第47話 戦争のおわらせかた⑮ ネニング平原会戦⑩

 ―――四月一八日。

 エルフィンド軍ネニング方面軍は、既にヴィハネスコウ大鉄橋の爆破及び兵站拠点カナヴァ襲撃の報を受け取っていた。

 アンファウグリア旅団は各地で電信線も破壊していたから、騎兵の伝令と、魔術通信による逓伝を使って齎され、情報の伝達そのものは約一日遅れている。

 サエルウェン・クーランディア元帥の受けた衝撃は大きかった。

 ネニング方面軍は、ネニング平原という広い舞台においては、言ってみれば最早閉じ込められたも同然であったからだ。

 クーランディア元帥には、ネニング方面軍の末路がはっきりと想像できた。

 もとよりネニング方面軍には、もうこれ以上の継戦能力が乏しい。

 なかでも砲弾と医薬品の欠乏が著しかった。糧秣と銃弾はどうにかなったが、「砲弾節約令」は、ついにはアルトカレ軍のみならず全軍に及んでいたうえに、傷病兵に対するエリクシエル剤の使用はよほどの重傷重篤の場合に限定されつつある。

 魔術通信の精度は落ち、魔術通信妨害の使用頻度も低下していた。全戦線が戦闘状態になり、かつ会戦開始以来の蓄積もあって兵士たちが疲労困憊の状態にあるからだ。とくに魔術通信妨害には多数の兵を要したから、能力低下が甚だしかった。一度こうなってしまうと、オルクセン軍に比べて魔術通信に頼る部分が多く、野戦電信の敷設能力に劣るエルフィンド軍の通信能力は、大幅に悪化していた。

 戦況全般も捗々しくない。

 方面軍司令部がもっとも気に掛かっていた存在、第四軍団は約一日攻勢を収めていたが、今朝になって前進を再開した。

 これに対峙するアシリアンド軍の損害はもはや二割に達しており、いつまで持ちこたえられるかわからない。

 それどころか―――

 オルクセン軍は、全戦線において猛烈な砲撃を始めていた。

 とくに、東正面にあたる第六軍団からのものが激しい。

 あの恐るべき二八センチ砲と思われる長射程かつ大威力の砲弾が、ネニング軍の支撐点のひとつとなっていたカンクリンという村に降り注ぎ、同村を破壊した。

 ここには旅団司令部のひとつと、民屋を利用した銃弾薬の集積場があったが、これが炸裂して、ぱんぱんと連続した花火のような音を立て誘爆した。

 ネニング平原会戦においても屈指とされる、凄惨な出来事がこのとき起きた。

 不幸にも砲弾の一発がカンクリンに住まう氏族たちの白銀樹の森へと落下して、樹齢数百年に垂んとする大樹を粉砕し、退避していた住民たちを絶望の淵に叩き込んだのである。

「そんな・・・そんな・・・」

「もうだめだぁ・・・おしまいだぁ・・・」

 エルフ系種族にとって、もっとも恐るべきものが生じた。

 幾例かの、失輝死である。

 巨弾は前線の防禦陣地にも着弾し、この援護下、また自前の砲兵も用いつつ、オルクセン軍第六軍団の第六擲弾兵師団が前進を始めた。

 第六師団は、オルクセン陸軍のなかでも「精鋭」を謳われる部隊である。

 メルトメア州の第七師団、パラストブルク州の第二師団、そして南部ベアグルンド州の第六師団が、気候風土や気質、過去の戦歴などから「強い」とされてきた。

 冬の寒さと農業で鍛えられた第七師団、寡黙で粘り強い第二師団、そして剛毅な性質と腕っぷしの強さが自慢の第六師団、という具合である。

 第六師団は、このネニング平原会戦においては当初から南北両戦線を繋ぐ要として、じっと持久のかたちを取ってきた。

 その第六師団が、満を持して猛攻を始めた。

 彼らの前進を大いに躍進させたのは、重砲群の砲撃の猛威、第六師団そのものの精強さもさることながら、この一八日には大鷲軍団の活動もまた、南北全前線を支援できるようになったことが大きい。

 アルトカレ方面から第三軍に戦闘序列されていた第一空中団のうち一八羽が到着し、これはイーダフェルトを根拠地に活動することになった。

 すると、いままでネニングを拠点に作戦していたヴェルナー・ラインダース少将直率の第二空中団としては、北側へ移動し、そちらの各軍団を援護することが望ましい。彼らは第四軍団が陥落させたスリュムヘイムの街へ展開すべし、とされた。

