オークのグルメ③ダークエルフと白ビール

 星暦八七七年夏、首都ヴィルトシュヴァインにアンファウグリア旅団は帰還した。

 凱旋である。

 一度に全ての部隊が、というわけには行かなかった。彼女たちは八月上旬から下旬の、約一〇日を掛けて、指定部隊ごとにベレリアンド半島を去っている。

 これは、「動員解除組」となった陸軍部隊のなかでは後発寄りに相当した。

 五月にエルフィンドの降伏が発効したとき、まず旅団が行ったのは、それまで戦闘に備えてほぼ常に用意していた前哨線の撤去であり、それ以降は占領地の警備や武装解除及び復員の監視、帰還に向けた宿営が主たる任務であった。

 前哨線の設置は、舎営には付き物、欠かせぬものと見なされてきた行為だ。

 この撤去には、拭いきれない違和感に襲われる者も多く、つまり彼女たちはそれほど戦闘に身を浸していたわけである。

 膨大な数のエルフィンド復員兵が、街道を埋め尽くすように去っていくのを見た、旅団のとある兵は、

「ざまあみろ貴様ら! この悪魔ども! 私たちの仲間を返せ! 私たちの中隊長を返せ! 私の人生を返せ!」

 と、拳を突きあげて、まるで慟哭のように叫んだものだった。

 これは両軍間の騒動を避けるためには好ましからぬ真似だったが、エルフィンド兵たちは目を伏せ、オーク族の野戦憲兵隊も見て見ぬふりをしてくれた。

 そういった緊張は、徐々に、おずおずと、生還への喜びと、その実感へと転じ、やがて弛緩へ移っていった。

 そうなると、囁かれるのは帰還のことだ。

 士官にしろ兵にしろ、ふたり以上集えば、話題は凱旋となるのは自然な情というものである。

 ベレリアンド戦争における旅団最後の戦没者は、この時期に出た。

 チフスに感染した工兵隊の大尉が、治療の甲斐なく身罷り、これは旅団会報でも戦後の滞陣の注意事項として知らされたので、皆を悲しませた。

 葬礼が行われるとともに、将兵たちには適度な運動、舎営地の清掃整頓、被服の洗濯、入浴の励行、軍医による定期的な健診の実施が求められた。

 部隊を、有閑が包んでいった。

 将校たちは兵事週報誌や民間雑誌、新聞、小説などを回し読みしたり、軍の作戦や制度について上申書を作ること、机上演習などに務め、また休暇には旅団内や隣接部隊間の相互訪問が流行った。

 兵たちには、士気と練度の維持のためにも平時と変わらぬ訓練体制が図られることになったが、下士官たちがどれほど怒鳴っても、どこか身の入らぬものになったのは無理からぬところである。

 彼女たちは、慰問会や、小宴や、周辺観光地の訪問などを何よりの楽しみにした。

 部隊の正式な帰還予定日が発表されたのは、六月に入ってからのことである。

 ―――まだ二カ月ある。

 多くの将兵は閉口し、落胆し、不平不満を持つ者もいたが、発表と同時に行われた全旅団挙げての戦勝祝賀会はたいへん盛り上がったし、振舞われた酒肴には大いに溜飲を下げた。

 この直前。

 司令部に参集した旅団の幹部たちは、緘口令を敷かれつつも、ディネルース・アンダリエルから自らの旅団長転出予定と、大佐に昇進したアルディス・フォロスリエンの旅団長心得就任予定―――そして、ディネルースが国王グスタフの妃になることを知らされた。

「あー・・・つまり、なんだ。そういうことになった」

「・・・・・・・」

 少しばかり赤面し、咳払いを過剰なほどをやり、珍しくも歯切れの悪さまで示したディネルースからその事実を知らされたとき、みな最初はきょとんとし、ついで言葉の意味するところを理解すると、快哉を叫んだ。

 ベレリアンド半島に最後まで残ったのは旅団司令部の大半とアンファウグリア騎兵第二連隊で、エンテンネスト収監所の警備、戦勝パレード、それに国王グスタフとディネルースの成婚式に立ち会った。

「姐様が、王妃様になるとはなぁ・・・」

「また、どえらい大物を仕留められたわけですな」

「我らが王も、大したものだよ」



 ヴァルダーベルクへの凱旋で、アンファウグリア旅団は大歓迎を受けた。

 残留して民生にあたっていたダークエルフ族の者たちはもちろん、周辺住民も彼女たちの活躍を知らぬ者など最早いなかった。

 戦役の先頭に立ち続け、活躍をし、祖国に勝利を齎す一翼を担い、ついには王妃まで輩出した彼女たちは「英雄」だった。

 紙吹雪が舞い、歓呼の声は途切れることなく、居酒屋やビアホールや住民たちからは「まずは何がなくとも一杯」と祝酒や料理が盛大に振舞われたものである。

 首都ヴィルトシュヴァインの住民全体も、同様だった。

 アンファウグリアは、後備第一旅団を二度に渡って救ったが、この後備第一旅団は首都及びその近郊の兵たちで構成された部隊だった。夫や、父や、兄を生還させてくれた部隊として、大人気だった。

