第18話 すばらしき戦争⑥ ファルマリア港攻略戦 上編

 ベラファラス湾海戦、モーリアの戦い、シルヴァン川東部渡河戦。

 そして第二軍の担当戦区で開戦翌日には無事陥落していた、ノグロストの攻略戦。

 ベレリアンド戦争開戦初日から翌日にかけて、陸海で行われたこれら主要な戦いの他に、いまひとつ、その後の戦局に与えた影響の大きさを思うなら、どうしても記しておかねばならないオルクセン側の動きがある。

 それは正確にいえば、開戦の一二日前―――

 あのオルクセン陸海軍の動員が始まった辺りからのことになる。

 オルクセンにおいて、国有汽船社に次いで大きな海運会社である北オルク汽船に属する二隻の貨客船が、寄港中のキャメロットの港、あるいはグロワールの港で、本社から「可及的速やかに戻って来い」という電信命令を受けた。

 二隻は同型船で、排水量三八〇〇トン。

 鋭いクリッパー型の船首に、ほっそりとした船体をし、三本のマストと蒸気機関を備えた汽帆装船である。黒い船体に白い艦橋と上部構造物、北オルク汽船社のシンボルである橙色をした煙突を一本持つ、なかなかに優雅な印象のある船だ。速力は当時の商船としてはかなり速い、一六ノットを出せた。

 それぞれキルシュバオム号、プフラオメ号といった。

 二隻の船長はわけもわからず、既に予定のあった復路の客と荷を積むと、ふだんよりうんと速力を出して航海をし、望外な速さで到着できた事を喜ぶ客と荷を目的地で降ろし、各船おおむね四日から五日かけ、ベレリアンド半島の西側、オルクセン北西部にある同国最大の商業港にして北オルク汽船の本拠地でもあるネーベンシュトラントに帰港した。

 そうして帰港すると、ただちに同地にあるヴィッセル社のドックに入渠させられた。

 船長以下乗員たちにしてみれば、寝耳に水のことであった。定期航路には、社の別の船を配船して穴を開けぬようにするという。

 技師や工員たちの、二四時間三直体制による突貫工事で施された作業は、奇妙なものであった。

 まず、一等客室の大食堂の装飾や机、椅子が全て取り払われ、がらんとした空間に作り替えられた。代わりに簡素的な大机と椅子が置かれた。

 設計図面のころから妙に頑丈に作られていた、船首と船尾のデッキ、そして船橋構造物の両舷前端から上部構造物の両舷後端にあった設備が撤去され、何か異なった大きな機械装置が取り付けられる。船尾付近のスパーデッキ両舷に、なぜか最初から門扉構造で上下に開くように造られた場所に据えられた、管状の装置もあった。

 開戦四日前に各船が船渠から引っ張りだされたときには、それらの装置は甲板上に荷として据えられたように見える木箱や、あるいは短艇のようなもののなかに収まっていた。スパーデッキの上下開閉口は表面的にはしっかりと閉じられている。

 煙突の色は塗り直してあった。何処の国の、何処の船会社にでもありそうな、黒煙突に白帯二本になった。

 船底の牡蠣殻は落とされ、機関整備も念入りに施されていた。

 奇妙な改造と整備が終わると、造船所に三々五々私服で集まってきた、それでいて港に住む者には一目で海にまつわる職業についているらしいとわかる雰囲気の牡たちが、両船に乗り込んだ。

 すぐに水や食糧や、石炭もたっぷりと積まれた。たっぷりと。

 奇妙なといえば、この二隻、石炭を積み込んだ石炭庫の配置も特徴的だった。

 図面を見れば舷側内側に壁になるよう据え付けてあって、例え外壁がぶち破られても内壁との間で石炭庫が防禦壁の役目を果たすよう、まるで狙って造ったような配置である。

 その容量も大きく、客室や荷物室などのために内部容量の必要な商船では、これほどのものはあまり見る構造ではなかった。

 船橋の海図室には、北海周辺―――エルフィンド辺りの海図がしっかりと最新のもので整えられた。世界の商船が識別できる、ファーレンス商船籍簿も同様である。

 とびきり妙なものも積み込まれた。

 船は何処の国にも売却などされていないというのに、オルクセンのみならず、キャメロットやグロワール、ロヴァルナといった、幾つもの国の商船旗が持ち込まれたのだ。

 二隻は習熟や点検もそこそこに、開戦の二日前から前日にかけて出港した。

 そうして、ベレリアンド半島の北西側に針路をとった。他国からエルフィンドへと行き交う商船が、半島先端西側にあった商業港にしろ、東側根本のファルマリア港にしろ、そのどちらに向かうにしても通らねばならない辺りだ。

