第48話 戦争のおわらせかた⑯ ネニング平原会戦⑪

 ―――星暦八七七年四月一九日。

 この日は、ネニング平原の全戦線において「追撃戦」の様相を呈した。

 既に前日よりエルフィンド軍後退の兆候を掴んでいたオルクセン軍は、彼女たちを追い立て、背を撃ち、打撃を与えようとした。

 軍を後退させるという行動は、難事である。

 野砲を撤退させ、山砲や騎砲が退き、最後には歩兵が下がるといった行動を、敵に気取られぬ様にし、あるいは察知されたとしても最小限に留め、迅速に成さねばならない。

 下手をすると、攻勢に出るより難しい。

 エルフィンド軍撤退の動きは、残念ながら「迅速」とはいかなかった。

 原因は、各軍司令部が発した「砲兵及び輜重部隊を優先撤退させ、資材搬送に全力を挙げよ」という命令に依る。しかも「砲弾節約令」は継続したままである。

 これは、大元を辿ればクーランディア元帥率いるネニング方面軍司令部の方針に沿っていた。

 迅速な撤退のみを考えるなら、集積糧秣のうち携えていけない部分は焼却してしまえばいい。

 砲兵は陣地転換を行い、後退援護を実施すべきであったのかもしれない。

 しかしながら、もはやエルフィンド軍にはその「体力」や「余裕」が残り僅かであり、乏しかった。

 「第二線」構築陣地による持久戦という次の段階を見ていたネニング方面軍司令部は、一包でも多くの糧秣、一発でも多くの砲弾も後退させようとしたのだ。

 もはや「無謀な抗戦」に片脚を突っ込みかけていた彼女たちとすれば、やむを得ない措置であっただろう。

 だが結果として、前線部隊の撤退は輜重隊の荷役作業時間までを庇うかたちになったうえ、その彼女たちを援護する砲撃は僅かなものとなってしまった。

「敵の一〇発に対して、一発の割でしか撃ち返しておらんじゃないか!」

 と、憤慨する歩兵隊指揮官もいたし、

「撃て! 撃つんだ!」

 砲兵隊指揮官と掴み合わんばかりの大喧嘩に陥った者もいた。

「いくら言われても、今日の割当分はもう撃ってしまったよ」

「杓子定規なことを! 私の部下を見殺しにするつもりか!」

「軍司令官命令が撤回されない限り、無理なものは無理だ」

 一日一五発しか撃てないという実情は、まるで擾乱射撃ほどの効果しかない。

 それも、エルフィンド軍砲兵のうち多くの隊がやったのは、一〇分に一度ほど撃つという「緩射」である。

 後退速度が遅く、援護する砲撃も弱々しいという事情は、これ即ちオルクセン軍の追撃に掴まり続けるということである。

 両軍前線は、オルクセン総軍司令部戦闘詳報のこの日の記述に従うなら、「絡み合うようにして」戦闘を継続した。

 このような形態の陸上戦闘は、彼我両軍に損害を蓄積させる。とくに後退しながらこれを遂行しなければならないエルフィンド軍側は、しばしばオルクセン側の砲撃を浴び、小銃射撃に襲われた。

 またエルフィンド軍の構想を実現するには、周囲部隊との連繋が重要となる。

 例えば一部の隊が過早に撤退してしまっては、前線はそこから土崩瓦解に陥ってしまう。

 この連繋をやるために、エルフィンド軍前線各隊は既に疲労困憊していた兵たちを叱咤激励しながら魔術通信を交わし、実現に努めたが―――

 多大な通信の使用は、これそのものがオルクセン軍側に傍受され、観測され、偵知されて「敵退却の兆候」の一つとして利用される結果を招いた。

 この兆候をもっとも上手く活用した部隊が、第一軍団に属する第一八擲弾兵師団である。

 第一八師団は、クーランディア攻勢を押し返す過程で後備擲弾兵第一三旅団及び後備野戦砲兵第一〇旅団を麾下に加えられ、甚だしく増強された部隊であり、エルフィンド軍による兵力配置誤認という重大な失敗の一因を招いた師団でもある。

