第50話 エルフの国のいちばん長い日②

 四月二二日から二三日の二日間、ネニング平原の彼我両軍に少なからぬ影響を及ぼした事象が起きた。

 ―――降雨である。

 それも、なかなかに雨脚は激しかった。

 オルクセン第一軍に従軍していたキャメロット人記者フレデリック・ヴィリヤーズは、この天候を「干天の慈雨」と記録する。

 四月後半に入ったネニング平原は好天と穏やかな陽気ばかりが続いており、大地は渇き、埃が舞うようになって、彼自身や両軍の兵士たちを苦しめていたからである。

「大きな戦のあとには雨が降るというが、あれは本当だよ」

 と、本国への野戦郵便に記したのは、第七軍団第九山岳猟兵師団にいたアルテスグルック大尉。彼の生還を待ちわびる、婚約者にあてたものである。

 モーリア戦で活躍した彼は、このころ野戦任官により昇進していて、率いていた中隊から一時離れ、旅団本部付になっていた。

 戦前、エルフィンドのアールブ語を学んでいた経歴を買われ、書くほうも話すほうも出来るというので、地元民との交渉、俘虜尋問などにおける聴取といった場合の通訳を務めている。

 第九師団がネニング平原会戦に参加したのは、両軍の形勢が完全に逆転したイーダフェルト戦からだったので、必然的に獲得俘虜は増え、彼の出番は多かった。それでも、

「旅団長副官兼務といっても本来の副官がいたから、馬などにも乗らせて貰えて楽ばかりしていた」

 率直な心境、失敗談も含めた自身の経験、戦地の日常などを克明に記録した彼の日記は、綴る。

「また降雨。陣地はたいへんなことになっている。第七連隊各壕は水没しかかっているという。中隊の兵たちが心配だ」

 巨大な戦場で起こった何か広範囲な事象は、ある者には助けとなり、またある者には難事となって、これが彼我両軍双方に混在する。

 オルクセン軍全般としては、「干天の慈雨」とはいかなかったというのが、概ねの評価といえた。

 各軍団が構築をはじめたばかりの陣地は、まだ造りが甘く、補強も足りず、排水施設なども不十分であった。

 オルクセン軍は、壕を掘るとき、補給物資の木箱を分解したものを補強材に再利用できたが、そのような補強材料すらもまだ間に合っていない。

 第七師団第二八連隊守備陣地のひとつにおいては、「散兵壕まったく流失す」という事態に陥った。

 水没どころではない。

 俄づくりの陣地の一角が、流れてしまったのだという。

 エルフィンドの細い街道はあちこちで泥濘となり、オルクセン軍の他国より大型である輜重馬車の車輪は埋まり、一部で補給は停滞した。

 ところが―――

 オルクセン総軍司令部参謀たちは、このような状況を楽観視した。

 世界戦史上、極めて稀な全周包囲を成し遂げた直後である。

 もはやエルフィンド軍に有効な手立てがあるとも思えない。

 二一日以降、各国観戦武官団や従軍記者らからは賞賛と揚賛、祝意の表明が相次ぎ、イーダフェルトへの司令部移転後は早くも「戦勝気分」が漂い、夜毎、ささやかながらも酒宴が催されていた。

「参謀たちは机上の作戦に慣れている。計画と現実が乖離した場合、計画を修正するのではなく、現実の側を計画に合わせようとする傾向にある。また固定観念から現実を信じず、ひどい場合には頭からの否定までやる。それは何処の国でも起こり得る」

 と、ヴィリヤーズは指摘する。

 ただし総軍司令部の「油断」は、決して全面的なものではなかった。

「敵、解囲行動あるは必定にて各軍は注意せよ」

 との訓令を、二二日には発している。

 やるべきことはやっていた。

 単なる注意喚起に終わってもおらず、第四軍団に命じて、後備第一旅団の増強を図ってもいた。隣接する第一五師団から一個大隊を抜き、派遣する準備を整えさせていたのだ。

 また総軍司令部の「弛緩」は、このころグスタフ・ファルケンハイン王が第一軍団方面へと前線視察に出張し、これに総参謀長カール・ヘルムート・ゼーベック上級大将、作戦部長エーリッヒ・グレーベン少将ら高級参謀の一部を伴っていた事実も影響している。