 開戦から四日目。

 二隻のうち一隻、キルシュバオム号は最初の「獲物」に出くわした。

 エルフィンド船籍の、五〇〇〇トンある大型石炭船だった。キャメロットの方角から、エルフィンドへと向かっていた。

 キルシュバオム号は、グロワールの商船旗を掲げ、船舶における万国共通言語といっていい旗旒信号で同国商船ラファイエット号だと名乗りながら、この貨物船に近づいていく。

 このころ、海を行き交う大型船舶はちょっと面白い習慣を持っていた。

 近場で出くわすと、距離を詰めて、お互いの航海時計マリンクロノメーターの時刻を確認しあったのである。これより以前の時代、まだ航海時計の信用度がいまひとつだったころ、船乗りたちはこれを補正しあって航海を安全なものとした習わしの、名残のようなものだった。

 このころの時代になると、航海時計の精度はもう十分信頼のおけるものとなっていたから、その実用的目的からというよりも、挨拶を交わし合うといったような意味合いに近いものになっていた。まだ無線はなく、海難事故があったときなどには「最後に姿を見たのはあそこだった」などという目撃談を伝えるためにも役にたったものだ。

 キルシュバオム号はその態で近づいた。

 距離、半海里―――一〇〇〇メーター弱ほどまで寄った。本当に至近である。

「よーし、十分だ! 偽装やめ! 旗を揚げ変えろ!」

 キルシュバオム号の船橋で、船長が叫ぶ。

 入渠前までその役を務めていた者とは、この出港前に交代したまるで別の船長だ。

 グロワール国旗がぱっと降ろされると、代わってオルクセン海軍旗が揚げられた。

 船首デッキに乗せられた木箱や、艦尾デッキの短艇のように見えたものが内側からバタンと開き、奇妙な装置―――海軍の予備兵器庫から引っ張りだされて船に増設された一五センチ砲が現れる。

 構造物四周に配された七・五センチ砲四門も、被せてあった帆布が手早く取り払われて、同様に姿を現す。

「船首前方に二発だ! 当てるなよ! 打て!」

 船首デッキの一五センチ砲が火を吹いて、船首の先に水柱が二本上がり、エルフィンド商船は呆気に取られた。

 キルシュバオムの信号旗揚降索に国際信号旗が揚げられ、船橋脇の発光信号器もぱたぱたと操作される。

「我、オルクセン海軍補助巡OMS洋艦ゼーアドラー。停船せよ。しからざらば撃沈す」

 エルフィンド商船は、仰天した。

 相手の甲板や、手早く降ろされようとする短艇周囲の乗員を見れば皆オークで、しかもオルクセン海軍の将校や水兵の服を着ている。

 成すすべもなかった。

 商船側は丸腰だ。停船するしかない。

 キルシュバオム―――いまやゼーアドラーと改名された同船から、将校と小銃で武装した兵たちという臨検隊が送り込まれて、茫然とする白エルフの船長に両国開戦の事実を改めて告げる。そうして、

「積み荷は何です? おや、キャメロットの石炭ですか。極上品ですな。船長、申し訳ございませんが、本船を拿捕致します。オルクセンまでご同行願いましょう。ご心配なく。国際赤星十字社を通じて帰国もできますので。もっとも―――」

 臨検隊を指揮するオーク族の海軍将校は、にっこりと笑った。

 他種族からすれば、ごつく厳つい顔で脅されているようにしか見えない。

「もっとも。そのとき、帰る国がまだあれば、ですがね」

 ―――仮装巡洋艦。

 オルクセン海軍風に従えば、補助巡洋艦ともいう。特設巡洋艦という表現方法を使った国もある。

 戦時おいて商船を改造し、軍艦に仕立て、運用する。

 素人目にはまるで海賊のようにも思える、ゼーアドラー号がしてのけた、襲撃まで他国の船を装うだとか兵器を隠しておくといった真似は、手順さえしっかりと踏めば、国際法的に認められてもいた。

