オークのグルメ⑩新聞と狩猟とジビエ

 日刊紙オストゾンネ社記者フランク・ザウムは、出社前にヴァルトガーデン南端にあるカフェ「イーディケ」に寄ることを日課にしていた。

 公園の樹々に囲まれた、このグロワール流の大きな店は朝早くから開いている。

 ここで朝食を摂ってから社に向かうのが、慣れきったスケジュールだった。

 小ぶりな―――といってもオーク族向けに生地重量で一〇〇グラムはあるパンブレートヒェンを三つ。柔らかなハムが四枚。粗挽き肉入りのサラミが四枚。小さな壺に温めて出てくるアスカニア風の白ヴルストが二本、ハチミツのソースをたっぷり。茹で卵。付け合わせにピクルス。

 もちろん、バターやジャム、コーヒーも付く。

 これでチップを含めて一ラング。

 社では主力記者扱いされているザウムには、毎日通っても「まあ、なんとかなる」ほどの価格だ。

 新聞記者と一口にいってもその稼ぎにはピンからキリまであり、糊口を凌ぐために変名を使って幾つもの大衆雑誌に記事を書いたり、ちょっとした海外文書の翻訳をやったり、物好きな道楽富豪の自伝を代筆するような者も多いが、ザウムはそうではなかった。

 オストゾンネ紙はオルクセンでは主要紙とされている七紙のうち一つで、彼はその社会面で署名入りの記事を書ける程度には扱われている。特ダネを連続してスッパ抜くようなことは決してなかったが、粘り強い取材と食らいついたら離さない記者根性とで、総じてみれば読者を引き付けるものを書けた。

 二個目のパンに上下へ切れ目を入れ、たっぷりとバターを挟み込んでから手にしたとき、ふとザウムの視界にこの店の品のよい壁紙が入ってきた。幾つもの額縁が下げられている。

 有名人の写真や、この店を愛する客でもある当代芸術家たちの絵などが所狭しと飾られているなか、一段高いところに三つの額縁があった。

 国王グスタフ・ファルケンハインの写真、国王御用達の認証書、そしてこの店のメニュー表に王自ら「イーディケのアイスクリームとシャーベットは最高だ」と記したものだった。

 ―――王。我が王。これでこそ我らが国王陛下。

 ベレリアンド戦争中の従軍取材を思い出す。

 まさか、あのアンファウグリア旅団の旅団長が王妃殿下になられるとは。

 良いことだ。喜ばしいことだろう。この国にとっても。

 ここしばらくというもの、ザウムが戦前よりもゆったりと朝食を摂っている原因のひとつは、その取材経験にある。

 社の編集主幹から、戦時中にディネルース現王妃と会った経験があるのなら、そこから王妃の為人を書けないか、ぜひ記事にしたいと何度も催促されているのだ。

 ―――とんでもない。三流大衆紙じゃあるまいし。俺には書けないよ。

 己が手元には。たった一度の取材で得た「印象」しかない。

 ザウムは一部記者の連中がやるような、過剰な推測や憶測による記事、あるいは何の根拠もない捏造記事の存在を嘆かわしく思っていた。

 報道がやるのは、事実をありのままに伝えることだ。

 取材は、そのための裏取りになるものだ。

 恣意的に歪めたもの、ましてや「物語」を作ることじゃない―――

 ザウムはウェイターを呼んだ。

「オレンジキュラソーを」

 濃く熱いコーヒーを飲み干した直後の、陶製カップを上下逆さまにひっくり返す。グロワール流の、厚くどっしりと背高につくられたカップの底、うんと大きな高台の部分は窪んで作られている。

 コボルト族ボルゾイ種のウェイターは慣れた様子で、その底部にある「もうひとつのカップ」にキュラソーを注いだ。

 ―――グロワールの連中は面白いことを考えるものだ。

 寒い日はこうやって強い酒を飲み、体を温める食後酒にして店外へ出るのだ。別にグラスで出してもらってもいいが、こうすればカップの残熱で酒そのものが淡く温められもする。気持ちの問題といった程度だが。