 しかも彼らの総軍司令部帰着は、降雨のため復路出発が見合わされ、遅延していた。

 つまり油断と弛緩は、残留組で起きていた。

 ―――一方、エルフィンド軍は。

 この天候急変を、好機とみた。

 貴重な現役兵を中心にして、これに地元地理に詳しいディアネン出身の国民義勇兵を加えた斥候隊を数次に渡って放ち、浸透、接近させ、オルクセン軍包囲環の混乱を掴んだ。

 オルクセン軍の防備状況全体の掌握にも努め、後備擲弾兵第一旅団の辺りが、どうやら敵防禦のもっとも薄い部分だという確信も得た。

 後備第一旅団は、ディアネン市郊外北西のストルステンブロウという大規模村落を中心にして陣取っている。

 同村は、この近辺の街道の集約点にあたる交通の要衝であったから、位置取り自体は舌を巻くしかない。

 だが旅団の担当正面が広きに過ぎ、配置兵力がまばらであり、また南のアンファウグリア旅団、北の第一五師団との連結連繋も弱い。

 解囲軍指揮官となったファンリエン・ヴェルナミア中将は、情報上の確信も得られて、腹案通り、この後備第一旅団を突くことにした。

 状況が変じないよう、作戦計画が迅速に立てられた。

 彼女とその幕僚は、麾下兵力が余り当てにならないことを自覚している。

 現役兵の比率が低く、装備も二線級なら、教練もまともに出来ていない。

 そこで比較的単純な運動をやることにした。

 後備第一旅団は、南から順に後備第一連隊、第二連隊、第四連隊と並んでいる。

 このうち後備第一連隊のいる地域に、多くの間道が集中していることに目をつけ、引っ掻き回すようにして突っ込む。同時に一隊を以て、第二連隊と第四連隊の正面に陣取り、敵を引き付ける。

 解囲の意図をオルクセン軍に悟らせぬため、牽制攻撃も仕掛ける。

 これはディアネン市の東側で諸軍によって行われることになっていて、むろん解囲攻撃の開始に先立つように計画されていた。

 またヴェルナミア中将は、方面軍から動かせるだけの火砲を用意してもらった。

 一六ポンド野砲、一二ポンド騎兵砲、七ポンド山砲―――

 もはやオルクセン軍にさえ馴染みのあるエルフィンド軍主力火砲であるが、これに加えて前装式八インチ榴弾砲四門から成る重砲中隊も借り出した。

 エルフィンド軍としては、野戦運用出来る最大級の火砲である。砲そのものも、戦前にキャメロットから輸入したもののなかでは最新鋭といえた。

 各砲隊は、成し得る限りの砲弾も携えている。

 これら火力もまた、「牽制役」としてオルクセン軍後備第一連隊を中心に叩きつけるつもりである。

 混乱させた第一連隊の、更に側面を突くようにして浸透突破を図るのは、練度も高く集団としての纏まりもあるマルローリエン旅団の役割とした。

 つまりヴェルナミア中将は、自らの直率下にある兵力全てを囮とし、他方面の牽制をも加え、実際の突破はマルローリエン旅団が果たす作戦を立てたわけである。

 そうして自ら幕僚を伴いイヴァメネル中将の司令部へと出向き、構想を説明した。

 マルローリエン旅団は、胸甲騎兵一個中隊二五〇名を女王の直接護衛役としてディアネン市に残置し、残る旅団全力で突入する―――

「・・・イヴァメネル閣下。こう言っては何ですが、これは死戦というものでありましょう。小官には、成功の確証が持てません。しかし、やらねばならない」

「・・然り」

 両中将は火酒の杯を交わし、作戦の遂行を誓った。

 決行日は、晴天の予測される二四日とされた―――

 政府首脳は部隊を集め訓示を与えようとした。解囲行動への市民感情の盛り上がりを見て、慎重姿勢から一転、積極的に関わることによりこれを民心把握に利用する構えを見せたのである。

