第26話 おおいなる幻影⑤ アルトリア攻囲戦 上編

 半島中央部、第三軍の担当正面にあたるアルトカレ平原。

 同方面のエルフィンド軍を率いるのは、一一月上旬に中心都市アルトリアへと到着した、ダリエンド・マルリアン大将という白エルフ族歴戦の将帥だった。

「あのマルリアンか!」

 敵将が彼女だと知ったとき、第三軍司令官アロイジウス・シュヴェーリン上級大将などはそう叫んだくらいだから、ロザリンド渓谷会戦のころにはもう、その名がオーク族にさえ知られていたほどの将である。

 幾らかエルフィンド軍内で兵術書を著したこともあり、なかでも「オーク族には白兵戦では勝てない」という戦術思想をしていたことで有名な存在だった。

 道理であろう。

 怯懦を意味しない。

 白エルフ族やダークエルフ族もまた、人間族などと比べれば強靭な身体と体力、耐久力をしていたが、オーク族には劣る。

 巨体、巨躯にして敏捷なオーク族と組み合ってしまえば、勝てるわけがない。

 だから彼女を支柱のひとつとした一二〇年前のエルフィンド軍は、ロザリンド渓谷会戦において長大な胸壁を作った。その内側に籠ってしまい、射撃と砲撃を集中して用い、外側においては森や山岳といった側面からダークエルフ族が主体となって、散兵戦術による擾乱射撃と狙撃をした。

 この胸壁は極めて巧妙に出来ていて、渓谷の起伏を利用してオーク族側からは事前偵知が及ばないように築かれていたうえ、死角がなかった。オークの軍勢はそこへ一直線に突っ込み、壊乱し、追撃戦を受けて壊走したのだ。

「これは、あいつらまた籠るのではないか?」

 野戦ではなく、籠城によって自軍を迎え撃つだろうと、シュヴェーリンは予測した。

 そしてその予想は実際その通りになった。

 アルトカレ平原第一の都市にしてエルフィンド国内屈指の都市でもあるアルトリアは、市の中心に稜堡式の要塞を内包し、更にその外周に同様の思想による稜堡と凹堡、斜堤などを築城した、要塞都市である。当然というべきか、かなりの数の要塞砲まであった。

 周辺郊外を含めずに見ても、南北約六キロ、東西約一六キロ。郊外を含む市そのものの住民数は約五七万。

 マルリアン大将の軍は、同地に集結していた。

 総兵力約一八万である。

 その全てが要塞内に籠ってしまうのではなく、周囲の一部に野戦築城による防禦陣地を築いていて、つまり要塞本防禦線との二重の防禦線を作っていると、大鷲軍団の空中偵察によって偵知できた。

 運動戦を多用するオルクセン軍なら、本来は攻めずに迂回を選ぶ。

 彼らに言わせるなら「要塞など放っておけばいい」存在だった。

 ところがアルトリア市を中心としたアルトカレ平原は、エルフィンド国内的にはいちばん大きな平原部であったが、星欧レベルの視点で見るなら、軍規模の部隊が迂回運動できるほどの広さがなかった。

 本線と支線の二本あった鉄道も、平原内の主要街道も、アルトリア市に集束していて、これ以上北に進むには同市を掌中に収めるしかないという、交通の要衝でもある。

 白銀作戦の戦前計画では、エルフィンド軍が籠ろうとそうでなかろうと、同地は確保することになっている。

「マルリアン、マルリアン、マルリアン・・・!」

 軍総司令部のシュヴェーリンは、パイプに火を点けつつ、まるで懸想でもしているかのように敵将の名を連呼した。

 ―――決着をつけねばなるまい。

 先王を倒したのは、奴の軍だからな。

 一一月半ば、第三軍約一六万七〇〇〇の兵力は、アルトカレ平原での前進を開始した。

 主に四本の街道に分かれ、村という村、街などをを叩き落としながら分進合撃した彼らは二二日に至ってアルトリア近郊での再合流を果たし、同市を西、南、東の三方から囲んだ。

 包囲戦の形成である。

 「包囲」という言葉は、やや誤解を生みやすい。

 何かぐるりと巨大な円環を作り、アルトリアを完全に囲んでしまったかのように思える。

 ところが実際にはそうではなく、このアルトリア戦におけるオルクセン軍は、南と東西の三方向から同市を圧迫するような展開運動をした。

 小難しい言葉を使うなら、「翼包囲」の一種、「両翼包囲」というもので、やや「一翼包囲」に近い動きをしている。文字通り、巨大な怪鳥が左右に大きく翼を広げるような格好で軍隊が機動したところを想像してもらえるとわかりやすい。

