オークのグルメ⑦外交と金貨と白身魚
―――
オルクセン全土で、概ね九月下旬から一〇月下旬にかけて開かれる国民的祭典だ。開催期間は、各地で少しばかり異なり、九月中旬から一〇月初頭というところもある。
歴史は意外に古い。
これは本来、ビール醸造の新季を祝うために国内各地で自然発生的に生まれた土着の祭礼が、やがて全土で結びつき、広まったものであった。
大地の豊穣に感謝して、一年の恵みを祝う―――というのは、どうやら後でつけられた理由であるという。
オルクセンは、年間約七〇〇〇ヘクトリットルものビールを醸造する。これは同じくビールを愛する国として有名なキャメロットのそれより凡そ二割多く、周辺国の二倍から三倍にもあたるという、ちょっと信じられないほどの量だ。
つまり、それほどビールを飲む。
豊穣祭も、その開催理由など最早どうでもよく、「とにかく酒を飲んで騒げる期間」というわけだ。
ビールは、まったく庶民の飲み物であった。
オルクセンでは、まるで安い。税は低く設定され、それでいて質を保つための法があり、更には一杯当たりこれくらいの量まで注ぎなさいよという法まであったから、誰しもが安心して飲めた。
星暦八七七年の豊穣祭は、異様なほどの盛り上がりを見せた。
なにしろ、ベレリアンド戦争の戦勝と動員解除とに重なったのだ。盛り上がらないわけがなかった。
戦勝祝賀や凱旋パレードが、そのまま合わさって豊穣祭に突入してしまったようなものだった。
各地で花吹雪や紙吹雪が舞い、快哉が叫ばれ、歓声が上がった。
ずっと後年になって、豊穣祭にはその開幕時に民族衣装で着飾ったパレードが付き物となるが、その習慣はこのときに出来た。
「たいへんな騒ぎだな・・・」
オルクセン駐箚キャメロット公使クロード・マクスウェルは、首都ヴィルトシュヴァインのケーニヒスガーデンを訪れていた。
このオルクセン首都における最大にして最古の公園であり、位置的にはあの国王官邸にも近いヴァルトガーデンの西隣になる。
両者は道路一本を挟んでいるだけで一体のものと見なすこともでき、新市街と旧市街の中間にあってその面積は広大であり、南には首都最大の商業街があった。
このケーニヒスガーデンとヴァルトガーデンに、仮設の巨大なビアホールを中心として、約四〇〇の出店が集い、オルクセン国旗や国家色の横断幕や燦然としたアーク電灯で彩られている。ヴィルトシュヴァインにおける豊穣祭最大の祭典会場となっているのだ。
オーク族がいて、コボルト族がおり、ドワーフ族の姿も。
民族衣装を着飾った、運営委員会や醸造所雇用の巨躯のオーク族女給たちが、ひとりで八つや、あるいは記録級となると一〇個もの陶製ビアジョッキを抱えて、屋外テーブル席の客たちにビールを配りに行く。
マクスウェルの手元にも、届いた。
白く、溢れんばかりの繊細な泡。
その下には、明るく輝く黄金色の液体があり、澄んでいるはずだ。下面発酵のピルスナー。
料理も来た。
回転式の移動オーブンで焼き上げられたヴルスト。巨大な豚腿肉の焼き物。固焼きで塩気があり、独特の形状をしたパン。
「・・・本当によろしいのですか、公使?」
同じテーブルについた公使館員二名が、案じ顔で言った。
このような場所で飲食に及ぶのは、「キャメロット紳士に相応しくない真似」だとの指摘である。
母国キャメロットでは、屋台での買い食いなど下層階級の者のやることだ。
ただし、オルクセンでは少しばかり事情が異なる。彼らは、あまりそういったことを気にしない。祭りの席では、とくに。
「ロムルスにありてはロムルス人のように振舞え、さ」
マクスウェルは、意に介さなかった。
前任者であるアストンほどではないが、マクスウェルは赴任地の文化風習について理解を深めたいと願う公使だった。そのためには、庶民と触れ合ってみるのがいちばん良い。
昨年この国に赴任したばかりのときにも、ヴァルトガーデンの朝市を、おずおずとではあったが覗いてみた。遠目に、例の有名な国王の「朝市通い」を目撃することが出来た。まさかあのとき伴われていたダークエルフ族の将官が、王妃にまで昇り詰めるとは思ってもみなかったが。
マクスウェルはビールを飲み、肉料理を幾つか試してみた。
美味い。
まったく庶民のものなのだが、実に美味い。
おまけに安かった。
五〇〇ミリリットルジョッキのビール一杯、三二レニ。
屋台のヴルスト四本で、八レニ。
ポタージュ一杯が、同じく八レニ。
呆れるほどのボリュームのある、おまけにたっぷりとジャガイモも添えられた豚腿肉の焼き物が、四六レニ。
全て合わせて、一ラングもいかない。
