第49話 エルフの国のいちばん長い日①

 ―――君たちを愛している。

 私たちも。

 ―――君たちは世界一美しい。

 嬉しい。

 そう、私たちは世界でもっとも優れた種族。

 ―――いいかい? 争ってはいけないよ。決して。

 ええ、それは愚かなこと。

 ―――君たちの歌声は、いつ聴いても素晴らしいよ。

 ありがとう。

 楽曲と、詩作と、文化は何よりも尊い。

 ―――なるべく纏って生きていくんだ。

 ええ、私たちだけで。

 白エルフわたしたちだけで。

 ―――この土地は、寒さで不作になりがちね。皆で生きていける農法をやっていきましょう。

 三圃式農業は、貴方様が授けてくださった、もっとも優れた農法。

 これ以上の方法はない。

 ―――貴方たちの言葉にはうっとりする。響きがいいわ。

 我らが言の葉は、さんざめく煌めき。星々の輝き。

 他の言葉など下劣。

 ―――あの川よりも南は危険だ。他の種族たちがいる。

 シルヴァン川は、我らが国境。

 他種族は危険。野蛮。蛮夷。未開。穢らわしい。排除しなければ。

 ―――これで大丈夫。残念だけれど、私にはもう時間がないの。

 待って。待って。お願い、待って。

 見捨てないで。私たちを見捨てないで。

 私たちは完璧。私たちは美しい。私たちは世界一優れている。

 貴方たちの教えを守る。違えない。間違えない。

 私たちに失敗はない。失敗しない。失敗してはならない。

 だから見捨てないで。



 星暦八七七年四月二二日。

「もはや一刻の猶予もならない」

 サウェルウェン・クーランディア元帥は、解囲攻撃の実施を主張した。

 せめて女王エレンミア・アグラレスを脱出させたい、また、させねばならぬ、という趣旨である。

 包囲下に陥ってしまった軍隊は持久戦を強要されることになるが、自らこれを破るか、外部からの援軍を待つしか根本的には状況打開の望みはない。

 そしてエルフィンドには、もはや後者は存在しなかった。

 ならば自ら敵攻囲を打ち破るしかない―――

「・・・・・・」

 政府首脳たちは無言のままであった。

 ―――どうして。

 どうして、こんなことに。

 オルクセン軍の行動は、まったくから外れている。

 まるで詐欺のようだ。

 卑怯だ。

 野蛮である。

 その蛮族に、我らが完膚なきまでにしてやられるなど。

 こんなことは許されない。あってはならない。

 有り得ない。

 有り得ないことが起きたというならば。

 何か重大な瑕疵があったに違いない―――

「そもそも・・・ かかる事態に陥りたる責任は、攻勢に失敗し、蛮族どもに反攻を浴び、敵の企図を見抜けなかった、元帥、貴方にあるのではないか」

「・・・如何にも。小官は所謂、敗軍の将だ。批判は甘んじてお受けする」

 今更責任追及か。

 銃殺でもされるかな。だが私は引かんぞ。

 政府首脳こいつらは、常にそんな真似をやって権力を掌握してきた。

 讒訴。密告。政治的暗闘。処刑。

 「偉大なる指導者たち」の教えを不磨の聖典のようにし、この国を無茶苦茶にしてしまった。

 だから、こいつらがどうなろうと、もはや構わない。

 陛下を。

 女王陛下を御救いせねば。

 さすればこの国は、たとえ敗れようと、まだやり直すことが出来る―――

「陛下の御脱出が無事完遂出来れば、そのあとで幾らでも罪は負う。一兵卒となり、盾となって、このディアネンで果てる決意だ。もとより、貴公らもその覚悟であろう?」

「・・・・・・」

 政府首脳たちは鼻白んだ。

「むろん、我らとてその覚悟ではあるが。御聖樹の護持には、近侍し、輔弼して、陛下をお支えする者が必要なることも、また自明。我らもまた―――」

「御聖樹を護持するには、一刻も早く、敵と―――オルクセン王国と講和することだ。ここディアネンで」

「・・・・・・・」