 政府首脳はこの脱出行を、「決戦である」と定義し、喧伝しようとした。

 敗色も濃厚となったこの段階で、いまごろになって、という感が強い。

 ヴェルナミア中将は政府訓示を拒絶した。既に市中行進を終え、いまさら部隊を再集合させる必要を認めなかったし、むしろ部隊展開の阻害でしかないと断じた。

「出撃に際し、士気を盛り立てぬ訓示など不要である。喇叭にも劣る」



 オルクセン軍前線では―――

 総軍司令部の訓令を待つまでもなく、エルフィンド軍解囲行動を予見していた。

 とくに強く警鐘を鳴らしたのは、第三軍司令官アロイジウス・シュヴェーリン元帥である。

 第三軍司令部はこのとき、フォルスナエの村にまで進出を済ませたところであった。

 第七軍団による包囲環形成を指導しつつ、総軍司令部から与えられた別方面での支作戦の指揮を取っている。

「来る。奴らはきっと来るぞ」

 戦場の機微を察する能力に関して言えば、彼は殆ど熟練の職人であるとさえ評せた。

 第七軍団長コンラート・ラング大将と連絡を取り合い、前線警戒の強化を命じた。

 ベレリアンド戦争で浮き彫りとなったが、オルクセン軍は決して完璧な組織などではなかった。

 というよりも―――

 世に完全無欠な組織など存在しない。

 誤断もあれば、油断があり、慢心がある。

 だから彼らは、この戦役中、実に多くの失敗をやった。

 ところが、ついにそれが致命的とならなかったのは、上から下まで全てが失敗を重ねるというようなことが無かったからであろう。

 彼らの軍はそうやって出来上がっていた。将の誰かが常に気を張り、士官がこれを補佐して、下士官が背骨となり、兵が手足となって動く。

 傾向的には、上層部の失敗や無茶を、下層の兵が血と汗で以て補うことが多かった。だが兵一個には補えきれぬほど事態が大きくなる前に、上に立つ者、指導する者たちが己や同輩の失敗に気づき、修正し、復し、自らもまた積極的に動いたことも事実である。

 この「ストルステンブロウの戦い」も同様であった。

 アンファウグリア旅団を率いるディネルース・アンダリエルもまた、重要な役割を果たしている。

 彼女の旅団は、第七軍団第七師団と後備第一旅団の中間にあって両者と連繋し、包囲環の一角を担っていたが、この二二日から二三日にかけて、敵斥候の出現をしばしば偵知し、更には自らが放った騎兵斥候隊のひとつが、この敵斥候の一隊を捕縛した。

 四名から成る小規模斥候であった。

 俘虜尋問をし、どうやら敵が解囲行動を図ろうとしているらしいことを察した。

「敵挙動に不審の点あり。敵斥候頻々と出現せり」

 と、警報を発した。

 戦闘序列上の上級部隊である第四軍団司令部に電信を打つだけでなく、両隣の第七師団と後備第一旅団にも報せている。

 斥候情報を掴み、必要と判断すれば近隣部隊にも知らせるのはオルクセン軍教令の定めるところであったし、騎兵とは元よりそのような役割を負っている。そしてそれだけでなく、ディネルース自身の才覚としても連繋の必要性を認めていた。

「敵が解囲を図るとなれば、両隣で助け合わねばならんからな」

 しかも、警鐘を発するに際しての配慮も上手かった。

「警戒の要ありと付け加えなくてよろしいのですか?」

 参謀長イアヴァスリル・アイナリンド中佐の進言に対しては、首を横に振った。

「第七師団のグロスタール中将も後備第一のツヴェティケン少将も戦上手だよ、ヴァスリー。彼らの司令部参謀たちも。私なぞが余計なことを言わずとも、これでわかってくれるさ」