 この第一八師団が、擲弾兵旅団三隊を主体として強力な支隊三つを作り、第一軍団の一翼を担って猛烈にアルトカレ軍を押した。

 魔術通信傍受の観測手段が多く、エルフィンド軍撤退の兆候をいちはやく掴むことができ、またこれを戦機として投入出来る兵力が豊富であったためである。

 なかでも猛追を実施したのは、あのギムレーの丘でクーランディア攻勢相手に奮戦した、擲弾兵第二三旅団長メルツァー少将率いる支隊であった。

 この攻撃を浴びたアルトカレ軍の一支隊は、既に退却命令を受け取っていたことを拠り所とし、周辺部隊よりも早々に砲を撤去、糧秣輸送を開始して、後退を始めた。

 しかも、この連絡を周辺部隊にも上級部署たるアルトカレ軍司令部にも行わなかったという不手際をやっている。

 アルトカレ軍司令官コルトリア中将は、当然ながらこの支隊が予定位置に残存するものとして後退戦の指揮を執った。

 司令部の地図の上では、後退は上手くいっていた。

 彼女の率いるアルトカレ軍は、全ネニング方面軍のなかでも退却距離がもっとも大きかったから、各部隊間連繋もまた重要となる―――

 ようやく状況把握に成功した参謀から、件の支隊が既に撤退し、戦線に大きな破孔が開いていること、そしてその箇所に敵第一八師団が食い込み、周辺部隊まで壊乱に陥りかけていることを知らされると、

「・・・・・・」

 茫然とした。眼前の図上状況と現実とが、まるで合致していなかった。

「・・・馬鹿な。祖国と女王陛下に対する重大な裏切りだ! 地獄に落ちろ!」

 怒気を発し、喚き散らしたという。

 コルトリア中将は、本来ならこのように生の感情を部下に向ける性格などではなかった。

 父性的―――と言っては、全てが女性である白エルフ族に適切であるかどうかはわからないが、ともかくもそのように明るく、胆力と包容力、指導力に溢れた性格をしていて、自ら士気の鼓舞に努め、隷下部隊を統率してきた、砲兵科出身の将である。形式や儀礼、典雅さを重んじたエルフィンド軍のなかでは、極めて珍しいタイプだったともいえる。

 彼女でなければアルトリア戦におけるアルトカレ軍撤退を成功させることは出来なかったであろうし、クーランディア攻勢を担い、またその瓦解を最小限に食い止め、アルトカレ軍を組織的に成り立たせてきたのは、彼女の才覚によるところが大きい。

 そのコルトリア中将が、生の感情を剥き出しにしてしまうほど、彼女自身も既に疲労困憊していて、余裕を失い、動揺した。

 古来、攻勢においても後退においても、隣接部隊の動向や状況に周辺部隊が影響される例は、多い。

 アルトカレ軍のあちこちで、予定とはまるで違った撤退が起きた。

 雪崩を打つように、崩れた。

「撃てば当たる状態だった」

 と、オルクセン軍第一八師団に属していた兵たちは回想する。

 後退するエルフィンド軍砲車や弾薬車、輜重馬車や、騎兵、歩兵たちはまるで混乱した塊のようになっていて、この上空を大鷲軍団第一空中団の偵察が飛び交い、砲弾が叩きつけられた。

 エルフィンド軍にしてみれば、最悪のタイミングで空中弾着観測による間接射撃が起きた。

 第一軍団直轄の野戦重砲第一旅団や、総軍から増強に着けられていた野戦重砲第一三旅団の一部までもが砲戦に参加している。

 各所で投降する兵、負傷ゆえに残置される兵も出て、これらはオルクセン軍に下った。

 同じく第一軍団の方面では、第一七師団の野戦軍医部長が、エルフィンド軍俘虜の様子にそれまでにない気配を感得している。

 どの兵も感情が虚ろになるほど疲労疲弊し、またエリクシエル剤が使用できたなら早々に恢復可能であっただろう兵までが残置されていたのだ。

 敵の医薬品が極度に不足しはじめている兆候は、イーダフェルト攻略のころから漂っていたが、それがはっきりとしたかたちである。

 隣接部隊の動向に周辺部隊が影響されるという流れは、オルクセン軍側にも起きた。

 第一八師団の追撃進捗に合わせ、第一師団、第一七師団の運動も加速して、第一軍団全体がアルトカレ軍を押し、削り、追いやった。

 同日夕刻までに第一師団はイーダフェルト鉄道線をディアネン市方面に向かって進む格好となり、鉄道線の掌握を完全なものとし、第一七師団は同鉄道線を越えて、ディアネン市西方側へと進出する態勢に移行している。

 第一軍団がこれほどの猛追を行ったのは、自らが一歩進めば、西側に隣接する第三軍第七軍団もまた一歩進むことが出来ると、己が役割を正確に理解していたためである。

 実際、彼らの追撃戦進展に合わせ、第七軍団は何の障碍もない野をエルフィンド軍の虚を突くかたちで前進して、大きくディアネン市西方後方に進出し、一九日には第七師団がイーダフェルト鉄道線西方の村ヒルヴィメッツァを陥落させている―――