「それでは、これ以上異論はございませんな? 解囲行動に着手します」

 押し切る格好で会談を終えると、侍従武官長トゥイリン・ファラサール海軍大将は資料内容の確認を名目にクーランディア元帥をそっと呼び止め、辺りを確認してから囁いた。

「よろしいのですか、元帥。あれほど遠慮なくやられて。危険ですぞ・・・」

 しばらく警護の者を増やされたほうがいい、と助言した。

 それも、信頼のおける兵から。

 処断や暗殺の危険を警告したのだ。

 政府首脳は、軍内に自らの派閥や氏族に連なる者たちを多く送り込んでいる。戦前のエルフィンドにあって、最もその息のかかった国境警備隊の連中は既に無く、また同様の扱いであった首都ティリオンを中心とした部隊は前線にいたから、幾らかは安心できたが、エルフィンド秘密警察に属する者は相当数軍内に潜んだままである。

「なんの・・・ いまはまだ大丈夫でしょう。いまはまだ。奴らにとっても私は盾だ。オルクセンと講和するには、彼らに差し出す生贄役が必要となりましょう。私はその役目に打ってつけだ」

「・・・・・・」

「その役目を見越しているから、この困難な局面に際し、誰も私にとって代わろうなどという、御用将軍もいない。奴らの肩章は飾りのようなもの」

「では―――」

 ファラサール大将は、ただちに政府首脳にも気取られぬよう手続きを取るから、解囲継続の勅許を得てはどうかと提案した。

 女王に認められた策だというかたちを取っておけば、例え後になって政府首脳らが騒ぎ立てても、クーランディア元帥の身を護ることが出来る。

 その意であった。

「・・・そしてこれは、女王陛下の御内意でもあります」

「陛下の・・・」



 ディアネン市を全周包囲下に置くことに成功したオルクセン軍は、意外なことにそこで停止する形勢を示した。

 包囲環を縮め、残存ネニング方面軍を圧迫し、エルフィンド政府及び王室を一網打尽にしてしまうことは彼らも当然考えていたが、ただちに着手することはなかったのである。

 理由は幾つかある。

 第一に、もはや彼らにとって焦る必要は何もなかったということだ。

 じっくりと腰を据え、コトコトと小鍋を煮たてるように、内部の敵軍及び敵首脳を追い詰めれば良かった。

 これに関しては面白いことを言った者が総軍司令部にいて、

「柔らかいジャガイモを強火で炊けば、煮崩れする」

 如何にも、食に拘るオルクセンらしい例えをした。

 またひとつには、この包囲環を形成する過程で、将兵の疲労が頂点に達し、休止休養を与える必要があったこと。

 第一軍団、第五軍団、第六軍団、第三軍団、第四軍団の各部隊は、常に敵と撃ち合って前進してきたようなものだ。

 繞回進撃の主軸となった第七軍団は、千載一遇の戦機を掴まえんと、かなりの強行軍を重ねたし、これは第一軍団の一部や、第四軍団の後備擲弾兵第一旅団なども同様であり、また、後方浸透作戦から半ば無理矢理のかたちで包囲に参加したアンファウグリア旅団についても等しく言えた。

 またひとつには、これら部隊の補給線を確立し、糧秣、砲弾、医薬品といった軍需物資を行渡らせることを優先した。

 なかでも砲弾の残存所有数が、各軍団で危険な水準にまで低下している。

 第四軍団の戦訓が半端なかたちで広まってしまったこともあり、ネニング平原会戦中のオルクセン軍は実に良く砲弾を撃った。

 わけても、敵攻勢や陣地破砕役を請け負った榴弾砲、重野砲、臼砲の弾薬消耗が激しく、運動性が軽快ゆえに直接射撃を担った野砲、野山砲、山砲がこれに次いだ。

 ともかくもこの砲弾を再供給しなければ、大きな攻勢には出られない。

 各軍団は、砲弾を欲していた。

 第一軍兵站総監ヴァレステレーベン少将は、会戦期間中にネブラスから事前集積の定数外砲弾を前線に送り続け、ついにはファルマリア港にあった余剰砲弾にまで手をつけたほどである。

