オークのグルメ⑮紅茶と道洋貿易

 世界は、少しずつではあるが「狭く」なっているようであった。

 例えばディネルース・アンダリエルはシガリロを嗜むが、ちかごろ愛飲のものはラ・アバーナ葉だった。

 南星大陸近く、タイノ海に浮かぶ島国で栽培されたものである。これを首都ヴィルトシュヴァインにある葉巻・煙草商エンゲルハルト商会から、王妃御用達品としてクラブサイズ二五本入り木箱で納めてもらっていた。

 では、この葉巻とともに楽しむウイスキーやコーヒーはどうか。

 ディネルースの好むウイスキーは、エイランド島のもの。

 北海を挟んで西にあるキャメット王国グレート・ログレス島、そのまた隣から来る。いまやオルクセンにとって往来も頻繁な隣国であるが、考えてみれば神話伝承時代の白エルフ族たちには、決死の覚悟でこの海を渡った「地の果て」であった。

 コーヒーは、南星大陸からやって来る。

 オルクセンで流通しているものは、フェルナンブコ産が多かった。夫グスタフは中煎りで、ディネルースは深煎りで飲むことを好んだ。たいていの場合、ポッドまで分けさせることを遠慮したグスタフが、ディネルースの趣味に合わせている。

「陛下、如何なさいます?」

「クリームをたっぷりで」

「王妃殿下は?」

「砂糖も、クリームも無しで」

「では、私は隣室に控えておりますので」

「うん、ありがとう。アルベルト」

 冬季に入って、変わりやすい首都の天候はご機嫌斜めだ。

 こういったときの休日でも楽しみ方はあるもので、ふたりでトランプの「六六シュナプセン」をやるか、ドミノやバックギャモン、ショーブグロートに熱をあげるか、あるいは揃って読書をするか、だった。

 濃いコーヒーの馥郁たる香りが漂ってきたとき、ディネルースは五星紀ほど前にグロワールで書かれた奇譚集を手に取っていた。

 君主の有閑を博識の臣下が慰撫する書という態を取っており、砂漠の国のクジャクの肉は腐らないであるとか、遥か北の国には一旦着火すると二度と消えない石膏があるだとか、とある国には不思議な石を秘めた実をつける樹木が生えているだとか。

 ディネルースが面白みを感じるのは、そのような奇譚の数々があまりにも空想じみているだけではなく、そもそも「遥か北の国」や「砂漠の国」や「とある国」といった全てが「想像もつかない異国」であった、という点だ。だからこそ摩訶不思議な奇譚は「現実」のものとして受け入れられた。

 この星欧だけに限ってみても、かつてはそれほど「世界は広かった」のだ。

「ふむ、面白いな。真理だと思う」

 グスタフも同意した。

「だとすれば、この記事は君の興味を引くのじゃないかな」

 彼はその日のオストゾンネ紙朝刊の一隅を示した。

「ふむ。センチュリースター合衆国の鉄道ストライキ暴徒化。全土に広がる。ラザフォード大統領、軍隊投入を決断か」

「ああ・・・いや、それはそれで興味深いが。その下の記事だ」

「北オルク汽船社新造船エルンテモント号、去る一二月六日にヴィッセル社ネーベンシュトラント造船所にて就役。来る八日、処女航海として道洋航路に出港。本船は航路助成法により建造されたもので星欧最大級―――」

 五六一五総トン。全長一三八・五メートル。全幅一三・七メートル。

 四本のバーク型帆装マストを備えるものの最早それは完全に補助的なもので、蒸気機関を主に使って走る。ゆえにこれほどの大型船でありながら、乗員は一二〇名を要するのみ。

 最新の円罐ボイラーを二基、そしてヴィッセル社造機部が世界で初めて実用化させた三段膨張機関を積み、速力一六ノットで大洋を横断できる、とあった。

「道洋と我が国を、荷役や給炭、給水といった寄港期間も含めて僅か五週間で結ぶ。北大星洋航路なら、星欧とセンチュリースターを一〇日で横断できる性能だよ」

「・・・なるほど。まさしく、世界は狭くなったわけか」

 道洋。

 その最果ての島国といえば、絶道ロード・エンドとも呼ばれていた。「世界の果て」の意である。

 だが、その世界の果てと言えども、もはや現実的手段としてオルクセンを含む列商各国の貿易は往来し、数年前には海底電信も開通していた。かの地の陶器や磁器、絵画が星欧社会において一大人気の品となってからでも、もう二〇年ほど経つ。