 海軍艦艇に乏しいオルクセン海軍は、この戦役で最終的には七隻もの補助巡洋艦をベレリアンド半島周辺に投入した。

「まったく。いいフネを作ってくれたものだよ、北オルク汽船は」

 船長―――いや、艦長ルックナー中佐の言葉通り。

 なかでも、この戦役中いちばん活躍したのは、キルシュバオム号型高速貨客船二隻を改造したものだった。

 この二隻、最初からそんな目的のために設計され、建造された代物であったのだ。

 義侠心に富み、いわゆる愛国心にもあふれていた北オルク汽船社の社長が、私財まで投げうって、彼から見ると非常に心許ないものに思えたオルクセン海軍を一朝事あれば義勇艦隊法に基づいて助けてやろうと、そう決意した果てに建造した。

 客船としては細身に作って、強力な機関を積んでたいへん速度が出せるようにし、船体各所は補強を入れた設計を施し砲や魚雷発射管を乗せられるようにして、挙句に石炭庫は必要以上に大容量かつ舷側防御帯としての役割を果たせるように、最初から出来ていた。

 やや大きな作りだった上部構造物の一等船客用大食堂は、臨検や拿捕移乗のため多めに用意することになる乗員や、捕虜となった船員を収容するにもおあつらえ向きになっている。

 海軍にもひっそりと話は通してあったというのだから、恐れ入る。

 だからこの開戦のとき、最初に投入できた補助巡洋艦になった。

 ただしこの二隻、もしエルフィンドとの戦争がなければ、北オルク汽船社を経営危機に陥れたのではないかとされている。

 社長の道楽が過ぎたのである。

 貨客船としては、べらぼうに速度が出せるというのは良いことのようで、実は経済的にはあまりよろしくない。石炭代が高くついて仕方ないという、不効率さを意味する。

 そのような船の場合、一等船室の料金をうんと高く設定するか、三等船客をたくさん積むか、あるいは荷を多く引き受けて投資を回収すればいいのだが、キルシュバオム号型はそれも無理だった。

 貨客船というより本物の巡洋艦のようだった船体は細身に過ぎ、また武装用の構造補強や、あの石炭庫が内部容量を減らしてしまい、船室も貨物室も排水量や船体サイズの割にはまるで少なかった。

 つまり、使ってみると赤字まっしぐらである。

 実際、この二隻が就役した北海周辺航路では、たいへん速く目的地に着けると客や荷主には評判で人気もあったものの、まるで採算が取れていなかった。

 戦争勃発で、気を使った海軍が臨時会計費を用い買い上げてくれなかったら、どうなっていたことか分からない。

 しかしながらこの二隻―――

 この戦役中、本当に大活躍した。

 事実上この二隻だけで、エルフィンドのもとから乏しかった海上通商路を完全に遮断してしまったようなものだった。

 同国の商船のみならず、同国発注の軍需物資を積んだ他国の船を見つけると臨検し、荷主簿や荷を確認して拿捕をした。

 実は意外に手間のかかる撃沈という手段を選ばずとも、エルフィンドとオルクセンが比較的近距離であったから、拿捕したあと回航させるという選択が容易だったことも、戦果を拡張した。

 もちろん、ときには停船命令を無視した船や、積荷に興味がない老朽船などは撃沈することもあった。砲を使った例や魚雷を用いた例もあるが、たいていの場合、臨検隊が乗り込んだ際に船底に爆薬を仕掛けるか、キングストン弁を開かせて自沈させた。

 二隻を中心とした七隻の補助巡洋艦はあまりにも暴れ回り、

「グスタフ王の海賊」

 などと呼ばれた。

 ―――通商破壊戦という。

 エルフィンドは、元より兵器の自国生産能力に乏しい。

 この戦争中、彼女たちが他国に発注した銃火器、砲弾や、鋼材、火薬やその原材料である硝石、あるいは慌てて取り揃えようとした旋盤など工業機械類は、ついにエルフィンドへと到着することはなかった。

