第27話 おおいなる幻影⑥ アルトリア攻囲戦 中編

 星暦八七六年一一月二二日。

 オルクセン陸軍第三軍とエルフィンド陸軍アルトカレ軍の大規模衝突が始まった。

 例えてみるなら。

 アルトリア方面全体を眺めた場合、オルクセン軍は、その巨体を使ってまずは左フック。

 エルフィンド軍は、両腕をもちいこれを食い止めようとした―――

 そんな戦いだった。

 アルトリア攻囲戦の本格的前哨戦としてその一部であるとも言えたし、この戦闘部分を別にして「アルトリアの戦い」、もしくは主戦場域となった地名を採って「ビフレスト・グラシルの戦い」と呼ぶ。

 おおむね、アルトリアの西方付近、五キロから二キロのあたりで行われた。

 オルクセン軍は、北から順に、第二軍団の第二擲弾兵師団、第一五擲弾兵師団。これに第二野戦重砲旅団と、第二騎兵旅団。第九軍団の第二九師団と第二八師団。第九野戦重砲旅団。総勢約八万二千。

 エルフィンド軍は、アルトカレ軍の主力約一〇万。

 つまりこの戦場、エルフィンド軍のほうが兵力数において勝っている。

 地勢地形に長けていたのもエルフィンド軍なら、彼女たちはここに至るまでの約二週間を使って野戦防禦陣地の築城にも努めていた。

 この地方の民家は堅固な石造りで、大規模農家などは背の高い石塀や煉瓦作り漆喰仕上げの塀を周囲に持っていたから、これらを利用して小規模な砦が無数に存在するかのように整え、とくにそれは街道沿い、交差点沿いで入念であり、野にあっては起伏や灌漑路、土盛り、堡籃を組み合わせた壕や胸壁を用意。

 ここに歩兵を配し、そのやや後方に一六ポンド野砲、七ポンド山砲を装備した砲兵隊を置いた。合計三〇〇門弱。

 オルクセン軍は、このエルフィンド軍防禦陣地北側の背後にあるアルトリア北西部の交差点を欲した。同地を管制すれば、アルトリアの北側―――つまりエルフィンド首都方面との連結を遮断できる。またこの防禦陣地全体を取り払ってしまわないと、アルトリア要塞の西側正面には取りつけない。

 エルフィンド軍は、この動きを当然阻止しようとする。北側を守ろうと、翼をやや深く進出させて伸ばしていたし、防禦陣地全体の要となる中央部で、むしろ攻勢に出ようとした。

 つまりこのアルトリア西方戦線の両軍は、互いに一歩も引かず、両軍ともから強烈な打撃を繰り出し、殴りかかった。

 この両者の地名が、北がビフレスト、中央部がグラシル、というわけである。

 日の出、午前八時三〇分。

 気温、摂氏二度。

 西の風約二メーター、天候は冬季のベレリアンド半島らしく、低く垂れこめた曇り。

 この前夜から、オルクセン軍側の攻撃発起点への展開と攻勢発起準備の気配は感得されていたから、エルフィンド軍側では既に臨戦態勢。

 オルクセン軍各師団では、師団に対し二個ある製パン中隊が未明からパンを焼いた。連隊に大型のものが二両、大隊に軽量型が二両ある野戦炊事馬車はコーヒーを沸かす。本来のオルクセン軍朝食給養はこの二品で終わりだが、戦場特配でこのときは各自に一本、大きなサラミが出た。

 これらは夜明け前を目指して各隊に配布され、また兵たちはこれとは別に一日分の携行口糧を携帯させられた。乾パンと、牛肉缶詰。手早く朝食を済ませたあと、オーク族兵たちのパン用雑嚢「パン籠」と背嚢は、大きく膨らんだ。

 エルフィンド軍側では―――

 そのようなオルクセン軍側の動きが炊事の煙などから早くから偵知されて、やや、驚いた。

「あいつら、戦闘に入るときまでパンを焼くのか・・・!」

 嘲笑であり、侮蔑であって、羨望でもあった。

 エルフィンド軍側が緑色上衣に黒色軍跨という軍装に携えているのは、穀類の水気を徹底的に排し、焼き固めた、四角く、分厚い、掌ほどのサイズの、エルフィンド軍独特のビスケット状の携行口糧と、缶詰。これに水筒の水。この寒い戦場に温かいものはない。

 もっとも、これはやや誤解含みの理解だった。オルクセン軍側とて、激戦となれば携行口糧のみになる。

 エルフィンド軍側には、少しばかり別の戸惑いもあった。

 彼女たちの軍教令からすると、オルクセン軍のとった間合いはやや遠い。軍隊を身体に例え感覚的に表現すると、「一歩か、少なくとも半歩遠くにいる」状態だった。

 これでは双方、砲も弾も届かないだろう。

「あれで攻撃するつもりかね? 」

 そんな嘲りを示す兵もいた。

 攻勢に出るというのなら、オルクセンの兵隊たちは開進のうえ、突撃躍進を起こさねばならない。距離が遠ければ、当然ながら躍進距離も増える。その間に運動量も被弾も増え、むしろこちらに有利なのではないか―――

