第34話 戦争のおわらせかた② リヴィル湖畔の戦い

「いやぁ、でっかい・・・」

 内火艇上の荒海艦隊参謀長は、白い呼気とともに感嘆した。

 星暦八七七年二月六日。ファルマリア港。

 荒海艦隊に新たな艦が加わった。

 昨年一〇月初旬より艤装工事が進められていた新造一等装甲艦ラーテが就役し、同港に到着したのだ。

 巨艦といってよかった。

 排水量一万トンを超え、新設計の三五口径二八センチ砲を四門備える。

 もはや最初から帆走を排し、レーヴェ型のような中央砲郭式でも、リョースタ型のような梯型配置砲塔でもない。

 艦橋、前部マスト、二本の煙突、後部マストという上部構造部の前後、その艦首尾線上に、それぞれ一基ずつ連装式に旋回砲塔を持っていた。他に長船首楼と横幅の膨らみのある船体の舷側に、一〇・五センチ砲六門などを有する。

 斬新な艦影である。

 キャメロットの造船技官がそのようなコンセプトを数年前に発表し、これを先取りさせてもらったのだ。

「こいつが、もっと早く完成していれば、な・・・」

 サイドパイプの響きに迎えられて舷梯を登ったマクシミリアン・ロイター大将は、独り言ちた。

 マストに、彼の座乗と、艦隊旗艦の役割が移ったことを示す、大将旗が揚がる。

 ペンキや、甲板材の匂いにもまだ無垢の気配がした。

 海軍に籍を置く者なら、掛け値なしに誇らしい光景であり、乗員たちも実際その通りの様子であったが―――

 対リョースタ型として造られたラーテであるが、開戦には就役が間に合わず、こうして艦隊に加わったいまでは、討つべく敵艦もほぼいない。

 過日進水を迎えたばかりで、まだ艤装中の二番艦など、この戦争の結末に就役が間に合うかどうかすら怪しい気配に思えた。

 そこに一抹の寂しさ、悔やみ、痛恨のようなものがある。

 決死の覚悟だった、ベラファラス湾海戦。

 困難を極めたリョースタ捜索行。

 そして、あの屑鉄戦隊の犠牲と、復仇ともいうべき戦いだった一連のキーファー岬沖海戦。

 この巨艦が何処かの段階で加わってくれていれば、あるいは開戦がもう一年あとだったなら、などという思いは拭いきれない。

 ―――いや。

 ロイター提督は雑念を振り払うように、かぶりを振る。

 この艦がいなかったからこそ発揮された努力、編み出された戦法、成し得た結果というものもあろう、と思い直したのだ。

 必死に戦った部下将兵たち、あるいはこの新造艦にも侮辱であろうと。

 参謀たちと昼食をともにしたあと、午後からは艦橋に上がり、操砲訓練を見分した。

 鎌首をもたげる怪物のように眼前で蠢くのは、オルクセン海軍としては初の砲塔式主砲である。

 この砲、最大仰角が二五度もとれた。それほど大角度を採ってしまうと洋上戦では測距不能な距離まで弾が飛んでしまうから、火薬を少なめにして減装薬射撃しか行えなかったし、これは陸上に対して曲射できるよう設計されたものだった。如何にも、陸軍国オルクセンらしい発想である。

 ただし、装填作業には固定位置、固定仰角を要する。

 つまり舷側方向に撃つと、いちど主砲を正位置に戻してやる必要があった。

 その動作を見守りながら、

「まずは、アルスヴィズを見つけんことには、な」

 ロイター提督は呟いた。

 冬季だから洋上戦はやりにくい。だがエルフィンド海軍最後の一隻はどこか北方のフィヨルドに潜んでいるものと思われ、第一軍が北進したことにより行動範囲が広がった大鷲軍団の手も借り、その捜索は続けられている。

 そのとき、天候条件その他が許せば。

 おそらく、ラーテにとってこの戦役最初で最後の出番となるだろう―――



 リヴィル湖畔の戦いと呼ばれることになる戦闘の惹起は、オルクセン軍第一軍にとって意外であった。

 この戦闘、エルフィンド軍側から仕掛けてきた。

 攻撃に遭ったのは、ネニング平原の第一軍にあって最北端部でやや突出していた、後備第一擲弾兵旅団約七〇〇〇の兵である。

 後備と名の着くくらいであるから、予備役兵の更に予備、後備兵で編成されている。

 不老長寿にして不死にすらちかい魔種族の兵たちゆえに、身体能力は若い者たちにも劣らないが、平均年齢は高かった。市井では一家の主といった者たちばかり。妻子持ちが多く、現役兵部隊と比べるとどうしても戦闘に対して及び腰となってしまう。