 なかでもエルフィンド側を悩ませたのは、キャメロットからの良質な石炭の供給を断たれてしまったことだ。

 ベレリアンド半島には有望な石炭埋蔵量があったのだが、主に価値観や財政上の問題から平時需要量を満たしきれないほどにしか開発できていなかった。

 このとき二隻の補助巡洋艦乗りたちは気づいていないが―――

 エルフィンド海軍はこの石炭船の積み荷である良質なキャメロット産無煙炭を、半島東部北方のフィヨルドに逃げ込んでいた装甲艦リョースタその他に使うつもりだったのだ。



 ファルマリア港攻略戦と呼ばれることになる戦いが、始まろうとしている。

 開戦から五日。

 星暦八七六年一〇月三一日。

 第一軍第一軍団は、ベラファラス湾沿岸に達し、行軍状態から同港攻撃開進線への展開運動へと移っていた。

 このとき、第一軍団司令官テオドール・ホルツ大将とその司令部の隷下には、大きく分けて五つの部隊が戦闘序列されている。

 第一擲弾兵師団、首都ヴィルトシュヴァインの部隊。

 第一七山岳猟兵師団、北部メルトメア州アーンバンドの部隊。

 これに、アンファウグリア旅団と、軍団直轄の第一野戦重砲旅団。そして上級部隊である第一軍から差遣されてきた独立第一三重砲旅団である。

 また小規模ながら特別差遣として、兵要地誌局測地測量部から測量班が一個、そして当時としてはまだ珍しい存在だった軍の写真隊一個が付いた。軍用地図を正確なものへと変えるためだ。

 アンファウグリア旅団が開戦翌日には渡河点から約三〇キロの線にまで進んでいながら、第一軍団全体がここまで到達するのに五日もかかっているのは、格別に進軍が遅くなっていたわけではなかった。

 軍隊とは、常に前に進んでいるわけではない。

 これは何処の国のどのような軍隊でも例外のないことであり、オルクセン軍の戦線前進運動は、この戦役中、ほとんどの場合で平均二〇キロの距離を超えることはなかった。

 そしてこれは前進運動を行っていた場合の記録であり、停止すれば当然その記録はゼロとなる。この停止が、ままあることだった。

 軍隊は、宿営や休息もすれば、占領地域での治安の回復と維持、電信線の敷設や補修、街道の修復あるいは前方への斥候、情報収集など、前進と戦闘以外にやらねばならないことはたくさんある。

 むしろ、そちらのほうが時間としては多いくらいだ。

 とくにオルクセンの軍隊は、鉄道や街道の補修と改修、野戦電信の敷設を重視する。

 軍隊指揮のためには魔術通信のみならず野戦電信は必要不可欠な存在であったし、輜重馬車だけではなく砲兵隊を行軍させるためにも街道の補修は重要だ。

 そのためオルクセンの軍隊は一度宿営すると、前衛部隊を警戒配置につかせつつ、その後ろでは工兵隊のみならず、歩兵科の連中でさえ翌日には概ね周囲の街道修復を始める。

 補修作業の効率を高めるための、具体的な方法まで考案されていた。

 まず、補修を要する箇所を定めると、歩兵一個中隊につき一〇〇メートルから一五〇メートルを割り振る。そうしてその中隊の指揮官は、今度は各兵に均等に面積を区分してやる。円匙や十字鋤の準備がととのったところで、

「さあ、かかれ!」

 このようにすると、隣のあいつに負けてなるものか、おいおい奴らの中隊には遅れるな!といった具合で、競争効果が発揮される。古風な言い方をすれば、分普請わけぶしんと呼ばれるものになる。

 なかには、うちの中隊、俺の場所だけ酷く他所より損傷が激しい、などといった事例もあり得たが、おおむねこの方法で補修は予定通り、もしくは予定より早く済んだ。

 弱ったことに、エルフィンドに侵攻してみると、この補修もしくは増築作業が想定以上に必要だった。

 事前の諜報により薄々わかってはいたが、オルクセン軍の目から見るとエルフィンドは道路や電信線といった公共社会基盤インフラが貧弱であったのだ。

 とくに第一軍団の背後では、軍の輸送隊までが動員されて輜重馬車隊の半分が軍に同行、もう半分は往復運動といった具合に動いていたから、この公共社会基盤の弱さは看過できない。

 おまけに大飯食らいであるオルクセン軍の輜重馬車は、大きい。

 輜重馬車でさえ積載量一トン規格というのは、このころの他国の軍隊からすればちょっと耳を疑いたくなる代物だった。おおむね、他国の軍隊は五〇〇から七五〇キログラムほど積載できるものを標準的な扱いにしている。