 そのような含意だったが、古くから軍にいる将兵などは楽観的な空気を諫めた。

「あいつら、突っ込んでくるときはまるで津波だと聞くぞ?」

「その津波、ロザリンドで潰されたんだろ?」

 誰かが混ぜっ返し、そうだ、そのとおり、などと失笑が起きた。

 ―――午前九時。

 モーリアから夜明けとともに出撃した大鷲軍団の三個シュタッヘルが、彼女たちの西方上空に現れた。

 魔術通信を飛ばしはじめたため、すぐに気づく者たちが現れる。

 陣地内に、ちょっとした焦りの色。

「届かんぞ、あれは」

「畜生、もっと寄ってこい! 落としてやるのに!」

 何かが始まろうとしている。

 そんな気配があり、鼓動の高鳴りと、荒くなる吐息と、緊張の色の上昇が広がる。

 ―――何を企んでいるんだ?

 突如、遠雷のような響きが幾つもあり、重く、背筋も凍るような飛翔音が続く。

 着弾。

 霰弾だ。

 遠、遠、遠、近、近、近。

 明らかに師団規模以上で発砲している着弾があちこちで起こった。

 砲の試射だ。

 野砲級。

 命中したものはない。

 だがエルフィンド軍側では、多くの将兵が呆気にとられた。

 五〇〇〇とまでは言わない。

 だが、オルクセン軍側の野砲陣地とは距離四〇〇〇は離れている。

「ば、馬鹿な・・・」

 ―――届くわけがない!

 うちの野砲は最大射程で三〇〇〇だぞ・・・

 だいたい、どうやって弾着観測しているんだ。

 砲兵観測班など、どこにも見えない。

 再び発砲音。

 遠、近、遠、近、遠、近。

 精度が上がっていた。

 つまり、この砲撃は偶然などではない。

「・・・・・・・」

 誰もが茫然とした。

 三度目の発砲音。

 まだ外しているものもあったが、命中弾を浴びて白煙と轟音を上げる農家転用陣地や堡籃陣地が現れた。

「・・・大鷲だ! 奴らが観測してやがるんだ!」

「それにしたってこの距離! 届くのかよ!」

「奴らの砲は、それだけの性能をしているってことだろうよ!」

「ちっきしょう!」

 このとき彼女たちは、まだ気づいていなかった。

 ことを。

 効力射が始まった。

 轟音、飛翔音、衝撃。

 信じられない数だった。 

 どれもこれもが、榴霰弾。

 ただしこのときは、もっとも効果のあるかたち、空中炸裂ではなく地上で炸裂する着発だった。

 だがそれでも重大な脅威だ。着発と同時に周囲に巻き散るのは、一二六個の亜鉛製弾子。それがまるで盛大な着弾音を立てて、地面に、壕に、不幸にも真下にいた兵たちを襲う。

「伏せろ、伏せろ!」

「ひ、ひぃ・・・」

「――――――!」

 知的生命体というものは、例えどれほど沈着冷静に予測を立てたつもりでも、その想定範囲は何処か己たちの能力を基準にしてしまうところがある。

 エルフィンド軍主力野砲キャメロット製一六ポンド前装式野砲、最大射程メートル。

 オルクセン軍主力野砲ヴィッセル社製七五ミリ野山砲、最大射程メートル。

 同主力野戦重砲ヴィッセル社製一二センチ加農砲、最大射程メートル。

 同野戦重砲ヴィッセル社製一五センチ加農砲、最大射程メートル。

 オルクセン軍は、まだ間接射撃の精度に自信を持てない者も多く、流石にこのとき最大射程では撃っていない。

 野山砲級で、概ね三七〇〇メートルから四〇〇〇メートルの範囲で撃った。

 また、何もかもが満足ともいかず、本当は空中炸裂させたかった榴霰弾も、曳火信管の曳火時間から複動信管の着発側を選択せざる得なかった。

 このころ砲弾に使用されていた一〇秒曳火信管を用いると、発射から炸裂までの最大設定秒数上、砲の射程全てを発揮できず、野山砲で三六七〇メートルの射距離までが限界だったためだ。

 だがエルフィンド軍将兵の大多数の者にとって、この火力は想像の枠を超えた代物だった。

 火砲の性能も優れていたうえに、その数が多く、濃密である。

 オルクセン陸軍の、もっとも編制が整ったかたちの、A型編制と呼ばれる擲弾兵師団一個が持つ七五ミリ砲以上の火砲は、各擲弾兵連隊に七五ミリ野山砲が六門で計二四門、砲兵連隊に七五ミリ野砲が三六門、八七ミリ重野砲が一二門、合計七二門。