 ただし、オルクセン軍側行動の何もかもが上手くいったわけではない。

 オルクセン軍第五軍団は、会戦生起以来、クーランディア攻勢で最大の被害を受け、苦労に苦労を重ねて立ち直り、戦線の一翼を形成し続けていたのだが。

 多大な損害を受けたことで、「軍団司令部の作戦指導が上手くいっていない」、「どこかに問題があるのではないか」というような先入観を総軍司令部から抱かれ続けてしまった。

 これには、何処か責任転嫁の匂いがある。

 クーランディア攻勢を予見できなかった責任は、当然ながらエルフィンド軍の兵力量や兵站能力を見誤った総軍司令部にも存在する。むしろ比重としては彼らにこそ大きい。

 ところが、同じくクーランディア攻勢に遭った第一軍団がたいへん上手く敵を押し返し、その後も反攻及び追撃を見事に遂行したため、

「第五軍団司令部は無能だとまでは言わないが、闘争心に欠ける」

 といった評価になるというのが、総軍司令部側の言い分であった。

 実際には、エルムト川をはじめとする両者の地形差や、相手兵力の違い、軍団主力たる第五師団が後方機関に至るまで深刻な被害を受けたなど、考慮されるべき要素は多い。

 ところがこれも、では第一軍団は緊要地たる三三四高地を一日で落としたではないか、第五軍団にも後備第五旅団を増援として送ったではないか、単なる言い訳に過ぎないというように、総軍司令部側からは見えた。

 この結果、まず一九日朝、第五軍団司令部は、

「敵をして退却の兆候あらば、猛烈にこれを追撃すべし」

 という総軍司令部電を受信した。

 総軍総参謀長カール・ヘルムート・ゼーベック上級大将名になっている。

 これは敵が退却すれば攻撃しろという意味ではなく、それ以前の総軍司令部訓示と合わせて考慮すれば、敵退却という状況を自ら作り出すほどに猛攻しろ、という示唆であった。

 ―――所謂、督戦電である。

 この前夜から、エルフィンド軍ネニング方面軍撤退の兆候は各所にあり、オルクセン軍各軍団は追撃戦の態勢に移行しつつあったが、総軍司令部から取り立てて追撃を促されたのは、第五軍団司令部のみである。

「これは軍団作戦指導への介入です! 攻撃に出ろと、子供の使いにでも言うように命じておるんです!」

 「尻を叩かれた」ことは明白であって、第五軍団司令部参謀たちは憤然としたし、第五軍団長キルヒバッハ大将は無言となり、蒼白となって、しかしとくに返信は用意させていない。

 わざわざ総軍司令部から言われるまでもなく、麾下部隊には追撃戦への移行を発令済であったからだ。彼らは、やるべきことを既にやっていた。

 総軍司令部と第五軍団司令部の仲を決定的に引き裂いてしまった電文は、午後になって届いた。

「第五軍団作戦指導状況を鑑み、軍団司令部の位置、前線より遠きに過ぎると判断す。隷下部隊への範を示すべく、軍団司令部自ら前進すべし」

 また、ゼーベック上級大将名になっていた。

「我らは子供の使いか!」

 第五軍団司令部参謀たちが、文字通り一名残らず憤慨し、激怒し、沸騰したのはこの瞬間である。

 彼らの不満は、ゆえなくして発せられたものではなかった。

 このとき、確かに第五軍団のなかで第五師団の前進が遅れていたという事実はあった。

 また軍団司令部は一旦これを休止休養させ、代わって他の部隊を前進させようとしていた。

 総軍司令部には、これが不満だった。

「何をやっているんだ! 動け、突っ込ませろ! 第五軍団は全般状況を理解しているのか!」

 総軍司令部で叫び、実質的に「督戦電」を起草、発信させたのは作戦部長エーリッヒ・グレーベン少将である。

 これもまた、苛烈に過ぎる批判であったと言える。

 第五師団は、繰り返すようになるがクーランディア攻勢で最も深刻に被害を受けた部隊である。

 とくに壊滅に等しい損害を受けた第二一旅団の隷下部隊は、臨時集成整頓されて、僅かに一個連隊並の実戦力でしかなくなっている。

 後方機関の受けた損害も深刻で、師団輜重隊と野戦軍医部のほぼ全てを失っていて、これを軍団補給部からの直接支援を受け、あるいは周辺部隊から供出を受けて、立て直しながら反攻に転じ、進むという、たいへんな困難を味わっていた。

