第46話 戦争のおわらせかた⑭ ネニング平原会戦⑨

 ヴィハネスコウという地名は、古代アールブ語で「新しき川」とでもいうような意味を持っている。

 「新しい」といっても、成り立ちはエルフ系種族における神話伝承の時代にまで遡る。

 この国に様々な智慧をもたらした三代目女王が、シスリン湖水系の河川を肥沃なネニング平原に注ぎ込もうと治水工事をやり、原シスリン川とでもいうべき存在から現在のシスリン川へと流れをつけかえたとされる、故事に由来した。

 このシスリン川は、ネニング平原の西端部からリナイウェン湖に注ぎ込み、ネニング平原を大きく蛇行しながら東西に流れる、ケルラウヴ川に繋がっている―――

 ヴィハネスコウには、村がある。

 戸数二〇軒ほど。

 ネニング平原における他の農村と同じく、西側に防風林があり、その一軒一軒は重厚でどっしりとした石造りだ。屋根は鱗瓦か、分厚く敷き詰められた藁。

 一戸ずつが、高さ二メートルから三メートルほどの石壁に覆われている。

 中庭が広い。

 これはネニング平原の冬季における季節風が強いためで、その内側で収穫物に対する作業をしたり、家畜のための干草を山にする。

 そのため、門の造りも、馬車くらいは楽に通れるほどに幅があった。

 中庭に、一軒につき軍馬の二〇〇頭ほどは、ともかくも繋いでおける。

 このような農村農家がネニング平原会戦では、しばしば両軍の俄づくりの陣地になって、戦禍に巻き込まれたのだが―――

 四月一六日未明、このヴィハネスコウの村にアンファウグリア旅団ファロスリエン支隊が現れた。

 住民たちは驚き、家屋に引っ込み、ひっそりと窓辺から怯えた眼差しで様子を伺った。

 彼女たちが驚いたのも無理はない。

 この前日、ヴィハネスコウより東へ三五キロのカナヴァの街に別の騎兵集団―――アンファウグリア旅団の本隊が現れており、付近のエルフィンド軍後方警備部隊はそちらへ向かっていたからだ。

 またファロスリエン支隊は、ここに至る過程の舎営村落などで「我らはカナヴァに向かう」と故意に漏らし、「カナヴァへの経路や警備具合はどうか」と聞き込むなどといった偽装を行っていた。

 カナヴァには、エルフィンド軍の兵站基地がある。白エルフ族たちが、魔術通信でエルフィンド軍へとファロスリエン支隊の存在を通報するに違いない、ならばその通報を逆手にとってやろうという、これは計画的な行動だった。

 言わばファロスリエン支隊はヴィハネスコウの寝込みを襲った格好になるが、同村を占拠し、ただちにそのうち一隊が家屋や中庭、囲壁を利用して収容陣地を作り上げた。

 このヴィハネスコウを「攻撃拠点」とし、三キロ西の大鉄橋を襲うのが、ファロスリエン支隊の襲撃計画である。

 騎兵の二個中隊と輜重隊は、「収容隊」として残る。

 ファロスリエン中佐が直接率いる「襲撃隊」が、大鉄橋を襲う手筈であった。

 収容隊は一軒一軒に張り付けるように哨兵を立て、住民たちへ外出と魔術通信使用の禁止を通告した。違反した者は厳正に処罰する、とも。また、村に一軒あった郵便局も占拠して、電信設備を破壊した。

「目標は大鉄橋のみ。速攻を以て第一とす。あくまで神出鬼没の戦法を至上とす」

 アンファウグリア旅団史は記録する。

 そこに至る過程は、冒険であるようでいながら、極めて合理的だった。

 彼女たちは既に前日のうちから斥候隊の一部を放っていて、またかつての特別挺身騎兵斥候隊が掴んだ情報も駆使し、ヴィハネスコウ大鉄橋には守備隊がいることを承知していた。