 オルクセン軍教令によれば、包囲とは「直接敵を正面及び側背より合撃し優勢火力を以て敵を圧倒する」場合を指す。必ずしも「全周を囲め」とは一言も書いていない。

 つまり連携した一個の軍隊による、多正面攻撃とでも表現してやるべき状態に等しい。

 要塞戦においても会戦においても、いわゆる我々が想像してしまうような包囲、「全周包囲」と呼ばれるような状況は、彼我両軍によほどの兵力差がある場合や、地形利用が出来る場合などでなければ発生しない。実例は歴史的にも極めて少なく、ここに至るまでの近代戦下では戦例もあまり無い。

 このアルトリアの戦いにおける両軍兵力は、オルクセン軍約一六万七〇〇〇。エルフィンド軍約一八万だった。

 ほぼ拮抗している上に、むしろエルフィンド軍のほうが多い。

 過小な兵力で自己より大きな敵軍を全周包囲など出来るわけはなく、そんなことをすれば薄くなった包囲線を何処かで破られてしまう。よほど上手くやらないと、包囲の内側にいる軍は、相手より運動量が少ないため、任意の一点に兵力を集中することも出来るからだ。

 ただし、このアルトリアの戦いの場合は分進合撃なので、軍隊がその場で翼を広げる展開運動をやるのではなく、いってみれば胴体と翼が分離して進んでいって現地で合流している。最初から軍規模の繞回運動をやっていると捉えてもいい。

 そこが少しややこしい。

 この方法を採る場合、各個に撃破される危険性が伴うから各軍団はたいへん緊密な連絡を取り合い、相互に支援できるよう調整のもと進軍している。

 あくまで例えになるが、

「〇〇軍団は〇日までにA点に到達するから、第△△軍もまた同日までにB点まで到達することが望ましい」

「〇〇月〇〇日までに全軍集結を完了せよ」

 などといった命令や連絡、調整が始終飛び交っている。

 そのうえで、エルフィンド軍側から見れば怒涛のような侵攻だった。

 闘将シュヴェーリンと彼の司令部の、本領発揮ともいえる行動である。



 ダリエンド・マルリアン大将は、実際に有能な将軍だった。

 陣地防禦戦を重視してはいるが、それは対オーク族の戦闘はそうせざるを得ないという考えから来ているだけで、本質は苛烈で攻撃的な知将といえた。

 一一月上旬、彼女がアルトリアに到着し、同要塞の司令官やアルトカレ平原方面の現地部隊の全てを隷下におさめて指揮権を発動したとき、この方面のエルフィンド軍総兵力は約一三万を数えるだけであった。

 火砲はキャメロット製一六ポンド前装式野砲と、七ポンド前装式山砲を中心に約五五〇門。グロワールが発明した、機関砲も何基か。これに四〇ポンド要塞砲六基と、六〇ポンド要塞砲四基を要とした要塞砲約二〇〇門。

 戦前、エルフィンドが国土防衛の要として一二〇〇万ティアーラという巨費を投じて作り上げた要塞を中心に、なかなかの規模だったが、マルリアンはまるで満足しなかった。

 そこで彼女は打電して、

「このままでは幾らも持たない」

 と、軍上層部に発破をかけた。

 彼女に言わせるなら、特に兵員と糧食の不足が深刻である。

 完全に要塞に籠ってしまうのは下策だ。

 オルクセン第三軍を足止めするためには、前哨戦とも称すべき遅滞戦闘を幾らかやりたい。相手は一六万を超えることは既に分かっている。

 またアルトリアにはかなりの貯蔵食糧があったが、籠城戦をやるなら市民五七万のための食糧も確保せねばならず、これに頼りきることもできない―――というのがマルリアン大将の主張の数々であった。

 対するエルフィンド軍上層部は、第三軍をアルトリアで迎撃しつつも、これに失敗した場合、ネニング平原方面にかきあつめた兵力で決戦を挑もうとしていたから、煮え切らない態度を示した。