 疲労度も高く、一時これを休養させようという第五軍団司令部の判断は、決して間違っていたとは言えない。

 しかも第五軍団司令部は、とっくに自らの前進を準備していた。

 このとき、彼らの位置は前線から約七キロの地点であった。

 これをまず通信機能を移し、司令部の半数を送り込んで、新たな司令部を前線から三キロのところに開設しようとしていた。

 そこへ、

「とっとと前へ出ろ」

 と、督戦されたのだ。

 二度もの督戦電を受けるのは、軍隊としては極めて不名誉なことである。しかもその内容に対して相応の言い分があるというのならば、屈辱にも等しい。

「だいたいな、遠いというのならば総軍司令部の位置の方なのではないか。前線状況を把握できているとは思えん!」

 第五軍団司令部参謀らの怒りの視線は、総軍から連絡任務に派遣されていた参謀将校ヴェッツェル大尉に集中した。

 部下たちからも慕われる温厚な性格をしていて、会戦勃発以来の隷下部隊の損害と状況とに心を痛め続けていたキルヒバッハ大将でさえ激怒し、馬を用意させ、僅かな参謀たちだけを引き連れ、まだ通信機能の移転が完全には済んでいない新司令部位置に向かった。

 このとき、

「第五軍団司令部は、激怒したキルヒバッハ大将の命により自ら電信線を切断して進んだ」

 という戦場伝説が生まれることになるが。

 経緯は以上の通りであり、「伝説」に過ぎない。


 

 アンファウグリア旅団は、四月一八日に総軍司令部からの包囲作戦参加命令を受領した。

 このとき彼女たちは、カナヴァにあったエルフィンド軍兵站基地を襲い、ヴィハネスコウ大鉄橋爆破のために分離していたファロスリエン支隊との合流も果たして、ティリオン街道から北に転じ、第四軍団前線への復路に向かおうとしていたところだった。

 そこへ、苦労と苦心をして彼女たちを探し出した大鷲軍団第一空中団の大鷲が空中伝令にやってきて、通信筒を落とした。

「全周包囲とはね・・・」

 ディネルース・アンダリエルと旅団司令部は、静かに奮い立ちもしたが、困惑も抱いた。

 アンファウグリア旅団は、元々は鉄道線や兵站拠点の襲撃、電信線の破壊を目的として、実施期間一〇日間の計画で敵後方に浸透したに過ぎない。

 襲撃が済めば、第四軍団の方角へと戻り、復命復帰する予定であった。

 ところが総軍司令部は、カナヴァより東へ向かって、ディアネン市西方郊外のティリオン街道上にある、フォルスナエという大規模村落附近に進出し、敵後方を直接的に遮断、南北両方向から進出してくるであろう第四軍団及び第七軍団と合流、包囲線の一角を形成せよという。

 通り魔的な行動計画であったはずが、じっくりと腰を据えた行動へと急変したことになる。

 となると、もっとも懸念されるのは事後の補給である。

 糧秣のうち「糧」、兵に給養すべき糧食は、このとき事前持参分の携行糧食で約二日分、カナヴァで鹵獲したエルフィンド軍携行糧食が約一日分。これに現地調達に備えて用意していた旅団会計費の残存が四日分であった。つまり旅団の行動可能日数は、実態としては約三日、現地調達が上手くいった仮定しても残り七日でしかない。

「こんなことなら、カナヴァの糧秣庫を焼き払うのではなかったな」

 ディネルースは、臍を噛んだ。

 彼女が率いる本隊は、一六日にカナヴァを直接に襲い、僅かなエルフィンド軍守備隊を蹴散らして、敵糧秣庫を徹底的に破壊していた。

 それでも一日分の鹵獲品を輜重馬車に積み込んでいたのは、兵站参謀リア・エフィルディスの機転と進言に依る。

「糧食は幾らあっても困るということはありません」

 予定行動の支障にならぬ程度にしますからと、これを成した。

 エルフィンド軍携行糧食は、ライ麦粉を中心に幾つかの穀類を混ぜ固く焼き締めた、掌ほどの大きさの保存食糧を中心にしている。これで中々滋養があり、直接食べることも出来たし、旅団の炊事馬車や兵の飯盒で煮て、粥のようにすることも出来た。

 ともかくもこれで、最悪の場合食い繋ぐことは可能だ。

 しかし砲弾や医療品の類も、幾らか消費している。また、最初から現地調達を中心に考えていた馬匹用飼葉も補充を必要としていた。

 これらは、どうにもならない。

 戦闘序列の通りなら、アンファウグリア旅団は事後の補給を第四軍団側から受けねばならない。

 また、ただちに行動に着手できるわけでもなかった。

 何しろ、戻るはずだった経路とはまるで進行方角が異なる。敵状斥候及び地形斥候を放たなければ、これより東方の詳細は不明であった。

 結果から言えば、彼女たちはその後、まずカナヴァ東方のニーニリという村へ進出し、同地にあった大規模農場を策源地として、行動の準備を整えた。

 旅団兵站参謀のリア・エフィルディス大尉が努力を重ね、幾らかの纏まった数の畜肉牛や乳牛まで買い入れている。

 これを連れて移動した。

 ―――ベレリアンド戦争では、ついにオルクセン軍は後方機関による兵站だけでは前線部隊を支え切れなかった。

 これは無理からぬところで、オルクセンほどの国力や兵站能力を持っていたとしても、そのようなことは最初から不可能であった。オルクセン軍自身が開戦前から自覚していたことで、だからこそ現地調達を補給に組み込んだのだ。