「その数、二〇〇乃至三〇〇」

 というのが、かつて挺身騎兵斥候隊の齎した情報であった。

 しかしながら、どうやら一〇〇余りしか残っていないようだというのが、直前に放った斥候隊の偵知したところである。

 これは挺身騎兵斥候隊が数を読み間違えたわけでもなく、斥候隊の偵察が甘かったわけでもない。

 守備兵力のうち、差となる部分は前日のうちにカナヴァへ向かっていたのだ。

 旅団本隊が別行動により同地の兵站施設を襲ったのは、総軍司令部の作戦命令に則した破壊行動でもあり、陽動でもあった。

 つまりアンファウグリア旅団は本隊と支隊に離れて別々の戦術行動をしながら、総力を挙げて大鉄橋襲撃を実施したことになる。

 騎兵一個中隊及び野山砲隊、グラックストン機関砲隊、山砲隊を除いて、襲撃隊の殆どはヴィハネスコウの村で馬を降りていく。

 徒歩部隊となって、橋梁へ向かう。

 このように臨機応変に下馬戦闘を平然と行ったのも、アンファウグリア旅団の特徴であろう。

 彼女たちは、基本的には自らを「乗馬した猟兵」だと思っていた。

 エルフィンド軍騎兵に対して、集団としての乗馬技量や戦術に劣っていたが故に、またそれを自覚もしていたが故に、徹底した諸兵科連合戦術や、拠点防禦、下馬戦闘、事前偵察といった他の何かを取り入れて補った。

「騎兵にあるまじき連中」

 などと評したのは、あのファスリン峠の戦いでアンファウグリア旅団の俘虜となった、とあるエルフィンド軍騎兵将校の言である。

 アンファウグリア旅団を育て上げたディネルース・アンダリエルなどは、それをむしろ誉め言葉だと受け取った。

 正義だの、正統的だの、正々堂々の勝負など、戦場では何の役にも立たない。己が矜持として胸のうちに潜ませ精神的支柱とするならばまだいいが、それで敗北してしまえば、所詮は負け犬の遠吠えである。

 卑怯だの、卑劣だの、容赦が無いなどといった評価は、戦術指揮官としては紛れもない誉め言葉である。それを進んで成し、競り勝ち、一兵でも多くの味方を無事連れ帰ることこそが、己が役割であろう―――

 ある意味で、このようなディネルースの戦い方の薫陶を最も多く受け取ったのが、アルディス・ファロスリエン中佐であった。

 なにしろ彼女の支隊は、この戦役でディネルース・アンダリエルの直率兵力であり続けてきた。ディネルースの戦術、その思考法を常に間近に見て来たし、手足となり続けてきたのである。

 アルディスは、ディネルースのやり方に彼女なりのアレンジも加えていた―――

 日の出の時間は、午前七時ごろであった。

 その約三〇分後、慌ただしく朝食を済ませた彼女たちは、出撃を前にして、村の広場にオルクセン国旗を掲揚した。

 多分に儀式めいていた。

 ただただ論理的に襲撃を急ぐならば、このような儀式などやらなくてもよい。

 全員が全員直接に敬礼はできなかったし、部隊を秘匿するために喇叭も吹かなかった。なかには囲壁に向かうような格好になってしまった連中もいる。

 アルディスは寡黙な指揮官だったから、決してその理由も周囲に語ったりはしていない。

 だがもし彼女に口を開かせたなら―――

 彼女は、戦闘とは「運という名の曖昧な部分を極力排除した、現実的要素の積み重ね合いのようなもの」だと考えていた。

 小銃を撃ち合い、砲撃を交わし、サーベルや銃剣で斬り結ぶ戦場は、敵も味方も等しく「怖い」。そこを勝てるように、地形を読むであるとか、情報を収集するであるとか、投入兵力において勝るように工夫をするといった、「現実的要素を積み重ねる作業」をやっていく。そしてそのような真似は敵もやる。一つでも多く積み増した側が、競り勝つ。

 その「積み重ね合い」をやるとき、激戦であればあるほど、将兵には等しく、肩を並べる戦友の声も耳に入らず、周囲の景色も、戦場の状況も頭に入ってこないような、茫然自失とする瞬間が大なり小なりやってくる。恐怖のほうが勝ってしまう。

 これを防ぐものが、「士気モラール」である。

 戦闘心、戦意、克服する心、敢闘精神―――

 その概念は難しい。

 あるいは、文章などで表せるようなものではないのかもしれない。

 その精神的支柱として、何か縋りつくものが必要となる。

 アルディスは、その拠り所のひとつを国旗に求めたのだ。

 ダークエルフ族は、故国を失った。

 故郷を追われた。

 いまやその地―――ここエルフィンドは、紛れもない敵国である。

 そのダークエルフ族を受け入れてくれ、新たな故郷、故国となったのがオルクセンだ。

 もちろんオルクセン側にも打算はあったし、子供が夢想するような理想郷でなかったことなど百も承知である。

 だが、もはや彼女たちにとって帰る場所はオルクセンなのだ。

 血を流し、命を賭し、勝利を齎すべき故国はオルクセンである。

 だからその拠り所を象徴するものとして、ある意味で彼女たちは他のどの種族よりオルクセン国旗に縋ろうとした。

 何よりも大事なものであると扱ったのだ。

 連隊旗手に携えられて掲揚式に参加した、騎兵第二連隊の連隊旗も同様だった。

 連隊旗は、他のオルクセン軍どの連隊でもそうだが、グスタフ王から一旒一旒親授されたものである。

「アンファウグリア騎兵第二連隊編制成るを告ぐ。よって此処に軍旗一旒を授く。汝等協力同心して益々武威を発揚し、以て国家を防護せよ」

 これもまた「縋りつくもの」、「精神的支柱」、「象徴」であった。

 実はアンファウグリア旅団では、この騎兵浸透作戦を実施するにあたり、その連隊旗の扱いについて一悶着あった。

 作戦が立案されたとき、長駆して敵背後に浸透するという作戦の性質上、戦闘序列上の上級部隊である第四軍団側が彼女たちの行く末を案じたわけであるが―――

 その「案じた」内容のひとつに、連隊旗があった。

 アンファウグリア旅団は、扱い上、グスタフ国王の近衛兵的な存在である。もし旅団を長駆浸透させ、仮に敵包囲下にでも陥り、軍旗たる連隊旗を奪われるようなことが起こったら、一体どうするというのか。

 おおいに敵に喧伝され、外交上においても他国から軽んじられる結果となるであろう、そんな心配を第四軍団司令部の一部若手参謀が抱き、

「連隊旗を第四軍団側で預かっておいて、持っていかせないほうが良いのではないか」

 などと、協議をした。

「馬鹿なことを言わないでほしい。いったいそんな腰の砕けた仮定を最初からやって、この困難な作戦を遂行できるとでも思うのか。ぜひ連隊旗は持参したい」

 猛烈な抗議をやったのが、ディネルース・アンダリエル以下アンファウグリア旅団側である。

 どちらにも理はあり、ついに一時間も激論して結論は出ず、この「難題」は第四軍団司令部から総軍司令部を経て、グスタフ王の裁可を要した。

 これを耳にしたグスタフは、

「持っていかせろ」

 即断した。

 なんと馬鹿なことを話し合っているのだと、唖然ともした。

 そして、次のように述べた。

「これはアンファウグリアに限ったことではないが・・・ 連隊旗は、確かに私が各連隊に与えた。軍旗のもと一致協力せよ。確かに各旗にその言葉も添えた―――」

「だがそれは、象徴としてそうしろと述べたまでで、連隊将兵より連隊旗のほうが大事だなどという、本末転倒を起こすためのものではない。何処へでも携えて行って、戻って来いという意味だ。我が国を護って欲しいという意味だ。旗のもと戦死傷する者あれば、その責任は私にしかないという意味だ―――」

「戦闘に勝敗がある以上、不幸にして連隊旗が失われ、また敵に奪われるというようなことも確かにあり得るだろう。そうなったとき、私が記憶し、私が背負うべきことは、連隊旗が失われてしまったことではない。連隊将兵そのものがそのような事態に至るまで戦ってくれたこと、その事実だ!」

 殆ど、激高するようだったという。

 また彼は、アンファウグリア旅団将兵には他のどの隊よりも連隊旗が必要であること、それを知っていた、とも言える。

 午前八時。ファロスリエン支隊は、この連隊旗を携えて襲撃に向かった―――

 気温、道路状況などから連隊付獣医が毎朝記録と報告をする軍馬の健康状態、疲労予測は、

「気温六度。日中予想最高気温一〇度。風速二メートル。馬匹一五四七頭中、病馬二三。病馬は食欲不振七頭、鞍傷一二頭、追突四頭にて全頭荷物を馬車に移し替えれば行軍に支障無し」

 と、記録する。



 三キロの下馬戦備行軍に、約一時間と支隊は計算していた。

 襲撃隊は、大きく分けて三隊から成っている。


 指揮隊 騎兵第二連隊本部

 警戒隊 騎兵中隊一個、下馬騎兵中隊二個、猟兵中隊一個、野山砲六門、山砲二門、グラックストン機関砲二門

 爆破工作隊 下馬騎兵中隊一個、工兵小隊一個


 警戒隊は、直接に敵鉄橋守備隊を排除する役目を負っていた。行軍隊形としては、ちょっとややこしいがこの警戒隊が前衛と後衛とに分かれた。間に、もっとも大事な爆破工作隊を守るようにしている。

 正式には連絡将校として旅団本部から派遣されていたラエルノア・ケレブリン大尉が、実質的にはこの警戒隊の指揮官として先頭付近に騎乗していた。連隊本部も、ここにいる。

 すぐに、大鉄橋の方角から魔術通信探知を感知した。

 発見されたと見ていい。

 指揮隊では連隊本部の総員が支隊指揮官アルディスを見つめたが、この寡黙な指揮官は落ち着き払って堂々としている。

 ―――今更、何を迷うのだ。

 穴が開くほど彼女の顔を見つめた部下たちのほうが、拍子抜けするほど、泰然自若として見返した。

 信じられないことだが。

 アルディスは、その様な部下達の仕草が可笑しかったのか、この場でくすくすと笑った。

 そうして、

「ようし、皆聞け。決心に変更なし。依然前進。これより我が隊は強襲を以て襲撃を行う。迅速さが第一。全隊速歩」

 命令した。

 行軍中だから、それなりの大声ではある。

 だがまるで気負うようなところはなく、ごくごくいつも通りの行軍をやるのだとでもいう調子だった。

「それでいて不思議と、皆ふつふつと燃え滾ったものです」

 と、連隊長従卒アリサリウェン一等卒は、己が生に訪れた至高の瞬間であったと、のちに一つ語りのように語った。

 アルディス・ファロスリエンという指揮官は、何よりも部下たちの心の機微を読むのが上手い指揮官であった。

 熟練した船頭が潮の満ち引きを読み、そこへ櫂を一掻きだけやって、自在に思う方向へと舳先を向けるような。そんな指揮をとった。

 アルディスが多弁であったなら、彼女はこのとき、部下たちが発奮状態からほんの一瞬、恐怖の色を見せた瞬間に、その「一掻き」をして引き戻したのである。

 自然、馬の蹄の音は高く大きくなり、軍靴の響きは小気味よくなって、爆薬を積んだ輜重馬車や、砲隊の砲車もガラガラとまるで空を飛ぶようになった。

 アルディスの緩急を読む巧さは、襲撃の直前にも発揮された。

 本来なら、小休止を入れてやる距離が迫っていたが、流石にそれはしてやれない。

 そこで彼女は、

「後ろへ逓伝。下馬、引き馬一五分。休憩はやらない」

 と下令した。

 逓伝というのは、行軍中にしろ戦闘中にしろ、各兵が順に口伝で命令を伝えていくことである。アンファウグリア旅団の場合、魔術通信を使いたくないときに用いた。

 「下馬、引き馬」は、騎兵は馬から降りて手綱を引いて歩くこと。

 つまり、少しばかり行軍がゆっくりになる。

 急行軍中にやる方法で、馬の負担を減らす効果がある。

 彼女はこれで、最後に隊列を整えた。

 尖兵隊は魔術通信の逆探知を始め、ヴィハネスコウの大鉄橋が迫ると、その一・六キロ手前にある窪地を攻撃拠点に定めた。

「ようし。予定の如く、まずは守備陣地を占拠せよ」

 午前九時一〇分。攻撃開始の命令である。

 砲を据え、輜重馬車からは爆破工作班が爆薬を降ろし、警戒班は前進を始める―――

 ヴィハネスコウ大鉄橋は、全長二八八メートル。橋脚二本の、連続トラス構造。つまり、鉄材を三角形に組み合わせたものを更に繰り返して桁にした、よくある形をしていた。

 この東側袂に、エルフィンド軍は守備陣地を構築していた。

 なかなかに堅固な作りである。

 哨所塔が一つ、兵舎が三つあり、煉瓦製の囲壁がその周りを覆っている。

 既にファロスリエン支隊の接近を感得していた守備隊約一〇〇名は、ここに籠るようにして配置についていたが―――

 流石に砲は持っていなかった。

 そこでファロスリエン支隊は、騎乗の一個中隊に守らせた野山砲隊六門で、まずこれを滅多撃ちにした。

 試射、修正射、そして効力射。

「右よりぃぃぃ撃てぇぇぇぇ!」

 野山砲中隊指揮官の号令のもと、ヴィッセル七五ミリ野山砲のあの頼もしい響きが、付近の山野まで猛烈に響いた。

 このとき砲隊の射撃開始距離は、約八〇〇メートル。

 ヴィッセル砲の射撃距離としては、かなり至近である。

 当然ながら、エルフィンド軍守備隊は小銃で撃ち返してきた。

 ぱすり、ぱすり、と大地に着弾の土煙が上がる。

 だが砲隊の指揮官も、砲兵たちも戦きもしない。彼女たちはもう何度も実戦を潜っている。

「銃弾が蚊のような音を立てているうちは、気にするな」

 霰弾で試射と修正射をし、榴霰弾を撃ち込んだ。

「死ぬときは、自宅の居間にいても死ぬ」

 などと嘯いた砲兵もいた。

 これはダークエルフ族としては、いささかどぎつい冗談であろう。

 本来なら堅目標であるから、火薬をうんと詰めた榴弾を使いたいところだ。

 しかし当時のオルクセン軍七五ミリ野山砲は、野戦における兵馬殺傷を主目的に想定した運用であったので、砲弾と装薬の入った前車も弾薬車も、霰弾と榴霰弾ばかりで構成されていた。霰弾が二〇発あまり、残り一二〇発ほどが榴霰弾という具合である。着発の前者で照準をつけて、空中炸裂の後者を主に用いる。

 だから榴霰弾を使った。

 この間に、警戒隊の下馬騎兵中隊二個と猟兵中隊一個が、守備陣地側面方向から接近した。堤防際に小さな森と茂みとがあり、これを利用した格好である。

 やがて砲撃支援が終了すると―――

 哨所塔は倒壊していたし、兵舎のひとつは屋根が抜け、またひとつからは火の手が上がって、白煙が漂い始めていた。

 しかしながら、頑丈な囲壁は存外に崩れていない。

 この煉瓦製の囲壁には接近してみると銃眼まであり、ここから生き残った敵兵が撃っている。

 警戒隊の兵たちは驚くべきことに、背を低くし、あるいは這うように進み、敵陣に対し一〇〇メートル附近まで迫った。

「エアハルトほど性能が上がっても、小銃はよほど近づいてやらないと当たらない」

 これもまた、彼女たちが幾度もの実戦で学んだことである。

 そうして小銃射撃を開始した。

 ところが―――

 相手は煉瓦製の囲壁内に籠っていて、まるで有効弾が得られなかった。煉瓦に命中した銃弾が火花をあげて、鮮烈に煌めき、高く鋭い音は立てるのだが、敵兵の射撃が収まらない。

「突撃、私に続け!」

 ついには痺れを切らした猟兵中隊のうち一隊が、囲壁まで早駆けして、その銃眼内に小銃を突っ込んで撃ち込み、またあるいは敵の小銃を掴んで奪い取ろうとした。

 しかし、これも上手くいかなかった。

 挙句、この突入した一隊の指揮官―――猟兵中隊のアームリエン少尉は敵弾に撃ち斃され、この襲撃行で初の戦死者になった。

 彼女は仰け反るように倒れたのちも、しばらくの間は生存していたのだが、敵の激しい銃火に後退させることも治療することも出来ず、胸部盲管銃創により戦死したものと推定されている。

「山砲だ、山砲を持って来い!」

 参謀肩章を吊った者が指揮をとるという軍組織上の無茶をラエルノア・ケレブリン大尉がやって、事態の打開を図った。

 猟兵たちは森の中を苦労して砲車を曳き、弾薬箱は背に担いで行って、その縁に据えた五七ミリ山砲二門で囲壁を直接に撃った。

 これが、ようやくに効いた―――

 約一時間の戦闘ののち、敵守備兵の退却が始まり、それは殆ど散り散りになった壊走の態であったが、ファロスリエン支隊はこの殲滅を図るより、銃撃を背から浴びせて、むしろ逃亡を加速させるようにした。

 俘虜となった敵兵を手早く武装解除し、腕を頭の後ろに組ませ、後送させつつ、橋梁への爆薬設置作業を急ぐ。

 この激しい戦闘を感得して、いつ敵の増援がやってくるとも知れないからである。

 とくにアルディスは、その可能性を危惧していた。

「哨兵をしっかり立てろ。対岸もだ。魔術探知も怠るな」

 彼女には、守備隊が寡兵にしては粘り過ぎたように思えてならなかった。

 攻撃発起点からグラックストン機関砲も前進させて、土提沿いに据えた。対岸方向を睨む位置である。

 あのユスティーエル大尉率いる騎兵第六中隊と工兵小隊とが、支間中央部と、橋脚直上とに爆薬の設置作業を始めた。

 彼女たちはこの場まで、兵一名あたり約三〇キログラムの爆薬を担いできている。一五キロ工兵用爆薬缶で二個である。

 これを横三列、縦三列の計九個にして、一個所当たりに設置する。本来ならコンクリート製の橋脚には穿孔を施したうえで設置するか、橋脚の根本に設置すると良いのだが、流石にそこまでの器材は持ち込めなかったし、川の流れがあり、またそのような時間の猶予もないであろうというので、計画立案時からこのような手段が採られた。

「雷管は目を瞑っていても装着できるように」

 と、これは工兵隊から指導を受けて学んでいた。

 襲撃行を昼間でやるか、夜襲でやるかは支隊の裁量であったから、夜間になる可能性も考慮していたのだ。

「腰を引いているようではいけない。そんなことでは扱えない」

 彼女たちは、工兵隊からの教えを懸命に思い出しつつ、設置作業を急いだ。

 支隊では、この設置作業を約一時間とみていた。

 その終了間際―――

 つまり午前一一時前、恐れていた事態が起きた。

「敵襲ぅぅぅぅぅぅ!」

 まず西岸の哨兵が魔術探知で、何か大規模な集団が迫っていることを感得し、続いて土煙が望見された。

 この日朝、ネニング方面軍後方兵站司令官ギルリエン中将が首都ティリオンから放った竜騎兵三個中隊、騎砲一個中隊が到着したのだ。約一二〇〇名であり、部隊規模としてはファロスリエン支隊と余り変わりがない。竜騎兵を主体としているから、みな騎銃を持っている。

 この隊を率いていたエルフィンド軍指揮官は、優秀だった。

 本来、到着予定正午として行軍していたのだが、ヴィハネスコウ大鉄橋からの戦闘音が聞こえると、早駆を号令し、戦備行軍を成して接近してきた。

「騎兵は銃声の聞こえる方向に進む」

 その兵諺を実践したわけである。

 オルクセン軍がヴィハネスコウ大鉄橋に存在することがはっきりすると、乗馬襲撃隊と下馬戦闘隊を作り、猛烈な射撃を始めた。

 エルフィンド軍指揮官は切歯扼腕した。

 橋に向かって砲撃は出来なかったからだ。

 その代わり、自ら先頭に立ち、死を恐れず強襲してオルクセン軍に向かうよう下令した。また砲隊には橋の対岸を撃つように命じた。

 ファロスリエン支隊としても弱ったことになった。

 橋上に工作隊がまだ残っている以上、そちらには撃てない。おまけに彼女たち自身は、爆破器材を抱えていく必要上、一部の兵を除いて小銃を置いてきていた。

「下がれ! 下がれ! 爆破は一部で構わん!」

 アルディスは工作隊を下げるように命じた。

 警戒隊は大鉄橋際の東岸土提に展開して、援護射撃をする。

 ファロスリエン支隊側砲兵もまた、敵の接近を防ぐため砲撃を再開した。

 グラックストン機関砲も、撃った。

 このグラックストンの射手は、過去の戦闘においても、アンファウグリア旅団のなかでも死傷者の多い配置であった。操砲位置が高く、また敵としてはこの脅威の火力を潰そうと、集中的に狙ってくる。銃弾や砲弾片を浴びることが多かった。

 その戦訓から、浸透作戦開始前に第四軍団の手で防盾を取り付けてもらった。

 ヴィハネスコウ橋梁における戦いにおいても小銃弾を浴び、防盾がこれを弾いて、火花を出し、射手たちは防弾効果に感謝したものだった。

 その猛烈な戦場音響のなか―――

 まず、ヴィハネスコウ大鉄橋西岸側に渡っていた工兵小隊長が撃たれた。幸いにも彼女は軽傷で、部下たちに両脇から担がれるようにして後退に成功した。

 しかし、その足元で大変な事態が起きた。

 敵小銃弾を浴びた爆薬缶のひとつから炎が噴き出し、またひとつは小爆発を起こしたのだ。

「私たちがあの戦争で使った爆破器材は、黒色薬で。後年のものに比べると、まるで安全性はありませんでした。ええ、小銃弾が命中すると、誘爆したんです。火工品は緩燃導火索に直接着火するというような・・・ まだそんな時代でした」

 と、この襲撃行に参加した元アンファウグリア旅団兵士は語る。

 大爆発こそしなかったが、連続して小爆発が繰り返し起き、大鉄橋対岸側支間中央部の設置器材は役を成さなくなった。

 橋脚の西岸側一本附近橋上にいたユスティーエル大尉は、部下のサッラミア曹長以下、僅か六名いた小銃携行の兵を集め、その他の部下と工兵隊の撤退援護のため、トラス桁に身を隠しながら援護射撃をした。