 マルリアンは、

「重点をどちらに置くのかはっきりしろ!」

 と、遠慮も容赦もなく反駁した。

 ―――ネニングで決戦するつもりなら、アルトリアなど放棄してしまえばいい。私はただちに下がる。軍も全てそちらに集結してしまえばいい。

 その含意である。

「あのマルリアンなら、やりかねない・・・」

 泡を食った上層部は、一八編成三〇〇両以上の鉄道輸送を使い、渋々ながら援兵と糧食を送った。

 このころにはエルフィンドにおいてさえ軍の動員が進み、政府は国家財政備蓄から八八〇〇万ティアーラという軍費を投じて、軍服、大量の将校用軍用地図、糧食などを用意。平時の氏族単位を中心とした常備兵力に続々と動員された国民義勇兵を加えて部隊を編成し、半島北部などからも首都及びネニング平原方面に兵力を集結させていたから、この一部を送らせた。

 兵員約四万。火砲。銃砲弾。これに、追送分と周辺村落からの現地調達許可分で攻勢五日分の糧食。

 周辺村落と市民から一万の義勇兵も得て、マルリアン大将はどうにか満足する兵力を手に入れた。

 当面は日常生活を送らせるが、すでに布告が出され、国内の成人年齢に達している国民はその全員が建前上は軍組織に編入ということにもなっている。市内におけるこちらは危急の場合の予備兵力にあてる。

 現有兵力を市内全てに収容すべく、戦時用兵営を開放し、また市内の宿屋やホテルの類は全て軍の仮宿舎とした。冬季の露営は兵力を損なわせる。舎営にしなければならない。

 混乱気味だった、市内についても目を配った。

 まず、取り付け騒ぎを起こしていた市中銀行を統制した。

 市民の多くが戦乱に備えて紙幣から金銀貨幣への両替や預貯金の引き出しを図っており、この行列は日毎に増えるばかりだった。そこで要望金額の大小により五つの分類に区分けして窓口を作らせ、流れを作り、かつ入場制限を行った。兵を配して行列の整頓も命じた。

 食糧のうち、今後もっとも気を配らなければならない食肉と穀物についても、自由販売を禁じ、軍の統制下に置いた。

 市内業者を軍指定の配給所ということにして、牛や豚、羊といった畜肉の種類、肉の部位や希望量、パンの数で上限を設けた。籠城戦になると、栄養の偏りも起こるから、消費期限のある生鮮野菜から消費しつつ、乾燥野菜や野菜缶詰の備蓄にも努めた。

 同時に市民及び兵の発奮を促すため、ちょうどこのころ女王の発した布告を、地元新聞に掲載させたり広告塔に張り付けるなどして、普及宣伝を図った。


「我が国は不幸なる事態を迎え、緒戦において我が軍は勝利しなかった。我が国民にとって痛恨事である。

 しかし国民に願いたいのは、耐え忍んで今後の必勝に望みをかけることである。敵がいま以上に我が国に侵入するようなことがなきよう、また既に奪われた地を奪還すべく、私もまた先頭に立って国民と力を合わせ防戦につとめる覚悟である。

 ただそれまでの間、国民は心を一つにして命令を守って欲しい。

 白銀樹の御加護を。

 エルフィンド女王エレンミア・アグラレス」


 またマルリアンがやらせたのは、周辺村落からの糧食運び入れに加えて、まだオルクセン軍に占領されていないそういった村々、小規模な街などに情報収集のための手段を構築することだった。

 軍からの退役者や、警官、愛国的国民たちを軍事探偵として働かせ、魔術通信及び電信による報告を送らせる。占領されたあとは電信は使えなくなるから、魔術通信を用いる。これで一体どの街道をどの程度の敵が進んでくるのか、逓伝にさせて知らせるよう手配した。

 実はこのような諜報活動の自発的なものは既にモーリア市方面で生まれていて、オルクセン軍の行動はほぼエルフィンド軍側に筒抜けだった。

 この戦争の特色のひとつとも言える動きで、これにはオルクセン軍はたいへん苦慮している。

 密偵たちをまるで摘発できなかったのだ。

 夜間などに、軍の占領地域から、短かな魔術通信波が飛び交っているのはすぐに察知できた。だがこれをいざ摘発しようとすると、白エルフ族はみな魔術通信を使える。被疑者はいってみれば占領地域全ての住民になった。

 最初は「〇〇に連隊規模の敵兵がいる」「うちの村はもう落ちた」といった直接的な表現だった内容も、ときを経るにつれて「やあ〇〇。上等なチーズが手に入ったから食べに来ないか?」などという私信を装うようになり、また古典アールブ語を使われるようになって、オルクセン軍の殆どの者には内容そのものがまるでわからなくなった。

 夜間の魔術通信使用や、占領直後の村落では完全なかたちで魔術通信使用を禁じる布告を出して対抗するようになるのは、戦局がもうしばらく進んだあとになってからだ。

 この魔術通信偵察体制と、軍上層部がオルクセン国内や他国報道を海底電信による外電経由で収集したもののおかげで、マルリアン将軍は、敵の兵力が一七万弱であること、その主力が西側に偏っているのを、一兵も動かさずに察知できた。

