オークのグルメ⑬官僚たちと街角グルメ

 オルクセン首都ヴィルトシュヴァインのフュクシュテルン大通りは、官庁街である。

 ここよりずっと南の、ヴィルヘルミーネ通りにある一部官庁とで、オルクセンという国家の中枢を成している。

 どの建物も植物柄の装飾を施した地裂海式の列柱が正面にあり、荘厳で、品位があって、前時代の豪奢過剰な建築様式を知る者によっては味気無さを感じるほどの、質実剛健の美しさ。新市街形成時に作られた、そんな新復古主義様式による大理石造りの巨大建築が並ぶ。

 国立歌劇場、国有汽船本社、ファーレンス商会本社、国有鉄道社本社、首都大学、各国公使館などもこの大通りや周囲の広小路にある。

 この街に最も詳しい者たちを選ぶとすれば、それは意外なことに大臣でもなければ官吏でもなく、歌劇場に通う紳士淑女でもない。

 通りをゆく、辻馬車の馭者か。

 それも良いだろう。

 彼らも、この大通りについて知り抜いている。どの時間帯が混むのか、いつどの辺りを流していれば客に不自由しないのか。

 だが、そんな馭者をも観察の対象にしている者たちがいた。

 街頭の、呼売商ホーカー行商ヘンドラーたちだ。

 新聞売り。ヴルスト売り。リンゴ売り。タバコ売り。ハムサンド売り。サクランボ売り。焼きドングリや焼きジャガイモ売り。花売り。ジンジャエール売り。ミルク売り。燐寸売り―――

 皆、この大通りについては知悉している。

 とくに、客になる相手を実によく観察していた。

 そうでなければ商売が成り立たない。

 秋の焼きドングリ売りが他の季節には焼きジャガイモを売ったりと、季節によって商う品を変える者もいるが、おおむね顔ぶれも同じなら、店を広げている場所も変わりがない。

 彼ら、彼女たちには「縄張り」のようなものがあり、それは同業同士の間では暗黙にして神聖な不可侵で、また旧市街の小道などならともかく、これほどの大通りとなるとヴィルトシュヴァイン警察発行の商売鑑札が必要だからだ。

 何年ほど前からだろうか。

 この呼売商たちに、新たな業種が加わった。

「コーヒー一杯ニレニ。熱々のコーヒーが一杯二レニだよー!」

 コーヒー・スタンドカフェ・ステンダーだ。

 小さなバネ付きの二輪か四輪の手押しの車に、大きなコーヒー用のブリキの缶。これが二〇リットル入りのもので二つから四つ備え付けてある。ブリキ缶の下には炭火を起こすための火壺がひとつずつあって、火を絶やさないようにし、コーヒーや紅茶を温めてあった。

 これらとは別に、カップなどを洗うための桶もある。桶に使う水は、ヴィルシュヴァインのよく整備された公衆水道から清潔なものを汲めた。

 営業時間は長いもので夜二二時から翌朝一〇時まで。朝だけ開く者もいた。

 客とする対象は、残業した会社員や官吏。歌劇が明けたあとの紳士淑女。朝には出勤途上の者や、他の呼売商、辻馬車の馭者。

 この商売の、それまでの呼売商には無かった特徴にしてセールスポイントは、彼らはコーヒーだけを商うのではない、ということだ。

 コーヒーも扱えば、紅茶も扱う。夏場にはジンジャエールやレモネードを追加する屋台もあった。 

 更には、この屋台にはハムサンドやリンゴパイ、タマネギパイ、ジャガイモのパンケーキなどを入れておく棚もあって、注文があればこれら軽食も提供する。

 客にしてみれば、あちらでコーヒーを買い、こちらのパン屋からパンを買って―――などという今までの面倒をやらずに、この屋台ひとつで朝の腹ごしらえが全て済んでしまうのだ。 

 四輪の、大型のものにはしっかり帆布の屋根がついていて、簡易な椅子やテーブルまで備えている屋台もいたから、混雑する朝の時間などには常に一〇名から二〇名ほどの客が入れ替わり立ち替わりやってきていた。

 ―――見事なものだ。

 と、そのオーク族の牡は思う。

 とくに彼がいま訪れている屋台はそうで、小さな世界のなかに精密で巧妙な工夫があった。

 ブリキ缶は磨きあげられてピカピカだ。カップの類も清潔。

「親父さん、このハムサンドは美味いなぁ」

「ありがとうございます」

 愛想良く客たちの注文に応じていたコボルト族セント・バーナード種の主が、微笑んだ。ちょうど、もっとも混雑する通勤時間帯が過ぎて、多くの客が捌けたあとだ。

 ハムサンド七個で三〇レニ。これは、この類のものとしては「ちょっとばかり高級」である。

 だが、内容が良かった。

 小麦粉とライ麦粉を半分ずつ使った、比較的白く柔らかなパン。これにハムが何枚かとセミハードタイプのチーズ。そして隠し味に玉葱を細かく細かく刻み込んだラード。ハムだけを挟み込んだハムサンド売りが多いなか、珍しいほどに手の込んだ仕事だ。

