オークのグルメ②寝台とマテ貝

 ―――ヴァンデンバーデン。

 オルクセン北部ハウプトシュタット州。アルビニーとの国境近くになる。

 低地オルク語で「入浴するひと」とでもいうような意味だ。

 その名の通り、星欧有数の高級温泉保養地である。

 素敵な街だとディネルース・アンダリエルは思う。

 薔薇、ダリア、サルビア、ゼコニア、マリーゴールド、睡蓮、蓮。

 季節に依るものか、街のあちこちが花で飾られているのが印象的だった。生垣や、庭園などはもちろんのこと、橋の欄干や、小川のとろみ、池の畔などにも。

 市街の通りは広く、沿道の建物はおおよそ四階建てで軒高が揃えられていて、建材も指定のものを使って統一感がある。バルコニーやベランダの位置までぴったりだ。そうしてそこにも箱植えの花があった。

 どことなくグロワールの都市を思わせ、事実として、かの名高い首都改造の影響を受けたらしいものの、ベージュや薄黄色の漆喰壁、オレンジ色のスレート屋根を多用していて今少し明るく見える。

 ホテル、クアハウス、カジノ、劇場・・・

 街の雰囲気は落ち着いていた。

 グスタフは事前にお触れを出していたようで、肩の凝る歓迎の式典などはなかった。訪問の位置付けはあくまで保養、お忍びということになっている。

 オルクセンの国民は、グスタフの不意の訪問には慣れていたということもある。

 以前より、彼は農業や産業といったものの指導や視察のために、仮にどのような僻地だろうとお構いなしに国土のあちこちを巡っていたからだ。 

 この精神は彼の紋章ヴァッペンにも表れていて、王冠と、向き合う二頭の跳ね猪に守られた盾の下にある巻物に、「どこにいようと、そこがオルクセンだ!」と刻まれている。

 この言葉は彼の専用列車の車体などにも記されており、平時においては国内どこにでも赴くという気概を、戦時においては自らもまた例外なく戦地に置くことを辞さない意思の表れだった。

 ―――そういえば。あのヴィルトシュヴァインの朝市も。

 と、ディネルースは改めて思う。

 デュートネ戦争もそうだったというし、ベレリアンド戦争では戦時大本営兼総軍司令部兼第一軍司令部を率いて行った。

 だからヴァンデンバーデンの住民たちもまた、節度を以て、ただし決して敬意を忘れずにふたりを迎えた。

 なにしろ、グスタフはこのオルクセンに勝利を齎した偉大な王。その彼と成婚したばかりの王妃ディネルースもまた、自ら尖兵を務めた、もはや国民たちにも名高い「勇将」だった。

 あのダークエルフ族の警護班と、巨狼アドヴィンと、先行して到着していたアンファウグリア騎兵の一個中隊とに護られ、ふたりを乗せた馬車が通過するのを認めたヴァンデンバーデンの住民たちは、そっと沿道で制止し、胸に帽と手をあてて最敬礼し、あるいはお辞儀をして敬意を示した。

 馬車が向かったのは、市の中心部からはほんの少しばかり離れた離宮である。

 ―――ほう。

 ディネルースは瞠目した。

 白漆喰。地裂海都市国家様式の列柱。黒灰色をしたスレート屋根。三階建ての本館と、左右に広がる翼館。ハアザミが象られた装飾も素晴らしい。

 前庭から続く車寄せに、裏には平面幾何学式の庭園。この庭園に面する長さ九〇メートルはあろうかという別館には列柱に覆われたアーケードと、ベンチ。他にオレンジの樹で埋まった蒸気式の温室などもある。

 装飾や豪奢さよりも実利を重んじていて、翼館のひとつはクアハウスになっていた。ロームレス・レムス式の大浴場や、イスマイル式の蒸し風呂。反対側の翼館には大ホールなどもあり、国際会議のひとつやふたつは余裕で開けそうだ。

「いまから二〇年ほど前に建てたものだ。在位一〇〇年になって、たまには王らしいことをやってみようかと。私が建てさせたものとしては、唯一の離宮だよ。湯治をしたくなったら、来るんだ」

 グスタフが言った。

 彼は王族としては飾らない王だったが、そこはやはり一国の統治者、こんな代物も所持してはいたらしい。

「何というべきか―――」

「うん?」

「あなたの趣味は、素敵だと思う」

「ふふ、ふ。お褒めに授かり光栄至極」



 グスタフには、随員がいた。

 公的な部分には、国王副官部のフィリベルト・ダンヴィッツ中佐。彼はベレリアンド戦争中に、少佐から昇進していた。以下、副官部で七名。全員が副官というわけではなく、副官部の事務補佐方もいる。