 アルトカレ平原に四本ある主たる街道のうち、二本までが西側にあり、これを利用して進撃しているためらしい。

 この情報は、彼女をたいへん喜ばせた。

 要塞とは、地形地理を利用し、かつ周辺交通を管制できるように構築されるものだ。

 街道が集束するアルトリア要塞の防備は、当然ながら西側のほうが厚かった。敵主力がそちらに来てくれるというのなら、願ってもないことである。

 要塞の西方外側、約五キロから二キロの線に一〇万の兵、東南側には四万の兵、それぞれに火砲の大半を派出して野戦防禦陣地を作らせた。

 これは要塞砲の援護を受けさせることが出来る距離でもあり、やれるだけの遅滞防禦をやったら、今度はこの兵員を撤退させ、収容して、抵抗を続ける算段をした。

 同時に、南から来る中央街道と、東側から蛇行してくる四街道のなかではいちばん細い街道とに、それぞれ歩兵三個連隊、砲兵一個中隊、騎兵一個中隊の支隊を送って、適所を以て小さな防禦陣地を作らせた。

 その方面の敵の侵攻を遅らせ、より西側の敵主力を迎撃しやすくするためだった。目的が目的のうえ、彼女自身の戦術思想上からも、各支隊には敵とはがっぷり四つに組まず、適度に抵抗したら要塞まで逃げ帰るよう指示をしてある。

 これには明確な命令書を与えた。

 エルフィンド軍内には、すでにファルマリア港退却戦における自軍の醜態とその指揮官の末路が伝わっていて、敵中深く出撃することや、過早撤退を忌避する空気が漂っていたからだ。全責任は私が負うと宣言して、戦術上必要な撤退を選択肢に復活させた。

 彼女には、部下将兵たちを面倒な政治闘争や過剰な責任論に巻き込む気はさらさらなかった。そんなものは邪魔なだけだと幕僚たちにも断言していた。

 またこれら諸部隊は、現地での采配加減が難しいから、現役の兵隊を中心にして、これに信頼の置ける指揮官を配した―――

「まずはこんなところか」

 従兵の用意したコーヒーを含みつつ、地図を睨む。

「しかしまぁ、なんと相手はあのシュヴェーリンとはな。まだやってるのか、あのじいさん」

 つとめて明るく振舞い、外電情報から得た敵将の名を冗談めかして口にし、周囲の幕僚たちの笑いを誘う。

 まだ始まってもいないが、要塞戦で重要なのは士気の維持である。

 これもまた統帥術であった。

 そんな彼女の見た目は、意外なものである。

 白エルフ族に多い金髪碧眼、長めの突耳ではある。

 髪は長い。腰丈ほどもあった。

 問題はその外見的な年齢で、人間族で言えばまるで一二かそこらの少女に見えた。

 顔立ちは愛らしい。

 魔種族はある程度年嵩を得ると不老になり外見上の年齢を重ねなくなるが、彼女の場合、どういうわけか一足早くその辺りで成長が止まってしまった。滅多にあることではなかったが、皆無という例でもない。逆に三〇くらいの見た目で身体的成長が止まる者も大勢いたから、不思議なことですらなかった。

 理由は本人にさえもわかっていなかったが、おかげで色々楽もさせてもらっている。

 誰かを説得したり、指揮統率上の無理を通すとき、周囲の者はどうしても態度が甘くなるところがあった。実際のところは、よわい三〇〇をとっくに超えていたから、他者の心の機微を読むのも、これを利用するのも巧かった。