 なかでも現地に頼らざるを得なかったのは、飲料水、畜肉、飼葉などである。

 飲料水は全てを現地に頼り、飼葉がこれに次ぐ。

 畜肉も、家畜輸送船や輸送列車による本国からの供給努力は継続されたが、エルフィンドの内陸へ侵攻すればするほど現地調達の比率は増した。

 冷却系刻印魔術板を以てしても、当時の技術では精肉を保存輸送することは不可能に近く、衛生上も問題があるというので、屠畜し加工するのは受領する部隊側の精肉隊の役目である。

 このような、現地調達にある程度以上の比率で頼らざるを得ないという事情は、これよりずっと後の時代の戦争になって、国力や輸送力、現地社会基盤が増しても、ほぼ全ての国で解決しなかった。

 ベレリアンド戦争においては、彼我両軍が長期間に渡って対峙し戦闘したネニング平原で、畜産業は壊滅的な打撃を受け、回復にはかなりの期間を要した。

 ディネルース以下旅団司令部側が、補給を案じた所以である。

 包囲参加の命令受領時には、伝令した大鷲を空中で待機させ、取り急ぎ懸念事項を伝える文案を起草し、回収してもらい、託した。

 旅団通信隊とこの大鷲とは、最後に出力をうんと絞った魔術通信を交わしている。

「ブラウ〇三よりファング。確かに受領した。必ず伝達する」

「ファングよりブラウ〇三。よろしく頼む・・・ところでブラウ〇三」

「なんだい、ファング」

「あんた、昨年春の師団対抗演習にいなかったか?」

「・・・いたよ。どうして?」

「いや、なに。あのときも、下からこうやって見ていたんだ」

「そうか」

 ブラウ〇三の、柔らかな笑声が響いてきた。

「思えば、お互い遠くに来たものだな。とっとと済ませて、オルクセンに帰ろう」

「・・・ああ。早く帰ろう、ブラウ〇三」

 ブラウ〇三の符丁を振られた大鷲は、飛び去るとき、地上で手を振って見送るアンファウグリア旅団将兵たちの中に、熊毛型の軍帽へ大鷲の羽根を着けた者を見た気がしたが、錯覚だろうと思った。



 ―――四月二〇日。

 オルクセン国王グスタフ・ファルケンハインは、ネブラス市からイーダフェルト市に向かう専用列車のなかにいた。

 第五軍団司令部などの指摘を待つまでもなく、総軍司令部もまた自己の前進を決めていて、その位置はイーダフェルトの街とされたのだ。

 この設置個所決定には、若干の論争があった。

 ネブラス市は、確かに総司令部のあるべき場所としては最早遠きに過ぎる。

 しかしながら、ではどこに次の総司令部を置くかとなると、もともとは第六軍団が位置取っていた辺り―――地名でいえば、ヴェグラムの街付近が良いのではないかとする意見も少なくなかった。各軍団からの距離がほぼ均等となるからである。