 相当に肝を冷やし、本国に対して追送を命じる電文を打たせ、貨客船のみならず鉄道車両運搬船まで投入して、海上輸送を絶えさせないようにした。

 ぎりぎりのところで、この追送第一陣がファルマリア港に入港したのが、四月一九日のことである。

 砲弾輸送専用とされた軍用列車四編成が、最初にネブラスに着いたとき、

「うちに寄越せ!」

 猛烈な要求をやったのが、第一軍団長ホルツ大将の司令部である。

 彼はそのための、連絡将校まで送り込んできていた。

 ちょうど第一軍団を支える兵站駅には、空荷になった馬車隊が約三〇両、いつでも荷を積み込める状態で、おあつらえ向きに待機しているともいう。

「他の軍団にも必要だ。全部は送れない」

 というヴァレステレーベン少将は、続けて、つい本音を漏らした。

「与えても与えても、濫射濫費するばかりじゃないか」

 砲弾を無駄遣いしている、という指摘である。

 このため、第一軍団派遣の中佐参謀と、睨み合いにまで陥った。

 彼ら前線を預かる者にしてみれば、砲弾こそが兵の命を支えている。

 だがヴァレステレーベンに言わせるなら、砲弾を欲しているのは、第一軍団だけではない。

 各軍団等しく要望はあったが、なかでも第六軍団は野砲弾及び重砲弾の供給を熱望していた。

 これは会戦勃発以来、彼らを大いに支えていた攻城重砲旅団の二八センチ砲の射程から、ついに第六軍団が飛び出してしまい、会戦の後半においてはまるで用を成さなくなってしまった結果に依る。

 やはりこのような巨砲を野戦において運用することは、無理があった。

 二八センチ砲の分解、移動、再設置の動きは既に始まっていたが、未だ途上にある。

 オルクセンはこの戦訓に基づき、より運動性のある二一センチ榴弾砲と二四センチ攻城砲を作るが、それは戦後のことだ。

 さしあたっては軍団手持ちの火砲でどうにかするしかなく、彼らは砲弾を欲した。

 このような事情は、榴弾砲による支援が受けられなかった第三軍団などにも共通している―――

 銃弾についてはまだまだ余裕があったが、それでも充分とは言い切れなかった。

 これはベレリアンド戦争が終結してから統計上までの検証が行われたことだが、両軍ともに地形や壕を多用するようになった同戦役では、戦前の「決戦射撃思想」などあっさりと吹き飛んでしまい、小銃弾もまたヴァレステレーベン少将の言うところの「濫射濫費」傾向に陥り続け、ついにはネニング平原会戦においては敵兵一名を殺傷させるためにオルクセン軍で平均六五〇発、エルフィンド軍でなんと八三三発もの小銃弾を消費していた。

 一個大隊が一度統制射撃をやって、ようやくそれで敵兵一名が死傷するというような、もちろんこれには所謂「平均値の罠」が潜んでいるものの、ともかくもそのような結果が出て、当時の参謀たちを真っ青にさせたものだった。

 当然ながら、銃弾もまた供給してやらなければならない。

 このような事情下、物資の輸送には、鉄道線を確保した第三軍からのものも活用されることになったが、軌道間改修が間に合っておらず、フェンセレヒでの積み替えを要し、これは現時点では補助的なものに留まっている。

 ネニング平原会戦後半から、ディアネン包囲戦へと移行する期間におけるオルクセン軍兵站関係者の努力、苦心、苦労といったものは、以上のように筆舌に尽くしがたいものであった。

 彼らは、常に「競争」をやっているようなものだ。

 兵站危機という名の魔物との競争である。

 気を抜けば、それが襲ってくる。

 兵站機関は決して留まることを許されない。

 このときは、彼らとしては兵站状況改善のために軍と戦闘の停止を欲しながら、軍が滞陣に就けばやがて周辺地の現地調達可能な物資を使い尽くし、却って後方兵站機関の負担は増す。

 それまでに本国から輸送及び他地域からの調達を行い、輸送をし、軍展開地に新たな末端兵站拠点を設け、補給を確立させなければならない、という状況との戦いであった。

 一方、束の間の休息を得た格好の将兵たちが、本当に心身から休めたかというと―――

 そうとは言い切れない。

豆潰しこうぐんが終わったと思ったら、今度は穴掘りか・・・! いい加減にしろ!」

 実に適切なボヤキを漏らした、古参兵がいた。

 停止した各軍は、防禦陣地を構築しはじめた。

 舎営及び現地調達先となる村落や大規模農場を確保し、前哨陣地を作り、弾庫や糧秣庫の位置を定め、厩を築き、支撐点を幾つも用意した第一陣地たる戦闘陣地を設ける。

 鹿砦を置き、壕の一部には掩蔽を被せ、木材で補強する。

 まずは最優先である第一陣地が構築出来れば、支撐点間や予備隊及び掩体壕間の交通を助けるため、交通壕を掘る。運動先を確保しつつ、敵に対し遠距離から味方を支え得る砲兵の陣地も設け、また観測所も用意する―――