 質も申し分ない。というのもパンやハム、チーズなどに作り置き品にありがちな固く変じた気配がまるでなく、どうやら毎日しっかりと仕込んで来ているらしい。

「この味・・・ シュネーヴァイスを思い出すな」

 客の牡は、首都東方の競馬場ちかくにある、美味いサンドイッチを食わせることで食通たちにも有名な店の名を挙げた。

「おお、お客さん。シュネーヴァイスをご存知でしたか! 私はあの店で修行したんです」

「ほう、やはりか」

 その牡は感心した。

「しかし、それだと破格だなあ。倍はするんじゃないか、あの店だと」

 我が意を得たりと、店主は頷いた。

「ええ。ウチはほぼ半額でやらせて頂いていますね」

 それでも街頭売りのハムサンドとしては「高級品」だ。

 リンゴパイやタマネギパイも同様だった。

 そちらは付き合いのあるパン屋から仕入れているといい、やはり手が込んでいる。パリパリとした、薄い生地まで最高のリンゴパイはかなりの人気商品のようだ。

 その質の高さが「売り」なのだと、主は言う。

 多少高くとも、美味ければ評判になる。

「とくに、辻馬車の馭者たちがそうですね。彼らは、僅かな時間のうちに食事を摂らなければならない。そうだからこそ拘りがある。美味ければ、多少回り道をしても必ず集まってくださる」

「ふむ」

「そして、お仲間内にも薦めてくださるので。ウチはそれでやらせて頂いています」

 安易に値引きをしないのも、彼なりのコツだという。

 値引きや安売りをして質を落とすより、長期的に見れば固定客の維持になる―――

「なるほどなぁ・・・」

 頷きながら、熱いコーヒーを啜る。

 こちらは五〇〇ミリリットルのピューターカップ一杯で四レニ。作り置きで温めてばかりいるから酸味が強かったが、こればかりは商売形態からして仕方がないところだ。手軽に半分ほどの量でも注文出来る。

「屋台の作りも見事だなぁ。私がいままで見たことのある、他のものよりずっと造作が行き届いている」

 世の何事にも好奇心を抱いている物好きといった様子の牡は尋ねた。

 ―――このお客さん、職業は何だろうなぁ。

 官吏でも、大会社の社員でもなさそうだ。

 ツイードのジャケットにズボン、山高帽。

「ああ、これは―――」

 主は、陸軍の補助野戦炊事車を参考にしたのだと答えた。

 重炊事馬車や軽炊事馬車を補完するもので、オルクセン陸軍では「野戦釜」などともいう。

 己はシュネーヴァイスで見習いコックとして修業したあと、後備役で招集を受け炊事兵になり、その構造に感心し、戦争が終わって動員が解除されると、貯めていた三〇〇ラングでこの屋台を仕立て、独立した商売を始めたのだ、と。

「なんと、そいつは大変だったね・・・ この辺りだと後備第一か・・・ 戦場では苦労もしただろう?」

「いやぁ、それが。恥ずかしながら、私の隊は首都残留組になりましてね。俘虜収容所の警備のほうに回りました」

「そうか。そいつは・・・何といっていいか。幸いだった」

「ありがとうございます」

 主は答えつつ、この気さくなお客さんは、いったい何の職業なんだろうなと、そっと商売者ならではの本能的で刹那ほどの推量を重ねた。

 ツイードの上下、山高帽という格好からして官吏や大会社の社員じゃない。彼らは概ねフロックコートにトップハットだからだ。それに、こんな時間までゆったりともしていないだろう。

 しかし、靴まで含めた仕立ては粗末ではない。手入れもされている。知性の雰囲気もあった。

 新聞記者か、首都大学周辺の書店街を覗きにきた年金国債暮らしの好事家といったところかな―――

「それで親父さん。週にどれくらいの稼ぎになるんだい?」

「そうですね・・・ 週五日半で一五ラングから一七ラングといったところですか。ありがたいことで、シュネーヴァイスのウェイトレスだった女房と、所帯を持つことも出来ました―――」



