第37話 戦争のおわらせかた⑤ フェンセレヒ侵攻

 ―――戦機が、高まりつつある。

 世に「決戦」と呼ばれるほどの戦いは、彼我両軍の双方が望まなければ生じ得ない。

 ベレリアンド戦争におけるネニング平原の大会戦は、まさしくそのような戦闘であった。

 では、この戦いがどの時点で始まったかといえば。

 それはとても難しい。

 地理的な概念上の、ネニング平原における直接的な戦闘が始まるのは、いま少し先である。

 だがオルクセン軍の作戦構想においては、それは「第三軍の北上再開から」ということになるであろう。

 オルクセン軍総軍司令部は、自らが直接率いる第一軍を以て敵ネニング方面軍を牽制しつつ、北上させた第三軍と合同。圧倒的な兵力で敵軍を包囲殲滅しようという、如何にも彼ららしい気宇壮大な、スケールの大きな作戦構想を立てていたからだ。

 この場合、世にいうネニング平原大会戦は、ネニング平原という一地方にすら収まっておらず、ベレリアンド半島南半分のほぼ全てを含有した、たいへん広範な範囲で行われた戦い、ということになる。

 国力と国力の戦いと言ってもいいだろう。そもそも、極論すれば戦争とはそのようなものではあるのだが。

 この構想、エルフィンド軍側とて最早理解している。

 それをやられては、エルフィンドはもう終わりであるということまで。

 オルクセン軍にとってやや意外であったのは、ではなぜ第三軍が北上を再開するに至るまで、彼女たちが本格的に動こうとしなかったのか、である。

 むろん、そうさせないように手を打ってはあった。

 エルフィンド軍が第一軍へと向かってくれば押し返せると自負するほどまで増強した火力で迎え撃ち、第三軍側に向かえば第一軍がその脇腹を突く―――

 かといって持久に走れば、あたら物資を消耗した挙句に、第一軍と第三軍に包囲される―――

 単純だが、それゆえに対抗しえない。

 しかしながら、

「いいのかな、奴ら。これではジリ貧なんだが」

 エーリッヒ・グレーベンなどには、不思議でならない。

 星暦八七七年三月下旬、第三軍から北上再開の作戦計画が届けられたとき、この牡は同時に愉快でならなかった。

 実質的に全オルクセン軍を動かしている彼の構想通り、エルフィンド軍のとれる選択肢はどんどんと狭まっているようにしか思えなかったからだ。

 三月二八日。

 第一軍は、隷下の主要指揮官を集めた会合の席を持った。

 各軍団長、独立した旅団の長などである。これにそれぞれの参謀長。

 ネブラス中央駅にある総軍司令部に集まって、作戦構想の開示と説明、戦勝の祈念が行われた。

 総軍としての構想は―――

 第三軍の到着を待ち、軍南翼の第一軍団及び第五軍団が対峙する敵アルトカレ軍を牽制攻撃。これを引き付けると同時に、攻撃の主力を第六、第三、第四の各軍団が担う。南翼及び中央を旋回軸にして、第六軍が中央突破、北翼が大きく前進して敵アシリアンド軍を撃破し、敵司令部のあるディアネン市を側面から攻撃する、というものだった。

 第三軍の役割は、到着と同時にネニング平原の南側に広がって、この攻勢を受け止める巨大な「壁」を作り上げること。むろん、ただ広がるだけではなく前進、圧迫も加える。

 モーリア戦で行われた「金床と槌」の、規模を数十倍にもしたようなかたちである。

 つまりこのとき、オルクセン軍は自ら攻勢に出ることを企図していた。

 オルクセン軍は運動戦を重視する。つまり戦場におけるイニシアティブをまず握ることを重視するから、当然の選択とも言えたが―――

 質疑応答の時間になって、アンファウグリア旅団長ディネルース・アンダリエル少将は手を挙げた。

 彼女の旅団には、特別な役割が与えられている。

 第四軍団の攻勢が敵前線に孔を開けたら、これを突破口として最北翼に突進、敵北方の鉄道線を破壊、更に敵中央遥か後方に大きく迂回して同地の鉄道線も破壊する、というものだ。敵北翼及び主力の後方支援線を遮断してしまう役割である。

 これ自体には異論はなかった。

 やれというなら、やってみせよう。

 我らにしかやれまい、とも思う。

 ただ、

「少将?」

「グレーベン作戦部長。どうもこの作戦全体構想は、虫が良すぎやしませんか?」

「・・・と、いいますと?」

「これでは、エルフィンド軍はこちらに叩かれるまで木偶の坊のように突っ立っているだけの、まるで的だというようなものだ」

「・・・・・」

「確かに敵ネニング方面軍はいままで動いてこなかった。だが私の旅団の担当区における斥候情報だけでも、ここのところ敵の動きが少し騒がしい」

 事実であった。

 どうも敵は敵なりに、何か仕掛けようとしているのではないかという兆候があった。

 後方で鉄道の動きが活発になっているという、大鷲軍団の空中偵察情報もある―――

「その点は、小官らも検討に検討を重ねました―――」

 グレーベンはよどみなく答えた。

「結論から申せば、仮に敵に何らかの攻勢意図があっても、それはもはや全軍規模のものではあり得ないだろうという判断です」

「・・・・・・」

「敵後方の鉄道輸送は、観測によれば一日約六列車。一編成当たりの車両数は我が軍より少なく、輸送量は最大で約一三〇〇トン強であろうと分析しております」

「・・・・・・」

「対して、エルフィンド軍の兵力は約二四万。馬匹数は推定六万頭です。これに要する必要糧抹量は試算によれば一日約一〇〇〇トン」

「・・・・・・」

「つまり、被服、銃弾、砲弾、補充兵馬等の軍需物資輸送力及び、余裕分の糧秣輸送力は一日最大三〇〇トンでしかありません」

「・・・・・・」

「敵とて攻勢に出るためには必要物資を備蓄せねばならず、この僅かな輸送量では全面攻勢は不可能に近い。企図していたとしても、今春のリヴィル湖畔における戦闘のような限定攻勢であろう、というのが総軍司令部の見解です」

「・・・・・・」

「もしこのような限定攻勢があれば、もはや万全の防備を整えた我が第一軍はこれを奇禍とし、敵陣を切り崩して反攻に転じられましょう。かのアルベール・デュートネの言うところの、敵の挙動を誘う、ですな」

「・・・・・・」

「また、第三軍が北上を開始すれば敵とてこれを察知するはず。するとこれもまた彼女たちにとっての足枷となります」

 傲慢の気配もあったが、同時に説得力もあった。

 ディネルースは小さく頷き、引き下がった。

 渋々、といった感情に近い。

 どこか脳内で警鐘が鳴り続けていたが、それは彼女自身にも明確に論理立てた言葉に出来なかったのだ。根源的には、長年の野戦指揮官としての、あるいは狩人としての「勘」というような、あやふやな代物だったからだ。

 質疑応答が済むと、総軍及び第一軍を親率しているということになっているオルクセン国王グスタフ・ファルケンハインが立ち上がり、訓示を行った。

「諸君。待ちに待った、決戦だ。今戦役の勝敗を決する、一大決戦だ。規模といい兵力といい、世界の戦史上に刻まれる、屈指の大会戦となろう。我がオルクセンなら、それがやれると私は信じている。であるから、もはや言うべきことは何もない。では―――」

 総司令部付きの従兵たちが、杯を全員に配り、火酒を満たした。

「諸君と兵の武運を祈る。母なる大地に!」

「母なる大地に!」


附:総軍ネニング平原作戦構想

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 同日。

 第三軍が北上を再開した。

 同司令官アロイジウス・シュヴェーリン元帥はこれに先立って、彼もまた麾下全軍への訓示を送っている。

 それは演説を苦手とするグスタフより、ある意味洗練されていて、兵の心の機微を掴むものでもあった。

「諸君。我が息子たち。

 我らは家族だ。軍隊とは家族である。

 我らは共に暮らし、共に食べ、共に寝て、共に苦難を乗り越えてきた。

 熟練兵の者たち。

 諸君は最早英雄だ。英雄とは一名だけのものではない。お伽話の戦士などではない。開戦以来勝ちぬいてきた、諸君らこそがそうなのだ。

 補充兵の者たち。

 初めての戦場は、きっと恐ろしいだろう。だがそれは誰しもがそうだったのだ。私とてそうだった。そのようなときは、肩を並べる戦友を思え。我らは臆病者であってはならない。誰かが崩れてしまえば、仲間が斃れるのだ。我らが斃すのは、仲間ではない、敵兵だ!

 後方勤務の者たち。

 自らの任務をつまらぬものだなどとは、決して考えてはならない。輜重馬車の手綱を握る者、飯を作ってくれる者、武器を修理してくれる者。軍医、衛生兵の諸君。君たちがいなければ、我らは戦えない! 君たちも英雄なのだ!

 待ちに待った、進撃再開のときが来た。

 前進しよう。

 進むのだ。我が息子たち! 私とともに!」

 この訓示を直接耳にした者はもちろん、内容を伝えられた全部隊の兵が奮い立った。

「親父!」

「我らが親父!」

「シュヴェーリン親父!」

 兵たちを更に奮い立たせたのは、前進再開に際し、各師団の軍楽隊が「オルクセンの栄光オルクセン・グロリア」及び「ああ、デア・我が王マイン・ケーニヒ」を演奏したことである。

 これもまた、シュヴェーリンの指示に依る。

 彼は、一種のロマンチストであった。

 兵たちが傷つき、斃れる様に心を痛めつつも、己ほど戦争でしか自己表現できない者もいないと自覚してもいた。いままでも軍にいたし、これからも軍にありつづけ、永遠に祖国のために戦いたいと願っていた。そのような己が、勝つために必要だと信じる、大袈裟で、芝居がかった、だからこそ兵たちには理解のしやすい士気の鼓舞の数々を、意図的に「演出」したのである。

 前進再開より約一か月前、二月中旬に敵将ダリエンド・マルリアン大将を本国の俘虜収容所へと送り出したときも同様であった。

 シュヴェーリンは、自らが「好敵手」だと認めたこの敵将の為に、国王グスタフ・ファルケンハインへと願い出て、彼女が収容所でも階級に相応しい威厳を保てるよう、サーベルその他の携帯を続けられるようにし、また参謀や副官たちとは行動を共に出来るように特別の配慮を行わせるべく手配をした。

 そうして自ら、彼女を後送する特別客車付きの軍用列車を見送りに出た。

 アロイジウス・シュヴェーリンという牡は、まず何よりも一軍の将たる者はかくあらねばならないという騎士道的理想形を抱いていて、彼の言動の多くはこの「理想」を探求していた。

 自らも戦場という舞台の「演者」たらんとしたのである。

「収容所では何かとご不便もございましょう。もし何かご要望があれば、遠慮なくこのシュヴェーリンにお伝えください。小官に出来得る限りのことはやらせて頂きます」

「・・・閣下のご高配、ありがたく」

 送り出された側のマルリアンにしてみれば、内心に居心地の悪さがあった。

 彼女は、あくまでエルフィンド軍の将軍である。

 オルクセン軍は、兵站危機にもっと苦しむだろうと想定していた。

 ところがこのころ第三軍の兵站状況は既に好転しかかっていて、僅かながらも余裕を生み出しつつさえあった。

 それはオルクセンという国家そのもの、オルクセン軍という組織そのものが成し遂げた結果なのだが、彼女には目の前の容貌魁偉な将軍に再び敗北したかのように思えた。

 しかしマルリアン大将には、まだ別の「矢」があった。

 あるいは、それこそが本命だと言えた。

 その「矢」は、アルトカレ軍の脱出とともに放ってあった。ただし時間差を以て突き刺さるようにしてある―――

 それがはっきりとオルクセン軍の前に凶悪な姿を現すのは、第三軍の前進が再開してからのことであった。

 第三軍は、猛烈な前進をやった。

 アルトリアに築かれた軍兵站駅を拠点に、シュヴェーリン元帥がもっとも信頼を置く第七軍団を先頭に押し立て、アルトカレ平原の北端部から、村を落とし、街を占領し、大地を埋め尽くすように運動して、ネニング平原との間を繋ぐ山間部へと突入していった。

 アルトリア要塞から脱出したあの四万のエルフィンド軍は、撤退に際し、要所要所で鉄道橋や街道橋の破壊を実施していた。

 ところがこれは流石に第三軍にとって想定の範囲内であり、また大鷲軍団第一空中団の事前偵知するところでもあった。

 膨大な工兵作業が行われた。

 オルクセン軍には優れていた部分が多くあるが、工兵もまた誇るべき存在であった。とくに当時の軍隊としては架橋・渡河器材及びその運用法に秀でている。

 これはデュートネ戦争で初めて外征をやった際、たいへんな苦労を味わった結果であった。星欧には河川が多く、また当時の橋梁の多くは木材で出来ており、彼我両軍が撤退運動をやる際にはしばしば焼却したためである。

 その当時は、工兵の規模もまるで足らなかった。

 デュートネ戦争から約六〇年、オルクセン陸軍における師団あたりの工兵の規模は、七倍になっている。

 一〇年ほどまえ、星国の内戦や、イスマイルで行われた戦争に派遣した観戦武官が、陣地構築に多大な土木作業が生じているとの報告を寄越してきたことも、拡大を加速させた。  

 要塞攻略の手法を研究し続けていた結果でもある。要塞戦には、接近のための壕を掘る必要がある。砲兵の陣地も大量に作らねばならない。そこでまた工兵作業の必要性が高まったのだ。

 ベレリアンド戦争時、オルクセンの野戦師団は、おおむね各師団に一個、工兵大隊を持っていた。これは当時としてはたいへん潤沢で、他国なら一個師団につき工兵一個中隊という例も珍しくないころである。

 この北上再開の際には、各軍団、平均して一日一本は架橋した。規模の大小はあるが、一日に二本架橋したという軍団も珍しくない。

 破壊された橋梁を修復するだけではなく、エルフィンドは内奥に向かうほどインフラ基盤が貧弱であったから、軍規模の動きを行うには橋梁の数が足らなかった。臨機に架橋することも多かったのだ。

「工兵は監督役である。付近の他兵科兵は決して傍観せず、助力せよ」

 ということが、しきりに言われた。

 そのような教育が、とくに歩兵科の兵には施してあった。

 オルクセン軍が頻繁にやる街道の修復及び拡張作業などはまさしくそうであったし、これが架橋作業にも効果を発揮した。

 軽架橋舟、架橋鉄舟、門橋舟、架橋桁、道板、櫓、各種工具―――

 工兵隊の持つ架橋材料は、馬車によって運ばれる。

 当然ながら、その保有量や能力には限界がある。

 すると、軍要求上の全てを正式材料で架橋することなど不可能であるし、またこのように便利かつ高機能な器材は、使用後は撤収して再び部隊に追従することが望ましい。

 現地調達できる材料で架橋してしまう、応用架橋という作業が主体になった。

 切り出した丸太や杭を使って、橋を架けたのだ。

 鉄道橋の補修には、他に枕木を応用して井桁トラスを組み、橋脚にした。

 切り出し、運搬、組み立てといった膨大な作業に、工兵隊の監督のもと、無数の兵員が集まり、他者から見ればあっという間に完遂してしまう。

 第三軍の北進再開後、もっとも大規模な架橋作業を要したのは、オノリン川という河川に架かる七〇メートルの鉄道橋の補修で、このうち約一五メートルが爆破により吹き飛ばされていた。第三軍の最先頭を行く第七擲弾兵師団の工兵隊は、軍の鉄道中隊とも協同して、また擲弾兵たちの助けも借りて、僅か二日でこれを補修している。