 夫グスタフも、精巧な道洋の絵画や木版画、磁器の類を少しばかり蒐集している。確か、ウキヨエなどと言ったか。星洋画では見られない大胆な構図や色彩で、ディネルースも瞠目したものだった。

 彼女自身も、華国風フラワズリの小物入れをひとつ持っていた。

「とくに、地裂テチス海の東端にエッセウス運河が開通してから“近く”なったなぁ・・・ 私も開通式に出席して、もう八年になる」

 エッセウス運河。

 グロワールの実業家が音頭を取り、様々な困難と批判に遭い、好奇の視線を送られながら、最新の工作機械や延べ一五〇万名の労働者を投入し、約一〇年かけてやり遂げた大事業だ。「星洋スタリオン道洋グラウンズの結婚」と称された開通式には、グロワールの王妃をはじめとして星欧各国から約一〇〇〇名もの賓客が参加した。

 グスタフもオルクセン海軍の通報艦アドラー号に乗り、四隻の護衛を伴って参加したという。そしてその四隻はそのまま道洋へと向かい、最果ての島国と通商航海条約を締結するための代表団を送り込んだ、と。

「なるほど。しかし、この航路助成法というのは何だ?」

「ふふふ―――」

 グスタフは笑った。

「これからのオルクセンには、内需だけではなく外需も必要だ。そのためのものだよ。道洋へと航路を結ぶ船会社―――これはオルクセン主要海運三社のうち北オルク汽船に決まったのだが、その北オルク汽船には郵便勅許と補助金を与える」

「ふむ?」

「年間補助金一六〇万ラング。契約一五年間。別に設備助成一時金として二九万ラング。エルンテモント型大型貨客船はまず五隻、最終的には一二隻建造されることになっている。これが完成すれば、道洋と我が国は週に一便の定期航路で結ばれるよ」



 ベレリアンド戦争のあと、オルクセンの海運業は急速な拡大を迎えた。

 船舶数、航路、旅客量、貨物量といったものの全てが増大したが、なかでもその特徴として船舶そのものの汽帆船化と大型化が著しかった。

 理由は幾つかある。

 まず戦前、星欧各国間で互恵主義を謳う通商航海条約や通商協定が結ばれるようになり、入国、滞在、貿易、事業活動、課税、生命財産保護が円滑となって、海上交易の機運が高まっていたこと。

 これにより、例えば二国間条約の締結国であるキャメロット向けの交易品をオルクセン籍の船舶が運んだとしても、少なくとも表面上は公正な商いが出来るようになった。

 またひとつは、北星大陸および南星大陸、あるいは道洋と星洋との交易量が年々増大していたこと。

 次に、ベレリアンド戦争中、オルクセン史上初の海上輸送への対応のため、各国から中古商船の購入を図り、また通商破壊戦における拿捕船舶の編入が行われたこと。オルクセンの大型船舶保有量は、ほぼ倍増した。

 そして、ちょうど技術的な進歩があり、それまでの帆走をメインとした船舶ではなく蒸気機関を主に用いた船舶でも、充分に商業的な利益が上げられるようになったこと。

 エッセウス運河の開通も大きな要素だ。

 このころ道洋の貿易品で、もっとも人気のあった商品のうちひとつに華国産の茶葉があったが、この華国茶は香りが命である。如何にして一日でも早く運ぶかが商売の鍵であった。

 そのためキャメロットなどは巨大極まるクリッパー型の快速帆装商船を何隻も造って、南黒大陸の南端フォールスタウンを回らせ、盛んにこれを競わせて交易量を拡大させたのだが―――

 エッセウス運河の開通により、これほど遠大な距離を航行しなくとも、それまでの約半分の苦労で星洋と道洋を結べるようになった。

 また風も無くほぼ直線である同運河を航行するには蒸気機関が必須であったから、これは同時にクリッパーのような帆装船の衰退も意味した。あれほど栄華を極めたこの優美な商船たちは、急速に海上交易の主役の座から滑り落ち、航海日数を気にしなくてもよい積荷にしか用いられないようになりつつあった。