マクスウェルは、チップを一割ほど含ませたラング銀貨で支払いを済ませた。
彼をはじめキャメロットの者の感覚で言えば、オルクセンの諸物価は母国の九割ほどといったところ。
これは、グロワールと大差がない。
ただし、この狭いばかりに思える星欧大陸内といえども国柄や国情というものはあり、例えばワイン生産大国であるグロワールではワインが安く、オルクセンではビールが安い。そんな差異はある。生産量や気候といった理由の他に、酒類などは各国で課税体制も異なるからだ。
「オルクセンの物価は、完全に元の線に戻ったわけだな」
「戦争中には僅かに上昇もしましたが。見事なものです」
これには公使館員も同意した。
列商各国の貨幣価値に大きな変動がみられなくなって、半星紀以上経つ。
物価の騰貴は、戦争や飢饉で起こるものであって、過去の例は二〇パーセントから三〇パーセントの上昇といったところ。
ところがオルクセンは実に上手く市場価格を操り、ベレリアンド戦争を乗り切った。物価上昇はほんの僅かであり、一部の品目でしか起こらず、しかもそれは完全に復した。
マクスウェルらは、それを皮膚感覚として理解した。
「さあ、食べよう。私は外交官としては傍流の軍人出身だが、ときには軍隊式の蛮勇も良いものだよ」
外交とは、休まることを知らない、怪物のようなものだ。
この年、既に星欧外交界の耳目は、ベレリアンド半島から別の方面へと移っている。
四月になって―――つまりベレリアンド戦争が終結を迎えようとしていたころ、ロヴァルナとイスマイルの間で新たな戦争が始まっていた。
前年来、星欧東南の地ヴァルカン半島でイスマイル帝国支配下にあった諸民族の一部が蜂起し、これにロヴァルナが介入するかたちで起きた。
本来ならこのような動き、キャメロットなどはロヴァルナの南下を阻止するためにイスマイルを支援しただろう。一〇年ほど前にこの方面で起きた戦争では、そのような経緯を辿った。
ところが、蜂起した諸民族をイスマイルが数万も虐殺したというので星欧社会には衝撃が走り、彼らは何処の国からも支援を受けられなくなった。
この流れ、どことなくベレリアンド戦争に似ていなくもない。
七月には、激戦地となったヴァルカン半島の峠をロヴァルナが制し、戦争は彼らの優位となり、いまはイスマイル帝国本土の東部で主たる戦闘が続いている―――
また、来る星暦八七八年の開催を目指して、センチュリースター合衆国が音頭を取り、第二回国際貨幣会議の準備が行われていた。
前回の会議は八六五年にグロワールの主催で開かれ、将来的には金を唯一の決済通貨とする方向を目指すこと、国際間における銀貨純度の統一などを定めた。
今回は、将来の国際間決済において果たしてキャメロットの採る金本位制へと各国が移行するのか、グロワールやオルクセンなどが星欧各国間交易の中心的役割を果たしている金銀複本位制を維持させるのか、また星欧伝統のものであり新大陸でも採用されている銀本位制を継続させるのか、話し合うことになっている。
ところが。
金本位制国でありながら、銀貨の廃止は望ましくないと思っている国家。
金銀複本位制国であるが、覇権的金貨の鋳造により国際関係を主導したいと願う国家。
現状を維持して通貨を安定させ、利鞘商売を続けたいと腹積もりしている国家。
現状は銀本位国なのだが、表向き金銀複本位制へと移行してその実の目的は銀貨の継続につなげようと企図する国家、などなど。
各国の外交関係の上に、それぞれの商業論や経済論や財政論も絡んで、いったい何が何やらという状態である。
当然ながら、外交官たちは腹の探り合いをやる。
周旋や仲介へ向け走れば、情報も集める。
その「探り合い」の主要舞台のひとつが、ここオルクセンであり、その首都ヴィルトシュヴァインだ。
何しろオルクセンは、前回のロヴァルナとイスマイル及び諸国間の戦争で、仲介役をやっている。グロワールと並ぶ、金銀複本位制国の巨魁でもある。
曰く、ロヴァルナとオスタリッチの間に相互不干渉の秘密協定が結ばれた。
曰く、そのオスタリッチが、イスマイルでの利害関係上は星欧一中立の立場にあるオルクセンへ将来の和平周旋を願い出ている。
曰く、センチュリースター合衆国の公使が国際間決済における銀貨維持への協力をオルクセンに依頼、対抗するようにセンチュリースター南部連合も動いている―――
「合衆国も南部連合も、内戦中に発行した不換紙幣の回収に苦労していますからな」
「ヴァルカン半島については、オルクセンも局外中立に動きました」
「どうも、エルフィンド降伏への干渉からロヴァルナが急速に手を引いたのは、オルクセンとの間に妥協が成立したからのようですね」
