第28話 おおいなる幻影⑦ アルトリア攻囲戦 下編①

 ―――星暦八七六年一一月二四日 ログレス・イラストレイテッド・ニュース紙報

 昨日両軍はエルフィンド南中央部の要衝、アルトリアで激突したりとの現地報。

 戦いは近郊のグラシルとビフレストで生起。

 両軍激しく撃ち合い、オルクセン軍には二〇〇〇名以上の死傷者ありという。恐ろしきは我が輸出兵器の猛威なり。

 現地指揮の某将軍曰く、エルフィンド軍ドゥアエリン将軍戦死。五〇〇名以上、虜囚としたり。また幾つかの大砲を得たりと。


 ―――同日 ログレス・タイム紙報

 外務省高官曰く、ベレリアンド戦争における我がキャメロット政府による休戦及び和平周旋の試みは、両国の戦意高く、とくにオルクセンにおいては過日の沿岸都市砲撃被害により国民の熱狂甚だしく、エルフィンドにおいてはここに至る事態への態度不鮮明にして、失敗裏に終わった模様。

各国厳正なる中立宣言下にあり、列国の仲介干渉はもはや不可能となりしや。


 ―――同日 オストゾンネ紙報

 昨日第三軍司令官アロイジウス・シュヴェーリン上級大将、発表して曰く。

 二三日朝九時、ロギンにて野営中の第三軍司令部より伝える。昨日より我が命により攻撃を開始した軍主力は、アルトリア西方にて布陣中の敵軍に対し猛攻を加え、本日早朝これを退けり。我が軍の一部は同要塞の北方連絡線を騎兵及び砲兵にて遮断、敵はついにこれによりアルトリアへと退却を始めた(ロギンはアルトリア南方六キロの村落)。


 ―――同二五日 イェーデンモーゲン紙報

 グスタフ王陛下におかれては、開戦より本日に至るまでに生じた敵軍二三〇〇の捕虜に対し、食糧など篤く遇し、配慮を示された。

また戦時において発生する捕虜については彼我両軍のことゆえ、賢明なるオルクセン国民は万国公法に基づき、深くこれに配慮すべしとの勅命を発せられたり。衣服や必要物資などを与える王の配慮は慈愛に満ち、慇懃である。またヴィルトシュバインにおいては在郷夫人らが捕虜移送列車を哀れに思いこれを慰問。麦酒、火酒、コーヒー、卵、紅茶、煙草を贈ったという。

まさに銃後の鑑ならん。


 ―――同二六日 外字紙オルクセン・クロニクル紙報

 エアハルトの造兵廠、ヴィッセルの工場。未曾有の活況下にあり。

 臨時職工となりしオーク族の者曰く、これほどの好景気は余九〇年の生涯にてついぞ知らずと。

また同様の動きは被服廠、革廠などにもあり。羅紗生地は言うに及ばず、青灰色染料も増産に次ぐ増産。

 将校被服向け繻子目羅紗需要は、軍将校会所、各地のテイラー、針子なども目の回る忙しさ。某将軍、将校向け被服尋常一二〇ラングなりしところ、今大戦役一生の晴れ舞台と特別念入りに六〇〇ラングにて仕立てりという。

 キャメロット本国ログレス羊毛取引市場にても、騰貴の値動きあり。


 ―――同二八日 イェーゲンモーゲン紙報

 国軍は某方面にて行動を開始せり。軍報道官曰く、軍は銃後国民の先導よろしきを以て敵軍に痛打を与えんがため一大発起前進せんとす。


 ―――同二九日 オストゾンネ紙報

 過日のアルトリア市郊外における大捷により地歩を得し我が国軍は、弾薬補給に努め昨日ついにアルトリア要塞本防禦線に大砲撃を開始せり。

 包囲歩兵一四万、投入砲兵二万を下らず、大小火砲八八〇門を数えたり。

 本日一日のみにて使用せし砲弾、一万八〇〇〇発余。

 敵軍これにより一大危急に陥り、死傷大多数なりと。

 攻撃開始に際し、第三軍シュヴェーリン将軍はグスタフ王陛下格別の思し召しにより敵将に対して降伏勧告を通知せしめたり。

 しかれども敵将マルリアン、軍使を公法に則り慇懃に迎えつつも謝絶、いまだ堅固に同地を守備し防支に努めたりと風聞あり。



 一一月二八日。

 あるいは、エルフィンド軍はアルトリア方面の方針として、完全に要塞に籠ってしまうのではなく、徹底して外殻線防禦に努めるべきだったのかもしれない。

 彼女たちは―――あの有能なダリエンド・マルリアン大将でさえ、近代兵器の恐ろしさ、わけてもオルクセン軍火砲の優秀さを、未だ皮膚感覚として理解しきれていなかった点は否めなかった。