 これもまた、たいへんな勇気のいる真似であった。

 なにしろ彼女たちの足元には、眼前で誘爆した火薬缶と同じものが座っている。

「下がれ! 下がれ!」

 しきりに将校用拳銃を撃つユスティーエル大尉が、橋上からの工作隊撤退を確認し、また援護射撃の兵たちも後退させ、自らも避退しようとしたとき―――

 彼女は背を撃たれ、倒れた。

「中隊長・・・!」 

 サッラミア曹長が駆け付けたが、彼女もまた肩部を被弾した。

「馬鹿、下がれ! 下がれ!」

 ユスティーエル大尉は叫び、押しのけようとする。

 己はもう自力では後退出来そうにないが、この愛すべき部下はまだそれがやれた。

 大尉自身は東岸まで引っ張るつもりだった、緩燃導火索を掴んでいた。

「いいえ、下がりません! 下がりませんとも! 中隊長、それ、着火されるおつもりでしょう! おひとりで英雄になろうなんざ、この私が許しません!」

「・・・この馬鹿」

「・・・それに、おひとりで着火されるには、いささか荷が重すぎるかと」

「違いない・・・じゃあ、またふたりでやるか?」

「はい」

 ユスティーエル大尉が掴んでいた導火索に、サッラミア曹長が点火した。

 ―――これが、ヴィハネスコウ大鉄橋を襲った最初の大爆発になった。

 橋脚、西岸側である。

 次いで工兵隊が残る二本に点火し、橋脚東岸側、支間中央部東岸側が爆発した。

 その轟音。

 閃光。

 鉄骨の盛大な軋み。

 天をも焦がす爆煙が上がり、鉄道の枕木はおろかレールまでが舞い上がる。

 両軍兵士の多くの者が半ば茫然と見守るなか、ヴィハネスコウ大鉄橋は爆薬設置個所付近から上部構造が崩れるようにして、シスリン川に倒壊、落下した―――

 ユスティーエル大尉と、サッラミア曹長の遺体は、後日回収されている。

 点火位置附近のトラス材に引っかかるかたちで、水中にあったという。

 このとき戦闘したエルフィンド軍側騎兵指揮官が腹の据わった性格であり、自ら護符を回収し保管したうえで、弔銃まで撃たせ、簡素な木材によるものだが墓碑も作らせて、橋の西岸側袂に埋葬した。

「偉大なオルクセン騎兵二名、ここに眠る」



 ファロスリエン支隊はまず攻撃発起点に下がり、ついでヴィハネスコウの村へと後退して収容隊と合流。

 ここで負傷者手当他約一時間の出発準備をして、この日のうちにヴィハネスコウからカナヴァの方角に向かって一〇キロ東にまで撤退した。

 この過程で、ファロスリエン支隊は軍馬の犠牲も出している。

 騎兵第四中隊は騎乗したまま襲撃行に参加した隊であったが、殿軍をやったため、敵増援隊の砲撃を浴びた。

 同隊メリディス一等卒はこのときの着弾風で、愛馬から吹き飛ばされ、落馬し、上官の伍長に引き上げられ、気絶したままヴィハネスコウの村に退いた。

 気がつき、事情を説明されると、どうか愛馬を探しに行かせて欲しいと懇願した。

 同僚たちとすれば、彼女の気持ちは痛いほどに分かる。

「一時間だけだぞ。一時間後には出発する」

 いずれにせよ後衛の哨兵を出さねばならぬというので第四中隊長はこれを許し、メリディス一等卒は伍長から馬を借り、攻撃発起点付近まで戻った。

 ほんの僅か前まで戦場だった場所は、しんと静まり返っていた。

 メリディス一等卒の愛馬は、フォルルスブリド号といって、「春の風」といった意味である。鹿毛で、黒っぽい尾とたてがみをした、誰の目にも美麗な馬であった。

 人知ならざる者の助けか、すぐに見つかった。

 起伏の陰に馬体を横たえ、頭だけを上げ、目を剥き、苦し気な息をしている。

「すまんなあ・・・ 苦しかったなあ・・・ 待っていてくれたのか・・・」

 もう駄目であることは一目でわかったが、メルディスが頭を撫でてやったしばらくあとに、息を引き取った―――

 オルクセン軍は、この戦争に約三〇万七〇〇〇頭の軍馬を徴用した。

 このうち帰還出来たものは、約半数であるとされている。正確な数すら分からない。

 戦場での馬は、過酷な環境から実に呆気なく死んだ。

 戦闘で死に、路端で倒れ、泥濘に埋まった。

 役に立たなくなったと放馬され、傷だらけのまま野にひとり草を食んで、やがて行方のわからなくなった軍馬といった光景も、珍しいものではなかった。

 戦死者の墓とともに、犠牲軍馬の碑があちこちに建てられた。 

 研究上からも経験上からも、馬に対してもエリクシエル剤の効果があることは分かっていたが、実際に投与された例は極めて少ない。これが犠牲を増した。オルクセン軍でさえ、兵士用のエリクシエル剤を確保するので精一杯だったのだ。原則的には、軍馬への使用は禁止されていた。