 オルクセン陸軍省は、やはりフュクシュテルン大通りにある。

 この国では、国軍参謀本部の影に隠れたようになって目立つことが少ないが、重要な官衙であることは言うまでもない。

 人事や予算、動員計画などを司っており、細かな所管を挙げれば兵器開発や整備、各地の糧秣庫や被服廠なども彼らの担当だ。内局と外局に分かれ、所謂、軍政を取り仕切る。

 ベレリアンド戦争中も多忙を極めたが、戦後もまた連日深夜まで明かりが灯り、それは絶えることがなかった。

 遺族年金や恩給の処理、動員解除の手配、人事異動、戦時予算から平時予算への転換、ベレリアンド半島占領軍への支え―――

 戦後の方が忙しくなってしまったほどだった。

 おまけに陸軍大臣ボーニン大将も異動になりそうな気配で、彼らの煩多ぶりに拍車をかけていた。

 オーク族、ドワーフ族、コボルト族。たくさんの者が働いているが、やはりオーク族が多い。

 彼らが日夜超過勤務気味となるならば、その活力源はやはり食事ということになるが―――

 ここに、奇妙な類例が存在する。

 オルクセンのみならず、なぜか各国陸軍の中央官衙は飯が不味いことが多いのだ。陸軍省にも参謀本部にも立派な高級将校向け食堂があったが、不評極まりなかった。

 理由は良く分からない。

 同じ国でも海軍省の食堂はたいへん美味であったりするので、どうも何か陸軍という組織に付きまとう体質のようなものであるらしい。

 その代わりというか、全陸軍将校の所属する交流組織とその施設における食堂は美味であったり、サービスも丁寧であったりするので、やはり首を傾げたくなってしまう。

 戦時戦場における粗食を忘れないよう、陸軍においては上に立つ者ほど華美や豪奢を慎む気質にあるのだ、などという実にそれらしい理由が囁かれることもあるが、本当にそうなのかは明瞭ではない。

 平時の予算も関係しているのかもしれない。

 オルクセン陸軍省の将校食堂も、戦争が終結した途端に調理場の火を落とす時間が早くなり、夕食はともかく、深夜における空腹を省内で満たすことは絶望的であった。

 補う方法は存在した。

 そんな気質に合わせてか、裏通りに回ると店を広げているヴルスト売りや焼きドングリ売りがいた。深夜までやっている。戦前からのことで、そこが彼らの「縄張り」なのだ。

 裏門側に陣取っているのは、「将校たる者が買い食いなどけしからん」という海軍将校ほどではないにせよ、陸軍将校もまた体面については気を使うからだ。

 たいていの場合、金を与えられた夜直当番の各課付き兵が買いにくる。

 ―――あー、従卒。裏へ行ってな、焼きヴルストを買ってきてくれ。他に食いたい奴いるかぁ? ひー、ふー、みー、よー・・・なんだ、全員か。課員は七名分な。これはお前の分だ。すまんがコーヒーも頼む。

 オルクセン陸軍省の場合、そんな調子である。

 従兵が使いに出ると、ヴルスト売りは「いつもの場所」ですぐに見つかる。彼らの姿は特徴的で、四つ足の火壺付きブリキ製のグリルを路肩に据え付けているからだ。たいてい、三つか四つほどのランプを吊っているから、夜目にも明るい。また、実に美味そうな匂いが周囲に漂っていることが多く、オーク族の良く効く鼻には間違えようもなかった。

