第20話 すばらしき戦争⑧ 王であるということ 上編
星暦八七六年は一一月に入り、幾らかが過ぎている。
昼間の気温は摂氏五度、夜間のそれは二度を下回るほどになり、本格的な冬季の到来を迎えた。
兵たちは、それまでは背嚢の上に丁寧に畳み巻き込んでいた黒羅紗の外套を取り出す機会が徐々に増えていった。温食や熱いコーヒーが、何よりの御馳走となる、そんなころ。
ファルマリア港が第一軍の手に落ち―――
半島中央部に位置する第三軍は、オルクセン側兵站拠点からモーリア市へと鉄道が延伸され接続されるのに合わせ、徐々にシルヴァン川北岸へと軸足を移しつつあった。
一挙には、進めない。
なにしろ、第三軍の総兵力は一六万を超える。
橋頭堡を拡大しつつ、一軍団、また一軍団と三本の橋梁を越え、北へ進み、西へ伸び、東へ翼を広げて、モーリアからの各街道を使って、半島中央部のアルトカレ平原へと進出していく。
行軍渡河の主道となったパウル〇一橋梁には、
「足を濡らさず渡れることを、第七軍団に感謝を!」
そんな如何にも陽気なオーク族の軍隊らしい手書き即席の横断幕があって、後続部隊の奮起及び談笑を誘った。
その西方側では、開戦翌日にノグロストを陥落させたツィーテン上級大将の第二軍が、一個師団を延伸運動させ、村という村を落とし、残敵を掃討し、第二軍と第三軍の間を連結させている。これで側面の心配もない。
「ここまでは順調じゃな」
モーリアへ移った第三軍司令部では、アロイジウス・シュヴェーリン上級大将が満足気に大地図を睨んでいる。
問題はここからだ。
第三軍は、所属の各軍団をアルトカレ平原で横に並べ伸ばすようにして、同平原中央のやや北寄りにある大都市、アルトリアを目指さねばならない。各街道を一個軍団ずつ進んで、これが収束するアルトリアでまた合同、同方面の敵へ勝負をかける。
―――分進合撃戦術。
一本の街道に寄り集まってしまうと、一見兵力を集中しているように見えるがそれは過剰集中というもので、例の一つの街道を一度に進めるのは二個師団までという原則を思えば、麾下四軍団のうち一個軍団しか正面には立てない。分進合撃なら、仮想戦場に一挙に四軍団が集結できる。
それは戦術的要求というよりも、兵站維持上の観点から軍の進撃を行うオルクセン軍得意の戦法だが、ここから先は、開戦時の奇襲効果はもう無いと見なければならない。
敵の動員も進み、兵力も整えられ、言ってみれば待ち構えられているところへ飛び込んでいくことになる。
アルトリアは、旧式ながら要塞となった要塞都市だ。
敵が野戦を挑んでくるか、籠城をするかは相手の出方次第であって、その対応により第三軍の動きも当然変わってくる。
参謀本部の戦前分析ではこの方面の敵兵力を、一六万乃至一八万と見ていた。
開戦以来初めての、軍規模同士のぶつかり合いであり、陸上戦闘としては最大規模のものになるだろう―――
「いつ動ける?」
「すぐには無理です」
ギュンター・ブルーメンタール第三軍参謀長は答えた。
「鉄道を改修させませんと。鉄道から外れては、戦えません」
「うむ」
このとき、第三軍の背後では、オルクセン本国とエルフィンドの鉄道線連結を終えた六個鉄道中隊と国有鉄道社義勇隊が、別の作業に入っていた。
―――軌間改修である。
星欧諸国において、他国より大きく造られているオルクセンの鉄道軌道間隔は、一五二四ミリある。
対してエルフィンドの鉄道は、キャメロットの規格を導入していて、一四三五ミリだ。
このままでは、オルクセンの鉄道車両は使えない。
そこで、差の八九ミリぶんを、どうにかしなければならない。
なかなかたいへんな作業に思える。