 メルディス一等卒の愛馬フォルルスブリド号も、そのような膨大な犠牲のうちの一頭である―――

 翌一七日午後二時、ファロスリエン支隊はアンファウグリア旅団本隊にカナヴァ郊外にて合流した。

 支隊はそれまで行軍においては負担を避けることを優先していたが、このときばかりは、きっちりと整列をし、まるで閲兵を受けるようであり、旅団長ディネルース・アンダリエル以下旅団幹部も敬礼をして迎え、本隊の将兵のうち手隙の者みなで軍帽を振って歓呼の声を上げた。

 支隊が無事引き上げてきたことを哨戒線から知らされたとき、ディネルースは従卒を呼んだ。

 少将である彼女には当然というべきか従卒の兵がいて、この兵が水筒を二つ下げている。

 オーク族兵用の大きなものだ。

 戦争のこのころになると、ディネルースはかつてのように火酒だけを飲むのではなく、キャメロットのブレンデッドウィスキーを愛するようになっていた。

 それはグスタフ王から贈られて知り、どうも本来はシュヴェーリン元帥のために用意していたらしい、キャメリッシュ・ブラックバーンの一七年ものだった。戦況の具合によって第三軍司令部に送れなくなってしまい、それならばとディネルースに贈ったのだ。

「従卒」

 と、ディネルースが呼ぶと寄っていき、どちらになさいますかと尋ねる前に、

「火酒」

「ウィスキー」

 ディネルースのほうで短く所望の品を告げるから、それが詰めてある側の水筒を出す。従卒の朝いちばんの仕事は、この水筒にそれぞれの酒を補充しておくことであり、日中いちばんの出番は、いざお呼びがかかったとき、差し出す品を間違えないようにすることであった。

 オルクセン軍の水筒には、アルミ製の蓋がついている。

 杯になるほどの大きさがある。

 この蓋に注いで従卒が差し出すから、それを飲んだ。

 ことさら偉ぶるようになったのではなく、オルクセン軍上層部などの眼もあるから、頼むから喇叭飲みするのは辞めてくれと、これは腹心のイアヴァスリス・アイナリンド参謀長などから説得された結果による。従卒に帯びさせるようになったのは、ディネルース自身に水筒を持たせておくと、あっという間に空にしてしまうからであった。

「私も上品になったものだ」

 ディネルースはよくそう言った。

 従卒には特典もあって、就寝前になって中身が余っているときは好きに飲んで良し、とされていた。もっとも中身が余っていることなどは、滅多にあることではなかったが。

 このときは、ウィスキーを出すように命じた。

「私も贅沢になったものだ」

 琥珀色の液体を飲むときには、彼女はそう言った。

 たしかに火酒と比べれば、値が張った。

 ベレリアンド半島では滅多に手に入らない。ほぼ、グスタフから送ってもらう品だけが頼りであって、この作戦の前には将官行李にそればかり詰めた。

 機嫌の良いときや、祝い事のあったときに飲む。

 このときは、ファロスリエン支隊の帰還を祝したのである。

「従卒」

「はい、旅団長」

「アルディスのところに行ってな。その水筒の中身、丸ごとくれてやれ。それと復命は一息着いてからでいいと伝えろ。復唱の要無し。行け」

「はっ」

 その、アルディス・ファロスリエンはといえば―――

 支隊に、旅団の輜重隊から鹵獲の糧秣が行渡るのを確認してから、ようやく自身も一息をついた。

 大休止を命じ、兵たちは軍馬に飼葉をやり、一頭一頭に備えてある「水嚢」と呼ばれる折りたたみのキャンバス製バケツで水を飲ませ、また兵自身も遅い昼食を摂り始めるなか、彼女自身は、特配の牛缶を食べた。

 普段ならどうということはない携行口糧品だが、旅団の手持ちは四日分しかない。これは大事に取っておかれた品で、それを支隊に配ってもらえた。

 水場が豊富だったから飯盒に水を張り、集めた枝で火を起こし湯煎で缶を温め、乾パンもそのうえで収納袋ごと湯気にあてた。本部の輜重馬車からは、熱いコーヒーが届いた。

 オルクセン軍の牛缶は、基本的には塩味に調理されただけの牛肉が、ごろごろと入っているのみである。やや牛脂が多く、胃もたれがする者までいる。

 ところがそれが、このときは無性に美味かった。

 皆で、呻いた。

「牛缶とは、こんなに美味いものだったかなぁ・・・」

 寡黙なアルディスは、ぽつりとそれだけを呟き、大任のひとつを肩から降ろした―――   



(続)

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