 彼女たちが東西の野戦防禦陣地を引き払ったあと、オルクセン軍はすぐには要塞本防禦線への攻撃をしかけてこなかった。

 あちこちへ歩兵や騎兵による斥候を派出してきて、また大鷲軍団による空中偵察を行い、要塞砲の間合いを確かめながら、徐々に、慎重に、じっくりと包囲線を狭める運動をした。

 前哨戦とこの包囲線前進運動の過程で、まずアルトリアと首都方面の電信線、鉄道線が遮断された。オルクセン軍は砲撃により両者を吹き飛ばしてしまい、またビフレスト周辺へと進出した包囲線からこれを常時瞰制するに至った。

 いよいよ、本格的な籠城戦の始まりであると認められる―――

 マルリアン大将の司令部は、より食糧の節約に努め、また市内各所に要塞防禦線での戦闘による死傷に備え、包帯所や野戦病院を増設した。既存のそういった施設には、前哨戦での死傷者が約一万四〇〇〇名が生じてもいて、これを運び込んでいた。

 また、市中の戦時兵営にある武器庫を開いて、小銃四万三〇〇〇丁を市中徴募の国民義勇兵に新たに支給した。殆どが予備兵器として保管されていた旧式小銃で、メイフィールド・マルティニ小銃はない。

 弾丸の自給生産の試みも始められていた。市中の軽工業会社などを臨機の工廠として、鉛塊を溶かし、薬莢を自作し、黒色火薬を詰めて、俄づくりの銃弾を製作するようにした。

 以上のように、籠城戦の準備をより一層進めたのだが。

 すぐにでも要塞本防禦線に取り掛かってくるであろうと思われた敵は、まるで前進してこなかった。

 アルトリアから夜間密かに派出された偵察や、魔術通信による密偵情報によれば、どうやら長期間陣地を維持できるよう、防備を図り、近在の村落、農場、街を接収して、舎営宿営の準備を進めているという。

 ―――すると、持久戦か。

 守備側から見れば、厄介な戦法である。

 要塞を長期間取り囲み、疲弊を待ち、降伏を誘う。古来より存在する、だがそれゆえに確実で有効な戦術だった。要塞側としては、自ら解囲を図るか、友軍の援軍を待つくらいしか最終的には対抗策はなくなる。

「しかし、な・・・」

 どうにもマルリアンには、敵がそのような選択をするとは思えなかった。

 それをやるなら、前哨戦時から囲ってしまえばよかったのだ。

 持久戦にはデメリットもある。攻める側にすれば、あまりにも時間がかかる戦法なのである。

 例えばこのアルトリア要塞の備蓄食料でも、無理をすれば軍及び市民ともども二か月は持久できるのではないかと、マルリアンらは判断している。

 ―――オルクセン軍は、より攻勢的な方法を選んでくるのではないか。

 予感は、最悪のかたちで的中した。

 まず、敵後方の鉄道線で、多くの輸送列車が往復していることが感得された。偵察情報や望遠から、機関車の排煙が観測されたのだ。食糧輸送をやっているだけというには、あまりにも多くの編成が来着し、モーリア方面との往復を図っているようだった。

 敵が作り上げた末端兵站駅から、馬車が車列を成しているという情報もあった。あまり造りの大きな馬車ではないというが、そちらもまた数が多いらしい。

 もっとも奇妙であったのは、オルクセン軍第八軍団―――アルトリアから南に展開している敵軍防禦線やや後方で起きていた動きだ。

 鉄道線から、軽便鉄道による引き込み線が大量に作られていた。

 軌間が一メートルもない、鉱山や営林事業で使われるような、場合によっては手作業で貨車が押せるほどの小さな代物。これが極めて簡易的に据え付けられたという。古く、小さな、だがそれゆえに踏み固められて地盤の良好な農村道を一本使い、補修や改修もして、軌道路盤にしたらしい。

