第35話 戦争のおわらせかた③ アレッセア島攻略作戦
星暦九五四年一一月三日閲覧許可済/王室歴史文書保管室
我が王
過日はパイプ葉をたくさん送ってくださり、恐懼に耐えません。
ネイビーリーフは私も好むところであり、陛下がこれを気に入られたとのこと嬉しく思います。
我らがクラブへようこそ。
陛下御好みのオームポールを進呈いたします。センチュリースター葉にはきっと合いますでしょう。
また、願い出ておりましたマルリアン大将への格別のご配慮、ご仁愛、思し召し頂き、心より感謝致します。
陛下の牙 シュヴェーリン
敬愛なる我が国王陛下
御下賜の鹿革、たいへん温かく、膝掛にさせてもらっております。
奥が、陛下お好みのドングリの干し物を作り送ってくれました。
このような粗末なものを献上致しますのも心苦しいですが、戦勝祈念の縁起物であり、奥たっての希望でもあります。どうかご賞味下さい。
陛下の忠実なる老兵 ツィーテン
グスタフ
またたくさんの火酒をありがとう。
貴方、私に酒さえ与えておけば満足していると思っているだろう?
ああ、満足しているともさ。ありがたい。
同梱してくれたグロワールの奇聞書も興味深い。
戦地ゆえ何も返せるものがない。それが心苦しい。
我が忠誠と心の全てを送ろう。
貴方のディネルース
親愛なるグスタフ王陛下
先般、我が息子への丁寧なるお手紙を賜りまして誠に恐懼に耐えません。
息子もきっと祖国と我が王への忠節を果たせたものとして、喜んでおりましょう。
息子の妻子は、陛下御下賜の勲章年金及び遺族年金をもとに、我が夫婦で必ずや支えていこうと思っております。
戦地では何かとご苦労も多いことかと思います。
どうか何卒、御身をお大切に。貴方様あっての我が国なのです。
貴方様の忠実なる臣民 ハインツ・ホルツガング
保管室より
国民からの軍事郵便については数が多く、現在も把握、整理しきれていない。
―――星暦八七七年二月下旬。
このころ、オルクセン軍は冬営の渦中にある。
では「停滞」していたかというと、そうとは決して言えない。
前線の兵の背後では、軍の後方組織は常に動き続けている。
軍隊がひとつの箇所に長期間留まると、なにが起こるか。
極めて当然のことだが、それはその周辺地域も含め、現地調達可能な物資をやがて使い尽くしてしまうということを意味する。食糧備蓄量が低く、一部では焦土戦術まで実施されたエルフィンドではとくにそうだった。
つまりオルクセン軍は、兵站事情の改善を図るために前進を停止しながら、とくに食糧や飼葉の補給に関しては後方からの輸送が前線の全てを支えてやらなくてはならなくなっており、むしろ後方の負担は増している。
またオルクセン軍は、この戦役に際し、将来的な占領の永劫化を最終目標とする以上、現地住民への負担を最小限にしようと当初から企図していたから、なおさらのことである。
このような補給体制を支える一環として、オルクセン第一軍ではこのころ前線一部部隊の後背で、軽便鉄道を敷設している。
鉄道線から外れて展開していた、第三軍団及び第五軍団の後方においてとくに活躍した。遠く離れた末端兵站駅や弾薬集積駅を他の軍団と共有して、輜重馬車による輸送に頼り切っては、あまりにも非効率的であると判断されたからだ。
もっとも多く造られたのは、軌間七五〇ミリの機関車式軽便鉄道だ。
敷設工事が比較的、あくまで比較的だが簡易で済み、運行も容易である。
もちろん本格的な鉄道輸送と比べればその輸送量は大きく劣ったが、最終的には総延長四〇キロメートルを超える軽便鉄道を、オルクセン軍はネニング平原に敷設した。
「軽便鉄道は、曲半径小なると登挙力大なるため、尋常鉄道に比し各種の地形に適合し得。基礎及び路盤工事の作業軽易なるを以て、敷設、撤収、ともに迅速なり」
