オークのグルメ⑨王室御用達とアンズタケ

 ―――「王室ケーニックリヒェ御用達・ホフリフェラント」という制度は、オルクセンにも存在した。

 正確にいえば、星暦八七七年八月の国王夫妻成婚以降は「国王御用達」と「王妃御用達」の二通りがあり、両者ともから御用達認定を受けた場合を「王と王ケーニヒ・ウント・ケ妃の御用ーニギン・ホフリフェラント」といい、後年には通称「K.U.Kケー・ウント・ケー」などと呼ばれた。

 食品や食材、服飾、靴、日用品などといった商品、あるいは様々なサービス。

 むしろ存在しなければ、王室の暮らしは成り立たない。

 オルクセン王室へ商品やサービスを提供する企業もしくは国民に送られるもので、その対象は実に多岐にわたる。認定を受けると、認定証明書が送られ、店舗や商品に王室の紋章と授与された旨の文言の使用が許可された。

 対象となったのは殆どがオルクセン国内であったが、海外という事例もあった。

 グロワールの海藻石鹸やシャンパン、チーズ。イザベリアのシェリー酒。エンリケスのポートワイン。エトルリアのリキュール。エイランド島のウイスキー。

 認定を授与されることは、たいへんな名誉であり、ステータスにもなり、つまり効果的な宣伝広告にもなった。

 一例を挙げれば、ベレリアンド戦争において缶詰製造に活躍したブラウ・フラッゲ社。同社はビネガー、マスタード、ジャム、ピクルス、ザワークラウト、豆類といったものの缶詰や瓶詰商品などで戦前に認定を受けており、その後、オルクセンにおける代表的な食品会社となって販路を全土に広げ、存続した―――

 星暦八七七年一〇月、そんな王室御用達の認定を受けた店の幾つかから、責任者と腕利きの職人たちがヴァンデンバーデンの離宮を相次いで訪れた。

 首都ヴィルトシュヴァインにあるテイラー、ファスケッセル・ウント・ミュントマン。

 同じく、靴店ダーネボルグ。

 帽子店ボルヒャルト。

 手袋店テアーコーフ。

 狩猟服店ホフマン・ウント・ヘルマン。

 馬具商ヨアヒムスタール。

 皆、以前からグスタフの「国王御用達店」だった。例えば“ファスケッセルとミュントマンの店”は、グスタフの軍服や私服を仕立てていたテイラーだ。

 納品に訪れたのだ。

 ただしこのときの相手はグスタフではなく、ディネルースだった。

 どれもこれもオルクセンの富裕層や洒落者では知らぬ者のない、オーダーメイドの高級店だったから、二度ほど採寸や仮縫いを経てからのことである。

 彼らの徹底した職人ぶり、素晴らしい技術、慇懃かつ丁寧なサービスに、ディネルースは舌を巻いたものだった。

 採寸、仮縫い、再修正、仕上げ。

 どの店も一度測った型は、三〇年は保管しておくという。 

 ディネルースから希望したものではなかったものの、気がついたときにはグスタフが呼び寄せていた。

 ベレリアンド半島から引き揚げてきたときで、彼らはオルクセンと旧エルフィンドの国境部である北部州ラピアカプツェまで出向いてきており、車内で採寸をやり、電信を使ってそれを本店に送り、ただちに仮縫いや型作りにかかるという徹底ぶりだった。

 ちょうど彼女が、今後どのような服装をしたものか、多少なりとも「女らしい」格好をしたほうが良いかと悩んでいたときだった。

「無理することはない。そのままでいいよ」

 グスタフがそう言ってくれたのも、御用達認証制度の説明を受けたのも、このときだった。ディネルース、君にとって好みの店は君自身で見つけるといい、彼らを同じように使う必要もない―――

「私に贅沢を覚えさせる気か、グスタフ?」

 宝石商まで呼ばれていたら、どうしようかと思ったところだった。

 成婚記念に、見事なダイヤとサファイアの胸飾りを贈られたばかりだったのだ。

「まあ、妻に好みの服を着せてやりたいのは、惚れた牡の弱みというものだ。それに、君は本当に何を着ても似合うと思う」

「・・・・・・・」

 求婚を受け入れ、結婚してみると、彼は変わったように思える。

 悪い意味ではない。

 決してそうではなかった。

 ディネルースが愛妾でいた間の彼もまた、あれこれ贈り物をしてくれたが、いまから思うと何処かで境界線のようなものを引いていたのだ。それぞれが背後に抱えていた事情から、そのように自制してくれていたのだろう。