「我が国の利権とも絡んでくる。面倒な話だ」
結局のところ、オルクセンはどうする気なのか。
新たな戦争の和平周旋にしても。
国際通貨会議における流れを決定づけるのも。
オルクセン次第といった部分が、濃厚にあった。
グロワールも似たような立場にあったが、彼らはイスマイルに関していえば前回の戦争の当事国であり周旋役には向いていないと各国からは思われており、通貨問題については日和見的である。
マクスウェルは、どうにかしてオルクセンの腹積もりを探ろうとしているが上手く運べているとは言い難かった。
オルクセンの外交を主導する立場にあるグスタフ・ファルケンハイン王が、ベレリアンド戦争と成婚後の休暇静養に出たまま、まだ戻ってきていないのだ。外務大臣のビューローは首都に残留しているが、彼の口は堅かった。
「グスタフ王次第、か―――」
マクスウェルは呻いた。
首都ヴィルトシュヴァインから、直線距離にして西北西に約四〇〇キロ。
ヴァンデンバーデン離宮の一室で、グスタフ・ファルケンハインは自らの趣味上の蒐集物、その一部を慎重な手つきで扱い、眺めていた。
エルフィンドの二〇ティアーラ金貨。
アスカニアの旧ターラー銀貨。
合衆国のブルーバック不換紙幣及び、南部連合のグレイバック不換紙幣。
「見事なものですな」
グスタフの元を訪れていた財務大臣マクシミリアン・リストは、感嘆した。
「例え、いまは誰も見向きもしなくとも。世の流れから言って、いずれ失われてしまうものばかりです」
「うん―――」
グスタフは、ちょっと稚気を滲ませて頷いた。
「・・・それで。通貨会議はどうみる?」
「おそらくですが・・・ ぐだぐだになって終わります」
「なるほど、な。うむ、そうなるだろうな」
世界の潮流は、金流通量の増加により、いずれ金本位制へ移行するだろう。眼前の貨幣たちは、みな失われる。
だが、すぐにはそうはならないというのが、リストの読みであった。
キャメロットは「世界の銀行」たる金本位制国であり、表面上は国際環境の金本位制への移行を強く望んでいるように見えるが、実際には銀本位制の海外植民地や交易相手国を抱えていて、銀貨が無くなっても困るという立場。
グロワールは、盟主を務める通貨同盟の加盟国が金本位制への移行に熱心であるにも関わらず、従来の金銀複本位制を捨てきる決心もついておらず、また国内金融業者保護のためにも急速な移行は困難。
銀本位国のアスカニアやオスタリッチは、なまじ経済規模が大きいため、金本位制に移行するには大量の準備金を用意せねばならず、少なくとも現状は不可能。
ロヴァルナは戦争の真っ最中で、国際会議どころではない。グスタフ王の腹積もりとしては、いずれ仲介は引き受けてやることになるが。それで外交上は貸し借り無しの関係から、貸しばかりになる。
南北センチュリースターは、言うまでもない。最初から根回しを図るほど、自国らが本位貨幣としている銀貨の維持を望んでいた。
オルクセンはといえば、キャメロットと星欧大陸の銀本位制国との間の中継国になることで、交易でも稼ぎ、金融上の利鞘商売でも稼いでいる。
「・・・欠席してもいいかもしれないな」
グスタフは、列商国外交筋なら意外がるに違いないようなことを言った。
「欠席ですか」
「うむ。あるいは出席しても、立場は明確にしない。そうして時間を稼いでおいて、我が国は・・・」
「・・・公式には複本位制の仮面を被ったまま、銀相場の急変動時には自由鋳造を止め相場を調整、実質的な金本位制の利も頂く、と」
「うむ。それまでは金準備高を増やし続け、周辺環境が整うのも待つ。それで、外交上は誰からも恨まれない。南北センチュリースターには、立場に同情してやる感想を送る。同意でもなければ書簡でもないぞ? 同情と非公式の感想だ。そのうえで現状の維持を図る―――」
「・・・・・・」
「
失礼します、と執事のフィリクス・アルベルトがやってきた。
リストの来訪を受けてグスタフが準備させた、昼食の用意が整ったという。
脂が乗り、決して落ちてはいないところの、まるまると秋太りの鱸を使い、薄く衣を纏わせ、塩コショウで炒める。
薄切りの玉葱、ニンジン、ブーケガルニ、サフランなどをコトコトとじっくり炊いたスープストックを用意し、さきほどの鱸をたっぷりと深皿に浸し、オーブンで焼き上げる。
―――ごくり。
リストが生唾を飲むのが聞こえた。
「まるで黄金のスープに浸かった鱸だよ。白身魚の金貨風という。まあ、食っていけ」
(続)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます