第40話 戦争のおわらせかた⑧ ネニング平原会戦③

 ―――四月一〇日午後一一時四五分。

 黄金樹旅団を中心とした、アノールリアン・イヴァメネル中将を指揮官とする機動集団は、ギムレーとフェーデの間に穿たれた戦線破孔の突破に成功した。

 この通称イヴァメネル支隊と呼ばれた部隊ほど、オルクセン軍を悩ませた隊は無いだろう。

 オルクセンの軍隊は、もとより騎兵の運用に劣っている。

 亡きアウグスト・ツィーテン元帥などは長い間そのために大いに意を凝らしたが、どうにもならなかった。

 ベレリアンド戦役中、オルクセンの軍制や仕組み、兵器、将兵の様子などには感銘と脅威とを覚えるばかりだった諸外国の観戦武官たちも、「オルクセンの騎兵はまるで不活発だ」とこの点だけは欠陥を指摘したほどである。

 唯一、勇名を馳せたのがアンファウグリア旅団ということになり、そのアンファウグリアはマルローリエン旅団に一度は勝利もしている。

 だが当事者たちは、

「あの戦争で、マルローリエンに勝てたファスリン峠の戦いだけは、いまでも不思議でならない」

「よくあんな真似がやれたものだと、我ながら夢のように思う」

 などと、戦後になって語った。

 つまり、ただ一度必死になって、それも拠点防禦式の戦闘だからやれたが、二度目はどうなるかわからない、乗馬戦闘同士でぶつかっていたらきっと勝てなかったと、口を揃えた。

 ダークエルフ族はあくまで己たちの本質を猟兵だと思っており、そのような己たちがオルクセンに移って、必要に駆られて「騎兵の真似事」をやったのがアンファウグリア旅団であるとまで断言した者もいた。

「本物には勝てない」

 その「本物の騎兵」が、マルローリエンであった。

 エルフィンドは、古来より騎兵の扱いが上手かった。

 「溶岩ラアヴァ戦術」と彼女たち自身は呼んだ、先祖伝来の戦法をやれた。

 戦術と隊形を密接にリンクさせた、変幻自在なものだ。

 一例を挙げれば、まず騎兵の独立した前衛一隊を以て、敵軍を誘引する。そうして引き付けておいて、大規模な騎兵で左右から取り囲んでしまい、側背を断つ。断ったうえに、敵の目からは後退したとみえていた最初の一隊も、反転して正面から襲い掛かってくる―――

 主武器は、サーベルと槍。

 誘引と包囲殲滅を組み合わせた、凄まじい戦法だ。

 これをドロドロに熱く溶けた、溶岩に見立てている。

 飲み込まれた者の運命は―――述べるまでもない、というわけだ。

 こんな複雑な動きが、果たして戦場で本当にやれるのかと思えば、そこは魔術通信と探知を使って補う。そうして実行に必要な、軍馬を縦横無尽に操れるだけの、馬術を身に着ける。

 恐ろしいことにエルフィンドの騎兵は、喇叭や軍鼓といった他国の軍隊なら当たり前の通信手段を、必ずしも要とはしていなかった。彼女たちの言うところの溶岩戦術とは、迂回や繞回、誘引、包囲といった変幻自在な隊形変化、戦術行動を、魔術通信と探知をも用いて行ってしまうというもので、その概念は深い―――

 第一八師団と第五師団の間隙を抜けたイヴァメネル支隊は、早速その得意の戦術を使っている。

 あのギムレーの丘陵の北側に、エヴェンマールからやってきたオルクセン軍後備第五旅団の先遣隊が進出していて、この後備第五旅団を攻撃したのだ。

 エルフィンド軍の言うところの「紙のように薄い」はずの前線に、この赴援部隊がいたものだから、全力で襲われた。

 対するオルクセン軍後備第五旅団長は、デュートネ戦争世代の予備役から復帰した古参の少将で、すぐに感付いた。経験の深い戦巧者とは、例え魔術力がなくとも敵の存在に気付くものらしい。風圧や殺気、気配を感じるようなものだという。

 西から北、そして東へと時計回りに迂回運動したイヴァメネル支隊に向けて、自陣も予備隊を旋回させて防ごうとした。

 しかし、相手が悪かった。

 歩兵である擲弾兵旅団の運動力では、騎兵を中心としたイヴァメネル支隊の機動力に及ばなかった。そもそも旅団の全てが到着していたわけではない第五擲弾兵旅団側は、兵力数において劣っていた。イヴァメネル支隊が絶え間なく機動を続け、後方へ後方へと浸透を図る限り、やがて対応できなくなり、後方の司令部と砲兵隊を直接に攻撃され、動揺した。

 そうして動揺したところに、今度は別動隊に南側へと回り込まれた。最初の時計回りの一隊は囮で、本命はそちらだった。つまり両側から包囲されてしまったのだ。

 凄惨であったのは、第五旅団の後方で繃帯所の警備についていた一個中隊で、これがイヴァメネル支隊の竜騎兵二個中隊と一二ポンド騎砲隊に、滅多撃ちにされた。この中隊は懸命に守備の任を果たそうとして、中隊の下士兵卒の半分までを失い、ついには中隊長まで戦死して、退却している。

 第五旅団先遣隊は夜明けまでに散々に撃たれ、やがてギムレー南麓の村に向かって撤退を始めた。彼らは守備地に到着したばかりで、前縁はともかく、側面両側の陣地をろくに構築できていなかったことが災いした。

 防げるようなものではなかった。

 周囲の隊に退却を連絡することすら出来なかった。

 周辺部隊、とくに隣にいたギムレーの第二三旅団長メルツァー少将は、

「黙って逃げるやつがあるか!」

 憤慨した。

 憤慨はしたが、もはや敗兵を収容するくらいしか手はない。敵も味方も混淆してしまって、砲撃による支援すら行えなくなっていた。

 相手が歩兵なら打って出ることも出来るが、騎兵相手には翻弄されるだけだ。

 だいいち、前面のアルトカレ軍がそれを可能にさせてくれない。踏みとどまらなければ、こちらまで崩壊する。

 メルツァー少将は牙を折らんばかりに歯噛みするような心持ちで、敵の浸透を許した。

 しかもイヴァメネル支隊の巧妙であった点は、自隊後続の猟兵連隊が到着すればするほど彼女たちに戦闘を任せ、騎兵を主体とした前衛と本隊はネブラスへの前進を継続したことにある。

 寸刻も惜しみ、あくまでネブラス強襲という目的から迷わなかった。

 もはやその前途には本当に何の障碍もない。

 目標まで、約二五キロメートル。

「・・・集結だ。戦闘行軍隊形をとれ」

 イヴァメネル中将は、静かに命じた。



 ―――どうやら南側の友軍は、たいへんな事になっているらしい。

 既に一〇日の段階で、戦線の最北にあるオルクセン軍第四軍団にもその様子は伝わってきていて、同地にあるアンファウグリア旅団の耳にも入っていた。

 幾らか、動揺した者もいた。

「ここまで来て負けるのか・・・」

 そんな囁きまで、聞こえた。

 第三軍は前進を阻まれ。

 第一軍はその兵力の過半まで、猛攻撃を浴びている。

 とくにディネルース・アンダリエルの動揺は激しかった。内心に潜めておくびにも出しておらず、むしろ部下の鎮静に努めていたが、たしかに動揺していた。

 ―――グスタフ。

 心配でならなかった。

 王が、あの男が全軍将兵を置いて退くとは思えなかったから、尚のことである。

 どうにかして彼のもとに駆け付けたいほどだったが、遠く離れた戦地だ。どうにもならなかった。何か己と己が部下たちに出来ることはないのかと、気ばかりが急いた。

 幾らか騎兵斥候を放ち、軍団司令部の求める前線情報を収集し続けた。

 この間、彼女たちを励まし続けたものは、友軍の奮戦と砲声であった。

 オルクセン軍北翼と相対する、ネニング方面軍エルドイン軍とアシリアンド軍は攻勢に参加していない。

 防禦陣地に籠って、砲撃戦に徹していた。

 当然、こちらも撃ち返している。

 そんな砲撃戦が断続的に、九日、一〇日の両日というもの続いていた。

 むしろ敵を圧しているように見えた。

 もっとも猛威を振るったのは、戦線中央に配され第六軍団の後方にいた、攻城重砲第二旅団だ。

 この隊、一二門もの二八センチ攻城砲を扱っている。

 これが敵前線に向けて砲戦を続けていた。

 凄まじい轟音を放ち、巨大極まる砲弾を敵中央部へ浴びせかけていた。

 使用弾種は、内部に爆薬を大量に詰めた榴弾である。

 これが要塞戦に使う堅鉄弾であったなら、野戦では心理的効果以外の意味を為さなかったであろう。殆ど鉄の塊といっていい堅鉄弾は、ベトンの要塞の天蓋をぶち抜くために造られたもので、野戦に用いても効果は薄い。

 だからオルクセン軍は、アルトリア戦で効果を発揮した、檄爆性のある榴弾を使っていた。

 これを前線からの要請を受けるたびに、おもに第六軍団の前面に撃ち込んだ。

 南北に連なる戦線の中央部にあった第六軍団は、単に戦線の要というべき位置にあるというだけでなく、エヴェンマールからディアネンに伸びる鉄道線上に配置されている。

 鉄道を挟んで北側に第二一擲弾兵師団。

 南側に、第六擲弾兵師団。

 この第六擲弾兵師団は、クーランディア攻勢に遭った。

 彼らがこの日まで防支に努めることが出来たのは、敵にしてみれば同地は旋回軸にあたるもので余り前進を意図していなかったこと、第六師団が高所の良地に陣取れていたこと、同地にあった湖沼と河川を防禦にまで組み込めたこと、そして第六師団自身がオルクセン軍においても最精鋭師団のひとつであったことなどに依るが―――

 二八センチ攻城砲の支援を受けられたことも大きい。

 攻勢初日の九日午後、第六師団が防禦に利用したエルムト川という河川に架かっていた橋梁を、攻城重砲旅団は吹き飛ばした。

 第六師団を襲ったネニング軍は直接的な侵攻路を失い、攻めあぐねるような格好になった。

 心理的効果も大きかった。

「その轟音及び猛破壊力、敵心胆を大いに寒からしめる」

 と、公刊戦史がわざわざ一行を割くことになるほどであった。

 のちになって、砲撃を浴びた側のエルフィンド将兵も実際にそのような証言をしているから、これは確かなことなのだろう。

 ただし、このネニング会戦緒戦における二八センチ砲の効果もまた、やや「作られた伝説」である点は否めない。

 檄爆性の榴弾まで用意しながら、本来が攻城砲であるこの巨砲の野戦における運用法は、オルクセン軍内ですら確立されておらず、躊躇いも多かった。

 戦線後方から大射程下で橋梁を吹き飛ばせたことからも分かる通り、回転砲架に駐退器まで備えた同砲は、当時としてはかなり精密性のある砲撃をやれた。

 むしろこれが仇となって、前線からの要請に従い、あちらの目標、こちらの目標といった具合でしきりに砲撃目標の転換が図られた。また敵攻勢への牽制のため、対峙する中央敵陣へも幾らか砲弾を撃ち込むなどし、結果として砲火が分散した。