 これよりやや劣るB型編制擲弾兵師団で、七五ミリ野山砲二四門、七五ミリ野砲二四門の四八門。

 山砲編成を採る、山岳猟兵師団でも、七五ミリ野山砲が三六門。

 これらの師団二個から成る各軍団に、一個付属する標準的な軍団直轄重砲旅団が、一二センチ加農砲二四門、一五センチ加農砲一二門。計三六門。

 そんな怪物のような連中が、北から南にかけ、約一四キロに布陣していた。

 合計三一二門。このときまだ射撃を行っていない五七ミリ山砲九六門を含めれば、このアルトリア西方のみで四〇八門。

 対峙するエルフィンド軍側が総数三〇〇門弱であるから、約一・四倍。

 一キロあたり約二九門。七五ミリ級以上だけでも、二二門。

 堅固な目標だとオルクセン軍が判断したもの、つまり砦化した農家などには、榴弾が降り注いだ。

 七五ミリ野砲用の榴弾は、復肉環層榴弾と呼ばれる代物で、砲弾の箍となり、かつ着弾時には周囲に弾片となって四散する弾殻表面の帯環が二つある。弾丸重量五・八四キログラム。内部に七二三グラムの炸薬が詰まっている。これを着発信管で撃った。

 距離にもよるが、着弾すると、深さ〇・四から一・五メートル、幅〇・四から二・九メートルの、漏斗状の爆発孔を大地にさえ生じさせる威力があった。

 こんな代物を山なりに叩き込まれた農家は、奇怪な姿になる。

 屋根が抜け落ち、爆発し、ときには火災を生じ、家財や木製構造物が燃え、やがてそこにはボロボロとなった壁だけが周囲に残った、何か巨大な怪物の抜け殻のような姿だ。

 下手をすると、ぱっと望見したところはまるで往時と変化がない。だが扉を―――そんなものが残っていたとして扉を開けると、屋根もなく、床もなく、内部は瓦礫ばかりが満ちている。

 これは近代戦下において異常なまでに急速に発達した兵器の威力を示すものであったし、一方で石材や漆喰材などといったものをしっかりと用いた家屋とは丸ごと吹き飛んでしまうほど脆くないという、その意外な堅固さを示すものでもある。

 当然ながら―――

 内部に兵がいれば、狙撃してやろうと屋根裏部屋にいた兵や、息を潜めて窓から敵陣を待ち構えていた兵ごと崩れ落ちるような光景があった一方で、抜け落ちた壁や床を目の前に茫然としながらも、まるで無傷に生き残る兵もいた。

 オルクセン軍はこのような砲撃―――攻撃準備射撃を、試射開始から含めて約二〇分続けた。

 ―――たったの二〇分。

 などと思えるかもしれない。

 しかしその砲弾総数、一万六八四八発。

 これはあのモーリア戦の、約五回分だ。

「――――――!」

「――――――――――!」

「―――!」

 壕の底や農家転用砦の片隅などで、無数のエルフィンド兵が叫び、悲鳴を上げ、しかしそれらはもはやどのような言葉なのか当事者自身にすら分からず、伏し隠れた背に埃が降り注ぎ、大地が鳴動し、空気が震えた。

 誰かが直撃を受け、また誰かが吹き飛び、その隣で、腕や足を永久に失う者がでる―――

 高性能極まるヴィッセル砲と、大鷲軍団による空中弾着観測、魔術通信を手段とした即時性のある通信連絡を組み合わせた間接射撃、これを複数軍団規模で全面採用した大規模実戦投入の、最初の戦闘にエルフィンド軍は晒された。

 紛れもない、近代戦の洗礼である。



 信じられないことだが。

 これほどの砲弾を撃ち込まれても、軍隊というものは生き残る。

 むしろそちらのほうが数のうえでは多い。

 壕や、遮蔽物の陰にあるという効果は、それほどのものになる。

 無限にも思えたオルクセン軍の攻勢準備射撃が終わったあと、殷々と空気が震え、鼓膜がもとへと戻り、自我が蘇ると―――

 起きろ、起きろと叫ぶ下士官。

 損害を把握しようとする将校。

 埃を払い、銃を握りしめる兵。

 そんな光景があちこちで繰り返され、それまで一個の生物に戻り、悲鳴を上げ、伏し隠れていたばかりの者たちが、集団としての軍隊の姿へと復旧していく。

 傷ついた兵を助け起こす者、駆ける衛生兵、後送される傷者―――

 この戦場の場合、死者をどうにかし、またこれを嘆き悲しむ前に、オルクセン軍が開進運動を始めたことで将兵としてのあるべき姿を取り戻した者が多かった。

「弾込めぇぇぇぇ」

「構え!」

「・・・・・・」

 壕や砦の縁、その外壁の陰といった部分で銃を構え、迎撃態勢を整えるエルフィンド兵たちの背後では、死者はそのままにされた光景が多かった。誰も構っていられる余裕などなく、それを咎める者も、呵責にさいなまれる者もいなかったか、ごく少数だった。

 その無数の視線の先では―――

 サーベルを引き抜き、何かを叫び、先頭に立った大勢の将校に率いられた膨大な数のオーク族兵たちが、軍旗を立て、大地を埋め尽くさんとするばかりに、前進運動を始めていた。