 本来なら野戦に使われるのではなく、本土国内及び占領地にあって警備任務に就くことが建前の兵たちである。

 この戦役にも、当初はファルマリア港の占領地警備役として動員されていた。あの屑鉄戦隊決死の戦いによって護られた、輸送船団によって到着したのは彼らだ。

 これがここに至るまでの戦局の推移によって第一軍への増強兵力として北上させられ、ネニング平原東部北端に配され、しかも前縁で防禦についていた。

 もちろん末端の兵たちにしてみれば、どうして、などと戸惑いがないわけではない。

 当事者たちの自覚にしてみても、二線級の部隊である。

 むろん、理由があった。

 第一軍の兵力増強が行われたとき、その主たる擲弾兵戦力である第四軍団を何処に配置するかは、参謀たちの間でひとつの議論になった。

 このとき第一軍は、麾下の兵力をネニング平原の北から南までほぼ一直線に置く、兵力の整理整頓運動を始めている。

 これがなかなか困難な作業であった。

 文字で書けば容易いが、戦場は平坦ではない。平原といっても丘陵もあれば、河川も湖沼もある。そのような環境で、約二〇万という途方もない規模の軍の、整頓運動をやる。

 進み過ぎた隊がいれば下げ、遅れている隊は急がせる。

 そうして整えた、膨大な軍による「壁」で、エルフィンド軍に備え、自軍としては攻勢にも防禦にも移れるようにする。敵が中央を押してくれば、左右が進んで包囲する。左右にやってくれば中央が押す。そのような配置を作り上げる―――

 実にオルクセン軍らしい、気宇壮大な運動だ。

 しかもこれを、二月上旬のうちにやり遂げてしまおうというのである。

 軍の行動力そのものに加えて、通信手段による緊密な連携を要する。

 諸外国の観戦武官など、本当にそのような複雑な運動を短期間でやれるのかという、懐疑で見守った。しかし総軍作戦参謀グレーベン少将は、

「兵の練度。野戦電信、魔術通信。鉄道。その利用。これを支え得る兵站。いままで国軍を鍛えてきたのは何のためか。我が軍ならやれる」

 そう豪語し、実際この運動をやりきったときには、観戦武官たちはオルクセン軍の能力に驚嘆したものだが―――

 そのような状態下の第一軍に増強兵力として加えられることになった第四軍団は、いままで総軍予備兵力として本国のアーンバンドにいた。これをシルヴァン川渡河点、ファルマリア港、同港からの鉄道線という経路で動員するわけである。

 しかし鉄道を使って送り込むわけだから、軍団自身の脚による運動量は少なく、かつ機動力は大きい。一方、ファルマリアから順に北進した第一軍の既隷下各軍団は、言ってみれば徒歩で北上したわけだから、こちらの運動量は小さくしてやりたい。

 各軍団を南側から順に並べていって、最北端にあたる位置に第四軍団を置こうという意見がまず出された。

 反論があった。

 第四軍団はその通り本国にいたのだから、エルフィンドの地理地勢や環境に不慣れなままだ、既隷下軍団をこのまま北上させて北から順に並べ、第四軍団は南端に置こう、という構想である。

 ネニング平原に集結していたエルフィンド軍ネニング方面軍は、中央ほどその陣容が厚いらしいことはわかりかけていたから、ここには戦闘経験のある精鋭を置こうという腹積もりは両者一致していたので、第四軍団の配置選択肢に中央という意見は最初からなかった。

 北側配置案と南側配置案のどちらにも一長一短、双方ともに一理あり、紛糾した。

 北側に置くという結論が出たときには、いずれの案にせよ第四軍団配下に入れるつもりだった後備第一旅団はもうファルマリアからネニング平原東南端までやって来ていたから、親玉となるべき第四軍団自身より、ずっと早く配置予定域に到着できたのである。

 参謀たちは、後備兵力の戦力評価が低いことを承知のうえで、第四軍団本隊が到着するまでのあくまで一時的措置として、後備第一旅団を配置予定線の北端前縁に置くことにした。