 もっと集中的に使うべきであった、そうすればより効果的だったと、砲兵科将校たちの反省の種になったのは、この大会戦が終わってからのことである。

 兵器とは、ただそれ一個が高性能であったり、猛威力を誇ったとしても、運用法が確立されなければ効果の全てを発揮しえない。その典型のような結果となった。

 一〇日午前、アンファウグリア旅団が戦闘序列に組み込まれている第四軍団司令部は隷下部隊に対し、

「ミヒャエルに従い配置につけ」

 短かな、謎かけのような電信を発した。

 ディネルースも、旅団参謀長イアヴァスリル・アイナリンド中佐なども、これにはたいへん驚いた。

 符号ミヒャエルというのは、第一軍がこの攻勢を受ける前に計画していた繞回進撃攻勢作戦のことだ。

 内容が内容であったから、第四軍団司令部だけでなく、第三軍団や、第六軍団にも発信されていることは間違いなかった。

 このとき総軍司令部が各軍団に発した命令は、次のようなものだった。


 一.第六軍団は中央にありて防禦に努めつつ、いつでも攻勢転移できるよう準備を為すべし。

 二.第三軍団は成し得る限り多くの兵力を以て、敵エルドイン軍北翼及びアシリアンド軍南翼を攻撃すべし。

 三.第四軍団は敵北翼中央より北翼端を集中攻撃。鋭意前進、敵北翼遠く側背まで機動すべし。


 つまり総軍司令部は、この情勢下―――総軍司令部のあるネブラスすら危ういように思える情勢下で、逆攻勢に出ようというのだ。

「南側はこちらで何とかするから、北側は計画通り突っ込め」

 と言っているに等しい。

 大胆極まった。

 が―――

 たしかに、これ以上の敵牽制策はあるまい。

 総司令部は、敵の攻勢は南側の半分であって北側半分は守勢に徹しているとこの二日間で見極め、言ってみれば「いいじゃねえか上等だ、殴り返してやらあ」と逆攻勢を決意したらしいのだ。

 旅団司令部を置いていた大規模村落の村会所で、

「・・・ふ、ふふふ。はははははははは!」

 ディネルースは笑い出した。

 腹を捩らんばかりに大笑し、のちのちになっても腹心のイアヴァスリルやアイナリンドをして語り草にさせた。

 ―――あのときほど嬉しそうな姉様は、見たことがなかったよ。

「結構! 大いに結構だ。敵の突耳を思いきり引っ張り掴んで、こちらに向き直させてやろうではないか!」



 ディネルース・アンダリエルやアンファウグリア旅団にとって僥倖であったのは、彼女たちが配された第四軍団の長、レオン・シュトラハヴィッツ大将がたいへん優秀な指揮官だったことだ。

 彼の幕僚も同様であった。

 第四軍団は長い間、オルクセン本土アーンバンドにあって総軍予備になっていた隊だ。

 この長い待機の期間中、彼らはただ漫然と過ごしていたわけではなかった。

 弛緩しがちな士気を維持するために配下師団や直轄旅団に訓練を課してむしろ練度の向上に努め、また司令部自らはこの戦争で起こった新たな戦例の考査、研究に没頭した。

 オルクセンの軍隊は、戦場で新たな知見を得れば共有しようとする。「兵事週報」という雑誌を陸軍将校会が発行して、戦史の研究や戦術の考察を発表する場にしていた。第四軍団はこの兵事週報の開戦以来のものや、各軍の報告書を取り寄せて、更には参謀を各地に派遣して新戦場跡を実見させ、検討を重ねた。

 彼らがとくに注目したのは、アルトリアにおける前哨戦であった。

 あの第三軍が行った戦いで、包囲攻勢を図ったオルクセン軍の擲弾兵は、おおいに苦戦した。エルフィンド軍が時間を掛けて構築した陣地を攻めあぐねた。

 ―――何処か、我らが指向している火力戦には誤りがあるのではないか。

 深刻な疑問を抱いた。

 開戦前、オルクセン軍が定めていた「火力戦」とは、以下のようなものである。

 まず、軍団及び師団の砲兵を以て敵砲兵を粉砕する。

 敵歩兵に対しては榴霰弾射撃。

 そうして擲弾兵による前進を始める。二〇〇〇メートルまでは密集隊形。ここから中隊毎の横隊に広がり、散兵隊形をとる。

 彼我の距離一〇〇〇メートルから八〇〇メートルで擲弾兵の交戦開始。

 距離五〇〇メートルから四〇〇メートルで、「決戦射撃距離」に至る。

 ここで小銃統制射撃による弾幕を展開して、敵兵を撃ち負かす。

 こんにちの発達した長射程高威力の小銃を前には、この決戦射撃距離圏内に立っていられる者など存在し得ないだろうから、撃ち負かされた側が退却を始める。

 この退却した敵や、あるいは夜間に入ってから警戒の薄くなった敵に対して突撃を敢行。

 敵拠点の奪取か、追撃戦によって敵兵力の殲滅を図る―――

 ところが実際には、陣地構築を図った敵兵相手にはまず砲撃の効果が薄い。無敵と思われたヴィッセル砲と榴霰弾の組み合わせでさえ、壕内の敵兵を駆逐し得なかった。

 敵兵を薙ぎ倒すことが出来ない以上、接近が困難なうえに、そこからようやく決戦射撃距離に至っても、今度は壕や遮蔽物を利用した敵兵にはまるで小銃が命中しない。高性能を誇ったはずの、Gew七四でさえ、だ。