 だが、同地には既に第六軍団の後方機関や、攻城重砲旅団司令部などがあり、それでいて街の規模が小さく、総司令部を置くには不適格であろうとされた。

 最終的に選ばれたのが、イーダフェルトである。

 同市は、アルトカレ軍が司令部を置いていた点からもわかるが、それなりに規模がある。

 司令部を置くに相応しい駅舎や市庁舎があって、展開も容易であり、かつ鉄道線を利用してネブラスからの迅速な移動も可能だ。

 第三軍第七軍団到着時の兵站上の混乱も、既に収まっている。

 第四軍団などからすれば、総司令部位置はむしろ遠くなるが、ネニング平原会戦における主攻は南側と決していたから、これを作戦指導することも容易い。

 グスタフは、総軍司令部参謀たちの意見が決すると、とくに異論は挟まず、了承した。

 彼は列車内で、熱いコーヒーを飲み、キャメロット産の鋭い味わいの葉を詰めたパイプをふかしながら、この会戦の今後について思いを巡らせていた。

 ―――望ましい事態になりつつある。

 そう結論づけた。

 エルフィンドという国家は、あるいはそう言って不味ければ、白エルフ族という種族は異様なほどに自尊心が高い。もちろん個体差はあるが、大なり小なりそうだ。

 戦後の併合、統治を睨むならば、この過剰なまでの鼻っ柱を叩き折ってしまうことが望ましい。

 虚を突き、完全なかたちでの包囲戦を仕掛けられ、これを防ぎ得ないと気づいたとき、その白エルフ族たちの自尊心はどうなるだろう。

 兵器や兵力といった物理上の面のみではなく、知恵と知恵の競い合いとも言うべき戦術上でもまた完膚無きまでに敗れたとあれば、大きな衝撃を受けるに相違ない。

 彼女たちには、個の意識の高さゆえに、生き残るためなら己が利益となる支配者を自ら選ぶ、というようなところもあった。「従属する」というのとは、少し違う。機を見るに敏といったところ。オルクセンであろうがエルフィンドであろうが、「自らの意思で相手を選んでやっているのだ」というような考え方をする。

 オルクセン軍の占領地では、その期間が長ければ長いほど、オルクセンの国旗が実によく売れていた。軍指定の野戦酒保業者や、流通回復のための出入り業者の在庫から、手旗サイズのものから大きなものまで飛ぶように売れ、住民たちは軒先などに飾り、オルクセンの兵隊に向けて振ってみせている。

「旗を振れ、白エルフども」

 などと、命じる必要さえなかった。

 もし―――といっても、もはやそのような可能性は無きに等しいが、エルフィンド軍が彼女たちの占領地を「解放」したら、さもその瞬間までオルクセンを憎んでおりましたという顔をして、オルクセンの旗を焼き、エルフィンドの旗へと付け替えるだろう。何名かの生贄を密告して差し出し、素早く変わり身をして。

 それで構わない。

 将来のことを思えば、面倒臭くて仕方なかったが、当面はそれで構わないとグスタフは思っている。

 要は、支配者として失態を演じなければいいのだ。

 他の誰よりも良いパンと見世物を与えるのは、私だと思わせればいい。国家が成すことは所詮何もかも鞭なのだと気づかれぬほど、甘い飴も苦い飴も与えるのは私だと理解させればいい。それを実行すればいいのだ。

 ―――やれるかな、そんなこと。この私に。

 面倒くさいなぁ。本当に面倒くさい連中だ。

 自尊心が高く、個別意識に溢れ、まるでそれだけで行動しているのだという顔をしながら、何か縋りつくものを求め続けているような。まるで掴みどころがないような、そんなところが、白エルフ族にはある。

「まあ、なんとかやってのけよう。いままでそれでやってきた」

 機会主義的だというのなら、私自身も、我が国もひけを取らない。

 エルフィンドに攻め込んだのは、私自身がそれを必要だと決断したから。

 包囲殲滅戦を成そうとしているのは、戦況の推移の結果、それが現実的にやれると参謀たちに判断させたから。

 その時点その時点での、最良を選ぶ。

 それの何が悪い。

 私も、我が国も、生き残らねばならない。

 生き馬の目を抜くような、この星欧で。この世界で。

 最終的なその目標が果たせるなら、どれほど悪魔的だの機会主義的だのと罵られようが、構わない。そのような謗りを受けぬよう、さも善良、仁愛、理想溢れる国王と国家でございという顔すら演じてみせよう。

 そもそも、悪魔的も何も我らは魔種族だしな。

 ―――うん、私も白エルフ族のことをどうこう言えた義理ではないな。

 この会戦の様相は、いまひとつの望ましい結果をもたらしつつもある。

 人間族からの目、彼らの理解だ。

 観戦武官や従軍記者を受け入れ、愛想よく何でも開陳してやって、本当に良かったと思う。

 彼らはオルクセンを真に恐れ、誠に畏れるようになるだろう。

 我らを決して怒らせてはならない存在なのだ、例えどれほど障害があろうとも目的を完遂する国家なのだと、に成功しつつある。

 鋼製後装砲といった兵器、電信網に依る通信、参謀本部という制度や組織などを、大慌てで模倣するようになるに違いない。そのうえで、魔術通信や大鷲に相当する部分は、現時点では模倣不可能であることも理解するだろう。