 会戦当初におけるクーランディア攻勢の混乱もあり、前線全ての支援はまるで困難だった大鷲軍団が、ようやくそれを可能にしたわけである。

 つまりオルクセン軍における一六日及び一七日においての作戦方針明確化と前線部隊の整頓運動は、陸だけでなく空でも行われていたことになる。

 大鷲軍団のベレリアンド戦争における作戦活動は、彼ら自身の切歯扼腕する気持ちはともかく、直接的な攻撃である空爆よりも、従来の通りの活動である空中偵察や空中伝令、弾着射撃といった部分にこそ威力を発揮した。

 もちろん空爆そのものも有効ではあったし、とくにエルフィンド軍前線の後方機関や兵站線を襲うようになってからは効果的であったが、広大な戦場に比し一度の戦闘において投入する数が不足していたため散発的な攻撃とならざるを得ず、一時的な混乱を齎す擾乱攻撃の域に留まった。

 一方、空中偵察や空中伝令の効果は、戦況全般の進捗自体を促進する。

 敵配置を知り、防禦陣地の弱点を探り、部隊間の通信を結ぶという支援の数々は、エルフィンド軍や他国軍からすれば異次元のものであった。

 これらの援護を受け―――

 第六師団は、この夕刻、攻撃正面にあったネニング軍防禦陣地の一部を食い破った。それどころか、隷下の擲弾兵第一一旅団は、退却する敵を猛烈に追撃した。

 所属する擲弾兵第一三連隊と第四五連隊の一部とが低丘陵に登攀し、双子のように存在したもうひとつの丘陵との間の街道を退却する敵集団を、二度に渡って攻撃している。

 相手は約一二〇〇のエルフィンド軍歩兵部隊で、先頭に立派な革製長靴を履いた騎乗の指揮官がいて、後ろに軍馬の何頭かがつき、そのあとに部隊が続くというかたちになって、みな駈足である。

 緑上衣に黒軍跨のエルフィンド兵は、オルクセン兵にしてみれば、己たちより軽装に見えた。ゆえに、俊敏であるように思える。

 この敵部隊を、横腹から襲うかたちで猛烈に撃った。

 散兵展開した擲弾兵の小銃射撃に加え、各大隊の五七ミリ山砲と、連隊の七五ミリ野山砲とが砲撃する。

 用いたのは榴霰弾で、空中で炸裂し、弾子が着弾する度に、エルフィンド兵はばたばたと斃れた。

 彼女たちは魔術探知によりオルクセン軍の存在を掴んでいたが、迂回可能な方向には第六師団に属するもうひとつの旅団が迫っていて、この経路を使わざるを得なかった。

 それでも街道反対側の丘陵際に張り付くようにして、街道そのものの使用は避けたのだが―――

 死体の山になった。

 鹵獲兵器も出て、七ポンド山砲二門、約二〇〇丁の小銃、弾薬、喇叭などがオルクセン軍の手に落ちている。

 特筆すべきは銀製であった喇叭で、これはエルフィンド軍においては特に伝統や功績のあった連隊に対し女王の名を以て賜授される品だった。そのような名誉ある物が敵の手に落ちてしまうほど、このエルフィンド軍部隊は猛攻を浴び、更には壊走したことを示唆している―――

 ネニング方面軍司令部は、オルクセン軍による中央突破を疑った。

 オルクセン総軍司令部の図った「偽装」にまんまと引っかかってしまったことになるが、第六師団が彼ら自身の目論見すら超えるほどの猛攻を示したため、これは致し方のないことでもあるかもしれない。

 同日夕刻、ネニング方面軍司令部は、政府首脳も交え今後の方針について討議の場を持った。

 同司令部は、ネニングの市庁舎を利用して設けられている。

 丸アーチや半円アーチを多用し、蛇腹壁に円柱列のある、石造りに漆喰を使った立派な庁舎である。

 どこか御伽の国の建築物のような清楚と精緻、色彩があったが、その庁舎内部の大理石作りの会議室で交わされた討議は現実的であり、必要に駆られたもので、切迫していた。

「もはや、本会戦における我が軍の勝利は望み得ない」

 と、これは討議開始早々に成された、クーランディア元帥の発言である。

 エルフィンドでは、己が失敗を認めることは極めて危険な行為だった。

 政治的には、失墜してしまうといっても過言ではない。

 同席した者たちは息を飲んだ。

 だが彼女には、もはやそんな事はお構いなしであった。

「どうにか兵力を用意するから、これを御警護の者とし、せめて女王陛下を首都ティリオン方面へと脱出させるべきである。我らは盾となる。陛下さえおわせば、我が国は持ちこたえることが出来る。そのうえで政府及び軍部としてはオルクセンとの間に休戦乃至講和の妥結を探ってはどうか」