 敵兵を追撃する段階になって実施するはずだった夜間突撃に、戦場の決を委ねねばならなかった。

 密集した敵軍相手にはともかく、陣地を構築した敵兵相手にはオルクセンの「火力戦」は通用しないのではないか。

 己たちが火力だと思っていたものは、本当の意味での火力―――ただそれだけで敵兵力を粉砕するほどの高威力には成り得ておらず、野戦における決着をつける能力がないのではないか。

 これは熟慮を重ねた結果の疑問であった。

 なにしろ諸外国の観戦武官を始め、オルクセン軍幹部においてさえ現用の火力戦を有効だと思っている。

 だが第四軍団幹部たちに言わせるなら、これは間違いだった。

 結果として第三軍の運動戦による心理的圧迫により敵軍は要塞へと退いたのであって、戦前計画通り火力で撃ち負かせたわけではない―――というのが、彼らの結論であった。

 この点について深く考えず、表面上の「火力戦」の「成功」に胡坐をかいて、従来通りの思考により敵防禦陣を攻めるのは危険だと、彼らは熟慮を重ねた。

 最大の誤算は、オルクセン軍主力野山砲による榴霰弾射撃が、事前工事を施した防禦陣地壕内の敵兵には、殆ど効果が見られない点にあった。敵兵に恐怖心を植え付ける心理的効果はあり、また幸運にも敵壕を直撃できた弾子が内部の兵士を殺傷することは出来ても、これは極めて稀なケースである。

 間接射撃による一方的な砲戦距離を重視したため、本来なら空中炸裂させるべき榴霰弾の信管の曳火時間に不足を来し、着発で用いたことが更に効果を減じてもいた。弾子がまるで散らばっていなかった。砲撃精度も低下している。

 では、どうするのか。

 総軍司令部が第一軍による戦線北翼による攻勢を計画立案した三月、もっとも打撃力が必要となるであろう第四軍団側は、榴弾砲の配属を願った。

 アルトリア戦で猛威を発揮したのは、二八センチ砲もそうだが、野戦運用出来る一二センチ榴弾砲を装備した野戦重砲兵旅団である。

「敵陣地を突破するには、大口径榴弾砲が必要だ」 

 これは当時の兵学界のものの考え方から言えば、異質な結論だった。

 オルクセン軍に従軍していた観戦武官たちが、いったい野戦に重たく大きい榴弾砲を投入して有効に使えるのかと、議論の的になったほどである。

 榴弾砲はあくまで攻城兵器であり、オルクセンでの開発発展経緯を見てもこれは同様だ。

 モーリア戦、アルトリア戦における使用方法も例外ではなかった。

 火力増強のために総軍司令部はこの兵器を確かにネニング平原に持ち込んだが、敵が迫れば我これを用いるといった式の考え方の、防禦火力として使おうとしていたのが実情であり、積極的に、かつ攻勢においてまで野戦運用しようとまで言い出したのは、第四軍団側である。

 総軍司令部は、これを許した。

 とっておきの部隊のひとつを送った。

 新設の、野戦重砲兵第一五旅団である。

 あの冬営対峙戦のさなか、本国から呼ばれた「火力増強」のための隊のひとつだ。

 この部隊、城攻兵器としてはいま一歩のところ威力が欲しいと言われていた一二センチ榴弾砲に代わる新兵器を持っていた。

 ―――一五センチ榴弾砲ヴィッセルH/七六。

 オルクセンの主力榴弾砲たるべく、大車輪で製造が進められている新兵器。この開発成功により、一二センチ榴弾砲の調達が六〇門余りで打ち切られたほどの代物である。

 基本的には、一二センチ榴弾砲H/七五を拡大改良設計して完成した。

 重量三六キログラムという大口径砲弾を、一二センチ榴弾砲とほぼ変わらない射程で飛ばすことが出来る。同砲の砲弾重量が二〇キログラムであったことを思うなら、一発当たりの威力がどれほど向上したのかがわかる。 