 ザウムは、秋の寒さと編集主幹に向き合う覚悟を固め、店を出た―――



 グスタフ・ファルケンハインは、朝食後に新聞を読むことが多い。

 以前は朝食中に読んでいたのだが、ベレリアンド戦争中に観戦武官や従軍記者たちと朝食を供にすることが多くなって流石にその悪癖を改め、朝食後に手に取るようになっていた。

 ヴァンデンバーデン滞在中もそうであり、前日の主要各紙夕刊を幾つか、その朝の地元紙を二つといったところだ。

 どれもこれも、執事フィリクス・アルベルトの手配で丁寧にアイロンがかけられ、端までピンと張っていた。

 ディ・ツァイトゥング、モルゲン・ポスト、オルクセン・クロニクル、オストゾンネ・・・

 首都発行主要各紙の朝刊は、朝食時にはまだ間に合っていない。

 ヴィルトシュヴァインからヴァンデンバーデンまで、鉄道距離で約四八〇キロ。到着は昼ごろになった。だから前日の夕刊を読んだ。それでも近年の鉄道や電信の発達によって、それ以前の時代を思えば信じられないほど便利になっている。昼にはどうにか遠方地用の一番早い版が読めた。

 そんな彼の様子、その機微に、ディネルースは驚いたことがある。

 夫は、どちらかといえば彼の政策に批評的な論調を売りにしている新聞から読んでいたのだ。

 彼女自身、何紙か読んでみてそれに気づいた。

 抑制があり、批判ではなく批評といえたが、それでも余り気分の良いものではない。

「グスタフ、貴方。自虐趣味でもあるのか?」

「うん? ああ―――」

 グスタフは、彼女が何を言いたいのか気づき、ちらりと苦笑した。

「ディネルース。これは良いことなのだよ。私の気づいていなかったこと、見落としていたことを彼らは教えてくれる。なかには、とっくに分かっていても政策上の判断として故意に手をつけなかったこともあるが。だが、社会にとって必要なものだ。まるで無くなってしまえば、エルフィンドの二の舞だ」

「・・・・・・」

「いまのオルクセンでは有り得ないが、仮に彼らが私の諷刺画を描いても誰からも責められないような。そんな社会にならなければいけない」

「・・・それで、腹は立たないのか」

「それは、時には腹立ちもするよ」

 グスタフは、くすくすと笑った。軽く肩をすくめて、暖炉を示した。

「そんなときは、だ。炊きつけにはなってくれる。私が四五レニを出して買った一部は、私のものだ」

「ふふ、ふふふふ。なるほどな」

 まこと、明快な判断基準を持ち合わせたのが、ディネルースの夫であった。

 その日のオストゾンネ紙には、半月ほど前に起きた、キャメロットの無煙炭鉱爆発事故について、たいへんな数の犠牲者が出ていること、ようやく鎮火したこと、どうやら事故原因は炭鉱灯による引火らしいことが書かれていた。確認できた事実と、推察とをきっちりと分けている書き方が良かった。記者の署名はフランク・ザウムとあった。

 グスタフはその日その日で目を引いた記事に、赤鉛筆で小さく印をつけておく。

 すると、あとで臣下の者たちが切り抜き、スクラップしておいてくれる。

 喫煙室の、グロワール式のソファで隣に座ったディネルースは、そっと彼の空になったカップにミルクティーを注いだ。

 アストン卿の影響でもあったのか、ちかごろのグスタフはたまに紅茶を飲む。キャメロット式のミルクティーが多かった。そんなときは、牛乳を好むディネルースも同じものを飲んだ。悪くないものだな、などと思っている。

 この日はいつものように乗馬に出て、そのあとはグスタフとふたりで有閑の無聊に庭で拳銃射撃を楽しむつもりだったが、あいにくと天候が悪くなり、ゆったりと朝食後の時間を過ごしていた。

 ヴィルトシュヴァイン王立磁器製陶所製の、白磁にコバルトブルーも鮮やかな金彩入りティーセットは見惚れるほどの品だ。とくにコバルトブルーの鮮明さと、装飾を施された植物柄、それに丸く膨らんだ胴と縊れた高台、飲み口の作り出すシルエットエックス・フォームが良かった。

