オークのグルメ⑭産業連盟と芽キャベツ
首都ヴィルトシュヴァインには珍しく、青く澄み渡った冬空の昼である。
給仕の手により、銀製の深皿から目の前で
ディネルース・アンダリエルは、いつものように魔法をかけられたように思った。
―――なんと美味そうな。
黒紫色をして口を開いた嘴のような二枚貝からは、ふっくらとした橙色の身が覗いている。
バターと、ニンニクと、みじん切りにしたパセリの良い匂いがした。給仕は更に、挽きたての白コショウを振ってくれる。旨みのあるスープに浸かったままのところが良かった。
ムール貝には、他の淡白な貝類と違って、少しばかり苦味がある。
その微かな苦味も楽しみつつ、辛口の白ワインで流し込んだ。
ヴァルトガーデンで一時間ほど乗馬を楽しんだあとだったから、一度手を伸ばしたら止まらなくなった。
首都に戻ってからも、ディネルースは乗馬を欠かさない。
そうでもしていなければ、怠惰の深みに沈み込んでしまいそうだったからだ。あの愛馬シーリと再会も出来て、国王官邸の厩で世話もしてくれることになったから、よほど天候が悪くなければ一鞍乗るようにしていた。
乗馬は意外に運動効果のあるスポーツだ。
首、肩、腰、背筋、腹筋、尻、太もも。ありとあらゆる部分を使うし、熱量を要した。姿勢も良くなる。
平素は晩餐会ほどではないにせよ、毎日昼食に六皿から七皿。夕食に五皿。どれも美味で、量もたっぷり。前菜、スープ、魚料理、肉料理、チーズにデザート―――
チーズなど、七種類から八種類ほどのなかから、お好みのところを四種お選び下さいと来る。ハードにセミハード、ウォッシュ、青カビに燻製・・・
当然ながら、酒も進んだ。食前に薬草入り蒸留酒かシャンパン、食事中にワインの赤と白、食後にウイスキー。
必ずや運動をしなければならぬ、そう決意している。
しかし、
「ちかごろ、ディネルースは良く食べるな」
「う・・・」
夫の何気ない一言に、愕然とした。
―――逆効果なのか。
ディネルースは頭を抱えていた。
弱ったことに、夫グスタフと食事を供することそのものが楽しい。
良く食べ、微笑み、喜ぶひとだ。
妻もまたそのような心持ちになるよう、努力するひとだ。
ディネルースの食事量は、彼につられて明らかに増えていた。
一〇年ほど前まで、商業、工業、手工業、鉱業、金融など産業別及び都市別地域別に分かれていた業界団体が合流したものである。
経営者たちの意見を取りまとめ、国王及び政府からの諮問に応え、あるいは政策提言をし、労働者や市民といった世論とも対話をして、会員企業の遵法意識を高め、利害関係を調整し、社会の公益も自らたちの利益も高め、オルクセンという国家を発展させるための組織だ。
公的団体としての色彩が強い。
これは、キャメロットやセンチュリースター合衆国の業界組織が、自由主義のもとの任意団体であることを思えば完全に異なったやり方だと言えた。
経済というものへの国の関与を促し、己たちもまた国家方針や政策へと積極的に関わっていく―――
グランツ大通りの一角に産業連盟会館という名の立派な六階建ての建物も持っていて、ここには加盟各社から出向した専属の事務員などもおり、定期的な「会合」も行う。
会長一名、常任理事一八名。
そこに連なる名は、錚々たるものだ。
ヴィッセル社、ファーレンス商会、ユンゲルス紡績、ナハティガル鉱業、ハーニエール製鉄、モアビト・キルヒ社、オルクセン内国通運社、北オルク汽船、ミュルーズ紡績、ダヴェンハイム銀行、ラーテナウ総合電機社、ヴェスコット化学、ルシウス染料、ヴェルクニッツ建設、オルクセン海事貿易・・・
大企業ばかりである。
会員まで含めた彼らだけで、オルクセン国内総生産の約七割を超えてしまう。
「では、ルンドストレム社及びエルフィク製鉄、カルスベク醸造所の買収、モーリア火力発電所建設の件につきましては、以上の如くということで」
「結構ですな」
「異議はございません」
議長役となったヴィッセル社会長ヴァーリ・レギンのもと、楕円形の大テーブルの各所からは拍手があがった。
ベレリアンド戦争のあと―――
彼らが利害関係の調整を図ってきたのは、旧エルフィンド内有力産業の「再編」だった。
工業基盤の弱かった旧エルフィンドではあるが、近代産業のまるで何もかもが存在しないわけではなかった。
例えば、ルンドストレム社。
これは燐寸の製造会社だ。