 そして何か巨大なものが運び込まれ、やぐら状の構造物が作られ、大勢の兵隊や輜重輸卒、補助輸卒がかき集められ、大規模な作業をやっている、と。

 いったい何なのだと悩んでいるうちに、その答えはアルトリア前哨戦から約一週間後、凶悪な姿となって正体を現した。

 ―――二八日、朝九時。

 あの前哨戦時のように、大鷲が舞い、オルクセン軍の戦線後方一四カ所に作られた砲撃陣地から、野山砲、野砲、重砲の類が一斉に火を吹き、要塞外縁の東西及び南方の各所にある堡塁や凹堡、凸堡に対し砲撃を始めた。

 オルクセン軍の戦法は、前哨戦時と同じだった。

 エルフィンド側の砲の射程外から発砲し、一方的な砲撃によってこちらを破壊しようとした。

 この砲撃は、弾数よりも精度に重点が置かれていて、緩慢だったが、それゆえに損害の点においてはより深刻である。一つ一つ虱潰しに、要塞外縁上の要塞砲を破壊していくような・・・

 用意周到で、計画性を感じられる砲撃だ。

 要塞砲による反撃が試みられたが、これは断念せざるを得なかった。

 アルトリア要塞の要塞砲で最大を誇るキャメロット製六四ポンド前装砲は、一発あたりの威力こそ大きかったが、射程は四二〇〇メートル。

 数のうえでは主力になっている二五ポンド前装砲も、射程は三六七〇メートル。

 弱ったことに、本気になったオルクセン軍の野戦砲群には、どれもこれも射程で劣っていた。

 敵軍にあってもっとも猛威を振るったのは、モーリア戦でも使われたオルクセン軍最新の火砲、ヴィッセル七五/H一二センチ榴弾砲L一〇だ。

 射程五六八〇メートル。

 弾丸重量二〇キログラム。

 七五ミリ野山砲級の砲弾が六キログラム前後、七キロまでであることを思うなら、その三発分ほどにも相当するほどの大重量弾を、しかも内部に大量の爆薬を詰めた例の檄爆榴弾で撃ってきた。

 オルクセン軍側に言わせるなら―――

 この砲の素晴らしいところは、対要塞戦用に開発されこれほどの威力を誇りながら、野戦砲として運用できることだ。重砲らと同じ輓馬六頭曳きで牽引でき、理想的には砲床材の設置を要するものの、つまり移動が容易である。

 この砲が三六門、一個の独立した砲集団になってアルトリアの戦場に持ち込まれていた。

 野戦重砲第一二旅団。

 これはこの戦場には第八軍団とともに運動してきた、軍直轄の砲兵部隊で、白銀作戦の計画段階から第三軍に配されていた、いってみればアルトリア要塞戦用に最初から戦闘序列されていた部隊だ。一部は、モーリア戦にも参加した。

 オルクセンには現有で一一個の戦時編成野戦軍団があり、それぞれに一個旅団の野戦重砲隊がいるが、開戦前、それらとはまったく別に新規部隊編制された旅団で、本来は対グロワールやアスカニア戦への備えとして作られた攻城担当部隊だった。

 配されている砲兵も、この砲の試験導入段階から携わっていた、砲兵学校の教官級や熟練兵を中心にした連中ばかりだ。

 第一軍にも、戦備増産された二四門の同砲を備えた野戦重砲第一三旅団がいて、ファルマリア港攻略戦に投入されていたが、部隊番号が一個新しいことからも分かるとおり、つまり全くの新規部隊で練度の点において第一二旅団には劣り、また門数においても第三軍側のほうが直轄砲兵の火力が大きいことがわかる。

 白銀作戦が、まだ第六号計画と呼ばれていたころの当初構想における対エルフィンド戦の主攻は第三軍で、この配置は当然のことだった。オルクセン軍はつまりそれほど対アルトリア戦の計画を戦前から弄り回していた。同方面最大の敵だと見なしていたのだ。

 野戦重砲第一二旅団は、軍上層部の期待に応えた。

 大鷲軍団の支援も受け、空中弾着観測による間接射撃を使い、アルトリア要塞南側の要塞砲を次々に破壊したのだ。

 改めて考えてみるなら。

 モーリア戦において最初に大鷲軍団との間接射撃を経験したのは、偶然の産物とはいえ、彼らだった。

 これは極めて有効な方法だと、報告書を記し、全軍に広めたのも野戦重砲第一二旅団である。

 オルクセン軍は、ひとつの戦闘を経験すると、必ずそこから何か改善策、改良点、反省点は無かったかと検討をやる。これは訓令戦術に代表される彼らの体質を背景とした、他国軍から見れば殆ど病的とも表現できる気質だ。