 オルクセン軍は、明らかに持久戦の構えを指向していた。

「敵将兵約二〇万、ディアネン市民約一四万を丸ごと日干しにする」

 と、総軍作戦参謀エーリッヒ・グレーベン少将は、その構想を開陳した。

「如何に生物として完璧と称する白エルフ族とはいえ、飯は食う。当然のことだ。全周包囲に依って、奴らの糧秣はいずれ尽きる。兵のみならず、ディアネン市の市民もいる。飢えさせ、王室、政府もろとも両手を挙げさせる。殲滅は、銃砲弾やサーベルや銃剣に頼るとは限らない。我が将兵の損耗も、最小限に出来る」

 兵站を重要視する彼らは、敵をして同様の、いやそれ以上の苦しみを与えてやろうというのである。

 この構想はいまに始まったことではなく、アンファウグリア旅団による鉄道線の破壊、兵站拠点の襲撃などは、このような効果も最初から狙ったものだった。

「ネニング方面軍にとって、最大の糧秣庫は何処だと思う? ビットブルク」

「・・・このネニング平原そのものですか」

「正解だ。この麦の海。豊穣の海。奴らは既にそこから切り離された浮島、難破船のようなものだ」

「ベレリアンド半島における冬穀の収穫まで約二カ月。仮に奴らがそこまで持久出来たとしても、飽食できるのはこちらだというわけですね」

「その通り。如何にエルフィンドの収穫量が低いとはいえ、俺たちが食い尽くせるほどじゃない。アルトカレも使える」

「・・・対して敵は、ディアネンのみならず首都ティリオンも、収穫量が更に乏しいであろう半島北部も日干しになる、と。下手をすると、国ごとひっくり返りますな」

「その通り。この戦争は奴らがどれほど足掻こうと、どうやってもそこで終わりだ。海上も封鎖されている。仮に降らなければ、国の北側半分、この冬辺りには全て餓死してもらうことになる。食は全ての根幹とは、よく言ったものだ」

 実にオルクセンらしい、堅実さを持ち、それでいて残虐極まる構想だった。

 開戦から既に半年。

 彼らの国内事情は経済面でも民心面でも強固に安定しており、また最早外交上の懸念もない。

 だからこんな腰の据えた戦略も、選択肢に乗せることが出来た。

「もっとも。奴らからすれば完全に視界のそとからも炙っていくから、そう長引くまいがな」



 エルフィンド軍は、解囲行動のために出来得る限りの兵力を集めた。

 オルクセン軍の攻勢が一旦停止したことを好機とし、あちらから歩兵の一個大隊、こちらから砲兵の一個中隊という具合に、渋る各軍から兵力を引き抜き、またこれに僅かながら残存していたネニング方面軍直轄予備兵力と、ディアネン市徴募の国民義勇兵約三個連隊を用意して、一軍を形成した。

 このような国民義勇兵連隊が形成されるのは、ディアネン市においては七個連隊目で、各部隊の規模はまるでバラバラであり、実質一個大隊規模という隊までいた。

 被服や装具は、軍正式の軍服及び背嚢などを支給できた者は僅かであって、エルフィンド軍を示す真鍮製の円形章と、ブリキ製の階級章だけを兵自身が私服に縫い付けている。

 兵器は、故障火器の修理品や、市内にあった有事用兵舎の武器庫を開いて予備兵器を支給したが、そのほぼ全てがメイフィールド・マルティニ小銃ですらなく、それ以前の旧式小銃である。

 ディアネン包囲戦の際、国民義勇兵の多くは、基礎的な訓練を施す暇すら僅かで、集団としての一体性をどうにか確保するために、職場単位や氏族単位の中隊が編成された。

 ディアネン警察第三中隊であるとか、縫製工場第一五中隊、郊外の〇〇村選抜中隊といった具合である。

 毛色の変わった一団もいた。

 海軍のフロックコート型制服を着た将校の指揮官を先頭に、水兵服の兵たちといった一個大隊である。これは巡洋艦アルスヴィズと仮装巡洋艦ヴァーナから陸上に揚がった元乗組員たちで、この日までネニング方面軍の予備兵力となっていた臨時編成陸戦隊の者たちだ。