 オルクセン軍にしてみれば、この大きく重い輜重馬車が行動するには、エルフィンドの街道は所々で信じられないほど狭かった。補給隊が兵站拠点から往復行動をとった場合、街道上で互いがすれ違う必要が生ずるが、この交差が困難であることも珍しくなかった。

 第一軍団は素人目にはこれほど時間をかけて進軍したように見えながら、このときこの問題を根本からは解決できていない。

 いかなオルクセン軍といえども本当に文字通り総出で道普請をやるわけにはいかず、所定の距離間や、街道が格別狭い場所に馬車の相互待機場所を作り、野戦憲兵隊を配するのが精いっぱいだった。

 このファルマリア港攻略開始時、第一軍団の兵站、とくに糧食及び糧秣供給は、その三割ほどまでを現地調達に頼っている。彼らとしてはかなり成績が悪いが、このときは重砲隊と砲弾の輸送を優先させていた。

 ベラファラス湾最奥にあるファルマリア港を囲むのは、第一擲弾兵師団と第一七山岳猟兵師団が主力になった。アンファウグリア旅団はその北方へ展開して、彼らの側面を守る役割を担う。

 これまでに掴んだ現地情報、斥候、それと大鷲軍団による空中偵察結果を総合すれば、ファルマリアには北側の内港側市街地にも、南側の外港側市街地にも「兵馬が満ちている」という。

 前進運動の到達点近くになると、無人になった村も増えた。

 例えば第一軍団が司令部を開設したレスクヴァという大規模村には、軍が到達するまで六〇〇ほどのエルフィンド軍斥候がいるという情報しきりだったが、いざ開進到達してみれば住民も含めてエルフっ子ひとりいなかった。

 エルフィンド軍の斥候部隊はおろか、近隣村落の住民もまたファルマリア港へと逃げ込んだ者が多いのだと感得できた。

「馬鹿なことをするなあ―――」

 そう感想を漏らしたのは、第一軍団司令部へと作戦指導のために派遣されてきた、総軍作戦参謀のエーリッヒ・グレーベン少将だ。同じく総軍参謀のライスヴィッツ中佐、ビットブルク少佐を伴っている。

「逃げ込んだところで、ファルマリアはもう袋の鼠だろうに」

 オルクセン軍にしてみれば、もはやその通りであった。

 ファルマリア港は陸上から囲まれただけではない。

 同港が面するベラファラス湾には、オルクセン海軍主力が居座っていた。その様子は、ファルマリアのエルフィンド軍からも望見出来る。

 これは海軍にするとファルマリア港を狙っていたというより、北方へのリョースタ捜索活動へ出発するために本国からの給炭船や給養船の到着を待っている状態だったのだが、同市を砲撃範囲に収められる事実に変わりはない。

 海軍がそれをやらなかったのは、陸軍がファルマリア港の港湾施設を無傷で手に入れるためである。陸軍側としては喉から手が出るほど同港が欲しい。

 ―――まあ、逃げ込む気持ちも分からんでもないが。

 グレーベンにも、そのように理解をしてやれなくもない。

 開戦時、ファルマリア港には有力な戦力評価判定の下されたエルフィンド軍が、最初から存在した。

 エルフィンド陸軍の二個旅団規模の部隊。約八〇〇〇。

 ファルマリア海兵連隊と称する、彼女たちの海兵隊戦力が約二〇〇〇。

 合計一万。

 壊走した国境警備隊残余や、周辺村落からの義勇兵も合流して、どうも一万一〇〇〇余ほどの兵力に膨れ上がっているようであった。近隣村落住民はこれも拠り所にして逃げ込んだのだろう。ファルマリアの元の住民数は四万ほどだったが、そちらもまた膨れ上がっているようだ。

 情報分析によれば、この戦力の指揮を執っているのはハルファンという名の古参の少将らしい。

 もっともエルフィンド軍の軍階級制度はややこしく、どうも無理やり翻訳してみるなら二等少将とでも解すべき意味になる、妙な階級らしいが。

 白エルフ族の氏族長が基本的に少将クラスで、それに部族規模やふだんの行政的地位の加味により五等から一等にまで分かれるという。五等少将辺りになると先任大佐とでも訳してやるのが正解だという者もいるから、本当にややこしい。