 速度制限や重量制限はついたが、立派に鉄道を渡すことの出来る橋が出来た。

 一本目の機関車が汽笛を鳴らし、蒸気を吹かして通過すると、

「道は。線路は。俺たちの通ったあとに出来るんだ!」

 工兵や鉄道中隊の者たちは、そのような言葉を誇りとともに叫んだものである。

 そういった場所には、よくシュヴェーリンが前線視察に現れた。

 略帽にあの防塵眼鏡を巻き、陸軍の正装用上衣を着て、これに乗馬ズボンと乗馬ブーツを合わせ、サーベルと拳銃を吊って、僅かな供回りとともに派手で粗野な己を演出した。

「困難です!」

 そのように現地指揮官が弱音を漏らせば、

「まずはやってみろ!」

 士気の鼓舞をした。

 またある小規模河川では、渡河点を探して右往左往していた隊を尻目に、己自身でさっさと騎乗渡河してしまい、

「何をやっとる、とっとと渡れ!」

「元帥だ・・・」

「シュヴェーリン親父だ・・・」

「か、閣下・・・ いったい何処から・・・! そちらはまだ敵地ですぞ!」

「儂がいるのだから、もう占領したのと同じだ馬鹿者! 五〇メートルほど上流へ行け、浅瀬がある!」

 対岸から叱咤して、部隊の側を唖然とさせたりもした。

 “シュヴェーリンの息子たち”―――第三軍は、斯くの如く猛進した。

 進撃開始から五日目には、早くも先頭部隊がアルトカレ平原北端部を突破。

 第七師団は、狭隘地形部であるエイセル峠を通過して、ネニング平原方面への最後の都市、住民数七万のアルウェン市へと到達しようとしていた。



「連中は何か企んでいるのではないか」

 ディネルース・アンダリエルは、オルクセン軍攻勢再開の前、第一軍指揮官会合の場から旅団の宿営地タスレン郊外に戻った翌日、自身の日記にそう記している。

 指揮官会合の席では引き下がったが、彼女の言うところの「勘」は、決して納得していなかった。

 彼女もまた「ロザリンド会戦世代」である。

 戦場における匂いを嗅ぐことが出来た。

 ただその対象はあくまで第一軍の展開戦域―――ネニング平原におけるもので、しかも鋭敏であれたのは自身の担当戦区に留まる。ディネルースはたいへん優れた野戦指揮官だったが、その才は戦術面でこそ発揮されるもので、それが彼女の察知することの出来る「匂い」の限界範囲であったのだろう。

 であるから、その後の展開は彼女にさえ予想の範囲外であった。

 エルフィンド軍の抵抗は、第三軍の、第七軍団及び第八軍団の計四個師団及び砲兵旅団二個がエイセル峠を通過し、アルウェン市を無血占領したころから起こった。

 それはオルクセン軍の虚を突くものだった。

 エイセル峠の山間道は狭い。

 この狭い地形の両側に峻険なエルフィンドの中央山系が迫っていて、針のような樹々があり、そこに二本の主要な街道と、鉄道線とが集中している。

 抜けた先が、アルウェン市を中心としたフェンセレヒ盆地という一帯を成しており、第三軍の全てが展開できるほどは広くない。

 侵攻計画では、軍兵站拠点をアルウェン市へと前進させてから、再び攻勢運動出来るだけの物資を備蓄して、フェンセレヒ盆地の先にある二本の峠を越え、ネニング平原へと順に展開する予定であった。