 魔種族の作り出したものを、人間族が模倣する。あるいは模倣しきれない部分も存在することを、知る。

 彼らは、果たして気づいているのだろうか。

 それ自体が、たいへんな変革であることを。

 もはや人間族から見た魔種族とは、蔑み、差別し、無理解であるままではいられない存在に変わってしまったことを。

 ―――素晴らしい。

 それが、それこそが私の望んだものだ。

 魔種族が、人間族に対して抱えた、「最大の弱点」を覆い隠すことにも成功しつつある。下手をすると、彼らは長所だとすら誤解している。

 彼らがそれに気づくまでが、勝負だ。

 模倣ではなく、取って代わる技術を生み出されるまでが勝負である。

 その間に、我が国と我が国民とが、生き残れる状態に持っていかねば。

 我が国そのものが抱えた問題も、どうにか変えてしまわなければ。

 国民の誰しもが、好きなだけ食え、好きなだけ寝て、好きなだけ交わえ、敵が現れれば容赦なく叩き潰せるのだと周囲に思わせ、その棍棒を握った手で握手も出来るのだと理解させる国家にしなければ。

 その上で、細かな問題の解決は、たいへん申し訳ないが、後の者に任せる。

 いや、任せられるだけのものを作り上げる、というべきか―――

 専用列車が、イーダフェルトに着いた。

 ホームに降り立ったグスタフは、意外というべきか、それでいて必ずやいずれは来てくれるであろうと信じていた相手に、出迎えを受けた。

「シュヴェーリン、シュヴェーリン、シュヴェーリン! いつ着いた、この悪党! 我が牙!」

「陛下、我が王! すっかり遅参してしまいました。このシュヴェーリン、一生の不覚・・・ 申し訳もございません・・・」

「いやぁ、第七軍団を送り込んでくれて、本当に助かったよ・・・ ありがとう」

「・・・なんの」

 アロイジウス・シュヴェーリンは、この前日深夜、イーダフェルトに到着していた。

 ゲリラ戦の掃討に目途をつけ、後方兵站線を確保し、フェンセレヒとイーダフェルト間の鉄道線及び電信線を確立してからのことである。

 イーダフェルトに先行していたグスタフ専属のコックたちが、素晴らしいカツレツを作り上げ昼食会に移るまでの間、彼らはホームの待合室で短かな歓談をした。

「・・・ほう、敵はそれほどの奴なのか」

「ええ―――」

 シュヴェーリンは俘虜尋問などで得た、敵ゲリラ戦の指揮官についての情報を齎した。

 未だ、打ち減った配下を率い、絶望的な抗戦を続けている相手。

 この、ダリエンド・マルリアン大将が放った「三本目の矢」は、本来であるならば、民間村落をも巻き込んでゲリラ戦を行うことを任務としていたという。

 具体的に言えば、オルクセン軍の侵攻に合わせ、フェンセレヒの村落全てから物資を運び去ったうえで、焼き払ってしまう。住民は全て、抵抗兵力として抱え込む。

 するとオルクセン軍は、現地調達先はおろか、舎営地すら失う。実行に移されていれば、おそろしく効果的であり、事態は長期化したに違いない。おそらくだが、第七軍団の前進すら不可能であっただろう。

 だが、敵指揮官はその選択肢を行動開始前に自ら捨てたらしい。

 そのような戦法を取れば、もはや国民を守るべき軍隊ですらない、と。

「大した奴だ。おそらく、自らの末路も理解したうえで、だな」

「はい」

 本来ならば、戦後のために残して置きたいほどの、逸材だった。

 だが、降るまい。

 決して降りはすまい。

 もはや抵抗には何の意味もないことも、理解していよう。それでも降るまい。

 グスタフには、それが想像できた。

 ならば、別のかたちで「将来」のために役立ってもらうしかない―――

「・・・叩き潰せ。一兵残らずだ」

 彼はそれを、明確に、きっぱりと、はっきりと命じた。



 ―――四月二一日。

 第四軍団後備擲弾兵第一旅団は、困難な行軍を続けていた。

 彼らもまた、戦況の推移上、もっとも運動量の多くなってしまった隊のひとつである。

 本国に帰れば―――還れたならば、妻や、子や、職場を持つ者の多い後備兵たちが、懸命の行軍をした。

 この方面は、ネニング平原中央部と違って、幾らか丘陵がある。

 うねるように高低差のある街道が連続していて、これを苦労しながら進んだ。

 旅団長ミヒャエル・ツヴェティケン少将は、関節リウマチの持病があったため、ときおり馬を降りた。手綱を引いて歩いたほうが、彼の症状の場合、幾らか楽であったからだ。舎営の村落では、痛みに震え、無言のままに、横臥し続けることもあった。それでも先頭に立ち続けた。