 その検討作業を、砲兵学校教官及び助教級の出身者が多かった野戦重砲第一二旅団は、極めて精緻に、徹底的に、それでいて現有の装備及び手段で無理なく行えるかたちで、報告書を上げた。

 午前中一杯をつかって繰り広げられた、緩慢だが巧妙な砲撃戦が終わると、アルトリア要塞西側すべてと南側半分の要塞砲は、ほぼ使いものにならなくなっていた。

 ―――いよいよ、敵兵が突っ込んでくる。

 オルクセン軍は、防禦線に取りついてくるに違いない。

 エルフィンド軍側はそのように推測した。

 ただし、対抗手段が無いわけではない。

 稜堡、斜堤などの要塞構造そのものは、極めて巨大に構築された土盛りに依るものだ。この基礎構造までは吹き飛ばされてなどいない。

 であるから、ここに歩兵を配し、野砲や山砲など火砲を持ち込めば、迫りくるオルクセン軍に対し十分に対抗できると考えられていた。要塞は大地に対し高さもあり、死角も無くすように出来ていて、俯瞰射撃が出来る。あの前哨戦時のように、押し返せるだろう―――

 損傷確認と配兵を急ごうとした幹部たちだったが、

「まあ待て」

 マルリアンは制した。

 が始まる頃合いだ、慌てるなと彼女は言った。

 彼女が言うところの「いつものやつ」とは、オルクセン軍の配食だ。

 滞陣した彼らは、昼食を念入りにした。

 温かくたっぷりとしたスープをこしらえ、昼食を摂り、そのまま哨兵配置についた者以外の殆どは昼寝に入る。

 ここしばらく、その様子がアルトリア要塞側からも偵知できていた。

 炊事の煙。

 配食に走る兵や、馬車。

 おまけに風のある日は、ふいごのような、地響きかと誤解するような、大量の鼾まで聞こえてきた。

 毎日、昼の約一時間。

 オルクセン軍は休止する。

 そして、これはこの日も実際その通りになった。

「まったく。なんという軍隊なのでしょうな」

 参謀のひとりが、呆れ気味に呟いた。

「そうか? なかなかに効率的ではあるのではないかな。こちらも助かる」

 マルリアンはくすくすと笑った。

「うちも昼飯を済ませておけ。休めるうちに休めと」

 アルトリア要塞のエルフィンド軍は。

 マルリアンの指示で、ここ最近になってオルクセン軍のやり方を見習うようになった。

 昼寝までは流石にやらないが、備蓄食糧をやりくりしつつ、街の者たちも使って昼食を調理させ、極力、兵たちに朝焼き上げたライ麦パンや、例え相手より具材は少なくとも温かいスープなどを供給するよう努めていた。

 それを行ってみると、なるほど、目に見えて士気が維持できた。

 備蓄食料や、市中にあるキャメロット式の石炭ガス供給用石炭、薪などの燃料を無駄にするのではないかと懸念する参謀たちもいたが、いずれにしても兵たちには給食を要する。一日あたりの材料の範囲なら、同じことだ。

「それに。休めるのは、いまのうちだろう。午後になれば、攻めてくる」



 マルリアン大将の予想は、残念ながら外れた。

 午後に入ってからのオルクセン軍が行ったのは、またすることだった。

 そうして、その行動の対象をこそが、彼女たちを驚かせた。

 おもに西側と南側で、し始めたのだ。

 外縁部に近い区画だったが、どうやら誤射などではなく、明らかにアルトリア市街そのものをを対象にしていた。

 容赦も呵責もなかった。

 住居が吹き飛び、会所が崩れ、商業庫が炎上した。

 要塞外縁にちかい建物の多くは、臨機の兵待機所にもなっていたから、彼女たちや住民たちは悲鳴を上げ、恐怖し、逃げまどった。

 この砲撃もまた丹念で、迅速さよりも精度を重視しており、数に頼った短時間の猛砲撃などよりも、むしろ執拗さと計画性が感じられ、弱ったことに効果抜群であることは認めざるを得ない。

 射程の面からか、午後の砲撃は重砲や榴弾砲が中心になっている。

 この凄惨な砲撃は、日没まで続いた。

「奴ら、なんてことをしやがる!」

 オルクセン軍については評価する面も多かったマルリアン大将でさえ、激怒した。

 だがそのオルクセン軍の意図を真に理解するには、この熟練した将をして翌日になった。

 この時点では彼女とその幕僚たちはまだ、これは翌朝になって発起される攻勢への準備射撃、擾乱射撃に近いものだろうと推測、判断していたのだ。

 消火や、瓦礫の片づけ、負傷者の救助などを行わせた。

 ―――しかし、翌二九日朝。

 重砲群が

 しかもその着弾は、前日より市中心部へと迫っている。

 どうも夜間になってから、オルクセン軍は重砲陣地を前進させたらしい。

 彼らはその安全を図るために、要塞砲を破壊したようなのだと理解できたが―――

 この事実は、マルリアン大将以下軍幹部と、市民たちを震撼させ、恐怖させ、愕然とさせた。

 ―――どうしてのだ。

 この事実であった。

 彼女たちはこの段階になって、本当に、心の底から、皮膚感覚としてまで、どうやら思っていた以上にオルクセン軍火砲の射程が長いことを理解した。

 そうして実感として圧し掛かってきたのは。

 アルトリア要塞は、もはや近代兵器を前に、という事実だった。

 オルクセン軍側にとっては、何をいまさら、といったところである。

 星欧先進諸国にとって稜堡式要塞とは、もはや完全に時代遅れの代物なのだ。

 理由は、この近年になって急速に、まったく呆れてしまうほど急速に発達した火砲にある。

 二星紀ほど前に生まれた稜堡式築城要塞は、当時の銃火器、火砲を想定して発展したものだ。あくまでその当時の火器の射程や能力を前提としていて、それはそれでたいへん緻密で学術的に出来上がった、一種の芸術品とも評せる軍事技術だったのだが。

 この防禦体制の仕組みにとって、いちばんの支えとなっていたものは、極論から言ってしまえば、街の外縁へと当時としては広大に伸ばした要塞線が敵火砲の射程を殺してしまい、街そのものは戦闘被害から守り得た、という点にある。

 ところがここに至るまでに急速発展した近代火砲は、直接照準の範囲を超えてしまうほど射程が伸びた。ヴィッセル火砲にとってひとつの基準といえる射程五キロといえば、もはや地平線にまで到達してしまう。この射程を最大限発揮できたなら、稜堡式で作られた要塞の防禦範囲は問題にならなかった。

 アルトリア要塞の大きさは、南北約六キロ、東西約一六キロ。

 稜堡式要塞としては決して他国のものにも劣らない、むしろ大きな規模だったが、南北六キロといえば、地形その他を考慮していないたいへん乱暴な計算になるが、外縁付近からはそのほぼ全てが近代火砲の射程範囲に収まってしまうことになる。

 市街地そのものは、まるで無防備でもある。

 アルトリアの場合、要塞稜堡の構造そのものも良くなかった。

 近代戦の砲撃に耐え得るようにするなら、稜堡のうえに防禦防衛上の屋根とでも表現するとわかりやすい掩体を分厚く設けて火砲や兵を収めてしまわなければ、この戦いで起こったように敵砲火によりこれを容易に破壊、死傷させられてしまう。

 これらの問題を解決するために生み出され、このころには一部各国が築造するまでに至っていたのが、ベトンや煉瓦を用い、兵や砲を内部に収めることが出来るようにし、防禦施設そのものが半ば地下に潜ったようになり、縦深をもった外郭線まで備えるのが理想的とされた近代要塞であり―――オルクセン軍の一二センチ榴弾砲など、その近代要塞を相手にするために生まれた代物である。

 稜堡式要塞を撃つなど、オーク族風に評すれば「鶏を調理するのに牛スープ用鍋を使う」状態といえた。

 もっとも、エルフィンド軍側を擁護もできる。

 ヴィッセル砲は列国のなかでもとびきり性能の良い火砲であり、この性能を真に発揮するには観測点を前進、もしくは高所に上げた間接射撃が必要だ。弾道計算だけでこれを行う方法もあったが、それはいわゆる盲目射撃で、どれほどの被害を与えたのか確認はできない。

