オークのグルメ⑪鱈と復興と占領軍

「おはようございます、元帥」

「うむ、おはよう」

 旧エルフィンド首都ティリオン。

 元は首相公邸だった宿舎から、ベレリアンド半島占領軍総司令部の巨大な庁舎に出勤したアロイジウス・シュヴェーリン元帥は、いつものように腹心たるギュンター・ブルーメンタール中将の出迎えを受けた。

 この日、元帥は上機嫌であった。

 理由は幾つかある。

 まず、本国から夫人ベアトリクスが到着したこと。エルフィンド占領が長期にわたる以上、佐官級将校及び将軍位にある者たちには、本国から家族を呼び寄せることが認められた結果だった。

 また、国王グスタフ・ファルケンハインと王妃ディネルースの連名で素晴らしい鴨が丸々一羽届き、グロワール風の焼き物にして夫人と前夜の晩餐にしたこと。総司令官付きコックの腕はなかなかのもので、胸肉は実に柔らかく、肉汁を使ったソース、付け合わせのジャガイモ、クレソンまで良かった。

 そして何より、占領政策上における懸案の幾つかが片付いたことだ。

「では、ノアトゥンの復興住宅は全て完成したのだな?」

「はい、元帥」

 ベレリアンド半島は、冬季を目前にしている。

 占領軍総司令部とエルフィンド暫定政府にとって、戦争罹災者の住居問題は食糧問題と並ぶ優先課題だ。

 寝室、居間、客間、浴室、厨房の五部屋からなる暖炉付き木造漆喰平屋作りの「復興住宅」が白エルフ族技師の手により設計されて、罹災各地に建てられることになった。エルフたちの多くはひとり暮らしだったから、十分な広さがある。

 簡素ではあったが、粗末ではない。

 粗末な造りでは、ベレリアンド半島の厳冬期を乗り越えられないからだ。

 占領軍総司令部軍政局監督、暫定政府所管の復興金融公庫が作られて、罹災住民たちは低利かつ低価格でこの家を購入できる。

 価格の低廉さは、規格の統一化、材料の大量調達、建築会社の政府契約で成し遂げた。

 随分と手慣れている―――

 実はオルクセンがこのような真似をするのは、初めてではなかった。

 八三〇年代から四〇年代、オルクセンへ産業革命が訪れた際、農村部から都市部へと労働者の大量流入が発生した結果、首都ヴィルトシュヴァインやヴィッセン市などでは深刻な住居不足が生じた。

 このとき、政府が作った「勤労庶民福祉中央委員会」や各市の「公益建築局」、あるいはヴィッセル社のような大企業が、各地に公共住宅を建てた。半地下一階、屋根裏二階を含む五階建ての巨大極まる通称「兵営風ファミーリエン住宅ホイザー」と、裏庭及び厩付きの六部屋戸建て住宅「親方住宅マイスターハウス」だ。

 似たような政策は、過度な農業労働者の流出を防ぐために農村でも行われていたから、オルクセンにすればすっかり慣れきった手法というわけだ。

 そしてこれはベレリアンド半島での応用の場合、景気及び雇用対策でもあった。

 資材の調達などは、極力ベレリアンド半島内で行われている。

 元々林業が盛んだったフェンセレヒ盆地とその中心であるアルウェン市など、第一期として一二四〇戸、第二期として三〇〇〇戸分の発注が成されて、木材の加工と出荷で未曾有の好景気だ。建築資材に使う木材は充分に乾燥させておく必要があったから、既に次期分以降を見越した伐採と加工も始まっていた。

 こうして各地から調達された材料は、いまやオルクセン国有鉄道の一部となった旧エルフィンド国有鉄道の手に依って輸送され、目的地で組立てられて行く―――

 こういった戦争罹災者対策、景気対策、雇用対策、そして食糧対策といった喫緊重要政策の数々は、どれもこれもが密接に絡みあっている。

 鉄道軌道の改修。国有鉄道社の再教育及び、ダイヤグラム、通標、信号機といったオルクセン式運行管理手法の導入による輸送力強化。

 石炭増産。

 食糧増産。

 旧エルフィンド内、とくに直接軍政の敷かれていない半島中部より北側にはまだまだ混乱があり、とくに失業率が高い。エルフィンド暫定政府は、この冬、オルクセン式への警察機構改革と、治安維持のための警察官増員に着手したが、