「・・・なるほど」

「それにな―――」

 ディネルースは、ちょっと声を低くした。

「オルクセンの参謀制度は確かに優秀だ。だが、欠陥もある。ひとは、理屈が正しいからといって素直にそれには従わない。結局は情になる。己たちの偵知していない情報や構想を知らされると、それが道理であっても反発する。反発して、まず否定要素から探そうとする。下手をすると頭の回転の全てを、それに注ぎ込んでしまう。細かな意見具申は、伝えないほうが良いときもある」

 ディネルースの言うことは正しかった。

 第七師団も後備第一旅団も警戒を強め、とくに偵察能力の低い後備第一旅団からは、ツヴェティケン少将名で「通報感謝す」との返電を寄越した。

 第七軍団司令部を経由して情報を受け取ったシュヴェーリン元帥も、己が意を深くした。

「黒殿がなぁ・・・ アンファウグリアが伝えてくるなら、いよいよ間違いはあるまい」

 そうして、敵解囲に備えた。

「黒殿は―――アンダリエル少将は、儂と同じく戦場の匂いが嗅げる指揮官だ。そして儂なぞと違って、自制を知る勝利者は二度勝利する、それを心得た指揮官だ。エルフィンドがまともな国家だったなら、いまごろ囲まれているのは儂らのほうで、彼女はその実行者だっただろう。それほどの傑物だよ」



 四月二四日午前五時三〇分、エルフィンド軍は夜明けとともに行動を開始した。

 まず東側でネニング軍とエルドイン軍、アシリアンド軍が砲戦を実施した。

 オルクセン軍は、当然これに撃ち返す。

 エルフィンド軍にとって不幸であったのは、「一発撃つと一〇発撃ち返してきた」というような、圧倒的な砲撃量の差が出てしまったことである。

 ネニング平原会戦からディアネン市包囲戦に至るまで、エルフィンド軍には終始砲弾不足が付きまとった。

 彼女たちにとって、ネニング平原会戦敗北の大きな要因のひとつである。

 しかも、砲弾量に劣っただけではない。

 実に不発が多かった。

 あの戦時急造の鋳造弾は発射しても炸裂せず、そのまま大地に転がってしまうというような不具合が続出し、エルフィンド軍砲兵隊の者たちを唖然とさせた。意外なことに不格好にさえ見えた砲弾そのものに原因はなく、これに取りつけた信管の品質管理がまるで上手くいっていなかったことが、多くの不発を齎したという。

 オルクセン軍は、戦利野戦砲中隊や戦利山砲中隊と呼ばれるものを幾つか編成していた。エルフィンド軍からの鹵獲砲や砲弾を使って臨時に一隊とした、砲兵隊である。おもに師団の増強火力にした。

 この戦利野戦砲中隊や山砲中隊が、オルクセン製の信管を鹵獲エルフィンド砲弾に着け直して発射してみると「見事炸裂した」という話が、まことしやかな戦場伝説となって残った。