 第一五旅団は、この一五センチ榴弾砲の初期量産型のうち二四門を装備していた。

 しかもこの言ってみれば決戦兵力を、第四軍団は総司令部からの攻勢発起命令に対し、砲撃精度を高められるよう、前線近くに置いた。そうして徹底的に隠匿した。

 観戦武官の一人が、その様子を目撃している。

「ネニング平原は冬季において季節風が強い。だから地元のエルフィンド村落はおおむねその西側に立派な防風林を植えている。この防風林の陰に隠れるようにして、攻勢発起の命が降ると展開した」

 弾薬車などの隠蔽も完璧で、

「予めその位置を教えられて観戦に出かけたが、一体どこにあるのかと彷徨ったほど完璧な砲兵陣地だった」

 第四軍団はこのようにして、入念な砲撃準備計画を用意した。

 それまでの期間で得られた情報を書き入れた砲撃地図を用意し、各部隊がどの地域にどれほど砲撃を与えるか事前に打ち合わせをした。

 連隊砲兵、師団砲兵、軍団砲兵、そして独立した旅団の野戦重砲兵。

 砲の種類ごとに、それぞれの特性をも活かした砲撃計画を作った。

 各砲兵の射程距離を、彼らは敢えて縮めた。

 敵の対砲迫射撃を浴びる危険性があったが、エルフィンドの砲兵力はどうにも弱いようだと判断し、許容の範囲内だとした。

 エルフィンド軍攻勢開始以来の砲撃戦にも、擾乱射撃以上の行為には参加させていない。

 第四軍司令部に言わせるなら、例え大鷲族に空中弾着観測させても、現用の砲では砲撃精度に悖る。命中もしない大量の事前砲撃は「濫費濫用」であった。

 第四軍団の攻撃計画は、砲戦以外にも入念を極めた。

 繃帯所、野戦病院などの設置場所を定め、前線で傷者が生じた場合の極力の医療体制を発揮できるようにした。

 また、アンファウグリア旅団に関する部分もあった。

 彼女たちの繞回進撃には、あとに続く擲弾兵部隊が重要である。

 どれほど迅速に追従できるか、これが勝負になると見極め、専属の一隊を配した。そのような役割を果たす隊は運動量が多くなるため、戦闘力があり、かつアンファウグリアのように自前の補給機関、医療機関を持っていることが望ましい。

 後備擲弾兵第一旅団。

 あのリヴィル湖畔の戦いで奮戦した、采配も巧みなツヴェティケン少将の隊を着けた。

 そうして擲弾兵師団を配し、翌一一日早朝に計画された攻撃を待った。



 ―――南部戦線。一一日午前六時四〇分。夜明け。

 後備第五旅団を破ったマルローリエン旅団は、ネブラスまで一〇キロ余りという地点まで迫っていた。

 これほどの騎兵集団による夜行軍を重ねられたという事実は、ただその一事を以て彼女たちが高い練度を持っていたことを示している。

 ただ浸透拡大を目的として夜間を進んだわけではない。

 彼女たちがいちばん恐れたのは、大鷲軍団による爆撃だった。

 大規模騎兵集団の行軍は、どうしても纏まっていなければならない。オルクセン軍が前線を築いていた丘陵地帯を抜ければ、ネニング平原の地形は海岸線までなだらかであり、昼間に開豁かいかつ地を進むことは出来得る限り避けたかった。

 イヴァメネル中将の優秀なところは、敵大鷲軍団の襲撃に遭った場合に備えて次前打ち合わせを行っていたことだ。元より支隊は三分割して進んでいたし、夜明けとともにこれを更に小分けさせ、敵爆撃の効果を減じようとした。大集合をかけるのは、ネブラス襲撃のその瞬間前ということになる。

 意外なことに、偵察のための大鷲は飛来しても、あの恐るべき航空攻撃のための編隊は飛来しなかった。

 そうして昼頃には、前衛の一隊がネブラスの様子を直接偵知出来るようになった。

「・・・・・・馬鹿な」

 前衛からの報告を受けたイヴァメネル中将は呻いた。

 ネブラスより西方に三キロ。

 ネブラスの街をぐるりと半円弧上に守る壁を作るように、敵は強力な防禦線を敷いていた。

 とても一個旅団規模だというようなものではない。

 一万―――いや、

 しかも、防禦線は強固であった。三重もある。

 そんな。

 そんな馬鹿な。

 有り得なかった。

 有り得るはずがなかった。

 ―――いったい何処から! どうやって!



