「相手の困窮に漬け込むような真似」として上級大将も眉をひそめたが、中には本気で交際を始める者たちもいた。

 オーク族の一般的感覚としては白エルフ族の容姿は「痩せっぽち」に見えたし、コボルト族にとっては「長躯に過ぎ」、ドワーフ族からすれば「毛が少ない」。だが、そのような彼女たちに惹かれる者もいる。

 何よりも国王グスタフと王妃ディネルースの成婚が、少なくともオルクセン兵側には異種別間交際への心理的ハードルを低くしていた。

 これは各個の思想・嗜好というもので、干渉すべきものではなかった。

 ―――守ってやらねば、な。

 上級大将には、そのように感じられた。

 彼らには、例え情愛を貫くことが出来たとしても、困難な将来が待っている。

 他種族との交際を図る白エルフ族など、他の白エルフ族からすれば現状でも密かな蔑みの対象である。

 では、オルクセン本国に彼女たちを連れ帰ろうとすれば、こちらにもまた障碍があった。

 白エルフ族の、白銀樹から離れたがらない者の多い信仰的文化背景。

 またオルクセン北部を中心に、未だ白エルフ族への憎悪感情もまた存在する。

 そもそも、現状では白エルフ族の国内移動には治安維持の観点から制限があった。ベレリアンド半島内ですら許可が必要で、オルクセン本国となると自治政府高官などに限定されていた。

 これらの理由ゆえに、

「除隊を迎えたら、ベレリアンド半島でそのまま暮らしたい」

「一農家、一鉱夫となっても彼女と添い遂げたい」

 という兵士たちもいたが、これを実現させてやるためには諸制度や諸法を整えてやらねばならない―――

 また、治安状態、現地住民との交流といった諸般の事情は、軍司令部としても好ましい。

 占領軍司令部と本国の国軍参謀本部は、想定よりも早く占領軍の規模縮小を行える可能性があるのではないかと検討しており、まずは占領軍現有部隊を平時体制に転換することで約二〇万の兵力を一六万に減じ、更に来年末を目途に最終的には約八万名に出来ないか試算していた。

「戻れば、シュヴェーリン元帥と相談だな」

 シュトラハヴィッツ上級大将は、意を固めた。



 あと一週間ほどで冬至祭を迎える、そのようなころ。

 オルクセンにおける二例目の異種族婚が成立した。

 本国へと兵力の半分が帰還していた大鷲軍団の本拠地シャーリーホーフの地で、大鷲軍団長ヴェルナー・ラインダース少将と、ヴィルトシュヴァイン大学教授メルヘンナー・バーンスタイン女史との成婚式が行われたのだ。

 これは、ある意味でグスタフとディネルースの婚姻よりも、種々の困難を乗り越えての事だった。

 ラインダース少将とメルヘンナーでは、完全に種族としての身体的構造が異なる。

 ふたりの間に育まれたものはまったく精神的な情愛と信頼関係で、肉体的な交歓は望むべくもない。ましてやラインダースは大鷲族そのものの次期族長ともいうべき立場にあり、彼とその父は相当に喧々囂々のやり取りをした。

 父―――現族長が、ラインダースの強固なまでの決意を前に折れなければ、彼ら親子は絶縁にまで至っていたかもしれない。

 もっとも、簡素だか真心の籠った成婚式を執り行った大鷲軍団のなかでは、ふたりを祝う者ばかりだった。

 既に戦争中のころから、メルヘンナー女史のまるで女王じみた気高さと、これに仕える崇高な騎士のような上官の間柄は、強い信頼関係で結ばれたものであるようにしか見えなかったからだ。婚姻関係に至ったことを誰も不思議には思わず、当然にして必然の流れ、などと捉える者ばかりであった。

 報せを聞いた国王グスタフとディネルースもたいへんに喜び、友誼の上としても出席を望んだが、正規の出席ともなると流石に儀礼前例上もおいそれと出向くわけにはいかず、またラインダース及びメルヘンナー両者が内々での式を整えたため、名代として国王副官部ミュフリング少佐を差遣するに留めた。

 ライダース少将とメルヘンナー女史は、部下たちが左右に並び翼を一杯に上方に広げて作り出すアーチを流石に照れ顔でくぐり、小麦のシャワーを浴びた。門出を迎えた者たちへ「食べ物に困らないように」と願う古くからの習慣で、オルクセンにおいては最上級の祝意表現方法のひとつとなる。

 メルヘンナー女史の花嫁姿は美しかった。

 金髪に近い蜂蜜色のすらりと小柄な体躯に、白の婚礼衣装。

 成婚後も大学教授の職を続けるつもりである彼女のことを、ラインダースはむしろ誇りに思っている。

「恋する者には何事も困難ではない、などと申しますメルヘンナー」

「ええ。貴方となら困難を飛び越え星にすらなれるでしょう、私たちは」



 一二月二五日、冬至祭当日。

 意外なことに前夜の食事は慎ましくし、この日は祝いと祈念のためにも手の込んだ献立を摂る―――

 それがオルクセン流の過ごし方だった。

 ふだんはグロワール式の料理を常としている国王官邸司厨部も、この日ばかりはオルクセンの伝統料理を用意する。

 昼食は鹿肉のロースト。

 あっさりとした赤身肉である。

 これにマッシュポテトをオーブンで焼いたものと、芽キャベツの付け合わせ。

 デザートには、バニラプティングが出た。


 おお、もみの木よ

 おお、もみの木よ

 あなたの葉はなんと忠実なことでしょう!