 オルクセンとエルフィンドの信管ではまず寸法の規格が違うから、この「伝説」の信憑性がどこまであるのかは良くわからない。

 だが、そのような伝説が深く信じられるほどに、エルフィンド製砲弾に不発が多かったというのは確かなようだ―――

 緩徐なる砲撃が、むしろオルクセン軍の反撃に遭い、エルフィンド軍の砲撃陣地の幾つかが叩き潰され、更には彼女たち自慢の「第二線陣地」までもが砲撃に遭っていたころ。

「進め!」

 ヴェルナミア中将の支隊主力約五三〇〇が、前進を始めた。

 彼女たちはストルステンブロウに陣取るオルクセン後備第一旅団のうち、まず後備第二連隊と第四連隊の前面に展開した。

 後備第一旅団は、ネニング平原北側にあった丘陵地形の周縁に陣取っていて、同地には山間道、森、小さな湖沼が数多くある。

 エルフィンド軍はこのような地形も利用して、オルクセン陣地の前面にまず一隊を配し、気を引いておいて、主力は側面から突く、という動きをおもにやった。

「本日午前八時ごろ、敵歩兵一千以上我が二連隊守備陣地攻撃中にして同地には我が守備兵二大隊、砲兵一中隊あり」

 これが後備第一旅団ツヴェティケン少将の発した「第一報」である。

 配置中央の、第二連隊守備陣地の戦況を伝えている。

 エルフィンド軍側では、各所で砲兵の進出が遅れ、とくに「切り札」であったはずの八インチ榴弾砲到着が遅延し、ヴェルナミア中将に臍を噛ませた。

 降雨後の、大地のぬかるみのためである。

 八インチ榴弾砲の重量は、砲身部分だけで二トンを超えている。操砲にも九名を要するという巨砲で、本来は要塞砲である。巨大な砲車の車輪が、沈み込んだ。

 本格的な砲兵進出は、正午ごろになるのではないかと予測された。

 最北翼にあたる第四連隊方面への部隊進出も遅れた。

 こちらは降雨後の影響というより、各部隊の連繋、練度不足が原因である。

「道路困難のため予定の如く行動し得ず」

「各隊は混乱し、一つも統一なく、将校の指揮努力もその効を成さず、各個各隊に展開せり」

 と、エルフィンド軍も記録する。

 これほど緩慢に始まった戦闘が、まさか翌々日一杯まで続く大激戦になろうとは、このとき両軍ともに予想できていない―――



 本来、余裕を以て対処できていたはずの後備第一旅団をまず困惑させた原因は、そのようなエルフィンド軍の連繋及び練度不足にもあった。

 牽制役の正面担当より先に横腹から敵軍が突っ込んでくる、いきなり至近距離から撃ちかかられ意図が理解できない、そうかと思えば及び腰の射撃をやる一隊がいるなど、前線の彼らは混乱した。

 とある一隊は、ただただ遮二無二突撃してくるので、弱り切った。

 勇気や計画性より蛮勇、無謀、狂信を感じさせるものがあり、

「いったい、こいつらは何を考えているんだ!」

 熟練の兵らをして不気味がらせたものである。

 しかもこのとき旅団長ツヴェティケン少将が、運悪く持病であるリウマチの症状に襲われていた。

 関節が痛み、三九度を超す発熱が起こって、呼吸は浅く眩暈がし、とても前線に出られるような状態ではなかった。

 少将は、いまベッドに横臥すれば起き上がれなくなると判断して、司令部を置いていた宿舎の椅子につき、サーベルに縋りつくようにして指揮を取った。

 彼はここから二日間、この椅子から離れず、ようやくに嚥下できた水のみを飲んで過ごしている。           

 少将の病状まで読んだわけではないが、エルフィンド軍の攻撃は正午ごろから激しさを増した。

 後備第一連隊の担当区に次々とエルフィンド軍部隊が現れ、砲撃と接近を行いはじめたのである。

 ちょうど、彼女たちの砲兵が戦場に到着しはじめた時刻と合致する。

 後備第一連隊の担当区は、丘陵間に街道が行き交う地形をしていて、軍用地図上で見る以上に相互の連絡が悪かった。各大隊が防禦陣を敷いた村落は、実質的に隣接部隊との連繋はとれなかった。

 ディアネン市第六国民義勇兵連隊は後備第一連隊第二大隊を狙い、第七国民義勇兵連隊は同第三大隊を襲った。

 午後一時、まずディアネン市第六連隊が、第二大隊の前哨地になっていた寒村ヨアフルプへと突入した。ここには第二大隊第四中隊及び後備工兵第一大隊のうち一個小隊がいたが、猛攻に晒されて大隊本部の位置するログコッケンを目指し、西に向かって退却した。