 国王部隊感状一枚。

 軍及び軍団司令官部隊感状六枚。

 椎葉付蹄章一個、一級蹄章二一個、二級蹄章五二個―――

 これはベレリアンド戦争において一つの部隊が授与された叙勲の数々としては、もっとも多い記録になる。

 なかでも国王部隊感状は、この名誉を授けられたのは後備擲弾兵第一旅団、ギムレーの丘で奮戦した擲弾兵第二三旅団、戦役中最も多くの戦闘を行った第七師団擲弾兵第一三旅団など限られた部隊でしかなく、そして王自身の手により授与されたのは、彼女たちのみである。

 旅団の日常は、徐々に平時のそれへと復して行った。

 ヴァルダーベルクの街が、「ダークエルフ族街」として本当に発展を迎えたのは、この戦後の時期だ。

 彼女たちは、精強無比な常備兵力として維持されることになり。

 将兵の歓楽消費を見込んだ、商店や居酒屋、ビアホール、レストラン、カフェなどが周囲に出来た。

 このような需要が伸びるのは、軍の衛戍地周辺なら何処でもそうだったが、ヴァルダーベルクの場合やや毛色が違ったのは、当然ながらというべきか、公娼施設の類は招致されなかったことだ。

 おかげでこの街の空気は、例え兵たちがどれほど羽目を外していようと、どこか健全だった。

 旅団の兵たちが最も愛したのは、衛戍地にほど近い「クライスト」という居酒屋クナイペである。

 通りのエッケにあったので、「エッククナイペ」と呼ばれる形式。

 この種の店としては規模が大きく、五〇名ほど入れた。

 レストランという程にはいかなかったが料理もしっかりと出たから、どちらかというと、食堂やビアホールに近い存在だ。

 ダークエルフ族相手の店のなかでは「古参」で、戦前からの付き合いになる。

 まだ周辺住民がおっかなびっくりに彼女たちと接していたころから、真っ先に受け入れてくれた店だったので、旅団側としては当然ながら人気もあった。

 周囲に新興の店が幾ら出来ようと、まずこの店が満員かどうか覗いてから他を当たるという兵たちばかりであった。

 客層は兵がメインで、それゆえに将校や下士官は気遣って避けてやる傾向にあったが、旅団の作戦参謀ラエルノア・ケレブリン大尉は、一度この店を覗いてみたことがある。

 兵たちが羽目を外し過ぎていないかどうかの密かな視察だという名目がついていたが、

「あれは流行るはずです、とにかく安い。それでいて美味い」

 などと、時期的にはまだ国王の愛妾になる前のディネルース・アンダリエルにも漏らしたものだった。

 兵たちが挙って注文するようになっていたのは、白ビールヴァイスビアである。

 オルクセンはビールの国だ。

 先王にあたるアルブレヒトの統治時代から、安価で質のよいビールが各地で大量に醸造されるようになった。

 以来、国内には実に様々な種類のビールが溢れるなか、何故ダークエルフ族たちが白ビールを愛するようになったのか。

 そもそも彼女たちは、火酒を愛した種族である。それが、何故。

 理由は幾つかあった。

 ひとつには、オルクセン国内には彼女たちを満足させるほど度数の高い火酒が乏しかったこと。

 またひとつには、オルクセン陸軍の給養規定にはビールの配給があり、これは途切れがちながらも戦争中も続けられて、旅団創設以降にその味を覚えたこと。

 そして、貴重な休暇を楽しむには、まず腹拵えと喉を潤してから他所へ遊びに行くという行動パターンが多く、いきなりへべれけになるほど飲もうとはしなかったこと。

 ヴァルダーベルクのすぐ近くに、この白ビールを産する醸造所があったこと、ゆえにクライスト始め近在の店での扱いも多かったこと、等々。

 だが何よりも彼女たちが惹きつけられたのは、この白ビール、原材料に他のビールと同じ大麦だけでなく、という、その点にこそあった。

 故郷ベレリアンド半島では、小麦は貴重品だった。

 それは彼女たちがオルクセンにやってきた直後の、白パンに対する反応を見てもわかる。

 ―――小麦を使ったビール。

 ただそれだけで、とてつもない高級感を覚えたのだ。

 そしていざ実際に飲んでみると、この白ビールには、他のビールより深いコクと、キレのある苦味があった。それはもう、ピルスナーやケルシュといった飲みやすいビールと比べれば、段違いなほどに。