エルフィンドでは、燐寸製造に適した柔らかい木材であるアスペン材が採れる。これを原材料にして、頭薬に塩素酸カリウムを点着した軸木を製作。小箱におさめ、その側面に赤燐を塗布した分離型安全燐寸の製造を行っていた。戦前は国内需要を満たすのみならず、キャメロットにも出荷している。
エルフィク製鉄は、歴史も古い。
元々はドワーフ族がモーリア郊外に作ったもので、星欧大陸では極初期に作られた製鉄場だ。ベレリアンド戦争勃発時にはキャメロットからの技術供与も受け、大小二基の溶鉱炉と専属の炭鉱があり、日産最大七五〇トンの銑鉄生産能力を有していた。
カルスベク醸造所は、ネブラスにある。
エルフィンド王家御用達の称号も有する伝統ある醸造所で、「
現状ではこういったエルフィンドの産業の多くは半島占領軍やエルフィンド自治政府の統制下に置かれていたが、共有されていたのは戦後の困窮だ。
資金、物資、物流といった面で欠乏を来たし、失業者を生じさせ、本来なら復興の礎となるべきところをむしろ負担にさえなっていた。
そこで国王グスタフは、そういった旧エルフィンド内主要産業をオルクセン資本で買い上げ、合併し、資金を注ぎ込むことで支えてやり、「再編」出来ないかと産業連盟に諮問した。同時に現地に新たな産業を興すため、進出も促したい、という。旧経営陣は尊重し、新体制にも参画させること、そして何より労働者の雇用維持を条件とする。既に戦時中からのことだ。
もし可能であるならば、ベレリアンド半島復興事業として公共事業的発注も行う、と。
―――彼らが乗らぬわけがなかった。
半島への商業的進出と、復興需要という名の利益を見込めるし、更には潜在的にして将来的なライヴァルを自らの懐中とすることが出来る。
基本的な方針としては、言ってみれば戦前から「報酬」を欲していたファーレンス商会が中心となって、民間有力銀行が当座の資金を出し、各分野の専門技術やノウハウを有する企業が経営の実態を担うことが出来る、と答申した。
ファーレンス商会にしてみれば、旧エルフィンドという名のパイの、切り分け。
「結構。たいへん結構でございますわね」
イザベラ・ファーレンスが、くすくすと笑った。
相変わらず派手な装いの彼女が率いるファーレンス商会は、ベレリアンド半島にエリクシエル剤と刻印魔術式金属板の製造工場を造ることになっていたし、社の電気事業部門はラーテナウ総合電機社と共同で幾つかの発電所建設を引き受ける予定だった。
「モーリアへの帰還は、我がドワーフ族の悲願でもあります」
これはヴィッセル社会長にして現産業連盟会長のヴァーリ・レギン。
ヴィッセル社は、ハーニエール製鉄とともに七対三の出資割合でエルフィク製鉄を買収。オルクセン国有鉄道社が併合する旧エルフィンド国鉄の鉄道網復旧、復興、拡大を担う。
車両面ではモアビト・キルヒ社なども同様。
ヴェスコット化学、ルシウス染料などは、現地に化学肥料の製造工場と、合成繊維の染色工場を造ることになった。
つまり、政治統治上の併合より一足先に、エルフィンド経済のオルクセンへの併合は始まることになる―――
「しかし、そうなると占領及び併合への反抗と結びついて、労働争議の発生が懸念されますな」
ダヴェンハイム銀行頭取、コボルト族シュナイザー種のダヴェンハイム氏が言った。
「その点は、オルクセン式に労働法の順守と従業員団地の建設、社員食堂の拡充といった従業員福祉が前提となるわけですが―――」
その方面についてはオルクセンでも進歩的な自社運営をやっているレギンが応えた。
「旧エルフィンド経済再建策と同時に、一般工場法や救貧法、労働組合法の適用範囲をベレリアンド半島にまで広げるべきではないかと」
―――一般工場法。
民間企業の工場労働における労働時間を最大一二時間、婦女及び未成年相当者の労働時間を最大六時間とする法律。
―――労働組合法。
労働組合の設立を認め、労働者を企業経営者と対等の存在とし、賃金や労働時間等の団体交渉を可能にした法律。
―――救貧法。
失業者の救済を目的としたオルクセンの法で、各地に救貧院と呼ばれる恤救施設を各自治体に作り、応急即応的に地方官の決済のもと貧者をこの施設に収容し、最低限の衣食住を保証、同時に職業訓練等を施し、社会復帰を促すものだ。
これら諸法は、オルクセンにおいては八四〇年代から七〇年代に制定、改定されて、経営者たちにも効果が認められるところまで来ていた。
「ダヴェンハイム氏のご懸念はごもっとも。私は、そのような従来の対策は楽観であり、いささか手緩いようにも思えます」