 ディアネン第六連隊の攻撃が上手くいったのは、同連隊には臨時編成海軍陸戦隊の増援がつけられていたこと、機動性のある七ポンド山砲が随伴でき活用したこと、彼女たちの兵力に比しオルクセン将兵は寡兵であったことなどが大きい。

 続けて午後二時。ディアネン第七連隊が、第三大隊の前哨陣地であるホニングヴォクスの村に突撃した。

 これは多大な損害を出した。同地には後備第一連隊第三大隊の約一個中隊がいたが、彼らは冷静に敵を引き付け、落ち着いて射撃をし、二度敵を撃退した。二度目には随分と敵に迫られたが、鹵獲の小銃六丁まで得て、後備第一連隊が本部を置くソルトリルレまで後退した。

 ヨアフルプまで進出したヴェルナミア中将は、主力を以てログコッケン攻撃を決意し、これを経てソルトリレ攻略を企図した。同地を落とせば、後備第一旅団が司令部を置くストルステンブロウを狙える。

 ヴェルナミア中将の計画に手が込んでいたのは、彼女自身とその支隊主力はストルステンブロウに突入できなくとも良い、と割り切っていたことだ。敵がこの攻勢に動揺し、予備兵力を吸引できれば良いとした。

 さすれば、マルローリエン旅団の突入路を開くことができ、ひいては女王の脱出を成し遂げられる―――

 ヴェルナミア中将は第一報をディアネン市及びイヴァメネル中将のもとへ送るとともに、ログコッケン攻撃準備を下令した。

 ところがこれは、なかなか進展しなかった。

 砲兵隊主力の進出が想定以上に遅れ、彼女たちはその後三時間にわたって「待ちぼうけ」を食わされることになる―――



 後備第一旅団の危急を、周辺部隊は同日中には把握した。

 このとき、総軍司令部は件の諸事情のため、指揮能力が低下している。

 それでも彼らもまた午後三時ごろには情勢を知り、第一軍団司令部の指揮通信機能を利用して、第四軍団及び第三軍第七軍団、大鷲軍団第二空中団に救援及び援護を下令した。

 周辺部隊のなかで最初に事態を察したのは、アンファウグリア旅団だ。

 彼女たちは敵攻勢が近いことを感得して独自に警戒に入っていたし、後備第一旅団との間に連絡線を有していた。

 ブラトフレグという大規模村落に司令部を置いていたアンファウグリア旅団では、野戦電信の切断に備えて後備第一旅団との中間に、騎兵第三連隊から一個中隊を割き、側面の哨兵を兼ねて配していた。

 この一個中隊―――騎兵第三連隊第六中隊が、北方からの砲声に気づき、まずはこれを第一報として三連隊本部へ伝えている。

 一支隊を形成して旅団北翼端の守備についていた騎兵第三連隊長エラノール・フィンドル中佐は、第一報を旅団本部へ転送しつつ、赴援命令の降ることを予想し、派出できる兵力の編成を急いだ。

 第四軍団司令部もまた後備第一旅団からの一報電を受け取り、北隣の第一五師団へと命じて、先に決まっていた一個大隊派出に加え、擲弾兵第三四連隊の増派準備を下令している。

 同時に第四軍団司令官シュトラハヴィッツ大将は、スリュムヘイムの街にいる大鷲軍団第二空中団に援護を要請した。

「敵の司令部、砲兵陣地を狙う」

 第二空中団を直率していた大鷲軍団長ヴェルナー・ラインダース少将は、午前九時半、発着場に待機していた大鷲四羽をまず発進させて、攻勢に出た敵部隊位置の詳細把握を命じた。