その輸送力は、敷設当初をして早くも一日最大四八〇トンの物資を運び得て、引き込み線や待機線が増やされるとともに七二〇トンにまで達した。
まるで玩具のようにも思える、それでいて精緻な構造をした、堂々とした軽便蒸気機関車が、彼らの後方で絶え間ない往復を繰り返した。
鉄道隊だけでなく、野戦電信隊も懸命だった。
戦力の整頓運動を終えたあと、彼らは前線部隊と後方との間を繋ぐ。
その作業はたいへんなもので、部隊のほうが朝から晩まで運動したあとには、深夜近くまでかかって電纜線を敷設し、泥のように眠り、追従するという具合で前進してきた。一概には言えないが、破壊工作や機密保護の観点からいえば、安易に占領集落の真ん中を通したりは出来ず、迂回することまで推奨されていたから、その困難さがわかる。
むろん、軍全体に目を向けてみれば、船舶があり、鉄道があり、輜重馬車がいて。そこには膨大な数の後方勤務従事者がおり、無数の努力と、汗と、技術と、叡智とが重なりあっている。さらに後方、本土にまで目を広げれば、工廠があり、畑があり、工場があり、製粉所があり。様々な職業の、家庭の、銃後の国民一名一名がいる。
例えば兵が、一斤のパンを手にしたとき。一発の銃弾を受け取ったとき。
そこには一体どれほどの者の手が携わっているのか。
その膨大さ、広範さ、夥しさは、もはや誰にも正確には把握できないほどである。
「戦闘の華々しさにばかり目が行くだろうが、どうか彼らのことをこそ報道してやってほしい」
とある歩兵部隊指揮官など、取材に訪れた従軍記者たちに対し、そのように願い出たほどだ。
前線部隊にとって、後方兵站による補給はまさしく生命線である。
それは心理面での支えにまでなっている。
軍事郵便がそれだ。
戦地にある兵士に宛て本土の家族らが送る、あるいは戦地から本土に向けて送る郵便。戦地の兵士同士という場合もある。
オルクセン軍は、この戦役で初めて本格的な出征外地における軍事郵便網を構築した。デュートネ戦争のころは、そこまでの余裕はなかった。
既に各国似たような制度を作り出してはおり、近代戦史上、これが世界初めての例というわけではない。自国の郵便体制が従軍する場合と、軍が郵便を営む場合とがあり、オルクセン軍の場合は後者だった。
総軍司令部に野戦郵便長官が置かれ、各軍団には野戦郵便部長がいて、これが責任者である。戦局や戦地の具合にもよるが、一定程度の部隊につき一個、簡易的な野戦郵便局を設置した。
戦地から送る場合、すべてに「
戦地へ送る場合は、こちらはオルクセン国有郵便社の価格に基づいた正規の料金が徴収される。
差し出す側も、受け取る側も、機密保護の観点から地名や所属部隊名を書いてはならない決まりだった。代わりに野戦郵便局ごとに振られた野戦郵便番号、氏名、階級を記す。
例えば、
「野戦郵便番号第三六五七号陸軍一等卒ハンス・シュミット」
という具合になる。
このような手紙、葉書が、兵たちには何よりの楽しみだった。
兵站体制に乗って、本土との間を行き交い、それは故郷の家族や恋仲の者との繋がりを感じさせた。
「お前、ずいぶん届くな・・・筆まめな家族で羨ましい」
「へへへ」
「・・・お前、これ! 家族からじゃなくて借金の督促状じゃないか!」
「ふひひひ、軍隊までは追いかけてこれねぇよ」
なかには、そのような光景もあったという―――
オルクセン本土から戦地へと送られるもののなかには、のちに「
オルクセンの軍隊は、その徴兵及び動員制度から、各連隊と郷土の結びつきが強い。
開戦から幾らか経ったころ、とある郷土の愛国夫人たちが一致協力して、戦地へ出征した郷土の部隊へと真心の籠った慰問のための贈答品を送ったのが「贈り物」の始まりだったという。
マフラー、煙草、葉巻、缶詰、チョコレート、郷土の新聞、書籍、石鹸、蝋燭、手ぬぐい、ハンカチ。そのようなものが多かった。
贈られた側は、もちろん喜んだ。
前線での評判が報道され、たちまちオルクセン全土に波及して、ほぼ全ての隊にそのような後援がついた。
これは兵個々に送られるというより、集団としての部隊全体へと贈られたものだから、部隊の側で兵站将校あたりを担当にし、兵たちに極力均等に渡るよう手配されて、糧食などとともに配布した。
「あなたのご無事とご武運を」
短かなものだがメッセージが記されたカードが同封されていることも多く、兵たちはその筆跡などから故郷の光景や、異性の温もり、母性の優しさなどを思い出し、カードにキスをしたり、匂いを嗅いだりと歓声を上げ、胸ポケットにしまってお守り代わりにしたものだった。
この冬営時期、兵たちの心の慰めには実に様々な手法が試みられた。
師団に一隊付属していた軍楽隊の定期及び巡回演奏。
部隊の歌唱や演奏、芸達者な者たちを集めての慰問会。
これらは毎週末などに開かれ、おおいに兵たちの心を慰撫したものだったが。
そのような心の温かみとは別に―――
オルクセンの軍隊が牡の集まりである以上、より切実な問題も存在した。
牝を求めること、である。
それがどれほど切実なものだったか。
このような逸話が残っている。
ある部隊が野戦炊事馬車による給食を受ける際、調理の連中が炭酸水を使った。
これは炭酸水の日持ちがよく、また山岳地の多いエルフィンドではしばしば近場に質のよい湧出池があり供給に組み込まれたからなのだが、どこでどう捻じ曲がってしまったのか、
「あれは俺たちの性欲を抑えるために加えているのだ」
「牡としての機能が弱くなる」
などという、まるで医学的根拠のない噂となって広まってしまった。
軍隊というものが集団での生活である以上、噂や虚言、飛語は流布しやすい。怪談や奇談の類は、平時においてさえ軍の衛戍地などでは尽きないものである。
この炭酸水に纏わる噂など、オルクセン軍を構成する主体が、生理的欲求の強いオーク族である以上、瞬く間にまことしやかなものとなって軍全体に広まって、兵站及び調理関係者を仰天させたものだった。
戦後になっても軍隊内を中心に流布し続け、オルクセンではずっと後年、ウィスキーのソーダ割の売上を落ち込ませてしまう原因となり、酒造メーカーや酒場を困らせた。
薄荷も良くないと信じられた。
口中清涼剤や戦場医薬品の一部として用いられたのだが、周囲からは滑稽なことに、だが当事者たちにしてみれば深刻にこれらに近づきたがらなかった。
このようなものが流布するほどだ。
兵たちにとって、性の問題は切実だった。
軍上層部としてもこれを放置すれば、占領地住民への犯罪行為を招きかねず、またたいへん不幸なことながらこの戦役中、そのような実例も野戦憲兵隊の検挙事例にはまるで存在しなかったわけではない。
軍は占領地への将兵の不法行為には厳粛に対処しつつ、モーリア、ファルマリア、アルトリア、ネブラス、エヴェンマール、タスレンといった占領地の後方都市や、大規模村落などを利用して公娼施設を設置している。
これは戦前からの計画だった。
オルクセン本土においてそのような事業を営む民間業者と契約して、戦地へと送り込んでいる。
軍には、野戦酒保規定というものがあった。
連隊等の部隊ごとに契約する、日用品や軽食、甘味、酒類などを販売する酒保業者に関して規定されたものだ。
開戦前、これを改定して、軍公認公娼施設の設置規定を追加していた。
旅館、ホテル、カフェなどといった各地の施設を借り上げるのは軍の範囲だったが、そのような場所で実際の運営にあたるのは部隊出入りの契約業者側であり、細かな部分には軍は関与しないという建前である。
オルクセンでは私娼にあたる街娼は法令で禁止されていて、公娼にあたる娼館のみが営業でき、もとよりそういった施設は軍の衛戍する町には多かった。部隊の御用達のようになっていた店もある。これらが支店を開くような格好で、戦地へと赴いた。
とうぜん、抱える公娼の数や、料金や、利用時間といった細部は各業者で異なった。
おおむね、兵で三ラングから四ラング、下士官で六ラングから八ラング、将校で一〇ラングほど。将校のみは宿泊も可能で、二〇ラングから、将校専用の高級とされる店で四〇ラング前後。兵の月給が、一二ラングほどであるなかでの相場だ。
わずか三名という店もあれば、二〇名以上の店まで―――
第一軍占領統治下にあった半島東部沿岸都市タスレンを例に挙げるなら、最盛期には合計二〇店舗、三〇〇名以上の公娼がいた。
オーク族向けのものもあれば、ドワーフ族向け、コボルト族向けのものもある。
これは出征した兵の数と比べあまりにも数が少なく、公娼たちへの身体的負担も大きかった。
オーク族の牡の生殖器は特殊な構造をしていたから、なおさらのことだ。その全体構造は人間族にちかいながらも体格に比した雄渾にして雄大さをしていたうえに、彼らの種族の祖の特徴を受け継いだためか、最終的には内部にある特殊な精輸管が露出し、牝側の生命の揺籃で直接交わり、放出をする。
このような行為を一日に何度もこなすことになると、公娼の負担はあまりにも大きい。
コボルト族向けも問題を抱えており、彼らもまた人間族などとは構造が異なったし、
「あ、あの・・・」
「まぁ、可愛らしい坊や」
種族内に亜種の多い彼らは、小さなコーギー種の兵に、逞しいブルドック種の
軍公認の公娼施設は、戦後に深刻な課題も残した。
このころ、避妊具は普及していない。
軍では定期的に軍医の派遣による性病の予防につとめたが罹患する者も当然いたし、父親のわからない子供が生まれた事例もある。
前者は長らく後遺症を患ったし、後者に対してはグスタフがこれを援助する制度を作るまで、無戸籍児、未就学児、貧困児などの問題をともなった―――
補給状況と天候条件、作戦構想上の選択を原因とした冬営が始まり、対峙戦、戦局の膠着、停滞が起きるなか。
これに目をつけたキャメロットからの和平周旋という外交介入を招きかけたオルクセンは、純軍事的な要求というより政治的な目的から、新たな軍事行動を計画した。
二月二三日、総軍参謀総長カール・ヘルムート・ゼーベックよりその作戦案の提出を受けたグスタフ・ファルケンハインは、これを裁可。
総軍命令書に署名した。
「命令。第二軍は余剰兵力を以て、海軍の協力を得、ベレリアンド半島西部沖アレッセア島を攻略。占領、維持すべし」
―――アレッセア島攻略作戦の始まりである。
この作戦、戦局に余裕が生じれば実施する支作戦計画として、既に白銀作戦の計画書には第二軍の作戦案に含まれていた。
これを流用して組み立てられたものになる。
第一軍は冬営中であり、第三軍も同じく冬営のうえ兵站状況の改善に努めている最中となれば、第二軍を動かすしかない―――という、総軍司令部の判断に依る。
第二軍占領地はこのころ、オルクセン軍占領地のなかでもっとも安定していた。
占領地の治安維持と、占領地住民への宣撫工作が主な任務になっている。
宣撫工作というのは、占領地の軍政を円滑ならしめるためのもので、住民の衣食住、医療、貧民救済などを保証してやり、また新聞、ビラなどを通じてエルフィンド国民の意識を徐々に変容させていく活動だ。
敵対的行為、態度を捨てさせ、友好的、協力的なものへと懐柔する工作といってもいい。これは第一軍にしても第三軍にしても、軍の占領地域全てで行われていた。