 これに、海軍最高司令官兼侍従武官長トゥイリン・ファラサール大将が同意を示した。

「まったく同意する。まずは御聖樹を護持すべきであろう」

 聖樹というのは、エルフィンドの政治用語で女王陛下と黄金樹のことを指す。両者は一体のものと見なされていて、また、この二つがエルフィンドの国家体制に欠かせないものである以上、エルフィンドそのものの事であるとも言えた。

「卒爾ながら申し上げる―――」

 対して、政府首脳らは不同意である旨を次々に述べた。

 ―――ティリオン方面へは、既に敵騎兵一万五〇〇〇が展開していると聞く。

 警護を用意するというが、果たしてそのような大兵力の手から逃れ得るものだろうか。 

 つまり御聖樹を護持するといいつつ、むしろ危険に晒すものとしか思えない。

 また、オルクセンとの間に休戦乃至講和を成すというが、かの国がそのようなことを望むだろうか。現に、ここに至るまで何らそのような意思を示していない。

「まったく、あの賤しき蛮夷どもめ。かような存在が高潔不可侵たる我が国土を踏んでおると思うと、虫唾が走るわ」

「然り」

「そもそも。果たして、奴らの如き蛮族に我らが言の葉の響き、そのさんざめくが如き煌めきが理解しきれましょうや?」

「左様。韻も踏めなければ美しさもない」

 また政府としては、昨今の国内事情を懸念した。

 戦況の劣勢や食糧事情の悪化にともない、国民の動揺が甚だしい。

 例えば、だが。

 この三日前には、ディアネン市内において新規に編成した国民義勇兵の数隊が、とくに命令もなく市中を練り歩き、これに群衆数百が合流して一団となり、政府の置かれたこの市庁舎へと詰め寄せるというようなことがあった。

 小銃の筒先に草木や花を飾り、勝手気ままな気勢を上げ、代表者を名乗る予備役少佐が政府に対して「勝利策の開陳」と「より多くの武器の貸与」を要求した。

 政府からは大臣のひとりが彼女たちの前に出て、戦況への遺憾の表明と、要求事項を叶えるという約束を与えて解散させたが、この騒乱は約二日続いた。

 愛国心のひとつの発露とも言えたが、従来の氏族階級習慣からすれば考えられなかった出来事であり、統制の効かない行動であったという点が政府首脳たちの憂慮を誘った。

 またこのネニング平原会戦の勃発前から、政府の命令及び統制に従わない地方都市、町や村落といった存在が出ている。国民義勇兵の徴兵や物資の供出令に応じない、もしくは渋るといった地方が頻々として見られた。代表例が、敵占領下とはいえ利敵行為にまで走ってしまったアルウィンの市長であろう。

 何らかの勝利を得て、このような国内騒擾を治めたい。

 仮にオルクセンと休戦もしくは講和の道を探るとしても、例え局所的といえでも勝報を得るか、せめてこの会戦を引き分けに持ち込んでからが望ましい―――

 政府首脳の主張には、多分に現体制維持への望みや自己保身の色が漂っていたが、一理あったことも確かである。

 このような会議の席では、「正統的な」古典アールブ語の使用に拘る政府首脳の存在もあって、討議は長引いた。

 それでも最終的には、

「ディアネン市を中心とした抗戦を続ける」

 という結論になった。

 政府側がその主張を押し切った格好である。

 もはやこれは作戦とは呼べぬ、単なる悪あがきに過ぎないではないか。

 クーランディア元帥は臍を噛む思いであったが、爾後方針の結論に到達後、軍にとって必要最低限主張すべきこと、通すべきことはしてのけた。

 ―――戦線の縮小である。

 会戦の引き分け、もしく何らかの局地的勝利を目指すというのならば、既にオルクセン側の兵力が勝ってしまった現状では、現在地での抗戦には無理がある。

 とくに南部戦線側には、「防禦上の支撐点」とすべき箇所が少ない。エルムト川以西のネニング平原には僅かな丘陵や湖沼、森林、村落があるばかりで、ほんの三か所、標高九〇メートルから一〇〇メートルほどの丘が利用できる程度である。