「後備第一を空中援護せよ。空中偵察、弾着観測の支援を絶やすな。そして我らは残りの稼働全羽を以て、敵後方を爆撃する」

「しかし、団長。もう改造爆弾の残りが―――」

「構わん、使い切るつもりでやれ。正念場だぞ、これは。敵にしてやられるか、奴らの自尊心ごと粉砕するかの、な」

 ラインダース少将は、ちょっとそこで首を傾げた。

 自らの種族。

 コボルト飛行兵イーグル・ドライバーたちの力も借りた、大鷲軍団。

 それに成せること。

 何かを思いついた。

「・・・ふむ。総軍司令部と第一空中団に連絡を。敵牽制となり、敵の自尊心も打ち砕いて御覧にいれる策がございます、と」

 このころ、エラノール・フィンドル中佐率いる支隊は、騎兵四個中隊、山岳猟兵一個中隊、機関砲二門、山砲二門から成る援兵を出す腹積もりを固めていた。

 支隊の全力に近い。

 闘将的な性格を持つフィンドル中佐は、敵の詳細が分からぬ以上、投入できる全力を使って、かつ自らこれを率いていく決意をした。

 アンファウグリア旅団にとって、後備第一旅団は気のいい戦友たちである。

 ネニング平原展開後は肩を並べ、リヴィル湖畔の戦いでも共に戦った。

 どうにか助けてやりたいと純粋に願う兵がいる一方、戦場における兵隊の心理は複雑である。また後備第一か、私たちにどれだけ迷惑をかける気だと、罵った者もいた。これもまた正直な感情の吐露であろう。

「フィンドル支隊は可能な限りの兵力を以て後備第一旅団を赴援すべし」

 という旅団命令が届いたのは、意外にも二四日午後三時と遅い。

 これはアンファウグリア旅団の担当区に敵出現の兆候はないかと、確認を要したからである。彼女たちの南東方向には、ディアネン市国民義勇兵第二から第五連隊の四個連隊を中心とした親衛ディアネン市旅団と呼号する別支隊がいて、こちらの蠢動を警戒したのだ。

 救援に赴き、自らの担当区を奇襲されたのでは目も当てられない―――

 しかし、アンファウグリア旅団南東の敵は動かなかった。

 微動だにしなかったと言っていい。

「そりゃあ、動いちまえば儂らが前進するからな」

 その理由を察したのは、第三軍司令官シュヴェーリン元帥である。

 ディアネン市国民義勇兵旅団の前面には、第七軍団の第九師団がいる。対峙戦の形勢にある以上、簡単に動けるものではない。

「しかし、これは使えるな―――」

「閣下?」

「おい、ラング。突っ込もうか」

「やりますか」

「ああ。敵が殴り掛かってきたんだ、遠慮はいらん。ディアネン旅団とやらの側面から二一師団と第七師団を繞回進撃させる。正面の第九師団からも圧迫して、二翼包囲だ。滅茶苦茶にしてやれ」

「・・・西側の敵主力は終わりますな」

「ああ。そしてこいつは、間接的だが総軍司令部の言うところの救援にもなる。敵軍の後ろ髪を引っ張り倒し、尻を蹴飛ばし、殴り倒してやれ。ブルーメンタール―――」

「はい、閣下」

「アンファウグリア旅団の黒殿に知らせろ。側面の心配は御無用。遠慮なく敵に噛みつけと!」



 二四日午後七時、既に夕闇も迫ったころ。

 到着した砲兵隊による援護を受け、ディアネン市第六国民義勇兵連隊と臨時編成海軍陸戦隊は、ログコッケンの後備第一連隊第二大隊を粉砕した。

 八インチ榴弾砲の威力は凄まじかった。

 これに一六ポンド砲、一二ポンド砲、七ポンド砲による砲撃を重ね、兵力の集中投入による局地的な優勢を作り出し、ログコッケンを正面及び側面から攻撃したのである。

 この攻撃においてもっとも活躍したのが、約一個大隊規模だった海軍陸戦隊であった。

 彼女たちは、強大な敵を前にフィヨルドに閉塞するしかなく撃沈された、かつての乗組艦アルスヴィズとヴァーナの仇討ちとばかりに、あるいは全ての艦艇を失ったエルフィンド海軍にとって最後の戦いであるとばかりに、奮戦した。