「競争倍率一〇・五倍だと?」

 改めて白エルフ族たちの困窮ぶりを示す数字が出て、シュヴェーリンらを驚嘆させたものだった。



 敗戦後、旧エルフィンド民にとって、貴重なタンパク原となったのが鱈と鯨だ。

 国王グスタフ・ファルケンハインの主導した農地改革は進んでいたが、その効果が表れるのは早くとも次季穀物の収穫以降である。

 沿岸諸港やアレッセア島の漁港から幾つもの船団が出て、鱈漁と沿岸捕鯨に励んだ。

 とくに盛んだったのが鱈漁で、ベレリアンド半島の周囲には豊富な漁獲高を誇る漁場が幾つもある。

 西にも北にも東にも、鱈、鰈、平目、鰊などの集まる浅堆があった。

 もっとも有名な存在であったのが、キャメロットとの間に存在したビュッセル・バンクだ。水深約一七メートルと浅くなった広大な砂堆である。

 いにしえからの「豊饒の海」であり、ビュッセル・バンクという名もかつてタラ漁船に用いられていた帆船の一種バス船の古名に因む。

 白エルフ族の漁師たちは、この海を始めとする漁場へと、例年以上に奮って出た。

 総じてみれば、小さな船ばかりである。

 縦帆の、ケッチ船と呼ばれるかたちの一〇〇トンから三〇〇トンほどのトロール漁船で、数隻の船団を組み、これに少しばかり大きな外輪式蒸気船の母船がついていく。母船は漁船が展張した漁網の曳航役であり、漁獲の船倉役であって、場合に依っては洋上での加工役も受け持った。

 冬季の北海に、このように小さな船で出るのだ。危険な仕事である。

 波濤が、寒気が、ときに濃霧が、彼女たちの命までも危うくした。

 だが彼女たちの操船も漁法も、巧みであった。

 なにしろ白エルフ族たちは、魔術通信を使える。

 キャメロットの漁船団が使う火箭式の信号などに頼らなくとも、ずっと連繋の取れた航行や漁がやれた。

 外洋における回遊性の鱈は、大きく育つ底生魚だ。ときには二メートルを超えるほどのものまで獲れる。

 トロール網を母船が引き上げると、膨大な、甲板を埋め尽くさんばかりの豊饒が溢れた。

 茶色のまだら模様と、白い側線と腹をした、まるまると太った鱈が、漁網の中や甲板で跳ね回る。

 その鰭、鰭、鰭。ぬめるような光沢を放つ魚体。飛び散り、煌めく鱗。決して見た目のよい魚ではないが、冬季の旬に向かうほど肉質はよく締まり、美味である。

「豊漁だ、豊漁だ!」

 寡黙な白エルフ族漁師たちでさえ、頬をほころばせた。

 これらは短冊状の切り身に加工され、ベレリアンド半島沿岸地域のみならず内陸まで、塩漬けの干物となって流通するわけだ。

 ケッチ型漁船は、とりわけ小型のものがベレリアンド半島沿岸部でも操業した。

 こちらの主な狙いは、小型で沿岸性の鱈や、鰈、赤座海老である。

 秋に入ってからのことだが、半島東岸ヨトゥンフィヨルドにある漁村から出港した、この沿岸漁船の四隻が、ふだんの漁場でオヒョウを漁獲した。

 この化物のように思えるほどのサイズにまで成長する鰈の一種は、身がふんだんに獲れるうえに、その肝油は栄養剤に加工できるほど滋養に溢れる。

 四隻で六トン近くも揚がり、「この辺りでは滅多にないことである」、「これぞ復興への吉兆」、「最大のものは六六〇ポンドを超えた」と新聞記事にまでなって、帰港後はさっそく市場に回された―――