 あなたは夏に緑色であるだけでなく

 雪の降る冬にも緑色なのです


 街の各所では、冬至祭を祝う合唱隊の歌声が響いていた。

 昼食後、グスタフとディネルースの私的な部分に仕える召使、侍従、侍女といった者たちに下賜金が手ずから与えられ、多くは年明け六日までの休暇に入る。

 これは中央官庁なども例外ではなく、官邸副官部も同様だった。彼らは二四日正午でそれぞれの自宅や故郷に戻っていった。

「ダンヴィッツ。これは私とディネルースからだ。お子さんに、な」

「ああ、陛下、王妃殿下・・・ ありがたき幸せです」

 冬至祭は、子供たちにプレゼントを贈る日でもある。

 定番の、舟をかたどった木製玩具を包み箱入りで下賜されて、若いダンヴィッツ少佐は何度も謝意を述べたものだった。

 流石に一度に全ての者が休むわけにもいかず、執事長フィリクス・アルベルト以下幾らかの者が残るが―――

 残った者たちには、特別な食事会が用意されていた。

 アルベルトの手で、控えの間に巨大な銀器が据えられ、強いパンチ酒が何と二〇リットルも注がれて、これはこの日から三日間を要してようやく空になった。

 二五日の夕食も素晴らしかった。

 ジャガイモ、赤カブ、塩漬けニシン、ピクルス、リンゴなどをサイコロ状に切り、赤ワインビネガーのドレッシングと混ぜ合わせた前菜。

 小麦粉、イースト、バター、卵で練り上げた団子状の料理ダンプフヌーデル。リンゴのソースがかけてある。

 メインは、ガチョウのロースト。

 ガチョウはオルクセンにおける冬至祭料理の定番のひとつだ。

 その肉には、本来なら過剰なほどこってりとした脂があるが、長時間かけて焼き上げることで余分なものを落とし、パリパリの皮と、しっとりとした柔らかな仕上がりになる。

 付け合わせに、ジャガイモと、紫キャベツ、焼きリンゴ。

 この日、ベレリアンド半島占領軍の兵士たちにも、兵站部出来得る限りの努力のもとガチョウが配食されていた。

 ガチョウ肉を配食するということは、輸送効率の点から言っても多大な努力を要する。

 軍隊における畜肉の供給は、牛、豚、羊、そして鳥類の順に効率が落ちるからだ。牛がいちばん精肉出来る。

 それほどの努力を重ねても、オルクセンは半島占領軍にガチョウを届けた。これは、あのなりふり構わぬ兵站努力が図られた戦時中でさえ果たせなかったことだった。

「見ろよ、本物のガチョウだぜ!」

 多くの兵士たちが喜んだものだった。

 ある兵士は、自らの分を取っておいて、更に公務外出している下士官のものも頼み込んで分けてもらい、大切に飯盒に入れ、翌日の休暇を使って恋仲である白エルフ族の元に届けた。

 流石に全部隊に供給しきることは出来なかったが、それでもそういった部隊にはいまひとつの定番料理である豚肉のローストが用意された。

 国王官邸の食卓では―――

 ディネルースは、供された冬至祭料理の付け合わせなどにリンゴがたっぷりと使われていることに気づいた。

 グスタフの好みなのだろう。

 彼が愛飲しているカルヴァドスを見ても分かる。あれはリンゴの蒸留酒だ。

 オーク族としての彼は北部州の生まれ。

 そして生家はリンゴ農家だったのだそうだ。

「子供のころ、リンゴのうちひとつの種が何よりのご馳走でな。いま主流になっている種のように赤くない、青いものだった。しかし、とびきり甘くて。先王への献上品に選ばれるほどだったのだよ」

「そうか」

「冬至祭には、母さんがそのリンゴでケーキを作ってくれた・・・」

 こんなときのこのひとの瞳は、まるで本当に大きな子供のよう―――ディネルースは思う。

 しかしその瞳に浮かんだ色には、どこか一抹の寂しさがあり。

 それが少しばかり、ディネルースには気になった。

 オーク族としての彼の両親は、もうとっくの昔に亡くなっているのだと、以前アルベルトから耳にしたことがある。

 ―――私は、デュートネ戦争のとき陛下付きの従卒だったのでございます。何もかも不自由な戦場の宿舎で、リンゴで出来たカルヴァドスと出会われたときの陛下の喜びようといったら、ありませんでした。それからずっと愛飲されております。

 ディネルースは、夫の端々に時折現れる寂寥の正体に、決して踏み込もうとはしなかった。ひとには、そうしてはならないものがあることを彼女はちゃんと心得ていた。

 ただ、そんな色が見えたとき、少しでも彼の側にあろうとした。

「さあ、ディネルース。食べよう。御馳走だぞ」

「ああ。グスタフ」



(続)

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