後世、この軌道間隔の差があるため、エルフィンド側はオルクセンの侵攻を警戒していなかったのだ、という説がある。説得力がある上に、オルクセンは兵站を―――なかでも鉄道輸送を重視していたから、信じる者も多く、たいへん広まった説だ。
しかしながら。
実際のところ、何事も事前研究を欠かさないオルクセン国軍参謀本部は、開戦前からもうこの解決策を見出していた。
彼らが生みだしたというより、各国への輸出のために様々な軌間の車両を製造していた鉄道車両製造会社や、軍の研究に協力していた国有鉄道社の技師たちがその知恵を授けた。
とてつもなく手間がかかるように思える軌道間隔改修だが、鉄道線の新設などに比べれば、あくまで比べればだが、非常に簡易な手法で行うことが可能だった。
当時の鉄道は、枕木はみな木材で出来ている。
枕木と軌道の固定方法も後年のものよりずっと簡素で、単純だった。
そこで軌道のうち片側一本の、この枕木と軌道を固定している犬釘を引っこ抜いてしまい、八九ミリ分ずらして再度打ち込めば―――
これで完了である。
実際には砕石を詰めて微調整、橋梁があればその強度確認、軌道の固定も要所適所にはボルトを使いたい場合もあるなどといった作業も生じるから、かなり乱暴な説明になるが、それで済んだ。
第三軍の背後では、この改修作業が行われている。
両者の接続点であるモーリアに中継拠点を作り、ここでオルクセン規格車両からキャメロット規格車両に荷を積み替えるという方法も採ろうと思えば採れたが、そのような真似すればまたそこに兵站上の転換点が生まれる。手間になって仕方ない、上手くいくとは思えないと兵站局がいうので、国軍参謀本部は戦前研究により改修を選んだ。
第三軍は、その進捗に合わせて進む。現地調達は主軸ではない。
いますこし詳細にいえば、改修が済んだ先で前進させた末端兵站拠点駅を作り、そこから輜重馬車の延伸運動を行えるようにして進む。現状ではこの末端兵站拠点駅が、モーリアの北側に作られることになっている。
―――まったく、近代戦争のなんと手間のかかることか!
だが改めて強調するならば、彼らはオークの軍隊である。現地調達のみに頼れば、あっという間にその地方を干上がらせてしまう。
火器、弾薬、医薬品なども運び、負傷者や戦病者、病傷馬、故障兵器といったものの後送もやらねばならない。
軍としては、既存占領地域の安定も疎かには出来ない。
その端緒は、もう始まってもいた。
モーリア市には陥落の三日後、オルクセン国有銀行が支店を進出させている。護衛付きの特別列車で、大量の各種金貨と銀貨が持ち込まれていた。エルフィンドの本位貨幣とオルクセン本位貨幣の両替を請け負うためである。
また軍契約の、ファーレンス商会が手配した行商たちが続々と到着しはじめてもいた。
彼らは、軍に連隊あたりひとつ随行している契約酒保業者とは、また別の存在になる。
食糧や医薬品は緊急的に軍が面倒を見るが、商人たちは都市生活に必要な衛生用品、家庭用日用品といった至急不足品を占領地向けに扱う。
ただし彼らはエルフィンドの貨幣では決済を受け付けない。蝋燭一本買うにも、オルクセン貨幣か軍票でなければならなかった。
モーリア在住の白エルフ族市民たちは、砲撃戦での瓦礫の片づけや家屋修復に参加すれば、僅かではあったが軍から日雇い賃が出た。
また周辺村落から物資調達が行われた場合、この支払いもあるが、これらはすべてオルクセンの軍票、もしくはオルクセン貨幣で成される。
その代価を用いるか、手持ちの資金を両替するしかない。
軍票というのは、軍が発行する代用紙幣のこと。
正式には軍用手票。
正貨ではなく、あくまで代用。
「額面通りの金額で通用することを軍として保証します」という、いわば紙切れである。正貨に替えようとすると将来的な債務償還を要する。