 その内容も壮絶だった。

 紺色の水兵帽と水兵服に、白い脚絆という姿をしていた彼女たちは、この脚絆が目立つというので、突入前には全員で泥を塗り、偽装をしている。

 そうして一隊で撃ち、敵の目を引き付け、また一隊で接近するという戦闘を演じた。

 このころエルフィンド軍もまた、缶詰の再利用による急造手榴弾を作り出していたが、敵壕まで接近するとこれを着火、投擲し、内部の敵兵を殺傷している。元はアルスヴィズの水雷長で創意工夫の得意な者が、部下たちとともにこの手榴弾を作った。

 そうしてログコッケンの第二大隊を敗走させると、魔術探知を使って両側面に浸透していた第六義勇兵連隊が、退却する敵を猛烈に撃った。

 国民義勇兵たちが装備していた小銃は、メイフィールドP六三というキャメロット製旧式銃で、この銃は前装式施条銃の後部を切断し、蝶番で開閉する装填機構を組み込んで後装銃としたものだ。それなりの射程と威力を持っていたが、前装式時代の構造を流用した撃発装置を使っていて、このため発射時に銃身が振動し、射撃精度は良くなかった。

 それでもなお多数のオルクセン軍将兵が撃たれたのは、そのような欠点を数で補ったこと、交戦距離としては極至近距離から襲ったからである。

 第二大隊はこの戦闘で「戦死二一、負傷及び俘虜となる者八一名」を記録した。

 第二大隊を下したヴェルナミア中将は、ただちに部隊集合を命じ、ソルトリルレの村を午後九時半に襲っている。

 同地にあった第三大隊、退却した第二大隊の残余との戦闘となったが、別街道を進んで第三大隊を圧迫していたディアネン第七連隊と合流することも出来、頑強に抵抗するオルクセン軍を次第に圧迫する形勢となった。

 ヴェルナミア中将は、乗馬または徒歩で戦場を走り回り、あるいは幕僚を通じて、二名の連隊長はじめ各部隊長を叱咤激励した。

「ここを落とせば、敵第一大隊の後方を遮断出来る。敵は総崩れになる! 女王陛下を御救いできるぞ!」

 刻を増すたびに、エルフィンド軍砲兵の着弾は増し、闇夜にも閃光となり、その度にオルクセン軍将兵は死傷した。

 対抗するオルクセン軍は、五七ミリ山砲を使って照明弾を打ち上げ、二度、三度とエルフィンド軍を撃退している。

 彼らの支えとなったのは、村落にあった石製の囲壁と、四門あった七五ミリ野山砲だ。

 ところが夜半に入ると砲兵陣地にも着弾し、弾片により損傷する砲、あるいは砲員を薙ぎ倒される砲が出て、援護不能になった。

 周辺拠点も次々に落ち、指揮をとっていた後備第一連隊長は後退を決意する―――

 最後を決したのは、ディアネン第七連隊による夜襲突撃であった。

 馬から降りたヴェルナミア中将自らがこれを率い、総員で魔術力まで使った赤い目を輝かせ、銃剣とサーベルを以てソルトリルレの村に突入した。

「突っ込め! 突っ込め!」

 ヴェルナミア中将は、この戦闘で腰部及び右大腿部に被弾し、事後の指揮が不能となるまで奮戦ししている。

 日付も変わった二五日午前三時、部下たちに両脇を抱えられ、ついで担架に乗せられた中将は、苦痛に呻きつつも、それでも決死の形相で叫んだ。

「マルローリエンに・・・イヴァメネル閣下に伝えろ・・・! 道は開けた、道は開けたとな!」

 ―――受けて、二五日早朝。

 イヴァメネル中将率いるマルローリエン旅団胸甲連隊二個、竜騎兵中隊三個、砲兵隊による突進が始まった。

 エルフィンド騎兵、最後の集団戦闘である。



(続)

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