 未だ速力や積載量でいえばクリッパー型帆装船のほうが優れている場合も多かったから、まるで当事者たちにすら認識されていなかった「衰退」であった。

 この帆装船から汽帆船、汽船への転換は、オルクセンにおいてはその国情及び国民性から他国よりも急速に進んだ。

 海上で帆を扱うということは、何を意味するのか。

 それは、帆を展開させたり縮めたり、向きを変えたりといった操帆作業に、多数の乗組員を必要とする、ということだ。

 大飯喰らいのオーク族を主体としたオルクセンの商船で大型の帆装船など作れば、他国の同規模船と比べ、まるで航海日数が不足してしまう。

 汽帆船にすれば、それまでよりずっと少ない乗組員で海を渡れる―――

 では、蒸気機関を主体とした汽帆装船に欠陥はないのか。

 そうではなかった。

 燃料たる石炭の積載に大きな容量を割かれるから、客船としても交易船としても帆装船に劣ると見なされて来た。

 

 星暦八七〇年代に入って、技術革新が進み、なかでもオルクセンの誇るヴィッセル社技術陣が完成させた三段膨張機関が燃費を大きく向上させた。

 早くも戦時中に就役したオルクセン国有汽船社貨客船アルトナ号三六〇〇トンは、この三段膨張機関の試作型と、八六〇ヘクトパスカルの蒸気圧を持つ円罐ボイラーを積み、目覚ましい成功を収めた。

 試験航海で示された出力は一八〇〇馬力。これに要した馬力当たり石炭消費量は約〇・六キログラム。商船としては高速であった速力一三ノットで走っても、一日当たり四〇トンの石炭消費で済む計算である。

 これは一〇年ほど前に建造された同規模汽装船搭載機関の、僅か五割ほどの消費量に相当した。彼らは、特別の高圧を保つボイラーと、円滑な三段膨張機関に関する合計で一八件に及ぶ特許も取得した―――

「完全に蒸気機関に頼り切った船で遠洋定期船を造っても、これで充分に採算の合うものが用意できる!」

 オルクセンの海運業者たち、そしてヴィッセル社の技術陣は狂喜した。

 商務省筋は、戦後の海運業興隆を目指し、戦時船舶補充予算の一部を流用するかたちで航路補助予算法をグスタフに提案した。

「ヴィッセルの造機技術を利用して、大型船を造りましょう。ダヴェンハイムのような国内の投資銀行にも後ろ盾をやらせます」

 目指すは、北星洋航路や道洋航路に先鞭をつけているライヴァルたち、キャメロットのウィルコックス&アンダースン社、ネイピア社、レッドスター社、グロワールの帝国郵船社などに追い付き、追い越すこと。

「よし、やるか!」

 グスタフは、これを了承した。

 まだ、ネニング平原で冬営をやっているころだった。

 自らの構想する戦後経済の発展を考えるならば、内需のみならず外需の拡大もまた望ましいからである―――



 建造費二〇〇万ラングの大型貨客船第一号たる北オルク汽船エルンテモント号は、こうして建造された。

 この船、ライヴァルたる他国の同規模船舶と比べると、運用面でも大きな特徴があった。

 収容可能乗客数が少なかったのだ。

 エルンテモント号の乗客数は、一等船客二八名、二等一〇〇名、三等船客二〇二名の合計三三〇名。

 これは、キャメロットの同規模北星洋航路船が一五〇〇から一七〇〇もの乗客を運んでいたことを考えるなら、異様なほど少ない。

 彼らは、センチュリースター合衆国及び南部連合向けの移民を、劣悪な三等客室に山ほど押し込むようにして採算をとっていた。

 だがオルクセンは、この形態の商売に先はない、と見た。

 「民衆による民衆のための民衆の国」とされ、輝かしい未来と繁栄が待っているとされたセンチュリースターは内戦で南北に分かれたままとなり、またこれにより西部開拓の進展も滞り、移民の流入も低迷し始めていたからである。むしろ夢見た将来に打ち破れ、星国から星欧へと戻る者も多い始末―――

 星欧諸国は、八三〇年代に南黒大陸における新大陸向け奴隷輸送も禁止するようになっていたから、この種の商売もまた論外である。

 ―――では、旅客輸送は純粋な遠距離旅行者に絞ろう。

 そして技術発展により今までより比較的小さなもので済むようになった炭庫、これと絞った客室容量による空きも使って「貨物を積もう」、「利益の主体は貿易品の積載で賄おう」というのが、エルンテモント号型のコンセプトであった。