 ではダークエルフ族もそうだったのかと思えば、そちらはどれほど氏族規模が大きくとも問答無用で佐官クラスなのだそうだ。こちらは四等級に分かれる。大、中、少に加えて、准佐とでも訳してやれるようなものがいる。

 ―――わけが分からん。

 どうもこいつらは、近代軍制というものを根本から理解していないのではないか。

 エルフィンド軍における部隊編成のやり方も、何とも言えない奇妙なものだ。

 こちらで言えば、中隊と訳してやるべき存在が、歩兵で約三五〇名。騎兵で約二五〇名。

 そんなものを寄り集めて、部隊にしている。

 そのような「中隊」を氏族ごとに作るのかと思えば、これもまた場合に依りけりだという。

 ふだんの常設や、戦時ともなれば義勇兵が招集され、あるいは自発的に軍に参加した場合、ああ貴方の氏族は八〇名連れてきてくれたのですね、こちらは六〇? ではこれをくっつけて、そちらの三〇を合流させて一隊に、まあそちらは三五〇ちょうど!助かります。え、金で雇って揃えたのですか・・・という具合で作るらしい。

 一番多い兵を率いている者が部隊長になるのかと思えば、三〇を率いてきた奴が伝統的に格上の一等だとか二等の佐官なら、そいつが指揮官になる。

 常設最大の部隊規模が「旅団」。

 これに師団と訳すのがいいのか未だに決まっていない平時司令部が上にくっつく。

 アルビニーの軍制の「鎮台」が近いのだという奴もいる。

 こいつが戦時になると、衛戍地の地名を冠して〇〇〇〇軍だの△△△△軍といった名称に変わる。ファルマリア港の場合、ファルマリア軍。

 兵站はどうするのかと思えば、食糧は現地調達を主眼に考える。兵器、弾薬の類は流石に国持ちが基本だが、兵のレベルで私物を持ち込んでくるやつもいる。

 ―――酷いやり方だ。指揮も兵站も諸々も、何もかもやりにくいだろうなぁ。

 グレーベンは同情さえ覚えてしまう。

 国民兵による常備軍は常備軍でも、グロワールのような、近代軍制下の国民義勇兵常備軍とはまるで異なる。

 海軍と海兵隊だけはそんな具合にはなっていないといい、これは今のエルフィンド海軍の最高司令官がなかなかの傑物で、旧時代的な軍制を改革したからだそうだ。リョースタ型その他を、何年もかかって稟議を通し購入し、それにキャメロット式の海軍制度を導入して、整備したほどの器らしい。

 グレーベンは、そのような「エルフィンドはそもそも近代軍制を理解していないのではないか」という疑念を、ファルマリア港を実際に見分出来る、同地から約二キロ西方にある丘の上に立ち、確信に変えた。

 ファルマリア港には防禦陣地があった。

 同港の西方周囲を包み込むように存在した稜線を使って、その上を沿うように砲台や塹壕、掩堡を作っている。ファルマリア要塞などとエルフィンド軍は呼称していた。

 だが、

「要塞? これがか!」

 グレーベンなどは呆気にとられてしまった。

 それは彼らにしてみれば、野戦築城の防禦陣地に産毛が生えた程度の代物に見えた。

 ファルマリア港の周囲にあって、先述のような構築をされているので、まず主たる防禦線が一重にしかない。

 そもそもグレーベンらが立つような丘は、本来敵の手に渡してはいけない。外殻線を作るか一軍を配して取り込み、守らねばならないところだ。

 例えてみるならば、薄っぺらな壁一枚で守られた邸宅のようなものだった。オルクセン軍にしてみれば、二重、三重と防禦線を作って、やっとどうにかなるはずのものである。おまけにその「壁」が、おおよそ何とも心許ない素材で出来ていた。

 堡籃ほうらんである。

 一言でいえば、枝や板材といった木製でできた円筒形の、膝丈ほどの籠のなかに土や砂を詰め固めて並べたものだ。

 これでも見た目以上には頑丈であり、当時はオルクセン始め他国もその後しばらく使い続ける防禦構築物で、銃弾や砲弾片などは通さず、またその内側の壕に立てばエルフィンド軍のレバーアクション式小銃の装填動作における弱点を補うことなども出来たが―――