 間接射撃法自体は既に生まれ、各国にもあったが、その運用はまだまだ限定的だった。

 そこにオルクセン軍が持ち込んでしまったのが、大鷲族による空中偵察と、弾着観測、そして魔術通信による緊密な連絡と連携。

 このような方法は、ようやく実用的な代物が作れるようになっていた気球でも用いない限り、またこの気球との間に有効な通信連絡手段を乗せられない限り、人間族の軍隊にさえ不可能である。

 アルトリア戦の場合、人間族の軍隊が同じ真似をしようとした場合、仮にヴィッセル砲をそっくりそのまま与えても、ちかくにアルトリアの全てを俯瞰できるほどの山でもあり、ここに電信線や発光信号器を配置しなければ実行不能であっただろう。

 つまりオルクセン軍は、おそらく世界で初めて、完全に間接射撃を行えるようになった軍隊だった。

 マルリアン将軍は、そんなものを相手にしなければならなかった。想像の範囲を超えてしまっていたとしても、これは彼女やその幕僚たちにとって罪ではない。

 しかも―――

 恐ろしいことにオルクセン軍は、以前述べた通り、この砲撃に主力として用いた一二センチ榴弾砲でさえ、開発目的であるベトン製の要塞を相手にするには威力不足だろうと既に戦前から考えていた。

 野戦運用できるかどうかに拘って設計したあまり、野戦重砲としてはともかく、攻城砲としてはまだまだ威力が足りない、と。

 彼らはその解決策として生み出した代物を、この戦場に持ち込もうとしていた。

 「」は当初の攻撃計画予定にはなかった。

 だが、エルフィンド軍の遅延戦闘や、前哨戦であまりにも将兵の被害が出たことにより、を呼び寄せた。

「これ以上兵を突っ込ませるな。砲弾を叩き込め!」

 第三軍司令官アロイジウス・シュヴェーリン上級大将がそのように叫び、ギュンター・ブルーメンタール参謀長以下幕僚たちがこれを実現すべく、総軍司令部に対し強硬なまでに主張し、総軍司令部の裁可を得て投入が決まった。

 このためその代物は、二八日の攻撃実施には間に合わず、翌二九日の砲撃になって参加を始めた。

 オルクセン軍内においてさえ、一種の、怪物とも称することのできる存在だと捉えられていたような代物。

 マルリアン大将と彼女の幕僚たちは、その怪物が放つ最初の一弾を、耳にしている。

「・・・なんだ、これは!?」

 まるで急行列車が頭上を通過していく、それを高架の真下で聞かされたような飛翔音だった。

 重々しく、天から迫り、着弾した。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 誰しもが、マルリアン大将までもが、そのあまりの威力に言葉を失った。

 公会堂がひとつ、つまり建物としてはかなり規模の大きなものが、たった一発で全壊した。爆発し、四散し、崩れ落ちた。このとき用いられたのはあの高爆発性榴弾を更に巨大化したもので、かろうじて耐えた一面を除いて壁すら残らなかった。

 ―――ヴィッセル七五/H二八センチ攻城重砲L一二。

 うんと仰角をつけられるように砲架が出来ていたから、山なりに弾を飛ばせ、榴弾砲の一種だと言えた。

 砲身から砲架、砲床まで含めた総重量は約五〇トン。

 砲口径は文字通り二八センチ。

 一二口径。砲身長、三・三九メートル。

 砲弾一発の重さは、榴弾で二一五キログラム、ほぼ全てが鉄で出来た対べトン貫通用の堅鉄弾で三一四キログラム。

 射程は、八〇〇〇メートルを超え、この極初期生産型でさえ九〇〇〇メートル近かった。

 当然、こんな代物だからもはや砲車に乗せて運んだり撃ったりは出来ない。特別仕立ての軍隊列車を使って分解輸送され、末端兵站駅で起重機を使って降ろされて、運搬用台車を使い、呆れるほどの兵たちを投入して牽引されて展開した。