 彼らが迫ると、まずエルフィンド軍火砲が迎撃にでた。

 あれほどの砲撃に晒されても、生き残った火砲、あるいは砲員を失っても誰かが交代した砲、倒れていたが引き起こされた山砲などがいる。

 試射。

 効力射。

 こちらの側でも、砲兵として当然の動きが始まり―――

 吹き飛ばされるのは、オルクセン軍の番になった。

 着弾が起こるたびに、エルフィンド兵からは歓声と、興奮の叫びと、敵兵への罵りが起き、彼女たちを勇気づけた。

 意外なことのようだが。

 同クラスの砲同士を比較すると、エルフィンド軍側キャメロット製前装砲のほうが、弾丸重量としては重い砲弾が多い。つまり威力がある。

 彼女たちはそれを叩きつけた。

 霰弾、榴霰弾。

 おもに用いられたのは、榴霰弾。空中で砲弾が炸裂し、無数の弾子が飛び散り、目視などできないほどの速度で大地へと降り注ぎ、斃れ、吹き飛ぶ敵兵がいる。

 この破壊力は、オルクセン軍の専売特許というわけではない。榴霰弾が生まれてから既に七〇年以上が経過していて、その構造と威力はどこの国でも磨かれ、鍛えられ、進化していて、今度はオルクセン軍将兵たちの頭上から襲い掛かった。

 砲撃が始まると彼らの速度は早まり、一散に駆け始めたが―――

 目標まで八〇〇メートルを切った辺りで、エルフィンド軍側小銃射撃が始まった。

 メイフィールド・マルティニ小銃は、最大一三〇〇メートルで照尺できた。つまり彼女たちはあれほどの砲撃に晒されながら、そこから見事立ち直り、引き付けてから射撃戦を開始したことになる。この射撃は、有効射程である四〇〇メートル付近に近づくほど集束した。

「第一列、撃て!」

「第二列、撃て!」

「狙え、狙え! しっかり下を狙え!」

「第一列、撃て!」

「第二列、撃て!」

 キャメロット軍教令を流用した、二列隊形の横列射撃。前列膝射。後列立射。

 その姿は、オルクセン軍の全体散兵戦術より、ややデュートネ戦争のころの密集射撃隊形にちかい。

 農村を転用した砦からは、塀の陰や、壁に穿たれた俄かづくりの銃眼から、散兵的な狙撃を行った。

 壕や、胸壁、屋内や塀内にいる限り、このキャメロット製小銃の、あのレバーアクション式による弊害は最低限補える。

 強烈な反動が有効射程を押し下げているというほどの小銃なので、命中すれば威力もある。

 また彼女たちに幸いしたのは―――

 オルクセン軍の、あの高性能極まるGew七四を装備した隊が、まだ比率としてはオルクセン全軍の半分を超える程度だったことだ。

 オルクセン国内の造兵廠では、戦前から準備していた戦時増産体制が急速に整えられつつあったが、職工の教育、指導係熟練工の配置、検品体制の増加とやるべきことはごまんとあり、まだこの段階では目標とした各造兵廠日産九〇〇丁に届いていない。

 まだまだ前世代の、Gew六一を装備した隊がうんといた。

 Gew六一の有効射程は六〇〇メートル。

 最大射程一〇〇〇。

 オルクセン軍側は、目標に近づくと伏し、隠れ、散兵線を展開。射撃を開始したが、この動きに入るまでに撃ち倒される者が大勢出た。

 午前九時半に発起されたオルクセン軍最初の攻勢は、なんと頓挫した。

 ビフレストの交差点を目指した、第二軍団の第二擲弾兵師団と、第一五擲弾兵師団担当正面。進出したそれぞれの一個旅団、とくにそのうち前衛が膨大にも思える戦死傷者を出しながら、足踏みした状態に陥った。

 彼らの頭上からは―――

 山砲でさえ射程に入ったエルフィンド軍側の砲撃が続いていた。

 オルクセン兵は必死に壕を掘り、耐えた。

 一〇時二〇分。

 どうにもならない、これ以上の足踏みは犠牲を増やすだけだと判断した上級部隊の指揮官は、攻撃発起点への一時退却を下令することになる。



 ダリエンド・マルリアン大将は、このような戦場の様子を、アルトリア要塞本防禦線の、西北側堡塁から視察していた。

 アルトリアの西側縁に二個所あった、鋭角的に高く土盛りをして、死角を無くした巨大な永久構造物である。場所が場所、目的が目的の代物なので高さがある。

 要塞本防禦線はまだ戦闘に巻き込まれていないが、極めて前線にちかい。

 そんな場所で彼女が構えていたのは―――

 なんとオルクセン製の野戦双眼鏡だった。

 先だっての遅滞防禦戦闘で配下の軍が獲得した戦利品だったが、まだ単眼望遠鏡の多いエルフィンド軍の者としては物珍しさから手にとってみたところ、あまりに良く見えて便利なので、有難く使わせてもらうことにしていた。