 つまりこの船、客船ではなく貨客船である。

 想定航路は、道洋。

 工業製品、機械製品などを現地向けに運び、かの地からは茶、絹、紡績品、陶器などを積んで折り返してくる―――

 各国との通商条約のおかげで、必ずしもオルクセン産やオルクセン向けの乗客や商品を運ぶ必要もなかった。

 キャメロット製紡績機をキャメロットで積み込むであるとか、エトルリアへ向かう二等船客を道洋で乗せるであるとか。そういった多角的な経営運用がやれた。

 ゆえに航路は、オルクセン商業港ネーベンシュトラント―――キャメロット商業港アーガイル―――地裂海西側の商業港ジャバルターリク―――エッセウス運河―――砂漠の国パルティアの貿易港シャムシャーン―――マウリア商業港フォーク―――道洋の中継地ラッフルズ―――華国最大の商業港である寧海ニンハイ―――絶道の島国秋津洲にあり最終寄港地である館浜タテハマ港、という具合に設定された。

 道洋側で乗船券の手配や貿易品の取り扱いを行うのは、北オルク汽船の代理店にも指名されているファーレンス商会の現地法人だ。

 乗船料金は一等船室で最大七三五ラング。二等でその約半額。これは他国船舶の相場とほぼ同等、むしろ若干安い。

 この商売は、図に当たった。それ以上であったと言ってもいい。

 オルクセン商船の人気は、航海事情を知る者たちからは元より高かった。

 なにしろ、オーク族たちは食に拘る。

 キャメロットで一流どころだとされている船会社の客船の三等客が、銘々好き勝手に甲板で煮炊きして大喧嘩をやっているようなころから、統一された等級別司厨室とコック、配給体制を持っていた。これそのものが画期的なことだった。

 牛肉、豚肉、野菜。生鮮食品が尽きたとしても、塩漬け豚肉、ヴルスト、缶詰とジャガイモを使ったコンビーフマッシュ。乗客と乗組員に新鮮なミルクを提供するため乳牛まで積み込んでいた。

 腐りやすい木樽はもう無く、飲み水を清潔に保つ金属製容器もある。

 陸上のレストランと比べれば確かに多少不便ではあったが、質の高い料理を採ることが出来た。

 エルンテモント号の司厨室はとくに充実していた。甲板中央付近にあり、熟練した乗員出身であり船長などとも気心の通いあった者から選ばれた司厨長がいて、最新の鋳鉄製閉鎖式オーブンがあった。数星紀に渡って船の厨房を支配していた粗末な煉瓦のオーブンなど、もはやどこにも無かった。

 銅製の鍋があり、シチュー鍋があり、フライパン、ソースパン、薬缶、煮沸釜がある。船が左右前後に傾いても崩れ落ちないように工夫された食器棚には、オルクセン磁器の濃いコバルトブルーの装飾つき皿がふんだんにあった。

 ナイフ、フォーク、スプーン、紅茶及びコーヒーポッド、胡椒挽き、塩入れ、砂糖入れ。

 固定式の回転椅子、皿の転落を防ぐ縁取り付きテーブル。清潔なテーブルクロス。

 不足を来すようなものは何も無い。

 船長も昼食や夕食を同席し、一等客がトランプやボードゲームに興じることもできる豪華な食堂サロン。喫煙室。図書室。

 三等客室にさえ備え付けの棚式寝台があり、これもまた粗末な急造寝台が多かった他国船からは垂涎の的である。

 各客室には、あのオルクセンの誇る蒸気式の暖房器。電気式の照明燈。換気システム。

 何よりも乗客たちの感嘆を招いたのが、この換気システムだった。

 ベレリアンド戦争で量産体制が確立された冷却式刻印魔術金属板を用い、例え灼熱の赤道直下といえども、客室に冷涼な空気を提供した。これは大変な羨望を招き、ただそれだけで競合他社から客足を奪うほどの効果があった。

 この技術は、食糧保存能力にも無類の効果を発揮した。

 氷室と冷却板の組み合わせは、食堂に新鮮な食糧を提供し続けることが出来た。

 燕尾服に夜会服の紳士淑女がふと船内の掲示板を見れば、

「船酔い、急な罹病、そして食べ過ぎによる胃のもたれ。どうぞお気軽にお申し付け下さい。本船には通常の医師及び医薬品に加え、魔術療術士、エリクシエル剤も完備してございます」