 ―――さて、どうしたものかな。

 偉大なる我が祖国。

 既に諸外国からは滅びかかっていると思われている、我が祖国。

 その祖国を護るべき武人である以上、負けるかもしれないとは口が裂けても言うつもりはない。

 せいぜい足掻かせてもらう。

 それが義務だ。

 矜持だ。

 だが、どうにもいけないように思える。

 マルリアンは、コーヒーカップに満ちる黒い液体を見つめた。

 いまはまだ本物を飲めている。

 だが国土の一部ではもうコーヒー豆の品不足が起きていた。

 理由ははっきりしている。

 輸入が完全に絶えてしまったからだ。

 敵の海上封鎖。

 ファルマリアにあった貿易倉庫が落ちてしまったのも痛い。

 そのうち統制が入り、キャメロットの連中が庶民用に発明した、チコリの根や大豆を炙った代用品になるだろう。

 一度飲んでみたが、まるでコーヒーだとは思えない代物だった。

 彼女には、それがこの戦争で起こっているオルクセンとの国力差の一端に思えた。

 銃弾はまだいいが、砲弾、医薬品、軍需物資のうち国外に頼っていたもの。そんなものの何もかもがこのコーヒーと同じ末路を辿るだろう―――

 だが表に現れた言葉は、弱音とはまるで別のものだった。

 表情には不敵ささえあった。

 ダリエンド・マルリアンは、伊達に大将などという位にあるわけではなかった。

「さて諸君。かのオーク族宿将に、引導を渡してやろうではないか」



「太陽を背にして飛べ。飛行高度は山一つ強。問題は敵陣からの距離である―――」

 モーリアに進出した大鷲軍団約半数―――第一空中団の駐屯地を訪れたヴェルナー・ラインダース少将は、オーク族の将校が描き記してくれた黒板を示しつつ、部下たちに説明する。

「敵陣の真上を飛んではならん。高度と、角度を利用して敵陣に対し最小でも一・五キロ以上距離を取るように」

 ファルマリア港攻囲戦の際。

 大鷲軍団は、ほんの僅かだが敵兵たちから射撃を受けた。

 いまのところ被害は出ていないが、開戦前に危惧されていた通り、白エルフ族は大鷲族を魔術探知出来たのだ。

 とくに魔術通信を用いると、たちまちのうちに察知された。

 メイフィールド・マルティニ小銃の最大射程は一〇〇〇メートルを超える。反動の強い銃だから有効射程はその半分くらいだったが、距離をとっておくに越したことはなかった。集団で射撃を加えられた場合、被弾する可能性が十分にあった。

 もっと高度を上げてもいいように思えるのだが、大鷲族の飛翔可能な高度は最大で概ね一〇〇〇メートルだ。彼ら種族のいうところの「山一つ」にほぼ等しく、これ以上昇りようがない。背に乗せたコボルト族飛行兵たちへの負担も大きくなる。個体によってはもっと高く登れる奴もいたが、例外的な事例を組織に当てはめるわけにはいかなかった。

 出来得る限り、敵陣に対して太陽を背にして飛ぶようにする対抗策もこのために生まれた。太陽光で敵兵を幻惑させる、目くらましだ。この飛び方は元々、狩りの際に使っていたものの応用だった。

 大鷲族の数は少ない。

 大鷲軍団の所属数が、ほぼそのまま、種族の中から軍務に就ける総数だ。

 次期種族長ともいえる立場にもあるラインダースにしてみれば、この貴重な仲間たちを出来れば一羽も失うことなくこの戦役から連れ帰ることもまた、重大な義務のひとつだと考えている。

「次に弾着観測射撃時の飛行についてだが、常に分隊ロッテを維持し、僚羽は長羽を支援。通信の逓伝に努めるように。ともかく担当を受け持った砲兵たちから遠く離れてはいかん。通信が届かなくなる」

 空中弾着観測もまた、モーリアの戦訓から大幅に大鷲軍団に取り入れられつつあった。

 それは砲兵たちからすればあまりにも便利な方法で、大鷲族にとっても今後の主たる任務の、柱のひとつにまでなりそうな勢いである。

 幾らか不満顔な大鷲たちがいる。

 大鷲族は、もともと狩猟をしていた種族イェーガーであるため、単独での飛行を好む。その飛び方も、自由気ままでありたいのが本音だ。

 この弊害は、戦前、まずは空中偵察をやりはじめたときに既に出ていた。味方との距離を考えず飛び、通信が届かなくなってしまう大鷲が続出したのだ。

 そこでラインダースは、おもに魔術通信維持の観点から、編隊飛行制を考案した。

 あの師団対抗演習のころのことだ。

 観測、魔術探知を受け持つのは、飛行技量と経験、魔術力に優れた「長羽リード」。これを通信逓伝で支援する「僚羽ウィング」が斜め後ろからついていく。この二羽一組を「分隊ロッテ」と呼んだ。

 大鷲軍団の飛行は、この二羽一組を基本とする。

 更に飛行距離が伸びた場合や、何らかの理由で一組の通信が届かなくなった場合に備えて、もう一組が飛ぶ。この二組を一つの単位にして「小隊シュヴァルム」という。二羽の長羽のうち、どちらか一羽が小隊の長を兼ねる。