 エルフィンドの支配階級にある者なら、まず、オーク族が作った代物など最初から小馬鹿にして見向きもしない。

 だが彼女は違った。

 ―――使えるものなら、なんでも使う。それの何が悪い。

 そう思っている。

 まあ、だから私はこれ以上出世しなかったんだが。この戦争がなければ、退役するところだった。

 上等だ。堅苦しい、言葉遊びと欺瞞に満ちた政治になど、関わりたくもない。

 願い下げだった。

 シニョンにして纏めた髪のうえにあった、緑上衣と同色のエルフィンド軍制帽を被り直す。好んでいる、横に斜めにしたかたちになったはずだ。機嫌のいいときの癖だった。

「押し返しているな。見事だ」

 最初はあの凄まじい砲撃を目にしたときは、彼女自身も内心動揺を覚えた。

 私は近代戦の何たるか、何もわかっちゃいなかった、とっとと退役するべきだったなどと、消え入りたくなったほどだ。

 だが見た目の印象よりも、ずっとはるかに生き残っている者が多かった。

 おまけに、敵の北西側への攻勢を食い止め、さらに押し返すとは。

 いい。素晴らしい。

 部下たちは良くやっている。

 一兵一兵、抱擁してやりたいほどだ。

「副官」

「はっ」

「敵を押し返したと、市内に広めてやれ。無責任なブン屋の連中を使うといい。動揺を鎮め、士気を高める」

 彼女は命じた。

 アルトリア市内では。

 既にしばらく前から動揺が広がっていた。

 遅延戦闘の支隊が退却したころからだったが、これは予定された戦術行動である、現に南街道の敵は侵攻を遅らせていると発表することで鎮めた。

 次に、オルクセン軍がアルトリアに西から迫り、展開を始める姿が高所から望見でき、まるで大地を覆い尽くすように思えてから。市内全てから見えたわけではなかったが、思慮のない地元紙が記事にしてしまった。

 動揺は今朝になって酷くなった。

 たいへんな砲声が市内中に聞こえてきたし、陣地の被害が虚実交えて伝わったのだ。

 曰く「某中佐によると、西北陣地にて友軍将校一、兵一〇名死亡、四〇名重傷」。

 曰く「西陣地において、砦炎上、たいへんなことになっている」。

 曰く「コルトリア将軍戦死、砲隊の損失甚大」。

 おおむね、味方の戦況に悲観し、不利を伝えるものであり、事実もあったが、虚報が多い。例えばコルトリアという将軍は実在するが、ぴんぴんしていた。元気に砲兵隊の指揮を執っている。

 そこでマルリアン大将は味方の勝報を公式発表として布告させる手配をとりつつ、

「あ、待て。待て」

 広げた机のうえで、さらさらと一文を書き上げた。


 アルトリア市民に願う

 このところの民心が乱れ、虚報が伝わり、まことに不用意なことである。

 エルフィンドの名を頂く市民、そして勢威と威厳、伝統に相応しい市民は、冷静沈着かつ堅忍不抜を以て、まず軍の命令に従い、国の名誉を汚すことなきよう振舞ってもらいたい。

 市内が騒然となることは、これは敵にとってひとつの勝利となってしまう。

 今後、新しい情報、戦局があれば事の大小にかかわらず必ず布告するから、それまでは市民にあっては勝報を待って欲しい。

 ただし軍の行動については、すぐに発表できるものとそうでないものがある。賢明なる市民各位にはすでに十分理解されていることと思うが、これもまた敵を利する行為になりかねない。

 どうか軍の正式の発表があるまでは耐え忍び、みなで勝利を掴もう。

 エルフィンド陸軍大将 アルトカレ軍司令官ダリエンド・マルリアン


「こいつも持って行け。一緒に町中に張り出させろ。駄文、悪文の極み、韻も踏めず、要塞に潜りこみたいがな」

 副官は、あきらかにマルリアンへの敬意を深くした眼差しで頷きさっと敬礼すると、マルリアンは何処か照れを滲ませ、ぞんざいな敬礼で送り出した。



 午前一一時。

 エルフィンド軍はグラシル方面で、逆攻勢に出た。

 この地点は、アルトリア真西に布陣したオルクセン第三軍第八軍団の部隊結節点であり、街道と街道が繋がる三差路があり、大規模な農場が二つあった。

 アルトリア要塞西方に突出した堡塁に据え付けられている要塞砲で援護が行え、またこの二つの農場を奪還すれば要塞に運びきれなかった大量の貯蔵穀物と飼葉を入手できる。戦術的にも第八軍団を分断できるかもしれない―――

 ぜひ攻勢を仕掛けさせて欲しいと、同方面を指揮する一等少将から上申があった。

 頼りとすべき要塞砲の多くは早朝の攻勢準備射撃で破壊、もしくは砲員が斃されていたが、一基の二〇ポンド砲と、何基かの二五ポンド砲が残っていた。幸いにも、半地下式の弾庫も無事だ。