 彼女たちは、解囲軍のなかでは「装備及び練度優秀」に分類されている。

「我らは、運命の悪戯により海の上ではなく陸の上で死ぬ。それもまた一興よ」

 海軍勤務の長い下士官は、そのように嘯いた。

 全将兵には、二日分の携行糧食が支給された。

 既に首都ティリオンの陸軍糧食廠製糧食はほぼ使い切っていたから、ディアネン市内のパン工場や、挙句は個人経営のパン屋、有志家庭などを使って用意したエルフィンド式乾パン、それに牛缶二個という構成である。

 市内には醸造所があり、火酒だけは豊富にあったので、これを兵に一瓶ずつ特別に配給した。

 飲んで、気勢を上げろというのである。

 もはやエリクシエル剤の在庫が乏しかったため、負傷時の消毒薬としての役目も果たす。

 包帯は、縫製工場と市民供出のリンネルを使って用意した―――

 四月二三日には、市中の市庁舎前から中央駅舎前まで、盛大なパレードが催された。

 女王エレンミア・アグラレスも市庁舎のバルコニーに出て、親しく手を振る。

「女王陛下ばんざい!」

「エルフィンドばんざい!」

 沿道の観衆もまた歓呼の声を上げ、兵たちに対して色とりどりの花、紙吹雪を投げ贈った。

 市民たちは、女王の姿―――エルフ系種族としてはまだうら若い姿に健気さを感じ、ある者は涙し、またある者は奮起した。

 閲兵側で最も歓声を受けたのは、解囲軍の指揮官となったファンリエン・ヴェルナミア中将であった。

 彼女が馬上豊かに現れると、市民の熱狂は頂点に達した感があった。

 ヴェルナミア中将は、本来はエルドイン軍の司令官である。

 オルクセン軍第三軍団と相対していた東部の前線から呼び戻され、指揮官に据えられた。

 エルフィンド国内では、勇将として知名度がある。

 ロザリンド会戦にはマルリアン大将麾下の下士官級として参加し、戦功をあげて肩章を着けることを許されるようになった「叩き上げ」である。当時の女王から、勲章も授与されていた。

 その後、軍の歩兵科で勤務を続けているうちにまずマルリアン大将に、ついで彼女の紹介でクーランディア元帥に認められ、やがて政府首脳にも名を知られるようになった。

 政府首脳は、彼女を気に入った。

 まず、小さな氏族出身とはいえ由緒ある白銀樹の出で、エルフィンドでは正統的とされる金髪碧眼をしていて美しく、それでいて白エルフ系には珍しい線の強さがあり、頼りがいのある見た目をしている。

 独学で得た教養もあって、陸軍大学校を経てから、重要人事に抜擢されるようになった。

 戦前は、北部エルドインの常備軍旅団長。

 開戦とともに中将に昇り、エルドイン軍司令官。

 ネニング平原会戦が始まってからは、頭部にオルクセン軍砲弾片による裂傷を受け、エリクシエル剤による治療を受けるまで流血しながら指揮を執ったというので、報道もされ、人気を博している。

 当初、クーランディア元帥は解囲軍の指揮官にイヴァメネル中将を当てようとした。

 彼女の率いる支隊の主力は、胸甲騎兵である。防禦戦線の形勢には向いていない。

 そこで支隊の猟兵連隊や砲兵隊を防禦兵力として残置させ、本来のマルローリエン旅団分の兵力とともに彼女を前線から引き抜き、指揮官に据えようとしたのだ。

 ところが、クーランディア攻勢で「突っ込み損ねた」かたちであるイヴァメネル中将もまた政府首脳たちは「敗軍の将」とみて、加えてクーランディア元帥の息がかかりすぎている将だとして、難色を示したのである。

 その政府首脳たちが、半ば指名するように呼び戻したのが、ヴェルナミア中将であった。

 クーランディア元帥の主導する解囲作戦の人事に、政府首脳が政治的に介入する―――

 このような真似そのものが、エルフィンドという国家をここまでの事態に追い込んだ一因であるが。

「何て無謀な。敗北に向かって突進するようなものだ」

 当のヴェルナミア中将は、政府首脳の抜擢をまるで有難がっていなかった。

 では軍の一翼を形成する者として、クーランディア元帥に全面的に従ったかというと、これもそうではない。

 やや複雑であるが、中将は解囲行動そのものに疑問であったのだ。

 彼女の見るところ、オルクセン軍のうち、西側のディアネン市後方に回り込んだ連中は、いつでも前進できるのに停止した。

 ディアネン西部の防禦は、まるで存在しないに等しい。

 国民義勇兵の五個連隊と幾らかの常備軍予備兵力が、オルクセン軍の迂回行動を前に大慌てで築きあげた、ほんの僅かな防禦線が存在するだけである。

 兵力に比し展開距離が余りに広く、このためティリオン街道に主力を置くと、残りはほぼ単体の、砦と呼ぶには烏滸がましい監視哨のような存在が、点々と浮島のように設けられているだけだ。

 オルクセン軍が突入を図れば、あっさりと崩れ去ってしまうような代物でしかない。

 彼らはディアネン市街地に直接攻め込むまで行わなくとも、包囲環を縮め、あの恐るべき威力を誇る火砲群の射程内に収めてしまえばいい。アルトリア戦の再現になる。

 では、なぜそうしないのか。

「息切れ。我らと同じく砲弾不足。そして砲撃により交渉相手を失うことを恐れて、持久戦の構えをとろうとしているのではありませんか?」

 彼女は、オルクセン軍の意図を正確に読んでいた。

 ならば解囲行動など図らず、掻き集めた兵力はこのまま西部域の防衛にあてたほうが良いのではないか。

 イヴァメネル支隊を含む解囲軍総兵力は約八八〇〇名であったから、これでもなお防禦線の長さに比して薄い兵力しか配置できないが、更に国民義勇兵を集め、補強してはどうか。

 また当面は纏まったままにしておき、オルクセン軍が前進の形態を示した際に集中的に投じる予備兵力としてはどうか。

 その方が、持久戦を図れる。

 また、休戦乃至講和を図るとしても、有利な条件を引き出すには軍事力を背負っていなければならない。極論から言えば、軍事力とは兵の頭数だ。解囲軍として集めた兵力をこの一助と成すことも出来る―――

「貴公の申すことは、もっともだ」

 クーランディア元帥は頷いた。

「だが。女王陛下がおわす」

「・・・・・・」

「私は確かに失敗をした。重ねたと言ってもいい。最大の失敗は、陛下をこのディアネンにお招きしてしまったことだ。他に勝策を思いつかないばかりに、私は陛下を利用した。政府の連中をどうこう批難する資格すらない。それが無ければ、貴公の言う通りの方策を取っただろう」

「・・・・・・」

「陛下は、まだお若い。なんとしても逃げ延びて頂きたい」

「・・・・・・」

「貴公は、言ってみれば貧乏籤を引いてしまったのだ。政府と、私の尻ぬぐい役という名の」

「・・・わかりました。もう何も申しません」

 ただしヴェルナミア中将は、作戦決行時における戦術面の内容、また決行日については、全面的に任せてもらうよう了承を取り付けた。

 彼女は解囲軍の兵力―――というよりその質に重大な懸念を持っており、訓練もろくに施していない国民義勇兵が最大の数を占めていることに不安を抱いていた。

 国民義勇兵に見るべき点があるとするならば、彼女たちはディアネン周辺の地理に詳しいということである。

 そこで極少数の斥候を放ち、オルクセン軍の配置状況をより詳しく探り、防禦の弱い箇所、間隙部分を突きたいとした。

「なるほど。浸透戦術の再実施か」

「はい。現在までの情報において、おそらく敵の防禦がもっとも弱い箇所は、小官の見るところこの部分―――」

 ヴェルナミア中将は、軍用地図を示した。

「敵、後備第一旅団だとされている部隊です」



 このころ、フェンセレヒ盆地南側のエイセル峠で懸命の抵抗を続けていたエルフィンド軍第二四歩兵旅団を中心としたゲリラ・コマンドは、その最後を迎えようとしていた。

 三月下旬、抗戦を始めたとき彼女たちの兵力は五〇〇〇名近かった。

 その残存兵力は、もはや六〇〇余りである。

 坑道ごと爆破され。

 山中に追い込まれ。

 エリクシエル剤はとっくに尽き、銃弾薬も食糧も残り僅かであった。

 支隊を率いるセレスディス・カランウェン少将は、手持ちの四〇〇名余りとともに、まだオルクセン軍に見つかっていない坑道支孔にいた。

 エイセル峠の東西両側に何本かあった本坑道のうち一本の、本来なら換気孔にあたる部分である。そこは少しばかり広さがあり、本坑道から山中に向かって斜めに伸びていて、山肌にある換気孔を出入り口として使えた。