 夫婦になってからというもの、毎日のように愛を囁いてくれる。

 ―――このひとは。本来、随分と女に甘いひとなのだな。

 およそ、世間で噂されている「男」の真逆だ。

 口説くときは熱心だが、妻になれば冷たくなる者ばかり、そんな話はよく聞く。

 グスタフはそうではなかった。

 まるでそうではなかった。

 照れ屋であるところはそのままだったから、無垢であり、純真で、懸命であるようにも見えた。

 ディネルースの趣味嗜好を尊重してくれてもいた。招き寄せたのは彼の御用達店ばかり、つまり本来は紳士用の店ばかりなのだ。女性者も扱ってはいたが、他国では男装と呼ばれているものに相当する今の服装のままでいいと言ってくれているに等しかった。

 諫めようかとも思ったが、無碍にも出来ない。

「では―――」

 ディネルースは素直に彼の申し出に従うことにした。

 アンファウグリア旅団の軍服を基調にした、騎兵将校仕立てのものをニ着。

 オルクセン陸軍の騎兵科常装軍服を四着。

 騎兵の肋骨飾り風に装飾の帯がついたフロックコート。チョッキ、フィット感のある乗馬用キュロットと組み合わせで。

 繻子目羅紗を使ったダブルブレストのフロックコート、灰色のチョッキ、白の乗馬用キュロットと。

 ツイード生地でラウンジコート風に仕立てた狩猟服。

 夜会用に、品のあるブルーのドレス。流行の襟と肩のかたちで。

 腰を絞ったデザインの、茶会用ドレス。

 バルモラルブーツを二つ、ボタン・ブーツを一つ、乗馬用ブーツを二つ。

 キツネ狩りの狩猟帽、ベルベットを使ったグロワール風の女性帽。

 立襟のシャツ七着をはじめ、幅のあるタイ、手袋、襟巻、ウールの肌着、シルクの寝間着、などなど。

 流石に一度に全てが届けられたわけではなかった。とくに最高級の靴はたいへん手間がかかり、採寸から約半年、採寸木型がある場合でも三か月から四か月はかかるというので、このときはまだ間に合っていない。

 締めて、二五〇〇ラング。

「・・・・・・・」

 必要なものだけを積み上げたつもりだったが、気づけば、なかなかの価格になっていた。

 日常用に加え、グスタフがこの休暇の最後は鴨狩りを開いてくれるというので我らしくなく燥いでしまったのが悪かったように思う。

 革づくりの負革つきケースまで仕立てた、ピューター製フラスクを作らせたのが拙かったか。エイリッシュ・モルトを入れてやろうと、三五〇ミリリットルの。

 陸軍少将時代の月給の過半が吹き飛んでしまうほどの「濫費」ぶり―――

 ディネルースは、たちまちのうちに申し訳ない気分になってしまった。

「心配するな。幾ら我が王室が慎ましいといっても、まず適正といったところだろう」

 グスタフは、くすくすと笑った。

 オルクセンでの「上流階級」に相当する、さる御婦人はドレス一着に八〇〇〇ラングも使ったことがあるらしい、私でもそこまでの服は着たことがない、と彼はいう。概ね、上流だとされる階層の社交的な女性は、年に五〇〇〇ラングから六〇〇〇ラングは使うそうだ、とも。

「それよりも。その素晴らしい乗馬服姿をもっとよく見せてくれ、ディネルース」



「御用達店たちも、懸命なんだ」

 昼食を摂りながら、グスタフは彼らがどうしてこれほど迅速な対応を示したのか、推測してみせた。

 どの店も、例え相手が誰であろうと手は抜かない一流店ではある。

 だが、

「君の認証は、まだ何処にも発行されていない。その最初の店ともなれば・・・」

「なるほど」

 前菜の、とろけるようなベアグルンドハムのムースを摂り終えたところだったディネルースは頷いた。

 来客もない日だったから、まったく寛いでいる。

 場所も、巨大なテーブルが中心に座っているゆえに互いに距離さえ感じてしまう正餐室ではなく、夫婦だけで憩うように食事の摂れる応接間だった。

「しかし、弱ったことだな」

 つまり、こうだ。

 王妃ディネルースへの国民からの人気は高い。戦勝気分と相まって、ありがたいことに日増しに高まるばかり。

 その初の御用達認証を受けたともなれば、店にとってたいへんな宣伝効果になる。

 王妃というものは、何処の国でも流行の発信源のような扱いを受けるところがあり、千客万来間違いなし、というわけだ。

 だからどの店も懸命なのだ、と。

「気にすることはないよ。一度使ったからといって御用達に指定しなければならないという決まりもないし、上限があるわけでもない。君が本当に気にいった、継続的に使う店を選ぶといい」