なかでも第二軍の占領地域では、アウグスト・ツィーテンがデュートネ戦争中にもそのような任務にあたった経験があり、また同地では開戦緒戦にしか大規模な戦闘が起きず、もはや全体戦局としては遥か後方の地となっていたため、これらの活動はたいへん上手く運んでいた。
ちかごろでは、選民意識からくる白エルフ族たちの不遜な態度さえ収まりかけている。
もはや彼女たちにとって、例え内心どのように思っていようとオルクセン軍の駐屯する状態が日常生活上も経済活動上もその一部になっていたし、最近になってレーラズの森事件の存在と諸外国の反応が大々的に発表され、軍後方地域においても宣伝されると、これはエルフィンドの地方住民にさえ衝撃を与えていた。
ダークエルフ族の駆逐がどのように行われたのか、エルフィンド国民の全体は必ずしも知り得ていなかったからだ。元々両者の居住域は分かれていたうえ、実行は軍や国境警備隊の手に依り、政府の公式見解は国内の某地に移住したのだ、というものだった。
国民みな魔術通信が使えたし、毛皮商人や近隣村などダークエルフ族と交流のあった者の前から知己の姿が消え、あるいは連行されるダークエルフ族を目撃した者などもいたから、何か惨いことが起こっているのだという噂はもともとあった。
そこに、いったい何が起こっていたのかという詳細がオルクセン軍の手により公表されたのだ。
己たちが、諸外国からさえ何か凶悪な犯罪者のように思われているのだという事実は、占領地住民の意識を暗くさせた。心のうちにやましい感情を持っていた者ほどそうだった。
いまに摘発がはじまって事件に直接携わった者の逮捕が行われるのだ、この戦争が終われば責任者や実行者は縛り首に遭うのだといったような噂が、まことしやかに流れていた。
知的生物というものは逞しい。
表現を変えれば、狡猾である。
ましてや被占領下ともなれば、そのようにならなければ生きていけない。
彼女たちは、自らを恐ろしい噂の対象から外すためにも、すくなくとも表面上、オルクセン軍に従順になっていた。
従来通り、オルクセン軍の厳正な軍規履行と、占領政策上の飴といっていい宣撫工作が実行されていることに、むしろ安堵を覚えるようになっており―――これは即ち、オルクセン軍の思う壺であったとも言える。
そのような第二軍占領地を策源地として実行されることになった、アレッセア島占領作戦だが―――
エルフィンド領アレッセア島は、ベレリアンド半島西部沿岸から指呼の距離にある。
ベレリアンド半島のもっとも近い箇所からは、約四九キロ。
つまりオルクセン西部北海沿岸からも遠くない。そちらからは一六八キロ。
面積約五九〇平方キロメートル。
住民数は全島合わせて約四万。
島内最大の都市はその首庁も置かれている、エル市。島の西部中央にある港街で、約一万名が暮らす。
エルフィンドにとってその神話伝承に記された地でもあり、現在のキャメロットへと渡海した一団は、ベレリアンド半島を出発したあと、まずこの島で休息を得、一部は同地に留まったと伝わる。
産業の中心は、農業。とくに酪農が盛んであり、高名なチーズを産する。
鉄鉱石の鉱山もあり、また同島周辺を中心とした漁業及び沿岸捕鯨も営まれている。
「観光ガイドはこのあたりで良しとしよう」
「あまり嬉しくない観光ですな」
第二軍司令官アウグスト・ツィーテン上級大将の言葉に、実施部隊指揮官とされた第四八擲弾兵連隊長ブラント大佐は肩を竦めた。
不遜な態度とも言えたが、ツィーテンは気にしない。
彼自身は寡黙で生真面目極まりなかったが、意外にもブラントのような性格の牡は好ましく思っている。そういった気質の者が多い、騎兵科出身ゆえであろう。
「まあ、飲め」
盟友のひとり、ゼーベックから贈られた赤ワインを薦める。
「酔えるうちに酔っておけ」