 ―――ロッテ・シュヴァルム戦法。

 大鷲軍団が空中偵察にしろ弾着観測射撃にしろ、地上部隊支援を行う場合、この四羽一編成が飛ぶ。

「あとは、コボルト飛行兵諸君から要望のあった件だが―――」

 コボルト兵たちが、ごくりと息を飲んだ。

「朝に一度、新鮮な肉塊を食べれば大丈夫な我々と、耐久時間が異なるのはもっとも至極であると、総軍司令部の許可が下りた。バーンスタイン教授も掛けあって下さった。コボルト飛行兵の諸君には、今後、海軍の戦闘配食を応用した空中弁当が支給されるであろう」

 彼らから歓声があがった。

 当然だった。

 大鷲軍団の飛行時間は、どんどんと伸びる傾向にある。

 あのキーファー岬沖海戦で飛んだウーフー中隊などが代表例だ。

 当然ながら昼食時間を挟んで飛行するといった事態も増え、コボルト飛行兵たちのなかには空腹を訴える者が続出していた。喉も渇く。

 そこで雑嚢を一つ彼ら自身で抱えていって、コーンビーフサンドといった軽食を携えていく要望を部隊として出していた。

 許可はあっさりと下りた。

 それどころか、本当にそんなものでいいのか、以降、創意工夫して好きなものを持っていってよろしい、ということになった。

「飲み物については、現状の軍用水筒に熱いコーヒーを入れ、防寒布で巻く方法しかないが・・・なんでも、いま軍ではまったく新しい形式の水筒を考案中とのことである。二重構造ガラス瓶といったか・・・ともかくそれを使うと魔法のように温度が保てるのだとか。あるいは現用水筒に温熱系刻印魔術式を施したものの試作も進んでいるとのことである―――」

 ラインダースはちらりとコボルトたちを見渡した。

「まあ、この戦争中に間に合うかどうかは保証しかねるが」

 失笑。

 大鷲たちといえば―――

 ああ、また空に携えていく目方が増えたと、ちょっとげんなりした顔をしていた。

 ラインダースにはそれがちょっと可笑しかった。

 実際に文句を口にする奴までいないのは、彼らもまた相棒のコボルトたちの存在をそれほど貴重なものに思っているから。

 今や彼ら二つの種族は、相互信頼と、個別の友誼上まで結ばれるようになっていた。

「ともかく。支援対象の味方部隊からは離れ過ぎぬこと。注意喚起のため、長羽は任務開始時に符丁を発信すること。内容は一言。符丁、トマトハインツだ」


 

 オルクセン陸軍第三軍とエルフィンド陸軍アルトカレ軍両軍最初の接触は、一一月一五日から一六日にかけて発生した。

 一五日といえば―――

 ちょうど、エルフィンド海軍巡洋艦アルスヴィルが最初の沿岸襲撃に出撃したころだが。

 アルトカレ平原中央を進む第三軍第八軍団と、東部街道を進む第七軍団が、それぞれの針路上で兵力八〇〇〇ほどの有力な敵支隊と遭遇した。

 第八軍団は、第二一擲弾兵師団が。指揮官名からカランウェン支隊と呼ばれた隊と。

 第七軍団は、第九山岳猟兵師団が。同、シンダリエル支隊と。

 それぞれ六時間ほどの昼夜間戦闘ののち、エルフィンド軍側の支隊が退却するかたちで終結したのだが―――

 この退却部隊を迎えたマルリアン大将とその幕僚たちは、かなりの驚きを覚えていた。

 退却したことそのものにではない。

 それは予め指示してあったことだし、何ら責めるつもりなどなかった。むしろよく任務を果たしたというところだ。

 問題は、それぞれの死傷者数だった。

 カランウェン支隊、死傷者数

 シンダリエル支隊、死傷者数

「・・・・・・」

 マルリアン大将は、目を疑った。

「報告書の桁をひとつ間違っているのではないか?」

 そのように思えたほど、多かった。

 幸い、死者は抑え込めている。それにしても傷者の数が多い。信じられないほどだった。

 おまけに傷者の傷も酷かった。

 エリクシエル剤を用いたとしても、四肢を喪っては回復など出来ない。貫通銃創ならともかく、内部に銃弾や弾片が残っている傷者にも使えなかった。外科手術を施してからでなければ、それらごと傷口がふさがってしまうからだ。

 ―――いったい、これはなんだ。

 理由については、すぐに察しがついた。

 近代兵器だ。

 一二〇年前などとは比べ物にならない、おそろしく威力が高まった近代兵器でやり合ったからだ。

「なんという・・・なんという戦争なのだ・・・」

 マルリアン自身、ファルマリア港で五〇〇〇近い友軍が三〇〇〇もの犠牲を出したとは聞いていた。だがそれはあまりにも不甲斐ない退却戦をやらかしたからだと思っていた。損害率から見て、その分析は分析で間違いなかったようだが、こちらの準備を整えられるだけ整え、まともにぶつかってみても凄まじい死傷率だった。

 ―――それも遅延戦闘で!