 とくに、製造手法として濾過工程を含んでいないヘーフェヴァイツェンという種類は、色合いからして濁るほどに濃く、とろりとした深みがあった。

 ひとによっては苦手さを覚えるほどの、この濃厚さがまた、本来は強い酒を好むダークエルフ族たちの嗜好に合った。

「白ビール!」

「白! 無濾過で!」

「んー・・・エルネスティーネ!」

 エルネスティーネというのは、件のビールを醸造していた、そして「クライスト」の店で提供されていたヴァルダーベルク近郊の醸造所の名前である。 

 注文し、グラスやジョッキが到着し、含み、一気に嚥下したあと、思わずその名を叫んでしまうほどには愛した。

 これぞ世界一のビールだと嘯く者まで現れた。

 また彼女たちを感動させたものの一つに、実にオルクセンらしい法律があった。

 これは白ビールに限ったことではないが、オルクセンでは、庶民の飲み物であるビールでのボッタクリを防ぐために、「ビール計量法」という、ちょっと他国からは存在そのものが信じられないような法律が施行されていた。

 これを受けて、オルクセンのビールジョッキやグラスには、計量線が刻まれている。

 五〇〇ミリリットルであるとか、一リットルであるとか。

 店側は、この計量線に達するまでビールを注がなければならない。そうして販売価格と供給量に間違いが起きぬようにしようという法律だ。

 だから、オルクセン社会に対しては「世間知らず」と言えたダークエルフ族の兵たちにも、ビールは安心して注文できた。

 「ビール計量法」を定めたのがグスタフ王だと知ると、兵たちは、

「我が王万歳!」

「我らが王万歳!」

 と、実に慇懃に叫んだものである。

 この様子は、地元住民と彼女たちが溶け込むきっかけにもなった。

 こうして多くの固定客がつくと、「クライスト」の側でもダークエルフ族向けのサーヴィスをやるようになった。

 この店の、元からの名物である肴のひとつに、「ありとあらゆる肉の盛り合わせ」というなんとも魅惑的な名の着けられた大皿があった。

 豚肉の繊細ほぐし煮込み、焼きヴルスト、サラミ、グロワール風豚の腸のヴルスト、ニンニクを効かせたヴルスト、田舎風パテ、生ハムの盛り合わせだ。付け合わせにピクルスがつく。

 それはオルクセンの店としては当然のことながら本来はオーク族向けであって、取り皿が配されるほどの、とてつもない量がある。それでいて豚肉生産を奨励しているオルクセンのことだから、高値というわけではない。

 兵たちの給料でも充分に「射程距離」に収まり、しかも量が量であったから、ダークエルフ族兵なら二、三名で分けることも出来た。

 たちまち彼女たちにも人気の肴となったのだが、店側はなんと、これにたっぷりとしたバターを追加してくれるようになったのだ。

 ダークエルフ族が乳製品を好むことからの、配慮であった。

 ―――さっぱりとした冷製肉に、バター。

 これはちょっとオーク族の感覚からすると、正直なところ理解に苦しむところだったが、ダークエルフ族たちは喜んだ。

 取り皿に肉を分け、ナイフとフォークをつかってバターをたっぷり乗せ、小振りなピクルスも合わせて、白ビールで流し込む。

 店の主人、オーク族のクライストの配慮は実に微に入り細に入っていて、このバターの仕入れ先を、ヴァルダーベルクのダークエルフ族農場からにしてくれた。

 ―――兵たちに、受けぬはずがなかった。

 そして凱旋のとき。

 主人クライストもまたこれを大いに喜び、期間限定ながら旅団将兵にはタダ酒を振舞ってくれた。

 密かに「太っちょディッカーマンクライスト」と兵たちから愛称で呼ばれていたこのクライスト、

「めでたい、本当にめでたい。王妃様まで出るなんて」

 と、その太い腕でごしごしと眼頭を拭いながら、涙まで流した。

 誇り高いがゆえに義理固くもあるダークエルフ族たちは、ついにはクライストの店を「御用達」のように扱うようになった。

「―――というわけでして。どうですか、旅団長。いちど参りませんか?」

 付き合いのうえでも仲の良い旅団作戦参謀ラエルノアから報告を受けた新旅団長アルディス・ファロスリエンは、少しばかり考え込んだあと、

「うん。それほど世話になっているなら、ダークエルフ族のひとりとしても一度伺おう。だが―――」

「はい?」

「大丈夫なのか、クライストの店は。料理も信じられないほど安いようだが・・・? 赤字になっているようなことはないのか?」

「それは大丈夫ですよ」

 あの手の店は、酒代で採算を取れるように出来ているのです、とラエルノアは請け合った。

「なにしろ、我らダークエルフ族のことでしょう?」

「うむ?」

「ビールなんて、まるで水みたいなものです。リッタージョッキで飲む奴ばかりでして」

 彼女ラエルノア・ケレブリンが、ずっと後年に拡大編成されたアンファウグリア装甲師団の師団長になるころ。

 その時代にも存続していた「クライスト」が、隣の空き家まで買って大きくなるのは、この直後のことである。



(続)

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