次期連盟会長と目されているイザベラが、口元を歪ませた。
レギンが眉をひそめる。
「・・・と、申しますと?」
「例えば救貧法は、まずは家族血族及び近在の者による相互扶助を前提とし、どうしてもこれで救済できない者を対象とした法のはず。しかし白エルフ族にはその相互扶助精神が希薄です」
「・・・・・・」
「彼女たちの根幹的部分は、傲慢不遜にして計算高く、他者への憐憫など持ち合わせておりません。性善説が通用する
「・・・・・・」
「私としては。当面の間、我らとしても
室内の者たちが呻いた。
「それでは・・・ 意図的にベレリアンド半島南北の間に経済格差を作り出すことになりませんか?」
「ええ―――」
イザベラは頷いた。
暫定政府の存在は尊重する、押しつけは出来ない―――そんな、憐れむような顔だった。
「我らとて身銭を切るのです。投資が回収できないような事態は困ります。それはこの場におられる皆さまにとっても、ご同様のはず。そしてこれは半島内において白エルフ族同士に相互不信の種を撒くことになり、占領軍の統治を楽にもします」
「・・・・・」
「あの戦争中に我らに従った地域に飴をくれてやるのは構いません。しかし、そうでない地域にいま必要なのは―――」
「・・・・・」
「鞭ですわ」
ディネルース・アンダリエルにとって、夫グスタフ・ファルケンハインは常に情熱的で精力的、果敢なひとだった。
内政に外交。政治、経済、軍事。そして私生活。
夫ほどのひとであっても、権力者たることを楽しんでいる瞬間が確かにあり、炯眼爛々とし、あれやこれを熱っぽく語り、矢継ぎ早に臣下たちへと指示を下し、報告に耳を傾け、成果を喜び、小躍りしているようなところがあった。
あるいは、そのような面を持ち合わせていなければ、権力者たることは成し遂げられないのかもしれない。
例えば、このころ―――
オルクセンにとって最大の懸念は、如何にして周辺諸国から自国への警戒心を抱かせないようにするか、という外交方針があった。
何しろ、科学技術上も魔術上も戦術学上も比類なき軍事力を周囲に見せつけ、僅か七か月でエルフィンドという一つの国家を滅ぼしてしまったのである。
これは純軍事的にもたいへんな脅威であったし、外交上はそのような事態を成し遂げる環境を瞬時のうちに作り上げてしまったことを意味し、デュートネ戦争講和条約が作り出していた星欧均衡体制の一角を破壊してしまったわけでもあった。
言うまでもなく、オルクセンは星欧中央に位置し、周囲を人間族諸国家に囲まれている。
オルクセンは更に戦争という手段に訴え、領土を拡大させるのではないだろうかという警戒心を周辺諸国に抱かせてしまった。
周辺人間族が合同し、敵対することは避けたかった。反オルクセン的同盟を周囲が形成すると、容易に孤立してしまう―――
自ら極限にまで高めた脅威を、幾らか和らげる必要があったのだ。
グスタフの打つ手は早かった。
まず戦時中、終戦間際の列国干渉を逆利用して、「将来的な万国平和の礎になりたい」と明言した。この思想は、続くエルフィンド降伏条約調印の場でも、強調した。
そして終戦直後、これはヴァンデン・バーデン滞在中のことだったが、ディ・ツァイトゥング紙やオストゾンネ紙といったオルクセン主要紙を使って、幾つかの声明を出した。
彼が協調したは、「領土補償」及び「充足国家」という概念だ。
星欧においては古くからの思想になる。
「もはや我がオルクセンには征服すべき領土もなければ、獲得すべき何ものもない。我が国が持ち合わせているもので満足しているのであり、我が国が更なる領土の征服や拡張を欲しているという周辺諸国の懸念は杞憂に過ぎない」
「不幸な諍いによって旧エルフィンドと戦火を交えるに至ったが、これは全く受動的なものである。魔種族が魔種族として種族の自活と団結を求めたものであり、周辺のあらゆる人間族諸国家に対し、銃と砲と魔術とを以て領土を奪い取るようなつもりは毛頭ない」
つまり、エルフィンドの併合と魔種族としての統一国家成立を認めてさえくれるなら、オルクセンとして周辺諸国との和平維持を保証する、というのだ。
そうして、それまで保護貿易主義的だった関税対象品目のうち一部について、関税の引き下げを匂わせた。
キャメロット王国首相ビーコンズフィールドなどは、このようなグスタフの動きを歓迎する声明まで発した。