 もはや各自の軍服は埃や泥、そして血痕などに汚れ果て、坑内には負傷者の呻きが響き、また既に息絶えながら敵の発見を恐れて埋葬さえ出来ない兵の遺骸があった。

 既にオルクセン軍第八山岳猟兵師団が周囲に迫っていて、このうちもっとも近いものは三日前に斥候隊が発見しており、いずれこの坑道も見つかるものと思われた。彼らは巨狼まで投入して、匂いや痕跡を追っている。

 残り二〇〇とは、連絡さえつかない―――

 三月下旬の抗戦開始後、カランウェン支隊で最初に全滅したのは、六名乃至八名ほどの規模で計八隊作られた破壊工作班だった。

 鉄道橋、鉄道線、電信線の破壊を目的とした彼女たちは、実に良くその任務を果たした。

 ところが巨狼隊がやってきて、疾風のように破壊工作班の「狩り」を始めると、次々に根絶やしにされた。

 破壊工作班はその目的から市井の服装をしており、軍法による保護をまるで考慮されなかった。

 ある隊は一夜のうちにアルトカレ平原で野晒しの肉塊となり全滅し、またある隊は潜んでいた水車小屋に追い詰められて、オルクセンの正規軍部隊を呼ばれ、山砲で小屋ごと吹き飛ばされた。

 あれほどの戦果を上げた本隊による補給線への襲撃も、やがて上手く行かなくなった。オルクセン軍は補給馬車や鉄道車両に直接の護衛を、しかも大きな数で着けるようになって、猛烈な反撃をし、さらには追撃して、一隊一隊を追い詰めたからである。

 追い詰められると廃坑道に逃げ込む戦術をとった隊もいたが、オルクセン軍は坑道口附近を掃討して坑道内へと彼女たちを追いやり、そのうえで坑道口に大量の火薬をしかけ、爆破するという手段で対抗するようになった。

 オルクセン軍はこの作戦に、新たな発明を使っていた。

 手動発電式の発破器だ。

 とっくにオルクセン国内の鉱山などでは使われるようになっていたこの便利な代物を、実験的に採用して送り込んだのだ。

 最初のうちはそれでも別坑道口から逃れることが出来たが、第八山岳猟兵師団にいた炭鉱夫出身の兵たちが中心になって地形を読み、先手に先手を重ねて坑道を見つけだし、内部にエルフィンド兵がいようといまいと坑道口の爆破を行うようになってからは、支隊は急速に拠点を失いはじめた。

 山中の地隙、窪地などに木材類を使って築かれた拠点も、ひとつひとつを虱潰しに襲われ、壊滅してしまった。

 火砲の持ち込みにくい山中で、恨めしいほどの威力を発揮したのがオルクセン軍の五七ミリ山砲である。オーク兵たちはそれを担ぎあげるようにして持ち込んできた。砲弾も、兵たちが体力に物を言わせて背負っていた。

 掃討部隊は、奇妙な代物も使ってきた。

 それはこのころ、自然発生的にオルクセン各軍の前線部隊で開発されたもので、携行糧食用の牛缶の空き缶に火薬や屑鉄をつめ、緩燃導火索で点火して用いる投擲武器―――急造手榴弾である。

 彼らは擲弾兵の名の通り、ずっと昔に用いていた擲弾を再び復活させたようにして、それを使った。

 この攻撃を浴びた陣地は、二名、三名といったエルフィンド兵が纏まって死んだ。

 また、ある時期から支隊を苦しめたのは、当初は協力的だった山麓の村落などにオルクセン軍の哨兵が置かれるようになり、またそうでない村落も何か手配があったのか、食糧や医薬品の供給を行ってくれなくなったことだ。