 そもそも軍の機動に依らない対峙型の野戦は、彼我両軍に損耗ばかりを増やしていく傾向にある。このまま漫然と戦闘をやっていては、やがて兵力にも装備にも兵站にも勝るオルクセン軍によって、崩壊させられてしまうだろう。

 そこで、もっとディアネン側に軍を撤退させて、兵力の集中と戦線の整頓を図るべきだとした。

 ディアネン市方面には、エルフィンド軍が兵力の結集を行っていたころ―――時期的に言えばアルトリア戦が進行していたころに構築した防禦線があった。

 同市を中心にぐるりと半円弧状に囲むもので、構築に多くの時間を費やしただけあって造りも堅固であり、縦深もあって、地形上の「支撐点」の取り込みも充分である。またこの内側には予備陣地も存在し、粘り強く抗戦することが可能と思われた。

 会戦開始時のネニング方面軍展開位置を「第一線」とするならば、「第二線」及び「第三線」にあたる防禦線だ。

 ―――この線まで下がろう、というのである。

 仮に第二線に下がったとしても、あの恐るべき二八センチ砲ですらディアネン市は射程外だ。

 市民の協力も得て構築陣地の増強も図り、同地で抗戦したいとしたクーランディア元帥に対し、それは良い考えだ、血気盛んな市民も存在していることであるからと、政府側も同意を示した―――



「戦闘は、より多くの失敗を重ねた側が負ける」

 などと、俗に兵諺に言う。

 このネニング平原会戦に限ってみても、幾らか納得も出来るように思える。

 オルクセン軍とて、多くの失敗をやった。

 戦前における推定兵力量の見誤り、会戦直前にエルフィンド軍の兵站能力を誤断したこと、第三軍補給線の確保に相当な無理が出てしまったこと。上げだせばきりがない。

 このとき起きたエルフィンド軍の失敗のひとつ―――それも重大なひとつに、「オルクセン軍の兵力配置を誤って推定していた」というものが挙げられる。

 彼女たちはこのとき、オルクセン第一軍団の一部を第三軍第七軍団だと思い込んでいた。

 原因は多々あり、クーランディア攻勢により第五軍団へ与えた損害を過剰に見積もっていたこと、対してオルクセン側の部隊恢復能力が彼女たちの想像を上回っていたこと、駆け付けた第三軍の兵力を三個師ではなく二個師だと推定していたこと、等々。

 もっとも大きな要因は、第一軍団及び第五軍団が、オルクセン総軍司令部による増強を受け、所属部隊が通常の軍団規模より多くなっていたことである。

 このときオルクセン軍が南方に配置していた兵力は、北から順に、


 <第五軍団>

 第二〇擲弾兵師団

 第五師団

 後備擲弾兵第五旅団

 <第一軍団>

 後備擲弾兵第一三旅団

 第一八擲弾兵師団

 第一擲弾兵師団

 第一七山岳猟兵師団


 という具合だった。

 エルフィンド軍は、このうち第一師団と第一七師団にあたる兵力を、第三軍第七軍団だと思い込んでいた。

 無理からぬところで、オルクセンの野戦軍団は本来なら二個師団で成っている。おまけにそれぞれ手持ちの軍団直轄野戦重砲旅団に加え、総軍から二個の野戦重砲旅団による増援まで受けていたから、火力も著しい。

 その増強された二個軍団が、猛烈に押してきている。

 押してきているだけではなく、翼を伸ばすような運動をして、エルフィンド軍を包み込もう、包み込もうとしている。

 オルクセン軍はこの動きによる隠蔽のもとで、第一軍団の背後から第三軍第七軍団を繞回進撃させ、ネニング方面軍そのものの背後を断ってしまおうと企図していたから、エルフィンド軍の誤断は加速した。

 これに対峙するネニング方面軍ネニング軍と、アルトカレ軍は、必死に後退しながら対抗して翼を伸ばし、

「私たちは三個軍団を相手にしている」

 そのように誤断していた。

 この兵力配置の見誤りという失敗が、会戦結果を左右するほどの重大な誤りであったと、最初にその兆候を掴んだのは、エルフィンド軍にあって最南端で防戦に努めていたイヴァメネル支隊であった。