ロヴァルナ及びイスマイルには、現在進行中の戦争に対して「公平な仲介者」に立つことが可能であることを、非公式ながら伝えた。
その打診を秘密裡にオルクセンに伝えたオスタリッチは喜びもしたし、内陸国アスカニアには自国領土を通過する貿易品への関税交渉を始めた。アルビニーには食糧を、サヴォアには工業機械面で貿易量の拡大を目指す書簡を。
グロワールのデュートネ三世帝には、秘密の書簡を送った。
「貴国の海外領土への進出について、我が国は後押しをする。我が国は、海外に対して何らの野心を持たない」
各国に利益のある内容だった。
センチュリースター合衆国には、翌年彼らが議長国となって開かれる予定である国際通貨会議への出席と共同を匂わせてやり。
同南部連合には、Gew七四小銃一二万丁の売却、それも購入費は五年後の先払いでいいという破格の秘密交渉を持った。
「
グスタフは喫煙室の籐製安楽椅子で食後酒にカルヴァドスを啜りながら、ディネルースに対しそのように漏らした。
相談というより、彼の考えを纏めるためのものだった。
「イスマイル?」
「ああ。グレーベンの奴から、ロヴァルナとの戦争についての予測が上がってきた。イスマイルは負けるよ」
「ふむ」
「その結果として、ロヴァルナの勢力圏が拡大すればオスタリッチ、キャメロット、グロワール、みな警戒する」
「・・・・・・」
「その利害調整、講和の席を私が提供する」
「・・・・・・」
「それで当座のオルクセンの安全保障は確保できる。彼らにとって、我が国は我が国であるがゆえに必要になる」
「・・・・・・」
「そして、これは将来のためでもある。オルクセンは和平の希求者、公平な仲介者。その立ち位置を手に入れ、中立国化の第一歩にする」
グスタフは、冷徹な目をしていた。
「しかし。幾ら地理的に離れているとはいえ、イスマイルから恨まれないか?」
「その点は安心するといい。事が全て片付いたら、彼らに有利な条件で武器を売却する。南部連合でやっているのは、そのテストケースだ。こいつは虐殺問題で大っぴらにイスマイルを支援しにくくなっているキャメロットも喜ぶ。むろん、彼らにも根回ししておく」
ぞくり、とした。
グスタフは、まるで躊躇いもなく自国の利益のためにイスマイルを利用する気らしい。
冷徹で、剛腕であり、獣そのものといった眼をしていた。
ふと、ベレリアンド戦争が始まる前、彼の愛妾だったころに閨で目撃した瞳を思い出す。あのときも、まるでこんな眼をしていた。
身が震えた。
こんなときの彼は、夜の方も凄まじい。
なるほど、グスタフはオークの王なのだと骨の髄まで実感するほど。まったく飢え渇ききったように、激しく求めてくる。
―――いいさ。望むところだ。
私も運動不足を解消できる。
翌日、昼食に芽キャベツのスープが出た。
ソテーした鱈を一手間贅沢にもコンソメに浮かべ、その付け合わせとしてたっぷりと添えられていた。
グスタフもディネルースも、よく食べ、よく飲んだ。
芽キャベツはとろりとし、柔らかく、瞠目させてくれるほどだった。小さく可愛らしくさえありながら、それ自体が一級の料理であった。
「ディネルース。芽キャベツの生っているところを見たことはあるかい?」
「いや・・・」
比較的近年にアルビニーで開発された野菜であり、ベレリアンド半島では育てられておらず、ディネルースは寡聞にして知らなかった。
「ちょっと吃驚するほど大きく育つ茎に、この小さな芽キャベツが何十個と生えるんだ。あれはなかなか見ものだよ」
俄かには信じられなかった。てっきり並のキャベツのように、この小さな姿が直接地面から生えてくるのかと。
「種は黒く、胡椒ほどの小さな小さなものだ。それがそこまで育つ。野菜の力強さを感じられるよ」
それから素晴らしい小鹿の肉料理、チーズ、デザートと平らげたところで、副官部のダンヴィッツ少佐がお寛ぎのところを申し訳ございませんとやって来て、おずおずとグスタフに何事かを囁いた。
グスタフは少しばかり目を細め、考え込み、返答した。
「それが連盟の提言だというなら、構わんが。こう伝えてやってくれ。諮問の意味を勘違いするな、あまり天秤にかけるようなら半島北部の経済再建にはキャメロットの資本を入れる、と―――」
「よろしいのですか?」
「ああ。種を播き、芽を出して、育つまでには時間のかかるものだってある。悠長なことはやっておれんよ」
(続)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます