第41話 戦争のおわらせかた⑨ ネニング平原会戦④
―――四月一一日午前六時四〇分。
といえば、ちょうどエルフィンド軍イヴァメネル支隊が、ネブラスに対する最終的な前進を開始していたころにあたるが。
オルクセン第一軍の中央より北翼にあたる第六、第三、第四の各軍団が攻勢を発起し、砲撃戦を開始すべしとされた時刻である。
ところが、これは予定通りには実施されなかった。
原因は、天候にある。
この地方特有の春季における濃霧が出て、砲撃開始は午前八時四五分まで延期された。
「
と、オルクセン王国ベレリアンド戦争公刊戦史は記録する。
軍直轄砲兵、軍団砲兵、師団砲兵、連隊砲兵―――
「右よりぃぃぃ撃てぇぇぇ!」
焦れるような思いのあと、可及的かつ猛烈な砲撃を行い、とくにそれは事前に入念な準備研究を行っていた第四軍団において苛烈であった。
野戦重砲兵第一五旅団の持つ、二四門の一五センチ榴弾砲が猛威を発揮した。
まことに偶然ではあるが。
彼らが主に砲撃の対象としたネニング方面軍アシリアンド軍を直接攻めることになったのは、第四軍団のうち第一五擲弾兵師団であった。
―――野戦重砲一五旅団が、一五センチ榴弾砲を使って、第一五師団を支援する。
偶然にも重なった一五という数字の連なりが、オルクセン軍兵士におかしみを覚えさせ、
「
などと意味もなく連呼することが、この少しあとに一五旅団と一五師団の両部隊兵士のあいだで流行した。
勝利と生存と敵撃滅とを願う、験担ぎの、おまじないのようなものになった。
つまり、一五旅団による一五センチ榴弾砲の砲撃は、それほどの威力を発揮した。
敵ネニング方面軍アシリアンド軍は、構造そのものは粗製の感は拭えなかったものの、三重になった防禦陣地を築いていた。その背後に、同地における交通の要衝スリュムヘイルの街を策源地として控える。
この縦深のある防禦線を、天から重量弾を叩きつけるようにして、破砕した。
このとき砲撃を浴びたエルフィンド軍将兵のなかには、のちに捕虜となった者も大勢いて、尋問記録によれば「重砲の射撃には恐怖を感じた」という。これがかの二八センチ砲かと誤解した兵までいたというから、どれほどの高威力を発揮したかがわかる。
防御陣地を破砕するだけではなく、スリュムヘイムの街の北側、北方山脈の山麓付近に存在した高所にはアシリアンド軍の砲兵陣地があったが、野戦重砲兵第一五旅団はこの砲兵陣地も「全く撲滅」した。「我が歩兵前進開始せし頃には一発も発射せず」という有様に追い込んでいる。
ただし、この砲撃戦の何もかも完璧、一方的な鏖殺というわけにはいかなかった。
第一五旅団の北隣やや前方には、第一五擲弾兵師団の師団砲兵である野戦砲兵第一五連隊がいたが、夜間に同地に進出して、かなり堅固な砲兵陣地を築いていたものの、敵砲兵からの応戦に遭った。
アシリアンド軍一六ポンド野砲の反撃に遭って、二門の砲と、四門分の砲員を失っている。
第四中隊の戦砲隊に飛び込んだ砲弾など、たちまち七名のオーク族兵を斃し、その「死状筆舌に尽くしがたし」状態だったという。遺骸の回収に難儀したほど、「四散していた」。
実のところエルフィンド軍側は、
「一一日に敵攻勢発起せんとの情報は確実なり」
アシリアンド軍他に対し、オルクセン軍による北翼攻勢発起の密偵報を伝えていた。
かなりの正確性を持っており、また、対するオルクセン側もそのような敵密偵が暗躍していることは承知していた。
既占領地の、夜間における魔術通信使用禁止令が破られ、不審なる魔術通信波が捉えられることはしばしばで、エルフィンド軍に対して自軍情報のある程度は漏れているであろうことを予想している。
第四軍団が砲兵陣地を固定化するのではなく、攻勢発起前日になって迅速な砲兵展開と陣地構築を図った所以であるが、それでもなお野戦砲兵一五連隊は対砲兵射撃に遭ったことになる。
この反撃を成したアシリアンド軍砲兵陣地は、防禦線の壕内に埋まるようにして据えられていたため、野戦砲兵第一五連隊の七五ミリ野山砲では、榴霰弾を用いて砲員を狙ったとしても重砲隊の「半分の効果も発揮しなかった」。連隊に一個中隊あった、八七ミリ重野砲の戦砲隊で反撃して、ようやく沈黙させている。
同じ「一五」でも、明暗の分かれた結果と言えよう。
このような激烈な砲撃戦が展開されているころ―――
既に、第一五擲弾兵師団の擲弾兵たちは、前進を開始していた。
師団隷下の第一七擲弾兵旅団に属する、擲弾兵第一八連隊、同第六〇連隊。
同じく第二九擲弾兵旅団の、擲弾兵第三四連隊。
師団にはもう一個擲弾兵連隊があり、これは本来は二九旅団隷下の第六七連隊であったが、師団司令部が予備兵力として握っており、計三個連隊での前進となった。
中隊毎の、兵それぞれが一歩乃至二歩の間隔を開けた、横隊散兵隊形による全線躍進である。
つまりこのときまだ、彼ら擲弾兵の頭上を、味方砲兵の砲弾が飛んでいた。
彼らの前方で、各連隊砲兵、師団砲兵、軍団砲兵、野戦重砲旅団砲兵の放つ砲弾幕が、順に移動していく。
事前に綿密に打ち合わせた、砲の種類ごとによる砲撃計画に従ったもの。
第四軍団苦心の研究が成さしめた光景。
それは何処か、まるでオルクセンにおける鉄道の運行のような、正確無比なタイムスケジュールに従って進行した。
アルトリア戦で擲弾兵の前進を成功させた超過射撃と同じ系譜にあたる戦術だが、これほど組織的となり、これほどの規模となると別の呼ばれ方をする。
―――
このネニング平原会戦時には、まだ正式な呼称はなかった。
第四軍団司令部による事前計画や報告書の文章表現に従うなら、「我が擲弾兵、我が砲弾のもとで前進」し「我が擲弾兵は我が砲弾とともに敵陣中に突っ込む」。相対したエルフィンド軍からすれば、近代戦における鉄と火力による暴力が、もっとも凶悪なかたちで具現化したような戦術である。
第四軍団の発想は、画期的であった。
彼らはまず、砲兵の使命を「自軍歩兵が目標地域を奪取するまで敵を制圧し続けること」だと考えた。
攻撃正面に、一〇〇メートルほどの縦深幅を持つ帯状に指定した砲種類ごとの砲撃地域を、順に前進させて、この後ろから歩兵がついていく。
敵兵の頭を上げさせず、迎撃もさせず、まるで「砲弾で敷いたローラー」に地均しさせて、このうえに歩兵が乗っていく格好だ。重野砲の砲弾が炸裂し、野山砲がこれに続き、敵の壕そのものは榴弾砲が吹き飛ばす。
しかも第四軍団は、この戦法を集中して使った。
隷下の二個師団に対し、大鷲軍団による空中偵察や、騎兵斥候、捕虜尋問による事前情報を用い、これと見定めた大きく二個所の攻撃地点を指定して、火力を叩きつける範囲そのものを集中した。第四軍団がこのとき用いた火砲は、七五ミリ級以上だけで約一八〇門に及ぶ。
彼らが相対したアシリアンド軍四万三〇〇〇には、第四軍団だけでなく南隣の第三軍団第一〇師団も攻撃をしかけていたから、アシリアンド軍にしてみれば堪ったものではなかった。
彼女たちは魔術通信妨害に出たが、これはあっという間に寸断された。砲撃を浴びながら、魔術発揮に必要な集中力を維持することは困難であったからだ。
また、よしんばこれに成功していたとしても、第四軍団は最初から間接射撃管制上の魔術通信使用をあてにしていなかった。このネニング平原会戦当初に魔術通信妨害を浴びたことから、魔術通信も、大鷲による空中弾着観測も使用できなくなる前提で、地上の砲撃観測所を前進設置し、携行発光通信器による伝達を主体に据えていたのだ。
エルフィンド軍は激しい砲撃に頭も上げられず、衝撃と轟音に揺さぶられ、土埃を浴び、ときに不幸にも榴霰弾の弾子に直撃を受け、あるいは大口径榴弾によって壕ごと吹き飛ばされた。
「―――!」
「――――――!」
「――!」
一五センチ榴弾砲による砲撃は凄まじかった。
着弾すると、まるで天に突くような炸裂をし、猛烈な勢いで土砂を巻き上げる。
直撃を受けたとある壕では、一発の一五センチ榴弾により、一瞬にして九名のエルフィンド軍将兵が斃れ、十数名が負傷した。
そのような着弾の場合、土砂だけでなく、正体を想像もしたくない何かが一緒に舞い上がり、落下四散する光景が、ありありとオルクセン側からも望見できた。
多くの掩体壕が崩れ落ち、第一線から第三線の陣地のあちこちに防禦上の穴が開く。
やっとこれが通り過ぎたあと、立ち直らぬうちに津波のようなオーク兵の接近を受けた。
エルフィンド軍将兵の目から見れば、慄然とするような光景が眼前に出現していた。
彼我の距離僅かに二〇〇メートルを切ったあたり、下手をすると一〇〇メートル附近という文字通りの至近距離に、まるで瞬時にして現れたかのようなオルクセン軍散兵線が出来上がっていたのだ。
戦前に夢想された「決戦射撃距離」など、もはや存在しなかった。
自然地形を利用し、着弾跡をも使い、また円匙や十字鋤といった土工器具で伏し隠れられる程度の散兵壕を掘ったオルクセン軍が展開している。
この戦闘ののち作成された、第四軍団の軍状報告は告げる。
「現今の火器に対しては、攻者もまた或る時期をおいては掩体を構築する必要あり。今回の戦闘において我が擲弾兵の大部は時機を逸せずして掩体を構築せり。例え背嚢を残置して前進するにおいても土工器具を携帯するは重要なることを表明す」
実際、第四軍団はそのような指示を予め出していた。
これもまたアルトリア戦における戦訓の研究結果であり、例え僅かなものといえども掩体が兵たちの命を救うことを学んでいたのだ。
そうして彼らは、猛烈な、至近距離からの小銃射撃戦を始めた。
槓桿を引き、あの恐るべき尖頭船底弾を込め、中隊ごとに一斉に撃つ統制弾幕射撃を実施した。
障碍物や、抵抗の激しい壕には、擲弾兵に続いて徒歩で接近した五七ミリ山砲隊が決死の砲撃を行う。
彼我両軍、兵たちの顔つきは名状しがたい。
興奮と、恐怖と、殺意と。怯えと、冷静と、憤怒と。何もかもが混淆した顔付きと動作で、射撃を続ける。
「我撃てば彼もまた撃つ」
そんな激しい小銃の撃ち合いが、猛烈に続いた。
第一五連隊第一八擲弾兵連隊第三大隊では、小銃射撃戦を展開するなか、爆薬を使って障害物の爆破を試みた。連隊から増援されていた工兵小隊に命じ、エルフィンド軍防禦陣地の一部にあった鹿砦などを除去しようとした。
工兵たちは、梱包された火薬嚢に雷管と導火索を装着した工兵隊用爆薬を使った。
この前進と着火に難渋した。
敵銃火のもと障碍物へと近づき、導火索に燐寸で火を点け、投擲するのである。
まだ防風や防水の施された燐寸もなかった。
上手く火を点けることが出来ず、八名の隊のうち三名までが撃たれ、ようやく爆破に成功。この復路、難事をやり遂げた工兵小隊長は味方陣に大きく手を振ったあと、その背を撃たれて、崩れ斃れた。
「進め! 進め!」
オルクセン側は仇を取ろうと必死になる。
エルフィンド軍の前線は、次第に抗しきれなくなっていった。
一例を挙げれば―――
アシリアンド軍第一二壕と呼ばれた防禦陣地は、戦線北端に近い場所であったが、壕の崩落により本隊及び周辺部隊との連絡を絶たれ、また混戦によって魔術通信も使用できなくなったため、増援を求めて伝令を派出したが、この伝令が次々に斃れた。崩れた壕を超えようと飛び出したところを、オルクセン軍小銃弾により撃たれたのである。
壕内の戦死傷者も相次ぎ、ついに孤立して、防支できなくなった。
おもに榴弾砲による砲撃により、方々の壕を破壊され、また内部の兵を死傷させられていたうえに、火砲の殆どを破壊されてしまっていたことが大きい。実際視界上も火力上も死角が生じて、大きくオルクセン軍の接近を許した。
また、エルフィンド軍前線には連発性のあるグラックストンのような防禦火砲がなかった。
ただし、
「エルフィンド軍は開戦まで機関砲を知らなかった」
戦後まことしやかに流布したものは、これもまた「作られた伝説」である。
正確にいえば僅かながら彼女たちの軍にも、戦前にキャメロットの商会経由で購入した、グロワール製の、強力な一三ミリ弾を一分間に二〇〇発以上射撃できるファフシャン・レフィエ連発砲というグラックストンとは別形式の機関砲があり、これをアルトリア戦の時点で使用している。
だが、このネニング平原戦において全軍含めてその数は僅かに五〇門弱、更にいえばその運用法を根本から誤っていたというのが真相だった。
グロワールの操法をそのまま取り入れた結果、エルフィンド軍はこの先進的火器を砲兵の担当下にして、前線から大きく後方に置いていた。軍の首脳にとっても、操る兵たちにとっても「遠距離狙撃出来る砲」というような理解だったのだ。
このため有効な防禦火力となり得ず、僅かな所有砲もついに役には立たなかった。
これもまた、「兵器とは、運用法が確立されて初めてその性能の全てを発揮し得る」という例のひとつであろう。
また、オルクセン軍が攻撃正面を絞ったことも、彼女たちには災いとなった。
オルクセン軍のネニング平原北部攻勢が始まったとき、エルフィンド軍アシリアンド軍の一メートル当たりの小銃数は、平均して一・四丁。
対するオルクセン軍第四軍団は、一メートル当たり三・七丁という濃密な火線を作り出すことに成功していた。
そうして、アシリアンド軍防禦線の配置上や地形上の弱点と思われる箇所を集中的に攻めた。
冬営明けのころから、オルクセン軍が「来るべき決戦」に備えてエリクシエル剤の運用方法を変えていたことも、エルフィンド軍には不利に働いた。
これは第四軍団のみならず全オルクセン軍に適用されていたことで、アルトリア戦までの反省に基づく。
銃弾や砲弾片が貫通していようが残っていようが、とにかくエリクシエル剤を使えという方針に変わっていた。
重傷者への使用を躊躇い、後送に時間がかかったことから発生した死者が多いという戦訓がわかって、この反省として一次治療の段階からとにかくエリクシエル剤を投与し、出血や化膿をまず防いでしまい、盲管銃創者の一部すら自力で後退出来るようにして、後方に辿りついてから改めて外科手術による摘出を行うという運用に変わっていたのだ。
衛生兵は、そのようなときには元の傷の位置に印を着けておくのが大きな仕事のひとつになった。「× 盲管」。そんな具合だ。軍医が見て一目でわかるようにするためである。
過去結果の検証を行ったことも大きければ、オルクセン本国において、ダークエルフ族から志願者を募ったエリクシエル剤の大量生産体制が構築されたことが大きかった。これで、傷者から死者に転落することを大幅に抑え込んでいた。
製造に魔術力を要するという点においてはエルフィンド側にも可能であったはずなのだが、彼女たちは主要原材料のひとつであるアンゼリカ草の増産が追いつかなかった。
しかもこの一連の戦闘では、オルクセン軍擲弾兵の一部に重大な戦術上の変化が訪れた。
それは戦前、彼らが頭から否定していたはずのものであり、つまりは戦前における「火力戦」の中身が誤っていたことを示す変化の一つであったのだが―――
その重大な戦術上の変貌は、第一七旅団の一部、第六〇連隊第一大隊で起きた。
「大隊長殿、こんなことではいつまで経っても埒が開きません!」
「大尉、お前もそう思うか!」
「ええ!」
彼らの前面では、移動弾幕射撃の前進が少しばかり早すぎた。
砲兵隊が味方への誤射を恐れ、この傾向は攻勢の全線で見られたもので、文字通り「我が擲弾兵、砲弾とともに壕に突っ込む」とはいかなかったわけだが、六〇連隊の担当区ではとくに顕著であった。
このため敵壕に他所より幾らか多くのエルフィンド兵が残り、小銃射撃戦で決着がつかなくなった。
並の野戦なら、とっくに敵陣を打ち崩しているとされていたほどの距離で、膨大な弾数を使ってもまだ撃ち合っている。
彼我両軍、互いに遮蔽物を頼っているためと思われた。
「よーし、やるか!」
「はい!」
「喇叭長、突撃喇叭!」
トテトテトテトトトトトテテー!
「突撃にぃぃぃぃぃ前へぇぇぇぇぇ!」
統制射撃を二度行ったあと、第一大隊は銃剣とサーベル、拳銃による突撃を実施した。
「突っ込めぇぇぇぇ!」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
―――昼間白兵における強襲突撃。
戦前オルクセン軍が定めた、「突撃は敵兵すでに去りたるか、夜間、もしくは僅かに防止したる陣地に向かうに過ぎざるもの」が、ついに夢想と崩れた瞬間だった。
第一大隊は、あれほどオルクセン軍が否定し続けたはずの昼間強襲突撃による白兵戦に、全てを賭けた。
凄まじい光景が現出した。
それはオーク族の、種族のとしての肉体の頑強さを武器にした、あまりにも原始的で本能的な暴力の奔流だった。
四個中隊八〇〇名近い隊が吶喊の喊声を上げ、大地を震わせんばかりの集団衝撃力となって、抜き払ったサーベルと、小銃に着けた銃剣とを武器に、エルフィンド軍防禦陣地に対し一散に駆ける。
興奮しきったオーク族兵は、当たり所にも依るが、一発や二発の小銃弾が命中したくらいでは、止まらなかった。地獄の使いのような雄叫びと、地響きと、エルフ族の者からは悪鬼のように思えた形相をして、突撃した。
それまでの砲撃戦と射撃戦とで、櫛の歯が抜けるように多くの兵を壕内へと撃ち斃されていたエルフィンド軍側は、顔面蒼白となり、必死の射撃を行い、歯の根も震えんばかりの恐怖と戦ったが、これに精神力で耐えられなくなった者たちが背を向け始める。
またある一隊は、自らの積極的行動により恐怖に打ち勝とうと、指揮官の号令のもと壕外へと飛び出し白兵によって迎撃しようとしたが、これはまるで逆効果になった。
オーク兵の奔流は、敵壕に到達すると、エルフィンド兵を圧倒した。
巨体ごと転がるようにして雪崩込み、サーベルと銃剣を使って白エルフ兵たちを刺突、斬殺、撲殺する。
惨、また惨、惨なり。
それはエルフィンド軍にすれば、悪夢そのものの光景であり、ただひたすらに凄惨だった。
オークの将校たちは、サーベルの白刃を振るった。
オルクセン軍の使うオーク族向けサーベルは、他種族のそれより大きく、頑丈で、剛健である。そうでなければ彼らの巨躯に依る蛮用に耐えられないからだ。もはや刺突や斬撃はおろか打撃により殺傷できるほどで、実際のところも、相対したエルフィンド将兵を頭から叩き割るように使うことが多かった。
またある兵は、己が小銃が折損すると円匙に持ちかえ、これでエルフィンド兵を撲殺した。これはオーク族に限ったことではないが、例えどのような知的生命体であっても、またどれほど科学技術が発展しても、生命の原始的な部分が剥き出しとなる環境に追いやられると、生き物は何でも鈍器にしてしまうものらしかった。
かつてエルフィンド軍ダリエンド・マルリアン大将は、オーク族とエルフ族が一度白兵に陥ってしまえば、決してこれには勝てないと述べたことがある。
その光景が、まさに現れた。
「兵は勢いなり」
と、兵諺に言う。
アシリアンド軍で最初に崩れたのは、オルクセン軍第一五師団第一七旅団が担当した北翼端だった。
第一線が突破され、予備陣地だった第二線が体制を整える間もなく浸透され、構築の弱かった第三線が崩壊したのだ。
第一七旅団は、そのまま南に向きを変え、アシリアンド軍側背への繞回攻撃に展開。
一翼包囲の形勢に追いやられたアシリアンド軍は、次にオルクセン軍第二九旅団担当の中央、やや北寄りを突破された。
第一五師団司令部は、好機を逃さなかった。
予備兵力として握っていた第六七連隊を投入、戦果の拡大を図る。
そうして、師団砲兵隊一部の陣地転換を命じた。
彼我両軍が混淆している状況下で、最前線を直接には撃てない。
A型編制師団であった彼らは、砲を多く持っている。八七ミリ重野砲隊もいる。前進配置させたこの重野砲隊を使って、アシリアンド軍の後方策源地であるスリュムヘイムの街への擾乱射撃を始めた。
この街が陥落してしまえば、エルフィンド軍としては一大事となる。南隣のエルドイン軍側面が晒され、強いては司令部のあるディアネン市の側面を狙われてしまう。
一一日夕刻、アシリアンド軍は後方で防備を固める決心をし、後退を始めた―――
エルフィンド軍アシリアンド軍四万七〇〇〇中、死傷八二九六名。火砲二二門及び機関砲若干鹵獲。
第四軍団軍状報告は告げる。
「陣地戦においては榴弾砲二四門、野戦砲兵一個旅団に勝る」
「榴弾砲を多用せば、陣地攻略も左程難ならず」
「アシリアンド軍への本攻、案外に速なりしは、まったく砲戦において敵野砲悉く沈黙せしめんがためなり」
そして、
「陣地戦においても時として白兵強襲突撃、恐るること無きこと肝要にして―――」
戦前における「誤った火力戦」を否定する、仕上げを行った。
「歩兵戦闘最後の決を与えるは、銃剣なり」
<i586622|36800>
アンファウグリア旅団の前進開始は、一一日夕刻になった。
言ってみれば第四軍団という巨大な錐が敵戦線に開けた穴を通って、大きく敵ネニング方面軍の後方を回り込み、首都ティリオン方面との補給路を断ち切ってしまう。
成功すれば、敵はその後方に一大痛痒を感じ続けるであろう―――
ディネルース・アンダリエルの言うところの、
「敵軍の突耳を引っ張り、こちらに向き直させる真似」
である。
だが、本当にそのようなことが可能なのか。
ネニング平原における、本来のオルクセン軍攻勢作戦が三月上旬に組み上げられたとき、騎兵作戦に不安を感得した者は多かった。
敵司令部のあるディアネン市に対してオルクセン軍北翼が実施する繞回進撃の、そのまた後ろを、巨大な海にぽつりと浮かんで行く一隻の小舟のように、独立して運動するのである。
最初から後方兵站は追いつけない前提であるから現地調達のみに頼り、連絡も絶えた状態になる。唯一後方から送ってやれる支援は、大鷲軍団による逓伝くらいでしかない。
―――誰も帰って来られないのではないか。
直接に彼女たちを送り出すことになる第四軍団幹部には、そのように憂慮した。
なかでも、第四軍団長レオン・シュトラハヴィッツ大将は驚いた。
総軍司令部の作戦案は、無謀であるとまで思った。
シュトラハヴィッツ大将は、殆どが歩兵科の出身者であるオルクセン軍諸軍団の司令官たちのなかにあって、珍しく騎兵科上がりである。
いわゆるデュートネ戦争世代であり、いまは亡きアウグスト・ツィーテン元帥のもとで、長らく騎砲の研究をやった牡だ。
戦争の天才アルベール・デュートネが「空を飛ぶように」進退自在に砲兵を使ったので、これへの対抗を必死になって考案し、実践した将であった。
オルクセンの騎兵には、自他ともに認める鈍重さがある。
だから、たいへんな苦労を重ねた。
一個の牡としては、オーク族騎兵科の者らしく明るく朗らかで、豪放であった。
この戦争が始まったとき、この牡は「騎兵とは運用するだけで膨大な苦労のある兵科である」といい、また「砲兵とは技術と血と汗の塊である」といった。そのうえで「儂はもう最新の兵学には着いていけないから」と、自身に着けられた参謀団に全てを任せ、第四軍団の戦果を成さしめた砲兵運用の研究も自由にさせた。
オーク族らしく昼寝が好きで、よく昼寝をする牡でもあった。
それでいて部下たちが難事に出くわすと、むっくりと起き上がり、俺に任せろという具合で胸を叩いて、参謀たちでさえ意見の割れるなか、最終的な決断を即断的に下すといったような将軍で、軍内における信頼も厚かった。
ただ、騎兵科出身者にしては珍しく、軍装を飾り立てることに興味がなく、よく上衣の第一ボタンを外していたし、前線視察に赴いても何処へでも腰を降ろしてズボンを埃だらけにした。
また、安いが強いシャグ煙草を愛していて、パイプでぷかりぷかりとやっているのが常であった。これは当時の習慣としては労働者の嗜みで、曲りなりにも大将という高官位にある者が吸う葉ではなかった。
観戦武官や従軍記者などの眼もあるから、他の将軍たちのように多少は気を使って頂けませんかと部下に窘められると、
「他は他。儂は儂じゃ。恰好で戦争をやるわけではない」
「儂はこいつが好きでな」
などと臆面もなく語り、そういった面では部下たちの手を焼かせたし、また敬愛されもした。
彼を補佐した参謀長は、ジークムント・ブロン少将といって砲兵科の出で、これまた底抜けに明るい牡であった。
総軍司令部の一部若手参謀からは「軽挙癖のあるお調子者」と評された向きまであったほどだが、第四軍団に榴弾砲の配備を願って猛烈に運動したのはこの牡で、つまり移動弾幕射撃は彼が中心になって考案した。
海外から来た観戦武官や従軍記者らの扱いが上手く、前線視察も許し、よく記者会見も開いて、会食などもし、彼ら「客人」からの評判も良かった。
彼自身は戦後ずっと経ってから、
「しかし、海外の目が常にあるというのは、正直やりにくかったよ」
ぽつりとそれだけを零した。
この二頭の牡が、アンファウグリア旅団の前途をたいへんに心配した。
彼らの、ディネルース・アンダリエル及びアンファウグリア旅団へ寄せる信頼は厚かった。
何しろ軍団主力が到着する以前に起こったリヴィル湖畔の戦いで、アンファウグリアは手元戦力の乏しかった彼らの実質的な主力となって、後備第一旅団を救援している。
グスタフ王陛下から預かった大事な決戦兵力であるからと、冬営中にもダークエルフ族の好む杏茸や、鰯の酢漬け、牛乳や乳製品を調達するなど配慮を示していた。
彼らは、三月に入って打ち合わせに来た総軍参謀が決戦作戦の構想を示した際、なかでもアンファウグリア旅団による敵戦線後方への迂回浸透を危ぶんだ。
「本当にやれるのか? 実施者たる君たちが無謀な試みと思うのなら、総軍司令部に掛け合うが・・・」
彼らはディネルースにそのように尋ねてもくれた。
「これぞ武人の面目。これに過ぎるものはありません」
ディネルースは心から感謝しつつも、作戦の遂行を請け合った。
この戦争中、彼女は決して愚痴を零したり不平不満を口にしたりはしなかったが、彼女とアンファウグリア旅団には、例えどのような命令でも平然と遂行してみせなければならないというような、重荷が圧し掛かっていたのは確かである。
もし、アンファウグリアが作戦遂行の困難を理由に挫折するようなことがあれば―――
これ即ち、ようやくオルクセンに基盤を根付かせたダークエルフ族への不平や不満、謗りとなるであろう。
また、そのような「重荷」に関して言えば、のちの時代にまるで無謬の治世者であるかのように語られたグスタフ・ファルケインハインにも「罪」がある。
彼は公明正大であったからこそ、自らとディネルース・アンダリエルの
オルクセン軍上層部の誰もそのようなことを口にしてアンファウグリアに要求するようなことは決してなかったが、これらの事実は残存ダークエルフ族の精神的な大きな背骨、気概のようなものになっていたことも間違いない。
ただし、ディネルースは事前に長距離騎兵斥候を出して敵情を調べたいと提案した。
これそのものが、第四軍団司令部の驚きを招いた「冒険」であった。
少数の騎兵斥候を作戦の決行までに放っておき、敵戦線北端部から浸透させ、地形や目標物、敵軍の警戒具合を調べたい、というのである。
既にそれまでにも捕虜尋問や書類の鹵獲、大鷲軍団による空中偵察、騎兵斥候により情報を収集してきたが、ディネルースと彼女の司令部がいちばんの難関だと憂慮していたのは、作戦実施予定地付近の軍用地図の不正確さであった。
エルフィンドの奥地であったから、戦前の情報収集も行き届いているとは言い難かった。
これを補おうとエルフィンド軍将校から鹵獲した軍用地図は実にお粗末なもので、手書きだけのものすらあり、地図に村があるとされた場所には何もなく、何もないとされた場所には地隙があり、平坦開豁地には未記入の防風林があるなど、得られる情報が少ないならまだしも、間違ってさえいるとなると、どうにもならなかった。
軍用地図の不正確さは、作戦遂行に困難を招く。
そこで小規模な騎兵斥候を放ち、これに情報を収集させ、作戦実施に備えたいとしたのだ。
戦場予定地情報の収集は第四軍団の役にも立つし、総軍司令部の求めるところでもある―――
「ぜひとも、長距離騎兵斥候をやらせてほしい」
第四軍団司令部は、道理であると、これを許可した。
特別挺身騎兵斥候隊と名付けられたこの長距離騎兵斥候は、志願者を募り、合計で三隊が放たれた。
各隊、八名ほどまでの極小規模である。
皆、鹵獲のエルフィンド軍将校や、下士兵卒の軍服を着て、馬具や銃器の類もエルフィンド軍のものにするという偽装をした。
隊には、不慮の難事に備えて、指揮官の将校の他に、経験豊かな下士官、馬蹄工や銃工の特殊技能資格を持つ兵、馬術の優れた兵を含ませた。
「万難を排し、誓って任務を遂行します」
もっとも数が少なかったのは、アンファウグリア第二騎兵連隊のヨアノア・タレスリアン中尉が率いた計六名の隊で、結果として彼女の隊がいちばん遠くまで行き、三月上旬から下旬の一〇日間にかけ、合計で約三〇〇キロを踏破するという快挙を成し遂げた。
遥か西方リナイウェン湖畔まで行き、同地の街を眺め、そのままネニング平原からエルフィンド首都ティリオンへと繋がる鉄道を探っている。
敵警戒線の歩哨に出くわせば、目深に被ったフードで肌の色を隠し、彼女たちには当然ながらやれた流暢なアールブ語で
この挺身騎兵斥候を放っていた時期、
「いまごろ、何処まで行ったでしょうか・・・」
旅団参謀長イアヴァスリル・アイナリンド中佐は彼女たちの存在を案じて、旅団本部を置いていた村会所の窓から毎日のように西の方角の空を眺めていたが、
「・・・ヴァスリー。あいつらは帰って来られると思うな」
ディネルース・アンダリエルは意外なことに、そんな言葉を漏らした。
「水もなく、飼葉もなく。携えた食糧も僅か。地図は不確かで、頼りになるのは磁石と時計だけだ。勝つためにはどうしても必要だから出したが、十中八九、帰っては来られまい」
非情にも思える言葉にイアヴァスリルが驚いて顔を上げると、旅団長席のディネルースは滂沱の如き涙を流していたという―――
この光景はイアヴァスリルだけが目撃して、彼女はその後ずっとずっと長い間、誰にも漏らさなかった。
だが、挺身騎兵斥候隊は全隊が無事戻ってきた。
そして彼女たちは、たいへん貴重な情報を収集していた。
アンファウグリア旅団にとって最も知りたかったもの―――大規模農場や農村の位置である。
作戦行動中、旅団は現地調達を糧とする。
大規模農場を奪取することは、これ即ち継戦能力となる。
実はこのとき、タレスリアン中尉の隊は、リナイウェン湖畔の河港街エーレンで「川船の動きが活発だ」という報告を持ち帰っていたのだが、この情報が総軍司令部で顧みられることはなかった。
より正確に言えば、精査されるには時間が足らなかった。
もしこの情報が検討されて、深くその意味を考えられていたならば。
クーランディア攻勢は、大きく防げた可能性がある。
挺身騎兵斥候隊は、他にも敵陣地防禦工事の様子、ティリオン-ディアネン間における敵鉄道の列車運輸状況、リナイウェン湖畔方面の敵状、街道の具合、地形偵察情報などを収集していた。
彼女たちの念の入ったところは、例え隊の指揮官が戦死しても情報を持ち帰ることが出来るよう、また敵捕虜となった際に友軍の意図を悟られるようなことがないよう、隊の全員がその膨大な情報を暗記し、地図の類は軍靴の底などに隠匿して戻ってきたことである。
彼女たちが生還したとき、
「なまなかに出来ることじゃない」
シュトラハヴィッツ大将はすっかり感動して一名一名に握手を求め、ブロン参謀長は、
「俺の手帳にサインをくれ」
などとねだって、挺身騎兵斥候隊の面々を困らせた。
こうして収集した情報を元に、アンファウグリア旅団司令部では作戦の検討を重ね、とくに作戦参謀ラエルノア・ケレブリン大尉が毎昼夜唸って計画を立案した。
部隊も入念な準備をした。
彼女たち自身もそうであったし、軍馬の蹄鉄を替え、蹄の手入れをやり、部隊獣医の立ち合いのもと慎重に滋養のある飼葉を与えるなど、体調管理に気を使った。
あの第一軍北上開始時のような、膨大な準備が整えられた。
旅団の持つグラックストン機関砲の外見には、変化があった。
グラックストン機関砲は、その操砲者に死傷の多い兵器だった。構造上、扱う者の位置が高く、銃弾や砲弾片を浴びたのだ。
第四軍団司令部の手配で、このころ似たような問題を抱えていた五七ミリ山砲用に本国から届き始めていた追加砲盾材が集められて、第一五師団の加工部の兵たちがこれを改造し、アンファウグリア旅団のグラックストンに装着してくれた。
迂回行動の途中まで、後備第一旅団が追従運動をし、彼女たちの背中を守ってくれることにもなった。これもやはり、第四軍団司令部の配慮による。
後備第一旅団は、リヴィル湖畔の戦いからの再編をようやくやりきった状態であったが、旅団長ミヒャエル・ツヴェティケン少将も、その将兵たちも、アンファウグリアへの恩返しができる、これぞオーク族兵の誉れと、張り切った。
出撃の当日―――
旅団の総員は、あの戦化粧を新たにした。皆で入念に、互いの頬の文様を確認しあった。
ディネルースが配布したもの、もしくは各隊で調達した火酒を使って、武器も清めた。
彼女たちの軍装は、あの開戦時と同じ漆黒の上下に銀絨の装飾が施されたものである。すでに殆どの隊が青灰色の新軍服に変わっていた第一軍にあって、最後まで集団として「
四月一一日午後五時。
「アンファウグリア旅団、前へ!」
まだ血なまぐさい新戦場を、ディネルース・アンダリエル率いるアンファウグリア旅団は、前進を開始した―――
第四軍団が成したエルフィンド軍防禦陣地の突破は、諸外国観戦団に衝撃を与えた。
そこから戦訓を読み解き、「将来の戦争」に備えようとした。
キャメロット軍は、火力戦に傾倒している。これを一〇年ほどあとになって海外植民地への介入で起こった戦争で試し、なまじ上手くいってしまったため、オルクセン軍が想定していた「誤った火力戦」と非常に良く似た思想を抱いてしまう。
グロワールは、オルクセン軍の昼間強襲突撃が成功した点に注目して、元から強かった精神主義的な白兵戦重視を増してしまった。
ロヴァルナも同様である。
しかも、たいへん誤った解釈をした。「どのような火力を前にしても、敵は銃剣の威力には抗しえない」といったような。
歩兵の精神力を鍛えることは、決して時代遅れの発想ではない。いつの時代にも必要となることであろう。
だが彼らは、それをまるで宗教上の崇拝であるが如きにした。
「弾丸は愚にして、銃剣は智なり」
とまでその教令に記し、自らの解釈を驀進した。「誤った火力戦」の、裏返しのようなものを信奉するに至る。
ところが実際には第四軍団の戦いは、火力と白兵の両者が相まってこそ発揮できた戦果だった。
オルクセン軍の緻密で入念な計画性と、オーク族の、他の知的生命体のどの種族より優る、強大で耐久力のある肉体だからこそやれたという面もある。
俗に兵諺は、
「将軍たちは直近の戦争を見て、現今の戦争を戦う」
などという。
人間族たちにとって不幸なことに、ベレリアンド戦争はあまりにも科学技術と戦術の進化の狭間であり過ぎた。
彼我両軍、魔種族だからこそやれた戦例でもある。
魔術通信や魔術探知は、その際たるもの。
エリクシエル剤の多用が、被害程度を見誤らせもした。
歴史のこの時期の、あるいはこの戦争でしか通用しなかった例が余りにも多すぎたのだ。
そうであるにも関わらず、
―――火力で「全て」が斃せる。
―――白兵戦が「全て」を決する。
この誤った二つの解釈を導き出してしまった人間族たちは、火力や防禦陣地構築能力、科学力、強いては戦争に投入される国家の力そのものがもっともっと発達した後年の大戦争で、たいへんな被害を生み出すことになるが。
それはまた別の物語である。
(続)
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