 戦場域の端であるうえに鉄道線があったから、重要な箇所だ。ネニング平原東部北端の、リヴィル湖という比較的大きな湖の、畔縁にあたる。

 幸い、後備第一旅団の兵力は多い。後方警備のためあちこちに兵を配することが出来るよう、通常なら二個連隊で編成される旅団に、後備第一、第二、第四の三個擲弾兵連隊がいて、山砲一八門、野山砲一八門が所属している。軍本隊から独立して動くことを想定していた部隊だったから、自前の兵站組織もある。これを利用したのだ。

 つまりこのとき―――

 総軍司令部の軍用地図上は第四軍団の担当域にいる後備第一旅団は、実際には上級部隊たるべしとされ総軍との間の結束を担うはずの第四軍団を大きく欠いたまま、宙ぶらりんのように配置されていた。

 第四軍団司令部と、その隷下部隊の一部が到着してはいたが、まだまだ軍団主力はファルマリアの線にいる。

 若干、総軍司令部に油断の色があったことは否めない。

 開戦からの勝利の重なりがあり、危機に陥ったこともあるが双方の国力差により押し切ろうという堅実にして先方には抗いようのない大方針も既に決まっていて、また、ネニング平原のエルフィンド軍は言わば彼女たちの決戦兵力であるから軽々には動かないであろうというような気の緩みが、総軍司令部にはあった。

 また、このころ―――

 オルクセン軍にとってその耳目としての大きな役割を果たしてきた、大鷲軍団の活動が低下していた。

 ベレリアンド半島冬季における特徴である西側からの季節風がたいへん強くなる日があり、これにやはり冬季エルフィンド平野部での特徴である細雨、白煙のような風雪、霧といった天候条件が重なると、彼らは飛びたくとも飛べなかった。

 つまりこのとき第一軍は、前線兵力の配置整頓をやり切れていなかったうえに索敵能力が低下しており、敵の奇襲を誘引しやすい環境にあったわけだ。

 二月一三日、そのような状態で、後備第一擲弾兵旅団はエルフィンド軍一部のかな前進に遭ったのである。

 その第一報は、以下のようであった。

「本日午後一時ごろ、砲五門を有する敵歩騎兵一〇〇〇以上、我が防禦陣地前哨線に西方より迫り攻撃を受く。本隊、歩兵大隊二個砲二門を増援せしめたり」

 戦いの勃発当初に観測できた敵兵は、そう多くないようにも思える。

 ところが実際には、後備第一擲弾兵旅団に対し陸続として迫っていたエルフィンド軍兵力は約二万五〇〇〇、砲四四門。

 後備第一旅団の約三・六倍という、膨大な数であった―――



「・・・・・・」

 前哨陣地への増援派出に続き、僅かな参謀を伴い、自ら前哨陣地へと機微を確かめにきた後備擲弾兵第一旅団長ミヒャエル・ツヴェティケン少将は、刹那、茫然とした。

 彼が到着したときにはもう、西側には大地を埋め尽くすように思えたほどの敵兵力が展開を始めていたのだ。

 斥候や、威力偵察などといった規模には到底思えなかった。

 ―――えらいことになった。

 この少将は、胸のうちでこれが敵の本格的な攻撃であろうと即断した。

 そのようながしたのだ。

 ツヴェティケン少将は、年齢的には「ロザリンド会戦世代」である。そのときにはもう、近代軍制で言うところの少佐に相当する階級だった。フリントロック銃を備えた隊の指揮官として、なかなかに激しい指揮を執る、まるで猪武者のような奮戦をした。

 デュートネ戦争にも歩兵科の佐官として出征している。

 戦後になって、病を得て休職。その後、軍に復帰したもののしばしば持病の関節リウマチに苦しんだため、何度も休職。大佐で予備役になった。もうこれ以上、軍では御役に立てないだろうと自他ともに認めていたところに、この戦争が起こった。

 動員され少将へと昇進して、後備旅団を率いることになり、ベレリアンド半島へと送られ、ついには最前線に立っていた。

 つまりこの将軍、度重なる休職により出世こそしてこなかったが、軍歴の長さとしてはあのシュヴェーリン元帥やツィーテン上級大将らと、そう変わらない。

「儂はロザリンド会戦の生き残りだ」

 そのような言葉が、彼の誇りであった。

 少将級の者でこんな言葉が吐ける牡は、そうはいなかった。他は皆、中将や、大将以上になっている。

 彼の世代の、実戦経験のあるオルクセンの軍の将軍たちには、ひとつの共通する特徴があった。

 まだ通信手段が伝令しかなかったころから軍を率いていたためか、己自身から動いて末端まで見て回ることを厭わない、ということである。彼らよりずっと若い参謀将校たちなどにしてみれば、ときに腰が軽すぎるようにさえ思えたものだった。