 カランウェンは、そのような村落を恨もうとは思わなかった。

 エルフィンドという国家が国の防備を怠り、国民も領土も守れず、敗れようというのなら、当然の報いであろうと言葉を飲んだ。

 どの村にもオルクセンの旗が翻り、僅かながら存続した少数の協力者たちは、密告され、捕縛される者が増えた。

 坑道口を爆破され、とうとう出入口の全てを失った隊は凄惨だった。

 疲労困憊し、追い詰められた末、闇のなかを彷徨って、やがて水や食糧、空気を失い、全滅したものと推定された。

 もちろん、長い抗戦のなかには投降する兵も出た―――

 カランウェンは彼女たちを責めようなどとも、毛頭思わない。

 むしろ不甲斐ない己に従い、よくそこまで戦ってくれたものと誇りに思う。

 彼女は、部下たちの苦闘の記録を克明に残した。

 すっかり追い詰められ、坑道に籠っているばかりになったあとも、蝋燭の明かりのもとでそれを記した。

 そのうえで、回収できた全ての護符とともに白絹で包み、最後の拠点まで随行してくれていた軍医長に託した。

「支隊将兵、斯く戦えり。オルクセン軍司令官に心底より願う。格別のご高配を以て、どうか彼女たちを故郷の白銀樹のもとに還し給わんことを」

 ついに敵部隊が迫ったとき―――

 未だ元気を保っている隷下部隊長のひとりは、

「山肌が見えない」

 と、出力を絞った魔術通信で報告してきた。

 どういう意味だと幕僚が問うと、

「山肌三割。敵兵七割」 

 そんな具合だという。

 カランウェンは、配下に三名残っていた部隊長を集め、動ける全ての兵とともに解囲を図るよう最後の命令を下した。

「いいか。斬り込むということは、斬り死ぬという意味ではないぞ。もういかんと思ったら、遠慮することはない、投降しろ。奴らは軍法を順守している限り、敵兵も決して粗略には扱わん」

「旅団長は、どうかこのままここへ―――」

「馬鹿を言うな。むろん私も行く。ここには赤星十字旗を掲げて、投降してもらう。軍医長も残ってくれるそうだし、動けない負傷兵たちもいるからな」

「・・・では」

「うん」

 セレスディス・カランウェン少将の最後は、不明である。

 現在に至るも、正確な戦死地すら分からない―――



 巨狼アドヴィンは、このとき第八山岳猟兵師団主力とは別の、奇妙な一隊の護衛をしていて、カランウェン支隊最後の組織的戦闘に参加している。

 彼自身は、既に仲間たちとともに二隊の破壊工作班を葬っていたし、その後は六ケ所のエルフィンド軍拠点を発見する役割を負い、このときはカランウェン支隊残存主力とは別の、幾らか纏まった敵兵が籠っていた廃坑道へと向かっていた。

 彼が護衛した者たちは、本当に妙な連中だった。

 何名かは、軍の者ですらない。

 民間の、どうやら学者である者が三名ほど。山岳地で動きやすい服装に、防暑帽を被り、ゲートルを巻いている。

 そして、背に、円柱状の大きな金属筒を背負った兵たち。丸く窄んだ筒の先端には、バルブがついていた。

 みな、綿や防塵眼鏡といったもので出来上がった、いままで見たこともない装具を下げている。

 学者連ともども本国からやってきた兵たちには、この任務への緘口令が敷かれているそうだ。

 アドヴィンは、オーク族民間学者のひとり、その眼鏡をかけた顔貌に見覚えがあった。

 国王グスタフのもとに良く出入りしている、化学者のはずだ。

 たしか、肥料関係の研究をしている。

 種族としてうんと耳のよいアドヴィンには、彼らの交わす会話が、途切れ途切れながら聞こえてきた。

「深さが・るが・・・大丈夫か」

「・配ない・・・塩素の・・・比重は・・・」

「・・・ら、いいのですが」

「貴重な・・・だ。この・・・は・・・将来・・・役に立つ」

 アドヴィンは口元を歪ませた。

 彼は、この奇妙な連中がいったい何をしようとしているのか、聞かされていた。

 理解しきれるものではなかったが、まあそのような発明もあるのだろうと。

 ―――まったく。戦争など、ろくでもない。

 好んで参加している、我も含めて。



(続)

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