「ふふふふふふ、あいつら驚いているだろうなぁ」

 俄仕立てのネブラス防禦線で、エーリッヒ・グレーベン少将は唇の端を性格悪く捻じ曲げた。

 双眼鏡を構えている。

 敵斥候が、泡を食ったように引き上げていく。

 ―――まぁ、そうなるよなぁ。

 なまじ魔術探知が出来るから、こちらの数がやたらと多いのはすぐにわかっただろう。

 まともに壕も掘れちゃいないが、守備兵力は二万を超える。

 後備第一三旅団で四〇〇〇。

 それだけじゃ不安だから、少しばかり裏技を使わせてもらった。

 オルクセン軍は予備兵力を使い果たした。

 確かにその通り。

 だがそいつは、野戦兵力の話だ。

 ネブラスは第一軍の兵站拠点。

 これもまた然り。

 ―――兵站機構のなんだよなぁ。

 大飯食らいのオーク兵の、一個野戦軍を支えるには、いったいどれだけ員数いると思っているんだ?

 このネブラスだけで、

 ちなみにこの戦争に参加している後方勤務の輸卒と補助輸卒は、本土までひっくるめて全てで二〇万超え。

 他所の軍隊はどうか知らんが、うちの輸卒は曲がりなりにも軍の正規兵だから戦闘訓練は僅かながら施してある。

 そして補助輸卒の主体は、国民義勇兵だ。退役した兵隊なんだ。娑婆に戻れたってのに、平時からわざわざ軍隊の真似事をして、一朝ことあらば戦に志願してやろうなどと考えてきたような野郎ども。

 ―――そいつらから文字通り志願を募った。

 我が王を御護りする者はおらぬか!

 いやあ、集まる集まる。

 溢れるほど集まっちまった。

 陛下は慕われているなぁ、本当に。

 いったい何故だか、やたら気性の荒い、沖仲仕こうわんろうどうしゃたちくみあいまで着いてきちまったけども。

 武器はどうやったか?