 ツヴェティケン少将が拘ったのは、いかにして兵たちに温食を届けるかである。

 だから毎日必ずパンは焼かせ、スープを作り、支給した。

「軍用パンは満腹感をもたらし、満腹感は勝利をもたらす!」

 当然ながら、小休止や大休止、舎営は規定通り取ることとなり、事情を知らぬ者には何と悠長ななどと思えたかもしれないが、これこそが彼らの行軍を成し遂げた。

 自前の七五ミリ野山砲隊や、軍団が派遣してくれた一五センチ榴弾砲の一個中隊を使って、ときおり敵陣に向かって擾乱射撃をした。

 撃っては陣地転換し、砲を据え付けてはまた撃たせる、という具合である。

 敵司令部の目を、あくまで第四軍団へと向けさせるためだった。

 自らが一発撃てば、第七軍団や、アンファウグリア旅団が一歩でも進めると、励まし合った。

 後備第一旅団のなかでも困難を極めたのは、輜重隊や野戦病院隊、電信隊といった後方機関である。

 利用した街道は細く、起伏があり、整備も粗末であったため、彼らは擲弾兵たちより早く起き、同じだけの距離を必死に追従し、夜遅くなってから寝た。坂道などではときに擲弾兵らの手を借り、押してもらい、泡を吹く軍馬たちを懸命に労わった。このような苦労は砲兵隊にも起き、不幸にも斃れる軍馬もいて、そうなると詫びながら進むしかなかった。

 ツヴェティケン少将は、良く兵隊たちを鼓舞するため、軍歌を歌わせた。

 鹿爪らしいものよりも、兵たちの好む明るいものや、ときには流行歌や、民謡も使っている。

 この行軍中、後備第一旅団がいちばん良く歌ったのは、「進め兵隊」だったという。


 兵士たちが進むとき

 彼らは戸惑い 怒鳴りあう

 進め!

 なんだって?

 進め!

 なんだって?

 何言ってるのかわからねぇよ

 もう一度言ってくれ

 いいから進め! そら進め!

 トテチトテチタ トテチトチトタ

 わからなくてもいいや もういいや

 トテチトテチタ トテチトチトタ

 可愛いあの娘のため 進むとしよう


「あのとき我らの、“何言ってるのかわからねぇよ”は、総軍司令部の、参謀肩章吊った連中が相手でしたね。ディアネンの後方に回れ? もう正気か、と」

 彼らの不平不満の相手は、あくまで軍参謀のような上層部であった。

 その証拠に、歌の末尾は「我らが王 グスタフ王のため」に変わることが、しばしばあった。

 歌などまるで歌わなかった中隊もいる。

「歌? 歌いたい奴らに任せておけよ。俺たちはいざってときのために、体力は温存しよう」

 これもまた、正しい。

 そのような苦難に満ちた行軍を続けた二一日正午、後備第一旅団の前衛を務めていた大隊で、体力温存のために輜重馬車に乗せられていたコボルト通信兵は、旅団の前方四キロに纏まった「何か」を探知した。

 大規模な、軍勢らしい。

「・・・ング・・・ファング・・・」

 その、やや年老いたコーギー種の通信兵は、はっきりと敵味方確認符丁を捉えた。

 喜色満面となって、上官に報告した。

「符丁、ファング三連! アンファウグリアです! アンファウグリア旅団が前方にいます!」

 皆、茫然とし、やがて誰が最初になったものか、

「ばんざい!」

「やった、やったぞ!」

「ああ・・・ああ・・・ついに・・・」

 盛大な歓声を上げた。

 自然、彼らの歩度は増した。

 そうして、フォルスナエ郊外で、後備第一旅団とアンファウグリア旅団は合流。

 両旅団兵士たちは、再会を祝し、歓声を上げ、軍帽を投げ合った。

 同日夕刻には、今度は南からやってきた第七師団前衛と、アンファウグリア旅団南端とが連繋を成し遂げた。

 ―――包囲環の完成である。

 また大地を震わせるほどの、歓声が起きた。

 星暦八七七年四月二一日。

 ディアネン市を含むエルフィンド軍ネニング方面軍は、オルクセン軍による全周包囲下に陥った。

 彼女たちが第三軍による後方迂回に気づき、衝撃を受けるとともに、オルクセン軍主攻正面がいったい何処なのか判明した一九日には、もはや全てが手遅れであった。

 東側の前線から兵力を引き抜くことなど、不可能である。

 ネニング方面軍は、ディアネン市民から国民義勇兵を募って予備兵力を作り、懸命に西方に送り出したが、その数は僅かに八〇〇〇。

 旧式の小銃を装備し、被服も満足に行渡らず、円形帽章だけを私服に縫い付けたような兵が、いったいどれほどの抵抗を示せるというのか、当のエルフィンド軍にさえ最早明白であった。

 ―――ネニング平原会戦の実質的な終結であり、これ以降の戦いを、オルクセン国軍参謀本部編纂公刊戦史は、「ディアネン包囲戦」と呼ぶ。


 

(続)

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