 マルリアン大将はこれを許可した。

 歩兵連隊三個、騎兵二五〇騎、一二ポンド騎砲六基、七ポンド山砲六基の約七〇〇〇名の兵力で彼女たちは攻勢に出た。

 迎え撃ったのは、オルクセン陸軍第八軍団第二九師団。師団愛称ニーベルングン。

 指揮官はウィルヘルム・タンツ中将。

 オーク族にしてはかなり珍しく、無口である。やや陰気な印象さえあった。しかしながら沈着冷静で有能な野戦指揮官だという定評もある。

 そうでなければ、対アスカニア戦用にA型編制で作り上げられた師団を任せられたりはしない。

 また、包囲網の要となる位置に配されたりはしない。

「・・・サンダウアー」

 指揮杖を小脇に挟んだまま、タンツ中将は師団参謀長を呼んだ。

「はい、閣下」

「叩き潰せ」

 軍作戦方針として攻囲よりも包囲の役目を与えられていた第二九師団は、同地展開時より準備を始め、既に十分な防禦体制を構築していた。

 壕を掘り、農場や自然地形を利用し、三個連隊を並列配置にして前衛に配し、翼を伸ばして、この後ろには各連隊砲が前衛砲兵となって控えている。

 後方には一個連隊の師団予備隊と、師団直轄砲兵が四八門。大地起伏のうち周辺瞰制のできる丘を選んで、警戒線と、魔術通信波による砲兵観測所まで作っていた。観測所には、もし魔術通信が断絶した場合に備え、発光信号器隊も配している。

 ではこの陣地に対して繞回しようとすると、各連隊の予備隊が側防を兼ねている。あのオルクセン軍得意の散兵防禦線を、最大規模にした代物―――

 北側面には第二軍団がいて、南側面には同じ第八軍団の第二八師団が陣取り、しっかりと連結もしていたから、敵は側面に対し戦略的に迂回することもやれない。

 おまけにこの上空を、支援にあたる大鷲軍団一個シュタッヘルが専属で飛んでいた。

 エルフィンド軍側において警戒線を押し上げるために前進してきた騎兵をまず感得すると、これを意図的に引きつけ、敵歩兵が縦隊から翼展開を始めたところで、前衛の砲兵が射撃を開始した。

 ―――攻撃準備破砕射撃。

 擾乱射撃を浴びる格好になったエルフィンド軍歩兵部隊は、そこへ更に第二九師団の師団砲兵射撃を叩きつけられた。

 八七ミリ重野砲一二門。

 七五ミリ野砲三六門。

 前者は、オルクセン陸軍野戦師団が持つ火砲としては最大のものだった。

 弾量六・九キログラムの砲弾を、六七〇〇メートル飛ばせる。

 おもに用いるのは、復動信管付き榴霰弾で、二三四個の弾子入り。

 七五ミリは、連隊砲などとしてオルクセン軍の主力になっている同口径とは別の砲だ。若干作りが大きく、重量があり、同一の砲弾をより遠くに発射できた。専用の砲弾も設計されてはいたが、この戦役ではほぼ野山砲と同一の砲弾ばかり用いられた。

 補給を容易ならしめるためである。

 例外は、野戦を主眼に兵馬殺傷用の散弾及び榴霰弾のみが配されていた野山砲と違って、弾薬車の構成に榴弾が入っていること。堅目標の砲撃もやれた。

 これだけで三六門という火力は、山岳猟兵一個師団の砲兵火力が撃っているのと同等以上ということになる。

 A型編制師団は、言ってみれば山岳猟兵二個師団分以上の火力を自前だけで持っている。戦線構築において攻防両面の主力となるべく作り上げられた師団であり、相対したエルフィンド軍側にすれば悪魔か怪物のように思えた連中だった。

 頭上から多くの榴霰弾を叩きつけられた格好になったエルフィンド歩兵は必死に駆け、どうにか攻撃発起点とした森から展開、前進を開始したものの、今度はオルクセン軍側の防禦散兵線からの射撃を受けた。

 二九師団においては、Gew六一を装備した隊よりも、七四を装備した隊のほうが多かった。おまけに突撃防止砲兵として、あの五七ミリ山砲が隊に付随するかたちで埋没隠蔽設置されており、直接的な火力支援を叩きつけられた。

 ―――突撃破砕射撃。

 オルクセン軍側の配置は巧妙だった。

「この砲兵は最後の瞬間まで隠蔽し、突撃し来たる敵兵に対し奇襲的に直接射撃したるに行うべきものなり」

 と、オルクセン軍教令は定める。

 擲弾兵たちの陣地構築も巧緻であって、各連隊は担当戦区を決めている。これは画一的な距離によるものではなく、防禦しやすい地形に陣取った隊ほど広く、そうでない隊ほど担当正面が狭くなっていて、火力に集中を図っていた。

 例えこの強大な敵と撃ち合い打ち負かすことが出来たとしても、その隙間は各担当連隊に一個大隊残置された予備隊が即座に埋めてしまう。更にこれを食い破れたとしても、今度は師団予備の一個連隊が出てくるという、エルフィンド軍側にしてみれば絶望的なほど堅固な防禦だった。

 死傷約一二〇〇名という、信じられないほどの犠牲を出してしまい、攻勢を図ったエルフィンド軍支隊は午後一時過ぎに撃退された。

結構だヴンダバーたいへん結構だゼアー・ヴンダボール

 タンツ中将は、彼としては多弁な言葉で、部下たちを褒めたたえた。

 拍手までしていたが、鉄仮面にさえ思えるその表情に変化はなく、何処か、やれて当然だという響きもあった。

 ふだんは規律に煩いところがあり、例えば閣下呼びを空気感として半ば強要までしていて、部下としてはたいへんやりにくい指揮官ではある。しかしこの牡、戦闘の間は最前線といってもいい観測所のひとつに自ら立ち続けていて、その点は師団参謀長サンダウアー大佐などにも感銘を与えている。