 イヴァメネル支隊は、マルローリエン旅団を始め騎兵を中心とした集団であり、本来なら機動的に投じることが望ましい。

 そのイヴァメネル支隊が防禦線の一翼を構成していた時点で、既にこのときエルフィンド軍がどれほど悪戦苦闘していたかというひとつの証左となるが―――

 四月一八日、ディアネン市とイーダフェルトの街を繋ぐ鉄道線上にある、コンクオストという村の付近で、世界戦史上においてさえ奇妙な戦闘が起きた。

 同日早朝午前六時半、まずイヴァメネル支隊に属する第五竜騎兵連隊が、鉄道線のイーダフェルト方向からオルクセン軍の軍用列車が往復しているのを発見した。

 どの列車も一六両から二二両の編成、擲弾兵を満載にしていた。

 これがコンクオストの村付近にやってきては、陸続と兵を降ろし、往復を繰り返している。

 第七師団第二七及び二八擲弾兵連隊であった。

 阻止のため、竜騎兵連隊から三個中隊より成る一隊が鉄道線破壊を目的として、連隊長シルヴァミア大佐指揮のもと向かったが、爆薬を積んだ工兵隊がすぐには追従できなかった。

「なんとか破壊できないものですかね」

「無茶を言うな。爆薬もなく工具もなく鉄道を破壊できるものか」

 参謀の言に対し、シルヴァミア大佐は軍用列車そのものの襲撃を決意した。

 彼女の部隊は砲兵を伴っておらず、火器といえば小銃しか携えていない。

 だが銃撃を加えれば、機関車そのものは破壊できなくとも、あるいは機関士を撃ち倒すことが出来るかもしれない―――

 八〇〇騎近い騎兵たちが襲撃隊形を取り、将校たちはサーベルを抜き払い、下士卒は騎乗射撃の態勢をとって、

「機関車を狙え!」

 大佐の号令一下、喇叭を吹き鳴らし、襲撃を始めた。

 この騎乗したままの射撃―――騎射がやれたという点が、エルフィンド騎兵の高い練度の一端を示している。

 オルクセン軍側は、少しばかり驚いた。

 驚きはしたが、小銃射撃のみが相手なら脅威度はたかが知れている。

 第二八連隊長ダールベルク中佐は、まず機関士に対して減速を命じ、ついで部下将兵に対して応戦を下令した。

 オルクセン軍用列車と、エルフィンド軍騎兵が並走しながら撃ち合うという、奇妙な光景が繰り広げられることになったわけである。

 猛烈な射撃戦が展開されたが、この勝負、オルクセン軍側が有利であった。

 まず、兵数が多い。

 おまけに無蓋貨車の側壁を、小銃弾防禦に使うことが出来た。

 当初は減速した軍用列車であったが、やがて連隊長ダールベルク中佐の再びの命令により蒸気圧を高め、速度を増し、エルフィンド騎兵を撃ち斃しながら振り切ることを選んだ。

 必死に追いすがったエルフィンド騎兵たちだが、ほどなくして追従できなくなり、襲撃を諦めた―――

 シルヴァミア大佐を弱らせたのは、この「奇妙な競争戦」の結果、部隊が大きく散らばってしまい、再集合に時間を要したことである。魔術通信を使用できる彼女たちでなければ、混乱は増したかもしれない。

 彼女の部隊はようやく到着した工兵隊と爆薬を使い、鉄道線二個所を爆破、電信線五カ所を切断して後退したが、この程度の損害は鉄道中隊を有するオルクセン軍にとって左程の障害ではなく、この日のうちに復旧させている。

 汽車の排煙はその後も次々と観測され、膨大な規模のオルクセン軍がイーダフェルト鉄道線の西側に展開しつつあることが、はっきりとした。

 大佐の部隊が戻り、報告を受けたイヴァメネル中将は呻いた。

 乗馬鞭を握りしめ、歯噛みしたほどである。

 ―――我が軍は、いつもこうだ。

 己が自身を含め、あまりにも不甲斐ないように思えた。

 この戦役中、エルフィンド軍はしばしば個々の技量や着想ではオルクセン軍に勝るほどのものを見せながら、これが組織としての連繋が必要となる軍行動となると噛み合わず、作戦計画や戦術構想を果たせないという結末に終わることが多かった。

 この爆破の時期を逸した戦闘しかり。  

 あるいは、クーランディア攻勢の失敗しかりである。

 社会構造、軍組織、制度といったものが陳腐化、形骸化し、また戦前における文化風習や予算不足による不備があった。砲弾も足りなければ連繋経験を深める演習機会も少なく、この戦闘における工兵隊は、ただの一度も騎兵隊と行動をともにしたこともなければ、その準備もなく、また鉄道爆破を想定した訓練を行ったことがなかった。

 失敗すべくして、失敗している。

 個の技量や着想などでは覆いきれない巨大な代物―――近代戦に飲み込まれようとしている。

 その慨嘆である。

 また、イヴァメネル中将は別の懊悩を抱いてもいた。

 ―――いったい、オルクセン軍はこのような場所へと展開して、何をする気なのだ。

 これが、この兵力こそが敵第三軍なのではないかと気づいたとき、彼女は愕然とした。

 ―――いかん!