「外周野戦陣地をもっと強化しろ。全力でやれ。要塞も出来得る限り強化だ。そうでなければ――――」

 これは、これは。

 この戦争は。

 ―――たいへんな事になってしまう・・・!



 この一連のでは、当然というべきか、オルクセン軍側にも損害は生じていた。

 第二一師団、約六三〇名。

 第九師団、約四八〇名。

 彼らは任意の方向から任意の兵力で、任意の時間帯と戦術によりエルフィンド軍側を攻撃できた戦闘だったし、軍の医療体制は充実しているから損害を最小限に出来たが―――

 それでも、たいへんな数だった。

 死者はそのうち四分の一弱を数える。

 しかも、将校の戦死傷者が異様なほど多かった。

 オルクセン軍では、将校は先頭に立つべしと定めている。

 そうでなければ、不老にして不死にちかい長命長寿の魔種族ばかりの国の軍隊において、兵が死地になど赴くわけがないと考えられていたからだ。まずは将校から率先しろ、というわけだ。連隊長クラスでも、突撃の際は最先頭に立って当然だとされている。

 おかげで、死傷者内における将校の割合が増えた。

 むろん、兵も死傷している。

 例えオーク兵が一発二発の被弾では死なないほど強靭で、オルクセン軍のドクトリンである火力戦―――砲撃、銃撃、敵が弱りきりあるいは夜間に入ってからの突撃という戦闘を実施できたとしても、死傷者がまるでいない戦闘などあり得なかった。

 軍の上層部では。

 エルフィンド軍ほどは、事態に驚いていなかった。

 一〇年ほど前の、センチュリスターの内戦や、それより以前に鉄海方面で起こったロヴァルナと幾つかの国の戦争は、たいへんなことになっていると、これは当時の観戦武官たちからしっかりと報告があり、それなりの覚悟と準備をこの戦争までに整えていたからだった。ふだんの演習では、その損害率を前提にした判定を使っていた。

 ただし、「事前に想定はしていたが本当にこんなことになるとは」と戦きを覚える者は大勢いた。

 戦場では―――

 軍医や衛生兵たちによって、この「信じられないほどの損害」を抑え込もうと懸命の努力が払われていた。

 まず前線から、医術的な仮治療と、魔術的な治癒とが併用されている。傷者が発生すると彼らが駆け寄り、たいていの場合、まずは傷の具合が確かめられた。銃弾にしろ弾片にしろ、これが貫通しているかどうか。

 貫通していた場合、エリクシエル剤の投与が試みられた。

 この戦争でおおいに効力を発揮したのは、経口投与が必要な水溶ポーション型ではなく、粉末パウダー型だった。

 水溶型は意識のない者には使用できず、成分抽出して乾燥化した粉末型はそのような状態の傷者にも傷口に直接散布できたからである。

 衛生兵たちは傷者の傷口を消毒し、小分けされた薬袋を現場で噛み切り、傷口へそれをふりかけ、止血。包帯を巻いて、傷者たちに自力か、担架及び補助担架にのせて後送させることが多かった。

「俺たちは火薬パウダーで撃って、火薬パウダーで撃たれて、粉末型エリクシエル剤パウダーで救われる」

 そんな戯れ歌のようなことを、兵たちはよく口にしたものだった。

 傷口があまりにも酷かったり、銃弾や弾片が体内に残っていた場合は、魔術的な療術兵が付き添うことで対応し、後送した。

 この魔術は、オルクセン軍の衛生兵全体で見ると使える者の数はそう多くない。かなり貴重な存在だった。やはりコボルト族出身者が多い。彼ら自身にしてみると「体力の一部を分けて元気づけてやる」という感覚にちかい、そんな術だ。

 この二つと、医学的な止血や仮縫合といった方法を前線で施すことで、相当に死者の発生は抑えることは出来たが―――

 それでも傷者の数は、膨大だった。

 近代戦の恐ろしさは、オルクセン軍にも等しく圧し掛かっていたと言える。

 必死の野戦医療体制構築に努める軍医や衛生兵たちにしても、傷のあまりにも酷い者や、現場時点で出血多量に陥っている者、弾の当たり所が悪かった者、砲撃で粉砕された者などは、救いようがなかった。