「閣下。追撃して戦果を拡大しましょうか?」

「ふむ―――」

 タンツは片眉を上げた。

 確かにその好機であるようにも見えた。

「純粋な野戦ならそれも良いが、止めておこう。敵要塞砲の射程内にこちらから飛び込むなど、愚の骨頂だ。それよりサンダウアー、敵が攻撃発起準備点とした村落。今少し砲撃しておこう。虫けらどもが、二度と馬鹿な真似を考えつかんようにな」



 オルクセン軍とエルフィンド軍の双方が殴り掛かり、互いにその意図が頓挫したところで、マルリアン大将と彼女の幕僚たちは、この西方に築いた防禦陣に自信を深め始めていた。

 確かに早朝の敵砲撃は凄まじく、中央支隊の逆攻勢失敗で多数の損害を出してしまったことは遺憾だったが、防禦線全体の死傷者は意外に大きくない。

 いますこしの期間、敵を直接的にアルトリアに張り付かせることなく、防支をやれるのではないかと、そんな判断に傾きかけていた。

 いまだ首都方面との連絡線を保ててもおり、十分にこれが可能なはずである、と。

 しかしながら―――

 一四時に入ってから、オルクセン軍は再びビフレスト方面に対して攻勢に出た。

 今度は防御陣地全体に砲弾を振りまくのではなく、ビフレストへと繋がる二本の街道周辺のエルフィンド軍防禦陣地に対して、第二軍団の第二師団及び第一五師団及び、軍団直轄砲兵旅団が集中的な砲火を浴びせた。

「―――!」

「――――――!」

「―――!」

 再び防禦陣地へと襲い掛かった砲撃に対し、エルフィンド軍将兵は成す術もなかった。

 しかも。

 この砲撃が行われている最中に、オルクセン軍先鋒に選ばれた約二個旅団の擲弾兵たちは、前進を始めた。

 砲弾は彼らの頭上を飛び越えていく。

 飛翔音に首を竦める者もいたが、十分に事前検討を重ねて行われた砲撃であったため、前衛砲列の三〇〇メートル前から、射撃目標の五〇〇メートル手前までは安全だった。

 ―――超過射撃。

 近代戦下において、このとき初めて行われた戦法ではない。

 むかしからあった。

 ただし、これほどの規模と精度で実施したのは、おそらく世界戦史上、彼らが初めてであろう。

 オルクセン軍は、友軍による砲撃が行われている隙に、敵前八〇〇メートル弱ほどにまで迫り、壕を掘り、自然地形も利用して、即席ながら陣地化された攻撃発起点を作り上げた。

 彼らの狙いは、夜襲だ。

 午後三時三十分ごろには、日没を迎える。

 この地でそのまま耐え、夜間に入ってから攻撃発起をする。その計画である。

 いちど壕を掘ってしまったオルクセン軍は、あの中央部での第二九師団の防禦陣を見ればわかるが、たいへんにしぶとい。

 しかも―――

 このとき、エルフィンド軍防禦線の北縁側から、オルクセン軍第三軍にとって唯一といっていい独立した騎兵集団が迂回運動を始めた。

 第三軍から第二軍団へと臨時に配されていた、騎兵第二旅団だ。

 ペルシュロン種騎兵約二〇〇〇騎で編成された彼らは、第二師団から擲弾兵一個大隊、野山砲一個中隊を借り受け、一個の支隊となってエルフィンド軍防禦線の後方へと迂回しようとした。

 他国の騎兵たちと比べてればその動きはずっと遅かったが、構想企図としてはエルフィンド軍の心胆を寒からしめた。

 ―――後方を遮断されてしまう。

 もともと、敵陣深く食い込んだかたちで伸ばされていた防禦線である。分断され、後方を遮断されれば、その範囲内の部隊は各個撃破に陥る可能性さえあった。

 やはり、というべきか。

 一度運動戦をはじめると、オルクセン軍の能力は構想力の点においても、実行力の点においても、エルフィンド軍側に対し一日の長があった。

 そして―――

 なんとこのような動き、その全てが陽動であったことを、エルフィンド軍は思い知らされる。

「敵一個軍団だと?」

 マルリアン大将は、アルトリア周辺の軍用地図、その南方遠付近に置かれた敵―――第三軍第八軍団を示す兵棋に舌打ちした。

 前哨戦より以前、遅滞防禦戦闘の結果もあり、敵の西方及び東方の包囲網と比べれば、やや遅れて北上していた中央街道の部隊だった。

 彼らが戦場圏に到着し、遅くとも翌朝ごろには攻勢発起点に位置取りそうだ、と。

 西方に一〇万、東部に四万を割き、本要塞にはもう四万の兵しかない。

 敵が一個軍団なら拮抗しているとも言えたが、アルトリアに残っている四万は国民義勇兵の新兵を中心とした隊で、彼女としてはあまり頼りにできない存在だった。

 東西の戦線に気をとられていると、要塞南側へと一気に張りつかれかねない。

 ―――やられた!