 補給隊の自前の武器が幾らか。

 そして、うちの軍隊は、主力小銃のGew六一と七四の交換をやりながら戦争をやって来たんだ。とくに冬営中、どんどんと交換は進んだ。

 兵站拠点には、修理兵器や後納兵器、前線に送るための予備兵器も集まるんだ。

 Gew六一なら、腐るほどある。

 故障兵器交換用の、グラックストン機関砲の予備まであったぜ。

 銃弾も、補給拠点には元からあって当然。どれもこれも弾薬は共通。

 流石に砲兵はどうにもならなかった。

 あれは紛れもない技術職だ。砲はあるが、扱える奴が殆どいなかった。職工技師たちで一個中隊のみ。

 全体の野戦指揮を執る将校の数も足りないから、総軍司令部参謀総出で出張ってきた。

 普段は算盤しか触ったことがありませんと真っ青な顔をやりやがった、会計科将校まで連れてきた。

 ゼーベックの親父ですら、もう張り切る張り切る。この俺様も、野戦軍の指揮官気取りというわけだ。

 まったく、天下の参謀将校様にあるまじき振舞いだ。

「さて、あいつらどうするかな。退いてくれると楽なんだが」

 そろそろ、北翼を総攻撃に出させた報せが奴らにも届くだろうし。

 退いてくれねぇかな。

 そうでないと、もう一つの賭けも使うことになるんだが。



 イヴァメネル支隊は、それでも襲撃体制をとった。

 三隊にわかれて集合し、正面にあたる街道及び鉄道線付近には故意に薄い兵力を置いた。まずはこれが突撃し、残る二隊が隙を狙う構想だった。

 敵の砲兵が見えないところに、僅かな、ほとんど無謀な希望を持った。

 いったいオルクセン軍がどうやってこれほどの兵力を集めたのかは、さっぱり分からなかったが、砲兵までは準備できなかったようだと推察した。

 そうして襲撃を始めようとしたとき―――

 凄まじい轟音を立てて、信じられないほどの巨弾が飛来した。

 命中はしなかった。

 それに、確かに炸裂こそしたが、堅鉄弾のようなものらしく、爆発力はそれほどでもなかった。だが比較の問題であって、叩きつけられれば膨大な一隊が吹き飛ぶであろう。

「・・・二八センチ砲弾だな」

 背後に一個集団を従え、馬上にあって、自らも突撃するつもりだったイヴァメネル中将は目を細め、呻いた。

「いったい何処から」

 完全に動揺した幕僚が言った。

 オルクセン軍の陣中にその巨砲が含まれていることはエルフィンド軍も知っていたが、ここから遠く離れた地に布陣しているはずで、とても射程距離圏内ではなかった。

 イヴァメネル中将は双眼鏡を構え、魔術通信の気配を追う。

 大鷲が旋回していた。

 敵防禦陣の上空。

 素早く頭蓋のなかで、着弾と大鷲を直線にして地図と重ねる。

「・・・海だ。ネブラス湾に奴らの海軍がいるのだ。そこからだろう」

「そんな馬鹿な・・・ 艦砲射撃でこんな内部まで・・・」

「奴らの新造艦。そいつだな、きっと」

 ―――装甲艦ラーテ。

 砲眼が異様に広い点から、砲の仰角が大きく取れ、陸上砲撃が出来るように設計されているようだと、オルクセン軍外国従軍記者たちの外電報にあった。

 だとすれば、この堅鉄弾のようなものは対艦用の徹甲榴弾だろう。

 奴ら自慢の悪魔のような弾を用いていないのは、誤射を恐れてのことか。

 二発目。

 三発目。

 四発目。

 着弾はどんどん精確になっていった。あの旋回する大鷲が―――小さなコボルトを載せた大鷲が、着弾観測しているに相違なかった。

 そうして、その大鷲の後方から、盛大な雄叫びを上げ、新たな大鷲の集団が飛来した。

 とんでもない数だ。

 二〇羽以上はいる。

 密集するこの瞬間をこそ待ち構えていたらしい。

 囮役を引き受けるはずだった集団に、あっという間に爆撃を始めた。

 爆発、爆炎。

 炸裂の閃光。

 兵たちの悲鳴。

 軍馬たちの嘶き。

 吹き飛ぶ、愛すべき、誇らしき部下たち。

 彼女たちは、それでも密集隊形を崩さない。爆煙に包まれ、真隣にいた戦友の鮮血を浴び、愛馬が乱れ、いつ降り注ぐかわからない巨弾への恐怖を抱えようとも。

 待っているのだ、イヴァメネルの突撃命令を。鋼の意思で。

 イヴァメネルとてそうしたかった。

 いまこの瞬間にも己が手を振り上げ、突撃を下令したかった。

 ―――だが。

 騎兵にとって何よりも必要な突撃衝撃力は、乱れた隊形、混乱するばかりの軍馬たちからは急速に失われている。

 例え突撃を命じたとしても、あの巨大な防禦陣地から射撃を浴び、もはやそれは自殺行為。ファスリン峠の一戦どころの結果ではなくなる。

「・・・・・・退こう。もはやこれまでだ」

 ―――イヴァメネル支隊が、オルクセン軍北翼による逆攻勢が始まったことを知ったのはこの撤退中だった。

 日も落ちたころ、後方からの伝騎が必死になってそれを知らせてきた。

 アルトカレ軍司令官コルトリア中将の、正規の退却命令付きだった。

 クーランディア攻勢は、三日間かけて体制を立て直したオルクセン軍前線の粘り強い陣地防禦の抵抗により、急速に崩壊しかかっていた。せっかく鹵獲したはずの、敵第五師団の旧補給品交付所を吹き飛ばされてしまった影響も大きかった。

 ―――攻勢限界点。

 もはや守勢に立つのは、彼女たちの番である。

 このころ既に―――

 第四軍団の入念な準備を施された攻勢により破孔を穿たれた北翼端を突破して、抱く旗こそ違ったがこの戦場にいるもうひとつの騎兵集団、アンファウグリア旅団がエルフィンド軍側背への猛進を開始していた。

 それはネニング平原会戦の、紛れもない転換点のひとつであった。


 

(続)

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