 至れり尽くせりであった。



「どうぞ、リュー公使。こちらのお席へ」

 エルンテモント号が旅客も貨物も満載して、その処女航海へと出発したころ。

 オルクセン外務大臣クレメンス・ビューローは、外務次官ラーベンマルクとともにその外国公使を迎えていた。

 まるで傘のような赤い帽子と、黒地に赤い袖、裾。金糸で竜の刺繍の入った絹服を着ている。

 オルクセン駐箚華国公使。

 彼ら自身による正式な職名は「外国駐在欽差大臣」といった。

 オルクセン側にはとても正確には記名も発音も出来ない名は、劉錫鴻。

「それで、例の積荷は如何相成りましたでしょうか」

 通訳を介した公使は、そのように心配顔だった。少なくとも本人はそのつもりのようだが、オルクセン側からは道洋的人間族の表情変化は良くわからない。

「ご安心を、公使。この件には我が王も格別の御配慮を思し召しです―――」

 ビューローはともかくも頷き、

「貴国政府発注のGew六一小銃九万丁。五七ミリ山砲六〇門。七五ミリ野山砲二四門。もちろんこれほどの量です、一度には送り出せませんが、我が国の軍事顧問とともに既に第一便は出発してございます」

 エルンテモント号の船倉の二つまでは、その荷で一杯だった。

 別の船倉には、秋津洲の国産小銃用銃身と、小銃生産用工作機械が積み込まれており、そちらはGew七四準拠であることは口が裂けても言えなかったが。

「結構です。たいへん結構です。李閣下も、お喜びでしょう」

 彼らの、本国において外交を司る大臣の名を口にしていた。

 正式な肩書は、なんとも星欧社会では理解に苦しむものだったが。

 それに、例えこれほどの武器提供といえども、こう何度も念押しにやってくるのは解せなかった。

 案の定というべきか。

 劉公使は別の案件を携えていた。

「・・・軍艦の発注とは」

 ビューローには意外だった。

 工業基盤に劣る道洋の国が、星洋諸国に海軍艦艇を発注することは良くある。

 だがそれは海軍国キャメロットや、これに次ぐグロワールなどが多く、オルクセンとしては過去に受けたことがない。

 それも、華国が発注したいと言ってきたのは、かなりの数である。

 道洋では最大級のものとなるであろう七〇〇〇トン級の巨艦が二隻。他に装甲艦や巡洋艦が何隻か。

「隣国、秋津洲の海軍拡張は我が国には脅威です。既にキャメロットに装甲艦三隻を発注し、受領済みです。我が国と致しましては、貴国へのこの発注により、一挙に巻き返し、突き放そうというのが李閣下の御意思です」

「なるほど、なるほど―――」

 我らが国王陛下はどうされるだろう、とビューローは思う。

 おそらくだが、受けられるだろう。

 あの方は道洋諸国のなかでは、何故か秋津洲に親愛を抱いておられるが。それはどうやら個の情というもので、国益とは冷静冷徹に分けて考えられるからだ。



 同じころ、ディネルース・アンダリエルは国王官邸の喫煙室をそっとあとにしたところだった。

「おや、王妃殿下―――」

 ちょうど、紅茶を用意したフィリクス・アルベルトと出くわした。

 見事な道洋風のポッドとカップのティーセットを銀盆にのせた侍従を連れている。

「いい匂い。マウリア?」

「今日は、道洋はアキツシマの茶です」

「アキツシマ・・・あの国、茶が取れるとは知らなかった」

「あの国のものは、そのままでは発酵も乾燥も足らぬのですが。ファーレンスの現地法人が、これを補う茶の加工場をかの地の輸出港に作りまして。陛下が試してみたいと仰せでしたので」

 道洋貿易で届いたものだと言う。

 件の事情ゆえ、キャメロット辺りでは華国茶やマウリアの茶より人気は劣る品らしい。

 グスタフは、自国の国益のためにもそれを秋津洲の主要輸出品のひとつに仕立ててやろうとしているようだった。

 ディネルースにはその気持ちがわからないでもない。

 あのひとにとって、おそらく「故郷」のようなものなのだ。

「そう。でも残念。あのひと、珍しく居眠りしているのよ」

「なんと・・・」

 致し方のないことです、とアルベルトはむしろ案じる顔付きだった。

 ここのところ、グスタフは多忙を極めていたのだ。

 おまけにディネルースのみるところ、昨夜は少しばかり、も過ぎた。

 少しばかり。そう、ほんの少しばかり。

「心配するほどのことでは。あのひとに教わった道洋の言い回しで言えば―――」

「はい?」

「ちょっと、船を漕いでいるだけね」



(続)

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