 確かに奴らは調整し、連絡を取り合い、緊密に前進してきた。

 だが、前進運動がではないか!

 戦場に到着する間合いが、あまりにも絶妙だった。

 エルフィンド軍ならあと丸一日は余計にかかりそうなところを一気に迫ってきたから、たいへんな前進速度だ。

 確かにやれる、オークの軍勢なら。

 奴らのふだんの行軍速度があまりにも遅いのは、兵站を重視するあまり、他国から見れば神経質なほど街道や鉄道を整備してから進むから。

 進めないわけではないのだ。

 だが、なぜそれを最初からやらなかった。

 意図的にやられたとしか思えない。

 思えば中央街道には鉄道線が並走している。

 鉄道を重視する奴らが、そもそも到達点までの兵站に不足しているわけがないのだ。

 敵を引き付けているつもりで、引き付けられていたのはこちらだったとは!

「ちっきしょう・・・!」

 本当に運動戦では奴らに敵わない。

 東西の戦線を引き払い、要塞本防禦線にシフトするしかない。

 夜半のうちに準備を始め、少なくとも明日午前中に両戦線を要塞へと収容する。

 マルリアン大将はそんな計画を立てざるを得なかった。

 敵将シュヴェーリンの高笑い、その幻聴を聞かされた思いであった。



 二二日、午後六時。

 モーリア市。

 前進兵站拠点駅、操車場。

「ラビッシュ君」

 ドワーフ族のオルクセン国有鉄道社職員パウル・ラビッシュは、彼の事務所へとやってきた陸軍大佐の姿を見て、ちょっと嫌な心持ちになった。

 ヴァルトハイム大佐。オーク族。

 ここより北の鉄道輸送に関する、軍側責任者だ。第三軍に属する鉄道中隊六個の親玉ということにもなっている。

 その実務面を担うべく国有鉄道社から派遣されてきたラビッシュにとって、名目上は直接の上官ということになる。

 このモーリア北の前進兵站拠点駅はたいへん重要な施設で、鉄道車両の整備廠まで設けられていたから、ラビッシュの役割は極めて大きい。

 残務の多さからモーリア市の臨時宿舎へと帰りそびれていたのが、裏目に出てしまった。

 彼の目からみるとヴァルトハイムは、どうにも陰気で、しかも業務上のゴリ押しが多く、やりにくい上官だった。

「これは大佐。どうされました?」

「本国から特別編成列車が来るのだ、機関士の手配を頼みたい。とびきり腕の立つ者がいい」

「・・・それはまた、急なお話ですな」

 何も聞いていなかった。

 つまり、総軍兵站総監ギリム・カイト少将率いる兵站総監部からの今朝のダイヤグラム連絡には無かった列車ということになる。

 本国から直接やって来る軍隊輸送列車は、ままある存在だったが、このモーリア北前進兵站拠点駅で機関士たちは乗り換える。

 モーリアから北の鉄道軌道間隔は確かに改修されていたし、つまり本国と同じ機関車や客車、貨車が走れたが、それはあまりにも乱暴な説明というものだ。

 狭い軌道間隔から広い間隔へと改修したため、耐荷重の点で軌道は問題を抱えていた。車両自体の軸重はそのままでどうしようもないから、積載重量や速度に制限がついている。

 当然ながら、その運転及び管理にはたいへんな手間がかかる。

 未改修のまま鹵獲車両を用いて運航している、モーリア・アルトリア間の支線のほうがマシなのではないかという意見すらあった。まあラビッシュに言わせると、そちらはそちらでおもに川沿いを走っていて、軟弱地盤である箇所が多かったから、重量物の運航には向いていなかったが。

 国有鉄道社は、この難しい改修済み区間の運転に対応するため、本国から腕効きの機関士たちを集めていた。

 ここで、本国からの運転士と火夫たちは、彼らと交代する。

「心配せんでいい。カイト少将の許可は得てある」

 ヴァルトハイム大佐は、従えていた副官に頷き、革鞄から取り出した書類挟みをラビッシュに手交させた。

 何枚か頁を繰ってみる。

「・・・重い。こいつは重いですな」

 制限重量ぎりぎり一杯だった。

 しかも、三編成もいる。

 一編成目は誰がいいかなと、ラビッシュは素早く思考を巡らせた。

 仲間内から、親父ファーターと呼ばれているオーク族ベテラン運転手がいいだろうと決めた。口は悪い牡だが、腕は随一の奴だ。

 急な配置にあれやこれやと文句は言われるだろうが、それを受け止めてやるのは仕事のうちである。

「それにしても重い。いったい、荷はなんです? バランスが取れているかも心配だ」

「ふむ―――」

 本来は軍機だが、もっともではある、まあいいだろうとヴァルトハイム大佐は告げた。

「砲兵旅団だ」

「・・・なるほど」 

 砲兵旅団か。

 確かにあれは重い。

「なに、心配するほどのことはない。たったの六門だ」

「なるほど」

 ぬるくなったコーヒーを啜りつつ、ふとその動きが止まった。

 ―――六門?

 これだけの重量に、これだけの編成を使って?

 ラビッシュは唖然とした。



(続)

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