「何か面白い記事はあったか?」

「うん―――」

 グスタフはパイプに火をつけ、甘い香りのイスマイル葉の紫煙を盛大に吹き出しつつ、答えた。

 このひとは相変わらず器用に葉を詰めるな、あの大きな指で―――と、ディネルースはおかしみを覚えた。自身は細巻に燐寸を摺った。

「ヴィルトシュヴァインで、パノラマ館が大盛況だそうだ」

「パノラマ?」

「ああ。一種の見世物だよ。直径四〇メートル、高さ三〇メートル。ヴァルトガーデン南の、ラプンツェル通りにある。巨大な円柱形をしていて、内部の壁面全体に三六〇度、途切れなく精緻な情景が描かれているんだ。観覧客は中央からぐるりと巡るようにそれを眺める―――」

「ふむ?」

「手前には模型や人形があって。するとまるで本物の情景のなかにいるかのように観覧客を錯覚させる」

 仕組みとしては目新しいものではなく、七〇年ほど前にキャメロット人が発明したものだという。

 ヴィルトシュヴァインにある星欧最大級の常設館も、作られてから一〇年以上経つ、と。

 出し物たる情景絵は、塗り替えられて変わることもある。

「すると。改めて人気が出たのは、内容に変化があったのだな?」

「ご名答。ネニング平原会戦になった。中央の観覧客をディアネン市に見立て、四周ぐるりとオルクセン軍が包囲している、そんな構図になっているらしい」

「なるほど。なるほど、な・・・」

 戦勝気分に相まって、それは人気が出るだろう。

 入場料五〇レニで、一日三五〇〇名の来客があるという―――

「首都に戻ったら。行ってみるかい? アンファウグリア旅団も描かれているそうだ。とくに人気なのは、その部分だとも書いてある」

「・・・ありがとう。それは光栄至極だが―――」

 ディネルースは目頭を揉んだ。

「貴方が、旧エルフィンドをどう扱うかに依るのではないか? 内容が内容だ。行幸が報道に乗り、ベレリアンド半島に伝われば、それそのものが圧力、あるいは支配者の奢りと捉えかねられない―――」

「・・・・・・」

「占領政策上、そのような報道が必要だというのなら、喜んで御供する。そうでなく、単に私への気遣いだというのなら。止めておこう」

「・・・ふむ」

 グスタフは少し考え、頷いた。

「君の判断は正しいように思う」

 彼は嬉しそうだった。

「私は君に出会えて本当に良かった。ディネルース、もし君が迷惑でなければ―――」

「うん?」

「これから、私が何かの判断に迷うようなことがあれば、相談に乗ってくれると嬉しい。助言とまで肩肘を張らずとも、ただ耳を傾けてくれるだけでも構わないし、何か感想や意見があれば素直に口にしてもらって構わない」

「・・・勿論だ。私は、どのようなときでも貴方の助けになりたい。ただしこの場合、ふたりきりのときにならば、な」

 己が、臣下のいる前でまつりごとに口を出すのは良くない、という含意だった。

 グスタフが、俗世政治に王妃の介入を許していると噂が立てば、夫にとって好ましくないだろう―――

「ふたりのときにならば、か。うん、やはり君は素晴らしい。ありがとう」



 既に、狩猟シーズンは始まっていた。

 オルクセンの場合、九月には雷鳥、鴨。一〇月には雉猟が解禁されて、シーズンの本番を迎える。

 ヴァンデンバーデンの離宮には、その背後の庭園の境界から一体となるように猟場があった。自然林、湖沼などを取り込んだもので、約一・二平方キロメートル。

 周囲を水壕や土提、柵などで巡らせ、一種の囲い地になっていて、鹿なども逃げられぬようにしてある。森林官の資格を持つ専属の管理者がいて、狩猟権の持ち主は土地保有者―――ヴァンデンバーデン離宮の場合、グスタフということになった。

 このような半ば人工的に作られた猟場の場合、持ち主にせよ来賓にせよ、狩りを楽しむ者は園内に設けられた小屋や壕に潜み隠れ、待ち伏せし、猟犬や勢子の追い立てた獲物に撃ちかかるかたちをとる。

 たぶんに遊戯じみている。

 野趣は薄いが、それゆえにルールもあった。

 ただ撃てば良いというものではなく、鳥撃ちなら鳥撃ちで、もっとも高くを飛んでいるものを撃つ。そうやって五ヶ所、六ヶ所と射撃地点を移動し、撃ち落とした獲物の数を競う。