 そして、王の私的な部分を支える存在として、執事のフィリクス・アルベルト。

 コボルト族コーギー種。

 グスタフの私生活、とくに財産等の管理には中央省庁も絡んでくるから肩書こそ「家令」とはされていなかったが、役割は極めてそれに近かった。

 いつも清潔なモーニングを着ており、洗練された慇懃な物腰、言葉使いをする。

 彼の家政に対する権限は絶大なもので、とくに食に拘るグスタフのそれだったから、台所や奥向きを取り仕切ること、アルベルトに任せておけば万事が上手く進むという具合だった。

 家事はあまり得意ではなかったディネルースも日々頼みにするところは大で、ダークエルフ族から選ばれた彼女御付きの侍女や、家政婦長以下家政婦たちとともに、よく仕えてもくれた。

 彼を頂点とするグスタフの家政の世界は、そこは王族であったから晩餐などとなるともう大変なもので、しかしアルベルトはそのような何もかもを見事に裁いてしまう。作法や儀礼などにも長じていれば、彼自身が食材やワイン、料理に対する立派な目利きだった。

 だからディネルースは彼のことを密かに、

「家政総司令官」

 と、呼んでいた。

 それほど感嘆していたのである。

 ベレリアンド戦争が始まったとき、「戦地は苦労も多いから。留守をまもってくれ」とグスタフは彼のことを残置したのだが、

「そのようなわけには参りません」

 と、国王付きコックで一番腕の立つ者を引き連れて、なんと後から無理やり追ってきた。

「我が王には、戦地でこそ滋養を摂って頂かなければなりませんので」

 彼は、王が本国に戻るまで立派にその務めを果たした。

 ヴァンデンバーデンの離宮に到着すると、この熟練した執事は早速に現地の管理者なども配下におさめて「指揮権を発動」し、国王夫婦にとっての居心地のよい時間を整えることを最優先にして、てきぱきと「難敵」を片付け始めた。

 それは、地元の有力者や有志市民たちから届けられた献上品の数々だ。

「ふむ、これはこれは見事なパイクでございますな。この季節にしては結構なものです。育ちすぎていないのが良い。このくらいが身も締まっていて極上なのでございます。さっそく我が王御好みの、道洋は華国風の蒸し物に致すよう申しつけましょう」

「ふむ、こちらは塩水の漬け具合も結構な燻製豚肉。素晴らしいですな、この地方のものは艶も汁気もたっぷりです。カスラーにして、奥様御好みのバターソースで仕立てましょう。きっとご満足頂けます」

「おお、今季のジャガイモたち。北部産はまろやかな粘りがあります。煮崩れもしない。塩茹でジャガイモにして素材の味を活かしましょう。陛下もきっとお喜びになるに違いありません」