 それまでは、アルトリアの北方二五キロに進出した軍兵站拠点から、軍団兵站拠点、各師団という流れで、輜重馬車隊が軍を支えることになっている。

 こういったときのオルクセン軍の師団隷下の補給隊は、状況にも依るが、おおまかに言って二つの動きをやっている。

 物資を満載した補給段列の半分と、弾薬段列が部隊に続行。

 もう半分の補給段列が、兵站拠点との往復運動を行う。

 それは輜重馬車と、弾薬車の膨大な車列だ。

 ―――これが襲われた。

 最初に襲撃にあったのは、第八師団の補給隊の一個梯団、約二〇両である。

 山間道を通過しようとしたとき、まず先頭車両の眼前で、街道脇の巨木が爆破された。

 こうなってしまうと狭い山間道のことだから、後続車両はどうにもならなくなる。

「敵襲ぅぅぅぅぅぅ!」

 梯団が停止した瞬間、山肌から猛烈な射撃が始まった。

 小銃。火砲。

 馭者台にいた輜重隊のコボルト兵たちが、次々に撃たれた。

 補給隊の将兵は、まったく弛緩していた。

 ここはとっくに前衛の部隊が占領した「後方」だったはずなのだ。またこの戦争が始まって以来、補給隊が直接的に戦闘に巻き込まれた事例は一度もなかった。自衛用の小銃もあったが、馭者台の背もたれ裏にある架台に収められたままだった。既に春季と迎えたとはいえ、標高のあるこの辺りには残雪も寒さもあり、重い外套で着ぶくれてもいた。

 銃撃の行われた東方側とは反対に逃げる者もいたが、彼らが寄り集まり、逃げ惑うなかで、今度はそちら側から襲撃があった。

 狙撃のような遠距離射撃であった最初の襲撃と違い、そちらは伏し隠れ潜んでいた一隊による肉薄強襲であった。

 緑上衣に黒軍跨の集団が、サーベルを抜き払い、着剣した小銃で突っ込んできた。その数は一個中隊以上。

 狂暴な嵐であった。

「ひ、ひぃ・・・」

「ぎゃ・・・」

「た、助けてくれ!」

 輜重兵たちは、成す術もなく鏖殺された。

 逃げ、車体の下などに隠れ、がたがたと震える僅かな生き残りたちの前で、エルフィンド兵たちは信じられない真似をした。

 火酒の瓶の口に布切れを突っ込んだもの―――火炎瓶に火をつけ、次々と輜重馬車の車列に放り投げたのだ。

 多くの馬車が炎上し、これがまた混乱と、殺戮とを招いた。

「母さん・・・母さん・・・」

 後続隊が駆け付けたときには、梯団のほぼ全てが壊滅していたうえに、敵兵の姿は何処にもなかった。輜重兵たちの死傷者が累々と横たわる、凄惨な光景が広がっており、援兵たちは言葉もなかった。

 このような襲撃はこの日、もう一本の街道でもあり―――

 夜半に入ると、更に鉄道線の爆破が二個所であった。

 そうしてこのまるで幻のような、悪夢の如き敵襲は、翌日以降も続いた。

 補給隊や、橋梁、鉄道線といった、直接的な戦闘力を有しない部隊、施設ばかりが狙われた。

「厄介だな、これは・・・」

 アルウェン市へと進出していた第三軍司令部では、アロイジウス・シュヴェーリン元帥が呻いていた。

 なまじ軍主力の半分がこの地まで到達していたため、後方からの兵站で支えてやらなければならない。

 その兵站線が狙われたのだ。

 無血開城したアルウェン市が、越冬分の備蓄食糧を持っていなければ、たいへんなことになっていたかもしれない。

 ただし危機の程度は深刻だ。

 備蓄を行わなければ、前進もできない。

 それどころか軍団の日々消費する糧秣をどうにか繋ぎ、補給してやらなければ兵たちが飢えかねない。

「こいつらは一体どこから湧いて出てきたのだ」

「それが―――」

 ギュンター・ブルーメンタール参謀長が困惑気味に告げた。

「地元住民たちからの聴取によれば、エイセル峠周辺には廃坑になった鉱山があるそうです。殆ど神話伝承の時代の、古いもので。手掘りとはいえ東西の山岳から縦横無尽に伸びており、もはや地元住民にすら全貌は把握できていない、と」

「・・・山のなかに潜っておるのか」

 厄介だ。

 本当に厄介だった。

 兵と兵とがぶつかり合う、会戦や攻城戦などとは異なった、まるで掴みどころのないような質の悪さがあった。

 だが指を咥えていればよいというものではない。

「山狩りをやらせろ。それと後方部隊に補給隊を護衛させるのだ!」

「では、第八軍団の第八山岳猟兵師団と、第九軍団第二一師団に」



 第三軍補給線への襲撃を行ったのは、セレスディス・カランウェン一等少将率いる、エルフィンド軍第二四歩兵旅団を中心とする兵、約五〇〇〇。通称カランウェン支隊だった。

 あのダリエンド・マルリアン大将がアルトリアから脱出させた四万の兵、そのうちの一部であり、特に個別に呼び出されて作戦命令を受けた、あのカランウェン一等少将が率いている。