 エルフィンド暫定政府もまた、このような漁獲の向上を目指して支援策を打ち出した。

 漁民たちが復興金融公庫から低利で資金を借り出せるようにし、とくに漁船や漁具の購入費、一時的な纏まった運転資金のような高額融資ほど条件を緩和した。

 また各地の小さな造船所に政府予算でケッチ型漁船を作らせ、景気及び雇用対策としつつ、漁民に向け廉価に売り出したのである。

 一隻四〇〇〇ラング、つまり旧エルフィンド通貨で八〇〇〇ティアーラほどの販売価格になったが、これは破格というものだ。本来値段の八割ほどだった。

「ひとつ、やってやろう」

 新造船を買い入れ、一旗揚げてやろうという船主たちが、続出した。

 この政策は、「計画造船」と呼ばれた。



 占領軍総司令部は、基本的には暫定政府を通じて各種の政策を実施したが、幾つか直接的な手段も用いた。

 占領軍が要する馬車車両の修理や、必要需品の調達を現地発注にしたのだ。

 その内容は、意外なまでに広範であり、多岐に及ぶ。

 幌用の帆布材。車輪。車軸。馭者台。

 鉄道車両の修理。

 占領軍将校官舎及び兵舎のカーテン、カーペット、机、椅子、家具。屋内外の修繕、改築、ペンキ塗装。

 ただし、この一連の業務委託発注計画には旧エルフィンド側の困惑も招いた。

 その理由は、労働力の確保はともかく、かねてよりの物資不足に拍車をかけかねないこと、また占領軍の支払いが「気前良き」に過ぎ、諸物価の高騰を招きかねないこと等々であったが―――

 なかでも最も大きな原因は、オルクセン側と旧エルフィンド側が使用していた度量衡の違いだった。

 オルクセンは、八四五年以降、グロワールが提唱したメートル法を正式採用して使っている。

 一方のエルフィンドは、キャメロット王国などと同じヤード・ポンド法と、土着の伝統的な一二進法度量衡を組み合わせたものだった。

 当然ながら、エルフィンドにおける工具の類はインチ基準のものである。

 暫定政府ラエリンド・ウィンディミア首相は、自ら交渉の必要性を感じ、「経済対策の緩やかな実施」を求めた。これは、ちょうどオルクセンによる緊急食糧援助が実施され、エルフィンド暫定政府製作の統計資料への疑義が嫌味たっぷりに呈されたころにあたったが、

「止むを得ないか・・・」

 シュヴェーリン元帥なども同意するところになった。

 併合後のことを思えばエルフィンド度量衡の迅速なメートル法化が望ましいが、確かに今はそのような余裕がない。将来的な課題とした。

 ともかくも輜重馬車類の修理と物品調達の一部だけを先行して実施することとし、旧エルフィンド陸軍造兵廠やその関連業者を相手として、オルクセン製の工作機械や工具類を支給し、教育なども求めた。

 ―――結果から言えば。

 これらの政策は、旧エルフィンド経済を活性化させる効果はあった。

 なにしろ、オルクセン軍に使用する輜重馬車は多い。調達物資も膨大だ。「緩やかな実施」となったものの、波及する経済効果の裾野は広かった。

 そして、エルフィンド国内度量衡変更への、第一歩となったのである。



 このようなベレリアンド半島復興の動きのなかでは、たいへん逞しい生き残り方を示した者たちもいる。

 その代表例のような存在が、アダウィアル・レマーリアンという元エルフィンド軍軍属だった。佐官待遇。

 ブルネットの髪に、太い眉。細身の者が多い白エルフ族には珍しく、肉づきが良い。

 彼女の戦前の経歴は良くわからない。ブローカーのようなものだったともされるが、どうもあまり表向きに出来ないようなものを商っていたらしく、政界や財界を中心に何故か顔が利いた。