 既に、クーランディア元帥の発した撤退命令は、コルトリア中将の司令部を介して手元に届いていた。

 ―――戦線を縮小し、強固な陣地に籠る。

 結構なことだ。確かに防禦力は増すし、兵站状況も改善するであろう。

 だが、それは勝利に必要な要素、機動戦を果たす運動力を自ら捨てさってしまうことも意味する。

 対するオルクセンが、一軍を以て西側へ回り込もうとしているというのなら、もはやエルフィンド軍には追従できない。 

 そして、そのオルクセン軍の目的は何か。

 本来、機動戦を専門に行う騎兵を率いるイヴァメネル中将には、それが朧気ながら理解できた。

 オルクセン軍は、歩兵の大軍を以て、まるで騎兵的な行動を取ろうとしている。

 奴らにはそれがやれる。

 強靭な体力に支えられ、組織力にも優れた、運動力のある軍隊。そしてこの運動を支え得る、巨大な兵站組織。

「・・・我が軍司令部の参謀たちならば。奴らの構想はあり得ない、から外れている、だとでも叫ぶであろうな」

「閣下?」

 イヴァメネルは、かぶりを振った。

 彼女は諦めなかった。

 決して諦めはしなかった。

 すぐに魔術通信を発し、伝令を出し、後退戦を中止するようコルトリア中将とクーランディア元帥に進言を送った。

 しかしながら。

 その内容が考慮されないうちに、ネニング方面軍の後退と、彼女の思い描き恐れ慄いたもの―――オルクセン軍第三軍による繞回進撃が始まった。



 のちにオルクセンを代表するオーク族作家のひとりとなるパウル・バウマーは、このネニング平原会戦に於いて第三軍第七軍団に属する第二一擲弾兵師団に従軍していた。

 第二一師団は、戦史上「シュヴェーリンの突進」と呼ばれることになる第三軍のネニング平原進出に参加していて、イーダフェルト市攻略に一隊を送り込んでいる。

 パウルはこの戦闘で負傷した。

 やや酷い脚部銃創であったから、エリクシエル剤の投与と、後送を受けた。

 そしてこの第三軍第七軍団の繞回進撃開始時に、復帰している。

「パウルだ!」

「パウルじゃないか!」

「もういいのか!」

 仲間たち―――擲弾兵第八三連隊第一大隊第二中隊の兵たちは、パウルの姿を認めると歓声をあげて喜んだものだった。

「こんなに早く戻ってくることもなかったのに」

「エリクシエルがあるからね。死ぬか、フランツの奴みたいに体のどこかを失うかしないと解放してくれないよ」

「違いない」

 出征前は教員をやっていたパウルの、国家制義務教育時代の同窓生にあたるクロップ、ミュラー、レエル、ベーム、ミッテルステット。もうひとりケメリッヒという兵がいたのだが、これは戦争の前半で片脚を失って帰国していた。

 同年代だが、戦争前は錠前屋を営んでいたジャーデン。

 炭鉱夫だった、ヴェスタス。

 頼りになる古参兵のカチンスキー。

 無口な古参兵ディタリング。

「みんな、これ」

 パウルは雑嚢から、野戦病院から大事に包んできた特別配給の料理を取り出した。

ジャガイモのカルトッフェルパンケーキプッファーじゃないか!」

 すりおろしたジャガイモとタマネギ、小麦粉、卵を混ぜ合わせ、こんがりと狐色になるまでラードで焼き上げたもの。オルクセンの家庭料理的存在で、レシピの細かな部分は各家庭で異なる。