 そのような具合だった。

 さて、「司令官」がいるならば、「前線の指揮官」や「将校」、「兵士たち」もいる。

 こと厨房を預かる者たちに目を向けてみるならば、まずは何と言っても料理長のベッカーを挙げずにはいられない。

 陽気で明るいオーク族のコックで、その腕は折り紙つき。

 気取らぬオルクセン料理もやれれば、本格仕込みのグロワール料理を晩餐会用に仕立てることもでき、グスタフの好みを把握し、要望や思いつきなどにも応えてくれる牡だ。

 ベッカーはあの戦争中、アルベルトとともにグスタフの国王大本営に駆け付けた。

 ツィーテン元帥を亡くし憔悴しきったグスタフに、どうにか食欲を回復させたのはこの牡である。

 その彼の下には、たくさんのコック及び見習いがいるが、なかでもベッカーが「三銃士」と呼ぶ補佐役があった。

 白パン、ライ麦パン、塩焼きパン、何でもお任せ。パン担当のブレヒト。

 生ハムからヴルスト、サラミ、アスカニア風のヴァイスもやれるハム・ヴルスト担当のローマイヤー。

 得意技はグスタフ好みのカスタードクリームと生クリームをふんだんに使ったパイ、菓子担当のユーハイム。

 みな、オーク族の快活な牡たちである。

 なにしろ彼らは皆よく似ているうえに、揃いの白い調理服とコック帽を被っていて、ディネルースなどには最初誰が誰やら見分けがつかなかったが。

 ―――彼らが作ったものは、間違いないなく美味い。

 これだけは断言できた。



 そのような調子でその日の夕餉に出たものは、少しばかりディネルースを驚かせた。

 コース仕立ての五皿のうち、魚介料理の皿に盛られたのは、どうやら貝類のようである。

 ただその形状が変わっていて、殻は縦に長い。

 一〇センチから一二センチはあるだろうか。

 これが左右に開いて、白くふっくらとした身を見せている。

「なんとなんと、マテ貝じゃないか。アルベルト」

「はい、陛下。献上の品にございました。ぎりぎりのところですが旬のうちですな」

 オルクセン北部西側の沿岸には、遠浅の干潟がある。

 この干潟、あまりにも広く、豊穣であり、またオルクセンにとっては国防上の要地でもあった。

 上陸作戦にはまるで適しておらず、グロワールなどからの天然の要害になっている。こんな地形をしているから、デュートネ戦争のときオルクセン軍は側背を気にせず主力を使って進撃出来たのだ。

 マテ貝は、その干潟にいる。

 ヴァンデンバーデンからは遠くない。

 風のある日には仄かに潮の香がするような気さえした。

 だからこの辺りでは、オルクセンには珍しく、街の市場などにも魚介類が並ぶ。

 海産物への食文化もある。

 それでもマテ貝が食べられるのは、贅沢なことだった。なにしろこの貝は、調理の瞬間まで生かしておくことが望ましい。

「本日はマテ貝の漁師風とさせて頂きました」

 まず、この貝には砂を綺麗に吐き出して貰う。

 循環の豊富な貝だから、海水と同じくらいの塩水に浸しておけばいい。

 たちまちのうちに蠢いて、砂や不純物を吐き出す。暗所に置くなり蓋をしてやるのがコツで、そうすると更に自ら浄化してくれる。

 この際、貝殻同士も擦り合わせるようにして塩水からあげれば、表面も洗える。

 そしてフライパンに入れ、白ワインを注ぎ、二分ほど沸騰させてれば、ぱかんと殻を開く。

「これほど新鮮ならば素材の味をそのまま活かすのがいちばんです。ハーブや玉葱、ニンニクで胡麻化すなど以ての外! 冷えても美味しいものですが、熱々のうちにお召し上がりください」

 ディネルースは、正直なところ、おっかなびっくりというやつで臨んだ。

 なにしろ、初めて見る。

 しかしナイフとフォークを使い、見よう見真似で片殻を取り外し、ふくよかな身を含んでみると、

「―――!」

 旨味、豊潤、凝縮。

 並の貝類より、ずっと甘味があった。

 塩気も素晴らしい。

 すかさず、白ワインと合わせた。

「これは・・・ これは凄い」

 感嘆した。

 ただひとつ弱ったことがあるとすれば、

「お気に召しましたようで。たんとお召し上がりくださいませ。我が王には二キロ、奥様にはたっぷり一キロはございます。キロ辺り凡そ二〇本といったところでございますな」

 途方もない量を提供されたことだ。

 だいたい、オルクセンの民はたいへんな食事量を摂る。

 魚介類も同じことで、貝類さえキロ単位で量り売りをやるとディネルースが知るのは、このあとのことだった。

 まだ、コースの皿は始まったばかりだというのに―――


 

 オルクセン特有の習慣や文化はたくさんあるが、寝台がやたらと広いということもその一つだ。

 なにしろ、国の主体となっているオーク族は、巨躯揃いである。

 ベッドは他国より広く大きな作りになっていた。

 他種族の者からすれば、ちょっと瞠目するほどで、例えばホテルや宿屋でオーク族用の部屋をひいてしまったコボルト族などは踏み上がるためのボードが必要になったが、伸び伸びと使えるというメリットはあった。

 高級なものには、天蓋がついている。

 これは元々オルクセンでは冬季用のものだった。分厚いカーテンを吊って、寒さ凌ぎにした。

 いまでは薄手のレースが出来て、夏にも使う。

 ディネルースは、このレースの天蓋を閉めてもらうことを好んだ。

 彼女にも、営みに対する羞恥はまだ密かにあり、だがこのカーテンを一枚挟むことでまるで防壁が出来たような錯覚を覚え、思うさま忘我の極みに浸ることが出来たからだ。

 何かに似ている、と思った。

 ―――ああ。

 得心がいく。

 殻だ。

 貝の殻。

 あの素晴らしかった、マテ貝の殻。

「ふふ」

「どうした、ディネルース?」

「いや、なんでもない」

 大したことではなかった。

 本当に大したことではなかった。

 たっぷりと、そうおかしみを覚えただけのことであった。



(続)

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