この時点では軍票の使用に軸足が置かれ、正貨両替額には一日辺り現地住民ひとり幾らまでと上限があった。
一度に大量に正貨を供給すると占領直後の物資不足などと相まって物価の騰貴を招きやすいからである。軍票や両替上限額はそれを防ぐための手段でもある。
ひとつの国家が侵されるとき、それは軍事面のみに留まらない。
経済の面でも浸食が生じる。
侵す側としては、これを成さねばならない。
そうしたとき、極初期にしばしば生じるのが、被占領国側からの忌避感情や受取拒否だ。
エルフィンドとオルクセンの場合、元の国交もない。
種族間の対立、侮蔑、憎悪といった感情もある。
果たして相手の通貨など信用できるのかという疑念も生じるし、あるいは侵攻など一時的なもので自国の軍隊が押し返してくるはずだ、などという願望も出てくる。
では、信用度を得るためにはどうするのか。
軍から住民へという一方的な流れだけにするのではなく、実際にその地域で流通させて行くしかない。
「
使えなければ何の意味もないのだ。
兌換だの不換だのといった難しい話をかなり乱暴に解釈した言い方になるが、通用流通するなら石ころでも価値が出る。逆なら金貨でも意味がない。
白エルフたちとすれば、いまはおっかなびっくり、だが背に腹は代えられず徐々に軍票やオルクセン貨幣を手にしてみている状態。
占領地契約行商たちの役割は、その使用を促し、信用度を与えるための手段である。
これを行うと―――
市中の、元から存在した経済流通のほうにも、オルクセン貨幣が浸透を始める。
星欧の軍隊がこんな真似をしはじめたのは、意外に古い。近代的な軍票という仕組みが初めて試みられた時点でみても、デュートネ戦争のころまで遡る。
「これも戦争じゃなぁ」
司令部を置いた市庁舎から、市中視察に出たシュヴェーリンは呟く。
この闘将、大胆にも護衛を連れていない。
ブルーメンタール参謀長と副官しか伴っていなかった。
己のような者でも気ままに動けるのだぞと占領地に示すことも、これもまた安定化策だと思っている。
またこのような占領直後の地域には、野戦憲兵隊が多めに配されていた。
軍による略奪、強姦、強盗等の犯罪を防ぐためである。
そのような事態を誘起、放置することになれば、これもまた占領地の安定を損なう。もし発生した場合は、もっとも重いもので銃殺刑という、厳罰を以て処罰することなっていた。
「それにしても、商人たちも逞しいですな」
「うむ―――」
シュヴェーリンはふと、デュートネ戦争で自身の軍を支援したコボルト商人を思い出していた。
いまのファーレンス商会の会長だ。当時は、まさかあそこまで大きな商いに広げるとは思ってもみなかった。
「常々思うんじゃが―――」
「はい」
「上級大将なんぞより、商人のほうがよほど難しい商売じゃぞ。儂らは極論、ぶっ壊せば済む。そのために存在している。だが彼らは壊すのも、再生するのも両方やる」
「金じゃ金じゃよ金の世じゃぁぁ、魔族の国も金次第ぃぃぃぃ」
ここに、一頭の奇妙な牡がいる。
オルクセン首都ヴィルトシュヴァイン。新市街、財務省。
即興の、いい加減な節の歌を唸りながら、のっそりのっそりと財務省の大階段を登っていくのは、オーク族である。
彼らの種族らしい巨躯の、フロックコートの襟元はだらしない。タイもまともに結んでいない。
同族たちのなかでは珍しい、眼鏡の、小さなものを鼻にひっかけている。
―――オルクセン財務大臣マクシミリアン・リスト。
通称、
これでもこの国の誇る経済学と政治学の泰斗で、国王グスタフの信任も厚い閣僚であり、かつ、いまは外務省へ寄ってからの遅い登庁である。