 だが「ロザリンド世代」に言わせるならば、それが兵の士気を高め、維持をする。

 またそのような際に自らをして得られる観察―――例えば、兵たちの機微や、彼らがどのような不平不満を抱えておりどうすれば解消してやれるか、表現を変えるならこれ以上無茶をさせることができるかどうか。あるいは戦闘となれば敵の様子やその兵力推察、意図の洞察といった結果は、たいへん正確だった。

 このような経験に裏打ちされた行為こそが、アロイジウス・シュヴェーリン元帥などの言うところの「戦の匂いを嗅ぐことができる」、その一端なのかもしれない。

 後備第一擲弾兵旅団の兵たちにとって幸いだったのは、ツヴェティケン少将のような牡をその指揮官として迎えることが出来たことであろう。

 少将は、部隊が動員された直後から、ややもすれば及び腰になりがちな後備兵らに対し陣頭に立って指揮をとり、親身になって世話をし、自信を高めてやり、後方警備の任にあるうちもGew七一やヴィッセル砲といった新兵器への習熟訓練や戦術訓練を欠かさず、戦闘部隊としての能力をいつでも発揮できるようにしてきた。

 兵たちは見違えるほど立派になった。

 少将を慕い、その士気は高い。

 そんな後備第一擲弾兵旅団が、俄な敵の強襲を受けたのだ。

 ツヴェティケン少将は、ここでちょっと周囲を驚かせるような判断を下している。

「退こう」

 前哨陣地を丸ごと捨ててしまい、その後方にある、構築の整った本防禦線まで後退しようというのである。

 これはたいへんに大胆な行動だった。

 前哨陣地には、増援兵力を送り込んだばかりのところだ。

 これを采配した参謀たちは、まずは一戦、防禦戦闘をこの場でやるつもりの者ばかりで、それを当然のものと思っていた。

 だがツヴェティケン少将の判断は違っていた。

「これは威力偵察などではない。後ろからどんどん来るぞ。いっそ大胆に退いて、本防禦線で火力を集中しよう」

 彼はまるで動揺もせず、それを決めた。

 そうして夜を待って、前哨陣地の全てを放棄、もっと堅固な壕の掘ってある陣地へと移ったのである。

 ―――現役兵なら、留まる。

 だが儂らは、どれほど足掻いても後備じゃ。

 軽微なものといえる前哨陣地で、がっぷり四つに組んで大きな被害を出せば、いままで築き上げてきた兵たちの士気や自信は一瞬で崩壊してしまう。その動揺はたちまちのうちに全旅団に伝播してしまうじゃろう。 

 ならば、ここは退く。

 決して慌てさせず、整然と。

「儂が殿しんがりになって見ていてやるから、安心して退けぇ! 攻撃するときは大胆に、退くときは一気に、整然と! 自信を持て、儂らにはやれるぞぉ!」

 ツヴェティケン少将の判断は正しかった。

 このとき、未熟な者、緊張している者などには圧倒的にも思えた前面の敵兵力は、実はそれほど多くなかった。ただし後ろに多数の兵力を従えていた。

 戦場域における有視界下の軍隊は、実数よりずっと多く見えてしまったり、逆に過小な判断を下してしまいがちだ。

 少将はそれを正確に読んだ。

 彼らの正面に迫ってきた敵兵力は、牽制役のようなものだった。エルフィンド軍の主力は後備第一旅団の側面へと回り込んで、そのすべてを包囲下に置こうとしていた。

 このまま前哨陣地に彼らが留まっていた場合、正面展開した敵兵力と交戦しているうちに側面を突かれ、最悪の場合、旅団本隊と分断されてしまっていただろう。

 彼らはそのような罠に陥らなかった。

 エルフィンド軍側は前哨陣地がもぬけの殻になっていることに驚きはしたが、これを占領。オルクセン側の後衛戦闘を警戒しつつ、兵力の整頓と再前進を行うまでに、やや時間を要した。

 前哨陣地の後備兵たちはその空白をも利用して、整然と、かつ一気呵成に、そして大胆に退却し、本防禦陣地へと無傷で潜り込むことに成功した。



 報せを受けたオルクセン総軍司令部は、動揺した。

 過剰な自信の虚を突かれて、ツヴェティケン少将などより、よほど泡を食ったと言っていい。

 あのエーリッヒ・グレーベン少将でさえ例外ではなかった。

 彼が部下たちと短時間の協議のうえ、発しようとした命令の数々は、粗製のうえ乱発の気配があった。

 曰く、

「第一軍各部隊、本防禦陣地にて配置につけ」

 これはまるで意味を持っていない。

 もとより展開運動を終えた前線の各隊は交代で防禦陣地に着いていて、最初から「配置について」いる。

 攻撃に移るのか、防禦に徹するのか、命令を受ける側としてはその目的も曖昧だった。

 次に、第四軍団配置予定地域の更に南隣に位置していた第三軍団に対し、隷下の第一〇師団を後備第一旅団への救援へ派出できるよう、その準備を発令しようとした。

 これは一見、正しいように思える。

 先の配置命令と合わせ、要はグレーベンがやろうとしたのは、第一軍の戦線がリヴィル湖側から崩壊するのをまず先手を打って防ごうとしたのである。敵の攻勢を、全力を挙げたものだと想定していた。

「・・・ふむ」

 裁可を求められたカール・ヘルムート・ゼーベック総軍総参謀長は、この愛すべき部下に動揺の色を感じ取った。

 ゼーベックには、グレーベンのような作戦立案上の才はない。これは自覚してもいた。

 だが長年にわたってオルクセン軍の軍令機構に、兵站や調整の面で関わり続けてきた経験があり、自負もあり、そうしてこれらに裏打ちされた、他者を見る目があった。

 ―――こいつ、焦っているのではないか。

 あるいは、こちらが壮大な運動をやろうとしているのだから、敵もこれで対処してきたに違いないというような、思い込み。

 エルフィンド軍にそのような全面攻勢の構想があれば、ここに至るまでに前兆の幾らかでも観測できたはずではないか。オルクセン軍とはだいぶやり方が違うが、エルフィンドの白エルフとて飯は食う、弾は撃つ、死傷もする。

 自らが運動をして大会戦で起こすともなれば、これらに対処した準備をやらねばならず、そういった気配は、例え大鷲軍団の索敵能力が低下していたとしても隠蔽しきることは出来ず、感得できていたはずだ。

 ―――これは限定的かつ局所的な攻勢なのではないか。

 なぜそのような真似をエルフィンド軍が起こしたのかまではわからない。

 だが、ゼーベックにはそうとしか思えなかった。

「まずは第四軍団に救援令を発してはどうか?」

 ゼーベックは尋ねた。

 直接的に救援行動を起こさせるには、第三軍団の第一〇師団は遠きにすぎる、という指摘でもあった。

「・・・第四軍団は、まだその全てが到着してはおりません」

「だが、まるでいないというわけではないだろう?」

「・・・・・・」

「後備第一旅団のように、配下に加えるつもりだった部隊が別にもいる。そちらも既に現地にいるではないか」

「・・・・・・」

「まずは、これらを送り、後備第一旅団への増援及び救援に主眼を置いてはどうか。この攻撃に全軍が動くのは、私にはどうも過剰反応に思える」

「・・・はい」

 総軍司令部は、発動する命令の内容を変更した。

 既に配置予定位置に到着していた第四軍団司令部に対する、後備第一擲弾兵への救援命令。

 主体となる兵力は以下の通り。

 現地到着済み兵力のうち、第一五擲弾兵師団の擲弾兵第一七旅団の二個擲弾兵連隊、同第二九旅団の一個擲弾兵連隊のうち二個大隊、第一五騎兵連隊の一部、野戦重砲第一五旅団のうち野砲兵第二一連隊の一部。

 そして戦闘序列上は第四軍団麾下へと異動して、ネニング平原北端部で休養に入っていた、ゼーベックの言うところの「別部隊」―――アンファウグリア旅団である。



 後備第一擲弾兵旅団は、猛攻に晒されていた。

 接触及び前哨陣地放棄の翌日二月一三日には、エルフィンド軍東進兵力の主力に南側側面へと回り込まれ、包囲攻勢の形態下に陥っている。

 後備第一旅団には、二つの敵があった。

 一つは言うまでもなく、エルフィンド軍そのもの。

 より正確にいえば、エルフィンド北部から動員されていたアシリアンド軍という名の軍の一部で、そのまた指揮官の名をとってブリルウェン支隊と呼ばれていた約二万五〇〇〇である。

 いま一つは、自然環境だ。

 既にベレリアンド半島は厳冬期に入っていた。最低気温は摂氏〇度付近にまで下がり、ネニング平原の場合、これに猛烈な季節風が加わる。

 恨めしいことに天候が悪化して、積雪量こそ多くはなかったが、最大で約五センチ程度になる降雪も混じった。これが相まって猛烈な雪煙になった。

 体感温度としては峻厳な寒さである。

 ほんの僅かばかりの間、手袋を外してしまっただけで指先の感覚がなくなるかのようだった。軍用ブーツや、そのなかの靴下が濡れてしまえば、足指も同様である。

 兵士たちは本防禦陣地の塹壕のなかで寒気に震えつつ、交代で休み、警戒し、敵を迎え、撃った。

 エルフィンド軍は、不規則的に攻勢を惹起し、兵を迫らせ、砲を撃ってきた。その攻勢は臨機であり、応変であり、自在である。魔術探知を一個の兵のレベルで使えるためらしかった。

 視界が低下するなかでこれを迎え撃つと、後備兵たちには拭いきれない不安と恐怖が増した。

 感覚的にいえば、まるで何処から弾が飛んでくるかわからず、不意に激しく砲撃に遭うこともあり、それらの飛翔音は地獄からやってくるように思えたのだ。

 壕だけが頼りだった。

 それでもごく稀に、不幸にも直撃を受ける壕があって、掩体ごと崩れ、内部で砲弾が炸裂し、そこにいた兵が死傷した。壕の縁に命中した榴霰弾の弾子がそのまま飛び込んできて、将校の肩がまるごと砕かれるというようなこともあった。

 直撃はせずとも、近くに砲弾が着弾すれば凄まじい轟音と衝撃とがあり、舞い上がった雪混じりの土埃が、兵たちの背や肩に降り注ぐ。その恐怖は筆舌に尽くしがたい。

 疲労と、困憊と、死とが迫ってきて、兵たちの歯を鳴らせ、瞳を虚ろにさせた。

 一四日には、エルフィンド軍は東側にまで達したようであった。

 そちらからも攻撃に遭った。

 最東端にいた後備擲弾兵第四連隊が、猛烈に撃たれた。

 同時に第四軍団司令部との電信が切断されて、連絡が途絶えた。魔術通信や探知も使用不能に陥った。エルフィンド軍側が、魔術通信の妨害に出たのだ。とうぜん、補給も絶えることになり、手持ちの弾薬及び食糧、医薬品だけが頼みの綱となる。

 あくまで西側正面の防禦を主任務としていた後備第一旅団にとって、東側の後備第四連隊の担当区は事前の防禦陣地構築が不十分であった。彼らは迎撃を行いつつ壕を掘り、広げ、深めるという難事を同時に行わなけれなならなかったため、たいへんな苦闘をやることになってしまった。

 壕を掘ると一口に言っても、いかな強靭な体力のあるオーク族兵といえども、それは一瞬で行えることではない。

 円匙や十字鋤を使い、固い大地を掘り、雪解け水が混じりぬかるむ泥に足をとられ、ちかくに森があれば木の根に邪魔をされ、石が埋まっていれば呻きつつ己が両腕で排除する―――これを砲弾を浴び、銃弾の飛び交うなかでやるのだ。簡単なことではなかった。

 この戦闘における戦死傷者の多くが、第四連隊において生じた。

 後備第一旅団は、湖畔の村落を中心にして半円形に展開していたから、これ以上背後を突かれる心配がないことだけは安堵できたが、その陰には防支を行い続けた彼ら東端の兵たちの苛烈な努力があった。

 兵たちにとって頼りとなったのは、指揮官たるツヴェティケン少将だ。

 少将は、実に細部にまで配慮の行きとどいた指揮を執った。

 極力、前線の隊と予備隊とが交代して防禦に着けるようにし、温食を維持して、なかでもコーヒーの配布は継続させている。

 コーヒーの運搬容器を携えた兵が後方の野戦炊事馬車からこれを運び、交通壕を通って、前線の塹壕に到達して、兵たちに届け続けた。皆、飯盒の蓋や、私物のカップでこれを受け取り、含み、温かみに呻き、生命の根源的な歓喜と安堵を覚え、最後の一滴まで啜った。