 ディネルースはこの狩猟シーズンのために、金属部分の彫刻も見事なバレッラ・ウント・ボック社製の水平二連散弾銃を二丁ペアペアーガンでグスタフから贈られた。

 二丁一組なのは、このような狩猟の場合、射手には専属の助手が一名ついて、そちらが弾込めまでやってくれるからだ。射手は銃を持ち替え、また持ち替えて撃つ。

「心ゆくまで楽しんでくれ」

 グスタフは彼女と競うのではなく、この助手役と、勢子たちの差配をやった。

 何しろ彼には、とっておきの“相棒”がいた。

「頼むぞ、アドヴィン」

「お任せを、我が王」

 この灰色の巨狼は、鼻の利くコボルト族や、俊敏なオーク族の勢子たちを引き連れて、実に巧く獲物を追い立てた。

 ふたりでツイードの狩猟服を着込んだディネルースとグスタフは、待ち構えているだけでよかった。

 グスタフはディネルースを楽しませることに専念しており、その太くごつい指でよくもそれほど器用に銃を扱えるものだと思えるほど素早く弾を込めて妻に手渡したし、彼自身も狩猟の経験者だったから移動などの際には中折れさせて安全に取り扱うことも抜かりなかった。

 おかげでディネルースはこの日、鴨だけでなく、二羽のキジバトも撃つことが出来た。総じて一〇〇羽ばかりにもなった。

 最高の気分であった。

 彼女にしてみれば、久方ぶりの狩りだ。心躍ったし、夫の「助手」としての働きは見事なものだった。あれほど多弁なひとが、あまり口を出さず、ディネルースの思うままにやらせてくれた。

 昼食は、猟場の端に位置した門番屋敷で摂った。

 田舎風の木材と漆喰で出来たそれは牧歌的で、待ち構えていた料理長ベッカー以下調理部が用意した「狩猟仕立て」の料理とともに、ふたりを楽しませた。

 サヴォア産白サラミ、ひばりのパテ、鹿肉のヴルスト。

 ヤマドリタケ入りのオムレツ。

 野兎のシチュー。

 “野砲装薬嚢”型ハム。

 ジャガイモの農家風温灰焼き。

 星洋梨の赤ワイン煮。

 ふたりは予め相談していて、獲物の大半を自らの使用人たちや、首都の閣僚たち、ベレリアンド占領軍総司令部のシュヴェーリン元帥などに贈ることにした。

 あとは、あの何事にも手抜かりのない執事フィリクス・アルベルトの出番だった。

 アドヴィンや勢子たちが「拾い集めた」猟果を、アルベルトは調理部に下処理させ、離宮の猟鳥獣肉保管室で熟成させた。

 猟で得た肉は、そのようにすると旨味が増す。対象や好みの具合にもよるが、まずは二日から一〇日といったところ。

「空気銃や網猟ならば、羽根や内臓もそのまま熟成させても野趣があってまた結構ですが。今回は散弾銃でございます。丁寧に下処理し、血抜きしておくのがよろしいかと」

「うんうん。その辺りは任せるよ、アルベルト」

 冷却系刻印魔術式金属板付きの木箱と、氷室から天然氷も用意された。遠方地への贈答用である。こちらは輸送日数と熟成日数を勘案して送り出される―――

 何日かして、グスタフとディネルースの晩餐には、キジバト料理が出た。初猟の祝いということになる。

 キジバトの赤ワイン煮込み。

 熟成を経たうえに、一度ローストしてから煮込むという手の込んだ調理法で、丸々一羽供されたそれは最高の品だった。元々キジバトは、鴨ほどに臭みがない。まるで上品で、肉質も精緻で、よい脂がのっていた。

 この日は、召使や近侍といった者たちも別室で酒宴を催す許可が出て、猟果とともに酒なども振舞われ、無礼講ということになっている。

「キジバトは縁起物でもございます―――」

 あのピンと張った燕尾服姿のアルベルトが言った。

「ここ星欧では、夫婦仲睦まじきことの象徴でございます。ささ、お召し上がりくださいませ」


 

(続)

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