オルクセンのような国の経済発展には国家の介入と統制が必要だとする保護貿易論、また鉄道の登場は社会の機構のあらゆる部分を改革し得るという経済論などを世に問うて、諸外国などからも名を知られていた。近年のオルクセンにおける経済及び財務政策は、みなこの牡の手によるものだ。
いささか上機嫌だ。
今朝方、会食しつつ情報交換と共有をした外務大臣クレメンス・ビューローから仕入れた最新情勢によれば、開戦前の外交戦は非常に上手く成果を上げたという。
一一月五日のセンチュリースター合衆国のものを皮切りに、各国によるベレリアンド戦争への立場表明が相次いでいた。
センチュリースター合衆国、厳正な中立。
キャメロット連合王国、好意的中立。
センチュリースター南部連合、好意的中立。
グロワール第二帝政国、中立。
アスカニア王国、中立。
ロヴァルナ帝国、中立。
アルビニー王国、中立。
オスタリッチ帝国、中立。
エトルリア王国、中立―――
星欧列商各国、軒並み中立宣言だった。
各国公使は、ビューロー外務大臣に対し、観戦武官の従軍希望と、従軍記者受け入れへの便宜を図ってくれるよう依頼してきている―――
「いいぞ、いいぞ・・・!」
怪訝に振り向く官僚たちなど視界にもなく、リストは独り言ちる。
諸外国による、オルクセンへの有利となる行動は、経済の面でも表れていた。
戦争が起きれば、特需が起きる。
これを見越しての、投機の動きである。
既にこのとき、オルクセン株式市場は上昇していた。
開戦の翌日、新聞報道各社が号外にて戦争勃発の事実を全土に告げると、輿論は沸騰。同時に発表されたエルフィンド外交書簡事件のあらましが、国民感情の義侠心や愛国心という名の火に油を注いでいた。
「エルフィンドを倒せ!」
「母なる祖国を護れ!」
「白エルフどもを許すな!」
なかでもしきりに叫ばれるようになったのが、
「一〇〇万の兵を前線へ!一〇〇万箱の食糧を前線へ!」
というものである。
大手新聞社が号外第二弾の表題としたもので、やがて略され、
「一〇〇万の兵、一〇〇万箱の食糧」
となり、この語感とわかりやすさがよかったのか、たちまちのうちに全土に広がった。
食糧や後備兵力はまだしも、一〇〇万もの前線兵力は現在のところ必要とされていない。軍にそのような動員計画もない。
しかしながら、民衆とはわかりやすい標語やイメージを好むものである。
こうした声とともに、まずその日、オルクセン中央株式市場は開場から直ちに高騰し、終値平均で六ラング上昇した。出来高は四万四〇〇〇株。
強気の値動き、取引である。
次いで、軍が数々の緒戦の勝利を発表した。
―――開戦と同時に、ベラファラス湾海戦。エルフィンド艦隊壊滅。
―――国軍五〇万、国境線を突破。
これらの報は、開戦翌日の号外第三弾として夕刻までには全土に伝わった。
国民は、また熱狂した。
オーク族たちはこれぞ一二〇年の復仇と叫び、コボルト族は歓喜の涙を流し、ドワーフ族はかつての種族故国の地が奪還されたことに快哉を叫んだ。大鷲族は空を舞って紙吹雪を散らし、巨狼たちは天に吠え、ダークエルフ族も出征した同族兵たちを想った。
あちこちの酒場や食堂では、盛大に麦酒が飲まれ、惜しげもなく高価な酒瓶が開けられた。
翌二八日、ヴィルトシュヴァイン市電は花電車を走らせ、夜には各地の大通り、公園などで開戦祝賀のパレードが起こった。オオマテバシイの街路樹とともに並ぶアーク街燈の煌々たる輝きのもと、盛大な快哉が深夜まで続いたのである。
はやくも、戦勝の雰囲気、その前祝いかと思わせるほどの気配である。
その熱狂ぶりは、在留諸外国人からすればやや異常にも思えたほどだ。
「無理もない」
と、その日記に記述を残し理解を示したのは、キャメロット公使マクスウェル。