 いまやベトンで出来た永久築城の近代要塞を攻守ともに研究しているオルクセン軍には、なんとも児戯めいて見えた。

 置かれている砲も重砲や野砲は少なく、山砲ばかり。地形的に仕方がなかったのだろうが、あれでは相手を射程で管制できない。しかもキャメロット製で、前装砲ばかり。

 おまけに全体の配置が良くない。

 地形に沿って行き当たりばったりに築城した様子が方々にあり、ところどころで壕が断絶していて、相互連絡がまるで取れていなかった。A砲台が吹っ飛ばされれば、Bから援兵が送れない、という具合。戦線後方から、えっちらおっちら援兵に山を登らせるしかない。

「・・・・・・ひどい代物だなぁ、これは」

 グレーベンは制帽を脱ぎ、頭を掻く。呆れて物も言えないといった仕草だ。

 もっとも、これほどファルマリア要塞の構造的欠陥が一度に掴まれてしまったのには、エルフィンド軍側としては私たちの落ち度ではない!とでも叫びたかっただろう。

 大鷲軍団の空中偵察効果が、凄まじかったのだ。

 軍用地図には、大鷲軍団が上空から偵知した情報が早くも書き込まれていて、エルフィンド軍側の配置はまるで手に取るようであった。

 本来、いまグレーベンらがいるような丘の上から眺めただけでは、それより標高のある要塞内部はまるでわからない。

「おまけに、こいつにはとんでもない欠陥があるな」

 グレーベンは第一軍団の参謀たちに軍用地図の一端を示した。

 ファルマリア港周囲の稜線そのものが、完全には同港を覆いきれていなかった。北側からみて三分の一、南側から見て三分の二ほどのところに、ぼっかりと平たくなっている地域があった。

 川だ。

 川の一本がファルマリア市街地に流れ込んでいる。

 この河岸部を利用して、街道と、北部からの鉄道がファルマリア内港市街へと通されていた。

 いまその街道と鉄道は、第一軍団の北翼に展開したアンファウグリア旅団が遮断してしまっているが―――

「ここから突っ込め」

 グレーベンは断じた。

「南北の稜線端にあってこの街道を俯瞰管制している砲台を―――そうだな、運動量から言えば南側でいい。南側の砲台を第一三重砲旅団の一二センチ榴弾砲で吹っ飛ばしてしまえ。そうしてこの地形間隙から、一挙に部隊を突っ込ませろ。第一七師団がいい。それで、ただそれだけでファルマリアは終わりだ」

 殻の大部分は残して、内側から崩壊させてしまおうというのである。

「ただし、市街地は一切破壊してはならん。とくに港湾施設と、幾らか在留しているらしいキャメロットの商人たち。これは何としても保護、確保せねばならない。そのため、まずは民間住民脱出を条項に含んだ降伏勧告を送る。期限付きで、今日一日ほど検討させる」

「降伏勧告を・・・」

 第一軍団の参謀が、やや唖然として反芻した。

 どうにも、まどろっこしいやり方に思えたのだ。

「ああ。これはグスタフ王陛下のご発案による。私はただちに同意した。白エルフどもに更に迷いを生じさせる、足枷になるであろうと。陛下におかれてはまた別のお考えからのものだが、私にとってこれは博愛や道徳なぞではない。純粋な、戦略的かつ戦術的要求に基づくものだ。あちらに責任という名の球を放り投げる。キャメロット人や民間住民の保護を図るかどうか。その判断をやるのはあちらだということだ」

「なるほど」

 狡猾であった。

 確かに、拒絶した場合、全責任は白エルフたちが負うことになってしまう。

 万が一、オルクセン軍の攻撃により外国人及び民間住民に死傷者が出た場合、国際的な責任回避手段ともなる。

「・・・戦争ですな。なんと素晴らしき戦争か」

「ああ、まったくだ。同意する。そして我らはその戦争を稼業にしている。利用できるものは何でも利用しろ。何でも。例え後世、真実とやらに気づいたと標榜する者からどれほど謗られようと。黙って、さも当然でございと嘯く傲慢顔で背負え。参謀とは、作戦参謀とはそうでなければならんのだ。それが兵と、我らが王と、我らの母なるオルクセンという国を護る。出来ん奴は素直に名乗れ、そして参謀肩章をただちに外せ」

 グレーベンはそれを実践しようともした。

「降伏勧告を奴らが討議している時間も利用して、重砲旅団を陣地展開させろ。素晴らしき戦争とやら、始めようじゃないか」



(続)

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