 例え一瞬といえどもそこに現れる笑顔や安堵こそが、ツヴェティケンに言わせるなら「何よりも大切なもの」、兵たちに戦いを継続させ得る「何か」であった。

 少将は、これはおもに調達物資だったが、部隊が手持ちの酒類もみな配った。

 そうして、抱えている食糧から、スープに入れる肉類を多めにするよう指示をした。

 若い参謀たちは、備蓄の食糧を節約しなくていいのかと懸念したが、少将はお構いなしだった。

「参謀長、今日で戦闘が始まって何日になる?」

「三日でありますが」

「そう、三日だ。こんな戦闘は一〇日も二〇日も続きやせん。あちらの兵站が尽きる。味方もきっと来る。いまが踏ん張りどころじゃ」

 後備第一旅団の兵たちも、少将のこのような熟練した指揮に奮戦を以て応えた。

 弾を撃つことは、自らを安堵させる行為でもある。

 みな、姿の見えにくい敵兵に向かって懸命に撃った。

 配られた火酒やスープ、手持ちの酒類や、煙草といったものは、自発的に周囲と均等になるよう分け合った。

衛生兵ザーニー! 衛生兵、こっちだ!」

 負傷兵が出れば、庇い、連れ出し、衛生兵に託して後送し、包帯所や野戦病院はこれを懸命に治療した。

 後備第一旅団にとって救いとなったのは、彼らが陣取っていた箇所がネニング平原にとっての水源地のひとつであったリヴィル湖畔であったことである。

 水源であるということは、周囲より高さがある。一種の丘陵地であって、その頂点上付近に環状になるよう塹壕を掘っていた。このため、敵に対し俯瞰射撃をやれ、更にその内側にある自軍の砲兵陣地を隠匿できたのである。

 ヴィッセル砲が、頼みの綱であった。

 ―――オルクセン軍は、ヴィッセル砲で勝った。

 これはあのアルトリア攻囲戦におけるダリエンド・マルリアン大将の言葉であるが、この頼もしい火力は、リヴィル湖畔の戦いにおいても例外なくオルクセン軍を支え続けた。

 四日目。

「見ろ・・・!」

「太陽だ・・・!」

「太陽だ!」

 兵たちは歓声を上げた。

 天候が回復したのである。

 冬場には珍しい、太陽さえ見えた。

 皆、歓喜に震えた。

 彼らが、きっとやって来てくれるに違いないと思っていたものが、午前一〇時ごろに到着した。

 大鷲軍団である。

 合計して三個シュタッフェル、計一二羽が飛来した彼らは、敵兵の配置を探り、また間接砲兵射撃を援護しつつ、たいへんに大胆な真似をした。

 胴体の両側に、後備第一旅団で不足しているであろう医薬品を、それもエリクシエル剤が収まった木箱を二つずつほど括り付けた四羽がいて、旅団司令部の置かれた村に降り立って、これを補給したのだ。

 むろん、このような補給手段であるから、補充できた量は微々たるものである。

 だがそれは実態以上の心理的効果を持った。

 四羽のうち一羽から降り立ったコボルト飛行兵が、貴重な外部情報を齎してもくれた。

 エルフィンド軍の包囲具合。その兵力。

 そして、東側と東南側から友軍の救出部隊が指呼の距離まで迫っていること。

 東南側からは第一五師団の一部兵力。

 東側からはアンファウグリア旅団。あの勇名を馳せている、ダークエルフ族戦闘集団。

 どちらも解囲攻撃に入ろうとしていること。

 これらの報せは、ただちにツヴェティケン少将の機転によって全部隊に周知され、兵に歓呼の声と、無言の涙とを上げさせた。

 ―――やった・・・

 ―――これで生き残ることができる・・・

 ―――俺たちは見捨てられてなどいない!

「呼応して牽制攻撃に転移します。あちらの指揮官によろしくお伝え下さい」

 ツヴェティケン少将はこのとき、持病による痛みが出ていた。司令部としていた村会所の一室で臥してなお指揮を継続していた。

 それでも報せを受けると副官に支えられて立ち上がり、ずっと階級が下の、その編隊の指揮官羽に跨っていた小さなビーグル種の飛行兵に対し、体を温めるコーヒーを出してやりつつ、丁寧な口調で頼んだ。