「さきに酔っておけば、船酔いは防げるかもしれませんな」
幸い、かつて島に出入りしていたキャメロット商人たちから戦前に収集された情報によれば、島の防備はまるで問題にならない。六〇〇名ほどの守備隊がいるのみで、沿岸砲などの防禦施設もない。このアレッセア島攻略作戦における陸軍将兵にとって最大の敵は、船舶による海上輸送ということになるであろう。
旧式ゆえに練習艦になっていた元巡洋艦一隻と、仮装巡洋艦四隻が、第二軍策源地にしてオルクセン本土のクラインファス港に集められた。
これにブラント大佐を指揮官とする第四八擲弾兵連隊の兵員約一九〇〇名、火砲、軍需物資、糧食などが積み込まれ、その準備が整ったのは三月初旬のことだった。
同月六日、各艦はクラインファス港を出港。
速力八ノット、目標のアレッセア島まで約一一時間の航路である。
予想通り、航海は荒れたものになった。
風の強さを示すボーフォール風力階級で四から五のランクに相当する風が吹き、白い波濤が立ち、各艦は揺れた。
陸軍将兵たちにとっては、悪夢のような航海であった。
殆どの者が酔い、船倉にしつらえられた多段式の簡易寝台に伏せるか―――書き記すことも躊躇われる状態となった。
予め数を少なくしてあった、それでも部隊に幾らかいる軍馬たちの厩では、担当の兵たちが必死になって世話をする。
海軍側では、腕によりをかけて食事を用意していたが、手をつけられる者は少なかった。
あのオーク族の兵たちが。
島影が見えたときには、これから上陸を敢行する敵地の姿であるというのに、むしろ安堵を覚えた者のほうが多かった。
あのルックナー中佐の指揮する仮装巡洋艦ゼーアドラーと、練習艦で旧式巡洋艦のジレーネという二隻が、最初にエル市眼前の湾に侵入した。
戦争が始まってから構築された、俄づくりの沿岸砲台が二個所あるという真偽不明の情報があり、これを警戒したためだったが、実際にはそのようなものは存在しなかった。
エル市側では、湾内に入ってきた二隻に掲げられたオルクセン海軍旗からその正体は早々にわかり、市民が恐慌状態に陥っている。
対抗をしようにも、小さな沿岸捕鯨船が幾らかあるだけで、とても太刀打ちできるものではない。
市長と守備隊長は、意外にも動揺しなかった。
このような日が来るのではないかと、戦争が始まって以降、何度も話し合ってきたからである。
オルクセン海軍が実施した通商破壊戦の影響もあり、この島は本国からは半ば見捨てられたような、あるいはそう言って悪ければ忘れ去られたような状態になってきた。
島内農業及び酪農畜産と、伝統的習慣のある沿岸捕鯨とで、食糧には不自由しておらず、むしろ本土より充実していたほどだったから、自活をして過ごしてきた。
オルクセン側は湾内で短艇を降ろすと、軍規に則った使者をまず陸上へ上げ、降伏を勧告した。
「守備隊としては、如何ですか?」
「以前お伝えしました通り。残念ながら我らのみでの抵抗は不可能かと。兵力は乏しく、彼らは島のどこにでも上がれ、封鎖も出来れば砲撃も出来ます。住民全てで抵抗したとしても、満足な武器弾薬もありません」
「島民に被害を出すことは、私には耐えられません」
「はい、同感です」
「・・・・・・では、我らふたりが責任を取り、降伏致しましょう」
「はい」
おそらくこの島にとって何よりの救いとなったのは、このような賢明な判断を下せる者たちがトップにいたことだろう。
守備隊長は部下たちへの説明と機密書類などの焼却を行い、エル市長は島内住民への事態布告及び沈静化を手早く実施した。
翌七日、オルクセンの艦艇全てが湾内へと入り、兵員その他の上陸を始めた。
不手際はむしろオルクセン側で起きた。
この日の昼ごろには湾内でさえ風浪が激しくなり、揚陸作業は中止となった。
翌八日に作業は再開されたが、今度は五七ミリ山砲が落下する事故があり、また騒然となる。
結局のところ、彼ら全ての上陸が終わったのは、九日のことである。
オルクセン軍が海上輸送を除く陸海共同の作戦を過去にまるでやったことがなく、いざ実施してみると、季節及び天候の影響もあり不手際が続発した格好になった。
海軍側の将校のひとりが、港側と艦船側とで魔術通信を使った緊密な連絡を取り合うことを思いつき、これが実行に移され、ようやく全てがスムーズに進んだ。
エルフィンド側が徹底した抵抗を企図していた場合、おそらく緒戦においてはオルクセン側が苦戦したのではないか。
オルクセン軍を喜ばせたのは、エルフィンド軍守備隊の物資貯蔵庫に、約ひとつき半は進駐部隊が食いつないでいける糧食があったことだ。
降伏したエルフィンド軍守備隊兵士たちはオルクセン軍艦艇に乗せられ、本土の捕虜収容所へと送られることになった。
―――アレッセア島攻略作戦は、実に呆気なく終了した。
オルクセン軍を震撼させた出来事は、この戦いの経過そのものではなく、むしろそのあとに起きている。
その凶報は、三月一一日になってネブラスの総軍司令部に齎された。
戦局には何ら影響を与えない内容であったかもしれない。
おそらく、誰にも防ぐことなど出来ない、不慮のものでもあった。
だが確実に、多くの者の心を引き裂いた。
グスタフ・ファルケンハインは、その報せを同日日没前、カール・ヘルムート・ゼーベック総参謀長から知らされている。
彼は国王副官や警護、観戦武官たちを伴った前線視察から戻ったところで、寒さに震えつつも、いつものように朗らかに総軍司令部の置かれたタスレン中央駅舎の扉を潜った。
「寒い、寒い。おおい、誰か、コーヒーをくれ」
駅員室を転用した、参謀将校たちの詰める部屋に入ると、みな一斉に起立して迎えるなか、どうにも彼らの表情が妙であった。
「・・・どうした? 何かあったのか?」
待ち構えていたらしいゼーベックがさっと駆け寄り、小さく、低く、静かに告げた。
「・・・陛下。我が王―――」
「うん?」
「ツィーテン上級大将が・・・ツィーテンの奴が、死にました」
「・・・・・・・」
己の腹心が何を言っているのかわからないといった顔で、グスタフは固まった。
第二軍の占領域に戦闘は最早なく。
治安も安定していて。
王として政治的に実施を望んだ局地戦―――アレッセア島の攻略作戦も、しごくあっさりと成功したのではなかったのか。
「・・・どうして」
茫然とグスタフは尋ねた。
「事故です。純然とした、不幸な事故です。帰還した艦艇を迎えようとクラインファス港に赴き、その帰路に落馬したと。頸椎を折っていたため、駄目だったと・・・」
「・・・・・・そうか」
―――あいつ、馬に乗ったのか。
脚が痛んだだろうに。
きっと、迎えに出るのは当然だと。
「しばらく、誰も入れるな」
「・・・はい」
グスタフはそのまま、駅長室を転用した執務室に籠った。
扉外の警護兵にも、誰も入れるなと命じた。
そしてどっかりとソファに腰を降ろし、静かに泣き始めた。
―――私のせいだ。
辞意を申し出ていたあいつを、翻意させて連れて来たのも私なら。
この作戦を望んだのも私だ。
「お・・・お・・・おぉ・・・」
サーベルの柄を掴み、かたかたとそれを鳴らしながら、グスタフは泣き続けた。
泣きながら。
責任だの、犠牲への覚悟だの。口には出していながら、そんなものがまるで足りなかったのだと己を責めた。
―――グスタフ・ファルケンハインが、アウグスト・ツィーテンへの弔意表明と元帥追贈を発表したのは、翌一二日のことである。
(続)
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