 なかでも脅威だったのが榴霰弾による砲撃で、この砲弾はキャメロットも開発している以上、エルフィンド軍でも当然使っていた。

 前線で仮手当を受けたうえで本格的な治療が必要だと判断された傷者たちは、担架、補助担架、あるいは傷者自身の徒歩で、隊に作られた「隊包帯所」に後送される。ここから更に後方の「包帯所」、「軽症者収容所」に送られ、ここでも無理だとされた本当の重傷者たちが、今度は医療馬車などでいわゆる「野戦病院」へ。

 更に後方もある。「戦地病院」、「軽症者戦地病院」。ここで再び「軽症者」という言葉が出てくるのは、重傷者が戦地病院で治療、回復したあと送られる場所だ。実際には両者の区別は書類上のことで、併設され、実質的に一体になっていることが多い。

 四肢を失ってしまった者たち、視力や聴力を失ってしまった者たちなど、ここでも無理だ、もう戦地には復帰できないと判断された者たちは軍役を解かれ、中継地を経て、本国の病院へと戻っていく―――

 オルクセン軍の一個野戦師団は、こういった流れを実現するために、四一六名及び軍馬五一頭から成る衛生隊を一個、一一六名及び軍馬四四頭から成る野戦病院を六個持っている。各連隊には、隊の軍医も隊付衛生隊もいる。

 このような衛生体制に乗れなかった者、あるいは送り戻されるのではなく何処かで停止した者たちが―――死者ということになる。

「頑張れ、もう少しだぞ」

 第九師団第七連隊に、ちょっとゴツい見かけのオーク族の、隊付衛生兵がいた。

 衛生科の者というより、山賊や野盗でもやっているのではないかと思いたくなるような。そんな巨躯と鋭い牙と、顔貌をしていた。

 療術兵の技能章持ち。

 つまりこの牡、オーク族としては本当に珍しいことに、魔術が使えて、しかも療術がやれた。

 一般的な歩兵として入営したが、そのために兵科が移り変わった。

 彼にはそれが誇りだった。

 敬愛してやまないグスタフ・ファルケンハイン王もまた、かつては衛生兵で、療術使いだったことを知っていたからだ。国民にはよく知られた経歴である。ロザリンド会戦のときは、いまよりずっと原始的だった衛生隊でたいへんな苦労をされてから、王になられた―――そんな話が、国民や、軍隊や、なかでもとくに衛生科の者たちにとって語り草になっていた。

 他国では衛生隊を楽な勤務だといって小馬鹿にして、「包帯」だの「消毒薬」だのといった蔑称まで使う軍隊も多いが、オルクセン陸軍においてそのような空気が皆無にちかいのは、グスタフ王のそういった経歴に依るところが大きい。

「衛生兵さん・・・エリクシエル使ってくれよ・・・ 俺・・・重傷なんだろ・・・?」

「いやいや。安心しろ、軽い軽い!」

 彼はいま、戦闘を終えた第九師団第七連隊の担当区で、傷者の後送を行っていた。

 療術の波を送り続けつつ、担架のうえの兵隊を励まし続けていた。

 実際のところ、重傷も重傷、酷いものだった。

 エリクシエルが使えない。

 だから担架担当の者とは別に、彼が付き添っていた。

 もう戦闘も終わったあとだというので、この兵が所属していた隊から一名、戦友が付き添ってきていた。規定違反に近いが、大目にみるべきか。本当は彼らの上官が来たがっていたのだが、それは流石に無理だった。

「本当に・・・?」

「ああ。軽い、軽いよ」 

 しかし、送り届ける途上。

 この兵は息を引き取った。

 胸に食い込んだ弾片が、戦地の寒さと相まってこの兵の命を奪ってしまった。

 階級は伍長だった。ゴルドブルン市出身。

「・・・・・・」

 みな、言葉もなかった。

 徒労と絶望とに押し倒されそうになったが、もはや、何かを口にしたり、嗚咽したり、落涙する者は衛生隊にはいなかった。になりかけていたからだ。いちいち挫けていては、助かる者も助けられなくなる。

 ただ、戦友だという兵の悲しみはひどく、何度も名を呼び、号泣していた。

「すまんな・・・すまんな。助けてやれなかった。上官に知らせてやってくれ。上官、名前は何だったか・・・ アルテスグルック中尉? うん。じゃあ、よろしく頼む」



(続)

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