 鉄製砲床は三分割出来るようにできており、現地での組み立て方式。砲架も同様。

 その横に櫓状の起重機を組んで砲身を据え付けた。

 砲弾は、軽便鉄道による輸送。

 その砲弾は、砲架にある腕力歯車式起重機で持ち上げて装填する。

 砲弾の火薬は現地挿入、着発信管も現地取り付け。

 反動があまりにも強かったから、それそのものが巨大に仕上がった反動吸収ための機構、駐退器を備えていた。空気式。一部はグリセリン使用。

 これほど膨大な準備作業が必要であるので、設置は全て上手くいった場合で三日を要した。むろん、砲を構成する部材そのものの輸送期間や、軽便鉄道などの設置期間は除く。

 この戦場には六門が持ち込まれたが、二九日の砲撃開始時に組み上がったのはうち三門で、残り三門の完成は翌日以降になった。

 実はオルクセン軍には、これほど面倒な作業を要しない別の攻城兵器、二一センチ列車砲もあったのだが、この戦場には使われなかった。無理矢理に改修したアルトリア方面の軌道耐荷重では砲撃姿勢に耐えられないと判断されたからだった。

「目標ぉぉぉう、アルトリア市街! 弾種、榴弾!」

 この怪物砲の運用部隊、第一攻城重砲旅団長の号令のもと、巨大極まる砲弾が装填され、オークの半身ほどもある転把が幾つも操作され、怪物が鎌首をもたげるよう砲床が回転し、砲身が蠢き、発射を繰り返す―――

 発砲する瞬間には、反動吸収の動きと、土埃を舞い上げるほどのあまりの衝撃のため砲架台上の砲兵四名は退避をする。拉縄りゅうじょうという、発射のための縄をうんと遠くまで引っ張っていって、係の兵が引く。

 命中した箇所は、まるで休火山が目覚め、噴火を始めたかのように見えたほどだった。

 アルトリア包囲線の東方を担当していた第七軍団司令官のコンラート・ラング大将など、自身の司令部を置いた丘からこの着弾の噴煙を望見し、

「ばけもの大砲か! 一昨年の演習で機動試験したやつだな! ありゃぁ凄ぇ!」

 などと、驚嘆と喜悦の声を上げた。

 大鷲軍団が、この弾着結果を観測して知らせた。

「ただいまの弾着、敵大型建築物! 続けての弾着、大噴水! 続けて工場らしきもの、吹き飛ぶ!」

 何しろ物が物だったから、装填動作にも手間がかかり、その発射速度は決して早くはなかったものの、発射と着弾のたびに命中箇所を着実に破壊した。

 オルクセン側には、市内の構造全てまでは把握しきれなかったから、重砲隊ともども、アルトリア市を軍用地図上で格子状に区切り、一区画ごと潰していく、という砲撃方法を採った。

 この、対グロワールやアスカニア戦用の決戦兵器として造られた攻城重砲は、オルクセン国軍参謀本部に言わせるなら、これほどの威力を誇りながら、極めて安上がりに、かつ短期間に完成した兵器である。

 元々は、いまから一〇年ほど前、海軍のレーヴェ型装甲艦に使う主砲として設計された砲だったのだ。

 これがよく出来た砲だというので、さほど間を開けることなく、陸軍も沿岸要塞砲に採用した。

 約九〇門作って、北海沿岸部の砲台に海防の要として配した。

 基本的には、この要塞砲をそのまま攻城砲として運用できるよう、固定コンクリート式だった砲床材を鋼製組み立て式とし、操砲台や装填架、装填用起重機付きの巨大砲架も分解組み立て式に変えたものが、二八センチ攻城重砲というわけだ。

 砲身は、沿岸砲の予備用に作られたものを転用している。既に射法や砲そのものの運用法は確立されていたから、試験期間も極めて短かった。

 第三軍従軍の各国観戦武官たちは、許可を得て、その砲撃陣地を挙って見分した。

 恐怖と、驚愕と、興味とを以て見守った。

 とくに関心を示したのはエトルリア王国の砲術士官たちで、彼らは本国へ向けてこの砲の輸入採用を熱心に勧めた。攻城砲としてではなく、星欧南方の地裂海に三周を囲まれた半島国家エトルリアにとって、沿岸防備砲として最適であるとしたのだ。

 彼らは既にオルクセンと兵器の取引実績もあり、ヴィッセル式野砲を青銅製化したものを導入済みだった。

 のち、二八センチ砲についてもオルクセンから製造権を買い、技術指導を仰ぎ、構造材を自国のまだまだ乏しい工業能力でも生産できるよう銑鉄製に変え、多少短砲身化したものを導入した。

 そしてこの火砲は巡り巡って、やがてずっと遠く道洋の新興近代国家にも採用されることになる―――



(続)

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