 戦時中はエルフィンド軍後方兵站総監ギルリエン中将の下で、そのような要路への繋がりを利用して、非合法手段を含む軍需物資の調達係をしていた。

 敗戦直後の混乱時、レマーリアンは完全に彼女自身のものだった配下たちと消え、どさくさに紛れて軍の諸物資を半島北部域で売りさばいている。

 そうして軍から預けられていた物資調達用正貨の残余と、諸物資の売却代金とを元手に、奇妙な商売を始めた。

 闇ルートの、一種の両替商のようなものだった。

 正貨を使って、暴落状態だったエルフィンド紙幣を搔き集めたのだ。

 ―――誰しもが紙幣よりも正貨を欲していた時期に、一体どうして。

 ともかくも、彼女の手元には、資金となった正貨よりも額面上は遥かに膨れ上がった紙幣が用意出来た。

 次に彼女が現れたのは、首都ティリオンである。

 ティリオン西方郊外、シスリン湖畔にあった瀟洒な一級保養ホテルのオーナーのもとを訪ねると、これを売らないかと持ち掛けたのだ。

 オーナーだった資産家にすれば、渡りに船であった。

 ―――馬鹿な奴だ。敗戦により国民は観光も保養もあったものじゃない。こんなものを買ってどうするのだ。

 とっとと処分してしまいたいほどだったので、資産家はこの話に乗ることにした。

 懸念があるとすれば、支払いのほぼ全てが紙幣だという点であったが、これに関して言えば資産家はそれほど心配していなかった。

 占領軍総司令部と暫定政府とが、当面の旧エルフィンド通貨の流通補償を約し、暴落はもう収まりつつあったからだ。将来的にはオルクセン通貨との両替も見込める―――

 資産家は内心ほくそ笑んだほどだったが、レマーリアンの商業的腹芸はその更に一枚上を行っていた。

 彼女は件の一級ホテルを手に入れると、将来を心配していたホテルスタッフたちへと真っ先に雇用の継続を保証してやり、とくに腕のよいコックたちを手放さなかった。

 更にはウェイトレスたちに再教育を施し、清潔な制服も用意した。

 このような準備は徹底していて、諸物資不足の折にもかかわらず、真新しいテーブルクロスやシーツ、リネンの類を何処からか手に入れて各部屋やレストランに配し、ホテル中を隅から隅まで清掃もさせた。

 礼金をたっぷりはずみ、何なら必要資材も調達して、トイレなども増築した。

 ―――そして、レマーリアンは占領軍総司令部へと現れた。

 占領軍が、将校家族の本国からの呼び寄せを認め、将校のみならず兵士たちにも交替で休暇なども与え始め、またベレリアンド半島内からの諸物資調達や業務委託の検討をやりだしたころだ。

 旧エルフィンド側要路筋の伝手も頼った、彼女の計画は図にあたった。

 高級将校及びその家族向けの、指定保養ホテルの座を手に入れたのだ。

 ―――オルクセンは将来、エルフィンドを併合する。

 これは彼らに依る無条件降伏勧告時から、もうはっきりとしていた。

 その瞬間まで、長い長い占領期が続く、ということだ。 

 当然ながら、ベレリアンド半島から様々なものを調達しはじめるだろう。仄暗いブローカーであり、旧エルフィンド軍における諸物資の調達を請け負っていた彼女が、その想像に至るのは難しくなかった。

 そして軍における調達とは、物品だけではない。

 はずなのだ。

 占領が長期間にわたるなら、将校、下士官兵卒たちには休暇も与えられる。家族も呼び寄せる。これを相手に商売をやればいい。彼らの金払いは良い。いまや白エルフ族の上流階層などを相手にするよりも、遥かに。

 そのために彼女は、オーク族の特徴をしっかりと学んだ。

 清潔な調度や設備を尊び、彼らを応接するにはトイレや風呂が欠かせず、そして何よりも美味い食事を愛することを理解した。

 ―――あー、何と言ったかな。あの、偽造身分証を用意してやった大尉。

 元ディアネン市警備隊だと言ったか。

 あいつが愚痴めいて喚いたオーク族評すら、勉強材料にした・・・

「これは素晴らしい」

「なんて良い景色・・・」

 客となったオルクセン軍将校やその家族たちは、みなレマーリアンのホテルを褒めたたえた。

 とくに、占領軍の鑑札と許可も得て集められた食材を贅沢に用いた、レストランと食事の評判が良かった。

 オルクセンの者たちを不思議がらせ、また名物ともなったのは、レストランのウェイトレスたちだった。

 彼女たちに注文をすると、信じられないほど迅速に、またその注文を通している様子すらないのに、あっという間に飲み物やコース料理最初の品が出てくる―――

 何のことはない。

 再教育を施された彼女たちは、略語まで使った魔術通信を用いて給仕をやっていただけなのだが、魔術力のあるコボルト族やダークエルフ族、大鷲族でも客にならぬ限り、オルクセン軍相手にはわからない。傍目には全く不思議で、これがまた大評判であった。

 レマーリアンは、己の計画が図にあたったことに満足しつつ、毎日ホテルの各所をそっと見て回った。とくにレストランは念入りに。

「どうだい、お前。ああ、この魚料理の素晴らしいこと。良く締まった白身、上質な脂、たっぷりとした牛乳と茸のソース・・・」

 滞在中のオーク族佐官が、本国から呼び寄せたらしい妻に囁いている。

「まったくね、あなた。こんなに美味しい鱈料理は、わたし初めて」



(続)

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