「多民族国家は、人間族の国でも戦時にはそのように熱狂し、一致団結するものである。また、オルクセンにおいては彼ら一二〇年の歴史がそうさせているのだし、あるいは彼らのうち幾らかは、魔族種の長命長寿不老ゆえにその歴史の当事者自身でもある」
また、まだ戦時国債の募集や義援金の公募など始まってもいないのに、陸軍省や海軍省、財務省には寄付をしたいという者がおしかけるという現象も起きていた。もちろん富豪などもいたが、多くは些少ながらと僅かばかりの蓄えを携えてきた、一般国民たちであった。
つまり国民の多くは、この戦争には勝つ、祖国が勝つに違いない、我ら銃後がそのようにしてみせる。そう見なし、熱狂し、行動しているのだ。
「いける、いけるぞ!」
リストはどっかりと執務室の応接ソファーに着く。
彼にはやらねばならないことがある。
―――戦費の調達である。
国軍参謀本部と財務省の試算によれば、オルクセンはこの戦争の戦費を約九億ラングと見ていた。
国家歳入一四億ラングに対し、九億ラング。
星欧列商第三位のオルクセンには、こういっては何だが、金はある。
約二億ラングの正貨が、世界金融市場の中心たるキャメロット首都ログレスに預けてあった。
残り七億ラング。
ずいぶんと足りないようにも思えるが、戦費の見通しを全て蓄えて戦争に踏み切れるような国はない。大なり小なりの戦費調達は、どこの国でも必要であった。
かつて戦費といえば、国内及び占領地からの税の徴収で賄われることが当たり前であったが、動員する兵の数が増え、近代兵器を多用するようになったころから戦争には余りにも多額の金が掛かるようになって、この方法は主流ではなくなっていた。
代わって登場したのが、
出来ればログレスにある正貨は極力手をつけず、戦費調達の大半をその戦時公債のうち国内向けのもので賄ってしまおうと、リストは考えている。
オルクセン国民数のうち労働口数は、一八〇〇万である。
仮に第一期として四億集めるとして、労働口数辺りで約二二ラング。軍の、決して高額とはいえない初年兵給与の二か月分弱ほどに相当する。
―――ファーレンス商会のような大口もある。国民の生活水準から見ても、一次二次と募集をかければ、どうとでもなる。
どのように試算しても、むしろ余るのではないかと思われた。
国民の大半が成獣であり、労働口数が多いというあの魔種族特有の事情が、有利に働く。
念のため、一億ラング、キャメロット通貨にして約一〇〇〇万クィドほど外債も募集することにしていた。
すでにログレス国際金融市場で出回っている、オルクセン国鉄四分利公債、電力公社四分利公債の販路をそのまま利用する。募集条件も同様。これもまた無理のない範囲であったが、こちらはあくまで予備費。
オルクセンは兵器などの自国生産能力も、食糧の自給率も高いから、戦争において海外決済を要するものは多くない。火薬原材料となる南星大陸産硝石などの一部資源や、医薬品の輸入に留まるとみられている。リストとしては外債についてはその線で抑え込みたかった。
そちらの値動きも開戦前には懸念もあったが、エルフィンド外交書簡事件の詳報と、数々の戦勝報が駆け巡るにつれて、安定傾向にあった。四分利公債で三分五厘の実質利回りの線で推移しており、引受銀行側の渉外反応もいい。
対する、ログレス市場で幾らか商われていたエルフィンドの発行公債が、額面一〇〇クィドから一挙に八一クィドまで暴落していたことと照らし合わせるなら、諸外国とその投機筋がこの戦争の将来をどう見ているのかよく分かる。
国内も国外も、好ましい動きであった。
「こうでなければ。こうでなければ、陛下の御意思と、私の思惑が果たせん」
彼らが狙っていたのは、戦費の確保だけではなかった。