 彼女はあのとき、このエイセル峠及びフェンセレヒ盆地を利用した遅滞戦闘策を授けられていた。

 いずれ第三軍は北上を再開するだろうから、その後方を徹底的に狙え、と。

 オルクセン軍最大の特徴にして弱点は、その潤沢な兵站にある。早すぎても、遅すぎてもいけない。第三軍のある程度の部隊が、フェンセレヒ盆地に入ってから襲撃を実行せよ―――

 そうしてアルトリアからの脱出に際しては殿軍を引き受け、橋梁等の破壊を行いつつ、エイセル峠に到達すると地下に潜んだ。

 食糧、弾薬の備蓄に努め、またネニング方面軍司令官クーランディア元帥の正式な承認と、改めての遅滞戦闘実施命令を受け取っていた。

 対象は、あくまで第三軍の後方。

 強大なオルクセン軍そのものとの戦闘は避け、補給線を襲う。

 このような戦法、マルリアン大将はやはりデュートネ戦争半島戦役から学んだ。

 ―――ゲリラ戦という。

 ただし、その定義は難しい。

 本来ゲリラ戦とは、正規の軍人ではなく不正規兵である民間人などが行うものであるとされている。カランウェン少将麾下のような正規兵がこれを行う場合は、ゲリラ・コマンドなどと呼ばれる。

 またその戦術も、市民における抵抗運動のようなものから、遅滞防禦で語られるような正規戦でも行われる概念を含んでいる場合もあり、何処から何処を以てゲリラ戦と呼ぶかを明確に示すことは困難だ。

 もっとも、カランウェン少将にしてみれば名称などどうでも良いことだ。

 彼女は、むしろ地元住民たちを巻き込まぬようにした。

 敵軍の侵攻具合といった、情報のみを魔術通信で知らせてくれればよいと、それだけでも大助かりであると地元村落には依頼した。

 地元村落側は、自発的な食糧の共有をやっている。

 乏しい食糧から、侵攻のその瞬間までカランウェン支隊の潜む廃坑跡に供出を続けた。

 カランウェン支隊では、襲撃予定地域の選定、地理地形の把握、予備陣地の構築、水場の確保などに努めて、敵軍を待ち構えた。より正確には、効果的な実施時期を、である。

 そうして、牙を剥いた。

 ただエイセル峠で待ち構えていただけでもなく、自ら積極的な襲撃の手も送っている。

 八名ほどの「特別襲撃班」を数隊作り、市井の服装をさせ、爆薬、雷管、導火線、携行食糧、軍用地図、コンパス、工具などを帯びさせて、これはアルトカレ平原へと放った。

 第三軍占領地域にあって、おもに鉄道の破壊工作に従事させるためである。

 この襲撃班が、実に跳梁した。

 ときに地元村落に助けられ、ときに住民の逃げ散った空き家に休み、オルクセン軍占領地域へと浸透すると、橋梁の爆破、鉄道線の破壊を行った。

 その最大の戦果は、オルクセン軍が修復したオノリン川鉄橋の再爆破に成功したことにある。

 これ以外には、腕木式信号器の破壊、この信号器を操るために配された鉄道員の殺害、線路の破壊があった。

 もっとも多用したのは、線路の破壊であった。

 これは爆薬が無くともやれた。

 犬釘を抜き、あるいはボルトを抜き、かすがいを取り外し、余裕のあるときは工具を使って線路を捻じ曲げた。

 仰天したのはオルクセン側鉄道車両の機関士たちで、このような場所に軍用列車が差し掛かり、気づくのが遅れ、ブレーキも間に合わなければ、最悪の場合、脱線ということに相果てる。