「了解致しました! 大鷲軍団ローター・フルス編隊フロリアン・タウベルト一等兵、必ずやお伝えします!」



「右よりぃぃぃぃ撃てぇぇ!」

 アンファウグリア旅団の野砲大隊に属する七五ミリ野山砲一二門が、次々に火を吹いた。

 相手は、後備第一旅団を包囲していたエルフィンド軍の、東側の兵力である。

 エルフィンド軍は、魔術探知によりオルクセン軍救援兵力の来着を察知していたから、動揺するというほどの効果は発揮できなかった。

 むしろ防支に努め逆攻撃を図った彼女たちを動揺させたのは、下馬したアンファウグリア旅団第一騎兵連隊の猛烈な小銃射撃と、アンファウグリア旅団が持っている強烈な火力―――グラックストン機関砲による迎撃だった。

 この機関砲、後備第一旅団の装備には含まれていなかった。

 リヴィル湖畔の戦いの場に持ち込んだのは、アンファウグリア旅団である。

 それまでの攻撃にも被害はあったが、一挙に死傷者が増大した。

 東南側からは第一五師団の一部が迫ってもおり、エルフィンド軍は後退を始めた。

 それは整然とした後退であって、彼女たちの事前準備の入念さをオルクセン軍側に感得させた。

「これは迂闊に追えないな」

 丘陵のひとつに立ったディネルース・アンダリエル少将は直接エルフィンド軍の動きを観察して断じ、後備第一旅団との合流を優先させることにした。

 そもそもこのとき―――

 救援に赴いたアンファウグリア旅団もまた、たいへんな苦労をしていた。

 東部沿岸諸都市攻略戦において最先頭に立ち続けた彼女たちは、ようやくの休養に入っていたところであり、多くの舎営村落に分散していて、これを搔き集めてから西進したのだ。

 丘陵地ゆえに騎兵の行動には難渋したし、猟兵連隊などは悪路を必死に進んで辿り着いた。

 しかも冬季下の環境である。耳当てがなければ突耳がちぎれそうに思えるほど痛み、休止もそこそこに長距離を強行軍してきたため足裏には豆ができ、潰れていた。行軍そのものが、悪夢のようであった。

 そのような必死の救援諸部隊の働きもあり。

 翌五日、後備第一旅団の危機は去った。

 ディネルースは、ツヴェティケン少将の司令部へと最初に合流できた、救援部隊の将官である。

 途上、迎え入れる後備第一旅団の兵たちの様子に、感服した。

 泥だらけで、包帯を巻き、草臥れ、疲れきってはいた。だが整然と隊列を組んで、ディネルースに対し敬礼やサーベル、銃を捧げてくる隊ばかりであった。

 アンファウグリア旅団の騎兵たちは、歓呼の声を上げる後備第一旅団の兵たちにねだられるままに、たいへんな激闘を成し遂げた彼らへの敬意と、救援に成功した誇らしい気分とで、煙草や携行口糧の牛缶を投げ与えた。

 ―――後備第一旅団の兵たち、帰国を待ちわびる妻や子たちの多いこの不屈の兵たちは、リヴィル湖畔の戦いで約一四〇〇名が死傷した。



 報せを受けたオルクセン総軍司令部の参謀たちは、危機が去ったことに安堵しつつ、首をかしげていた。

 いったいなぜ、エルフィンド軍がこのような俄にして限定的な攻勢に出たのか、その理由が良くわからなかったのだ。

 エルフィンド軍は撤退に対し、進出した地点までの鉄道を破壊しながら後退したことが大鷲軍団による偵察でわかって、これが目的なのかと思えた。

 だが、それにしては大仰に過ぎる。

 かといって、ではオルクセン軍の兵力展開や自信過剰の虚を突いて全面攻勢に出ようとしたのかといえば、ゼーベック総参謀長などが指摘した通り、そうではない。解囲攻撃を押し返すほどの後続兵力は伴わず、連携する攻撃などもまるでなかった。

 こう言っては何だが、エルフィンド軍には残り乏しいはずの物資や兵力の無駄遣いにさえ思えた。

 ―――いったいなぜ。

 味方の士気を高めるためであるとか、継戦意思を自国民に示すためといった、言ってみれば政治的な意図から限定攻勢を行ったのではないかという話になった。

 ちょうどこのころ、オルクセン軍はオルクセン軍でそのような意図を持った局所的攻撃を、まるで別方面を舞台に立案しかかっていたためである。このような真似はあり得ないことではないと、推断を強めさせた。

 実際のところのその理由が判明するまでには、いましばらくの時間を要した。

 ―――そうしてそのときには、オルクセン軍を一大窮地へと陥れることになる。



(続)

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