 こんな時間でも先客がいることもある。

 黒いシャコー帽にダブルブレストの制服を着て腰に警棒を下げた、警官だ。

 巡回のヴィルトシュヴァイン警察は、受け持ち地域の呼売商や行商へ寄って腹を満たすことが多い。周辺治安が良くなるというので、商人も近在住民もこの習慣を歓迎していた。

 注文すれば、長く太めのヴルストをすぐに焼いてくれる。

 早くも堪えきれないほど美味そうな匂いが辺りに漂い、焼きヴルストは手が汚れないようパンに挟んで供される。

 従卒のほうでも慣れたもので、多くの品を運べるよう木製の盆を用意していた。

 冷めないうちに、急いで戻る。

 日によっては近くで別の屋台を広げているエンドウ豆スープ売りなどにも寄ることがあり、そちらも購う。

「おお、おお。この肉の旨み」

「この焼き加減が堪らんよな」

「あの店はマスタードまで美味いんだよな」

 コーヒーも啜り、手早く小腹を満たすと、また彼らは抱えている職務を片付けにかかる―――

 従卒も、「駄賃」を平らげた。

 兵たちはこうやってしばしばお零れに預かれるので、意外なことに夜番を楽しみにしている者までいた。

 ―――それにしても。

 今日は随分、面白い先客がいたな。軽妙な語り口で、あれこれ店主と話し込んでいた。お蔭でちょっとばかり、いつもより焼き加減が俺好みだ。



 ヴィルトシュヴァイン新市街でも南寄り、ヴィルヘルミーネ通りとラプンツェル通りの交わる辺りには、ここにもまた中央官庁の幾つかがある。

 財務省、商務省、最高裁判所などだ。

 この周囲は商業街の趣が強い。

 目立つ建物だけでも、パンドーラ宝石店、カールシュタット百貨店、カウフハウフ百貨店、ドライラート百貨店などがある。ちかごろ最も繫盛しているパノラマ館もこの近くだから、陽気と活気と、喧噪があった。

 ところが財務省や、隣り合わせる商務省のあるヴィルヘルミーネ通りへと折れると、とたんに鹿爪らしい官吏姿ばかりになり、雰囲気も重々しく、陰気にさえ見えるのは官庁というものの宿痾、役人の生理学のようなものか。

 商務省官吏ヘルトリングは、登庁時間通りに出勤した。中級官吏らしく、フロックコートにトップハット姿。

 そして自らの執務室につくと、レポートの作成にかかった。

 昼前に課長に呼び出されたので、口頭での概略報告に臨む。

「物価にも消費動向にも変化はありませんな。民衆の国債年金の購入動向も」

「貨幣による貯蓄ではなく、投資か」

「はい、まだ景況は上向きですね」

「ふむ。財務省の連中の思惑通りか」

 財務大臣であり経済学者でもあるマクシミリアン・リストによれば―――

 景気が縮小しようとするとき、民衆は収入のうち余裕分を投資や投機ではなく、貨幣による貯蓄に回すようになる。

 資産形成という括りでは極論すれば同じである両者だが、利子利息による旨みはあるものの処分のやりにくい金融商品よりも、いつでもどのような対象にでも流動的に使える貨幣を手元に持ちたがるようになる、ということだ。

 同時に、将来不安ゆえに消費が伸び悩むようになる。

 一言いえば、吝嗇けちになる。

 つまり需要が減り、結果的には巡り巡って収入も下がり、雇用も維持されなくなり、深刻な深みへと陥っていく。これが「不景気」だ。

 キャメロットやグロワールといった他諸国で主流になっている経済学では、こういった不景気は、ちょっと乱暴なものの考え方のようだが「放置」しておけば自然に回復する。好景気や不景気というものは自然な出来事で、やがて均衡が取れる、政府が関わるものではない、と。

 しかし、グスタフ王やリストを中心としたオルクセンでの考え方は違った。

 積極的に経済を回復させてやりたければ、公共投資を呼び水にして「刺激」をしてやる。同時に貧困層の面倒を国や地方自治体がみてやり、再就職の支援をやるなどして「社会全体を押し上げる」。

 すると社会の雰囲気も消費も上向くから、また需要が起こり、巡り巡って景気は回復するはずだ。その最初の一手に、政府は財政及び金融政策両面で積極的に関わるべきだ、という筋を立てていた。

 現在のように通貨の価値が安定していて、基本的には他国への投資より国内への投資が主流である以上、公共事業投資や貨幣流通量調整を用いた国家による経済の管理は行いやすいからだ。

 もし不景気に陥りかけたとき、オルクセンでは実質的に将来年金の役割も果たしている国債や、投機商品として人気のある国有鉄道株や社債の購入量が落ち始める。ひとびとは貯蓄や手元の貨幣を重視するから、社会全体の消費も落ち込み、物価は過剰に下落してしまう。

 戦争で容易に起こる、極度な物価の上昇も危険だ。戦争とは勝者にとってさえ過剰なほどの公共投資そのものであるし、諸物資の不足や統制が物価上昇を招きやすい。収入の上昇がこれに追い付かず、この場合もまた民衆の困窮を招く。

 その兆候は、世の物価と民衆の心理を把握し続けて掴んでいく。

 戦後経済の景気を下振れさせず、また極度な物価上昇も起こさせないようにして、政府は「持続的な好景気」と「物価の緩やかな上昇」を目指し、これは同時に国力と国民の生活レベルの向上でもあるから、一〇年、二〇年先の姿を見据えて着地させる―――

「課長。次の調査はひとつき後でしたね?」

「ああ」

「なら良かった―――」

 少しばかり安堵した様子のヘルトリングは、そのような「社会の動向を掴む」最前線にいる。

 商務省物価局調査部。物価物流調査官という肩書だった。

「ツイードの私服は、クリーニングに出します」



(続)

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