「それはわかるが・・・」

 御用達認証は、簡単には授与されない。

 実にオルクセンらしく運用上の規定が既にあり、国王官房部による審査まである。

 ―――五年以内の利用や納入があること、もしくはその見込みがあること。

 例外もあるが、一度や二度使ってみただけでは認定されない。「お試し」ということも有り得るからだ。

 ―――価格は適正であるかどうか。

 この場合の適正とは、高過ぎないかどうかだけでなく、不当に値引きされていないかどうかまで考慮される。王室が認証対象に無償で提供させることはなく、それゆえに適正であるかどうかでもあるし、例えばライヴァルを蹴落とすために過剰な値引き競争まで行われていれば、好ましくない。

 ―――対象のクオリティ。

 国内のみならず、海外の目もある。対象によっては国賓への供応や贈答に用いられたり、その賓客そのものからの利用に繋がることも有り得るから、商品にしてもサービスにしても、王室が認定するに相応しい、一定以上の品や質が求められる。

 また、これを維持することが出来るかどうか。

 ―――認定をうける者や企業に信頼性はあるか。

 これもまた同様。例え企業が授与されたとしても、経営体制が大きく変動するであるとか、代替わりがあればクオリティが維持されない可能性がある。

 どの項目も五年に一度再審査まであり、認定の取り消しや返納も有り得る。

「ますます面倒だな」

 ディネルースは呻いた。

「そう肩肘張らずとも。例えば、ヴァルトガーデンの南端にイーディケというカフェがあるのだが―――」

「ふむ?」

「ここはアイスとシャーベットの美味い店で。私が散歩の途中に寄ったことがある、というのが授与理由だ」

「・・・美味いのか?」

「ああ、美味い」

 ディネルースは、笑いをこらえきれなくなった。首都に戻ってからの楽しみが増えた、というわけだ。

 ちょうどスープがきた。

 その匂いと湯気、具材とに彼女は心躍った。

「アンズタケのミルクスープ・・・ もう、そんな季節か」

「ああ」

 ヤマドリタケやマッシュルームも入っていた。

 牛乳とバターがたっぷりと使われていて、とろみがあり、コンソメによる出汁もしっかりとしていれば、玉葱の風味と、黒胡椒によるアクセントもあった。彩りには、控えめにちらしたパセリ。

「これは温まるな」

「うん」



 ディネルースは、彼女をよく知る周囲からすれば、少しばかり意外な相手に初の御用達認証を送った。

 ヴァンデンバーデンにあった、ノイマンという小さな小さな薬局だったのだ。

 正確にいえば、この薬局で作られていた化粧水。

 地元の軟水を使い、エルダーフラワーの精油を水蒸気蒸留法で抽出し、配合したもの。

 驚くほど肌がしっとりとし、柔らかくなるように感じた。

 ヴァンデンバーデンのあの蒸し風呂で使ってもらい、知ったのだ。

 ディネルースは、ふだん化粧を用いなかったが、化粧水とスキンミルクによるケアは行っていた。これは特段彼女が無精だったわけではなく、ちかごろは世間でも化粧は余りやらない方が流行りだったのだ。むしろ過剰なものを嫌う傾向にあった。

 乳液は、戦前にグスタフから教えてもらったあのアクア・ミラビリスのものを愛用していたが、化粧水に関して言えばまだ気に入ったものがなかった。

 化粧水を買うという行為そのものも、彼女には贅沢なことに感じられていた。

 なにしろ故郷では、ダークエルフ族は皆それぞれ自家製で化粧水を賄っていた。

 もっとも簡単な方法は、やはりエルダーフラワーを用いたもので、盥に束にして入れ、お湯をかけて作った。

 ところが、件のノイマン薬局店のものはまるで違った。

 本当にこれが同じエルダーフラワーなのか、と。

 水が違うためか、それとも何か抽出方法が優れているのか。

 ともかくも、それを愛用することにした。

 以前もそうだったが肌触りが良くなったと、グスタフも喜んでくれている。

 ヴァンデンバーデン滞在中はもちろんのこと、瓶詰のものを首都帰還後にも送り届けてもらう契約を結ぶ―――

「そうか。良い店が見つかったか」

「ああ、最高の品だと思う」

 グスタフに告げたとき、ディネルースは少し迷ってから、理由は化粧水を気に入っただけではないのだ、と説明した。黙っておこうとも思っていたが、いずれ認定の審査段階で彼には知られる。

「ふむ?」

「セラピストたちから聞くともなく耳にしたのだが、ノイマン薬局店はいま未亡人が懸命に切り回しているそうで、な・・・」

「うん?」

「ご店主だったノイマン氏は、昨年亡くなっている―――」

「・・・・・・」

「アルトリア攻囲戦で」

「・・・・・・・・・そうか」

 グスタフは少し俯き、カルヴァドスを飲んだ。

「・・・私は良い妻を持てた。出来れば、その店、永く使ってやってくれ」

「もちろんだ」

 そう、私は王妃になったのだ。

 彼の妻に。

 これは、彼とともに、私も抱えていくものだ。



(続)

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