 食に目のないカチンスキーが歓声を上げた。

 パウルは退院の日、配給を受けたこれを大切に取っておいて、所属分隊の皆のためにと携えてきた。

 とくにカチンスキーは、隊が苦境に陥ると何処からとなく子豚を調達してくるというような機転を利かせ、若い皆の面倒を見てくれてきた。その御礼のようなつもりである。

「美味い、美味い・・・」

「最高だ」

「おうおう、この玉葱の旨味・・・」

「林檎のソースがあればなぁ・・・」

「贅沢言うな」

 冷えて、固くもなりかけていたが、皆で貪るように食べた。

 軍の、ともすれば単調になりがちな食事を思うなら、渇望しきった家庭の味であり、望郷を感じさせた。

 パウルの所属する隊は、その日―――四月一八日のうちに、フィビレの北の野営地から前線へ向け出発した。

 叩き上げで苦労者ゆえ、兵たちの面倒見がいい中隊長のベルティンク中尉に率いられ。

 兵たちから見れば嫌な奴にしか見えない、下士官ヒムメルストス伍長に怒鳴られながら。

 四月も下旬になり、ライ麦畑は冬季のしなだれから蘇り、もう膝丈ほどにまで青々と伸びている。

 見渡す限りどこまでも、麦、麦、麦。

 まるで麦で出来た海のようだと、パウルには思えた。

 街道に一隊。

 あちらの丘の陰に一隊。

 こちらの畑の向こうに一隊。

 馬に乗った指揮官。歩兵部隊。山砲隊。また歩兵―――

 膨大な数の兵隊に思える。だが、これで一個連隊もいない。軍隊とはそれほどの数に見える。

 オルクセン軍の行軍は、他国のものと比べ、少しばかり変わっている。

 出発後しばらくしたら、そこでいきなり小休憩を取るのだ。

 服装、武装を整え、馬装を改め、があれば済ませておく時間とされている。

 そうして本格的な行軍が始まる―――

「軍隊とは何か」

 と、この当時から詩作や創作に興味のあったパウルは自問する。

「歩くことだ」

 答えの一つとして、彼はそのように考えていた。

 オルクセン軍にとっても、これは首肯出来るものであったろう。

「軍隊戦闘行動の大部は行軍なり」

 と、彼らの軍隊教令は記す。

 この戦役では、機械力といえるような移動手段など鉄道くらいであったから、多くの兵隊はひたすらに歩いた。歩きに歩いている。

 ネニング平原会戦における第三軍第七軍団も例外ではない。

 むしろ、他軍よりずっと行軍距離は長い。

 「シュヴェーリンの突進」をやり、更には戦況の成り行き上、彼らはネニング平原を遠くディアネン市後方まで繞回する役目を担った。

 第七軍団は繞回進撃の開始に際し、先遣隊を鉄道で送り込んだが、それはほんの一部だ。

 大半の部隊は歩いていった。

 当時の軍靴は、分厚い革底を鋲で打ったもので、のちの時代のものと比べると柔軟性などまるで無かった。

 彼らの足裏は、続けざまの行軍によって既に豆だらけになっている。さしものオルクセン軍も、では、エリクシエル剤など使わせてくれない。

 この豆を潰し、さらに上から豆を作り、また潰すというような「荒療治」で進む。

 小休止や大休止のときなど、みなこの足を投げ出すようにする。

 腰を叩き、うめき、日ごろはお喋りだった兵さえ、ぐったりとする。敵への備えを要するような担当をしている隊など、このぐったりとした時間でさえ目ばかりはぎょろりとしている。まるで「体は休んでいても精神は警戒心に起きたまま」とでもいう顔をしていた。

 食事は何よりの楽しみであったが、掻き込むようであり、寸余の時間も惜しんで昼寝をした。

 戦場で昼寝をするのかと驚く者もいるが、オルクセン軍の場合は極力取らせた。

 彼らの教令は、行軍時においても機会さえ得られれば極力兵馬の負担を軽減し、休養させ、配慮を重ねるよう求め、それは指揮官たる者の義務であるとまで定める。計画時から休止の予定を立て、「兵馬を愛借」し「愛護」する。