この戦争がどのようなかたちにしろ終わりをみたとき、何が起こるか。
将兵の帰還。
戦時増産などによる、特需景気の収束。
―――下手をすると、不景気が来る。
これを回避するために、グスタフ王とリストは内需の拡大投資を行うつもりであった。
王の内意を受けたリストは、その方策を研究、試算する日々を送っている。
彼の立てた計画のあらましは、たいへん大雑把にいえば、戦争の終結とともに、残されたオルクセンの体力全てを国内資本にぶち込んでしまう方法だった。
国土全土の鉄道複線化。
重工業化の加速。
エリクシエル剤、肥料といった化学工業の拡大。
炭鉱の生産量拡大。
消費先のほうは、国内のみならず海外、おもに現在も取引相手のある星欧内の工業基盤の弱い国家たち、同様条件のセンチュリースター南部、道洋を見込んでいる。
これらを行い、様子を見ながら徐々に投資を引き抜いていって、経済の乱高下を防ぎ、事態を軟着陸させる。
その副産物として富ませた国力で、国民に金を返す。償還したとたん、国債を買っていた国民の現金貯蓄高もそれだけ増える。これがその時点での更なる消費を促せる―――
「ふふ、ふふふ」
リストの思惑通りことが進めば、オルクセンの経済は、たいへんな伸びを示すことになる。
おそらく、列商第二位のグロワールの経済を凌ぐところまで辿り着ける。
ただし不安材料がないわけではなかった。
懸念は二つ。
戦時特需と戦後予定の内需投資で起きかねない、物価上昇をどれだけ抑え込めるか。
大きな物価上昇を招いた場合、それだけ国民が困窮してしまうことになるし、国債の償還期限を迎えたとき、その実質価値が受け取る側からすれば目減りしてしまうことになる。
これについては対策があった。
オルクセンにおいて物価の大きな基準になっている、食糧。
物価上昇が起きそうになったら、その国有在庫を放出してしまえばいい。蓄える量を減らしてもいい。そうして市場価格を押し下げる。いままでも農業収穫高が減少した年などに行われてきた手法だった。
いま一つの懸念は、内需に投資するといっても、既にそればかりやってきたオルクセンには、もう劇的な伸びしろは薄いこと。
これについても、リストには腹案があった。
「
―――エルフィンド。
リストは既に、グスタフ王から戦後処理の方針について聞かされていた。王はそれをずいぶんと早いうちから決めていた。そうしてリストに指示を与えてから出征したのである。
―――エルフィンドは滅ぼしてしまう。
―――オルクセンへの併合。
そこは、彼らの基準から見ればまるで手付かず、手垢付かず、無垢の土地であった。
社会基盤。
地下資源。
水産資源。
伸びしろがたっぷりとある新領土に内需投資をぶち込んでしまう。
受け入れる側の受容力に、こちらから見れば最低限の下地が必要だが。
―――それはいま、軍がやっている。
膨大な労働力とも捉えられる兵隊を使って、戦争の一環、国家事業そのものとしてやっている。
鉄道の補修改修。
社会基盤の整備。
現地調達等の影響による、雇用の創出。
そう、将来の内需投資はもう始まっているのだ。
「ふふ、ふひひひひひひ。ぶははははははは!」
彼らはなんと、もう戦後を見ていた。
リストそのひとの野望としては。
彼自身の経済論の実証をより深めたいという思惑があり、また軍の者ばかりが肩幅を効かせるこの国の国家中枢で、戦後を経済官僚たちが少しは嚙み込める世界へと持っていこうとしていた。
ひとりでひたすら笑い転げるその姿は、その部下たちでさえちょっと近寄りがたい様子だったが。
(続)
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