 こうなってしまうとで、起重機車を後方から持ってきて、脱線した車両を取り除き、鉄道を補修して―――という、膨大な作業が必要となる。

 修復に、丸一日はかかった。

 当然ながら、この間、前線部隊の補給は停滞する。

 代わりは兵站拠点からの輜重馬車による補給運動ということになるが、この輜重馬車隊列への襲撃を取り除かない限り、こちらもまた日々被害を増大させていった。

 快進撃に油断していた第三軍の補給隊は、実質的に最初から分散していた。一隊、また一隊と襲われ、この襲撃はカランウェン支隊にしてみれば物資や武器の鹵獲の場でもあった。

 食糧を奪い、武器弾薬を奪って、敵の歩兵が駆け付ければ狙撃をし、さっとまた山中に消えて、継戦する。

 大鷲軍団による偵知も、傾斜が大きく森林の多い山中に隠れ、さらには地下にまで潜られてはどうにもならなかった。

 第八山岳猟兵師団が山狩りを行い、また第二九擲弾兵師団による補給隊の警護が行われるようになって、どうにか補給路は繋がったが。

 それでも、襲撃は続いた。

 オルクセン軍の山岳猟兵も精鋭だが、狭隘地ゆえに兵力の全てを一度に展開させることは出来ない。カランウェン支隊は隠蔽された防禦陣地を築いており、さらには予備陣地を幾つも構築していて、高所から俯瞰射撃をする。狙撃を多用して、出血を強いた。

 ようやく追い詰めたと思えば、エルフィンド兵は廃坑道に消えてしまう。

 名も知れず、場所も知れず存在したそのような廃坑道は何処か別の出入り口に繋がっているらしく、敵兵は消え、また別の場所で襲撃が始まる―――

 オルクセン側にしてみれば、悪夢のような戦いだ。

 フェンセレヒ盆地に進出した巨大な軍の前衛はまるで無事であるのに、一歩も進めなくなり、その後方で激しい戦闘が続き、予備隊が撃ち合い、補給隊が襲われ、被害が蓄積する。

 正規戦には無類の強さを発揮するオルクセン軍も不正規戦に遭遇するのはほぼ初の経験で、彼らをして困惑させた。

 例の襲撃班による鉄橋及び鉄道破壊までが相次ぐようになって、四月一一日、ついには総軍司令部から下令があった。

「命令。第三軍前衛は兵站線の負担のかからぬ地点まで機動せよ」

 軍司令部でその命令書を眺めたギュンター・ブルーメンタール参謀長は、ずいぶんと気を使った命令文だと、妙な感心をした。

 起草したのは、十中八九間違いなく、総軍作戦参謀エーリッヒ・グレーベン少将であろう。

 第三軍司令官アロイジウス・シュヴェーリン元帥から見れば末娘の婿であり、彼の長女を娶っているブルーメンタールからすれば義弟にあたる。

「一度、撤退しろ」

 などとは、あの傲岸不遜な牡をして配慮を要し、はっきりとは書けなかったらしい。

 ―――これはいかんな。

 余計な文書装飾というものだ。オルクセン軍に悪しき前例を残してしまう。

 ブルーメンタールはそう思った。

 もっとも、そのような思考は一種の現実逃避であろうとも自覚していた。

 そう、第三軍は一度この悪魔のような盆地から撤退してしまうしかない。前進物資の蓄積が出来ないどころか、日々の消費物資の補給も怪しいとなると、一度、あくまで一度退いて体制を立て直す、それが最良の答えだろうとブルーメンタールにも理解は出来た。

 だが。

 だがそれは、ネニング平原での第一軍との合流が果たせないことを意味する。

 この総軍命令を最後に、電信線まで破壊されてしまったという報告が上がっており、どうにもならなかった。

「―――無念だ」

 ブルーメンタールは呻いた。



 ギュンター・ブルーメンタールを懊悩させたのは、第三軍における事情だけではなかった。

 この二日前、四月九日―――

 総軍司令部が「あり得ない」と判断していた事態が、ネニング平原で生起していた。

 ―――エルフィンド軍ネニング方面軍の、大規模攻勢である。


(続)

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