 これは、オルクセンという軍隊が、兵馬に対して決して甘かったわけではない。

 行軍は目的地に到達し、作戦目的を果たすためのものである。「果たせ」なければ意味がない。如何にして兵馬を維持するか、そのための「愛借」「愛護」であった。

 戦闘はもちろん、急行軍や強行軍、夜行軍といった無茶をやらねばならぬときは必ずある。そのような無茶を押し通すべきとき、押し通せるようにするための「配慮」だ。

 尖兵隊など前衛においては、背嚢を行李車両に乗せることもあったが、これもまた兵馬の負担を軽減し、彼らに軍隊としての役目を完遂させるためであった。

 一〇分ほどの休止を終え歩き出すとき、本当に歩けるのかと思うほど足が痛んだ。

 意を決して歩き始めると、一歩、二歩と進むうち、もはや体の隅々にまで軍隊というものが染み込んでいるのか、「意外に歩ける」。

 また、行軍に次ぐ行軍。

 小銃は右や左に担ぎ直せるが、背嚢はそうはいかない。

 この背嚢という代物が、大切で大切であると同時に憎たらしくて仕方がなかった。

 肩に食い込み、胸が詰まるようになることも、しばしばである。

 コツがあり、ちょっと跳ね上げるようにして位置を直すと、ほんの僅かばかりだけ楽になる。

 また進む。

 このような行軍の渦中にあって―――

 パウルはその従軍体験を、のち世界的にもベストセラーとなった従軍記に著すことになるが、彼の観察眼は鋭く、ベレリアンド戦争における兵士たちの戦場心理を生々しく切り取ってもいる。

 彼はこんな光景を目撃している。

「大鷲が伝令に飛来した。通信隊が麦畑のなかに隊番号を記した布板を広げ、三角の赤い旗を着けた三メートルほどの棒を、間隔をあけて二本立てている。小さな包みがこの棒と棒の間に結ばれた紐にぶら下げてある。二度三度と旋回した大鷲が、低く降下してきたと思うと、見事なもので大鷲たちの背にいるコボルト兵が鎖分銅で引っ掛けて掴み取り、舞い上がっていく」

 これはこのネニング平原会戦の前後で確立された、大鷲隊による通信文の回収方法である。まだ野戦電信が追従できていない隊や、魔術通信を用いたくない場合、長文の伝達などに使った方法だ。

 大鷲のほうからは、赤と白の吹き流しをつけて目立つようにした、通信筒をコボルト族飛行兵が器用に落とした。

 着地しないのは、彼ら大鷲族が離着陸時にもっとも体力を消耗するからであった。

 パウルはこんなことも書いている。

「他の連中はどうか知らないが、僕は大鷲隊なら爆撃隊より空中偵察隊を見るのが好きだった。爆撃隊がぱらぱらと爆弾を落としているのを見たら、戦場は近い証拠。最初は喝采を送っていたけれど、だんだん嫌な気分になった。しかし偵察隊が緩やかに八の字旋回しているうちは、敵は遠い。見守ってくれているようで、安心して行軍できた」

 彼が記していることは、取り立てて厭戦気分というわけではあるまい。

 生々しく、無垢で、正直な兵隊の心理であろう。

 あるとき部隊がこの通信筒を受け取ったあと、連隊本部から大隊本部、そして彼の隊を率いる中隊長へと伝令が駆けてきて、

「みんな、そのまま聞け」

 休止中の隊に、ベルティンク中隊長が達した。

「みんな、ご苦労だ。本当にご苦労なことだ。今夜は二時間大休止をやったあと、夜行軍をやる。敵の全軍が一斉に後退を始めたらしい。我らは戦機を逸せず、この側面を回り込んでいく。我が第七軍団は、敵の背後を断つ重要な役目を担った。ここが踏ん張りどころだ、ひとつ訓練通りやってくれ」

 オルクセン軍教令は記す。

 防諜上マイナスではあると認めつつも、ときに兵の奮起を促すとき、作戦目的を一兵に至るまで伝えよ、と。

「僕らは、それにまんまと乗せられた」

 と、パウルもその効果を認める―――



 同日、オルクセン国王グスタフ・ファルケンハインは総軍司令官としての立場で、各軍団への作戦方針訓令に合わせ、訓示を発した。

「敵陣地は正面攻撃を避け、弱点を突くか、迂回に努めよ」

「榴弾砲及び臼砲、重野砲の活用に努めよ」

「爆撃及び砲撃による敵防禦支撐点の破壊を併用せよ」

 これらの内容は、総軍司令部参謀部の纏めたものであり、この時点までにおける戦訓の共有を図ったもので、敵の浸透攻撃戦術に習い、また、まだまだ不完全なところもあったものの第四軍団による移動弾幕射撃の効果を認め推奨したものである。

 そして、彼自身の勅語となる末尾部分で次のように触れた。

「本会戦を制する者は、本戦役を制す。実に、一大決戦というに不可なからん。我は殆ど全力を投じ、この勝敗を賭さんとす。全軍一致協力し、なお益々奮励し―――」

 これは決戦だという、改めての決意表明であり、

「敵野戦軍退却を許さず、これを包囲撃滅せよ」

 と、結んだ。

 多種族に及ぶ膨大な兵たちの、膨大な数の、想像を絶する努力のもと―――

 オルクセンという国家に、ひとつの栄光の瞬間が訪れようとしていた。



(続)

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